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1.  探偵はBARにいる3 《ネタバレ》 
終盤で病院から出てきた大泉洋が男泣きするウェットなシーンは少し長いし、 何より北川景子と大泉が語り合う回想シーンなどは少なくとも三度は繰り返されたはずだ。同じ台詞つきで。 おまけに、致し方ないとはいえスポンサー絡みのショットも数多く、あまりスマートな語りではない。 が、大泉も松田龍平もシリーズ三作目らしい安定感のあるコンビネーションを見せてくれる。 ロケーションも有名どころをふんだんに使いネオンや雪や群衆で賑やかに背景を彩っている。  観覧車に乗る大泉と北川の、彼女の人生を観覧車に見立てた会話はその後の展開を暗示する。 クライマックスの場で大泉を振り返りつつ別れを告げた彼女は階段を駆け降りていく、という訳だ。  そしてラスト、暗い獄中の壁に背もたれる北側景子の顔を光が照らしている。その表情がなんとも言えず素晴らしいのである。
[映画館(邦画)] 6点(2017-12-03 22:28:43)
2.  ダンケルク(2017) 《ネタバレ》 
明らかにアンリ・ヴェルヌイユ版のオープニングを踏まえたのだろう ビラの舞い落ちる街を進むトラッキングのショットから、構図は奥行きを意識し、 そこに描写されるのは誤射も飛び交う敵味方不明の銃弾、爆撃の恐怖である。 ビーチに突っ伏した主人公を手前に、画面奥から順々に着弾・爆発していくショットなどはなかなかの緊迫感だ。 が、担架を運び桟橋を渡って船に乗り込もうとするシーンなどで距離感やタイムリミットの提示に難があるのは毎度の事である。 あるいはこの距離感と計時感覚の失調こそがねらいかもしれないが。  三者それぞれの状況を音響などをブリッジさせることでクロスカットさせていくわけだが、 曇天・晴天、日の傾きまで編集で徹底出来ないなかでの時間軸の帳尻合わせは単に無謀である。 シーンの緊張を途切れさせて散漫にしている箇所も数知れない。  また評判の良いハンス・ジマーの劇伴だが、ほぼ全編というのもやり過ぎ。 サスペンスを阻害し、民間船舶集結シーンのヒロイズム煽情も過剰に思える。
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2017-09-09 22:10:14)
3.  ターザン:REBORN 《ネタバレ》 
格闘アクションのカッティングが雑で面白味が無い。 『レヴェナント』の熊の後では何とも見劣りしてしまう。 頻繁に挟まれる回想シーンの多さも、都度ドラマの流れを阻むばかり。淡々とした追跡劇だ。 クライマックスの大暴動のさなか、アクロバティックな動きでヒロインを救う主人公のアクションもセットの構造を活かして厳密に設計されてはいるはずなのに これまたどうも高揚感に欠ける。 二人の感情がスペクタクルの中でドサクサまぎれのように埋没してしまっている。  一瞬のアクションの快楽と同時にエモーションの昂ぶりが頂点となる、『天空の城 ラピュタ』中盤のヒロイン救出シーンを思い起こしたい。 あのくらいの、アクションと感情の融合が欲しい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2016-08-04 22:34:04)
4.  団地 《ネタバレ》 
『鉄拳』のクライマックスも場が月面に飛躍してしまうのだから、こんな展開でも驚くまい。 岸部一徳の物語的にも映画的にも少々脈絡に欠ける行動、加えて主に斉藤 工が担わされることごとく笑えぬギャグにも耐えよう。  それらを補って余りあるくらい、不器用な妻を演じる藤山直美がいい。 『時代』を熱唱する彼女の楽し気な夢想シーンがちょっと長いかと思うと、一転してヘルメットのショット、息子の遺影のインサートとともに現実に引き戻され、彼女を喪失感が襲う。思わず嗚咽をもらす彼女がいじらしい。 パート先のスーパーの裏口でマネージャーから叱られ、レジ係の一人芝居を演じる彼女の姿が可愛らしい。(それを大楠道代が窃視する。) テレビレポーターの質問にあっけらかんと笑う彼女の呵々大笑ぶりがいい。  そして、岸部と二人、夜を徹してひたすら漢方作りをする労働のモンタージュがとにかく美しい。 仕事の合間に柔軟体操し、おにぎりを頬張りながら夫婦協働で丸薬をつくりあげていく、その二人の不格好な姿が何故だか不思議に胸を打つ。  二人の、長年連れ添った者どうしの対話も味がある。
[映画館(邦画)] 5点(2016-06-15 21:34:48)
5.  007/スペクター 《ネタバレ》 
例によって、愛想の無いサム・メンデス。 その深刻ぶった語り口の割には、アクションは大ざっぱで物量頼みの旧態依然。 ヒロインの生命を守る、と誓ったはずのヒーローがいきなり雪山で彼女を巻き込みかねない無謀な突撃をやらかしてはまずくはないか。 列車での格闘にしてもアジトからの脱出にしても、盛り上がるべき箇所で盛り上がらないのは彼女を庇い、守りながら闘うというエモーションがアクションに欠如しているからでもあろう。オープニングのカメラからして技巧の披瀝にすぎず、カースタントを始めとするアクションは空虚なスペクタクルの羅列に留まっている。 二人のドラマにもう少し注力すれば、ラストの橋のシーンはもっと輝いたろうに。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-12-11 23:56:06)
6.  起終点駅 ターミナル 《ネタバレ》 
佐藤浩市は『愛を積む人』に続いての北海道・不器用男路線。 降旗康男と高倉健コンビ作のようなローカル・スタティック・ハートフル・ナルシズムに落ち着くにはまだ早かろうに。  めぼしいロケーションは佐藤の暮らす寂れた一軒家に釧路駅、そしてお馴染みの幣舞橋といったところでバリエーションに乏しい。 北海道ロケの割に画面は奥行きが浅く、縦の構図を意識したのは、振り返らずに駅舎へと去る本田翼とそれを 車から見送る佐藤のショットくらいだ。  料理の映画でもありながら、調理シーンは手許の接写と、佐藤の表情のアップをつなぐばかり。 彼本人が実演しているとわかるのは筋子をほぐすショットただ一つである。  ロケハンといい、調理シーンといい、かなりの省エネ映画だ。  これでは、料理はただ単に食の観光アピール、コマーシャルに過ぎない。 音楽なら演奏を、料理ならその調理を、俳優が実演してみせるその身体性こそ、美味しさを映画で伝える上で要となると思うが。
[映画館(邦画)] 4点(2015-11-15 13:55:27)
7.  ダイバージェントNEO 《ネタバレ》 
この壁に囲まれたエリアに生きる人々という世界観。邦画でも洋画でも最近よく見かけるのは偶然か。 その舞台となるデストピアの細密な描写力がなかなかで、瓦礫混じりの都市の俯瞰などに眼を奪われる。  ヒロインの脳内イメージシーンであることを前提として展開されるビル崩壊やアクロバティックなアクションにサスペンスなど無いが、 その瓦解のスペクタクルで乗り切ってしまう。  そのイメージの中で、髪を切ったシェイリーン・ウッドリーがその澄んだ瞳と、凛とした美しい表情をみせる。  ロベルト・シュベンケ監督となって、120分を切ったのもいい。前作からの説明もそこそこにドラマは進むが、把握には困らない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2015-10-25 20:31:40)
8.  ターミネーター:新起動/ジェニシス 《ネタバレ》 
追う、追われるという第一作のシンプルなシチュエーションが恋しくなる。 下手に状況を複雑化させることで、小賢しい理屈付けで戯れる羽目になって ますます映画から遠のいている。  ここでは逃走のサスペンスよりも、真贋不明のサスペンスが主となるのだが、 小状況が一旦終了するとひとまず収監のパターンで切迫感が途切れ、 作品を貫くべき大きなサスペンスが持続しない。  そしてジェイ・コートニーはクライマックスにおいても全くの奮闘不足であり、 それが為にエミリア・クラークとのラブストーリーも淡白すぎて中途半端だ。 彼らのエモーションを核としてこそヒューマンドラマが成立すると思うが、 擬似父娘のドラマの比重を高くせざるを得ないのは スター俳優を偏重するシステムの弊害か。  ともあれ、『マッドマックス』最新作にしても本作にしても、 女性の強さがよりアピールされている ところが時代性とマーケティングの反映ともいえそうだが。  それから、殺人マシン同士が激突する金属音の良さは特筆したい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-07-10 23:56:54)
9.  太陽の坐る場所 《ネタバレ》 
酔った水川あさみが夜の跨線橋を上司と歩くシーン、墓参りを済ませた森カンナが 墓地を後にするシーン、いずれも絶妙なタイミングで背後に列車を通過させながら そこに作為を感じさせない自然なショットに仕上げるあたりが矢崎監督らしい。  体育館内の古泉葵と吉田まどかの周囲を旋回するカメラも一見ラフな手持ちだが、 その中で館内に差し込む光のフレアの一瞬一瞬を見事に取り込んでいる。  体育館の暗い備品室の中で並び座る水川と木村文乃。わずかに外からの光が 床の一点に当たっており、その微かな光の反射が二人の存在を浮かび上がらせる。 主題的に多々登場するローキー画面だが、いずれも光の加減の設計は緻密だ。  トンネルから外界へ。日食に伴い緩やかに暗転していく教室内。 1ショット内で光と闇が反転していく様が、ドラマを語っている。  二人の出会いを演出する、風と揺れるロングヘアも印象的だ。 走る自転車によって揺れ、寝そべることでふわりと広がる黒髪が画面を揺らす。 
[映画館(邦画)] 7点(2014-10-06 23:00:31)
10.  旅立ちの島唄 ~十五の春~ 《ネタバレ》 
卒業コンサート前の楽屋で、娘:三吉彩花の着付けと化粧を手伝う母:大竹しのぶ。 肩に置かれた母の手に自分の手を重ねる娘。 鏡に映る二人のショットが感動的なのは、映画冒頭シーンの相似反復であるためだ。 三吉が憧憬の眼差しで影から見つめていた先輩親娘の姿に重なるのである。  歌を披露する三吉の正面からのショットの息を呑む美しさ。 彼女と溶け合うようにオーヴァーラップする、小林薫、大竹しのぶ夫婦の 切り返しショット連結の美しさ。  彼女の気丈で凛とした歌声と佇まいが感動的なのは、 その前段での高校入学面接試験で彼女が吐露する本心と、彼女が見せる涙があるからだ。  彼女らが旅立つ映画のラスト、島の独特の風土と地形的特色が映画に活きる。 三吉ら卒業生達の乗った小さなフェリーは外海の荒波に大きくローリングしながらも 真っ直ぐに島を離れていく。不安定でも進んでいく船の航跡に熱くなる。  島でのロケーションだけに、現地エキストラも充実している。 特に子供達の巧まざる演技が素晴らしい。 観光名所案内的なショットを極力避けた情景撮影が好ましい。  土地の事情なのかどうか、携帯電話が登場せず、固定電話や手紙やボートが コミュニケーションの手段となっているのも映画性を高めている。 
[DVD(邦画)] 8点(2014-03-28 23:56:22)
11.  抱きしめたい ―真実の物語―
左半身不随の北川景子が差し出そうとする盆を慌てて支え、 彼女の煎れたお茶を美味しそうに頂くというシチュエーションを、 同一構図、同一カッティングの中、 錦戸亮と國村準の親子がそれぞれ別々のシーンで演じている。 即興なのか、演出通りなのか、二人のリアクションは実によく似ている。 それだけのことが、この親子と娘の秀逸なキャラクター描写・関係性の描写になっている。 レストラン窓際での北川・錦戸カップルの食事シーンが、錦戸と息子の食事として 反復されるのも同様だ。 その食事シーンの最後、成瀬作品のように窓外からのショットに切り替わって サイレントの効果を醸すのも印象的である。  『黄泉がえり』のおでん屋のシーンのように、飲食のシーンをそれぞれ大事にしているのがいい。  夜の回転木馬の緩やかなローリング。その浮揚と下降の中でのぎこちないキスシーンの美しさ。その二人を見守る窪田正孝の視線の暖かさ。 ボールを放るアクションとその軌跡の響きあい。 國村・錦戸親子の罵り合いや、ワンポイント英語・中国語を使ったアドリブ感満点の 飾らない会話劇の魅力。 佐藤めぐみの突発的なビール瓶攻撃の鮮やかさ。 生まれたばかりの赤子を囲む病院シーンのドキュメンタルな長回しの迫真と幸福感。 ベッドでの二人の交わらない視線の劇。その万感のエモーション、、。  個々に書き出せばきりのないほど、映画の魅力が詰まっている。  何よりも、予告編の印象をいい意味で裏切る、お涙頂戴を潔しとしない塩田監督の自制的な手際にこそ泣かされる。    
[映画館(邦画)] 8点(2014-02-28 01:06:11)
12.  大脱出(2013)
映画冒頭の脱獄シーンの寡黙さがなかなか良いと思う間もなく、 シルヴェスター・スタローンの雄弁な種明かし演説が始まってしまう。 かと思えば、主舞台に移っても公衆の中で堂々と密談を続けている。  監視の中、いかにして相棒とコミュニケーションを取り合っていくか。 そこにサスペンスを生み出すのが、脱獄映画の基本だろうが、その辺りが相当杜撰だ。 共演がよほど嬉しいのか、二人の対話については明らかに台詞過多である。 ボルトがどうの、シフトがどうの、それは画面に語らせれば済む話であり、 安易に台詞に頼るべきではない。 主人公の観察眼については、序盤で説明済なのだから。  状況解説用のトラッキングはただ官僚的であり、 対話どころか殴り合いまでアップショット偏重で鈍臭く 面白味を欠いた画面は映画でなくてテレビだ。  二人共、銃を構えたショットだけはやはり様になっている。   
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2014-01-12 23:17:12)
13.  探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点 《ネタバレ》 
サービスのつもりで盛り込んだであろう乱闘やらベッドシーンやらが、 単に騒がしく乱雑なだけの乱闘であり、無意味なベッドシーンでしかない。  市電のアクションや、中山峠のカーアクションがそれなりに見れるのは 風物やロケーションの魅力に負っている。  バーで自責の涙を流す尾野真千子。「自惚れるな。」と返す大泉洋。 二人の芝居が醸す清らかな情感はなかなか良い。  続く尾野の演奏シーンでは、フラッシュバックと共に『砂の器』でもやらかすのかと 冷や冷やしたが、そうはならずに一安心。  かわりに、スポットライトを受ける彼女の凛とした表情と潤った瞳に 映画が引き締まった。 
[映画館(邦画)] 4点(2013-05-22 23:14:00)
14.  007/スカイフォール
序盤のウォーターフォールと終盤のスカイフォール。 幾度も己自身を見つめさせることになる鏡面あるいは水面と、 様々にメタ的な着想を凝らして内面描写というトレンドに倣っている。  公聴会での暗殺阻止からそのままクライマックスのアクションに なだれ込めばいくらでもテンションを上げられたところを、 内省やら回帰やらの要素を持ち込んで新味を出さねば気が済まないところが シリーズものの枷というところか。 例によって、本作の「小悪党」も卑小な内面ばかりを語りたがり、 犯罪の動機付けに汲々とする。ゆえに悪役に恐さがない。  高層階のネオンライトを背景とした シルエット同士の格闘などは実にスタイリッシュであったり、 籠城戦前の夕暮れから夜の闇へと推移する緊迫の描写も良かったり、 日本版予告編で使われたショットの数々も個々にはケレンがあって 様になっているのだが、いずれもが単発止まりである。  一連のアクションの繋がりとして見ると平板で うねりを欠いてしまうのが勿体ない。  いわゆる人間ドラマに比重が掛った結果だろう。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2012-12-25 23:50:25)
15.  ダークナイト ライジング 《ネタバレ》 
寓話はあくまで架空の都市のイメージの中で語って欲しい。 ノーラン版のシリーズとして一貫してはいるが、 そのままストレートに現実を意識させるロケーションや歌唱や、 テーマ語りはやはり安易で浅はかな印象しか与えない。  主要キャラクターそれぞれに見せ場を配分するのもわかるが、 かえってその場面転換がテンポを殺しているのもいただけない。  特に肝心な後半、緊張が高まるべきカウントダウンに向かいながら 4者のパラレルアクションが映画を寸断させ、間延びさせてしまっている。  画面も深度が浅く、表情芝居に頼った人物の対話場面などは 切り返しも配置もフォーカスもことごとく単調だ。  アクションの構図もアングルも貧しく、決死のジャンプシーンにも 絶望的な高低と距離の感覚が出せているとは云えず、 物語を絵解きするのに手一杯にみえる。  巻頭の航空機墜落をはじめ、地盤の崩落、橋梁の倒壊、幽閉溝の登攀、 背骨折り、氷上での処刑とノーランが拘るのは執拗な垂直落下のイメージであり、 その中でタイトルの主題系が立ち上がって来る仕掛けではあろう。 一方で、水平の空間移動をあえて省略してみせるあたりは潔いのだが。  『ダーティ・ハリー』の投げ捨てられる警察バッヂ、『M』の人民裁判、 『機動警察パトレーバー2』の雪降る水路・橋梁爆破の空撮ショットなど、 映画の参照ぶりは相変わらず多彩だ。 
[映画館(字幕)] 5点(2012-08-08 02:08:32)
16.  ダーク・シャドウ(2012) 《ネタバレ》 
アバンタイトルからベラ・ヒースコートが屋敷内に案内されるまでの流れは、あたかも彼女が主人公であるかのように思わせる展開だが、それは屋敷内の様子と登場人物を効率的に観客に紹介していくためのものであった事がわかる。  中盤からクライマックスにかけて彼女の影が薄くなるため、三角関係のドラマとしては些かバランスが悪くなってしまうのだが、そうした破綻とアンバランスさがバートン本来の病理的であやうい魅力と云えなくもない。  スタジオのしがらみが顕著な前作は、程よくユニークでウェルメイドで小器用で教訓的で無害でしかないが、本作の不健康ぶり・インモラルぶりこそ彼の本領に近い。  愛情と憎悪、煩悩と理性、異質な他者と一般人、その間で分裂するそれぞれのキャラクター。(エヴァ・グリーンの最期の表情の素晴らしさ。)  屋敷内や崖のシークエンスで印象的な、焦点深度の深い映像。(遠近を惑わすヒ―スコートと彼女の肖像画のパンフォーカスこそ、ラストの予告だ。)  伏線や整合性や現実的倫理といった小細工を取り払っているゆえに、作り手の特異な症候とその治癒への試みとでもいうべきものがバートン流「再構築」映画の中で際立つ。   
[映画館(字幕)] 7点(2012-06-02 10:48:19)
17.  タイタンの逆襲(2012) 《ネタバレ》 
白熱する槍の衝撃などは、ハリーハウゼンのダイナメーションならばそれを持つ人間のリアクションをフルショットで撮って絶妙に表現したことだろう。 単に透過光処理に頼るだけの超常パワー表現にはまるで魅力がない。  『南の島に雪が降る』のニューギニア戦線の兵士たちが、紙製の偽物の雪に感動したのはそれが本物そっくりであったからではなく、あくまで理想イメージとしての雪とダブらせ、尚且つ人間が心を込めて手作りした触覚的な感覚を受け取ったからこそだろう。  前作および本作のCGIクリ―チャ―がいかにリアリスティックでも、1981年版『タイタンの戦い』のダイナメーションのもつ文化的感動に及ばないのも恐らくそれに近い。  キメラやミノタウロスの目まぐるしく「本当らしい」動きと慌ただしいカメラワークは結局のところ魅力的なキャラクターとして、あるいは印象的なショットとしては残ることはない。 アレスとペルセウス一騎討ちの単調な肉弾戦も同様だ。  3Dも含めたテクノロジーの飛躍は刺激と錯覚にのみ向かっている。 CGIが精巧かつ迫真であるほどに当然ながら失われてしまう人工的輝き。 そうしたパラドックスがここにも見られる。  
[映画館(字幕)] 4点(2012-05-11 01:37:33)
18.  TIME/タイム
荒唐無稽な物語を殊更に正当化しようとせず、当然の事のように語りきること。  その設定を、安易な説明ではなくまず具体の行動の積み重ねにおいて描写していくこと。  有体に云えば、ここでのストーリーや世界観やSF的設定などは、タイムリミットと逃避行(つまり時間と運動)のアクションを乗せて運ぶためだけに必要とされるに過ぎない。  その「時間と運動」のイメージこそ映画の要であり、荒唐無稽に徹する事こそ映画の知性だ。 静的な腕同士のバトルやカードゲームではなく、ただ「時間内に」走ることの動態によって主題論が体現されていく。  相対、並行、逆走、落下、その無軌道と乱脈の疾走の勢いによって画面は活性化し続け、その男女の走りと画面の疾駆とクレイグ・アームストロングのスコアとの一体化がラストの抱擁のエモーションに結実する。  役者陣の顔の素晴らしさに加え、二つのゾーンの格差を、それぞれの人々の行動習性とスタイル、そして抑制的ながら個性を持つデザインスケープによって視覚的に際立たせていく等の手際もいい。  「シルヴィア」と「限られた時間を生きる男女」の映画史からラングの『暗黒街の弾痕』を想起された「映画研究塾」は絶対的に正しく、『俺たちに明日はない』の結末の記憶と共に、死を孕んだ映画のサスペンスを最後まで維持している。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-02-23 00:31:11)
19.  探偵はBARにいる
大泉洋は最初の電話から声を荒げ、有薗芳記の死に逆上し、と激情型の傾向をことあるごとに示す。軽妙・寡黙型が真相に対してついに取り乱してこそクライマックスのエモーションが際立つのであって、ヒステリー型が、一本調子で泣き叫んだところで観る側は鼻白むばかりだ。 しかも、喜怒哀楽の心理をそのまま顔面に貼り付けすぎとくる。  映画自体も様々な無駄が多い。  雪原の中から登場する男、という開幕で引きこませるかわりに、その倒叙は中盤でのサスペンスを減殺してしまう。  開巻の思わせぶりなカットバックを始めとするスローモーションは単なる時間の引き延ばしに終わり、腕時計は伏線としても何らドラマと関連づかず、単にとってつけた印象だけを残す。 大泉が衝動的にススキノの街路を走る横移動は、中途半端に反復されるのでショットの強さとして突出してこない。  最も致命的なのは、松田龍平のボケに対する大泉のツッコミ台詞がことごとく映画を安いバラエティ番組の感覚に引き戻してしまうことだ。 
[映画館(邦画)] 3点(2011-10-09 21:11:50)
20.  タイタンの戦い(2010)
序盤で、船上のペルセウスらがゼウス像を見上げ感嘆する場面がある。本来ならここに像の表情と威容を人間側からの仰角で捉えたショットが続くのが一般的だろうが、この映画は、なぜか天上から像の肩越しに船を俯瞰するショットを入れる。映画を最後まで見ていくと、どうやらこれは3Dの視覚効果だけに専心した結果の画面構成らしいことがわかる。つまり海面を背景に、画面手前にある像の頭部の立体感を強調するだけが目的の画面ということ。神々のドラマでもあるわけだから、こうしたいわゆる神の視点があっても良いわけだが、もちろんこれは視点の演出などではなくその場限りの立体感覚狙いでしかない。その立体感は、縦構図に様々に被写体を詰め込み配置することが必要なため、画面は逆に狭まり、スケール感を失っていく(一例:神々の集う広間の場面)。3Dありきの画面は縦移動を多用するが、これらは主人公の主観と一致するわけでもなく、心理の同化作用に至らない(例:硬貨の水切り、メドゥーサの落下)。『アバター』の高所感覚との大きな違いはここだろう。結果、ドラマと画面は同調せず随所で違和感すら生むこととなる。映画の低調なエモーションはこうした場当たり的3Dショット主義のみならず、もちろん作劇の怠慢にも起因する。オリジナルでは、荒れるペガサスを手懐けるまでの丁寧なストップモーションがあってこそクライマックスの疾駆と移動のシンクロが素晴らしい詩情を生むのだが、この映画はその辺りまるで理解がないらしい。猟師家族や、共闘する同志たちの人間関係描写もそうだが、これらは省略ではなく、単に欠落しているだけだ。
[映画館(字幕)] 3点(2010-05-02 16:46:58)
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