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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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61.  フォー・ウェディング 《ネタバレ》 
原題は「4つの結婚式と1つの葬式」と、せっかく興味を引くようになってるんだけど。とにかく労働の匂いが全然しないのに、リアリティが出るのはイギリスの風土のすごさ。「ハレ」の場の話だけで、一本の映画が成立しちゃう。人間関係の描きかた、とりわけ前半のうまさはじっくり堪能。仲間うちのいい感じに満ちた。だから下手すると退嬰的になってしまう話なんだが、どこか溺れていない・距離を保っているのが、英国映画の紳士ぶりなとこ。ラストの稲妻の一閃は、恋を語るのか、不安を語るのか。面白かったんだけど、ヒロインのアンディ・マクダウェルって、あんまり喜劇向きじゃないのよね。どこか神経症的なところがあって。あるいはイギリス人から見たアメリカ女性って、こういう感じなのだろうか。ずっと黒を着てたフィオナは、オレンジを着、ラストでとんでもない人と結ばれる。こういうギャグ、日本じゃできない(単にやろうとしないだけか)のが悲しい。
[映画館(字幕)] 7点(2010-08-18 09:52:59)
62.  フォレスト・ガンプ/一期一会
この主人公は単に無垢なアメリカってだけじゃなく、意志を持たない、というか、何者にもなろうとしない、ってところがポイント。アメリカ映画の主人公って、無垢な人物が何かに向かって突き進むのが好きだったのだが、彼の場合はどちらかというと逃げるために走っている。無垢かもしれないが、その名前にはアメリカの原罪が刻印されている。なにかアメリカの変化を感じた作品だった。目的に向かって突っ走らない生き方に憧れを感じ出しているのか(でもその後のアメリカを見ると、変わらなかったんだけどね)。映画としては前半の密度の高さが圧倒的。逃げることによって、アメリカ現代史に立ち会い続けてしまう主人公。プレスリーからウォーターゲイトまで。逃げの走りを、周囲が思想にしてしまう。後ろにぞろぞろ、「あ、とまったぞ、何か言うぞ」って。SFXの使い方も、この頃はだいぶ幅が出てきて内実を得た。そういう意味でも記念碑的な作品。
[映画館(字幕)] 8点(2010-06-28 11:58:08)
63.  プラトーン
こうまで爽快感のない戦争映画も珍しい。おどおどした気持ちと倦怠感が交錯し、それにヒステリーが重なる。オバサンを射殺するあたり説得力があった。恐怖があり、仲間を殺された恨みがあり、分からない言葉で何やらこちらを非難している、倦怠感からヒステリーへ一足飛びにエイッと行ってしまう。ラストの大混戦、敵味方の区別もつかない渾沌に友軍の爆撃が重なって、ヒステリーは頂点に達する。けっきょくすべての兵士の死は犬死にである、というやりきれなさがビンビン伝わってきた。ヘリコプターの風でカバーがめくれ死体が出てくるとこ。冒頭の除隊組とすれ違うところも印象深い。最後の兵士の意味ありげな笑い。ザマアミロが80%、憐れみ10%、頑張れよ10%、ってとこか。バーンズも単なる悪役じゃなくて、この戦場で生き残り続けてきた経歴を持っている、生き残ることは殺すことだってことを身をもって証明してきて、クリスがラストでなぞるわけ。そしてすべてを包み込むジャングルの怖さ。ここでは敵はまったく純粋な「敵」として存在する。懲らしめるべきものでも、人倫を踏み外した憐れむべきものでもなく、ほっておくとこちらを殺しに来るただ純粋な敵。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-07 12:03:29)
64.  フランケンシュタイン(1994) 《ネタバレ》 
ケネス・ブラナーって、舞台は知らないが、映画では役者としても演出者としても、あんまり才を感じないなあ。一人浮いてた。トム・ハルスやロバート・デ・ニーロはちゃんと映画の俳優だなあと思った。音楽を延々と垂れ流すのも困ったもので、なにかしばらく間違って予告編を見せられてるんじゃないかと思ったもん。カットとカットのつながりがそんな感じなんだ、尻が座ってないってのか。まあ18世紀末の実験室はこんなものかという面白味はありましたが。原作尊重ということで、主人公が博士なのか怪物なのか揺れてたみたい。やはりこの話の面白さは、怪物が怪物にされていく過程にあるわけで、博士の科学論などは脇に回してもよかったんじゃないか。つまりフランケンシュタイン博士が出しゃばりすぎた。「フレンド」を求める孤独こそ中心に来るべきだった。と、ここらへんはこちらの好みに引き寄せた愚痴だが、セットの大階段をあまり生かせなかったのは明らかに監督の罪。醜くなったものが自殺しちゃうってのは、一般人にとって都合が良すぎる展開だなあ。改めて思ったのは、怪物に名前がないのは大事なポイント。まだ名付けられない新しいものってのは、すべて怪物視される可能性があるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-29 11:56:16)
65.  ブラック・ウォーター 《ネタバレ》 
製作者が「そりゃうちんとこは低予算映画ですから」と開き直っているような感じがあって、いっそ潔い。広いマングローブの森なのに、ほとんどその一角、舞台は一場に限られる。相手はワニ一匹だけで、複雑な人間関係はなし。これでもっと展開に工夫があれば、その狭さ単純さが煮詰まってくれるんだけど、ワニも人間もアッと驚くようなことはしてくれなかった(ワニがジャンプするぐらいか)。89分というのもいい長さのはずだが、切り詰めた89分じゃなくて、伸ばし伸ばしやっと89分って感じ。胎児は男の形見として助かるんだろう、といった予定調和は裏切られるが、リアリティを出す上での作戦というより、ただいい加減ってみたいで。最初の犠牲者の腕が使われるあたりは、ちょっといいんだけど、それもけっきょくそれほど役立ったわけでなく、場当たり的印象。でも映画における水面の不気味さってのが至って好きなので、その点では楽しめた。すぐ近くが水面の反射によって遮られて未知の世界になっている。そこらへんをもっと突っ込んでほしかったけど、樹上の人間ドラマと水面描写があんまり絡んでこないので、たとえば下に水があるのに喉がカラカラなんて皮肉が、それほどイキてない。
[DVD(吹替)] 5点(2010-05-02 11:59:20)
66.  ファザー・ファッカー 《ネタバレ》 
すごく神話になりそうな話で、しかも父親の象徴的な誇張なんかがあるために、抽象的な世界になってしまいかねないところを、桃井かおりがリアリティを与えている。ただ現状を受け入れるだけの母、「なんだかわかんなくなっちゃった」とか言うような。父はまっとうな家庭を求める、冷蔵庫という祭壇を持ち込み、肘掛け椅子の玉座を置く。「あらねばならぬ」家庭を外側にがっちり作り上げようとしたときに、内側では最も「反家庭」的なことが起きてしまう。外でふしだらをしないための「おしおき」。こういう屈折は日本家庭の病理としていいところを突いているのだが、もっとリアリズムで押したほうが効果が出たテーマかも知れない、難しいところ。荒戸源次郎だから清順の影響が濃く見え、水槽が割れて金魚が流れ出し屋台崩しに至るあたりは『陽炎座』を思い出す。いくつかのシーンは幻想として美しいが、それがテーマとうまく噛みあってこないように、私には感じられた。ケーキのおうちに雪が降る。やがて切り刻まれてしまうごちそう。廊下をゆく市電てのは、よく私も夢に見るので嬉しかった。
[映画館(邦画)] 6点(2010-04-01 11:57:01)
67.  プリシラ(1994)
女装愛好者って、女装すること自体よりもそれに対する周囲の反応のほうに生きがいを持っているのではないか。そういう形で社会と関係を持っている人たち。だから都会の他人たちの中で、無礼な視線を浴びているときに一番生き生きとしているはず。そういう彼らを砂漠の中に持っていったところに本作の趣向がある、と思ったんだけどちょっと違うかな。見るのは互いだけ。たしかにハレバレとはするけれども、これが女装者にとっての解放とは思えない。異端たらんとしても異端になれない。異端ではなくもともと正統だったのに異端に追いやられたアボリジニと交歓する、ただこの対照はちょっと安易に感じられた。やはり最後は「家族」になるのか。ゲイってのは、家族の否定に立つものだと思ってたのだが。テレンス・スタンプはちゃんと踊っていない。
[映画館(字幕)] 6点(2010-03-12 11:55:59)
68.  プレタポルテ
配役の贅沢さだけで、お祭り的な楽しみがある。そしてこの人の場合「お祭り的」ってこと自体が狙い目なので、大事なんだよね。つまり主役級の人たちに全員脇役をやらせている映画とも言えるわけで、アルトマンの人生観が見えてくる気がする。「すべての人は主役である」とはよく言われるけど、この人は「すべての人は脇役でもある」って言いたいんじゃないか。するとなんか、肩の力が抜けるというか、周囲に構えないで生きていけそうな気がする。主役のつもりでファッションモデルのように気取って歩いても、ほら足元には犬のクソ。虚飾を剥ぐ、などという大層なものではなく、人の世のおかしみ。マストロヤンニは、ホント、こういう役やるといいですな。ヒョコヒョコした忍び足やらせると絶品っていう名優も珍しい。
[映画館(字幕)] 8点(2010-02-22 11:57:10)
69.  フィッシュストーリー 《ネタバレ》 
ポイントがラストに詰まっているので、途中ずっと楽しめるわけではない。ラストの全員がつながっていく場はたしかに楽しいが、それで十分借りを返してもらったかというと、微妙なところ。でもこれらの登場人物たちが、みなちゃんと「立ち向かった人たち」の系譜にもなっていて、それが終末願望の人との対比になってるのが、いたって健全だった。終末願望者のセリフ「あきらめちゃダメだ、世界の終わりは必ずやってくる」って、現代人にはけっこう身近にある気分で、そもそもこういう「正義の味方」のホラ話を求める気持ちがあるってところに、自分のやってることに無力感を持ちがちな現代のつらさがうかがえる。社会が複雑になりすぎていることによる埋没感、あとは未来に価値が出るかもしれないという希望しかないわけだ。うっかりすると無差別大量殺人で存在感を確認したくなったりする者も出てくるわけで。そのなかで嫌みなく「立ち向かう人たち」を描いたところに意味がある。車でカセットの無音部分を聴くところ、あそこはワンカットで長回しで緊張させたいな、だってあとの録音一発どりのところはけっこう長く回してたじゃない、あそこで出来るんならこっちでも出来たろうに。
[DVD(邦画)] 6点(2010-02-03 12:05:01)
70.  不滅の恋/ベートーヴェン 《ネタバレ》 
楽聖映画ってジャンルが昔はあったが、これはそれよりも、どちらかというとミステリー映画だった。「彼の不滅の恋人とは、音楽の女神のことだった」なんてなるんじゃないかと心配してたら、ちゃんと答えがあるのがいい。誤解のポイントに説明があって、一応推理ものとしてずるくない。16番の弦楽四重奏曲の楽譜に書き込まれていた言葉も使われていたりする(ただしそのときバックに流れていたのは13番)。馬車のぬかるみって伏線もあって(クロイツェル)、それらの解答が第九を背景に出てくる仕掛け。「月光」をピアノの蓋に共鳴させて耳当てて弾いているとこ、作曲家が聴覚を失っていく痛ましさが、彼の孤独とともに出ていた。甥への溺愛に自分の少年時代が重なる、この溺愛もまあ、伏線ってことになるんだけど。
[映画館(字幕)] 6点(2010-01-29 11:58:27)
71.  フロスト×ニクソン 《ネタバレ》 
こういう実話ものってのは、どこまでが事実でどこからが創作なのかが分からなく、それでかまわないのもあるけど、これなんか気になった。つまり出来すぎて感じられるんだな。最初二三発食らうが、最後にダウンを奪うボクシングみたいなもので、リアルな勝負なら最高に面白いだろうが、段取りが整えられてたとしたらシラけてしまう。まあ、こういうインタビューがあったってのは史実なのだろうが、誇張の度合いの程度が気にかかる。映画の芯は、一寸の虫にも五分の魂、ほとんどショーマンのフロストにも、ジャーナリストの魂がちゃんとあった、って話で、ついつい日本のジャーナリズムの情けなさに思いが行ってしまった。こっちでは、タイコ持ちになるか感情的な罵倒を垂れ流すだけで、基本の“調査”ってのが抜けてるもんなあ。しかも彼フロストは、自分で広告主を探し回るんだ。弱気になって「周囲に止めてほしかった」と愚痴ったりもするが、ジャーナリストとしての栄光をちゃんと夢見ている。マスコミ企業に飼われているわけじゃない。そんなあっちとこっちの違いを、しみじみ感じた。
[DVD(吹替)] 6点(2009-12-27 12:04:33)
72.  プーサン 《ネタバレ》 
昭和20年代末の社会批評映画として私が観た中では、木下恵介の『カルメン純情す』と渋谷実の『勲章』とこれが三大傑作だと思う。社会批評がそのまま芸術ともなり得た稀有な時代だ。笑ったところは、交番で「もっと神経を太く持たなきゃあ」と諭されていると、ピストル持った男や刃物持った女が次々と自首してくるところ。ニヒルな医者が弁当食べてるとこに重い肺病患者が咳するところ。美人の下着姿自殺未遂のほうにワッと警官が来て、野の首吊りのほうは寂しくブラブラしてるところ。菅井一郎の「牢獄記」の立て看板、などなど。きびきびした画面だが、まだ編集の独特のリズムは生まれていない。ただし税理士の目が疲れると0の行列が欄外に出ていく、なんてアニメも使っている。上っ調子で斜面を滑っていくような社会を、やや外に立つ主人公が眺め、巻き込まれていく展開の映画だ。これが10年たつと“無責任時代”となって、主人公のほうが調子よく社会を滑っていくようになる。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-22 12:05:27)
73.  仏陀再誕 《ネタバレ》 
祭りの賑わいのなか、金魚すくいの金魚が何かにおびえたようにクルクル回り始めるなんてあたりは結構いいんだけど、それで出てくるのが空飛ぶ円盤の軍団という突拍子もないもので、怪光線で街を破壊していくのでポカーンとしてしまう。作品の構造としてはイイモンの組織とワルモンの組織との争いで、仏教というよりキリスト教的な正邪の対比、ワルモンの方がこの円盤やら大津波やらの集団幻覚で人心を惑わし恐れを振りまいているのだそうだ(この前の選挙で北朝鮮のミサイルの脅威をやたら煽ってたK実現党を思い出した)。プロパガンダ映画・PR映画なのなら、観ている方に「そうだな」と納得させるものがイイモンの組織に必要だと思うんだけど、ワルモンの方が「ひれ伏すのだ」イイモンの方が「許すのだ」と、分かり易すぎる対比しかないので、「ならイイモンの方の活躍だって集団幻覚かもしれないじゃん」と思ってしまう。この二つの組織が宗教というものの分かちがたい両面なのだ、っていう認識に立てれば、もうちょっと意味のあるフィルムになれたかも知れないが、当然のようにイイモンの方にだけ自己を投影している。で結局イイモンが力でワルモンに勝って、ワルモンの方は改心し澄んだ顔になって、牢屋で手を合わせて拝んで終わるの。宗教ってものをこんなに軽く扱って罰はあたらないのか、とやがて地獄に堕ちる唯物論者の私でも心配になってしまう。黒いモヤモヤが漂うあたりなど悪くなく、再誕仏陀がやたら説法したがるのを除けば、予想よりは退屈しないで観られた。でも別に薦めない。
[映画館(邦画)] 4点(2009-11-07 12:03:17)
74.  無頼漢(1970)
『心中天網島』の次の作品で、ATGから東宝になって資金は潤沢、白黒がカラーになった。浮世絵や残酷絵が壁面を飾る美術も、繊細な粟津潔から重厚な戸田重昌で、より金をかけられた分、見応え十分、というか、セットが一番の見どころになった。音楽が武満徹から佐藤勝に変わり、ダン、ダダンという桶屋のリズムが反復される(この桶屋が浜村純で、前作の黒子の通奏低音的イメージを継いでいるよう)。70年という時代を背景にすると反抗と挫折のドラマとして分かるし、その時代と幕末期を重ねる意図も悪くはないが、70年を離れて見ると、いささか反抗の気分だけが浮き足立ってる印象(ついでに言っとくと、この原作は幕末ではなく明治の歌舞伎。もう侍をバカにしても大丈夫な時代になっている)。かえって直次郎の母親を登場させたあたりに、脚本の寺山修司らしさがうかがえた。そのベターッとまといつくような母親像(新派の市川翠扇が怪演、この人は山中貞雄の『河内山宗俊』で直次郎演じた市川扇升とは関係ないんだろうな?)。河内山は松江邸で長ゼリフは吐くが、「バーカめ」の決めゼリフは言わず、あとで水野忠邦に逆に「バカめ」と言われるという趣向がある。金子市を米倉斉加年が不気味に演じ、あの異相はこういう役でもっと使われてもいいな、と思った。山中貞雄版の中村翫右衛門で金子市のイメージを持ってる人は驚くかも知れないが、あの金子市はほとんどパロディなんです。さらについでに言うと、だいぶ昔にマキノの『天保六花撰 地獄の花道』ってのをテレビで見てるが、この頃は河内山宗俊の話に無知で、ストーリーがよく分からなかったと日記に書いている。それでは市川右太衛門の河内山に東千代之介の金子市、中村賀津雄の直次郎。けっこうスクリーンではいろんな河内山が活躍していて、河内山映画祭なんてのを企画しても面白いんじゃないか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-10 12:26:53)
75.  フェリーニの道化師<TVM> 《ネタバレ》 
これ『サテリコン』と『ローマ』の間の作品だというし、題名からして凄いキンキラキンのフェリーニワールドを期待してしまったところ、けっこう地味、テレビ用作品で手抜きなのか、と公開時にいささかがっかりした覚えがある。あらためて見ると、同じ感想を抱くところもあるけど、ドキュメンタリー部分もそれなりに面白く出来ていた。つまりいつも“記憶”を描いてきた監督が“記録”と向き合ったという点で。ドキュメンタリーと言っても、録音技師が常連のノッペリ顔の俳優だったりと(4年後の『アマルコルド』では15歳の悪童仲間を演じてる!)、しっかりとフェリーニ色。ドキュメント調からスルリと回想に入るあたりの自在さが味わいで、つまり“記録”しようとしても平気で“記憶”に横滑りしていってしまうのがおかしい。記録フィルムが溶けてしまうのは、『ローマ』の消えゆくフレスコ画のエピソードにつながっているんだろう。記録は消える、記憶は残る、って(『ローマ』とのつながりという点では、道化師たちのファションショーが教会のファッションショーの準備だったか)。でもやっぱり一番いいのは最初のほうの町のスケッチ集で、あれは堪能しました。記憶全開。終わりの見せ場、道化師たちの葬式は、悪くはないんだけど円陣の中に閉じ籠もって展開しているのが、もひとつ弾けてくれなかったような気がする。もっともポイントは道化師たちの疲れなのであり、フェリーニとは「馬鹿騒ぎの果ての疲れきった静まり」を描き続けた監督なわけで、そこはキチンと押さえてある。というかフェリーニ作品の中でもひときわ感動的なラストが用意してあり、死んだ相棒と「ひき潮」をトランペットで呼び交わしながら消えていく道化師の姿だけでも、この作品は記憶に残ってしまうだろう。
[地上波(字幕)] 7点(2009-07-30 09:28:05)
76.  フロム・ダスク・ティル・ドーン 《ネタバレ》 
好意的に見れば「一本で二本楽しめる」で、前半は逃走もの。タランティーノのすぐ人を殺しちゃう弟が気味悪くおかしい。で悩める牧師の車をかっさらってメキシコへと走る、とここまでは普通の映画の範疇。牧師ってとこに伏線があったんだけど、見てて分かるわけがない。メキシコの怪しい酒場が後半の舞台で、ダンサーが蛇女に変わっちゃうところでノケぞる。きっとこれは夢だったってことで元の話に戻るんだよね、とはかなく思い続けている間も、スクリーンでは吸血鬼との戦いは続き、どうもこの時間経過からみて本気らしいぞ、と認めざるを得ず、そうかこういう「えっ!?」という瞬間がタランティーノは好きだったんだっけなあ、と遅れて気がつくのであった。ドンチャン騒ぎとしては『ブレインデッド』に劣る。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-29 11:56:30)
77.  フィオナの海
伝説・言い伝えなどを話の中に織り込みつつ、映画全体がラストへ向け、しだいに伝説・昔話の中に溶けていく、アザラシや海鳥を媒介にして。ケルト音楽も伝説っぽいし。そもそも弟の揺り籠が流されていくところからリアリティは薄いのであって(だって海で暮らす人があんな波打ち際に置いておくとは思えない)、そこらへんからもう半ばオハナシの世界にはいっている。じいさんばあさんと子どもってのも昔話の準備だし。つまりとうさんかあさんは近代化のほうへ向いてしまうのね、じいさんばあさんに子どもが昔の島へ戻っていく、伝説ともども封じられに。おそらくアイルランドという土地ならではの風土が生きているのだろう。アザラシの映像の使い方がうまく、変に擬人化させるのでなく、アザラシのまま意味を持たせるのに成功している。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-26 09:15:15)
78.  ふるさとの歌
田舎でうつうつと暮らす青年が、一百姓として国家に尽くそうと決意する、という文部省製作の映画。ただ面白いのは、どうも彼をそうさせたのは“意地”なのであって、都会での学生生活への憧れや、倶楽部で見得を切ってしまったことなどが脳裏をめぐって決断に至るの。国への純粋な滅私奉公観からではないんだよ、ということをちゃんと描写している。そこらへんで少しリアリティを加味していたのかも知れないが、ラストになるとみんな単純な人間になって丸く終わる、ってのがこの時代の作劇法でした。なんとなく溝口らしさを感じたのは、娘が都会に出てしまったのを追ってきた老母の鉄道付近の場、でしょうか。
[映画館(邦画)] 5点(2009-07-25 11:48:35)
79.  藤原義江のふるさと
はじめて映画が“音”を手に入れたとき、“歌”や“音楽”を使おうと考えるのは、まあ自然でしょうなあ。“騒音”って発想に至った『マダムと女房』の方がかなりひねくれてる。で歌手を主人公にして、しかし役者全般がどう声を出していいか困ってて、「とりあえず新派でいこう」って感じだったのだろうか。テナーと新派的物語。メロドラマではあるが、やや傾向映画的な香りもあり、資本家に踊らされるテナーをたしなめる妻は、印刷工となる。工場への道を歩きながら新聞を読む場など、労働者の匂いが立ちこめる。一方頽廃のパーティシーンではカメラがけっこうくねくねと回り込み、あの時代の撮影機器ではそうとう大変だったのではないか、そうでもないのかな。テープが乱舞し。この時代の映画で忠告する友人となると、まず小杉勇なのだ。このパターンは、グレかけたけど立ち直る不良少年ものにも通じる。
[映画館(邦画)] 5点(2009-07-22 11:57:00)
80.  ファンタジア
これはまさにファシズムの脅威のさなかに作られた作品なんだ。ラストの「はげ山の一夜」から「アヴェマリア」の祈りに移っていく構成は、おそらくそれを意識したものだっただろう。しかしそれだけでなく、おそらく意識しないで表われたところ、たとえば繰り返される洪水のイメージなどに、時代の空気をより感じることができる。「春の祭典」、壮大なスケールを持った作品で、地球の誕生から恐竜の滅亡までをナマの体験のように繰り広げてくれる。しかしここに哺乳類は現われない。恐竜が滅亡に向けて行進した後、不吉な日蝕が始まり、地震が襲い洪水が地を覆う。このイメージが浮かんできたとき、時代の影響はまったくなかっただろうか。肉食恐竜が暴力で支配したあと死に絶え、次の哺乳類の時代を暗示させることもなく幕が閉じられる。この暗さ。進化論の世界に天地創造神話が割り込んできたような大洪水は、過去のものとしてではなく、近未来のものとして切実に予感されていたのではないか(洪水はあと「魔法使いの弟子」があるし、「田園」でも葡萄酒が)。『ファンタジア』中の最高傑作「花のワルツ」、咲き乱れる花を描いた春ではなく、滅びへ向かう秋から冬が描かれる。落葉も、さやから出てくる種も、それを吹き飛ばす風も(映画館で観たときここで泣けた)、氷結する水面もどれもこれも実に美しいが、その美しさはどこか鋭角的な手ざわりのある美しさで、春に向かう気分はどこにもない(「春の祭典」に哺乳類が登場しないように)。すべてが厳しい冬へなだれ込んでいく。こんな美がほかのディズニー作品にあっただろうか。あるいは深読みに過ぎるかも知れないが、「魔法使いの弟子」で次第に増殖し、一つの命令だけを守って行動する顔のないほうきたちの群れに、ファシズム社会を見ることはできないか。この曲の映像化はディズニーの若い頃からの夢だったそうで、だからこの楽しい音楽物語を政治的な連想で汚してしまうのは不本意なのだが、あのほうきの切れ端が立ち上がってくるところの怖さは、当時の時代の雰囲気とまったく無縁に作られたとは思えないのだ。さいわい現在の私たちはこの傑作を純粋に音と映像のアニメーション作品として楽しむことができる。ささいな動きにまで気が配られている丁寧さに感嘆していればそれでいいので、野暮なことに頭を回す必要はないのだが、時代の記録としてもやはり傑作だということを言っておきたくて。
[映画館(字幕)] 9点(2009-07-13 12:31:38)
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