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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  待って居た男 《ネタバレ》 
山田五十鈴がはしゃいで探偵気取り、旦那の長谷川一夫がこっそり解決、って形。全然戦争中の気配がないシャレたタッチ。単純にまだノンキだったのか、意識的に娯楽に徹したのか(翌年の『ハナ子さん』となると、娯楽ではあるが戦時色濃厚)。なかなか主人公たちを登場させず、若奥さんの周囲に起こる不安な出来事で雰囲気を作っていく、材木が倒れたりとか。前作の犯人役の使い方もにくい。前作の駕篭かきにあたるお笑い担当は岡っ引二名、これが山田の手下となって走り回る。一方がもう一方をまね、犯人を捕まえたぞー、って一階と二階の廊下を走り回る場面はワクワクする。さらに金太のエノケンも登場、いろいろ教えてくれてありがとう、を繰り返すが、そう破天荒なトリックスターではなく、おとなしい役どころ。どちらも超主役級でありながらトーンのかなり違う長谷川一夫とエノケンが同一画面内にいると奇妙な感じである。あと言いたいことはいくつかあるが、犯人あてのものなので勘のいい人には分かっちゃうことを言っちゃいそうなので黙ってる。ちゃんと人妻役はお歯黒をつけていた。
[映画館(邦画)] 7点(2009-12-17 12:01:34)
22.  マッドマックス2
ちょっと『時計じかけのオレンジ』的な未来予想図で、暴力の方面により“進化”したらしいSF。昔の缶詰だけに食料を頼っているのかな。ガソリンを求めて暴れ回ってる、っていうのが面白い。でも主人公の心意気みたいのは股旅ものに通じていて、未来へ希望をかけるような連帯には目をつぶり、一人荒野を行くの。義理を重んじ、しかし復讐のためには命の危険もかえりみない。かつてのヒッピーコミューンのイメージも重なってるか。追っかけは迫力あり。ローアングルで、時々クレーンの上下も入れて、満足する長さで。
[映画館(字幕)] 7点(2009-11-01 11:53:22)
23.  また逢う日まで
主人公をナイーブな学生にしたのはきわどいところで、下手すると嫌なヤツになっちゃうのだが、学生仲間などを丁寧に描いていたから良かったんだろう。大事なことは何一つしゃべり合えない仲間たち。軍人になった次兄ともう一度昔のように語り合えたら、なんてのも、この主人公像のおかげで不自然でない。ナイーブな作品に登場人物を合わせてしまったわけだ。「弟的」なるものを見る目で主人公を眺めるわけ。しかし無邪気さがそのまま戦争の対極にあったかって言うとそうでもなく、無邪気さは戦争協力に使われていた部分もあったと思う。でも少なくとも軍隊的なものとは相容れなかったことは確かだ。この作品としてのナイーブさは現代では通用しないだろうなあ。こっちが照れてしまう。
[映画館(邦画)] 7点(2009-09-26 11:50:33)
24.  股旅 三人やくざ 《ネタバレ》 
どじょっこふなっこのコーラスで季節を分ける。「秋」が仲代達矢、股旅もののシルエットが土手を枯れ枝ごしに歩いていく典型的なカットから始まる、秋空から曇天へと。これだけで観客は股旅ものの世界に没入できる。桜町弘子の憎悪で噛んだ口が愛情を込め出す演出。ちょい役だが、人情家のまかない浪花千栄子がいい。「冬」は一転、志村喬・松方弘樹で室内劇のおもむき。一人もん同士、子を求めるものと父を求めるもの、が家庭を夢見かけ、松方の笑いが崩す。任侠道ってのは、己れの心のなかに幸せを求める気持ちを認めてはならないのだ。とストイックで渋い秋冬のあとで、明るく菜の花が咲く「春」、中村錦之助が自ら任侠もののパロディをやる。子どもの小便の下流で水を飲んだりして、錦ちゃんかっこいい役ではないと最初から分かる。腹すかせて農民に一宿一飯の恩義を受け、コロシを頼まれるの。「で、それどういう人?」なんてあたりの口調がうまい。相手のサッと蝶を斬る手腕に、錦ちゃんもカチャカチャッとまねるあたりも笑わせる。追いつめられれば意地を見せるってとこが、任侠ものの型で、いくじなしの主人公でも同じ、ワーワー刀を振り回し、奇跡の逆転に向かう。剣豪宮本武蔵演じた直後にこういう役をやらせる東映の洒落っ気も嬉しいじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2009-02-22 12:14:41)
25.  迷子の警察音楽隊 《ネタバレ》 
真正面からおさえるキッチリした構図、ときどき入る無人の街の光景も幾何学的、そうした中で描かれるのが“人と人との気まずさ”なので、その対照が生きてくる。気まずさ、ってのは否定的なものではないんだな、と思う。思いやり、の変形なんだ。気まずい食卓の場、みんなで陰気に歌うセントルイス・ブルース、あのあともっと暗くなったかもしれないけど、でもみんなで歌ったという記憶はけっして陰気には残らないだろう。それでいいんじゃないか。無理にはしゃいで作られるワキアイアイより。恋の伝授の長回しの場、あれだって“気まずさ”の克服のモチーフだ。エジプト側からすれば迷子だが、イスラエル側からすれば一種のマレビト、恋を成就してくれた神々。ムッツリとごろごろ楽器を引っぱっている神々。イスラエル側からエジプト側に与えたプレゼントは、クラリネット協奏曲のエンディングの示唆だ。赤ちゃんが眠る小さな部屋のような終わり方なんて、うまいことを言う。
[DVD(字幕)] 7点(2008-11-18 12:17:43)(良:1票)
26.  マイ・フェア・レディ
すごく大ざっぱだけど、ミュージカル映画はダンス中心から歌中心に移行してすたれた、って言えないか。この64年はもうダンスは付けたりで、踊ってても絶頂期のハレバレとした感じが出ない。「踊りあかそう」なんてどんどん狭い部屋へ入ってしまい欲求不満が残る。「時間どおりに教会へ」もいろいろやってるんだけど、コワザって感じ。競馬場での白黒の効果は見事だったが、『巴里のアメリカ人』ですでにやってるし、それにこれはミュージカルの味とは関係ない。いや、いい映画だとは思うんです、思うんですけど、峠を過ぎたジャンルの緩さも目立つ作品なんだな。かえって翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』は、もうミュージカルの形にこだわらないことで成功したと思うんだ、でもそれはまた別の話。あ、この2つの映画、手元の「ぴあシネマクラブ」によると、どちらも上映時間は172分だぞ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-10 09:17:02)(良:1票)
27.  まぶだち 《ネタバレ》 
特別不貞腐れてるわけではないけど、先生にはそう見えるって子、いる。万引きがばれて、ほかの子は親に叱責されるが、主人公の親子は廊下に出て気まずく見つめ合うだけ。じゃ、そろそろ戻ろうか、と仕切るのは子の方。でも家に帰ってきて、やっぱり殴ることにした、と言ってぶち、でもいまさら殴って良かったのか? とまだハッキリしないおとーさんがいい。反省文が先生に褒められてしまうことの居心地の悪さってよく分かる。反省文を川に流す段取り、「あ、あれ何だ、って言って」って言って、それに気を取られて落とすという、事故の原因をちゃんと捏造するのがおかしい。自分から飛び込んだのではないか、と聞く先生に、足を滑らせたんです、ときっぱり答える。そういう小さな名場面がいろいろありました。生き生きとした緑の中にある廃バスや廃機関車。
[映画館(邦画)] 7点(2008-07-12 11:15:03)
28.  街のあかり 《ネタバレ》 
コンスタントに新作出されるとあんまり有り難みが薄くなってしまうけど、でもやっぱいいなこの人。いつも“ちょっといい話”なんだよね。どん底できざす希望の光。ブアイソな壁に囲まれた場面の間に、夢のように美しいヘルシンキの夕景や夜景が入るその光のよう。もうスタイルについては言うことがない、完全にこなしきった一つの話芸になっている。今回ホントにうまいなと思ったとこは、男がずっと口を鎖ざして女を守りとおし有罪の判決が下った後、そのかばわれ続けた悪漢の情婦はどうしてるか、というと、悪漢どもがトランプに興じている後ろでつまらなそうに掃除機をかけてる、ってとこ。この苦いユーモアがカウリスマキの真骨頂。
[DVD(字幕)] 7点(2008-04-20 12:12:32)
29.  マッチポイント 《ネタバレ》 
アイルランド男は、最初のうちはおごられることに敏感に抵抗していたけど、しだいに裕福な生活に取り込まれてしまう。もひとつ踏ん張りがきかなくてテニスプレイヤーを諦めた経歴。いっぽうアメリカ娘は、とことん踏ん張ってしまう方。イギリス人になれなかった二人の異邦人の、英国の豪奢に対する二通りの反応が悲劇を呼ぶわけだ。いったいこいつ何を企んでるのか、と見てるほうがハテナのままで展開していく犯行シーンにワクワクした。人生は運に左右されているが、運がよかったからといって幸福になれるとは限らない、いう結末。
[DVD(字幕)] 7点(2007-08-21 11:22:05)(良:1票)
30.  マーニー 《ネタバレ》 
ヒッチコックが好んだ「心の闇」もののサスペンスはこれが最後となった。掉尾を飾るとはいかなかったが、味わいはある。いいとこが一つでもあれば可と思っており、これは三つはある。①無人となった会社で金を盗むとこ。画面を壁で分割し、左側に掃除婦が入ってくる緊張。ずっと無音のところ、ポケットに忍ばせた靴が落下。入れ替わりに入ってくる男とマーニーがぎりぎりですれ違う。彼の掃除婦への呼びかけの声の大きさで、掃除婦耳が遠かったと分かる。そんなシーン。②旦那の家のパーティに次々に客が訪れ、カメラがゆっくりゆっくりドアに近づくと、最初の事件の会社の経営者が立つ。これはもうヒッチお得意の段取りで、昔はチック症のドラマーに迫ったりしてた。いいんだ、この「じわじわ接近」。③終盤の怒鳴り声の応酬で盛り上げた頂点で、マーニーが突然子どもの声になるとこ。彼女のトラウマを一瞬のうちに提示し、女の子に母の愛を奪われたと嫉妬していたシーンなども思い出させ、ドキドキしつつ哀切。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-05-09 09:22:01)
31.  マイ・バック・ページ
たぶん本筋は、時代に参加できない傍観者の役割りを担ったジャーナリスト妻夫木君の苦衷と思うけど(安田砦の攻防を安全地帯から黙って見てただけだったのがトラウマになってる)、人物として興味湧くのは、変なヒロイズムに酔ってるケンイチ君の方だ。けっきょくこっちも時代に参加したくて、というかそれだけしかなくて、ただの犯罪者になってしまう。彼が「記事が出れば本物になれるんだ」と、それだけにすがるところがけっこう迫った。ジャーナリズム=世間に規定してもらって、やっと偽者でならなくなれる、と信じている。彼の愚かさは、この時代だけのものではないだろう。かえって今のほうが強くなっているかもしれない。引っかかったのは途中の粛清シーンで、あれが浮いてて、あとにフォローもない(なんか見落としてたのかなあ)。あれで自衛官殺しにつなげたかったのかとも思えたが、逆に全体のリズムを損なった。自衛官殺しは、まるでサークル活動だった組織が本物たらんと妄想を空回りさせた果ての「必然の事故」として起こったのでは。
[DVD(邦画)] 6点(2013-02-04 10:01:48)
32.  マイ・ガール
このちょっと前だったか、『カーリー・スー』ってホームコメディがあって「おちゃめでかわいいスーを天才子役アリサン・ポーターがユーモアたっぷりに好演」ってな宣伝文句に騙されて、歯ぎしりした記憶があり、ハリウッドの「かわいい」には疑心暗鬼になっていた。これもその伝ではないか、とさほど心躍らせずに淡々と見たのだが、ちょっと躍った。そりゃハリウッドの枠内だからアナ・トレントは無理だけど、アンナ・クラムスキー嬢、なんか少女の潔さみたいなものが出てて、いいの。ゴーカートで父の恋人にぶつかっていくときの昂然とした表情なんか、口をキッと結んでてときめいた。死体は単にコメディの要素だと思ってたら、後半になって重くなってくる。生き残ったものは生き残ったもの同士でやっていこう、ってな話になっていく。マコーレ・カルキン君の、『ホーム・アローン』の次のお仕事だったのかな。
[映画館(字幕)] 6点(2012-07-28 09:57:48)
33.  マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺
長い題名ということで、よく『博士の異常な愛情』とセットで思い出される映画。題名のインパクトのほうが記憶されてる作品とも言える。ピーター・ブルックは前作『蝿の王』では、いつも狭い舞台でやってた反動でか実景にこだわったそうだが(私は未見)、こっちは演劇的な舞台の興奮を煮詰めてみたよう。閉ざされた精神病院のさらに舞台(病棟)という狭いところへ押し込めた圧力に意味がある設定らしい。このややこしい設定によって、被圧迫者の革命と挫折(分断)を描いたらしいと見たが、フランス革命についての知識不足が災いしてしまった。マラーのほうが急進的で、暗殺者の女性のほうが穏健派なんだっけ。そのマラーとサドが対論を交わしたりするんだけど、私が理解できた範囲内で言うと、被管理者として甘えてしまう民衆に対する絶望みたいのが根底に感じられた。これ60年代ならではの熱さね。全体にリズムの良さが感じられるのは、もう舞台で手馴れていたからだろう。役者も長ゼリフに耐えていた。逆光が美しい。光=外界への希求を暗示してたんだろうな。精神病院の外への、革命の先への。
[映画館(字幕)] 6点(2012-05-30 10:35:49)
34.  MAD探偵 7人の容疑者 《ネタバレ》 
ちょっと盛り込みすぎ。事件と主人公の幻覚とがうまく噛みあってくれれば面白いものが出来たかもしれないが、それは難しく、理屈でいく事件解明と主体を信じられなくさせる幻覚とは互いを相殺し合ってしまう。幻覚のほうも妻やら少年やらも登場させて、ややこしくし過ぎてしまった。さらに対象に憑依する捜査手法ってことなのか、土に埋まってみたり、犯行を指ピストルで再現してみたり、このMAD探偵、見てるほうを混乱させ過ぎる。でもなんか新しいアイデアを試みようとしたその姿勢は認めます。ラストの鏡の迷宮は、新鮮味はあまりないけど、やっぱり楽しい。鏡の中に忍び足の七人が映ってくるあたり。一番買うのは、七人が初めて登場するシーン。町中で主人公が容疑者を追う。容疑者は小粋に口笛を吹いて歩いている(ラドレミドラミド…ってな感じのメロディ)。眼で追う主人公。と次のカットで女性を含む七人が同じメロディを口笛吹きながらさっそうと歩いていく。この段階ではまだ彼らが何者か分かってないが、なにかドラマとして重要なものが提示されているのは分かる粋なカットであった。そのあと料理店のシーンで、観客はさらになにが進行してるんだか途方に暮れることになる。観客を戸惑わせるギリギリのとこで(もう少し続いたら思考放棄してしまった可能性あり)、でも私は許せた。とは言えこの監督は、本筋は単純なほうがいいみたい。
[DVD(字幕)] 6点(2012-03-01 09:59:24)
35.  毎日が夏休み
お父さんのキャラクターがユニーク。会社へ行かなくなるのは、それ以後の時代の映画だったらリストラなんだけど、「出社拒否」であって、あくまでこっちがあっちを拒否したの。全然敗北感がなく、自信たっぷりで会社を蹴ってる。それが娘にも伝染し、イジメにあってる学校を完全にやめるときも、敗北感がなく、こっちが学校を蹴飛ばしてスキップしながら去っていく。この明朗さはとかく湿っぽさをよしとする邦画では貴重で、もうちょっと洗練されてほしい部分はたくさんあるが、ライトコメディという日本では苦手な分野に挑んだ姿勢をたたえたい。舞台となった新興住宅街のコギレイで厚みのない世界とうまくマッチした。原作が女性である本作で、ファザーコンプレックスってものが生理として感じられた。義父(いちいちギフと発語する)という他人のような父にしつらえて、娘にとって恋の対象にもなりうる理想の「お父さん」を造形している。なるほど、ファザコンとはこういう感じなのか、と実感として納得できた。『晩春』なんかファザコンの映画と言われても、やはりどこか男たちが頭で作った世界という感じだった。頼もしいだけでなく「かわいい」お父さんを、娘たちは期待しているんだ。お父さんの側にとっては、いつも驚いたように大人を観察している佐伯日菜子の一本調子がとてもかわいい。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2011-09-09 10:09:07)(良:1票)
36.  マルコムX
この監督は最初のころは、ホームドラマ的な部分に冴えを感じていたので、そちらを伸ばしてほしかったんだけど、ま、これはこれで熱気が感じられます。ただマルコムのカリスマ性みたいなものが、D・ワシントンだとあまり感じられないな。スパイク・リーが出ると画面がイキイキするんだけど、後半彼の出番がなくなったぶん生真面目になってしまった。対象化しづらくなったってことか。かえって面白いのは、彼がブラック・モスレムに入ったあたりのところ。現実なら一番人間味のないところがかえって面白く、悪友どもが笑ったり、狂ったかと言ったりする。師からの裏切り後こそ、一番マルコムいう人のポイントになるとこだと思うんだけど、そこがちと物足りない。まだ映画化するにはナマすぎる人物だったんだろうか。白人が『JFK』作ったんなら俺たちゃマルコムだ、って気合いが先行しちゃったって気もする。けっきょく穏当な人だったって結論ぽくなり、これじゃキング牧師と同じになっちゃうな。アメリカ映画の限界か。
[映画館(字幕)] 6点(2011-07-11 12:12:33)
37.  迷子の大人たち
葬式で始まり結婚式で終わる、ってことでコメディ。豪華キャスティングはどれも狂気を秘めてる役者で、S・マクレーンのヒステリー、M・マストロヤンニの夢遊、K・ベイツは『ミザリー』の記憶、J・タンディは『鳥』の記憶、まっとうそうなM・ゲイ・ハーデンが息子ともども半分狂った役で、いわゆる「ちょっと風変わりな人々」もの。それぞれに見せ場を与えてあるため、それぞれに少しずつ物足りなさを感じる。心の傷を乗り越える勇気、ってのはアメリカが繰り返し描くモチーフで、アメリカ文化を構成している底辺なんだろう、みんな立ち直って人生を生き始める。一人の男の登場が、ドローンと淀んでいた女子どもたちを生き返らせるの。それも強い男ではなく柔らかい男ってのが、この20世紀末の映画なんだな。時代設定は60年代末なんだけど。アポロ月着陸も歴史になったのか、と当時は思ったものでした。メッツ優勝なんてのも向こうではもっとピンと来るんだろう。時代を表すのに歌は使わなかった。「ミセス・ロビンソン」以外。
[映画館(字幕)] 6点(2011-07-08 10:06:24)
38.  マイ・ライフ(1993) 《ネタバレ》 
『ゴースト』や『ジェイコブス・ラダー』のシナリオの人だってんで期待したけど、それほど凝った話ではなかった。生まれてくる子に、末期ガンのパパが生前に作るビデオ、って趣向。ヒゲの剃りかたや、自動車の修理の仕方や、せがれにしたいことが、圧縮され、意識化される仕組み。「普段」の暮らし、というもののかけがえのなさが迫ってくる(なんか日本のほうがこういうの得意そうだけど、ソーントン・ワイルダーの芝居「わが町」ってのもそうで、アメリカにはけっこうこういうウェットな面がある)。超音波画像で子どもを出産前に見られるようになったし、こうして死後に向けた画像も残しておけるようになったし、「映像画面」というものを通して、今まで不可能だった出会いが可能になる拡がりが起こった。ある意味では人生の拡大。しかしその進歩を謳歌するだけにしないのが、あの一見合理万能の国の「気の弱さ」みたいなところで、そういう「人生を拡げる」科学に対する「人生を深める」もの、ってのを持ち出してこないと落ち着けない。それがあいかわらず東洋の神秘なんだなあ。それとホスピスの看護人が黒人と、アメリカ映画では精神面は有色人種が担うという絶対の定理がある。いつもそうやって釣り合いを取ってると、もうただの様式になっちゃって、そういう「気の弱さ」の本体を一度ちゃんと突き詰めてみたほうがいいんじゃないか、と老婆心ながら思ったりする。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-15 10:33:41)
39.  マダムと女房
本格的トーキーというものを、歌ではなく「騒音」で勝負したところが、ユニーク。ま「本格的でない」トーキーではすでに歌を聞かせていたが(たとえば溝口の『ふるさと』)、そうじゃなくて、あくまでドラマなんだ・我々が作っているのは歌の添え物じゃないんだ、という映画人の意地が感じられる。ネズミを追うために猫の鳴きまねをした後、本当の猫が鳴き出したときの渡辺篤の、俺じゃないんだよ、という田中絹代向けの表情などよかった。田中絹代と伊達里子が、対比されていたんだな、この時代。モダンまるだしの伊達マダムに対して、どこか古風で田舎っぽい田中女房。でも落ち着いた小市民の主婦、というところ。『伊豆の踊子』(同じく五所監督)より前だし、若いんだけどね。ラストはほのぼのと「マイブルーヘブン」、やっぱり音楽で締める。この時代の住宅地の風景は、なぜかとても懐かしい。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-11 09:59:39)
40.  マイ・ガール2
まあ「幻滅を越えて」というやつで、母に対する抽象的な神格化が、具体的な愛着に落ち着いていく経過。移民の街としてのロスが描かれる。日系人にブダペスト自動車修理所。このアンナ・クラムスキー嬢、前作でちょっと気になってたんだけど、少女から娘へと成長してましたが、なんか微妙に味わいは失われていた。ここらへん変わるお年頃なのね。少女のときに見せた味わいを持ったまま、娘に成長していくってのは難しいもんだ。あらためて少女スター出身のスターの偉さ、あるいは彼女らがそこを乗り越えるときにあっただろう葛藤を思った。相手のオースティン・オブライエン君てのには、もう少し見せ場を作ってやっても良かったんじゃないか。歴代大統領でニクソンぐらい安心してからかいの対象になるのはないな。
[映画館(字幕)] 6点(2010-10-22 10:06:25)
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