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ノマドさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  コール 《ネタバレ》 
後半はシナリオが破綻しているようにも思うが、ともあれ最後まで目が離せない展開。 コートニーの前半のイカれた感じからのあの変容っぷりが好きです。
[地上波(字幕)] 7点(2008-01-04 13:44:11)
22.  バイオハザードII アポカリプス
前作とはほとんど切り離された視点で書かれています アクションホラーはそれなりにそこそこ見れる。
[地上波(吹替)] 6点(2007-12-30 14:59:31)
23.  老人Z 《ネタバレ》 
世間では高齢化問題が深刻化するなか、あえてその現実的問題なんてシラね、そんなの全部度外視して笑い飛ばそうよ、なんていう(勝手な想像ですが)コミカルな演出が好き。現状に悩むだけじゃ何も始まらないし、それよりもおじいちゃんがホームレス用に開発された兵器みたいなマシンに乗って暴走したら、長続きする高齢化問題なんかより、今を生きる人達には危険で重い影を落としそうよね、なんちゃって。でも面白そうだからやっちゃおうよ。みたいな。意図はわかりませんが、節々にそういった確信犯的演出が込められていたりして実にブラックユーモアな映画です。
[ビデオ(邦画)] 7点(2007-12-29 16:59:55)
24.  AKIRA(1988)
話の構成というより 80年代に作られたものとは思えない その卓越した映像技術が評価されているのだと思います。 もちろん作品全体として、当時としては比類なきレベルにまで達していたことを前提とした上で
[ビデオ(邦画)] 7点(2007-12-28 19:11:14)
25.  ランボー
あの無表情な顔、全編を貫くあの顔。無表情だからといって決して迫力がないとか、大根だとか言いたい訳ではなく、かといって役作りに打ち込んだ結果と言いたい訳でもない。現にスタローンの顔はどの作品をみても大体あんなものだ。 仮面の下に素顔が用意されている訳でもない。大事な人が失われ、泣きじゃくる姿が描写されようとも、なぜか彼の無表情さは決して変わる訳でなく、それどころかより一層、その無表情さに拍車がかかったように、見るものの印象として何度も蘇る。これを見たのはもう何年も前のことだが、「ランボー」という言葉を聞くその度に、私の中の「ランボー」という、仮面の形をした人の顔は、強烈なインパクトで脳裏に蘇る。
[ビデオ(字幕)] 8点(2007-12-26 17:51:31)
26.  ナショナル・トレジャー
宝探し大冒険。敵と味方の対立的な二項関係が平行線をたどりながら、着実に、淡々と進行していくシナリオ展開。目新しいことではないが、予想を裏切らない展開に終始するのも、気分転換にはよろしいかと
[地上波(吹替)] 6点(2007-12-25 22:23:18)(良:1票)
27.  踊る大捜査線 THE MOVIE
会議室での内容が処理判断の全てを左右してしまうことは、警察に限らず、どこの組織にもあること。現場主義を掲げる青島を媒介に 現場主義と官僚主義、正と悪の構図を描いていく。 この対立構図を途中静と動のメリハリ、多少のデフォルメを利かせながら 最後の山場にどばっと一気に持っていく(事件は会議室で~以下省略) シナリオ構成はお見事。 完全に両者の立場を寸断するあの決定的な名台詞はいつしか作品の手を離れ 日常でしばらく流行したが、それはやっぱりそれだけの衝撃力があったことを裏付けていると思う。 作品全体としてもそれなりのテーマ性を含意した内容に仕上がっており、単純にエンタテイメントとしても楽しめる。
[映画館(邦画)] 7点(2007-11-10 22:22:06)
28.  ボーン・スプレマシー
 本作ならではの持ち味といえば、 往年のハリウッドアクションを踏襲したお利口さが売りか。 素早いシナリオ進行、カット割りが テンポの良さを獲得し、なんだかんだいいつつ、最後のカーチェイスまで見てしまうレベルには仕上がっている。でも、マットデイモンの役作りが、殺し屋としての面持ちを意識してのものか、単純に人間的な側面をないがしろにしているだけかはさておき、その一徹した仏頂面には個人的にやっぱり辟易してしまう。
[ビデオ(吹替)] 6点(2007-11-10 21:56:43)
29.  ボーン・アイデンティティー
マットデイモン扮するボーンの消えた記憶の糸を 紡ぎながら、迫りくる追っ手の目をかいくぐる・・・ あらすじのあらすじとしてはこんなところ。 息のつまるアクションシーンもほどほどに、 淡々とシナリオが進行していく感じ。 主人公の重たい内面にずっぽりはまるようなものでもないので、 ま、彼女とのデートにでも、と適度な気持ちで見るものかと。 
[地上波(吹替)] 6点(2007-11-09 21:27:25)
30.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
映画にタブーが存在するならば、それはおそらく性か死の問題であろう。イーストウッドはまさに死の問題を扱い、それをシリアスに、しかしながら至極現実的に描いた。ただそれだけである。どうやら人はホラーなどより、現実の負の一面を見せ付けられたほうが遥かに衝撃で、暗いと重いと嫌悪をあらわにするようである。しかしこの映画は暗いのではなく現実の一部を切り取った映画にすぎない。  重要なのは、イーストウッドが感動的なハッピーエンドよりも、目の前の現実に向き合うほうに自らの映画的価値を置いているということ。死んでも蘇生するような非現実的世界を描くことよりも、終末期医療に一つの現実的な答えを(映画的特権を用いて)出す方がよっぽど難しいということである。以上のことを把握しなければ、本作は前半の成功劇に目を奪われ、後半部をただ暗いと斬って捨てるだけだろう。 個人的には、映画が娯楽性だけで秤量されるべきものならば、映画はなんとつまらないものだろうと思う。イーストウッドの、娯楽性を抑えてでも表現したかったもの、そこにこそ映画的価値が置かれてもいいのではないだろうかと思う次第である。   
[DVD(字幕)] 9点(2006-12-14 18:14:09)(良:1票)
31.  裏窓(1954) 《ネタバレ》 
場面の(ほぼ)全てをジェフが掌握する映画と言えばよいのか。そう、物語はジェフの視線の先で行われる。つまり、そこには常にジェフという第三項が介入しているということになるのである。バレリーナの卵が踊り、未婚女性が幻の彼と杯を交わし、演奏家がピアノを弾き鳴らすその先には常にジェフがいる。このようにして、ヒッチコックは「私とあなた」、「敵と味方」、「善と悪」といった、二項関係で終始する対決の図式(西部劇、アクション・・・etc)を抜け出して、第三者、第三項的な映画を創出した。興味深いのは、主人公であるジェフが物語を動かす重大な役目を担っていると思いきや、結局のところアパートの住人が織り成す物語を覗き見る「観客」でしかない、とるにたらぬ存在だということである。つまり私達が「映画をみてかれこれ思惟する」ようにジェフは「窓辺の向こうの出来事を覗き、事件の真相を巡って相談している」のである。いやむしろこういった方がよい。ジェフは、私達見る側と完全に同化している、ジェフは私であり、私は窓の向こうで起こることをこそこそ見ている、と。だからこそ、クライマックスのシーン、犯罪者と思しき大男がジェフの部屋を突然入ってきたとき、観客は自分の部屋に入られたかのような新鮮な驚きを覚えるのだ。
[DVD(字幕)] 10点(2006-07-20 19:26:15)
32.  イノセンス
前作と同様、ここにおいても主題となるのは主体性の問題である。しかしこちらの場合、主体性の問題を紡ぐツールとして「人形」が登場している。これにより主体性の問題を、異なるアプローチにより問いなおしている。つまり、身体のほぼ全てを義体化してしまったバトーと、「人形」を差異化するものはなにか? なによりも、集団の海(ネット)と同化させた素子(人形)と、バトー(主体的なもの)のコントラスト、そしてバトーに対し「今の私には葛藤はないわ」と言う素子の姿が非常に印象的である。 そこには自己の存在の希薄に対する憂いは微塵も存在せず、主体なき自分を楽しんでいるようである。それは「自分をしっかり持つことが大事」「私は何のために生まれてきたの?」と自らの主体性を問い続ける人々に対してのアンチテーゼに聞こえてくるのである。  
[DVD(邦画)] 9点(2006-07-20 18:35:31)
33.  人狼 JIN-ROH
安易にハッピーエンドにしてない所がいい。余韻が残る
[映画館(字幕)] 5点(2006-07-20 18:09:21)
34.  SHOAH/ショア
・・・しかしながら、SHOAHは、残された被害者の再度の苦痛の上に成り立っていることを認識せねばなりません。アウシュビッツ後も、「自分だけ生き残った」という罪悪感に苛まれた生存者は遺恨を残し、自殺が横行したそうです。この事実を重く受け止めているならば、このような映画を作ろうなどという愚考には至らないはずなのですが、インタビュアーは何をもってかあの惨劇を克明に想起させるよう生存者に暗に催促するのです。「あの大虐殺を再度繰り返さないために」生存者はあの惨劇を語りたくもないのに語らなければならないのですから、お互いの同意の上で成り立っていてもいたたまれません。確かに私達見る側が戦争の悲劇を知るにはこれほどうってつけなものはないでしょう。その点では見る価値は十分にあります。 しかし見失ってはならないのは、繰り返しですがインタビューすることそれ自体が、生存者の苦痛の再生産であったと把握すること。私達はあの惨劇が苦痛に満ちていたということを知るだけでなく、同時に映画そのもの、つまり作中でインタビューに答えている生存者までもが苦痛に満ち満ちていたことを知らねばなりません。SHOAHは生存者を二度苦しめた、断罪されて然るべきものなのです。
[DVD(字幕)] 0点(2006-07-17 14:29:09)
35.  ドーベルマン(1997)
話の展開があったものではありません。映像も凝らしているようですが、 半壊しているといったほうが適切です。 辛うじて映画の枠に収まるキワモノ。
[ビデオ(字幕)] 1点(2006-07-17 11:02:18)
36.  ディア・ハンター
ベトナム戦争においてのアメリカの所業は罪深いと言わなければならない。 本来であれば再度戦争を試みるなど到底ありえない、と思うほどに 我々はアメリカを断罪する必要があった。 しかしその後もアメリカの戦争行為は留まることはなかった・・・。 そのアメリカ自らが忌わしいあの戦争を映像化するということに関しては、 内容はどうあれ、どうも腑に落ちないものがあるのである。 それゆえであろうか? ベトナム戦争ものは、大概、全編乾いた空気が漂う。 本作も例に漏れず無産的であり、淡々とした印象だけが残るのである。 肯定も否定も、能動も反動も存在しない、極めて無機質な空気、 戦争真っ只中の状況とはこのようなものなのだろうか? だとしたら恐ろしい。 本作は、そのような戦争の雰囲気を体現した(しようとした)という点で価値がある。 アメリカ自身が創出したというのは皮肉な話だが・・・。 
[ビデオ(字幕)] 6点(2006-07-15 19:38:11)
37.  告発
恐怖、怨恨、絶望・・・。映画全体は負の感情に満ち満ち、反動的な力によって支配されている。対抗するは、そのような絶望の最中においてもあきらめずに、最後まで抵抗する主人公のひたむきな姿である。絶対的支配に抵抗するアウトローと呼ばれる者に、ある種の理想像を見出すことが多々あるように、私達視聴者は主人公に対し、絶対的な者からの離脱を要請し、それを成し遂げる主人公から感動を享受し、賛美を贈るのである。この映画をみて、感動したり、面白いと思ったりするのはこうした処に拠っているのではないだろうか。  
[DVD(字幕)] 9点(2006-07-13 23:01:47)(良:1票)
38.  ジョニーは戦場へ行った
戦争の悲劇というものは、作家の手にかかればいくらでも誇張しえるものだが、 ヴィジュアルといい脚本といい、常軌を逸しているといえばよいのか、とにかく他の戦争映画とはまるで違うのである。悲劇が全編を貫徹している映画だけに、その重さ、苦痛、衝撃といったら半端なものではない。戦争に関するプロパガンダとしてはなるほど一見の価値はありそうだ。しかし、残念な点も同時にそこにある。戦争の悲劇という一元的な世界で徹底された映画など、どこに映画的な価値があろう。よって10点を付けることが相応であるはずがない。
[映画館(字幕)] 8点(2006-07-13 22:26:09)
39.  情婦
オチに全てが凝縮されており、なかなか見ごたえがある。今でこそ平坦なものだが、この時代でこれだけのシナリオを考えつく制作者は評価に値するものだし、おそらく、当時としてはかなりセンセーショナルだっただろう。
[映画館(字幕)] 8点(2006-07-13 22:14:46)
40.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
ゴースト、義体化・・・・・。我々の主体性はどうあるべきなのか? この問題は本作の一貫した主題である。 主体性を危うくするテクノロジーに警鐘を鳴らすのが良いのか、 それともテクノロジーそれ自体を肯定しようとする能動性が必要なのか? つまり草薙素子のように自らの主体性を問い続けることが重要なのか、 はたまたその後の展開においてなされるように、 自らの主体性を集団性(ネット)の海に同化させることが重要なのか? 構想可能な近未来、現在の延長線上にあるそう遠くない将来で巻き起こる主体性の問題は すでに現在において問題となっており、相通ずるものである。 時代を経るごとに希薄となっている私達の主体性への新たな問題提起。 映画の核はまさにそこにあり、主体性の問題と切り離して、 つまり単なるSFとして、全くの別世界の次元として鑑賞することや 安易なエンタテイメント性を追求することはナンセンスである。  
[DVD(字幕)] 8点(2006-07-13 22:08:59)
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