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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  エッセンシャル・キリング 《ネタバレ》 
映画は映画であれば良い。読書ではないのだから。メッセージ(「いいたいこと」)やテーマを伝えたければ論文を書けば良いだけのこと。  文科省の読書感想文による主題論教育に従順に馴らされてきた者は一般的に映画においても画面を味わうことを知らず、まずテーマを読みたがり、そしてそれが自分の理解の範囲を超えたとたん、「芸術」を逃げ口上に使う。よって純粋な活劇はなかなか理解されることがない。   雪の白に擬態し、罠に嵌った犬を囮に使い、木の枝や蟻を齧り、崖から滑落する。 『ランボー』のサバイバルアクションを髣髴させつつ、その『ランボー』がラストにおいて嵌った饒舌な内面心理や社会性といったものも見事に削ぎ落としている。  言語も記憶も時制もことごとく排除され、生物の一次欲求だけが活劇を駆動していく。  代わりにその静寂のラストに訪れるのは『バルタザールどこへ行く』を連想させるような冷厳さだ。 右肩部分に血痕の付いた寡黙な白馬は、主人公(ヴィンセント・ギャロ)が野生へと転生した姿か。  回想シーンの幻聴や様々な状況音(ヘリの爆音、チェーンソー、犬の咆哮など)そして台詞の代わりに主人公の口から漏れる呻き、吐息、咀嚼音といった要素に意識を向けさせられるのもブレッソン的だ。  馬・鹿・犬たちの佇まいと躍動が素晴らしい。特に、ギャロの周囲に群がる犬の集団アクションは圧倒的なスペクタクルである。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-09-19 18:14:36)
22.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 
非映画的な「説明のための説明」など無い方が良いのは、言うまでもない。 主流シネコン映画の「全面介護式」に慣らされ、1から10まで手取り足取り映画に説明してもらわねば何も「ワカラナイ」観客、あるいは「見ていても気づけない」観客、(ついでに言うと「メッセージ依存者」)には不向きな映画であることは間違いない。  エスケープから戻った路面電車乗り場の告白シーン。カメラ正面に向いた少女の後景に次第にヘッドライトが入射し、今度は切り返された少年の正面へ順光が入射する。続いて横からのショットとなり、少女のいる画面右手から少年の立つ左手へと光は伝わり、彼らの後方でドアが開く。 古典的で寓意性豊かなシーン作りが絶品だ。 あるいは、『天空の城ラピュタ』的な垂直線上の出会いの鮮やかさ。 マッチを摺る、キャベツを千切りする、あじフライをフライ鍋の中で箸で裏返すという細やかな調理動作の見事さ。 そして金槌打ち、ハタキ掛け、壁塗り、箒掛け、雑巾掛け、荷物運びといった清掃の動作のアニメーションも過去作の群を抜いて多彩だ。  何故、宮崎駿は「労働」のシーンを重視するか。それは、アニメーター自らが徹底した観察と実演を通さねば描き得ないアニメーションの基本だからだろう。 だから彼は何よりもまず労働の場としてカルチェラタンを設定・脚本化し、スタッフに作画を課す。 彼は、人間の細部の動作を写実する地味で困難な作画を通してアニメーション文化の継承と若い人材育成に専心しているように見える。そしてスタッフはそれに見事に応えている。  宮崎駿を不遇時代から理解し、支え続けた故・徳間康快氏もあからさまに登場するが、それはこの作品が、宮崎から亡き恩人への直截な返礼と手向けであることを示す。  助力してくれる旧世代への信頼と肯定。そこから新世代の進歩が生まれるというメッセージ。それは討論会のシーンでも少年の演説の形を借りて直裁なまでに謳われている。子供達の未熟を映画は否定しない。 宮崎吾朗組は、先達の信念を肯定し尊重しつつ、それを継承することから、新しきを模索してゆこうとする。  少年と少女は、オート三輪やタグボートを駆る大人達の助けを素直に借りて協働しながら坂道を下り、海を渡る。 前半の「上を向いて歩こう」に呼応する武部聡志のサントラナンバー「明日に向かって走れ」に乗って二人が坂道を並び駆け下りて行く横移動シーンの高揚感、ロマンティシズムが素晴しい。 
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-19 23:41:36)
23.  東京公園 《ネタバレ》 
奇しくも、ゾンビの劇中映画で同時期公開の『SUPER 8』と微かに繋がりあうところが面白い。  『リップスティック』、『ゾンビ』、『瞼の母』といった直接的な映画ネタが飛び交う脚本は好みではないが、榮倉奈々のリズミカルな台詞廻しは小気味よくて大変よろしい。  大福をほおばりながら、あるいはおでん、さらにはケーキや肉まんや赤ワインを美味しそうに飲み食いしながら話す姿も愛らしい。  順撮りか、中抜きか、炬燵を挟んで向かい合う彼女と三浦春馬の対話シーンで、正面からの切り返しごとに二人の多彩な表情を見せていく編集が新鮮な感覚だ。 (後半さらに反復されると共に、木登りで笑わせてくれる高橋洋と、神秘的な井川遥の「正対」切り返しショットの幸福感もいい。)  それに対して、彼との正面からの相対を避ける小西真奈美。彼女は表情を隠そうとするがゆえに、三浦との抱擁シーンで見せる手のアクションは感動的だ。  今回のキャメラマンは月永雄太氏。屋内・屋外シーン共に、揺れる木漏れ日を繊細に捉えていて素晴らしい。 潮風公園、筆島のショットにおける波音、風音も聞き逃せない。 
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-03 20:29:56)
24.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-10 22:21:43)
25.  ゲゲゲの女房
導入部の一本道の情景は、前作『私は猫ストーカー』のファーストショットの「風景から人物へ」と吸引していく感覚にも似て印象深い。 「自転車」、「アクセントとなる魅力的なアニメーション」、「生き物同士の、主従でも共生でも無い不思議な関係性」といったモチーフも共通項だ。  まず目に沁みるのが、前作に続いてたむらまさきによる滋味に富んだレトロタッチの原風景的素晴らしさ。 日本家屋の豊かな空間性・自然光の美しさを活かしつつ、人物の背後や天井から慎ましく見守るような穏やかな風情は、風間詩織作品や小川ドキュメンタリーを初めとする「黙って見つめる事に徹するキャメラ」あっての味わい深さだ。 夜の勝手口の、吸い込まれるような暗い闇。裸電球や蝋燭の炎の温かみ。玄関先の白い暖簾の揺らめき。生命の気配の濃密な空間性は絶品である。 あるいは鉄塔の垂直性と、石橋や農道の水平性、そして四つ辻を活かしたロングショットの映画的豊かさ。 茶の間でバナナを頬張る吹石一恵と宮藤官九郎の夫婦、宮藤が踊りだすと、庭先でも踊りだす妖怪たち。その共生の画面の至福感。 税務署員を追い返した後に二人が歌うデュエットに、自転車に二人乗りする夫婦の笑顔にと、一見非アクション的なアクションのうちに、心打つ幸福感が充溢している。  時間・空間・照明のトリッキーな解体操作といった、柔軟な発想も前作からさらに発展している。  さらには、音響の豊かさ。 祠に被さる水音の神秘性。風雨。壁時計のリズム。紙を走るGペンの筆音。(移ろわぬ音) 一方で時代の移ろいを仄めかす、開発の槌音。自動車の走行音。  書き出せばきりが無いが、まだまだ見逃した細部は多い。 見返せば、さらに豊かさを増すだろう傑作である。
[映画館(邦画)] 9点(2011-01-23 15:48:34)
26.  女神の見えざる手 《ネタバレ》 
ヒロインを取り巻くガラスや鏡は、彼女の読唇術を披露する機能にとどまらず、その姿を雨に滲ませたり、 フレームで画面を割ったりという効果も担う。 銃撃事件後の空港ロビーで大写しになるガラス窓は虚空を強調するし、オフィスの仕切りは時に硬質の質感で彼女を映し出し、 時に脆さとして象徴しもする。  ラストシーンで彼女を後ろ向きで去らせるか、前向きに歩ませるか。 映画はその期待以上のハードボイルドな表情と佇まいで締めくくってくれる。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2018-01-19 23:09:35)
27.  ドリーム 《ネタバレ》 
ケヴィン・コスナーからタラジ・P・ヘンソンへと手渡される白いチョークが二人を繋ぐ。その慎ましいクロースアップが 不思議と心を揺さぶってくる。 これは冒頭の少女時代の教師から手渡されるチョークのアップショットとも呼応するのだが、 こうした様々なモチーフのさりげない反復や変奏が非常に豊かな映画である。 閉じられるドアと開かれるドア。コーヒー。ネックレス。見上げる行為。歩く行為。走る行為。 ガラス張りの本部長室とトイレの鏡。  オクタヴィア・スペンサーとキルスティン・ダンストとの対話もトイレの鏡像(虚像)として交わされるシーンを 一旦挟むからこそ、ラストの二人が活きてくる。  クライマックスである打ち上げ直前の再計算のシーンは実際なら内線電話一本で済む話だが、 そこをあえてドアからドアへとヒロインを走らせ、ドアを開けて迎え入れさせるというのが映画の演出である。  ケヴィン・コスナーに怒りをぶつけるヘンソンの叫びは、言葉の意味以上に声音そのもの響きと震えで心を打たずにおかない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-10-06 23:04:44)
28.  散歩する侵略者 《ネタバレ》 
如何にも胡散臭そうな東出昌大の牧師や、得体の知れない笹野高史が現れたりしただけで笑いがこみあげてくる、絶妙なキャスティングが多数。 恒松祐里のアクションが素晴らしく、登場人物の歪な歩行は不謹慎な笑いを誘い、終盤の海辺と空の独特な終末感が心をゾクゾクさせる。 ちょっとしたジャンプカットの数々も何となくSF的なアクセントに感じられて心地いい。 これらの見どころだけで映画として十分と思う。  などと言いつつ、やはり何よりも長澤まさみが絶品。あの駐車場での感動的な一言こそ映画の最高潮である。
[映画館(邦画)] 8点(2017-09-15 00:04:30)
29.  昼顔(2017) 《ネタバレ》 
ヒロインにとって暮らし場所は「どこでも良かった」訳だが、映画の作り手にとっては海辺の街でなければならないのである。 花火の類との対比において、斎藤工と密会する小川に対する平山浩行の領域として、あるいはサーフボードから突き落とされ(落下)、 髪を濡らし、水圧にもがき喘ぐように歩むため、という運動的論拠もあるだろう。  躓き、よろめく上戸彩。普通の歩行のショットは稀だ。自転車を息せき切って漕ぐか、ふらつくか、足を取られてつんのめるか。 見よう見真似のぎこちない盆踊りも然り。 手で云えば、ハンバーグを捏ねる、藪蚊を払うなどのちょっとした生活動作から、マンション七階の呼び出しボタンを順に押していくなどの 心理表現まで、非意思的で不器用気味の身体性を強調することで、キャラクターの生の感触を伝えている。  上戸と伊藤歩の、視線交錯のサスペンス。クライマックスとなる踏切での光のドラマもいい。  クラクションや調理音などSEの演出も充実しているのだが、BGMが無駄に被る箇所があるのが残念。
[映画館(邦画)] 8点(2017-06-16 21:52:01)
30.  パーソナル・ショッパー 《ネタバレ》 
古屋敷で夜を迎えるヒロインが歩を進めると床が静かに軋み、窓を開けると様々な夜の音が飛び込んでくる。 序盤から音に関するデリケートな演出が為されており、それは終盤に向けて静かなサスペンスが最高潮となるよう、仕組まれている。 携帯に文字を打ち込んでいく、忙しない打音。グラスの破砕音。壁を打つ、くぐもった音。  携帯電話の映画だが、クリステン・スチュワートが神経症的にキーを打つ指先のアクションとして、リズミカルな効果音として 対話を画面に表象させていくという映画的な用法が為されているのが見事だ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-20 16:00:38)
31.  ノー・エスケープ 自由への国境 《ネタバレ》 
夜明けの地平線のショットに始まり、地平線のショットに終わる。 荒野と奇岩のランドスケープが主役であり、人物を小さく配置した望遠ショットの適切な挿入によって 傾斜と高度、遠近がよく描写され、サスペンスが終始維持されている。 ラストの岩場でのアクションをはじめ、その特殊な地形に基づく形で俳優の動きがつけられているという現場主義の感覚が特徴だ。 撮影現場で  キャラクターの背景描写も最小限にとどめ、 追う・追われるのシンプルな状況を設定し、そこからロケーションの特性を活かしたアクションを構築しているのが強みだ。  簡潔明瞭なプロットこそ面白い、その好例である。
[映画館(字幕)] 8点(2017-05-12 15:26:15)
32.  ラ・ラ・ランド 《ネタバレ》 
クラクションから始まる二人の出会い。バーでの再会は街路に流れてくる音楽に引き寄せられてのものだし、店に入ったエマ・ストーンへのトラックアップに重なるのはあのクラクションの響きだ。三度目の再会もパーティ会場に流れる音楽が二人を引き合わせ、ボーイフレンドと会食中のエマ・ストーンが意を決して映画館へ向かうきっかけとなるのはレストランのスピーカーから流れてくるあのピアノソロである。 車のクラクションはさらに変奏されていき、最後のそれは夢をあきらめた彼女の決定的な転機となる感動的な呼びかけの響きとなるだろう。 音色とその記憶が一貫して二人を引き合わせていく演出は周到である。  エマ・ストーンが化粧室で独唱するとき、独り舞台に立つとき、最後のオーディションを受けるとき、照明が落とされ単一に近い光源が彼女を照らし出す。 プラネタリウムを舞い、スターとなるべき彼女はスポットライトを正面にみる。リアルト劇場の映写ライトの光を正面から受けるのも彼女の特権であり必然である。 序盤のバーのシーンでは赤のライティングが彼女のブルーのドレスを引き立て、中盤の仲違いのシーンでは緑のライト、終盤のバーではブルーのネオンが 彼女を印象的に縁取るが、たそがれ時の淡い光の中、『A LOVELY NIGHT』のタップを踏む彼女の黄色いドレスは可憐さを一層引き立てている。  そしてラスト、万感の表情で視線を交わす二人の切り返しショットが素晴らしい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-03-13 23:20:17)
33.  マリアンヌ 《ネタバレ》 
古典的ドラマの味わいと共に、それを語る古典的な映画表現の技が楽しめる。  二重スパイものと来れば、虚像と実像を仄めかす鏡の道具立ては外せない。 疑心暗鬼となる二人それぞれのスペースを縦に分断する後景の窓枠やドアの仕切りも必須だろう。 車の窓も、透過しているように見えながら外界と内側を遮断する壁である。 そして記念写真。  それらを幾度となく変奏させつつドラマを語る空間演出は、さすがゼメキスである。 居住空間内の構造を活かして様々な死角を造り、人物をフレーム内外で出入りさせる手捌きも見事なら、 カードを鮮やかに切る手からカメラを上げてブラッド・ピット本人の顔に繋げる、戦闘機の着陸からコクピットの彼へとワンカットで繋ぐ など、如何にも本人の実演である風にさりげなくアピールするカメラワークも巧みだ。  落ち着いたサスペンスとロマンスが主調かと思いきや、 監獄から車で逃走するB・ピットが、カーヴの遠心力を利用してで飛びのきつつ、手榴弾で装甲車を撃破するショットなどの しなやかなアクション感覚なども軽やかに織り交ぜて唸らせる。  映画ラストの回想シーン、B・ピットとマリオン・コティヤール二人の「最後の日曜日」のシーンだが、垂直のラインで分断されていた二人は、歩く愛娘を間に介して水平のラインによってしっかり繋ぎ合わされる。感動的だ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-02-12 20:29:35)
34.  ザ・コンサルタント 《ネタバレ》 
ガレージのシャッターが上がるタイミングに合わせて、芸術的な呼吸で車を入庫させるベン・アフレック。 二度目のショットでは、シャッターに接触させてしまうことで、業務が不完全なまま解雇された動揺を仄めかす。 これがシャッターを利用したキャラクター描写の例。  デスクに伏して眠っているアナ・ケンドリックをわざと起こすためにガラスドアを少し乱暴に開ける、二人の初対面のシーン。 対するはソファに眠る彼女を起こさないように気遣いながら、彼女を見納めながらやさしく静かにホテルのドアを閉じる、情感豊かな二人の別れのシーン。 こちらはドアを反復活用した感情変化の描写の例だ。  冒頭の逆光のドアをはじめとして、車のドアやエレベータの扉や抽斗など、サスペンスにロマンスに、とにかくドアを駆使した映画ともいえる。  謎解きパートは少々長いし、ジョン・リスゴーも少々小者ではあるが、各キャラクターの設定を巧みに活かしたドラマはなかなか面白い。 会計監査業務をガラス壁やボードを使ったアクションとしてみせる、童謡などの伏線のあれこれも漏れなく活用するなど、巧妙だ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-01-25 14:26:29)
35.  ぼくは明日、昨日のきみとデートする 《ネタバレ》 
流れていくレールと、光に満ちた車窓の風景。オープニングから照明に対する意識が非常に高い。  陽の当たる窓際に立つ小松菜奈。さらにホームでは自然の順光が、デートの際にはアンティークのランプやイルミネーションの光が、 映画スクリーンや水面の反射の照り返しが、多種多様な光でもってひたすら彼女を賛美するように輝かせる。 あるいはホームに入ってくる電車のライトが彼女を徐々に照らし出していく。美術教室の外光が彼女をまるで異世界のように包む。 それら映画の要でもある光の操りは、ドラマの主題にもかなったものだ。  時間を視覚化する針時計、砂時計、メリーゴーラウンド、交差する複線のレールや月光と、モチーフの映画的活用も巧い。 理屈は荒唐無稽だが、黒板に描かれた円環の図一発で納得させる強引さを買う。  後半の劇伴の過剰さ、エピローグの蛇足感が少々玉に瑕だが、主演二人の清潔感と彼らを魅力的に撮りあげたスタッフの技が 伝わるのがなによりだ。
[映画館(邦画)] 8点(2016-12-18 19:50:55)
36.  手紙は憶えている 《ネタバレ》 
老いと、いわゆる認知症の設定がサスペンスを一貫して持続させる。そこに銃社会という現在的テーマも巧みに絡ませながら戦後70年の時間を 浮かび上がらせる。ウェルズの『ストレンジャー』を思わせるこの題材、語り口を変えつつ引き継がれている。 大戦を生きた世代と戦後世代の対比を強く印象づけながら。 静かに、穏やかにピアノを奏でるクリストファー・プラマーのショット。そのイメージは、ラストの痛切なサプライズと共に 趣を反転させるだろう。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2016-11-08 23:26:13)
37.  光にふれる 《ネタバレ》 
背景をぼかし気味にした深度浅めのカメラは、主人公ホアン・ユィシアンの不自由な視力と同調させたのだと考えよう。 感知できるものと出来ないものが、カメラのフォーカスで仕分けされているように見える。 列車がトンネルを抜けていホウ・シャオシェン的ショットも光の主題を担いながら台湾映画の薫りを濃厚に伝えてくる。  耳を澄まし、事物に触れて大学の新生活になれていく彼の姿が丹念に追われるが、とりわけダンスと音楽を通して 外界と触れ合っていく描写が映画と相性よく馴染んでいる。  そして、激情を秘めつつ穏やかな表情を絶やさないホアン・ユィシアンの佇まいが素晴らしい。 ダンサーを志すサンドリーナ・ピンナが仏頂面と泣き顔から次第に笑顔の似合うヒロインへと変わっていくのも、彼の言葉と表情を通じてだ。 彼女が月光の差し込む夜の教室内でユィシアンの弾くピアノに合わせて踊るシーン、 彼の故郷の海辺で楽しげに戯れるシーンが美しい。  クライマックスは、それぞれが挑むコンクールとオーディションのクロスカッティングであり演奏とダンスが劇的にシンクロして盛り上げる。 寮の悪友たちもここでいいところを見せて、青春ものとしても爽やかに決めている。 映画のサントラが未だに絶版で手に入らないのが残念だ。
[DVD(字幕)] 8点(2016-10-24 23:29:39)
38.  祝(ほうり)の島 《ネタバレ》 
毎週月曜日の上関原発反対デモや埋め立てに対する海上抗議行動、4年に一度の神舞と呼ばれるイベントなど、 鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリーとかぶる部分も多いが、こちらも現地に密着して島の人々の生活を丹念に記録している。  一本釣りの漁師の船に同乗しての取材。漁獲されたタコを浜で開いて天日干しの作業をする女性達の和気藹々とした姿。 時折インサートされる、高台から見下ろす島と「宝の島」と太陽の景観。それらのショットの寡黙さこそ、作り手のスタンスの明示である。  島の小学校の入学式が行われている。在校生二人と新入生一人の計三人は、どうやら長女・長男・次男だ。 来賓はご近所さん達なのだろう。校長先生、父親の挨拶が和やかな雰囲気の中で行われている。 新入生となる次男がお父さんそっくりなのも微笑ましい。 入学式が終わって下校する笑顔の三人を、子供たちの視線の高さに合わせてカメラが追う。  その3人兄弟である生徒たちが教室で仲良く合唱するシーンがとりわけ感動的である。 彼らの元気な歌声が、島の情景へと被さっっていく。  抗議行動の切実な叫びをラストに持ってくるかと思いきや、年越しの静かなシーンから続けて、生活音の流れる静謐なエンディングが慎ましい。 纐纈あや監督の美徳である。
[DVD(邦画)] 8点(2016-10-19 22:10:59)
39.  永い言い訳 《ネタバレ》 
本木雅弘の髪型の変化、季節の移り変わりのショットや子供たちの成長が画面を通して提示され、映画の中での時の流れや人の変化というものを実感させる。 その中で、夏の夕暮れに幼い妹が団地の庭でしゃがみ込み、力尽きていく蝉を見つめているシーンなどがさりげなく不意を衝く。  是枝的?子供たちの素晴らしい表情の捉え方、大人と共演する際のフレーミング・アングル・高さなど、子供の視点に対する配慮の細やかさも伝わる。 冒頭の散髪シーンの鏡、シャボン玉、坂道と自転車など、それぞれドラマに意味を為しつつ、なにより映画の見せ場として落とし込まれているのがいい。 16mmフィルム独特の粒子感覚は夏の海などで特に見事な効果を出している。  宵の列車のシーンにかかる『オンブラ・マイ・フ』も技あり、である。
[映画館(邦画)] 8点(2016-10-18 23:59:35)
40.  レッドタートル ある島の物語 《ネタバレ》 
傾斜のある砂浜と空のラインの間に人物が全身のショットで配置される。引きのショットが中心となり、 地と海と空に囲まれた人間や動物は、その存在の小ささが際立つ。 そのロングショットによって顔の表情を省かれ、科白を省かれた分、身体全体のアニメーションで歩き・走り・泳ぎなどの基本動作を表現する 作画スタッフの力量が露わとなる。歩き方ひとつとっても、心情を反映した様々なパターンがあって描き分けは簡単ではないだろう。 シンプルなラインと動きだからこその、アニメーションの醍醐味がある。いかにもデジタル風な亀は残念ではあるが。  出会った男と女が水中で優雅なダンスのように舞い合う夢幻的なカットが、まるで『アマゾンの半魚人』の水中シーンのように美しい。  凪いだ海の繊細なタッチ、荒れ狂う海を表現する豪快なタッチも独特の味を出していていい。 砂浜に絵を描くシーンの筆跡の表現では、描いた絵を一旦消した上からさらに絵を描くといった凝った芸当も見せてくれる。  動画そのものの力で最後までドラマを牽引してみせてくれたのは立派だ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2016-09-19 23:02:51)
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