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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  ひろしま(1953)
敗戦から7年。 GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。  アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。  それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。  3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。 それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。  が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。 「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。 過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。 原爆症に対する無知。  現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。  硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが 伝わるのも確かだ。 原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。  
[ビデオ(邦画)] 8点(2012-05-29 21:53:28)
22.  僕の彼女はどこ?
鮮やかなテクニカラーが全編に亘って画面を彩る。  アバンタイトルの背景イラストと文字を始めとして、ステンドグラス・屋外の木々・屋内装飾・ベレー帽・衣装・劇中絵画・ポーカーテーブルなどなど、光の三原色(赤、青、緑)が徹底的に駆使されているあたりは、D・サークらしいこだわりぶりだ。  その混合であるシアン、マゼンタ、イエローもまた乗用車、ストロベリーシェイク、ドレスなどにそれぞれバランスよく配され、映画をさらに楽しくカラフルに染めている。 そしてその配置もポイントごとなのでケバケバしくなく、極めて上品だ。  その光の三原色が、映画ラストにおいて素晴らしい雪の「白」へと結集するのもテクニカラーの必然的帰結と云って良いだろう。  チャールズ・コバーンのユーモラスな演技も楽しいが、彼になつくおしゃまなジジ・ペルーもまた実に愛らしい。  質素な暮らしに戻ることを喜び、二人が興じるダンスシーンの幸福感は最高だ。  犬のペニーもまた素晴らしい。単に人間に仕込まれた芸を披露するだけの『アーティスト』のアギーなど足元にも及ばない。  演出家も予想できないような巧まざるリアクションを見せてくれてこそ、優れたアニマルアクターといえるだろう。  
[DVD(字幕)] 10点(2012-05-14 09:20:23)
23.  原爆の子
乙羽信子と少年が互いに手を振りながら別れる萬代橋のシーンは、極端なローポジションによって、その欠けた欄干と手摺が空ける空間の中に組み入れられる。  被爆後7年を経た復興の風景の中に残る傷跡をそれ自体として中心化することなく、あくまでドラマの情景の一部として提示する慎ましさとリリシズムが全編を貫く。  被爆者の悲憤と糾弾を直截にアピールする同時期の日教組作品『ひろしま』との大きな違いだ。  歌唱やSEなど音楽的要素も様々に用法が工夫され、作品を抒情的に彩っている。  たとえば伊達信の臨終の場に、屋外から流れてくるチンドン屋の陽気な囃子(カウンタープンクト)。 少女が病に伏している教会に響く讃美歌。 元幼稚園だった草むらに残響する童謡。 雲間から聞こえてくる飛行機の爆音などである。  中でも、原爆投下直後を再現するモンタージュと伊福部昭作曲の合唱音楽の融合が、短いシークエンスながら圧倒的だ。  画面が伝える惨劇のイメージと、敬虔かつ崇高な音楽の力が一体となった情感は簡単に形容出来ない。 
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-05-13 00:18:51)
24.  心のともしび
『ジョニー・べリンダ』で口と耳の不自由を演じたジェーン・ワイマンが、本作では目の不自由を演じる。  宗教的主題という点でも通じており、本作では神格化された高徳の医師は表象されることがない。  ストーリーは通俗的ながら、屋内の人物に影を濃く落とすラッセル・メティのローキー画面の艶によってヒロインの失明のドラマと相乗させ、しっかりと映画にしている。  特に舞台をスイスへ移して以降のホテルのシーンは、暗がりの中にランプの灯りやヒロインの衣装のワインレッド、ライラックの青紫がよく映えて艶めかしい。  前半の湖畔のロケーションも良いが、単調になりがちなセット撮影パートも背景奥に窓外の風景を採り入れた多層的な構図によって画面を充実させている。  クライマックスの手術室上方のガラス窓に、執刀するロック・ハドソンの反射像と、それを見守るオットー・クルーガ―の像が重なり一体化するショットがその白眉だ。 
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-01 02:25:43)
25.  ローマの休日
半醒半睡状態のヘプバーンがグレゴリー・ペックのアパートのらせん階段で見せるサイレントギャグの冴えを始め、ワイラー印の「階段」の数々は本作ではロマンチックなアイテムとしてある。  一方で得意のパンフォーカスによる縦構図も、夜の別離のシーン(駆け去るヘプバーンと、それを手前の車中から見送るG・ペック)や、ラストの記者会見シーン(画面奥から手前へと順々に握手していくヘプバーン)などに活かされているのだが、その用法は実にさりげなく抑制的であり、技巧が前面に出てくることはない。  その代わりに際立つのが、(本作以前と比して)ワイラーらしからぬ「通俗的」切り返しのモンタージュの多用である。  そのエモーショナルなクロースアップの数々と視線の劇は結果的にスター映画として主演二人のスクリーンイメージのアップに大きく貢献すると共に、その「物語」を最も効果的に語り切ることとなる。  自身の持ち味である映画的技法を抑制し、突出させぬこと。説話に徹することで原作(Story)の美点を最大限に引き出すこと。  それこそが、赤狩りの渦中ワイラーへ累が及ぶのを懸念しノンクレジットに徹した原作者ダルトン・トランボに対する映画作家の敬意と報恩だったのではないか。  密告と不信の時代に「信頼と友情」(「faith in relations between people」)の主題を王女とアメリカ人記者とカメラマン(エディ・アルバート)の間にさりげなく忍ばせた脚本の声高でない慎ましさ。  それは劇中の会見の場で、主演二人が交わす短い台詞の背後に込められた万感の真情とも響き合う。  恋愛劇・ビルドゥングスロマンとしての魅力と、劇中でヘプバーンが飲むシャンペーンのような軽妙なコメディの奥に、時代の切実なテーマ性を含ませたストーリーの豊穣。  そしてそのストーリーに奉仕する為、自らの技巧を透明化してみせたワイラーの矜持に打たれる。  50周年記念ニューマスター版において、デジタル修復によって初めてクレジットされたStory by Dalton Trumboの記名が感慨深い。 
[DVD(字幕)] 10点(2012-03-23 22:54:11)
26.  ギターを持った渡り鳥
雄大な山肌を背にした一本道を荷車が往くファーストショットから素晴らしすぎる。 灌木が疎らに散らばる平原。あたかも演出されたかのような雲の表情。それはいかにも北米西部の荒野の風情だ。函館方向と大沼方向を示す道標から、背後の山が北海道大沼の駒ケ岳とわかる。  続いて函館山から俯瞰した市街、その夜景、そして歓楽街の街路へと画面は移り、バーの店内ではアメリカ人らしき船員らが揉めている。そのバーの長いカウンターテーブルの美術がまた彼国風でいい。 そこへ至る一連の流れも鮮やかだ。  映画は港の倉庫街、連絡船乗り場、湾内の堤防、函館独特の坂道などを奥深いパースを用いながらシネスコ画面を目一杯使って的確にフレーミングしてみせる。  とりわけ、序盤で通りがかりの子供のために風船を買ってやる小林旭の、橋を使った縦構図のロングショットなどは絶品だ。  洋上の船の荒々しいローリングも素晴らしく、ロケーションの魅力が全編に亘って存分に詰まっている。 その揺れる船上で対決する小林旭と宍戸錠も相当なタフであり、殴り合い主体の擬斗シーンもカットを割ることなく、持続的なアクションを当人が見事にこなしている。  ビリヤード台を挟んだ二人の、因縁の対決の瞬発性。 主人公の過去を数ショットに留め、多くを語らない経済性。 シンプルな物語を効率よく語りながら、主題歌のメロディを明確に印象付けてしまう洗練された技能。  それらが、充実しながら無駄のない77分を創り出している。 
[DVD(邦画)] 8点(2012-02-26 22:01:17)
27.  殺したのは誰だ
長廻しやクレーンショットと共に、深い奥行きで捉えられた四谷・銀座界隈のロケーションが生きている。  通行人を危うく轢きそうな勢いでストップする自動車のアクション、小林旭らの乗った自動車の後部座席から進行方向を捉えたヌーヴェル・ヴァーグ風ショットの瑞々しさも眼を瞠る。  菅井一郎と山根寿子が川端でかき氷を食べるシーンの背後に落ちる木漏れ日の繊細な揺れ。 そして渡辺美佐子を後部座席に乗せ菅井が運転する車のフロントガラスを雨滴が打ち始めるショットの何とも形容し難い叙情が素晴らしい。(そこに静かに流れてくる伊福部昭の音楽)  屋内シーンでも背景の窓外には街路の往来が映し出され、屋内の暗がりには屋外から入ってくる反射光や雨垂れの影などが常に揺れている。  いずれもキャメラマン姫田真佐久による、作為を感じさせない作為による光の見事さだ。  反逆光気味のいわゆる「レンブラント・ライティング」が創り出す人物の陰影の厚みもドラマの悲劇性に合致している。  また、居酒屋に住まう蠅、鼠、蜘蛛のインパクトや、ビリヤード場に出前を届けに来た少女が掛け金の札束を思わず覗きこんでしまうさりげないリアクションなど、わずかな登場シーンながら印象的な身振りを見せる端役の配置も豊かだ。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-02-20 22:39:14)
28.  東京のヒロイン 《ネタバレ》 
劇伴音楽ではなく、流しのバイオリン弾きや轟由起子のピアノ演奏によるミュージカル演出。 森雅之と轟がデートする川沿いの公園からクレーンアップし、東京の夜景を俯瞰するカメラワーク。 バーの前の歩道でクリーニング店の配達員や潮万太郎が繰り広げるサイレント風&スラップスティック演出。 さらには横文字の看板があふれる街路の風情と、全篇に溢れるルネ・クレール風の洒落た味わいが楽しい。  会いたくないときには鉢合わせ、会いたいときにはすれ違いの連続の二人。そんな二人を取り持つのが「座席に置かれたハンチング」と花束という粋。  劇場でのすれ違いのカッティングや、写真や手紙のエピソード等はもっと工夫が欲しいところだが、潮万太郎のコメディ・パートはそれを帳消しにするくらい笑わせてくれる。  そして、香川京子が何度か披露するバレエのお辞儀(レヴェランス)も爽やかで可愛らしい。  菅井一郎のバーテンが、彼女に作ってあげたのはレモンスカッシュだろうか。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-12-18 20:34:59)
29.  コタンの口笛
現地ロケを活かした川辺のコタンの風情が素晴らしい。  隣家の病に臥した老婆のために秋味を密漁する場面での朝もやの美しさ、姉弟が父の遺体と共に朝を迎える場面で窓から入射する陽光の荘厳な様。成瀬組らしい美術・照明・撮影の技能が結集している。  病や怪我や死で横臥した人間を傍らからいたわるように見(看)つめる場面が多く、若い姉弟の悲しみや苦悩を印象的な光のもとに滲ませる演出は本作でも傑出している。  同時代的テーマ重視型の橋本忍脚本との相性は疑問だが、長大な二部構成の児童文学をシンプルにまとめながら、単純な差別・被差別の構図に陥らせない主題提示と脚本構成が巧い。  また忘れてならないのが、北海道出身でアイヌの伝承芸能に造詣の深い伊福部昭による音楽演出の貢献である。アイヌ民具の図柄が描かれた和紙を背景としたメインタイトルをはじめ、要所でその伝統古謡をモチーフとした声楽曲の旋律がリフレインされ、民族の苦難を重厚に浮かび上がらせる。  一方、主人公姉弟を慈しむように流れるピアノ曲の旋律もリリシズムに溢れ清らかで美しい。
[映画館(邦画)] 9点(2011-11-21 22:51:27)
30.  毒婦高橋お伝
時計台からクレーンダウンし、活気ある明治の街並みを再現したオープンセットを捉えるファーストショットから引き込まれる。  神社の鳥居と石段、貸間、長屋の風情など、いずれのセットもぬかるみや汚しが絶妙に施され、見事な出来だ。(美術:黒澤治安)  そのセットに配された襖、天窓、鏡が、狭い路地裏と共にフレーム内フレームとしてドラマ効果を発揮しており、また坂道のロケーションや俯瞰を多用したセット撮影との組み合わせの妙とも相俟って、明治の風俗が立体的に浮かび上がっている。  『無法松の一生』的な人力車のリズミカルな車輪の回転運動は日傘の回転へ、そして横浜篇の賭場のルーレットへと流転し、浴槽や川面の光の揺れや暖炉の炎、簾、雨垂れの反映といった様々な揺らぎがメロドラマを彩る。  女性、母親、そして復讐者としての多面的表情を見せる若杉嘉津子の横顔を捉えるショットの官能性もまた素晴らしく、『東海道四谷怪談』コンビの前哨としても納得の出来栄えだ。
[DVD(邦画)] 8点(2011-10-23 21:09:43)
31.  雪の女王(1957) 《ネタバレ》 
透過光のふんだんに使われた幻想的な氷の宮殿や、氷の宝石の光沢、あるいは暖炉の炎の照り返しなど、特殊効果の贅沢な用法に光への意識の高さが窺える。  生命感あふれるカモメやカラスや鹿たちの動きや、主人公の少女の細やかな仕種・動作のアニメーションが絶品だ。(髪を梳かす場面の質感表現の見事さ。旅の途中でお世話になった人々や動物たちに都度丁寧にお礼をするその仕種も大変愛らしい。)  とりわけ特徴的なのは波や風雪の表現の多彩さで、旧ソビエトの風土ならではだろう。日本語が多様な雨の種類を使い分けるのと同様、本作では彼地の特色たる多様な降雪がこだわりをもって描き分けられており面白い。  キャラクター設定だけでなく、映像表現の面でも日本のアニメーションへの影響が多々窺われる作品であると思う。  様々な民族の助けを経ながらの旅といった要素が旧ソビエト的でもあり、大団円が「雪解け」であるのも象徴的だ。
[ビデオ(吹替)] 9点(2011-09-04 18:12:35)
32.  吸血蛾
怪奇ムードを醸成する撮影と照明設計が全編にわたって素晴らしい。昆虫館の外観に内装(特に廊下)の凝った美術が濃い陰影の中に不気味に浮かび上がる。  手や足のオブジェやトルソは怪奇演出のみならず、殺人シーンの場面転換の技法としても活用され印象強い。  クライマックスの廃ビルもスケールを感じさせる絶品のロケーションだ。取り壊し中なのか、外壁が崩れ落ち、鉄骨むき出しとなった廃墟が異空間ぶりを際立たせている。 縦の構図で捉えられた夜のビル内、飛び交うサーチライトが警官隊と犯人を照らし出し、吐息と土埃と拳銃の火薬煙が闇に舞う。 発砲音と、着弾音、追跡の足音の反響も効果満点で、視聴覚的に豊かな造形だ。  ファッションモデル役の女優も多数出演する中、安西郷子が役柄通り様々なファッションを着こなし、俄然美しい。 その分、後半から登場の金田一役:池部良の印象が弱いのが残念なところ。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-24 19:42:36)
33.  マンハッタンの二人の男 《ネタバレ》 
ネオンが輝く夜の街路を緩やかな縦移動で捉える冒頭からして、ニューヨークの街そのものが映画の主役といって良い。  地下鉄内のメルヴィル自身を映し出すゲリラ的な撮影スタイルに、摩天楼の背景とアパートベランダの男たちとを同格で捉える構図に、つまりは人間と街の空気をまるごと捉えようとする画面自体に、アメリカ狂らしい「街」への偏愛が滲んでいる。  メルヴィル自身が監督・脚本・主演のみならず、撮影までこなしているのもその証左だ。  深夜のマンハッタンを中心にラストの明け方の街路に到るまで、屋外シーンは生々しい感覚と魅力に満ち、混沌としている。  一方で、病院内で面会を強行するシーン、女優のアパートで真相を知るシーンといったセット撮影での静かな緊張感も陰影の深い撮影によって印象強い。  さらには聞き込み先の録音スタジオ、ダイナー、バーの各所で効果的に採り入れられるジャズ演奏も、相乗的にノワールムードを盛り上げている。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-17 19:26:18)
34.  花の慕情 《ネタバレ》 
会社側の要請とはいえ、ドライで硬質なサスペンスの鈴木英夫には、いかにも不得手そうな文芸メロドラマだ。 やはり持ち味は活かし難く、ドラマはメリハリを欠いて映画を長く感じるが、画面の落ち着いた色彩と陰影は十分堪能できる。  『その場所に女ありて』(62)で颯爽とスーツを着こなす司葉子は、鈴木作品5本目の本作では華道の二代目家元役で落ち着いた和服の美を披露している。共に一種のキャリアウーマンの役柄ともいえる。  飯村正撮影によるイーストマンカラーの淡い色彩が、生け花、着物の柄と良い感じにマッチしており、眼に沁みる。夕暮れの淡い光の具合も素晴らしい。  ラストの宝田明との再会シーンでは伊豆の山奥の雄大なロケーションがまた清清しく、山道の勾配とカーブが良いアクセントになって作品を締めている。 
[映画館(邦画)] 6点(2011-06-20 22:34:10)
35.  秘められた過去 《ネタバレ》 
ウェルズが監督を始め、製作、脚本、衣装、美術、編集と多才ぶりを発揮。 ロケーションもスペイン、フランス、ドイツ、メキシコと幅広い。  港湾シーンの影の乱舞や、天井を取り込みながらウェルズの威容を強調する不安定な斜め仰角ショットに凄味がある。 とりわけ、船のローリングに合わせて背景セットと手前の人物の揺れをずらす効果は絶大で眩暈すら誘う。  中盤までは回想形式の叙述でありながらも、ジャン・ブールゴワンから引き出されたそのノワールスタイルの暗黒画面によって醸しだされる切迫感がただならない。  『市民ケーン』的な謎解きのドラマに、古城での仮装パーティの喧騒では怪奇映画ムードすら加わって映画的スリルは多彩だ。  クライマックスは天井のスピーカーを通した娘と父との、視線の交わらない対話。俯瞰と仰角の切返し編集、そしてノイズが悲劇性を強調する。
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-05-21 21:01:13)
36.  白夫人の妖恋
製作舞台裏の事情は、廣澤榮(助監督)の「日本映画の時代」に詳しい。  次第に産業的な翳りを迎え予算を抑えにかかる上層部と現場の軋轢や、スタジオシステムが培った大道具・小道具スタッフの臨機応変な知恵と技術が注ぎ込まれた特撮シーンの苦心談など、映画以上に感動的で興味深い逸話が多々あり、面白い。  中国民話の世界を全編セットによって創りあげた美術の豪勢さ。 西湖の水面に咲く色とりどりの睡蓮や牡丹、華やかな中国伝統衣装などがイーストマン・カラーに映える。 トリック撮影を使った山口淑子と東野英治郎の妖術合戦なども楽しいが、最大の見所は金山寺水攻めシーンに展開される怒涛の水のスペクタクルだ。その水量と迫力が凄まじい。 さらには、衣装を風になびかせながら山口淑子と池部良が昇天するイメージが(舞台裏の苦労談とは裏腹に)壮麗で素晴らしい。  いずれのシーンにも、海外との合作に向けた豊田四郎監督及び、新技術の導入と共にカラー特撮時代へと向かう円谷特技監督以下のスタッフの威信が漲っている。  それから忘れてならないのは、小悪魔的な八千草薫の可愛らしさ。まさにはまり役。  
[映画館(邦画)] 7点(2011-05-04 22:55:55)
37.  くちづけ(1955)
第一話『くちづけ』… いかにも石坂洋次郎原作らしいユニークなボキャブラリーと気取った台詞回しが楽しい。会話の中に『IT(あれ)』なんて単語が出てくるのも映画ファンにとっては一興。青山京子と太刀川洋一が教授(笠智衆)の前でホールドアップする身振りのコミカルさなどは『石中先生行状記』の杉葉子の一場面を連想させる。  第二話『霧の中の少女』…あぜ道、橋の上、温泉街、そして駅のホームを、次女(中原ひとみ)が風のように走りまわる。その軽やかな走り・躍動感がこの挿話最大の魅力といって良い。彼女を始めとする一家の屈託無い笑顔も素晴らしい。小泉博を迎えた夕飯の席、あるいは山の温泉で祖母(飯田蝶子)と姉妹たちが横並びになって「小原庄助さん」を歌うショットの和やかな幸福感。 まるでホークス映画のジャムセッションのような充実感。  第三話『女同士』…キャスティングはいわずもがな。短編ながら、自転車・チンドン屋といったお馴染みの意匠の数々が成瀬映画の刻印として登場する。表玄関を入ると一本廊下、診療室と並んで中村メイ子の下宿部屋といった特徴的な家屋構造もまた然り。 冒頭ではパッとしない彼女だが、自室でくちずさむ鼻歌を上原謙らに何気なく隣室で聞き流され、勝手口での八百屋の青年(小林桂樹)との会話を高峰秀子に廊下で立ち聞きされ、あるいは高峰秀子に日記を読まれるという、空間共有の劇を経ていくことで最後には不思議なほど魅力的なキャラクターへと変貌していく。 嫁入りのために表戸を駆け出していく彼女の姿が非常に感動的だ。 さらに最後。見事に「振り返」って作品を締める八千草薫も実に可愛らしい。 
[映画館(邦画)] 9点(2011-05-03 18:04:59)
38.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-05-01 12:14:29)
39.  獣人雪男 《ネタバレ》 
山あいの断崖から宝田明が吊るされるミニチュアの秘境の趣は、群がる鳥のアニメーションと共にどこか『キングコング』(1933)の髑髏島の一場面を彷彿させる。  特撮ショットは全体的に控えめだが、動物ブローカーの悪漢が崖から谷川へと投げ落とされる俯瞰ショットや、車両が転落するショットなど、高所感覚の演出も気合が入った見事な出来栄えだ。  かなり長身のスーツアクター演じたらしい獣人の厳かな威容、土着的な山村や洞穴の美術も力が入っている。  根岸明美の村娘の悲恋劇も絡み、『ゴジラ』(1954)とほぼ同一の主要スタッフ・キャストによる「神殺し」のドラマの悲劇性は、同年の『ゴジラの逆襲』より断然深い。ただし、回想形式による語り初めがサスペンスを弱めてしまっているのが残念なところ。  少数民族音楽に造詣の深い伊福部昭が音楽担当であったなら、というのは贅沢な望みか。
[映画館(邦画)] 7点(2010-12-12 00:05:40)
40.  中共脱出
極東部劇でもあり、それぞれの役柄も全く違うが、『ラスト・シューティスト』で感動的に再共演することとなるジョン・ウェインとローレン・バコールのやり取りを観るだけでも感慨深い。  ロケーションは米国なのだろうが、生活感漂う河岸の光景にはアジア的風情が良く出ている。  中盤に登場する難破船群の朽ち果てた様、そしてそのそばで開始される砲撃戦もまた壮観で、『つばさ』の過激な着弾ショットにも引けをとらない危険な爆発シーンが続出する。キャストの至近距離で木材の破片が四散し、豪快に水柱が聳え立つ。そのただ中で、ボイラー室で葉巻を半分吹き飛ばされながら表情も変えず短くなった葉巻を平然と燻らせ続ける機関士の横顔のショットが渋い。  暴風雨のシークエンスで、「サウンド版無声映画」となるのも『つばさ』のW・A・ウェルマンらしいアクション演出。  脇役ながら、スースー役:ジョイ・キムが前半に見せる愛嬌、後半で聞かせる歌声が良い。 
[ビデオ(字幕)] 6点(2010-11-20 18:13:51)
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