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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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441.  アメリカン・ハッスル
冒頭の鏡に映った主人公とか、少年の割るガラスとか、クリーニングの衣装の波とか、 思わせぶりでありながら、なんら映画的な面白さにならない。  各俳優の既成イメージを逆手に取りましたといった、 これ見よがしの役づくりもあざといばかり。 選考の傾向と対策を抜かりなく踏まえたような「芝居合戦」とやらには辟易する。  冒頭のさわりから続いて早くも、主人公の来歴やら、二人の出会いやらのフラッシュバックへ。『ラッシュ』などもそう。近頃このパターンの何と多いことか。 ああ、時間の巻き戻しがまた始まったとうんざりする。 何故、この程度を現在進行形で語れないのか。 やるのなら、ウェルズやベッケルのような、必然性と意味のあるフラッシュバックで 一気に引き込んで欲しい。  無駄で無意味な時制弄り。  そんなところも、映画の失速の原因ではないか。  ロバート・デ・ニーロの登場からようやく締まる。
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2014-02-27 15:17:52)
442.  大脱出(2013)
映画冒頭の脱獄シーンの寡黙さがなかなか良いと思う間もなく、 シルヴェスター・スタローンの雄弁な種明かし演説が始まってしまう。 かと思えば、主舞台に移っても公衆の中で堂々と密談を続けている。  監視の中、いかにして相棒とコミュニケーションを取り合っていくか。 そこにサスペンスを生み出すのが、脱獄映画の基本だろうが、その辺りが相当杜撰だ。 共演がよほど嬉しいのか、二人の対話については明らかに台詞過多である。 ボルトがどうの、シフトがどうの、それは画面に語らせれば済む話であり、 安易に台詞に頼るべきではない。 主人公の観察眼については、序盤で説明済なのだから。  状況解説用のトラッキングはただ官僚的であり、 対話どころか殴り合いまでアップショット偏重で鈍臭く 面白味を欠いた画面は映画でなくてテレビだ。  二人共、銃を構えたショットだけはやはり様になっている。   
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2014-01-12 23:17:12)
443.  かぞくのくに
いかにも善良な母・宮崎美子に、いかにも生真面目な父・津嘉山正種。 キャラクターイメージそのままのキャスティングも芝居もステレオタイプにすぎる。 京野ことみを始めとする同窓メンバーのいわゆる熱演も何ともクサく、 手持ちや自然光照明のドキュメンタリー調と馴染んではいない。  安藤サクラと井浦新の対話もまた熱演なのでああろうし、 役柄になりきらせる演出として恐らくアドリブを多々入れているのだろうが 作り手の過剰な思い入ればかりが突出し、芝居は読みやすい。  一方で、詰め寄る安藤に対してどんなリアクションで返してくるのか、 全く読めないヤン・イクチュンのどこか非心理的な佇まいと 静かな迫力こそが抜きんでている。 
[DVD(邦画)] 5点(2013-11-04 23:58:04)
444.  終戦のエンペラー
本来ならフィクション映画に史実との整合性云々などどうでもいいところだが、 いわゆる映画のリアリティの観点から云うなら、「映画芸術」連載の寺脇・荒井対談 でも指摘されているとおり、事実的に「あり得ない」のオンパレードだろう。 外国人に石を投げる子供にしても、米語を流暢に操る威厳ある軍人にしても、 あるいは皇居での戦闘にしても。  米内光政のエピソードなどは当然、除外するわけだ。不都合だから。 無論「教材」としては話にならない。 NHKスペシャル『日本海軍 400時間の証言』くらい踏まえたらどうか。  映画は自惚れ鏡とはよく言ったもので、本作のような美化された虚構の日本人像 ならば「よく理解している」にすり替わり、「真実である」と持て囃されるわけだ。  朝日・毎日共同広告の有識者(提灯)座談会が誉めそやすのも、 専らそのような観点からだ。リスペクトだとか、公平性だとか。  ラストの会談シーンは、扉を閉めるフェラーズ秘書官(マシュー・フォックス)の 窃視として部分的に処理したこと、それだけで深みのあるシーンとなった。 窃視の視線。それが事実ならぬ真実性を強調するということか。      
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2013-10-29 01:31:03)
445.  リンカーン
窓の明かりや、室内ランプ、蝋燭、街頭を光源として点在させる審美的画面の連続に、 採決の瞬間にはおそらく溢れる光が主人公を包むのだろうと予想がつくし、 これらの小さな炎は例によってどこかで人物と重なり合うだろうと 思いながら見ていると、 臨終シーンのダニエル・D=ルイスに重なった蝋燭の炎が大きくオーヴァーラップして 演説シーンの群衆に繋がり、誰でもがそれとわかる意味性を帯びるという具合だ。  強められたメッセージとたちの悪い審美主義が画面をスタティックに固定し、 中心化させている。  議場を出ていくトミー・L・ジョーンズや、 血の滴り落ちる荷車を追うジョセフ・G=レヴィットの歩み、 あるいは様々なニュアンスを含む「帽子を取る」というアクションの反復が 時折その固定化を阻む動きを見せるが、 総体としてはダイアログと顔芸に重きを置くという意味で、テレビ的である。  そして、困ったことにその権謀術策の駆け引き自体に映画的スリルを欠いており、 ドラマは平板だ。  主人公の来歴についてもフラッシュバック等を用いず現在進行形を貫く試みは潔いが。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2013-05-01 01:06:38)
446.  007/スカイフォール
序盤のウォーターフォールと終盤のスカイフォール。 幾度も己自身を見つめさせることになる鏡面あるいは水面と、 様々にメタ的な着想を凝らして内面描写というトレンドに倣っている。  公聴会での暗殺阻止からそのままクライマックスのアクションに なだれ込めばいくらでもテンションを上げられたところを、 内省やら回帰やらの要素を持ち込んで新味を出さねば気が済まないところが シリーズものの枷というところか。 例によって、本作の「小悪党」も卑小な内面ばかりを語りたがり、 犯罪の動機付けに汲々とする。ゆえに悪役に恐さがない。  高層階のネオンライトを背景とした シルエット同士の格闘などは実にスタイリッシュであったり、 籠城戦前の夕暮れから夜の闇へと推移する緊迫の描写も良かったり、 日本版予告編で使われたショットの数々も個々にはケレンがあって 様になっているのだが、いずれもが単発止まりである。  一連のアクションの繋がりとして見ると平板で うねりを欠いてしまうのが勿体ない。  いわゆる人間ドラマに比重が掛った結果だろう。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2012-12-25 23:50:25)
447.  プロメテウス
美術畑出身のリドリー・スコットは俳優以上に背景・セットを重視するあまり、 『ブレードランナー』を主演のハリソン・フォードが嫌っているというのは有名な話。  この作品もまた、主演俳優はひたすら無様に走り廻り、活躍らしい活躍もなく、 極めて魅力が薄い。  「デザインも映画の脚本」の弁のとおり、、 監督にとって主役は異世界のランドスケープと云っても良さそうだ。  従来からスコットは濃いバックライトとインセンス・スモークの活用、 そして奥行きのある構図取りによって三次元的な効果を創り出してきた。  ここで主にそれを担うのは山間の雲であり、巨大な砂嵐であり、 宇宙船の上昇と落下に伴う砂塵である。  ただ既出のデザインも多い上、3Dによる3Dホログラム映像といった趣向など、 そのままデジタル加工に拠っている部分もあり、 光と霧と建築物そのものを駆使して演出した『エイリアン』や 『ブレードランナー』の立体感の味わいにはどうしても欠ける。  即物的な迫力だけを狙った立体感ではつまらない。 
[映画館(字幕)] 5点(2012-09-02 23:17:27)
448.  ダークナイト ライジング 《ネタバレ》 
寓話はあくまで架空の都市のイメージの中で語って欲しい。 ノーラン版のシリーズとして一貫してはいるが、 そのままストレートに現実を意識させるロケーションや歌唱や、 テーマ語りはやはり安易で浅はかな印象しか与えない。  主要キャラクターそれぞれに見せ場を配分するのもわかるが、 かえってその場面転換がテンポを殺しているのもいただけない。  特に肝心な後半、緊張が高まるべきカウントダウンに向かいながら 4者のパラレルアクションが映画を寸断させ、間延びさせてしまっている。  画面も深度が浅く、表情芝居に頼った人物の対話場面などは 切り返しも配置もフォーカスもことごとく単調だ。  アクションの構図もアングルも貧しく、決死のジャンプシーンにも 絶望的な高低と距離の感覚が出せているとは云えず、 物語を絵解きするのに手一杯にみえる。  巻頭の航空機墜落をはじめ、地盤の崩落、橋梁の倒壊、幽閉溝の登攀、 背骨折り、氷上での処刑とノーランが拘るのは執拗な垂直落下のイメージであり、 その中でタイトルの主題系が立ち上がって来る仕掛けではあろう。 一方で、水平の空間移動をあえて省略してみせるあたりは潔いのだが。  『ダーティ・ハリー』の投げ捨てられる警察バッヂ、『M』の人民裁判、 『機動警察パトレーバー2』の雪降る水路・橋梁爆破の空撮ショットなど、 映画の参照ぶりは相変わらず多彩だ。 
[映画館(字幕)] 5点(2012-08-08 02:08:32)
449.  ヒューゴの不思議な発明
フランスで生まれ、イタリアのスペクタクル史劇映画を経由したトリック映画の造形性・見世物性を継承・発展させているのがアメリカ映画であることをスコセッシ監督が如実に示す。  この作品でのストーリーテリングも、メリエス作品のようにそのスペクタクルを目的とするためにあると云って良い。だから作劇はもっとシンプルでも良いくらいだ。  解説的で、直截的で、打算と下心まる出しにも見えてしまうオマージュの作法には辟易するのだが、それはほとんど変節ともみえる作風の違いを受けての不純な読みでもあってどうも居心地が悪い。  列車や時計盤といった一目瞭然の声高オマージュよりも、『ダイヤルMを廻せ!』の鍵穴、『めまい』の階段、『ハリーの災難』の足、『下宿人』のガラス張りの床などを意識した立体効果のように、暗に提示されているそれらのほうにこそ心は動く。 
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-01 13:46:48)
450.  スリーデイズ
プロットの面白さは、オリジナル『すべて彼女のために』に因るもの。語りをほぼ忠実になぞって絵解きするのだから、つまらなくするほうが難しいはずだが、構図の活かし方(特に「ドア」の配置)もテンポも、断然本家が上だ。  マイナーチェンジとして、都会の鉄道を使った大掛かりな逃走アクションや、時間制限の中での子供を巡る葛藤などが付加されており、その辺りがハリウッド流リメイクとしての戦略と差別化だろう。  オリジナルの地味な魅力に比べ、スターの配置も音楽も編集もそして検問突破のサスペンス演出も、より通俗性を志向しているが、 ハイウェイを走る車から身を躍らせようとするエリザベス・バンクスの表情などは、リメイク版に新たに設定された印象深いイメージだ。  ただし余分に見える肉付け(特に序盤及びエピローグ)も多く、結果は上映時間の差が歴然と示している。  
[映画館(字幕)] 5点(2011-11-02 23:59:21)
451.  あしたのジョー(2010)
俳優が役柄に似せて熱演する、増減量と鍛錬で体格をつくる、体技を披露するといった役作りレベルなら格別な感動はない。 伊勢谷友介が「役を演じる」フィクション性と「役を生きる」ドキュメンタリー性が綯い交ぜとなった、その意思的なフォルムが他を圧倒している。 役柄上のライバル関係を演じる主演二人の対抗と信頼の関係性もまた競演の中で重なり合ってくるところがこの映画の面白さだ。 しかるに、肝心のボクシングシーンは映画的なアクションとして画面を運動させているとは云い難い。 同じスローモーションでも、イーストウッド『インビクタス』のそれが伝える運動感・重量感・獣性とは天地の差だ。 しっかりと汚しが施された衣類や小道具、ジムの内外装やバラック集落などの美術単体では味があって見事ながら、一方でそれらを薄暗い照明の酷さが台無しにしているのにも通じる。 あるいは女優への演出の不在。香里奈には役柄以上のものが何も示されないのもどうなのか。  
[映画館(邦画)] 5点(2011-05-03 16:43:46)
452.  白夜行 《ネタバレ》 
導入部の土砂降りの雨、索漠とした葦原など、銀残しによる寒色系で統一された硬質な画調に味がある。うらぶれ感の良く出た住宅街の美術もいい。  掘北真希の纏う冷たい純白の陽と、通風ダクトの闇に魘される高良健吾の陰。 手にこびり付いた父親の血、現像用暗室の赤、ワインの赤は、流血の運命を予告する。  警察車両3台が、農道を延々と横移動するロングテイクなどには気合が感じられるし、刑事(船越英一郎)が電話しているテレフォンブースの後景や聞き込み中の託児所の窓ガラスにさりげなく人影を映りこませたり、掘北の足音をオフで響かせる演出なども工夫されているのだが。  終盤の謎解きシーンで語り口が一気に陳腐化してしまうのが勿体無い。『砂の器』的に感傷を煽る音楽と補足説明が安易で興ざめさせられる。  折角、実子とのシーンを台詞無しで積み重ねてきたはずが、船越の屋上での台詞過多もこれを台無しにする。残念。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-12 20:19:44)
453.  ソーシャル・ネットワーク
頻出するガラス張りの空間は、主人公と他者を隔てる見えない壁の直喩か。 対話シーンにみられる背景のぼやけた深度の浅いフォーカスと、バストショット中心の画面が表すのは、周囲の人間への視野を欠いた主人公の自分本位性か。  J・アイゼンバーグとルーニー・マーラによるセンテンスごとの切返し。その単調かつ短絡的な応酬は、おそらくネットの双方向性と断絶感の表現を意図しているのだろう。 ラストの同一構図は、画面を介した無言の切返しとして巻頭のそれと対になるのだが、問題はほぼ全編において人物同士の対話シーンのアングル・カット繋ぎがことごとくこの1パターンに収まること。  台詞に従属する形で話者同士がひたすら単調に「テレビ的」に切返され続けるのでカットの切れ目も、次にくるだろうショットもおおよそ容易に予測できる。 同じ対話劇でも、同一構図を繰り返さず多彩に変化をつけていくオリヴェイラなどと比べてしまうのは酷だろうか。  主題の類似が指摘される『市民ケーン』の先鋭性とは真逆で、ドラマも撮影スタイルも慣例的すぎる。 
[映画館(字幕)] 5点(2011-02-05 23:33:17)
454.  ノルウェイの森
主人公視点による一人称で語られるべきドラマと、第三者的にあらすじを追う叙事的な形式。 二つのバージョンを想定しながらの進行だったのだろうが、どちらつかずの編集という印象を受ける。 序盤での高良健吾の思わせぶりな自殺描写などが結果的に無駄な場面にしか見えないということは、後者の選択は失敗だろう。(自動車の後部座席にもたれかかること=死の暗示として、初音映莉子のタクシーのシーンと通じ合うのみ。)  ガラス窓を伝う雨垂れの透明感、湿度感。草木の靡きによってうねりを見せる、様々な階調のグリーン。朝靄の濃い木立に落ちる光線、冬枯れの中の粉雪など等。抽象化された揺らめくイメージの断片はそれぞれ豊かである一方、時代・場所・風俗的な固有記号の数々はほぼ無意味といえるほど空疎であり、異界との分節作用もノスタルジーの喚起力も弱い。(体験の問題ではなく。)  景観の強度に対して端から性愛の官能性も生命感も希薄なのでは、喪失感もありようがなく、ただ漫然と耽美性に浸るのみ。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-01-22 18:11:50)
455.  インセプション 《ネタバレ》 
水飛沫を効果的に使った高速度撮影の用法と複数のクロスカッティングが、時間感覚の設定と巧く絡み、クライマックスのカウントダウンにはそれなりに切迫感がある。 チームメンバーの分散と各階層の分散によって、5つのシチュエーションのクロスカットを何とか強引に纏め上げたのは流石というべきか。それも、ハンス・ジマーの劇伴にかなり負っているが。  反復はクドく、主体が分散しすぎで、親子のドラマ、夫婦のドラマ、メンバー間のドラマと欲張ったもののいずれも冗長かつ中途半端で盛り上がらない。設定には凝る一方、アクションパートは付け足し感覚で、展開にはまるで緻密性を欠く。(夢だからね。)  夢には欠かせない水のイメージは豊富で良い。(波打ち際、土砂降りの雨、水槽、川)
[映画館(字幕)] 5点(2010-08-16 23:09:41)
456.  嘘を愛する女 《ネタバレ》 
エンドクレジットを見ると、脚本協力で奥寺佐渡子の名も。長澤側の科白などを助言したのかも知れない。 身分証明書の偽造とか、序盤にミステリー色を強調して引き込んだのは良いが、その反動か後半の種明かしと着地が凡庸な印象を与える。  人混みのなか気分を悪くしてうずくまる長澤まさみと、雑踏の中で足を止めて彼女の方へと向かうシューズ。 ここでまず足を介した二人の出会いが演出されることで、この後その通り足や歩行のモチーフが様々に展開されていくのだが、 終盤に車のタイヤが破損することでここからさらに歩行が活かされるのかと思いきや、さにあらず。 あっさりと車が直ってしまうので尚更落胆する。  後半乗れないのは、働き方改革とか、少子化対策まがいのスローガンが婉曲的な形でちらつくからかも。
[映画館(邦画)] 4点(2018-01-24 21:18:46)
457.  覆面系ノイズ 《ネタバレ》 
画面に超どアップとなって息を荒げるヒロインの顔が連発される度に辟易するのだが、 一方で江の島の海や鉄道をバックにした情景が穏やかな波のリズムで対になるのが救いだ。  前半でピアノを弾く志尊淳のショットが、運指と表情を徹底して別撮りするので実演の努力をまったくしていないだろう ことが明白でがっかりするのだが、これがギターに代ると本人の指使いで見せて名誉挽回してくれるのもいい。  クライマックスのマッチポンプ的な焦らしは逆効果。映画の要請として、ヒロインを走らせる為というのは解るにしても、 積極的に遅刻するヒロインが愚鈍にみえてしまう。
[映画館(邦画)] 4点(2017-12-03 09:14:21)
458.  ザ・サークル 《ネタバレ》 
巻頭のシーンをはじめ、ヒロインがカヤックを漕ぐシーンが幾度かあり、中盤のある事件の伏線として確かに強引に機能はするのだが、 それ以上の積極的な意味が見いだせない。人物描写としてもチグハグで、メタファーにもなりきれていない。 ラストシーンもカヤックだが、友人の命を奪ったドローンに対して、「Hello」はないだろう。 終始、血の通わぬキャラクターだ。  ある程度わかりきったストーリーでも画面で引っ張ってくれればいいが、その点 ヒロインの親友役:カレン・ギランの扱いが面白い。 まずは電話音声での登場、入社したヒロインを連れ颯爽と案内していく。 片や壇上でスポットライトを浴び、片やそれを暗い客席から見つめる二人の逆転と対比。 隣り合った個室トイレの中での、二人の交わらない切り返し。 そして暗いベッドの中と、開放的な自然の中、それぞれが小さなスクリーンを介して心を通わせる二人の切り返し。 決して上手い処理とは云えないが、二人の関係性の変化を描写する工夫の痕跡はみえる。  大スクリーンを使ったどんでん返し自体も大したものではないが、 トム・ハンクスとエマ・ワトソンの視線劇がなかなか見せる。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2017-11-12 20:37:49)
459.  スクランブル(2017) 《ネタバレ》 
いきなり高架上からトレーラーへのバンジージャンプというのがイーストウッドらしい。 乱闘で手傷を負ったり、勝気なヒロインに二度ほど平手でぶたれたりと、女難のシーンもそれっぽい。 拉致されて椅子に縛られて脅されるなんてシーンは『ルーキー』だったっけなどと、 ついついネタ元を詮索してしまいそうになる。  ヴィンテージカーということで、クラッシュも控えめ。崖道の追っかけと大音量のBGMで ハッタリをかましてくるのだが、敵方が最終的にかなり小者に落ち着いてしまうのが拍子抜けである。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2017-10-21 15:48:43)
460.  ナミヤ雑貨店の奇蹟 《ネタバレ》 
この如何にも西田敏行で御座います的なキャラクターイメージに則った諄いばかりの表情芝居があるから 一方で『アウトレイジ』の悪人顔が一層引き立つのだろう。 手紙のやり取りを題材とする原作というのだからそもそも映画として分が悪いのは承知で、雑貨店周辺や商店街の美術に 注力しようというのが序盤の長回しからも判る。 1969年という字幕と共に、座頭市のかかる映画館から大売出しの登りを立てたマーケットへとカメラは移動し、乗り合いバスが通過した奥に 女児二人が遊ぶ雑貨屋の店先に寄っていくというカメラワークは廣木隆一らしい出だしだが、 時代と世相の提示が絡むので致し方ないとはいえ、段取り臭さがモロに出ていてあまり面白くない。  それと折角の、ネットや携帯以前の「手紙を書く」映画なのだから、文字を書く行為を映画にしなければ。 書く者の手ではなく表情ばかりアップで映してどうするのか。  音楽の力を説くはずのエピソードも、大写しとなる歌い手の心理的な表情のほうに食われているように思える。
[映画館(邦画)] 4点(2017-10-09 01:53:04)
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