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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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661.  牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件(188分版) 《ネタバレ》 
なんか初期の大島渚や柳町光男を思い出させる手触り。テーマとか演出がじゃなくて、映画に張りつめている不機嫌さみたいなものが。とりあえず室内電灯と懐中電灯の映画と定義してみましょうか。侯孝賢も室内電灯の作家だと思うんだけど、この作品ではそれが懐中電灯と対比されている。室内電灯とは何か。それは家庭であり、取調室であり、職員室であり、不良グループの溜まり場である。そして少年が職員室の電球をバットで叩き割ってから悲劇が走り出す。こっちの公的な光に対して、懐中電灯は個人的、押入れの中の狭い狭い部屋、夜の校内を移動してまわる光、溜まり場を出たあとの移動。撮影所に懐中電灯を置き去りにしたとこで少年の悲劇は決定的になる。懐中電灯をノミにして闇を削ろうとしていた彼らの、どうしようもない閉塞感、何も変えることが出来ない時代への敗北感の映画とは言えないだろうか。正直言って前半の不良グループの関係が分かりづらかったんで、ストーリー把握の面ではやや消化不良だった。劇中に聞こえてくる音楽の使い方がいい。ブラスバンドの練習がパッと止んで少年少女の会話が浮き上がるところ、ポップスの奇妙にヌメッとした手触り、賛美歌の中で泣き続ける妹。殺しの後の緊張感と言ったらないね。少しずつ人が気づいていくその上品なこと。喧嘩が始まりそうになると、パッと椅子を放り投げて、何すんのかと思ってると、それ壊して武器の木片を作ってたの。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-27 09:58:14)
662.  ブンミおじさんの森 《ネタバレ》 
夏の夜の感じ。背後では虫の声が続き、夕涼みをしている部屋でぼそぼそと語り合う親族一同。そこにふんわりともう一人、すでに亡くなった親族が現われてきてもおかしくないような夜。一年中こういう夏の夜の感じが続いているのなら、さらに毛むくじゃらの猿の精霊となったせがれも、階段をゆっくり上がって来ることがあるかも知れない。ちょっとは驚くが、あとはすんなり状況を受け入れて会話は続いていく。「ずいぶん毛が伸びたのね」。すると次に美貌を失った王女さま(?)と輿かつぎの若者の悲恋っぽい話になり、それを見守るナマズが慰めたりする鏡花にでもありそうな世界に唐突に切り替わる。バックの滝が美しいが、こちら観客はその展開にただ呆然とする。するとさきのブンミさんの話に戻って幽霊との洞窟探検になり、分かりやすく判断すれば亡妻に死の国へ導かれたような図だが、そういうおどろおどろしさはない。いたって淡々とブンミさん死んで、淡々と葬儀に移り、画面では香典の金勘定をやってる。王女さまのおとぎ話の対極のような世界。お寺が怖くて睡眠不足だった坊さんはシャワーを浴びTシャツに着替え(坊さんがシャワー使ってる光景なんてたぶん人生でこれ一回見るきりだろうが、だからってなぜこう丹念に見せられるのか)、さて飯でも食うか、と出かけるところで最後のサプライズが来、観てるものの呆然を残して映画は終わる。ついついこちらは「アジア映画」というものを「素朴な良さがある」「癒しの」世界という心構えで観てしまっていた。題名もなんかそれっぽいし。ところが前衛映画ってやつだった。エピソードのひとつひとつは奇譚として面白いんだけど、それがどう関係しているのかが分からない(前世ってこと?)。もうちょっとヒントくれてたら心穏やかに観られたのに。アジアの映画も、そう「癒し」ばかりじゃなく、むかし見たバングラデシュの『車輪』っていうのは、行き倒れの死体を遺族の村に運ぶように頼まれた男の話で、なかなか目的地の村にたどり着けず(村の名前を間違えていたり、結婚式をやっていて不吉だと追い返されたり)、しだいに死体には蝿もたかり、死者の幽霊が「俺の村を見つけられるかな」とからかってきたりと、なんかブニュエルを思わせるような傑作だった。アジア映画が、「癒し」「素朴」の方向で享受される時代はとっくに終わっていたことを悟らされるこの『ブンミおじさん』ではあった。
[DVD(字幕)] 6点(2012-05-26 10:23:21)(良:1票)
663.  過ぎゆく夏
ジェームス・ディーンの再来って宣伝だったけど、こりゃただのソックリさんだわな。もう勝負のついている賭けに、さかのぼって50年代にロックンロールに賭けたってちっとも偉かないさ。本当のJ・ディーンの時代と比較した(映画製作時)90年代のだらしなさを自己批判した映画としてなら意味があるが。鐘で始まり鐘で終わる。お粗末な演奏はよく出来ていた。ロックが乗ってくるとこね。監督はなんでも振り付け師あがりだとかで、その感覚だろう。後の秘密バーでのダンスシーンより良い。DJで流れていた曲は、なんかアレンジが50年代以降に聞こえたんだけど、どうだろう。ラストはもう定型どおり。喜劇だと定型どおりが○になることが多いけど、こういうドラマだと×に感じる。なんかシラケちゃうんだな。ま、おばあさんがロックンロールに乗って自然に腰を動かし始める、っていう定型がなかっただけでもヨシとしよう。
[映画館(字幕)] 5点(2012-05-25 10:11:55)
664.  サン★ロレンツォの夜 《ネタバレ》 
この監督の映画はエピソードをひとつひとつ思い出すだけでも心が満ちてくる。教会が砲撃され司祭と母親が額をつき合わせて傷ついた娘を運び出す場とか、画面は至ってシンプルなのに沁み入って来る。寓話の紙芝居をめくっているように、戦争の残酷がピクニックの絵日記のように展開していく。残酷が頂点を極めるのが、小麦畑での戦い。今まで幾多の戦闘シーンが映画の歴史の中で撮られてきているだろうが、私にとってはこれが一番きれいで残酷。グロテスクな意味での残酷ではなく、まさに戦争そのものの残酷さが、うららかな小麦畑の中で繰り広げられるのだからたまらない。圧巻は少年ファシストを射殺するシーン。少年ならではの純な高揚がその前に描かれている。父の「まだ十五歳だから」と嘆願している目の前で、地を這いずり回って助けを求めている少年を射殺する。殺す側も身重の妻をファシストに殺されており、この憎悪の増幅の耐え難い残酷さほど、ストレートに戦争を告発した場はないだろう。射殺の次にパッと遠景のカットになり、画面を美しい緑で埋めてしまうニクさ。さらにすごいのはラストで「実際に起こったことでもハッピーエンドになることがあるんだよ」って言うんだ。ずっと深い絶望を語ってきた映画の最後で、それを踏まえた上での希望を語っている。断固とした平和への意志が感じられる。戦争をそのまま描けば、いやピクニックのように楽しんでいる少女を通して描いても、それは反戦映画になる、という確信を監督は持っている。こういう作品を作れるのは本当の平和主義者に違いない。私は傑作の多いこの監督の作品群でも、本作と『カオス』がとりわけ好きだ。
[映画館(字幕)] 9点(2012-05-24 10:07:34)(良:2票)
665.  セーラー服と機関銃 《ネタバレ》 
『スーパーマン』のM・ブランドはしっかり浮いていたが、そこいくと我らが三国連太郎はすごい。大奮闘。ちゃんとコミック的な世界に溶け込んでいる。ああいう敵の巣窟の映画ってのが懐かしく、また廊下での撃ちあいも懐かしく、なんかそんな懐かしさに一番こころ撃たれた。長回しもたしかに面白いが、芸術上の必然性より作者が楽しんでるみたいなとこが、この監督の特徴。躍動感をそのままフィルムに封じ込めるのに成功している。薬師丸ひろ子は、新宿の高層ビル群が似合う(『翔んだカップル』もそうだった)。生活臭のないところだろうか。でも彼女自身はそう都会的って方向ではなく、そこらへんのアンバランスが魅力だったんだ。「しっかり」にちょっと「けなげ」が混ざってる感じ。いろいろと迷ったりする役より、一直線的な役のほうが合う。けっこう古風な青春像に重なっている。
[映画館(邦画)] 6点(2012-05-23 09:57:57)
666.  冬の小鳥 《ネタバレ》 
息苦しくなる映画で、この作品のトーンからすると「最後は幸せになりました」じゃなく、最後はきっと「それでも挫けずに頑張ると決意に燃えた目をするぞ」と思っていたら、ラストまで必死に状況に耐えているだけで精一杯で、そんな決意に燃えている余裕すらない。周囲に気を配り、警戒し、次に自分を待っているものの気配を感知しようとそれだけで必死。生きていくって濃縮するとこれなんだ。たしかに人生の真実が描かれてはいるが、ちょっと私には息苦しすぎた。スマイルスマイルって言われても強ばるばかり。変に印象に残っているシーンが、自殺未遂した脚の悪いお姉さんの退院後の挨拶の場。あらたまって、教会にふさわしい悔悟の言葉を連ねていると、幼い子たちからクスクス笑いが起こり、やがて照れていた本人も笑い出す。このシーンがよかった。息苦しさがフッと抜け、この施設の空気が全体として感じ取れた気になった。こういうシーンをもっと欲しかったな。一番親しかったスッキがアメリカに養子にもらわれていって本当に独りになり、スッキと一緒に弔った小鳥のように自分を埋葬してみたり、プレゼントの人形を壊したり、もう最高潮に息苦しい場が、ああいう息を抜くとこがもっとあったら、息苦しさを越えた正体を伴って立ち現われたのではないか(あのスッキっていうのがよく描けていて、主人公にとっては唯一の友だちなんだけど、ちょっと鬱陶しい感じもちゃんと表現されていた)。こぶとりじいさんの話は韓国にもあるんだな。それとも植民地時代にこっちから伝わった可能性もあるか。自分の置かれた運命の重さを次第に理解し、ただただ呆然としている主人公の雰囲気が誰かを連想させるんだが、とずっと気になってて思い出せず、床に入ってから唐突に思い当たった。皇太子さんちの愛子さんだ!
[DVD(字幕)] 6点(2012-05-22 10:04:22)
667.  ワン・フロム・ザ・ハート
これ『地獄の黙示録』の次の監督作で、意表をついたミュージカルで映画ファンを驚かせたものだった。冒頭、ネオンの裏から店の中にはいっていってテリー・ガーの鏡にまで至るワンカット。男のほうの話から女に移っていって、いろいろあってまた男に戻ってくるまでのワンカットも楽しかった。男女の歌が心理を描いていくのが義太夫を思わせ、このラブストーリーは都市生活者にとっての「民話を元にした人形浄瑠璃」を思わせられた。主人公は人形なんだから、歌わない。しかし踊りはもっと見せてもらいたかったな、彼らは操られているんだから。ま、ちょっと見せたガーのダンスのぎごちなさを思うと仕方なかったのかもしれない。シルエット・タンゴが美しい。だいたい撮影が逆光の好きなV・ストラーロで、あの人の人工光による世界では、これと『ディック・トレイシー』がとりわけ美しかった記憶。デュエットが流れているときの人物が手持ちぶさたなのに、もう一工夫ほしいところ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-21 10:20:04)
668.  ツイン・ドラゴン
映画は双子が好き。いや映画だけじゃないな、「物語」一般が双子好きなんだ。現実にも双子はあるのに、なんか物語性(非現実感)が漂う。双子が並んで立ってる図だけで、妖しさがある(たとえば『シャイニング』)。というわけでこれ、ジャッキー・チェンが双子なの。おとなしい指揮者とチンピラ的のと。ウェイターのおしりでカットを変えて、背中の衝立越しに座っている二人を交互に撮るとこなんかに、特撮よりも映画の楽しさがあった。波止場でのアクション、BGMがニセの指揮者が演奏会で演奏している曲をそのまま使ってるのがおかしい。ラストのミツビシの車の試験場でのアクションが見どころ。このころはまだ40前か。窓から車中に飛び込み、上を駆け抜け、衝突寸前で跳び上がったりと、いつもながらとは言えキビキビしている。シートベルトを着用しようという教訓つき。
[映画館(字幕)] 6点(2012-05-20 09:08:50)
669.  ゴーストライター 《ネタバレ》 
冷戦時代、西側にとって悪役は東側陣営のスパイにしとけばよく、あとはナチの残党とか「とりあえず使える公認の悪役」ってのが存在した。それが今ではCIAだ。もちろんCIAが「それほど悪くない」と思ってるわけじゃないよ。CIAの悪行抜きでは南米の歴史も書けないだろう。でもこの「とりあえず」感というか、「公認性」に寄りかかっている横着さを、こういった「CIA陰謀史観もの」に感じてしまう。本気で詰めろ、と思ってしまう。悪玉をCIAにしとけば、みな何となくそれで納得してしまう、その作る側と観る側の横着さが(自戒も込めて)気に入らない。純粋にスリラーとしても、なんか横着に作られてて、メモが手渡しされていくあたりでやっとそれらしい空気が出てきたが遅いし、スリラー演出を離れストーリーとして見ると、主人公はアホなことやっちゃったことになる。カーナビの使い方など、もっと新鮮な味が出せそうだったが、そうでもない。車で追われてフェリーに逃げ込んだつもりでいたのが…、ってところでちょっとワクワクした。車の「無表情」感が生きてる。この手の映画では、重要人物の「日常」はこんなか、と思わせるあたりに味わい。散歩してると黙ってついてくる警備とか。
[DVD(字幕)] 6点(2012-05-19 09:08:08)
670.  終電車
設定は絶妙。舞台の下に隠れる演出家、舞台の上での「恋を自覚していない者同士の恋」にいち早く気づき、自分を含めたドラマを演出していかざるを得なくなっていく、というか手に負えなくなっていく。この「恋を自覚しない者たちによって綴られるメロドラマ」という趣向がメイン。意識が、反感や無関心を装って表れるところが味わい。それが実に抑えて抑えてやってるんだよね。こちらがそれに見合うだけのデリカシーがあれば堪能できたのかもしれないが、もうちょっとワクワクさせてくれてもいいんじゃないの。設定だけに寄りかからない態度は立派でも、せっかくの設定が十分に生かされてたのかなあ。趣向が直接映画の楽しみに結びついていかないようで、なんかじれったい。とは言えこの設定は評価。
[映画館(字幕)] 6点(2012-05-18 09:53:32)
671.  フライド・グリーン・トマト
老婆の語りということで、何らかの物語的変形が加えられている可能性があるわけ。本当にあったこと・こうしてやりたかったこと・こうであるべきだったこと、が混ざりあっている妄想世界としての豊かさがある。マイブルーヘブンが流れ、完璧だった兄の死によって女の友情が代理として浮かんでくる。ただこのヒロインがあんまり魅力がないんだ。「野生児的問題児」なんだけど、生命力に欠ける。南部というとKKKが出てくるんだな。対する現代編、とりわけK・ベイツの家庭が薄っぺらで減点。ふたりのオスカー受賞作品にちょっとずつ触れるのがあちらの敬意の表わし方なんだろう。「ホラー映画のデブ女じゃないの」とか「町に車で出て行くとき…」とか。ホラ話で良かったのは「カモが飛来した日に寒くなりみな脚が凍りついてしまい、湖ごと飛び立った後に窪地が出来た」っての。
[映画館(字幕)] 6点(2012-05-17 10:24:04)
672.  ねらわれた学園(1981)
昔NHKで6時からやってた少年ドラマってのか、あれで面白かった記憶が濃厚だったので、かなりガックリした。あっちは連続ドラマだったんで、だんだんファッショになっていく怖さをやれたんだな。テレビも低予算だったんだろうが、頑張っていた。こっちも金は宣伝費に使って実質低予算だったんだろうな。ラストの対決シーンにその低予算の哀しみが漂った。あるいは新人俳優に演技指導する予算も、製作費の穴埋めに回して使ってたんだな。体育教師がこっち側につくんだけど、だいたい体育教師ってのはあっち側の人間が多いんじゃないの。って思うのは偏見か。でもこれ話の核心はいいんで、丁寧に作れば、しっかりした作品になれたんだがなあ。
[映画館(邦画)] 5点(2012-05-16 10:02:06)
673.  さらば愛しき大地 《ネタバレ》 
一度ヤクをやめようと思ったとき、家族が来て再び手を出してしまうとこ。周囲のものが「ちゃんとしてほしい」と実に控え目に望んでいるのだが、その控え目な期待が重荷になってしまう。ダンプというシェルターから出たとたん剥き出しになってしまう。ダンプがあの稲穂や森のざわめきから守ってくれていたのかも知れない(カメラの田村正毅は小川紳介作品で稲穂に熟練)。さらにヤクに溺れていく原因を消去法で詰めていくところ。子どもの死ではない、妻はしっかり生きている。家庭が悪いわけではない、弟はちゃんとやっている。性格の弱さではない、友人は溺れなかった(蟹江敬三が「みんなやってんだべ」「たいしたことないっぺ」とビクビクしながら言うとこが絶品)。最終的な結論は得られないが、この丹念な作業が、じわじわとネジを巻いていくように怖い。秋吉久美子の「何いじけてんのよ」って言葉も、煽ってくる。すべて被害妄想という一言で片づけられるものかもしれないが、ヤクとダンプに保護されずに生きていくということは、その剥き出しに放り出されることなんだ。家族とはダンプのシェルターなしで付き合わなければならない。日蝕の色調が素晴らしかった。蟹江家のびっことどもりは「金閣寺」のパロディなのかな。
[映画館(邦画)] 8点(2012-05-15 10:07:05)
674.  フランス軍中尉の女 《ネタバレ》 
なるほどなるほどと思って観ていたんだが、あとであのヒロインの心理考えてみて、イマイチ分からない。けっきょく何だ、恥で身を固めることによって世間と対決していこうとしていたってことなのか? 一種の男性恐怖症か? というより、男に対する激しい侮蔑があったってことなのか? 聡明さゆえの不幸。清冽な孤独の中で生きようとしながら、しかし科学者に恋してしまったってことなのか? と焦点を定めづらいところへもってきて、話の二重構造がまたややこしくしている。現代編と並行しているだけなら、それなりに理屈として分かる気もするが、わざわざ「19世紀編を演じている役者」という設定にしたことは、「演じる」ということが重要な意味を持ってるってことで、それがヒロインの偽の「フランス軍中尉の女」を演じ続けようとしたことと関係づけているみたいなんだけど、どうもうまく対比できなく、現代編が19世紀編に関わっていってしまう形になるから、ピタリと決まってくれないんだ。やがてノーベル賞を獲るハロルド・ピンターの脚色なんだから、こっちの読み取り力が悪い、と思ったほうがいいのかも知れないけど。
[映画館(字幕)] 6点(2012-05-14 10:53:09)
675.  死刑台のエレベーター(1958) 《ネタバレ》 
あの場所であの時間にロープで上がるのは無謀だよな。本当はもっと暗くなっているのを映画の約束事として明るく見せた、っていうんじゃなくて、だって後でもっと黄昏てからロープをしまい残しているのを外から発見するんだもん。そんなものを見ても通報しないだろう都会の無関心を考慮に入れてた、ってほどキモが太い男じゃなく、電話が鳴ってりゃ慌ててロープしまい忘れて部屋に戻るし、それを発見すりゃ車置きっ放しで駆けつけ盗まれてしまう。ここはどうしたって引っかかる。さらに言えばそのロープは、後で女の子が路上で拾うだけでおしまいってのも説明不足。あの金属性の爪の重みで自然落下してたのです、とこっちのほうで脚注をつけておきました。というわけでスリラーとしてはかなり文句がつくが、フランス人は心理ドラマのほうに重点を置いているのだろう。密閉された男と、夜の街をさすらう女の対比がたぶん監督が一番描きたかったところと見た。M・デイヴィスのジャズの効果も大きいが、この夜の描写の質感が素晴らしい。J・モローの心中の動揺を想像させつつ、冷えた夜が無表情の彼女を包み込んでいく。まるでエレベーター坑の空洞を静かに落下していく火のついた紙のよう。そしてラストのモロー。出獄時の自分の年を計算していくその愛の妄執の凄味、こういうとこになるとフランス映画の独壇場だ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-05-13 09:35:48)(良:3票)
676.  女優(1947)
終戦直後の山田五十鈴と、新劇草創期の松井須磨子とが重なった。女性解放の爆発が日本中に起こっていた当時の山田が、ちょうどこう噴火している最中だった。デモーニッシュと言ってもいいほどの、女優のバイタリティが見もの。周りの人間が実に嫌に作られている。革新的であるべき人間の集団でさえ持っている陰湿な旧弊さ。ここに新劇草創期と終戦直後が二重写しに見えてくる。抱月が死んだ後の稽古のシーンが見応えあり。彼女も周囲に劣らず嫌な女だなあと思いつつ、讃仰してしまう。列車の光がモチーフになっていた。日光の旅行を回想するシーン、画面から人物だけがすっと抜けていく効果がこんなにも美しく決まったのは、あまりない。
[映画館(邦画)] 6点(2012-05-11 09:50:54)
677.  1900年
ギリシャ悲劇から派生したようなアンゲロプロスの『アレクサンダー大王』を観た年だったので、こちらはイタリアオペラ、何かと比較してしまった。あちらが集団の力学としての歴史という視点だったのに対し、こちらはオーソドックスな個人のドラマの集積としての歴史。当然あちらのロングとこちらのアップの対比もあり、顔のアップはおのずと演技のオペラ的誇張を伴う。メリハリがつくという利点と、パターン化されるという欠点が、こちらにはあった。本作で一番生き生きしてたのは、ファシスト夫婦だったろう。逆説的に言えばこの二人が最も非政治的な存在で、オペラの悪役のような感じ。そういう大衆劇化された歴史の面白さはあったが、物足りなかったのも事実。少年時代が一番いい。地主と小作の友情ってのに無理がないし、とにかく風景が美しい。オルモが食堂でレオに呼ばれて、一族の構成員であることを確認されるシーンが特に素晴らしい。農民たちはこう団結しこう生きているのだ、って。忘れてならないのが、エンニオ・モリコーネの音楽。労働歌というか革命歌というか、そんな本来暑苦しかるべき・握り拳が似合いそうな曲想を、歴史の霧を通して一度ナマナマしさを濾過したような響きがあり、懐かしがっているように、時代遅れとなったメロディを哀惜しているように、染み入ってくる。名曲が多い彼の仕事の中でも、とりわけ忘れ難い名品だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 09:57:19)
678.  くもとちゅうりっぷ
極小のデリケートな世界に閉じ籠もり、その繊細さに心を合わせ続けることによって、心地よい緊張感が持続できるアニメ。雨やしずくや波紋など、水の描写が素晴らしい。戦争の暴威が荒れているなかで、必死にデリケートな狭い世界に閉じ籠もっている。この蜘蛛や嵐にいろんな象徴を当てはめてみることも可能だろうが(そしておそらく当局への製作理由には、それらしい意義が述べられたのだろうが)、これはおそらく現実逃避の作品だろう。戦意高揚がないのは当局への抵抗ではなく、作家の資質がこういう作品しか作れなかったのではないか。そういう状況が作家の世界をより純粋に煮詰めたということはあるかも知れない。アニメ一般としてみたとき、力作ではあるが、この繊細さは脆弱さにもつながり、もうちょっと生命力のようなものが欲しい気がする。少なくとも当時の子どもは、この狭いデリケートな世界より『桃太郎の海鷲』のほうを面白がっただろうな。
[映画館(邦画)] 7点(2012-05-09 09:34:22)
679.  秀子の車掌さん 《ネタバレ》 
これ初めて見たのが動労がやたらストをしていたころで、労働問題方面から眺めることになった。単純に資本家対労働者の図式でいくと、このころの国鉄のようにどうしようもない状態に追い込まれていっちゃうな、なんてことを思っていたときだったので、おこまさんがいろいろ工夫する楽しさを見いだしていくのが至って健全に見えた。でもけっきょく職場を能動的に楽しくするそういう工夫ってのが、最後は資本家を肥やすだけなのもこの映画のとおりなわけで、うむ、難しい問題だ、などと、詩情豊かな傑作をかなり特異な角度から眺めることになり、それはそれであとから思ってもユニークな体験だった。それだけ豊かな傑作だったということだろう。人物の描き方が一歩退いているのがよく、社長もどことなく愛嬌があり(この勝見庸太郎って、豊田四郎の『冬の宿』が記憶に残る名演だった)、作家もただの正義漢ってだけでなくヒョウヒョウとした味がある。ラスト、いざ案内をしようとするとコーラスが止まなかったり、美男の登山家がズラッとこちらを見てて照れてしまうなんてユーモアもいい。バスを停めて、下駄を履き替えに家に寄ったりするの。
[映画館(邦画)] 8点(2012-05-08 10:22:11)
680.  濹東綺譚(1992)
カツラってとこが新藤さんの解釈なんでしょうか。原作は、古風な世界にタイムスリップしたような気になるところを「綺譚」と表現したんで、断髪じゃ根本的に作品を組み替えていることになる(原作で確認しなかったけどそうだよね)。ラストの男も、ただ静かに去るんじゃなく、こっちでは嘘をつく。男と女の落差を、戦後篇で引っ繰り返していくところが、新藤さんの視点。沈潜していく男と元気になっていく女。荷風的な陰影なぞクソ食らえと、とにかく自分の世界に力業で持っていき、昭和史へ強引に引き伸ばしていく。自分の世界に持っていくのも映画作家としてアリだろうが、そこには原作との格闘があってほしい。これはただ原作の上に自分の絵の具を塗り重ねただけなんじゃないか。玉ノ井に導かれていくとこは、もっともっと時間を掛けてやってもらいたいのだが、つまりそういうところに味わいを求める映画じゃないのね。
[映画館(邦画)] 5点(2012-05-07 09:50:42)
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