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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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81.  ソーシャル・ネットワーク 《ネタバレ》 
マークの心理描写は120分中、冒頭の7分弱で終わる。その後、マークの側にいたサベリンの心理描写が克明に描かれている。「おれが最初にマークを評価したんだ、おれがマークと一緒に成功するんだ!」という彼の焦燥感が伝わってきました。それなのに双子の資産家や山師のショーンがあとからやってきて、マークという宝の山の奪い合いをはじめる。金の匂いに敏感なやつらだ。勝者は嗅覚が優れている。比喩的な表現になりますが彼ら勝ち組は、マークという名の錬金術師を見つけたのです。そして政治家顔負けの謀略を繰り広げ、そのなかでサベリンが見事に脱落してしまった。この男の孤独が痛いほどわかる・・そしてこんなときのマークの心理描写は意図的に省略されている。すなわち製作者は、マークを物質的な「金のなる木」と見立てている。それゆえに主観は極力排除されている。彼は単なる金、もしくは宝の山の象徴なのだ。この手法により「金」に群がる者たちの人間模様─、右往左往し、そして一喜一憂するヒューマンドラマを描くことに成功した。そして裁判。どんな判決が出ても、けっして勝者がいない裁判。果たしてこれは本当に成功者の物語なのか?ハーバード連中の勝ち組の物語のようにみえて一筋縄にはいかないそんな曲者ぶりがこの作品には終始漂っている。ソーシャルネットワークという事象に限らず、才能溢れる人のまわりでは、常に大金が動き、独特の嗅覚をした奴らがそこに群がってきやがる。冗談じゃない。この映画はフェイスブックだとか、起業家の実像なんていう話はどうでもよくて、宝の山に群がる人間たちの人間模様を描きたかったのだとおもう。そしてその試みはじつに見事に成功したものだと考えます。  
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-27 22:29:37)(良:3票)
82.  ブラック・スワン 《ネタバレ》 
ナタリーポートマンの簡単な経歴です。ハーバード大卒(日本で言えば東大)、テストは常に90点以上、4歳から英才教育。そして彼女が常に野心的な作品に出演し、ディカプリオ同様に悲願のオスカー獲得に執念を燃やしてきたことも周知の事実です。その点を踏まえると、白鳥の湖の主演に抜擢されることに執念を燃やす秀才バレリーナのニナは、オスカー獲得に執念を燃やす秀才女優のナタリーと見事に重なってくる。テーマは、「優等生キャラからの脱却」 すなわち秀才から黒鳥への変貌でオスカー獲得です。すべての女優は、美人であることは当然で、その上にプラスアルファー(+α)が求められている。当該+αの隠喩が黒鳥であり、女優のだれもが黒鳥を目指して演技しているのだと思う。演技力NO1の努力家バレリーナーのニナに不足しているものは、酒場で、リリーの周りに自然と男たちが集ってくるあの状況、つまり男を魅了する才能が不足していた。「魅力」は努力では克服できない。コーチはただのスケベやろうではなく、ニナに「女」になることを求めていた。彼は仕事人としては、本質を見抜く力のある優秀な男だった。しかしニナは母の作った箱の中でしか生きてこなかった、ゆえに自分を解放する術を見出すことができなかった、白鳥が限界だった、黒鳥にはなれなかった。その反動が殺意となって母親に向った。さらに秀才の主人公を襲った恐怖は、目の前に黒鳥になれる自由人のリリーが登場したことに他ならない。ちなみに母親やリリーの、主人公に対する嫉妬はありえない。それはあくまで主人公の被害妄想だと私はみる。被害妄想にとらわれた主人公は、白鳥にしかなれない自分を殺すことによって黒鳥に生まれ変わろうとしたのだ。そしてその行為そのものが悲劇を意味している。万年ノミネートどまりの秀才女優のナタリーが、ついにオスカー女優(黒鳥)に変貌した。これがナタリーのメタファーに満ちた純小説だと言われても私は驚かない。
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-04 20:23:59)(良:4票)
83.  シークレット・サンシャイン 《ネタバレ》 
神はいるのか?という叫び声が聞こえてきました。この世に神がいるならなぜ悪党の犠牲になる人がいるのか?こういうケースでは、多くの宗教の考え方は、人間の持つ業に目をつけ、かりに不幸が我が身に訪れた場合でも、これは己の業に対する神の試練だ、といって耐えることを教え諭すのです。しかし業のない子供はどうなる?すなわち罪の無い子供が殺されるという事実。これが神の御心なのか?神は罪のない人間を裁くのか?もしそんな神がいたらクソだ。その子供の死─。この事実こそが、神が存在しないことを、見事に立証しているではないか。しかしである。神がいないと、どうやって人間は善人になれる? だから宗教は生まれた。我々が万引きしないのは法律が怖いからではないのだ。それは無意識の罰を自覚しているからである。神を信じなくなれば人は欲望の権化と化す。もはやその時は法律など意味は無い。世紀末は近い。しかし、俺は無宗教だけど善人だと思うと出張する日本人よ、では君らは初詣に行って誰に祈っている?交通祈願、受験祈願しかり。人は常に祈るのだ!神と意識ないうちに神に対して。刑務所で信者になり神から赦された殺人犯─、むしろ罪を自覚した彼こそ真の信者。これに対し主人公の女性─、なぜ人は─、特に信者たちは「罪の意識」が希薄なのか?すべての人間は罪人だからこそ我々は人生の過程において罰という試練を受ける、そして己の罪を自覚し、他人の罪を受け入れる土壌ができる、その先に、汝の敵を愛せ、という赦しの思想が生じる。他人を赦すという行為は、善人が、悪人に対し、高い立場から優越感を抱いて下すものではない。同じ罪を抱える意識がなくては成立しない。酷なことを言えば主人公は被害者だからこそ罪の意識がなかった。他者に対する激しい憎みの源泉は、己の罪の希薄さを象徴している。(だからといって被害者は責められない)結論を言おう。被害者ほど信仰は不可能に等しい。反対に、犯罪者ほど、キリストの教えの本質に近づける。これが私のこの映画を観た感想でした。しかし、救いようがないようで、この映画にも救いはある。つくづく映画はラストがとても大切なのだと改めて実感させられました。まさにシークレットサンシャイン。最後は涙が止まりませんでした。
[DVD(字幕)] 9点(2011-10-12 19:53:38)
84.  ハート・ロッカー 《ネタバレ》 
あの軍曹は戦地から帰ってくれば、オーラは消え、ただの凡人になってしまう理由は、彼が簿記の資格を持っていないことや、社労士の資格を持っていないことにも少しだけ関係があるのですが、ようするに戦地では優秀な軍曹が、ネクタイをして会社に出勤すれば、年下の大卒のガキから「仕事が遅いぞ!」と叱責されてしまうわけで、つまり軍人としてのスキルは最高のものを持っているが、サラリーマンとしてのスキルは雑魚に等しいということ、それだったら、もう一度、戦地に行き、栄光の軍曹さまとして、他人に尊敬されたいと思う気持ちが芽生えるのは自然な成り行きなのですね。特にアメリカのばあい、戦地から帰ってきた退役軍人の大半が、うつ病で苦しんでいる現状があるのですから、帰還した兵士の自殺が異常に多くて、その事実を知って欲しくて私が言いたいことは「戦争が麻薬」というキャッチコピーは少し誤解されやすいと思うことです。けっして彼らは戦争がしたいわけではなく、戦争しか自分の存在意義を見出せないという社会的な問題がそこに見え隠れするのです。それからこの映画をみていて日本の神風特攻を思い出しました。「イスラムの自爆テロと、神風を一緒にするなヨ!」と思うかもしれませんが、敗者の論理など、この際どうでも良いのです。アメリカの視点では、イラクも、日本も、自爆も、神風も、クソも、全部同じであり、率直に表現すれば、それはクレイジーなのである。そういえば日本には、男はつらいよ、という映画が昔ありましたね?さしずめ、この映画は「アメリカ人はつらいよ」というニュアンスが込められていました。すべての人間は相対的な悲劇を抱えている。これが世の法則なり。最後に爆弾を抱えて出てきたイラク人、彼は被害者でしょう。むしろ善人でしょう。しかしアメリカの視点では、彼は変人扱いなのです。突然、車で侵入してきたイラク人もしかり。映像のなかでイラク人が全員テロリストに見える、それはけっして客観性を排除した手法ではなく、あくまでも、アメリカの視点にたった、アメリカ兵の、消耗しきった心理状態を表現している。アメリカの病み具合がワカリマスカ?分からない?それならそれで良いです。この映画、けっこう難しいですよ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-14 20:48:21)(良:1票)
85.  告白(2010) 《ネタバレ》 
いじめが原因で復讐する話だと思ったがすこし違った。「いじめ」とはなにか?それは憎しみで相手をいじめるのではなく、面白くて楽しいからそれを実行する。怒りながらいじめる子供などいない。笑いながらいじめるのだ。それがいじめの本質である。まだ生まれて10年足らずの子供には心に傷が少ない。だから相手の痛みなどわからない。ただひたすら「笑い」と「楽しみ」だけがすべてに優先される。その先にいじめがある。子供の持つ明るさは残酷さと表裏一体である。それに対して娘殺しの犯人は、心に傷を負った少年であり、トラウマが原因の殺人だった。「告白」で何が一番嫌悪感を感じるか?それを自覚している人はいるでしょうか?もちろん犯人の2人ではない。それはボロボロに傷ついた犯人2人と、もっと深い傷を負った女教師をとりまくまわりの生徒たちの「明るさ」なのです。中島監督の演出は抜群だった。ダンスなど子供の天真爛漫な「明るさ」を全面に打ち出すことにより、いっそう子供の残酷さを印象づけ、観客の嫌悪感を募らせていく。社会では「子供の明るさ」を無邪気だと捉える。しかし中島監督は子供の明るさを、他人の痛みに鈍感な残酷さと捉えている。それはあの熱血教師にも当てはまる。あの脳なしのクソやろう!と誰もが思ったはずだ。人間が一番嫌いな人間は、凶悪犯罪者やヤクザではない。それは偽善者だ。かりに復讐を行なう女教師の描写として、娘を見殺しにした自責の念が描かれていたらどうなる?観客はこの女教師を偽善者だと憎むでしょう。しかし女は復讐を行なう自分をまぎれもなく「悪」だと自覚していた。反対に少年犯人を「悪者」として、制裁を加える生徒たちの醜さは、罪の自覚のない偽善者としての醜さだ。彼らをみていると、「ドッグヴィル」を思い出す。中島監督とラースフォントリアー監督が重なってくる。いわゆる性悪説バンザイ映画だ。なんという醜悪な映画だろうか。じゃあ私もこのさい「告白」しておこう。こういう映画はたまらなく好きだ。松たか子も好きだ。  
[DVD(字幕)] 9点(2011-08-16 20:30:02)(良:4票)
86.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
小人の大きさが、ありんこやだんごむしとさりげなく比較されている。つまり彼女は意外と大きいのだ。残念なのは冒険をしないことです。「冒険」あってのジブリだと思う。ラストでアリ子がナマズを見て興奮するシーンがあったが、本当の冒険はそこからはじまる予感があった。如何せん90分は短すぎる。翔くんが、小人にたいして「君は滅びる運命だ」と言った言葉は、多くの観客の顰蹙を買っているようだ。しかし、私はあえて彼を擁護しよう。そもそも翔くんは口下手だ。彼の言葉を超訳すると、「君らはぼくと同じ運命なんだ」ということ。この気持ち分かる?毎日、病気で苦しい思いをして、生きることに諦観を持った少年が、滅びることを認めないアリ子に対して、「どうせ頑張ってもぼくと一緒でムリなんだよ!」という怒気も含まれている。彼はただ、怖かっただけなのだ・・。翔くんがアリ子のことを心臓の一部だと言ったのは、アリ子をすべて理解した後である。これは人間の心臓を、生きるための原動力と捉えたメタファーなのだ。また私がこの台詞を超訳しよう。「君はぼくの生きるための原動力だ」と、翔くんはアリ子にお礼を言ったのだ。小人ゆえにアリ子の動きは常に何かによじ登ったり、ジャンプしたり、ダイナミズムだ。そんなダイナミズムな動きそのものが「生」を象徴している。そして生きることに諦観を持った翔くんは、生の象徴たるアリ子の姿をて、みるみるうちに再生していく。翔くんが自暴自棄で言った台詞→君はどうせ(ぼくと一緒に)滅びるんだよ。でもこの台詞を彼が口にすることは二度とないでしょう(泣)最後はもう涙ボロボロでした。 
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2011-08-15 11:01:20)(良:1票)
87.  パーフェクト・ゲッタウェイ 《ネタバレ》 
ぎゃああ!お、面白いっ。犯人が途中で分かった人がいるみたいだけど・・もしかして天才ぢゃないですか??ワタシはさっぱりわかりませんでしたね。えぇ見事に騙されましたとも!気持ちよく騙されました。だってそうぢゃありませんか、映画のパッケージでミラが必死で逃げるシーンがあるぢゃないですか?あれでもうイチコロで騙されませんでしたか?「絶世の美女、犯人に狙われる!」 そんな感じでしょう?おそらく世界で最も華麗に走ると言われているカール・ルイスのように腕を振上げて逃げるミラの映像を見せられて、ワタシは最初からバリバリに先入観を植え付けられてしまいました。まさに監督の思う壺。ミラファンの私はこう思った。「ミラは逃げているけど、どうせ最後に犯人を倒して勝つよ、正義は勝つ!」おまえは小学生か、というぐらいに無邪気に勝手にストーリーを予想して悦に入っていた。それなのにである、あのスター俳優のミラを追い抜いて、主役になってしまう女性がいるなんて誰が思うでしょうか?しかも肉屋のバイトで、動物の死体を解体する厚化粧の女がですよ?彼女が突然善人になって、ミラから主役を奪い取るなんてそれだけで衝撃的だ。悪人だと思われている人間が善人だった、もしくは善人だと思われていた人間が悪人だったという話はドンデン返しものにはよくあるオチですが、主役だと思われていたスター俳優がじつはスペシャルゲストよろしく脇役だった!この事実に驚かずにはいられないのだ。しかもミラと言えば、ゾンビと戦うアリスのイメージが強く、世界最強の女性として君臨している女傑である。そんな彼女が肉屋のバイト女と戦って苦戦しているという事実に、背筋に鳥はだがたった。ミラが悪役だと分かってもどうしても信じたくないというジレンマ、しかもミラが弱い!ふつうの女みたいに!そういう許し難い事実に対して、知らず知らずにうちに悔し涙が・・。しかし最後に強引にミラを善人にしてしまったことに感謝したい。なにかよく分からない物語だったが、こういう映画を楽しめた自分を褒めたい!ワタシの幼い感性にバンザイ!ついでにミラ、バンザイ!  
[DVD(字幕)] 9点(2011-04-03 21:36:14)(笑:1票)
88.  つぐない 《ネタバレ》 
贖罪とは「善行を積み、自分の犯した罪を償うこと」だという。果たして彼女は、罪滅ぼしの目的で小説を書いたのか?そうではなく、「彼女は病気になり、自分の罪を忘れてしまうことを恐れた。だから小説を書き、自分が病気で忘れても、みんなに自分の罪を永遠に覚えてもらおうとおもった」という意見もありますが、つまり、罪滅ぼしではなく、罪を刻むための小説だったと─。分かる気がする。彼女は最初から赦しなど期待していなかったと思う。これは特定の1人の女性の罪を描いた物語ではなく、我々を含めた人間のあるべき姿を描いていた物語だとおもう。この物語の本質は、自覚した罪は赦してもらうものではなく、その罪は背負って生きていくべきという思想が前提にある。すなわち宗教的なメッセージが込められていた。従って「小説なんてつぐないになっていない」だとか反対に「つぐなった」という見方は、限りなくピント外れだと考える。妹が罪(十字架)を最後まで背負い続けるには、記憶を失う前に、あの小説を完成させる必要があった。彼女の優しさは、罪を自覚した人特有の、弱者に対する共感なのである。一番心が痛かったのは、彼女はキーラ姉さんの愛したバカ男を、自分も愛していたこと。彼女の愛し方は限りなく不器用だった。自殺に近い。池に飛び込むという愚かな行為で表現してしまった。「命の恩人です」という言葉が痛々しい。そのせいで愛するバカ男を怒らせてしまった。彼女の人生はウソではじまり、そして最後には、死んだ2人を、小説の中で救うというウソで幕を閉じることになる。映像の美しさがかえって理不尽に感じてしまうくらいに、ひたすら切なかった・・。
[DVD(字幕)] 9点(2011-03-27 23:37:27)(良:3票)
89.  エスター 《ネタバレ》 
マックスが信じられないほどかわいい。姉のエスターと妹のマックスと対比させることによりエスターの存在感が浮き上がってくる感じだった。つまり主役の悪魔を目立たせたいならば、まずは天使を目立たせる手法が効果的になる。もちろんマックスは天使でエスターは悪魔。しかし悪魔の化身と言われるエスターだが本当はかわいそうな女性だと思う。不倫大好きのあのエロ夫でさえ、エスターを「女」としてみようとしない。それは当然のことではあるが、しかし大人の女性にとってこれほどの孤独はないはずです。だったらエスターは自ら「私は今年で33歳なのよ、独身で恋人募集中よ、よろしくね」と言えばよかったのか?そんなことをすればますます世間の好奇の目に晒されてしまう。エスターはたしかに悪人でしょう。しかし彼女はただ愛されたかっただけなのだと思う。ホルモン異常のせいで、絶望し、怒りにかられ、何もかも壊してしまう。その繰り返しがエスターの人生であった。私はそう思う。彼女が号泣するシーンをみて、「怖かった」で終わらせてしまう人が大半ではないだろうか。しかしなぜ彼女は泣かずにはいられなかったのか考えた人はいるだろうか?そこに気がつけばさらにヒューマニズムの見地からエスターを見ることができるのです。あのイライラするほど頭の回転が鈍くてセックスばかりしたがるエロ夫が爽快にぶっ殺されたとき、思わずエスターに向かって「グッジョブ!グッジョブ!!」と連呼して叫んでいた。母親のほうは同情できる。彼女はもともとアル中で、世間ではダメママと言われる部類だろう。その過去があるからエロ夫から「離婚して子供をひきとるぞ」と脅されてしまう。エロ夫よ、おまえはエスターの策略にサクサクはまり過ぎだ。ばか者が。しかしこの母親、土壇場になって、我が子を助けるために天窓を自ら突き破って落下するのだ。子を想う母親の命がけのそのシーンをみて、私は心の底から感動した。ラストはハッピーエンドだと思う。これで親子3人、水入らずに暮らせます。エロ夫はどうか安からに地獄に堕ちてくれ。今度生まれ変わったらエスターは普通の女性となって、普通の恋ができるだろうか?そんなことを考えていると・・・やはり切なくなってくる。ちょっぴり泣きました。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-15 20:50:45)(良:1票)
90.  インセプション 《ネタバレ》 
心地良いほど意味不明でかえって感動した。つまり「キック」とは、夢世界ではその対象者が受動的な立場にあるから必要となるわけだ。ありがとうと言って監督にキックを食らわせたい気持ちだ。ただし、意味が分からなくてもこの作品はフィーリングで楽しめてしまう。まずディカプリオが集めたチームは知的でカッコイイ。しかもイケメンだ。チームの要になる建築士は、もちろん一級建築士ではなくて、夢建築士のことだ。あの才気溢れる女優エレンペイジが夢を設計する!もうこのアイデアだけでワクワクしてくる。空から道路が落ちてくるようなシーンはやはり圧巻だ。こういう頭の良さそうな連中が、キックの連鎖における上階層でのキックの定義およびその虚無に関する現階層での扱いについて、意味のワカラナイことをほざいていても、つい知的なルックスにのまれて、説得力があることを言っているように聞こえてくる。見終えたあとも、キック、虚無、3階層、キック、虚無、3階層!とそんな言葉をぶつぶつ言ってる自分がいる。不思議なことに意味が分からないのになぜかすべてワカッタ気になってしまう。でも私は本当に理解したのだろうか?それとも私は本当にこの映画を観たのだろうか?まだ映画館の中で眠っているのはないか?もしかして今レビューを書いているつもりでいるけど、現実にかえったらもう一度レビューを書かなくてはいけないのではないだろうか。そうだとイヤだな・・。せっかくの力作レビューなのに(わらう)とりあえず、ディカプリオがインセプションされているだとか、いやそうじゃないワタベネの夢物語だとか、いろいろな解釈があるだろうが、じつは観客がインセプションさせられていたと考えるのが一番しっくりくる。さあみんなで叫ぼう。キック!虚無!三階層!これは面白い。こんな斬新な娯楽映画久しぶりにみた。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-03 19:40:13)
91.  ラースと、その彼女 《ネタバレ》 
体が傷ついて血が出ればすぐ気がつくので治療できる。しかし心が傷ついた場合、気がつかないことが多い。そしてその傷は長い年月を経て、突然本人に異変を与える。これをトラウマと言います。ラースのトラウマは、母親の死や、兄の家出、父の人間嫌いなどが遠因に挙げられる。彼のトラウマが突然発症した原因は、数人のレビューワーさんたちが指摘する通り、兄嫁の妊娠により、出産で死んだ母を思い出したからだと考えます。そういう意味ではラースの妄想は笑い事どころか、目を覆いたくなるほど痛々しい。表面的にはコメディに見えますが、実は心が壊れてしまった1人の男性が再生するまでを描いたヒューマン映画なのです。ラースには同僚の女性や兄嫁のように好きな人がいました。しかし好きな相手がそばに寄ってくると彼は逃げる必要がありました。彼が他人から体を触られると痛みを覚える理由は、肉体がラースに対して警告を発しているからです。「気をつけろ、またお前は、お前を愛するすべての人々から傷つけられるぞ」という警告です。もう二度と傷つきたくないという思いがそうさせたのです。心の傷は必ずこのように肉体に表れます。もはや人に触れることさえできない彼が愛することができる人間はこの世にいなかった─。人形ならば愛しても傷つけられない。抱きしめても痛みを感じない。こうして「ビアンカ」は生まれるべくして生まれたわけです。皮肉なことに兄嫁の深い愛情から逃れるために、ラースはどんどん追い詰められたのでした。ラースの壊れっぷりは凄まじい。そんな彼を周りのみんなが必死になって助けようとする様子は現実では中々見られない。あのボーリングのシーンで突然乱入してきた男たちは、通常だと「お約束ごと」のように、いじめっ子役だ。それがリアルだと言われる。しかし単に現実を知りたいならば新聞で間に合う。映画は現実をなぞるだけのものではない事をこの作品は教えてくれる。「ビアンカ」に生気を吹き込んだのは、まさにラースを愛する周りの人々たちの勇気でした。稀に見る斬新なアイデアを見事に活かした傑作です。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-04-26 20:26:34)(良:1票)
92.  ブラインドネス 《ネタバレ》 
収容所で権力を握る悪のボスが「女どもよ、ハダカになれ。セックスさせろ」となんて言い出したら、さっさとその要求に従う女性たち。目の見えるジュリアンは、盲目の世界では神に等しい能力を持っている。それなのに先頭にたって、まっぱになってしまう。さすが一流の女優だと言いたいところですが、最初からおっぱいありきだ。体当たりの演技=主演女優賞の魂胆が透けてきて、そっちのほうがいやらしい。けっきょく彼女はボスを爽快にぶち殺す。遅いヨ。盲目の世界が生まれたことによって、1人の女性が突然スーパーマンになるという設定はすごく面白いと思いますが、彼女が盲目の連中と鬼ごっこして捕まってしまうなど、その万能の力をいかしきれていない箇所が多くみられ、それが少しもどかしい。しかし作品じたいは暗示に満ちていて秀逸。私たちはお金がないだとか、残業がきついだとか、夫の息が臭いだとか、そんなつまらないことで不満ばかり言う。そして今自分が持っているものに感謝できません。耳が聞こえること、目が見えること、そんな何でもない当たり前のことに感謝の念を持つことがいかに大切か、この映画を通して実感できるはずです。神さまにお願いごとばかりして、神さまに感謝できない人間たち。「生かされている」という思いが希薄な証拠です。天気予報で雨だったらそれだけで文句を言う人も多い。天気の文句を言うのは、神さま批判と一緒なのです。ラストで雨が降る。それに対して大げさなぐらいに歓喜する人々。じつはこのシーンに大きな意味がありました。あれは私たちが神から受けている恩恵に気がついた瞬間なのです。そのおかげで失明は回復した。それでも何かを失ってから初めて自分たちが受けている恩恵に気がつく愚かさ。そういう浅はかな人間に対する警鐘が、この作品には込められていると思いました。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-03-14 01:34:03)
93.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 
物語は終始一貫してミステリー風に進みますが、全問正解の謎など最初からなかったという挑発的な大どんでん返しに驚きました。スラム育ち全員が雑学王じゃあるまいし、運じゃなくて運命なんですか?宝くじのキャッチコピーみたいですね。ラストに関しては「億万長者にならなくてもいいのに」と思った人が多かったのでは?私たちは生きていく過程で「人生にはお金よりも大切なものがある」というメッセージを植えつけさせられます。分かりますか?監督は人生の普遍的な哲学を逆手にとったのです。つまり不正解になって大金が手に入らなくても、愛する彼女と結ばれて、真の幸せを掴む─。そういうラストを観客に思い描かせようとしていた。このカモフラージュのおかげで私自身、彼が最終問題を正解するかどうか、まったく読めなかった。ラストが予想できなかったからこそ、あの緊張感が生まれたのです。うまい。それから、「国民の生活が第一」とのたまいながら私腹を肥やす小沢一郎のように偽善的な司会者。そのいやらしい演技はクソがつくほど抜群でした。主人公が正解を連発すると観客は狂喜し、笑顔のひきつった司会者は「おまえ、このへんにしておけよ」とささやく。負け組みのおまえが勝ち組の中に入ってくるなよ、という意味です。スポットライトに照らされた華やかなテレビ番組と対比して映し出されるウンコまみれのガキと小汚いスラム街。2つの世界がめまぐるしく交錯する映像は一流の芸術作品に価する。彼が全問正解したとき、2つの世界を隔てる壁は瓦解する。大金を手に入れるという事実は表面的な事実に過ぎない。これは脱出の物語。じつはクイズ番組は刑務所のメタファーになっているのです。司会者は牢番。無実の囚人の脱出を阻む存在。だから悪の象徴なのです。現状に閉塞感を抱いている観客は、主人公とヒロインが、貧困という名の刑務所から脱出する様子を固唾を飲んで見守っている。自分自身がうまくいかない現状から抜け出したいからです。そして彼らの痛快な脱出劇の成功に、己の姿を投影させ、爽快感を爆発させる。ラストシーンの駅内で踊り狂う2人。彼らが脱出したことを証明するかのようにゆっくりと列車が動き出す。おみごと。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-02-23 20:17:39)(良:1票)
94.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 
そろそろ広末さんの女優としての力量を認めても良い頃だと思いませんか?タイタニック時代のケイト・ウィンスレットも最初は観客から批判されていましたが、今では誰もが認める大女優になった。女優広末の「個性」は、ケイトと非常に似ている。彼女は観客の好奇の眼に晒されながらも、それを呑みこみ、どんどん大きく成長している。本作品の見所は、一流の女優同士の共演にあります。そして実力どおりの、いやそれ以上の力のこもった演技を魅せてくれました。石川県民の1人として深く感謝いたします。広末、中谷、木村、まさにこの3人の名女優たちは日本の財産です。ところで石川には金沢と能登というまったく性質の違う2つの土地があります。金沢は言わずと知れた百万石の聖地ですが、能登は暗いイメージがある。海面から漂う不気味な光は、人を死に誘うと表現した芥川賞作家もいました。日本海は常に不機嫌で、すきさえあれば、人を海の中に引きこもうと、虎視眈々と狙っている。「ゼロの焦点」というタイトルは、光り輝いているのに心の内部に暗さを隠し持った人間の内情を意味しており、そのなかで金沢と能登は光と影の暗示として表現されているのです。そして能登がなにゆえに、日本文学の舞台として、多くの純文学の作家たちから愛されてきたのかといえば、人の暗部を描くとき、能登はメタファーそのものになるからです。断崖を突き抜ける極寒の強風、敵意を持った冷たい日本海、漆黒の闇夜から聞こえてくるさざなみの唄、風光明媚な孤高の漁村。1000の言葉を駆使するよりも、彼らを能登という舞台に立たせ、そして歩かせるだけで、それぞれの登場人物が抱える心の暗部が見えてくる。スバラシイ。単純な娯楽映画には決してみられないこの表現力、この世界観、これぞ純文学、これぞ芸術、これぞ映画の本質、見事としか言いようがない。映画史上稀に見る秀逸な世界観を作り出したことを高く評価したい。私は本作品が世界に向けて発信する日本の代表作品になっても決して驚かない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-12-23 21:31:25)(良:3票)
95.  ツォツィ 《ネタバレ》 
人間性について考えさせられました。私は真面目な経理マンだし、ゴールド免許ももっているし、当然のことながら、殺人も犯罪も無縁に生きてきました。しかしどうしても赤ん坊が生理的に嫌いです。こいつらは気が狂ったように夜中に泣き喚くし、ウンコもしょんべんも垂れ流しだし、かといって、ペットのように外に放置しておいたら警察に逮捕されてしまうし、こんな世話のかかる知能指数の低い動物のどこがかわいいのだろうかと、つくづく思ってしまう。そんな私は霞ヶ関の官僚のように血が通っていない冷血人間なのでしょうか?反対に強盗も殺人も平気で行なうツォツイは、赤ん坊によって心が癒されていく。彼の優しいまなざしを見ていると、この殺人者と私は、どっちが「まともな人間」なのだろうかと考えてしまう。むしろ人間性を喪失しているのは私ではないだろうか?自問自答せずにはいられなかった。もし仮に私が末期がんになって、その上会社をリストラされたらたちまち虚無主義に陥って醜い本性を晒すでしょう。だから私は私のために性悪説を信じることにしている。人間なんてしょせん善人の皮をかぶった悪党だと叫びたい。常に綺羅を飾って生きてきた私の内面は限りなくどす黒い。しかしこの映画は私の内面の考えとは根本的に逆だ。どんな悪党でも根は善人であると臆面もなく、旗幟鮮明に宣言している。こういうとき、私はあえて反論はしない。素直に感動して涙を流せる人間だからだ。ツォツイが赤ん坊と接してやさしい心を取り戻したのと同様に、私もやさしい映画に接していると、恥ずかしげもなく、自分が善人に生まれ変わったような気がしてくる。エンディングは2種類あるという。殺人をおかした主人公が死ぬパターンと、死なないパターン。前者のラストを採用したら、南アフリカ社会における底辺の悲惨な現状を伝える映画になるし、後者だったら、人は再生することができるというメッセージになる。善人が悪人にチェンジすること、悪人が善人にチェンジすること。それはとてつもなく難しいことではなく、ほんのささいなきっかけで実現する。罪に対する罰の是非はともかく、そんな事実を改めて実感することができる良質なヒューマンドラマでした。 
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-15 20:57:07)
96.  ハイスクール・ミュージカル<TVM> 《ネタバレ》 
「おまえはおまえのしたいことをしろ」というメッセージがガンガン胸に響いてきます。自分らしさとなんでしょうか?考えたことはありますか?この映画は自分らしさとはなんなのかを再確認させてくれます。「歌を歌うのはおまえらしくないぞ」と周りから言われ続けた主人公を見ていると、人は誰もが他人の評価を気にして生きていることを実感します。これは簡単にいえばバスケの天才男と、数学の天才女というまったく違う世界に住む男女の恋愛ものです。今までずっと王道を歩いてきた2人は、歌という「邪道」を突き進む。これはいわゆるカミングアウトの物語でもあります。歌を歌う奴はゲイだ。歌を歌う奴は変態だ。そう言われるのは心外ですがこの作品では歌はカミングアウトの象徴として描かれていました。ですから歌はあくまでもこの映画の中では道を踏み外した人間の象徴として描かれているのでした。歴史に残るとまで言われたあの有名な「バスケットミュージカル」の場面は是非みてほしい。歌という邪道に目覚めた2人。しかし周りの取り巻き立ちは許さない。「歌?そんなのおまえらしない」「歌だって?おまえ、自分の輝かしい人生を棒にふるきか?」そういって歌の道に進ませようとしない友達たち。しまいには2人の恋愛を邪魔しようとする。はらはらどきどき・・。い、いったい結末はどうなるのだろうか??歌を諦めちゃうの??2人は別れちゃうの??も、ち、ろ、ん、100%予定調和!!だってディズニーだもんっっ! あーしあわせ~。
[DVD(字幕)] 9点(2009-08-15 20:00:39)
97.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
生きる技術を教えますという感じの映画でした。観ればきっと苦境から脱出するヒントを見つけることができるでしょう。夫は負け組みの亭主です。優しい男なのかもしれませんが、貧乏のオーラが体から漂っていました。まるで貧乏神の化身。まさに甲斐性の無い夫の象徴でした。こういう男の妻にだけはなりたくない。しかし世の中には、DV夫や、ギャンブル狂の夫が星の数ほど存在し、妻を苦しめています。それに比べたら、屁のツッパリでもないかもしれません。妻は家庭内で暴力をふるわれたり、社内でセクハラを受けていたわけではありません。しかし彼女がだんだん傷ついて壊れていく様子が、丁重に描かれており、うつに陥る人のことがよくわかりました。人によってはこの程度の不幸だったら、もっとがんばりなさい、と言うかもしれません。しかし借金地獄だったら納得できるのでしょうか。地雷で足を失えばいいのでしょうか?エイズを抱えて生きている人が本当の不幸を抱えているのでしょうか。人が感じる不幸というのは相対的だと思います。人生は素晴らしいとよく言われますが、あれは半分は嘘です。人生の本質はつらいのです。そういう前提で、先の見えない海の向こうを泳ぐときのように、人生を完走しなくてはいけません。それは簡単ではありません。生きる技術が必要です。ヘタレ亭主でもたまには名言を吐くようです。「おまえはみんなに好かれようとするからだめになる」 ・・・・。妻のように、ちょっと自分を否定されたら、すぐに落ち込む人は多い。こういうときは我が国の総理大臣を見習ってください。政治家というのは、選挙で当選して政治家になります。しかし誰1人として、満票で当選した人はいません。全員から好かれることは不可能なのです。必ず自分の存在を否定する他人が存在します。だからムリに人間関係を修復しようと、もがくのではなく、そういう事実を受け入れたうえで、自分を信頼してくれる人を大切にしたほうがいいですね。法廷を通して、人と人との関係性を丁重に描いたヒューマンドラマでした。  
[DVD(字幕)] 9点(2009-05-15 21:42:00)(良:2票)
98.  その名にちなんで 《ネタバレ》 
原題は「名をもらった人」という意味なので、名を授けた父親が核になっているのは確かだが、母親のアシマの圧倒的な存在感の前に、この男がかすんで見える。一般的にも母親の愛情表現は、不器用な父親の愛情表現をはるかに上回る。従ってあくまでも一般論だが、父親が母親よりも子供から愛情を勝ち取ることは不可能に近い。そういう意味では、男は寂しい生き物だと思う。ただし親の愛情というのは、子供から愛情の見返りを求めるものではない。ここが「恋愛」と「親の愛」の大きな違いである。あの金髪の恋人は、愛情の見返りを求めた。恋人ならば、それは当然だといえる。しかし親の愛情はいつも無償だ。その無償の愛情をもらう子供のほうは、大抵の場合、それほど親に感謝しているわけではない。母が息子の誕生日の日に電話しても、息子へはつながらない─。それでも母親は受話器に向って「ハッピーバースデー」とささやく。泣けてくる。親の愛情は、ただひたすら純粋である。「親の気持ち、子知らず」たしかにその通り。子供が親と真剣に向き合うのは、極端なことを言えば、親が死んでからだ。多くの人間は、失ってから、失ったものの大きさを実感する。ガンジス河で遺灰を流している傍ら、子供たちが水遊びをしている神秘的なシーンがある。日本では「死」は不衛生であり、また不吉であり、遠ざけておくものだという考えがあるが、インドでは違う。あの国では「死」は、常に身近にある。インドの魅力を語ればきりがない。「枕と毛布をもって旅に出ろ、世界を見ろ」列車内で男はこう言った。自分の国を知るために、世界を知れ、という逆説的な意味として捉えることもできる。自国から出たことがない者は、自分が何者であるかという当然の認識さえ持てなくなる。自分が何者で、どんな文化の中で暮らしているのかを実感するためには、その中から抜け出すしかない。例えば日本という国を、日本人が実感するのは、日本を離れたときに違いない。この物語は、インドで暮らすインド人が作ったものではない。外国育ちのインド人の自伝要素が反映された物語だ。従って、余計にインドの文化に対する並々ならぬ矜持を感じ取ることができる。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 21:51:25)(良:1票)
99.  エディット・ピアフ~愛の讃歌~ 《ネタバレ》 
「歌」というのは単に歌うのがうまいから評価されるということはない。その反対に歌が下手だから評価されないということもありえない。「歌」はきわめて主観的な評価により決定されるものであり、つまり歌う人物が好きか嫌いかによって決まるといっても言い過ぎではありません。ピアフは歌がうまかった。しかし実はそんなことは歌手としての評価にあまり関係がないのです。ピアフがこれほどまでにフランスで愛された理由はひとえに彼女の人格に共感する人が多かったからなのです。それにしてもマリオン・コティヤールです。別映画に主演しているときの彼女はモデルのように身長が高い肉感的な女性だと思っていましたが、身長を調べてみるとやはり170センチ近くもある。ちなみに和田アキ子は174センチ。いずれにせよそんな大柄な女性が身長142センチの子すずめを演じきるというのはやはり尋常なことではない。俳優が役作りのために体重をコントロールする話はよく聞きますが、さすがに身長はむり。しかし彼女は小さく見えました。これが「演じる」ということです。ようやくマリオンが主演女優賞を獲得できた理由が理解できました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-03-06 23:13:00)(良:1票)
100.  アンフィニッシュ・ライフ 《ネタバレ》 
テーマは「赦し」です。一匹の凶暴なクマをとおして、「赦す」ことの意味を問いかけています。熊は好きで人間を襲うのではない、そもそも人間が熊の住む場所を奪っているという事実がある。ある日ミッチを半殺しにしたクマが捕獲される。もし日本だったらすぐに殺される運命でしょうが、本作の舞台であるワイオミング州では動物と人間の「共生」の思想が根付いている。動植物たちの住処を荒らすことなく、自然の摂理に任せて暮らしている。ここを訪れたら、私たち現代人が、失った多くのものを感じ取ることができるでしょう。ミッチが自分を襲ったクマを動物園からこっそり逃がしてくれ、と言った理由は、アイナーに「赦す」ことの意味を教えたかったから。アイナーと孫娘が命がけでクマを逃がしたまでは良かったのですが、クマは逃亡中にミッチとばったり出会う。笑う場面じゃありませんがつい笑ってしまった。自分が逃がしたクマに二度もフルボッコにされたら笑い話にもなりませんね。ミッチとクマのにらみ合いは圧巻でした。素直に感動しました。この「クマさん効果」もあって、ガンコオヤジのアイナーは自分の息子を死なせたジーンを憎んでいましたが、徐々に変化していく。そして彼女の娘(孫娘)と接していくうちに凍った心が氷解していく。1ヶ月の滞在だったはずが、「娘を学校に通わせたい」とまで言うようになる。この話は「赦す」ことだけがテーマじゃない。誰かを赦し、赦したことによって自分自身が救われる物語だ。ワイオミング州の「動物と人間の共生」という精神を背景に、赦した相手との「共生」が描かれている。それから私はあえてここで有名俳優たちの名前を出しませんでした。なぜならアイナー、ミッチ、ジーンという3人の「役名」のみが脳裏に浮かんできたからです。まるで3人が実物の人間であるかのように自然でした。物語のなかで俳優の名前を観客に感じさせない名演技を久しぶりに堪能しました
[DVD(字幕)] 9点(2008-11-18 23:36:14)(良:1票)
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