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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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81.  そして父になる
スピルバーグが惚れ込むのもよく頷ける、父と子のドラマである。 映画祭での評価は、勿論そんなテーマがどうのこうのといったものではあるまい。 テーマなら小説ででも語ればよいのだから。  デジタルカメラの再生画像を見る福山雅治の横顔。 その頬を涙が伝っているのか、いないのか、微妙な自然光の加減が素晴らしい。  列車の座席で二宮慶多に「どこかに行っちゃおうか」と語りかける尾野真千子の横顔。 ふと影が差し込み、画面は暗転。その表情は判然とせず、 彼女の思いつめているだろう輪郭だけがうっすらと浮かびあがる明暗が素晴らしい。  スピルバーグはこの慎ましくも豊かな光の表現に触発されたはずだ。  リリー・フランキー、真木よう子が子供たちと触れ合う身体表現もいい。 河原で尾野の肩をやさしく抱き、勝手口の上がり框で二宮を抱きしめてやる真木。 その相手を受け入れる手の動きが、そしてそれに応える二人の手のリアクションが 豊かな表情となっている。  黄升炫が詫びながら顔を覆う手のいじらしさも忘れられない。  
[映画館(邦画)] 8点(2013-10-09 22:48:26)
82.  真夏の方程式 《ネタバレ》 
原作では海辺が舞台となる謎解きシーンは、映画では取調べ室に置き換えられる。  本来なら、その後に続く杏と風吹ジュンの面会シーンのようなセットとしたほうが いかにも現実的で「ツッコまれ」ないだろうが、映画はあの部屋を要請する。  劇中で幾度も変奏されてきた反射装置の極め付けと云うべきミラーガラスが そこにあるからに他ならない。  この1枚の仕切りを介した視線の劇が、 『パリ、テキサス』とはまた別種の形容し難い情感を生む。  母娘の正対する面会シーンもまた、仕切りを介して現在と過去を交錯させる。  息せき切って走る、フラッシュバックの中の娘。 揺れる水面上で、マジックミラーの背後で、喘ぐように嗚咽する現在の娘。 女優の呼吸が、ヒロインのキャラクターに文字通り生を吹き込んでいる。  そして疑似父子としての福山雅治と山崎光が 幾度もロケット実験を繰り返すシーンの清々しさは、その放物線の美しさと共に 『父ありき』の川釣りのシーンにこじつけたくもなる。  二人が横並びで座る駅舎のベンチシーン。 福山の誠実な語りの響きがいい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-07-02 23:17:58)
83.  桜並木の満開の下に
パンフレットの佐々木敦氏の批評を読むまでもなく、成瀬の『乱れ雲』とすぐ気づく。  三浦貴大の差し出す現金入りの封筒を幾度も幾度も叩き続けた臼田あさ美の手。 その彼女の手が、ラストの駅のホームで横に並んだ三浦の手をしっかりと握る。  そこには病床の加山雄三の手を握りしめる司葉子の手の記憶があると共に、 『百年恋歌』(恋愛の夢篇)での結ばれる手のイメージも重なって感動を増す。  地元PRありきの企画ながら、ドラマティックな物語とロケーションが見事に 融合しており、観光スポットを変に浮き上がらせるような愚も回避している。  焚火の灯りが映える夜の浜辺。 縦の構図を活かした、年季の入った工場内の風情。 艶やかな夜の駅のホーム。 それぞれの画面が低予算などまるで感じさせない出来だ。  その情景の中で震災後を生きる臼田あさ美、三浦貴大の佇まいもまた素晴らしい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-06-26 22:47:24)
84.  ファウスト(2011) 《ネタバレ》 
つきまとい、つきまとわれ、顔を接さんばかりに寄せ合い、問答する登場人物たち。 スタンダードサイズの画面の中、歪曲のエフェクトと共に その過剰なまでに詰まった人物間の距離が息詰まるような緊迫感を醸す。  猥雑かつ殺伐としたイメージ群の中、 マルガレーテ(イゾルダ・ディシャウク)の清楚さが文字通り輝く。  教会内のシーンの厳かな光。 ファウスト(ヨハネス・ツァイラー)に真相を問わんとする彼女の 複雑で繊細な表情を包む光芒。そして雷光が劇的だ。  湖畔に一人佇む彼女がファウストを振り返る、その一瞬の表情の印象深さ。  そのまま二人がグリーンの湖中へと沈んでゆく、その静かな波紋の広がりの清冽。  ラストの峻厳なロケーションもまた素晴らしい。 
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-05-31 23:58:15)
85.  舟を編む
宮崎あおいの「上で食べよう。」のシーンから、十二年後のシーンへ転換する鮮やかさ。 のちに登場する「香具矢さんは馬締さんの配偶者なの」といった台詞の妙が 石井監督らしくて面白い。  または、加藤剛の死去の場面。 病院の廊下に立ち尽くす松田龍平の横顔から、喪服姿の松田・宮崎が傘を差しながら 坂道を登ってくるロングショットへと画面は転換する。 そして二人が蕎麦を一口すする静かな食卓のショットが窓の雪を映し出す。 そのカメラワークが情感に溢れ、素晴らしい。  この手の物語でありがちなパターンである、 結婚式やら恩師の死やらの劇的イベントに時間を割いて感傷的に盛り上げるといった 媚びになるシーンをことごとく割愛してみせる節度ある姿勢に 非常に好感を持つ。  酒を飲めなかった黒木華が、ビールを一気に飲み干す。 吃音っていた松田龍平が、自然に仲間たちと会話を交わし、チームを統率する。 ツマを盛りつけていた宮崎あおいが、凛とした立ち姿で主菜をふるまっている。 外見の変化だけに頼ることなく、具体的な行動の変化によって 時の流れと人の成長を描く。そうした演出方法も真っ当だ。  ほぼ全てのキャラクターが善良すぎる点は玉に瑕だが、 オダギリジョー、小林薫、伊佐山ひろ子などなど、いずれの配役も味がある。 書物の積み重なる編集部や下宿の内装美術も相当に凝っており、素晴らしい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-04-18 23:58:22)
86.  オズ/はじまりの戦い
2D版を鑑賞。  噴煙の中に浮かび上がる『イングロリアス・バスターズ』のような映画内映画。 『蜘蛛巣城』のように、白霧と共に押し寄せてくる軍隊の影。 枯葉の落下や草の揺れなど細やかな動きに満ちた、高精細に造形された森の美術。 これらの立体的イメージはぜひ3D版で味わいたかった。  映画こそ魔法。その主題が声高でないところが好ましい。  透過光と火炎を派手に使った魔法合戦もよいが、マリオネットのレトロな味わいを残す 陶器の少女の愛くるしい仕草も絶品である。  あるいは幻燈のキスや、シルエットによるメタモルフォーゼなど、 簡素で古典的で不可視の表現ほど観客の想像を掻き立て、 画面に引き込む事も弁えているようだ。  暴力と正義のテーマ性を含ませたドラマだても『スパイダーマン』の監督らしく、 ラストの魔女同士の対決なども、地味ながらサム・ライミらしさがあっていい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-04-15 23:56:44)
87.  ジャンゴ 繋がれざる者 《ネタバレ》 
ロバート・リチャードソンによる、ライトの強弱を極端につけた メリハリのある画面が西部劇によくはまっている。  会食シーンの張りつめた緊張感も、このライティングあってのものと云っていい。  松明の並ぶ夜襲場面の斜面のスケール感や、 バウンティ・ハンター:ジェイミー・フォックスの初仕事となる場面の 崖上からの俯瞰ショット。 または玄関口を見下ろすレオナルド・ディカプリオ邸の広間など、 高低を活かした空間処理が随所でドラマティックな効果をあげている。  ポイントを押さえた高速度撮影ショットのケレン味も、アップとロングの配分も、 作品トータルのドラマツルギーも、ジャンルのルールに忠実すぎるほど忠実であり、 その安定感こそ逆に不満要素かも知れない。  イーストウッド後では、本来タメとなるべきヒーロー&ヒロインの身体的被虐シーンも まるで物足りなく映ってしまう。  逆に、フォックスとクリストフ・ヴァルツが作中で二重の芝居を貫くために ポーカーフェイスを己に課す、その冷静を装う表情と内なる怒りのせめぎ合いが呼び込む 映画のエモーションこそ強烈だ。  上に並べた映画テクニックの巧さより何より、そこが本作の要だ。  あくまでクールな素振りと表情のまま、臨界点を超え 復讐のアクションに突入していく二人の姿に揺さぶられる。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-03-23 23:19:00)
88.  横道世之介
いきなり洗車中のフロントガラスだとか、いきなり漁師の顔のアップだとか、 意表を衝くシーンの繋ぎを用い、 それをそのまま意欲的な長回しに移行させて映画を持続させていく面白さがある。  その上、不意に時制の飛躍も織り交ぜて観客を映画に引き込んでくるので、 長丁場も飽きさせない。  明らかに撮影中のアクシデントと思しき出来事を そのままアドリブで活かして成立させている長回しショットの数々も、 作り手たちが映画を楽しんでいる事を伝えてくる。  真っさらな白い雪に足跡を刻印しながらはしゃぎ、 静かにキスをする高良健吾と吉高由里子。 そんな二人を見守りながら真上へと上昇していく、 まさに一発勝負のクレーンショットが見事に決まっている。  そうしたロングテイクにこだわり単調な切返しショットを極力制限していることで、 「祥子」「世之介」と楽し気に呼び合う二人の正対した切返しショットが 強さを増して迫ってくる。 その吉高の幸福な表情が、 カーテンにくるまって恥じらう彼女の愛らしさと併せて、素晴らしい。  『南極料理人』の監督らしい食事シーンの数々 (ステーキをバーガー風にしてパクつく吉高、 飄々とスイカにかぶりつく高良、 味気なさそうなカロリーメイトに長崎の豪勢な食卓など、、) も充実しており楽しい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-03-11 23:39:49)
89.  グッモーエビアン!
楽しい食事シーンを持つ映画には無条件に魅了されてしまう。  物語と離れて、演技に拠らない素の「食べる」表情が キャラクターの人間的な魅力を増すのだと思う。  この映画も、カレーや焼き鳥や団子やクレープや目玉焼きを美味しそうに食べ、 ビールを幸せそうに飲む麻生久美子・大泉洋・三吉彩花らの家族の姿がより一層、 好感度を増す。  普通なら欠点ともなる俳優のクロースアップもさして苦にならないどころか、 俳優の表情に対するカメラマンの惚れ具合までが伝わってきて心地いい。  その極めつけが、ラストでストップモーションとなる三人の 「美味しい」笑顔の素晴らしさだろう。  ご当地映画ながら、商店街やフリーマーケットなど、 生活感のあるロケーションへの俳優の溶け込ませ方も巧く、 移動撮影による二度の自転車のがむしゃらな走行感もいい。  そして、映画に携帯電話というコミュニケーション手段を 安直に持ち込まない点も褒めたい。  女性たちが並んで座るベンチのシーン、校舎屋上のシーン、ライブのシーン。 そして能年玲奈の卒業写真と手紙のショット。  そこには携帯に拠らずに直に言葉を伝えること、直に触れあうことの温かみがある。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-12-16 21:07:20)
90.  人生の特等席 《ネタバレ》 
ベネット・ミラー『マネーボール』では裏方に徹する功労者を表わすように、 ブラッド・ピットの像は濃い陰影が強調されていた。  イーストウッド&トム・スターンなら更にロー・キーかと思いきや、 ストーリーの明朗さとロケーションの解放感にあわせて、 ポジティヴな画調が爽やかだ。  暗闇が活かされるのは、 エイミー・アダムスからの電話をそれと知らずに悪態をついてしまう イーストウッドを照らすランプの灯や、夜の漆黒の湖、 忌わしい過去を仄めかす短いフラッシュバック映像くらいである。 その回想の中に一瞬現れる彼の禍々しい形相はやはり 『タイトロープ』からのものだろうか。  スコープサイズを活かした横並びの対話劇。 それを捉える奇を衒わない構図と編集。その堅実な語り口に品がある。  視力の衰退した静のイーストウッドに対し、 ビリヤードにダンスに投打にと、颯爽とした動が 魅力的なエイミー・アダムスが彼の球を打ち返す。  楽しげにグラウンドを駆ける娘と、彼女を眩しそうに見る父親。 そこで緩やかに旋回するカメラと、 静かに流れる音楽によって豊かな情感が流れてくる。  そして、彼女は何の躊躇もなく携帯電話を軽やかに投げ棄てる。  その決断のアクションのシンプルさ・軽快さこそが素晴らしい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2012-12-03 23:52:44)
91.  希望の国
警察官と揉み合いながら、封鎖を突破していく清水優と梶原ひかりのロングショットや、 村上淳と神楽坂恵の記念写真といった、ふとしたシーンの軽妙なユーモアがいい。  生真面目一辺倒の『生きものの記録』路線でないのが救いだ。  『ヒミズ』の貸ボート店のソファも良かったが、本作の縁側や花壇や牛舎なども、 身近な生活空間が魅力的で切実な舞台として映えている。  背景の花と手前で打ち込まれる杭を組み合わせたショットなど、 意味性が強く観念的すぎる箇所も多いが、 逆光を効果的に使った白バックのシンプルなショットが要所要所で印象強い。  花壇中央にそそり立つ立木を包む光。 夏八木勲への感謝を電話で伝える神楽坂恵を包む光など、 今作の園子温はかなり照明に意識的である。  あるいは、透明ビニルシートを背景に父親に電話する中村淳の横顔。 一面の雪の中で踊る夏八木勲と大谷直子の夫婦の楽しげな様。  いずれも白をバックとした画面が、人間の像を一層引き立てている。  
[映画館(邦画)] 8点(2012-12-02 22:50:02)
92.  アウトレイジ ビヨンド
『アウトレイジ』の主要な顔でもある黒塗りの車体と、 北野映画の「海」とが組み合わさるタイトルバックから一気に惹き込まれる。  前作にも引けをとらない俳優陣の面構えの強さと、 暗闇に浮かび上がるブルーがかった街路と黒塗り車の光沢の艶。 舞い上がる土埃。そして暗転した画面に響く銃声もまたフェティッシュな感覚を纏う。  今回はどのように煙草を使うかと見ていれば、 「煙草は止めた」との台詞で主人公の変化を提示し、 新井浩文・桐谷健太二人の遺影の前に置かれた二箱の煙草のショット一つによって、 乾いたドラマの中にさりげなく情緒を潜ませるあたりが熟練である。  ほとんど顔を見せない高橋克典の身のこなしも凄みがあり、いい。 映画の締め方にも痺れる。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-11-04 21:20:24)
93.  エクスペンダブルズ2
序盤でのブルース・ウィリスとシルヴェスター・スタローンの対話を、 それぞれ別撮りしたかのような単調な切返し編集で焦らしながら、 シーンの最後ではしっかりと二人を横並びに収めてみせるあたりが憎い。  複数のスターを同一画面内にどう配置し、どういうアングルと距離で引き立てるか。 如何に編集で邪魔せずに、ジェイソン・ステイサムが「classic」と呼ぶ スター自身による体技をフルショットで見せるか。 そうした見得の切り方、ケレンの利かせ方が前作より格段に良く、 静のシーンを短く配置した緩急のバランス感覚もいい。  その静の中にも、朝霧・硝煙・葉巻の紫煙の動が演出され、 粒子の粗いザラついた感触の残る画面によく映えている。  そして、重低音の銃撃と爆発も祝砲と花火のように華々しい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2012-10-24 06:32:08)
94.  アイアン・スカイ
月面の硬質な近未来空間と、黒づくめのユニフォームを始めとする 旧態依然とした第四帝国の武骨なレトロ感覚。 両者がモノクロ画調の中でよくマッチしている。  そのナチズムの形式主義を茶化したギャグは ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』を少し思い出させてそれなりに面白いけれど、 こちらは若干くどい。  クライマックスの決戦ではヒロイン:ユリア・ディーツェを もっと活躍させる事が出来たはずだし、 クリストファー・カービーとの協調と連携も淡白すぎる気がしないでもないが、 二人の微妙な関係性は本作の面白味だ。  宇宙間戦闘のSFXも健闘している。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-10-15 23:49:15)
95.  桐島、部活やめるってよ
気になる相手、想いを寄せる相手、その周囲の人間に気づかれまいと気遣いながらも、 つい瞬間的に目を注いでしまう窃視の視線。 目を背けつつも、全神経を相手に集中させ、意識し続ける身体。  そうした、乱れる内心を見せまいとするナイーヴな表情や振る舞いや言い回しが キャラクターに初々しくリアルな感覚を与えている。  見る者と見られる者・話す者と聴く者の姿が視点の変化の中で 反復によって映し込まれていくことで、 その登場人物の視線やファインダー越しの映像に倣って 彼らの想いが強く鮮明に伝わる。その仕掛けが卓越だ。  またBGMをほぼ皆無とし、環境音を効果的にドラマに活かすことで さらにこの映画なりのリアリズムが追求されている。  校舎裏のシーン、大後寿々花の背後でざわめく木々の音や、 彼女の独奏する管楽器の音色や息吹が彼女の心情を浮かび上がらせて秀逸だ。 バスケットボールの弾むリズミカルな音と、バレーボール特訓のハードな音響の対比。 クライマックスを盛り上げる、現実音としての吹奏楽の演奏。 そしてラストに遠く響いてくる野球部員の掛け声と、音が良く活きている。  群像劇としては、焦点が浅くピント送りが多々あるのがやや安易か。 そこはパンフォーカスだろうと思うショットがいくつかあった。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-08-20 00:32:14)
96.  ファミリー・ツリー 《ネタバレ》 
意識の戻らない母を逝かせる事が次女(アマラ・ミラー)に伝えられる。カメラは彼女の目に光る涙を見逃さない。幼さを残しながらも、気丈にその言葉を受け入れる彼女の表情。その一連のショットを繋ぐ寡黙で繊細で優しいディゾルブ処理が素晴らしい。  通俗に陥りそうな、親族会議でのスピーチを巧みに省略するのも、親子3人と少年の小さなシルエットがカウアイ島の渚を歩くロングショットの重なりが豊かな情感を醸成するのも、この適切なディゾルブ編集による。  単なるハワイの絵葉書的美観の羅列に陥らせずに、風や波の音と共に自然光を活かしながら、パンフォーカスやロングショットによって人物・自然・ポートレートを同化させる構図もシークエンスと主題を際立たせている。  その極めつけが、父ジョージ・クルーニー、長女シャイリーン・ウッドリー、次女アマラ・ミラーの親子がソファで寛ぐラストショットの一体感だろう。  母の形見の膝かけに包まる三人の真直ぐな視線。その背後にあるランプシェードの灯。額縁の絵。開放的な奥の空間。流れ続ける『皇帝ペンギン』のナレーション。  静かな時間の感覚が父娘の絆を炙り出すようで、秀逸だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-05-24 22:27:10)
97.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
リーアム・ニーソンがパスポートの入ったバッグを空港に置き忘れるのは、ホテルのカウンターでジャニュアリー・ジョーンズだけがチェックインするのを監視カメラが捉える状況を作り出すというあくまで単純な作劇上の必要性から逆算した設定であり、その彼女が爆弾を止めようとして失敗するのも、届かない手のサスペンス(前半の鋏と照応)と爆破のスペクタクルを構成するというシンプルな映画的要請からくるものである。  フィクションに囚われ「<らしさ>とか<首尾一貫性>とか<心理>とかにばかりこだわる観客」(ヒッチコック&トリュフォー「映画術」)にとっては、単にキャラクターの愚かな行動という見え方でしかなくなるのだが、ジャウマ・コレット=セラ監督はそうした<らしさ>にも<首尾一貫性>にも<心理>にも拘ることなく、ひたすら状況設定とサスペンス感覚を核として映画を見せていく。  画面の意匠のみならず、そうした作法自体が「映画術」の忠実な踏襲として芯が通っている。  曰く、「マクガフィンには何の意味も無いほうがいい。」(ヒッチコック) 曰く、「映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ。」(トリュフォー)  鏡面を使った看護師瞬殺シーンの絶妙な構図。アフリカ系タクシー運転手の亡骸に当たる照明。 その状況の秀逸な見せ方ゆえに、ブルーノ・ガンツ、フランク・ランジェラらは勿論、僅かな登場シーンしかない端役キャストに至るまで個性があり、そのいずれもが印象強い。  鏡面に映る二人の虚像を破砕するリーアム・ニーソン。その破片を握りしめる右手と、立ちすくむダイアン・クルーガ―の構図。 爆発による停電でモノトーンとなった画面に漲る一瞬の緊張と、交感する二人の表情がいい。 
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-22 23:46:06)
98.  バトルシップ(2012) 《ネタバレ》 
日本版『バトルシップ(ヤマト)』のビジュアルエフェクト担当は、この映画を見習うとよろしい。 メカニックのスケール感・ケレン味の演出とはCG予算の多寡ではなく、キャメラポジションであり、アングルであり、艦体を引き立てる対照物(波、飛沫、敵艦、アンカー)の活用であり、テンポ(ツメとタメ)であると判るだろう。  階級・国籍を超えて砲弾を抱え上げ、運ぶ男達の協働の姿。若手に装填を指南するベテラン。艦首で大きく砕ける波濤を艦橋に登ったテイラー・キッチュが望む俯瞰ショット。 そういう具体的アクションの積み重ねが、深いパースペクティブを活かした構図やハードロックの劇伴と共にミズーリ出撃やT字戦法の圧倒的エモーションを形づくっている。  山崎版『ヤマト』に必要だったのは、そうした人間が操る艦としての描写の豊かさだ。  『機動警察パトレイバー2』や『ガメラ3』など日本製戦争映画(共に伊藤和典脚本)の「ディスプレイ上の戦争」の形式を必然性のある形でボードゲームに見事にアレンジしているこうしたアメリカ映画こそ、したたかである。(球体の殺戮兵器は『機動戦士ガンダムF91』のそれを思わせる。)  なによりも、巷のありきたりな粗探しを愚かしく思わせてしまう潔さがいい。  荒唐無稽だからこそ、いかにも大作絡みの政治的ゴマスリに乗せられる心配もない。  (云うまでもないが、作り手の「ご都合」で企画され、書かれ、演じられ、撮られ、編集され、一定時間内に再現された虚構であるあらゆる物語映画は「ご都合主義」である。ご都合主義こそ映画だ。ゆえに『バトルシップ』はより映画的である。)  
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-19 23:42:13)
99.  戦火の馬 《ネタバレ》 
グリフィス的「再会」に、フォード的「父母」に、ホークス的「動物との共演」等々。  古典アメリカ映画を律儀に参照・再現しつつ、その上で自身の視覚的記号(差し出される手、隠される眼など)をしかるべくドラマ各所に活かし自身のフィルムとするしたたかさ。  それでいて馬の側の物語から人間側の物語である塹壕戦の描写に移行した途端、その画面に漲る意気込みが物語の統御を失いそうになる微妙なアンバランス感覚もスピルバーグ作品の魅力ともいえる。  馬を追い詰める威圧的な突撃戦車といった趣味全開の細部に執心しつつ、ギリギリで全体の統覚を保ち大団円にまとめあげるあたりは貫禄である。  黒澤明が嫉妬しそうなほどの「馬の映画」であると共に、第一次世界大戦の塹壕戦を視覚化することもまたやはり戦争の世紀を網羅しつつあるアメリカ時代劇作家としての隠れた主題なのだろう。  ヒューマンドラマを語る一方で、馬軍の突撃と共にサーベルが鋭利に人間を貫いていく殺傷の音響や、塹壕の至近距離への着弾の振動や、砲車を高台へと引き上げる行軍といった容赦無い暴力描写には、スピルバーグ流の分裂的特徴が明快に現れている。  であるからこそ一方でフィクション性をあえて際だたせ、フィルムを現実から隔てようとする。  本作に限らず、スピルバーグ作品の登場人物が一貫して「英語を話す」のは、云うまでもなくかつてのハリウッド映画のコードに忠実であり、それ以上に虚構としての「映画」に自覚的であるからに他ならない。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-03-28 22:10:14)
100.  顔のないスパイ
本来なら星条旗の露出は、中盤の木々のざわめきや物干しにかかった衣類のはためき、情報屋のアジトである304号室の廊下の窓外で揺れる影などと共に何よりも具体の揺れとして画面に呼び込まれるべきはずだが、その頻出はメリハリを欠く上に何らかの象徴的な意味付けを感じさせて少々煩わしい。  逆に議員暗殺現場の路地の照り返しや、回想シーンの中で倒れている妻と娘に駆け寄るリチャード・ギアのロングショット、格闘シーンに入り込む割れた鏡など、所々に差し挟まれたさりげない部分の方が目を引く。  プラント内の監視室のシーン。リチャード・ギアより先に観客にトラップに気づかせてしまうようなモニター画面の映し方も小器用ではないし、主役二人の暗殺アクションの数々は短いカッティングが逆に俊敏性を欠いて物足りない一方、スティーヴン・モイヤーが乾電池二つを呑みこむ1ショットの異様が突出してしまう辺りの不均衡もこの映画の歪な魅力でもある。  尤も、小器用な映画などに面白味はない。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-03-11 23:59:55)
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