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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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101.  ラブリーボーン 《ネタバレ》 
ピータージャクソンの映像美は満足できるレベルです。本作品の舞台である「あの世」とは現世と天国の境目。つまり少女は三途の川を渡ろうかどうかってところで行ったり来たりしている。こういう不思議な空間をこの監督に与えたらとんでもない映像を作り出せる才能がある。「乙女の祈り」で少女たちが空想で作り上げた第3の世界しかり。「キングコング」のドクロ島しかり。「ロードオブザリング」の魔法の世界しかり。見所は家族愛でもなければサスペンスもない、彼の作り出すイマジネーションあふれる世界観なのです。少女ばかり殺している殺人犯の死に方について。あれはないと思いました。犯人に己の罪に対する罰を自覚させることなく死なせるなんて。これは悔しかった。だけど監督は犯人の罪と罰には興味がなかったのでしょう。彼は無念にも殺されてしまった少女たちを、自分のつくる物語の中で幸せにしたかった、ただそれだけの自己満足のためにこの映画を作ろうと決意した。私はそう信じます。世の中は男女平等と言いながら腐りきった男社会だ。動物界と同じようにしょせん力の強い男が、非力な女性や子供を虐げている。痴漢、レイプ、DV、幼女監禁、いいですか?法律が一度でも女性たちを救ってくれたことがありますか?この世に神などいるはずがない。しかし映画監督は自分のつくる作品のなかでいつだって神になれる。あのラストシーン。犯人が死んだことによって、「あの世」の女性たちはみんな笑顔になる。監督は現実では救えなかった弱者たちを物語のなかで救ったのである。じゃあこれからみんなでそろって天国でも行きましょか。女性たちのそんな会話が聞こえてきそうだ。厳しい弱肉強食の現実とは大きくかけ離れた物語。しかしある意味でこれこそ究極のファンタジー。 
[DVD(字幕)] 7点(2010-08-13 19:20:44)(良:1票)
102.  ダウト ~あるカトリック学校で~ 《ネタバレ》 
名演技とは何でしょうか?俳優たちは大声を張り上げて、ツバを飛ばして、汗だくになって、時には涙や鼻水まで出して熱演する。熱演=名演技。いわゆるNHKの大河ドラマ系の演技が名演技だと言われます。たしかに激情の感情を表現するのは、見ている観客に分かりやすくてインパクトがあります。そこでメリルとシーモアも大声を張り上げます。やはりそうきたか、と思いましたが、大声を出したらいつも電球が切れるところが面白い。大声を出す演技は評価されやすい。しかし大声を出して対決しているクライマックスシーンをみて迫力がある名演技が観られた、というのは違う気がする。名演技の本質とはやはり役作りにあると思います。女優メリルが演じるシスターは、他人に厳しいので人から嫌われるタイプだが、自分にはもっと厳しい禁欲主義者。誠実だが悪く言えば堅物。男優シーモアが演じる神父は、他人に対しては優しく鷹揚なので人から好かれるタイプだが、自分に対しても甘く快楽主義者。ちゃらんぽらんだが柔軟なモノの考え方ができる人。2人の性格、価値観、ライフスタイルは一切言葉で説明されていないが、映画がはじまってすぐに観客は2人が演じる役の人間性を理解することができる。これぞ役者の実力。2人の人間性を理解できるから、2人が対立することに説得力が生まれる。証拠もないのになぜシスターは神父を追い詰めるのか?そんな疑問すら意味がない。ダウト(疑惑)すら本当は存在しなかったのです。2人が戦わずにはいられないことは、2人の生き方・信念、価値観の違いから明白でした。ある意味でシスターはヤクザのように理不尽な因縁をつけて、わざと神父を戦いの場に引きづり込んだ。なんという嫌な女でしょうか。この映画の後にマンマミーアを御覧なさい。メリルが裸の男たちに囲まれてはじけまくっている姿をみればすべて分かる。彼女は天才的な女優なのです。そしてラスト。あのシスターの涙。ダウトを自ら作り出した己の罪を自覚した涙。しかし神父が冤罪だったかどうかなど関係がありません。真実が明らかにならないのはそのためです。誰が悪いわけでもないのです。2人は違いすぎたのです。戦いはダウトによって生まれたわけではありません。それは必然だったのです。 
[DVD(字幕)] 10点(2010-08-12 20:32:45)(良:2票)
103.  ハプニング 《ネタバレ》 
人は生まれたときから闇を恐れるように、見えないものを本能的に恐れます。想像力こそが最大の恐怖なのです。それとは何なのか?私はそれの正体を知っています。それは見えるとすれば銀色です。風がそれを運んでくるらしい。ですが実はそれが空気よりも重いのです。じゃあなぜ風に流されるのか?その答えはあえて教えません。それに触れたら必ず感染するわけでもありません。これは多くの人が指摘する通りです。監督はそれの正体についてまともな答えは用意していませんが、その気持ちはよく分かります。それが化学兵器やウィルスであったり、もしくは自然界の復讐や、神の怒りが原因だったしても、姿が分かってしまえば意味がないのです。想像させる恐怖ではなくなってしまう。作り手の意図は明確です。見えないモノに襲われることにより、自分の想像力に恐怖する人間模様を描きたかった。つまり、暗闇の奥に潜んでいる魔物の姿は、人によって違うということです。私の作り出した魔物を人に教えても意味が無いでしょう。一番感心したのは、「それ」が鬱のメタファーとして見事に機能していたことです。鬱はまさにハプニング。それは突風のように、突然人の身に訪れ、人の人格まで変えてしまい、自分殺しを実行させます。よく勘違いする人がいるのですが、死にたい人が自殺するのではありません。自殺は自分に殺される行為であり、自分でも止めようがないハプニングなのです。現在の私は長生きしたいと思っています。しかしいつ自分の身に風が降りかかってくるかまったく分かりません。あなたは死ぬつもりがないから自殺の心配はないなんて思っていませんか?そんなことで防げるとは私は思いません。観れば観るほど、色々考えさせられてますます怖い映画でした。 
[DVD(字幕)] 8点(2010-06-19 21:31:02)
104.  ネバーランド 《ネタバレ》 
みなさんは映像がうつくしいといいますが、映像の技術はさほど大したことがありません。美しいのではなく、美しく見えたのだと思います。反対にどんな最新のCG技術を使っても美しく見えないものもあります。この作品はなにをさしおいても、ネバーランドを目の前に見せるまでのプロセスが非常にうまかった。それによって観客の感性が最大限まで高められ、ネバーランドがこの世のものとは思えないくらいに美しくみえた。夕日を見る時だって同じです。美しいと感じる人と感じない人がいます。私たちは何かをみるとき、実際の光景に、想像力という絵の具を塗りつけて観ているのです。もしネバーランドが美しくみえた観客がいたならば、それは映像の勝利ではありません。観客の想像力の勝利です。
[DVD(字幕)] 8点(2010-06-04 20:45:28)(良:1票)
105.  ペネロピ 《ネタバレ》 
この作品の奥深い所は、ペネロピのことを「ひきこもり」のメタファーに見立てて、彼女が社会復帰するまでを描いた物語になっているところです。親が子供を守ろうとするのは、本能でもありますが、自己満足でもあります。ペネロピの両親はその典型です。見所は何といっても、ペネロピが生まれてはじめて家を飛び出して、そこで彼女の目を通して見せられる外界の美しさです。夜の街にシャボン玉が乱舞しているあのシーンは信じられないくらいに綺麗でした。映像は常に外の世界をはじめて見た少女の視点を通し、スクリーンに映し出される。お見事。家を飛び出したペネロペを両親が追いかける理由は、娘を他人に見られるのが恥ずかしいという思いもある。世間体を非常に気にしている親でした。自分の子供に同情するふりをして、我が子を恥ずかしがる親はやはり存在します。それを強調するために、本作品ではあえて主人公を豚鼻にし、親を大金持ちにしたのでしょう。ひきもり問題は、親が子供を無意識のうちに否定することから始まる。親は欠陥を持ったできの悪い子供(ペネロピのような)を守ろうとするのですが「どうせお前にはムリだ。お前は欠陥者だ。お前には助けが必要だ」と、そういう態度をとり続けます。そしてそれを親の役目だと思い込んでしまう。1つだけ真実があるとすれば、たとえ家族であっても、自分以外の人間を救うことなどできないということです。世の中には豚鼻じゃなくても、様々な欠陥を持っているせいで苛められたり差別されて、内に閉じこもる人は多い。大切なことは欠陥を持った自分を隠そうとするのではなく、あるがままの自分を受け入れることなんだと。自分を救えるのはやはり自分しかいないのです。このおとぎ話にはそんなヒューマニズムなメッセージが込められていたように感じました。 
[DVD(字幕)] 8点(2010-04-26 21:12:48)(良:1票)
106.  ラースと、その彼女 《ネタバレ》 
体が傷ついて血が出ればすぐ気がつくので治療できる。しかし心が傷ついた場合、気がつかないことが多い。そしてその傷は長い年月を経て、突然本人に異変を与える。これをトラウマと言います。ラースのトラウマは、母親の死や、兄の家出、父の人間嫌いなどが遠因に挙げられる。彼のトラウマが突然発症した原因は、数人のレビューワーさんたちが指摘する通り、兄嫁の妊娠により、出産で死んだ母を思い出したからだと考えます。そういう意味ではラースの妄想は笑い事どころか、目を覆いたくなるほど痛々しい。表面的にはコメディに見えますが、実は心が壊れてしまった1人の男性が再生するまでを描いたヒューマン映画なのです。ラースには同僚の女性や兄嫁のように好きな人がいました。しかし好きな相手がそばに寄ってくると彼は逃げる必要がありました。彼が他人から体を触られると痛みを覚える理由は、肉体がラースに対して警告を発しているからです。「気をつけろ、またお前は、お前を愛するすべての人々から傷つけられるぞ」という警告です。もう二度と傷つきたくないという思いがそうさせたのです。心の傷は必ずこのように肉体に表れます。もはや人に触れることさえできない彼が愛することができる人間はこの世にいなかった─。人形ならば愛しても傷つけられない。抱きしめても痛みを感じない。こうして「ビアンカ」は生まれるべくして生まれたわけです。皮肉なことに兄嫁の深い愛情から逃れるために、ラースはどんどん追い詰められたのでした。ラースの壊れっぷりは凄まじい。そんな彼を周りのみんなが必死になって助けようとする様子は現実では中々見られない。あのボーリングのシーンで突然乱入してきた男たちは、通常だと「お約束ごと」のように、いじめっ子役だ。それがリアルだと言われる。しかし単に現実を知りたいならば新聞で間に合う。映画は現実をなぞるだけのものではない事をこの作品は教えてくれる。「ビアンカ」に生気を吹き込んだのは、まさにラースを愛する周りの人々たちの勇気でした。稀に見る斬新なアイデアを見事に活かした傑作です。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-04-26 20:48:57)(良:1票)
107.  キル・ビル Vol.1(日本版) 《ネタバレ》 
とにかくこの映画は「お馬鹿映画である」というのが、みんなの一致した意見である。いくら日本が舞台とはいえ、「寿司」「演歌」が当然のように出てきて、「天皇」や「将軍」という言葉をむやみに使ったり、「下手なチャンバラ」を見せ付けられたりすると、一人の日本人として冷え冷えとした気持ちになってしまう。  映画の中にアニメを挿入するなどの作戦もかなり好評みたいだ。 まさに「子供騙しの映画」であることを実証している。  さらにこんなオタク映画を偉大な深沢監督に捧げられては迷惑なのである。 タランティーノも堕ちるところまで堕ちたということを実感した映画であることは間違いない。 次は頑張れ、という気も失せるようなひどい内容であった。 
[DVD(字幕)] 3点(2010-04-18 21:39:25)(笑:4票) (良:4票)
108.  ターミネーター4 《ネタバレ》 
この作品をターミネーターと認めたくない気持ちです。なぜならばターミネーターが出てこないからです。ではターミネーターとは何でしょうか?オリンピックマラソンで野口を追い詰めたヌデレバ選手が、なにゆえにターミネーターのような人だと畏敬の念をこめて日本人から賞賛されたかワカリマスカ??それはしぶとくて、タフで、敵を執拗に追いかけたからです。あのグラサンも脅威だったことは否定しません。その名前はすでに「しぶとい」の代名詞になっている。だから私はあえて言いたい。この作品にターミネーターは出てきましたか?いるはずもない。断じていないのだ。シュワちゃんの裸踊りでお茶を濁し、普通のアクション映画に成り下がったものに、ターミネーターという伝説のタイトルをくっつければ、シリーズ最新作として上映して良いものなのだろうか?真のファンならば恐らく悔し涙がボロボロ流れてくるはずだ。私にはまるで中国に出回っているレベルの高い偽物腕時計のような、そんな精巧な偽映画に思えてならないのです。偽物ならば、偽物らしく、タイトルをダミーネーターに改名してもらいたい。自分を人間だと思い込んでいる悲しいロボット。えぇ、たしかに泣けます。しんみりしてしまいましたよ。だけど私を落ち込ませてどうする?アクションの王道を突き進んできた本作品に、ヒューマン性など必要なない。こざかしい人間描写などクソ食らえだ。しかもこの期に及んでまだ続編を作る気らしい。いっそのこと、今度のタイトルは、ターミネーターシーズン5にしてもらいたい。もはやTVと映画の境界線すら見えなくなってきた。この冒涜はいったいいつまで続くのだろうか。 
[DVD(字幕)] 3点(2010-04-16 22:33:10)(良:1票)
109.  オーストラリア(2008) 《ネタバレ》 
子役が悪い、子供に踊りをさせ、あざとく可愛く見せようとする演技指導は鼻につく。反対にニコールキッドマン。あなたは何歳になってもかわいい。今回のように瀟洒な身なりをしたお嬢さん役は、彼女の天性のはまり役だと言える。恋人の役のヒューはあいかわらずウルヴァリンよろしくワイルドな一匹オオカミだ。これまた彼のはまり役である。俳優としての格は、ニコールとヒューじゃ女王と足軽ほどの違いがあるが、2人の恋愛描写はじつにナチュラル。本気で仲が良いことが伝わってくる。ただし、甘すぎる恋愛は時として人を胸焼けさせることもある。その甘さを緩和させる役目として、預言者のおじさんが強烈なスパイスを与えてくれることを保証しよう。彼のあやしさはもはや変態の領域に突入している。そのせいか、小僧も魔法を使ったりするので、真面目に見ていたら肩透かしを食うことになる。B級ファンタジーとして観ることをおすすめする。ただし、意味も無く人が死にすぎる。子役の母親の溺死は唐突過ぎる。アル中男が死ぬのは予想していたが、その数分後にヒューとニコールが酔っ払ってキスをしている。よく考えれば夫も最近怪死したばかりじゃないか。不埒な未亡人だ。しかも2人のラブラブな様子をガキが盗み見して、最後にみんなが大笑い。命が軽すぎる。まさしくここにはBの雰囲気が漂っていた。歴史認識にクレームをつけたがる日本人もいるだろう。この件に関しては、私から言わせると目くじらをためる必要はないと思う。ハリウッドといえば反戦を建前に、ナチスドイツをネタにして、巨額の大金を稼いできた産業だ。もともと昔からこんなもの。日本人としては日本語の棒読みを笑い飛ばせる余裕が欲しいところ。私は笑い転げながら愉しめた。   
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-16 22:20:08)
110.  スネーク・フライト 《ネタバレ》 
ヘビを使って飛行機を墜落させようと考える犯人の美学がかっこいい。警察官のサミュエルはだんだんヘビを殺すのにも飽きてきて拳銃で飛行機に大穴をあけてしまう。ひどい警官だ。お前が墜落させる気か。座席にしがみついて、落ちるのを必死でふんばっていたおばさんはきっとサミュエルを訴えるだろう。「スネーク・フライト」の番組が終わった直後に今度はゾンビフライトがはじまった。WOWOWはやっぱりすごい。 
[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-04-07 21:05:48)(良:1票)
111.  NINE(2009)
点数を細分化します。(女優)ペネロペ・クルス。グイドの愛人役。曲はA Call from the Vatican・・7点。歌唱力は帰郷(ボルベール)で証明済み。しかし今回は歌は度外視。セクシー重視。そのセクシー度がちょっとやりすぎ。まるでストリップ劇場。笑えたから7点。  (女優) ジュディ・デンチ。グイドの親友。曲はFolies Bergères・・3点。大女優だが私の近所に住むおばあちゃんに似ている。従って3点。  (女優)マリオン・コティヤール。グイドの妻。曲はMy Husband Makes Movies,Take It All・・9点。国民的歌手ピアフを演じ主演女優賞を獲得。その実績をひっさげ、9では主役級。だけどあの男の妻じゃ心労も重なるのだろう。痛々しいバラードに9点献上。  (女優) ケイト・ハドソン。記者役。曲はCinema Italiano・・10点。目が覚めるほど爽快な曲。グイドごときダメ男は、遊び相手にするのが一番よ、と言わんばかりのスタイリッシュさ。この曲だけを聴いて映画館を出ても許される。一番ダウンロードして聴きたい曲。  (女優)ソフィア・ローレン。グイドの母役。曲はGuarda la Luna・・5点。森光子と同様に存在するだけで奇跡。ただしリズム感ゼロ。母性を演じたせいで子守唄っぽい。語りかけるように歌う。催眠術かと思った。  (歌手) ファーギー。娼婦役。曲はBe Italian・・10点+加点5点。有名女優たちの競演のなかで、1人だけ実力派の歌手。やはり群を抜いている。その圧巻の歌唱力に加え、タンバリンと砂を組み合わせたパフォーマンスはもはや芸術だ。まぎれもなく君が№1だ。  (男優)ダニエル・デイ=ルイス。主役グイド。曲はGuido's Song・・0点。歴史に残るダメ男を演じてくれた。よれよれのネクタイ、ベタベタな髪、体から発散されるニコチンの匂い、寒気がするナルシストっぷり、すべてがパーフェクトのクソやろうだった。お前は一生石油でも掘ってろ。  (女優)ニコール・キッドマン。女優役。曲はUnusual Way・・6点。ムーランルージュで活躍した勢いはすでにない。大スターだが他の女性と比較すると見劣りする。しかしグイドを愛する女性たちは必然的に曲が暗いので損をしているのも事実。総合得点(7+3+9+10+5+15+0+6)÷8人=7点。 
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-29 22:57:10)(笑:1票) (良:1票)
112.  青い鳥(2008) 《ネタバレ》 
なぜ子供は明るくて無邪気なのか分かりますか?それはまだ人生経験が短くて、大きな心の痛みを受けていないからです。そのかわり、痛みがない分、他人の痛みにも鈍感だ。だから少し変な子を見つけたら、平気で笑いの種にするし、いじめの対象にしたりする。障害者も笑いものにしても罪を感じない。子供は明るくて天使。その一方で未完成ゆえに残酷。原作の重松さんは、子供の天使の面と、悪魔の面の二面性を常に描き続けてきた作家です。子供の本質は痛みを受けたことがないから他人の痛みが分からない。いじめているんじゃない。ただみんなで笑いあいたいだけなんだ。なんでそんなにショックを受けるんだよ?面白いだろ?笑えるだろ?おそらく悪気はない。それが子供。親にとって子供は天使。しかし子供にとって子供という存在は、時として自分に致命傷を与えるナイフ。大人になるということは傷付くこと。傷付くことによってはじめて他人の傷を理解できる。そしてやさしくなれる。人間ってそんなもの。この先生はそれを教えようとしただけ。子供に反省させようとか、そんなことは本質じゃない。先生が吃音なのは重松さん本人が吃音だったから。そんなことどうでもいい。いっぱい傷付いた人だから描ける物語もあるというだけのこと。子供って明るいし残酷なんです。私が子供の頃、一番恐かったのはやはり子供でした。 
[DVD(邦画)] 5点(2010-03-22 10:19:38)
113.  ブラインドネス 《ネタバレ》 
収容所で権力を握る悪のボスが「女どもよ、ハダカになれ。セックスさせろ」となんて言い出したら、さっさとその要求に従う女性たち。目の見えるジュリアンは、盲目の世界では神に等しい能力を持っている。それなのに先頭にたって、まっぱになってしまう。さすが一流の女優だと言いたいところですが、最初からおっぱいありきだ。体当たりの演技=主演女優賞の魂胆が透けてきて、そっちのほうがいやらしい。けっきょく彼女はボスを爽快にぶち殺す。遅いヨ。盲目の世界が生まれたことによって、1人の女性が突然スーパーマンになるという設定はすごく面白いと思いますが、彼女が盲目の連中と鬼ごっこして捕まってしまうなど、その万能の力をいかしきれていない箇所が多くみられ、それが少しもどかしい。しかし作品じたいは暗示に満ちていて秀逸。私たちはお金がないだとか、残業がきついだとか、夫の息が臭いだとか、そんなつまらないことで不満ばかり言う。そして今自分が持っているものに感謝できません。耳が聞こえること、目が見えること、そんな何でもない当たり前のことに感謝の念を持つことがいかに大切か、この映画を通して実感できるはずです。神さまにお願いごとばかりして、神さまに感謝できない人間たち。「生かされている」という思いが希薄な証拠です。天気予報で雨だったらそれだけで文句を言う人も多い。天気の文句を言うのは、神さま批判と一緒なのです。ラストで雨が降る。それに対して大げさなぐらいに歓喜する人々。じつはこのシーンに大きな意味がありました。あれは私たちが神から受けている恩恵に気がついた瞬間なのです。そのおかげで失明は回復した。それでも何かを失ってから初めて自分たちが受けている恩恵に気がつく愚かさ。そういう浅はかな人間に対する警鐘が、この作品には込められていると思いました。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-03-21 12:10:12)
114.  レスラー 《ネタバレ》 
60歳まで現役だったジャイアント馬場を思い出す。60歳といえば還暦だ。クソジジイだ。見ていてスリルがありすぎる。対戦相手が間違って馬場を強く攻撃したら即死もありえる。彼は61歳でくたばったから生涯現役だったと言える。そういう意味ではたいしたものだ。ミッキーもラストで愛する彼女をふりきって、死ぬ覚悟でリングに上がったが、試合が終わって、まだ生きていたら格好悪いだろうな。ラストは必殺技ラム・ジャムの途中でぷっつり終わるが、あれで本当に死ねるのか?と逆に心配してしまった。このダメ俳優は猫パンチで日本人を激怒させたが、彼はああいう性格なので、ハリウッドでも総スカンを食らって干された。レスラーはまさに彼の「はまり役」といえる。かつての時代の寵児が落ち目になるという話はよくあるが、それをレスラーの体から流れる血や、ボロボロの体で表現する手法のことを、メタファーと言う。この手法がアカデミー賞候補に認められた理由だと思う。ドグマっぽい撮影方法も好感が持てる。ちなみに死にそうになったからと言って、数十年ぶりに娘の前に現れる父親ほど恐いものはない。私だったら、そんな父親が瀕死の状態で目の前に現れたら絶対にとどめをさしてやる。「おまえに嫌われたくない」とメソメソ泣く姿も、ただ感傷に浸っているだけで気持ち悪い。私の親だったら許さない。私自身が同じ経験があるので強くそう思った。親の身勝手な感傷などクソ食らえである。しょせんこういう男は家族など持てないのだ。不器用な生き方だねと言ってこのレスラーを愛することができるのはしょせん他人だからである。 
[DVD(字幕)] 3点(2010-03-21 11:59:58)(笑:1票) (良:1票)
115.  エディット・ピアフ~愛の讃歌~ 《ネタバレ》 
「歌」というのは単に歌うのがうまいから評価されるということはない。その反対に歌が下手だから評価されないということもありえない。「歌」はきわめて主観的な評価により決定されるものであり、つまり歌う人物が好きか嫌いかによって決まるといっても言い過ぎではありません。ピアフは歌がうまかった。しかし実はそんなことは歌手としての評価にあまり関係がないのです。ピアフがこれほどまでにフランスで愛された理由はひとえに彼女の人格に共感する人が多かったからなのです。それにしてもマリオン・コティヤールです。別映画に主演しているときの彼女はモデルのように身長が高い肉感的な女性だと思っていましたが、身長を調べてみるとやはり170センチ近くもある。ちなみに和田アキ子は174センチ。いずれにせよそんな大柄な女性が身長142センチの子すずめを演じきるというのはやはり尋常なことではない。俳優が役作りのために体重をコントロールする話はよく聞きますが、さすがに身長はむり。しかし彼女は小さく見えました。これが「演じる」ということです。ようやくマリオンが主演女優賞を獲得できた理由が理解できました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-03-15 18:13:49)(良:1票)
116.  ピエロの赤い鼻 《ネタバレ》 
はっきり言わせてもらうと、ピエロのギャグはクソがつくほど笑えない。気分が悪いときにあんなギャグをみせられたら殺意すら沸いてきそうだ。しかし人間というのは極めて感情的な動物であって、たとえば好きな人が作った手料理はどんな料理でも美味いと感じるし、逆に死ぬほど嫌いな人間のつくった料理は、たとえ一流のシェフのものであってもまずいと感じるのと同じように、「笑い」だって感情的な部分に支配されることが非常に大きい。私がそう思った理由は、あの父親嫌いのメタボ系のデブ息子が、父親のギャグにさっぱり笑わなかったのに、父の過去を聞かされたあとに突然、抱腹絶倒して「オヤジ、ブラボー!」と叫びだしたからです。つまり人は「好き」か「嫌い」によって、笑えるかどうかが決定されるのだと思います。チャップリンのクソくだらないギャグだって、あれは彼が人格者だからみんなが安心して笑うのです。同様にあのマヌケで変人のドイツ兵。彼は真正の変わり者でしたが、穴の中で彼を見上げる死刑寸前の4人はこの変人から何かを感じ取ったのでしょう。よく考えてください、吉本の新人があんなピエロギャグをやったら1日で解雇にされますよ。お金を出してあんなギャグを見せられた観客はブチ切れて「金かえせ」と怒鳴りだすでしょう。そもそも、これから死刑にされる人間たちがあのギャグで笑えるはずがない。しかし彼らは笑った。この意味が分かりますか?それはあの奇人のドイツ兵が、これから死のうとする人間たちに対して、なにかを伝えようとしたからです。彼は命をかけてそれを実行した。それを感じとった4人はこの変人に好意を持った─。そして笑いにつながった─。すべての事情を知ったものだけが笑えるのです。 これぞ「信用」が生み出す笑い。人間ってすばらしい。
[DVD(字幕)] 8点(2010-03-04 20:10:37)
117.  愛を読むひと 《ネタバレ》 
ポイントは2つ。なぜ彼女は死を選んだのか?なぜ彼女は文盲であることをひたすら隠し通したのか?文盲であることを知られるのが恐くて、裁判で死刑になるかもしれない罪を受け入れてしまう彼女の心理状態がよく分からない人も多いと思います。大抵の人はあの裁判所で偶然彼女を見つけたら「彼女は文盲だから無実だ」と叫んで救おうとするでしょう。しかしあのエロ青年はそれをしなかった。このときはじめて、こいつはただのエロじゃないと見直しました。この監督の「めぐりあう時間たち」をご覧になればさらに理解が深まると思いますが、人間は地雷で手足を失っても頑張って生きている人もいれば、第三者からみればこんな他愛のないことで?という理由で、あっけなく自殺する人もいる。それらの違いは、強い人間と、弱い人間の違いではありません。人が感じる不幸や屈辱は相対的なのです。彼女にとって文盲が他人に知られることは憤死に等しい恥辱であった─。少なくとも男は愛する女性のそういう本質を理解していた。ではなぜ彼女は自分を愛してくれた男と出会った直後に死を決意したのか?1つだけ言えることは、「坊や」と過ごした当時の彼女は、彼を愛していなかったことです。しかし、長い刑務所生活のなかで、男との生活が自分の人生のなかで一番輝いていたことを悟った─。多くの人間は、例外なく、「幸せ」を失ってから「幸せ」だったことに気がつきます。それが人生です。彼女は刑務所のなかで、はじめて彼を愛し始めた。それなのに出所の直前に男と出会った彼女は、もう自分が愛されていないことに気がつく。愛を読んでくれた男はいつのまにかクソジジイになり、自分はクソババアになっている。もう過去には戻れないという事実─。彼女は自分の人生にとって一番輝かしい過去の思い出を守るために死を選んだ。しかし、実は男は彼女を愛していたのである。男自身がその事実に気がついたのは、やはり彼女を失ってからでした。人は失ったあとに、失ったものの大切さに気がつく。これも人生です。
[DVD(字幕)] 7点(2010-03-04 19:44:58)(良:4票)
118.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 
物語は終始一貫してミステリー風に進みますが、全問正解の謎など最初からなかったという挑発的な大どんでん返しに驚きました。スラム育ち全員が雑学王じゃあるまいし、運じゃなくて運命なんですか?宝くじのキャッチコピーみたいですね。ラストに関しては「億万長者にならなくてもいいのに」と思った人が多かったのでは?私たちは生きていく過程で「人生にはお金よりも大切なものがある」というメッセージを植えつけさせられます。分かりますか?監督は人生の普遍的な哲学を逆手にとったのです。つまり不正解になって大金が手に入らなくても、愛する彼女と結ばれて、真の幸せを掴む─。そういうラストを観客に思い描かせようとしていた。このカモフラージュのおかげで私自身、彼が最終問題を正解するかどうか、まったく読めなかった。ラストが予想できなかったからこそ、あの緊張感が生まれたのです。うまい。それから、「国民の生活が第一」とのたまいながら私腹を肥やす小沢一郎のように偽善的な司会者。そのいやらしい演技はクソがつくほど抜群でした。主人公が正解を連発すると観客は狂喜し、笑顔のひきつった司会者は「おまえ、このへんにしておけよ」とささやく。負け組みのおまえが勝ち組の中に入ってくるなよ、という意味です。スポットライトに照らされた華やかなテレビ番組と対比して映し出されるウンコまみれのガキと小汚いスラム街。2つの世界がめまぐるしく交錯する映像は一流の芸術作品に価する。彼が全問正解したとき、2つの世界を隔てる壁は瓦解する。大金を手に入れるという事実は表面的な事実に過ぎない。これは脱出の物語。じつはクイズ番組は刑務所のメタファーになっているのです。司会者は牢番。無実の囚人の脱出を阻む存在。だから悪の象徴なのです。現状に閉塞感を抱いている観客は、主人公とヒロインが、貧困という名の刑務所から脱出する様子を固唾を飲んで見守っている。自分自身がうまくいかない現状から抜け出したいからです。そして彼らの痛快な脱出劇の成功に、己の姿を投影させ、爽快感を爆発させる。ラストシーンの駅内で踊り狂う2人。彼らが脱出したことを証明するかのようにゆっくりと列車が動き出す。おみごと。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-02-23 20:55:46)(良:1票)
119.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 
そろそろ広末さんの女優としての力量を認めても良い頃だと思いませんか?タイタニック時代のケイト・ウィンスレットも最初は観客から批判されていましたが、今では誰もが認める大女優になった。女優広末の「個性」は、ケイトと非常に似ている。彼女は観客の好奇の眼に晒されながらも、それを呑みこみ、どんどん大きく成長している。本作品の見所は、一流の女優同士の共演にあります。そして実力どおりの、いやそれ以上の力のこもった演技を魅せてくれました。石川県民の1人として深く感謝いたします。広末、中谷、木村、まさにこの3人の名女優たちは日本の財産です。ところで石川には金沢と能登というまったく性質の違う2つの土地があります。金沢は言わずと知れた百万石の聖地ですが、能登は暗いイメージがある。海面から漂う不気味な光は、人を死に誘うと表現した芥川賞作家もいました。日本海は常に不機嫌で、すきさえあれば、人を海の中に引きこもうと、虎視眈々と狙っている。「ゼロの焦点」というタイトルは、光り輝いているのに心の内部に暗さを隠し持った人間の内情を意味しており、そのなかで金沢と能登は光と影の暗示として表現されているのです。そして能登がなにゆえに、日本文学の舞台として、多くの純文学の作家たちから愛されてきたのかといえば、人の暗部を描くとき、能登はメタファーそのものになるからです。断崖を突き抜ける極寒の強風、敵意を持った冷たい日本海、漆黒の闇夜から聞こえてくるさざなみの唄、風光明媚な孤高の漁村。1000の言葉を駆使するよりも、彼らを能登という舞台に立たせ、そして歩かせるだけで、それぞれの登場人物が抱える心の暗部が見えてくる。スバラシイ。単純な娯楽映画には決してみられないこの表現力、この世界観、これぞ純文学、これぞ芸術、これぞ映画の本質、見事としか言いようがない。映画史上稀に見る秀逸な世界観を作り出したことを高く評価したい。私は本作品が世界に向けて発信する日本の代表作品になっても決して驚かない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-12-23 21:35:08)(良:3票)
120.  カールじいさんの空飛ぶ家 《ネタバレ》 
なぜこの映画がつまらないのかといえば、主役の男2人が魅力に乏しいからです。楽天の元監督、野村のように陰気臭い老人と、中日落合の昔の息子のように生意気な子供を見せられて、あなたはどう思いますか?この2人の冒険を純粋に応援したいと思いますか?何よりも致命的なのはヒロインがいないことです。ピクサーよ、おまえたちは間違っているぞ。むさ苦しい男だけの人間劇など誰が観たがるというのだ。ナウシカしかり、魔女の宅急便しかり、偉大なアニメの基本は偉大な女性が輝きを放っているのだ。皮肉なことにこの映画が最高に輝きを放っていた瞬間は、エリーという女性が登場したほんの数分間だけでした。あとはメタボのデブと、むっつりジジイの冒険を長々と見せられる。バカ男2人に、敵もバカ男。窒息させる気か!本来は生意気なガキが冒険を通して、だんだん「良い子」に変わっていくのが物語の鉄則のはずだが、こいつは最後まで好感度ゼロのままだった。そもそもあんな大冒険をしておいて、こいつ、まったくやせていない。お前は唾液だけで太るのかよ。それから私は3D映画レビューの第一人者です。その私があえて言わせてもらうと、本作品の3Dは質が低い。本格的な3Dは高所恐怖症の人が観られないくらいリアルです。おそらくピクサーはストーリーを重視したのだと思う。ストーリー重視と、視覚重視は両立しない。ストーリーや、人間描写のために、視覚効果をそり落とすか、視覚効果のために、ストーリーを変更するかの、二者選択をしなくてはいけないからです。悪いことにこの作品をどっちつかずになっている。つまり一貫性がないのだ。3Dならば、視覚効果のために、物語の内容を犠牲にしても、王道を突き進むべきだ。いや、むしろ、それが3D映画の宿命だ。3Dは、究極の映像を見せる為に、あらゆる犠牲の上に成り立っているのだ。3Dとは、美術である。科学である。 そして未来である。  確実にいえることは1つ。これは「3D元年」を象徴する作品ではないということです。 
[映画館(吹替)] 2点(2009-12-23 21:27:53)(笑:1票)
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