Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。79ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1561.  新・喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
啄木の墓見に行って植木等が倒れ、パッと教会になって数年後の結婚式、アレアレと思わせといてちゃっかり車椅子で出てくる、なんて観客をからかうあたりはちょっと良かったが、なんかただの名所巡りになってるとこもあって、宇喜多秀家の墓なんてどうでもいいじゃないかと思わされ、総じて期待外れだった。よし、まず悪口を言っちゃおう。取ってつけたようなナマな反戦的言辞「戦争に行く船じゃなくてよかった」。自分で「あの映画は良かった」なんて言うな。紺野嬢の存在感のなさ、などなどが浮かぶが、紺野嬢に加藤剛、中井貴一、田中健と、あきらかに、強烈な個性を持たない・善意の人しか演じられないような俳優を選んでますね。けっして「神話」にはならない、固有名詞性の稀薄な「庶民の物語」を造り出してしまうキャスティング。こういう姿勢は現代の創造者としてイカンと思う一方、どこかでこういう世界を残しておきたい、って気もして、なんか全面否定する気にもなれない。まあそういう、昔の名人を懐かしむ、ってところが味の映画です。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-21 10:18:02)
1562.  ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー
これ全編、ヤンキー精神の国威発揚映画。同時期の日本の国策映画と違って明るいのなんの。成功物語の型。随所にひらめく星条旗。リパブリック讃歌のあとは、リンカーン像に手を差し伸べ、シルクハットかぶった女性二人を脇にJ・キャグニーがステップ踏めば、アンクルサムと自由の女神が登場してきて、もう恐れ入るよりほかはない。ナショナリズムの高揚。こうすればアメリカは興奮するという手本のような映画ですな。この人が踊るんで驚いたけど、あちらの役者は「歌って踊れる」ってのはもう基本なのね(ふーん、ギャング役じゃなくて、これでアカデミーの主演男優賞獲ってるんか)。老人のふりして恋人と出会い、突然の軽やかなステップ、なんて鮮やか。この人は背が低いので、ステップも爪先立ちしたのを多用してた気がする。それが軽やかさを引き立てた。船から上がった花火がスポットライトになる舞台演出の妙。街中のネオンサインをクネクネと経巡って成功の歴史をワンカットで描いてしまう。アッパレというほかはない。日本では悲壮感漂う国策映画が多く作られ、またそういうのが効果のある国民だったが、あっちは明るくイケイケで盛り上がる国民。やっぱそっちのほうが戦争は勝つよね。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2011-01-20 10:09:40)
1563.  ミセス・ダウト
監督がC・コロンバスで、R・ウィリアムズにS・フィールドだろ。やや苦手な面子がそろって、まして冒頭、主人公がタバコの吹き替えを嫌がってクビになるって「良心的」なとこを見せられ、さらに子どもの人気者やってりゃ、アンタンとした気分になりかける。でもアメリカ映画の「型」の強み、話が一人二役になって展開していけば、それなりに見られてしまった。一つの趣向に集中してアレコレすると、アメリカ映画は手を抜かずにアレコレやる。サービスシーンとしていろんな声を聞かせたりいろんな女装を見せたり、R・Wのちょっと躁病的な個人芸を展開してくれる。邪気のないクラスの人気者といった無難なキャラクターなんでしょうなあ。これをひねってサイコ的な役をやってみれば面白いと思うんだけど、「いい人」の線からは出ないの(とこれは公開時に記したノート。その後そういうサイコな役もやったが思ったほど面白くはなかった)。音楽に合わせてダウトがホウキなどで笑っているカットは、つらい。この監督こういうのが好きなんだよな。お面が外に落ちて絶体絶命になったときの対処と、レストランの場は楽しめた。しかし最後にテレビで、家族とはどうあるべきかの演説が流れる。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-17 10:27:39)
1564.  マイ・ライフ(1993) 《ネタバレ》 
『ゴースト』や『ジェイコブス・ラダー』のシナリオの人だってんで期待したけど、それほど凝った話ではなかった。生まれてくる子に、末期ガンのパパが生前に作るビデオ、って趣向。ヒゲの剃りかたや、自動車の修理の仕方や、せがれにしたいことが、圧縮され、意識化される仕組み。「普段」の暮らし、というもののかけがえのなさが迫ってくる(なんか日本のほうがこういうの得意そうだけど、ソーントン・ワイルダーの芝居「わが町」ってのもそうで、アメリカにはけっこうこういうウェットな面がある)。超音波画像で子どもを出産前に見られるようになったし、こうして死後に向けた画像も残しておけるようになったし、「映像画面」というものを通して、今まで不可能だった出会いが可能になる拡がりが起こった。ある意味では人生の拡大。しかしその進歩を謳歌するだけにしないのが、あの一見合理万能の国の「気の弱さ」みたいなところで、そういう「人生を拡げる」科学に対する「人生を深める」もの、ってのを持ち出してこないと落ち着けない。それがあいかわらず東洋の神秘なんだなあ。それとホスピスの看護人が黒人と、アメリカ映画では精神面は有色人種が担うという絶対の定理がある。いつもそうやって釣り合いを取ってると、もうただの様式になっちゃって、そういう「気の弱さ」の本体を一度ちゃんと突き詰めてみたほうがいいんじゃないか、と老婆心ながら思ったりする。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-15 10:33:41)
1565.  天使にラブ・ソングを2
インディペンデントじゃなくメジャー作品で、監督や主な出演者がみな黒人てのは、いつごろから存在したんだろうか。けっこう最近だろ? これなんかハシリのころか。あの民族主義少年なんかを笑いのネタにするのなんかも、監督が黒人だからスンナリできたのかも知れない。民族と無縁にありたい、というアメリカ文化のいいところ。話は型通りなんだ。やる気なく流された日々を送っている生徒たちを導いてコンクールで一等賞にするっていう。分かっててもこういうのに弱く、ホロッとさせられる。拗ねてた子が戻ってきたり、母親の許しを得るところなんか、もうちょっと粘っこくしてもよかったか。音楽室でのデュエット、スズメがどうのって歌、あれ最後まで聴きたかったな。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-13 10:17:10)
1566.  菩提樹 《ネタバレ》 
題名から、てっきりウィーン少年合唱団の「天使の歌声もの」かと思ってたら、トラップ・ファミリーの話だってんで、観た。こっちのほうが『サウンド・オブ・ミュージック』より先なの。もちろん英語じゃない。原作は同じなので、エピソードは嵐の夜の挿話とか、かなり似ている、歌は違うけど。あっちの半分くらいの長さなので、大佐の心の変化などはせわしく感じたが、それもあっちを先に観ているせいかも知れない。こっちでは忠実な執事がナチになり、またあっちとは違った悲しみが描かれる。どうしてもそういうふうに、あっちとこっちとの違いに気がいってしまうが、それもリメイクのある映画の楽しみ方の一つと割り切ってしまおう。子どもたちの合唱、大佐の規律の束縛から解放された世界ってことなんだけど、折り目正しい合唱で、これはこれで別の規律の世界を感じさせられた。ドイツとアメリカの根本的な性格の違い。私はあっちでは「すべての山に登れ」が好きなので、一家が出発したときはどう描くかとワクワクしたが、すぐにアメリカに着いてしまってズッコケた。あっちアメリカ版では、ドイツとなったオーストリアから逃げ出すときに歌を歌ったが(英語)、こっちドイツ版では、アメリカに入国するときに歌う(ドイツ語)。国の仕切りを越える力として、言語に関係なく歌声が有効だったわけだ。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-01-10 10:14:15)
1567.  キネマの天地 《ネタバレ》 
映画は芸術よりも観客を励ます娯楽であるべきだ、という思想がまずあって、そこに通俗性の導入が企てられている(出生の秘密やラストの父の死など)。だがこのクセモノの作者たち(山田洋次・井上ひさし・山田太一)が、芸術と娯楽を対立概念として捉えたままで満足しているとは、どうも思えない。本当なら、芸術と娯楽の境界が曖昧になるところまで練り上げて、そこに通俗的なるものを導きたかったのではないか。そこへいくまでに作品が小さく固まってしまった、という気がしてならない。ラストで藤山寛美にダメを押されると、結局これは観客が素朴だった時代の通俗映画への単なるノスタルジーに終わってしまったのではないか、と思えてしまう。観念的だったホンが、スラプスティック化されて生き生きしたものになり、観客にも歓迎されていく、なんてあの具体的な姿勢で全編押していってもらいたいのに、助監督が映画への信頼を回復する、という重要な部分が、アカギレの女中に活動は楽しいと言わせるだけでは、彼が書いたシナリオと同じで、ナマすぎた。通俗と言われるもののバイタリティーをもう一度映画に回復させたい、という作者たちの気持ちはよく分かる。しかし通俗という言葉がしばしば悪口に使われるのもやはり理由のあることで、類型化による鮮度の後退という大きな欠点があるわけだ。『寅』シリーズが素晴らしいのは、パターン化されそうなところをいつも何か撹乱させる要素を含ませて鮮度を保たせていたからである。あれは通俗性を織り込みながらも、優れた娯楽映画だった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-09 12:22:53)
1568.  夏の庭 The Friends 《ネタバレ》 
死への好奇心が、けっきょく「老人と子どもの心の通いあい」の入り口の役割りだけで終わってしまったようで、もっと「老人を観察し続ける緊張」を持続しといてほしかった。「老人の死」が、やがて戦場での「老人の殺人」に通じていく仕掛けはあるのだが。荒れ地がきれいにかたづいてしまうとこは、少年たちの「秘密の花園」って感じ。悪口を言う映画ではない。ただ相米監督の映画に常に漂う物足りなさは、やはり感じられた。いつも思っていたのだが、相米監督の映画って、神代辰巳監督の一般映画となんか匂いが似ている。ロマンポルノでは、充実したフィルムを次々と作れた神代なのに、それなら「ちゃんとした」映画も撮ってみたまえ、って感じで立てられた企画では、なんか気が抜けた映画を作っていた。相米ファンには申し訳ないが、彼の映画ってその感じに似てるんだ。気が抜けた、は言い過ぎか。全力投球するのを妨げられている感じ。神代が、自在に動ける土俵としてロマンポルノという世界を持っていられたのに対し、少し遅れて監督になったってだけで、日本映画界は、相米にはもうそういう場所が与えられなくなっていた、って気がする。アイドル映画ではたしかに面白いものを発表していたが、たとえばそれが神代の代表作と肩を並べるほど日本映画史の代表足り得るかとなると、ちょっと弱いと私は思う。溢れるほどの才能はあるのに、ついに代表作を作る場を与えられなかった悲劇を、私は相米監督に感じてしまう。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-07 10:30:04)
1569.  ペリカン文書 《ネタバレ》 
読んだことないんだけど、映画化されたものを見た限りでは、この原作者のって、あんまり映画向きじゃないんじゃないの。複雑で。印象に残っているのは、公園(?)で、俯瞰で、ワーッと蜘蛛の子を散らすように逃げていくとこぐらいか。ペリカンの飛行で始まり、飛行機で終わる仕組み。なんか犯行が雑なんだよね。リアリティの欠如。私が犯人だったら、少なくとも同じ日には殺さないと思う。なにか犯人側の打つ手打つ手が自分を指名させていってるようで。で、正義への勇気、というアメリカ映画のいつものテーマ。アメリカではこういうとき「新聞」ってのが拠りどころとして描かれるのが、うらやましい。ジャーナリズムの中立性への信頼。政治に脅されても大丈夫なところ、という前提が確固としてあるんだろう。ヒロインと暗殺者とが、「装う」ところを交互に描くシーンがあったか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-04 15:58:10)
1570.  男はつらいよ 寅次郎の縁談
旅の地はますます桃源郷の様相を見せてくる。たしかに年寄りばかり、巡回診療とか、その土地の問題点も見せてはいるが、ミツオも松坂慶子も、皆ここに来て癒される。このシリーズの世界が、はっきりと現実と空想に分化し始めている。というか、もう空想でしかこういう地がなくなってしまったってことなんだろう。ミツオは、寅の弟子としての寅的なものと非寅的なものとの間で、シリーズのポイントになった(ミツオが膨らむぶん、マドンナの話がしぼむのは仕方のないことか)。寅との共通点を認めつつ、空想の側から現実の側へ追い返させる。それは山田作品における「青年」の役割りでもある。これはもう寅が完全に空想の側の住人になってしまったってことでもあるんだろう。シリーズの終焉は、主演俳優の病勢に関係なく近づいていたわけだ。御前様の代わりに光本幸子が再登場したりするのも、今思えば、なにやら死期が近づいた人に「走馬灯のように」過去が巡っているようで、縁起がよくなかった。
[映画館(邦画)] 6点(2010-12-29 12:19:11)(良:1票)
1571.  怖がる人々
まず「箱の中」。なんかつい撮影状況を想像するほうで楽しんでしまうところがあって、映画として楽しめたかは微妙。警備員の声は届くが、こっちの声は聞こえてない、という状況。「吉備津の釜」。記憶が立ち上がってくる気配がいい。オチがついてかえってつまらなくなってしまう例。「乗越駅の刑罰」。斉藤晴彦はミスキャストだったが、萩原流行は意外と気にならなかった。花王おさむがいい。不当な非難じゃないんだよね。こっちにもちょっと疚しさがあって、これがあると身に沁みる度合いが深まる。たとえば『激突!』がそうだったように。身内までも糾弾に加わってくる。杉山とく子もいい。「火焔つつじ」。ここでは脅かすものが登場しない。女の嫉妬なんだけど。なかなか開かない雨戸の外にある。二人のときに長回しって効果があるみたい。「五郎八航空」。最後は笑いで締める。理解しがたい状況もの。じっくり怖がらせてくれる一本の映画の方が好きだけど、いろんな「怖い」のパターンがある、という索引の面白さを見せるオムニバスだった。
[映画館(邦画)] 6点(2010-12-27 14:46:46)
1572.  ラ・ジュテ 《ネタバレ》 
剥製たち。静止画像だと、それが生きているのか剥製なのかの区別がつかない。そこが博物館だと知らされているので、過去に死んでいるので静止しているのだろうと思うが、こういう作りの映画だから動物園を描いても同じに見える。そこらへんの多義的な曖昧さが作品のポイント。寝ている女の顔の連続画像によるうつろいが美しく、そして静かに目をまたたく。実はこれ、昔スクリーンで、同じマルケスの『北京の日曜日』やレネの短編なんかと一緒に一度観てるんだけど、そのときの私のノートには「“過去の女”がまたたいたとこは動いた気がするが、巧妙なディゾルヴだったか」と自信なく記されている。今回は録画してあるので、観終わった後にさらにもう一度確認した。動いている。やっとはっきりしてスッキリした。このハッとさせる瞬間のために静止画映画という試みにしたのかも知れない。剥製のように静止していた過去のものが、生きてまたたくおののき。スッキリはしたが、スクリーンで何も知らずに観たときの、再確認できない・夢幻のような曖昧なまたたきの効果のほうが狙いだったのであって、余計な確認をしてしまったか、という気もした。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-12-25 15:02:54)
1573.  シャネル&ストラヴィンスキー
アール・デコって都会的なんだけど、ここでは田舎の中にデコの家がある。黒い縁が美しい部屋。外に広がる「田舎」に、近代女性であるシャネルが必死で抵抗しているような室内装飾だ。外の田舎は、イーゴルの妻の方がふさわしい。とんがっているシャネルと、病弱ながら周囲に広がって包み込んでいるような妻、との緊張。シャネルはイーゴルに刺激されて、洋服屋から香りの芸術家になろうと試みる。妻は夫の譜の清書を淡々とこなし、この生活から感じる腐敗の匂いに耐えていく。これ面白くなれそうなんだけど、どっかで見たような三角関係話どまりになってしまった。ピアノの響きによる嫉妬のうずき、クリムトの絵画のようなベッドシーン、などはちょっと面白い。でも一番思ったのは、ついにストラヴィンスキーも映画になったか、という感慨。楽聖映画ってジャンルがあり、シューベルトなどの名作がある(シューベルトは全裸にならなかった)。私の知ってる範囲では、ケン・ラッセルの『マーラー』が一番最近の作曲家だったが、とうとう第一次世界大戦を越えて、20年代のストラヴィンスキーが、シャネルとの二枚看板ながら映画の主役になった。これは当初最前衛だったストラヴィンスキーの音楽が、一般的なポピュラリティを獲得したって事なんだろう。次に映画化されるのは誰か。ウェーベルンなんて、ナチの支配に耐えながら米兵に誤射されて命を落とすドラマチックな生涯なんだけど、音楽の極北のようなデリケートな十二音の世界が、いつかシューベルト並みのポピュラリティを獲得する日が来るかどうか。「スターリン&ショスタコーヴィチ」なんて方がありそうだな。
[DVD(字幕)] 6点(2010-12-22 10:09:35)(良:2票)
1574.  リトル・ブッダ
画調はちゃんとストラーロで格調高いんだけど、展開していることは、ときにセシル・B・デミルだったりして、いっそおとぎ話ならおとぎ話に徹しフェリーニ的に造形してくれれば、まだなんとかなっただろう。そりゃね、西洋人に東洋は分からん、なんて言うつもりはないよ。私だってブッダとの距離は、たぶん平均的西洋人とさして違わない。でもあちらの映画に出てくる東洋的なるものって、なんか引っかかるんだよね、東洋の売りは「精神」だけなのかなあ、とか。非合理的である、ってだけで尊重されるのは困るんだ。あちらの人が、合理合理でいって疲れたときの、いっときの椅子がわりに東洋を持ち出されているみたいで。シッダルタが町へ出ていくあたりは嫌いじゃない。善きもののみを見ていた世界に厚みが加えられるところ、奥行きと言うか。少年が迷い込んでいくところで繰り返される(ロクロ台まわし)。西洋人がオリエンタルの中へ迷い込んでいく雰囲気は『シェルタリング・スカイ』の流れ。東洋と西洋、男と女と、うまく分担して再生していくわけ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-21 10:11:09)
1575.  ジェロニモ(1993)
基本は友情が交錯し青年が成長する話。前半、保留地の暴動のあたりがイキイキしている。発砲の瞬間、フィルムに白いコマをはさんでいるみたい。ただ後半はちょいと演説的になってもたれる。難しいところだ。インディアンの扱い。ちょうどアメリカ映画史において西部劇がたどった苦難をなぞるように、この映画も後半停滞していってしまう。スカッとはいけない。こういうときアメリカは、すべての集団の中に、イイヤツと悪イヤツがいる、ということで処理していく。しかし追い詰められるアパッチ族の悲壮感が今ひとつ湧かず、平和を説く古老なんかを配置するのは、段取り過ぎて鬱陶しい。切り捨てられる斥候インディアンのほうに、悲惨を感じた。西部劇は荒れた土地があればだいたい撮れちゃうから、時代劇よりいいね。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-17 09:56:11)
1576.  トゥームストーン 《ネタバレ》 
西部劇映画の祖である大列車強盗で始めて、ワイアット・アープの葬儀に西部劇俳優が涙したというナレーションで終わる。西部劇と西部劇史を重ねたような気分があり、そこらへん徹底すれば面白いものができたかも知れない。なんか尻すぼみ。神父をあっさり殺すリンゴの登場のさせ方なんかもいいんだけど(生まれてきたことに復讐しようとしている男)、変に湿っぽくなったりもする。阿片中毒や銃規制や女性の地位の問題とか、なんか現代に色目を使っているようなとこが露骨で、不純感。「酔ってて二人に見えるだろう」「そのために二丁持ってるのさ」。ワイアット・アープものではドク・ホリデーが大事で、西部劇常連のキャラクターの中でも、魅力的な存在。肺病やみで医者くずれで賭博師と、ロマンの要素をたっぷり持っている。この黄金のコンビが出れば、それだけである程度は見せてしまうとこがある。撃ちながら前方に走っていく姿勢というのは、誰がやってもかっこいいなあ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-11 09:58:16)
1577.  パリ、テキサス
この人の映画は、その映画に必要とされる時間よりいつもちょっと長すぎるみたいな気がして若干苦手、ロードムービーとして風景を眺めている時間が長いからなんだろうか。曇天に夕陽のシーンなんか、実に美しいけど。話としては、父を演じ直そうとする男の物語。フワフワと歩いていってしまう男、飛行機には乗れず、同じナンバーのレンターでないと駄目、という人。靴はいつも磨いて揃えておく。子どもがだんだんなついていくところに一応スリルがある。8ミリもいい。かつての良かった時。息子は水槽の脇から画面と父を観察している。銀行から赤い車を追うサスペンスもある。ナスターシャ・キンスキーが出てきてからダレたか。それぞれの嘆きが、分解してバラバラに散っていってしまうようなテキサスの風土。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-09 10:32:15)
1578.  第9地区
エイリアンの存在が日常と化している、その設定のみ評価。今まで宇宙人は『宇宙戦争』みたいに対立するものにしろ、『未知との遭遇』みたいに友好的なものにしろ、なんというか、敵とか神とか非日常的な「目覚ましい」存在だった。ここでは被保護者として日常的に存在している。『E.T.』も被保護者ではあったが、ああいう特定の狭い環境下ではなく社会そのものでそうなっている。もっぱら宇宙人もので国家が介在してくると、「国防」問題としてだったのが、ここでは「治政」問題として登場する。そういう状況をスケッチしていった冒頭が楽しかった。まあ結局、世界にあふれている異民族間の軋轢を(あるいは狭く南アの問題を)、難民としての宇宙人に置き換えて描いただけじゃないか、ということだが、でもそうやって置き換えることで新鮮に見えてくるものもある。苛酷な植民地支配を徹底的に受けた大陸を舞台にして生まれた発想だろう(でも後から入ってきた白人がエイリアンになぞらえられてるわけではなく、意図的なのか無邪気ゆえなのかは分からないけど、微妙なネジレがある)。今まで宇宙船がもっぱら北半球に訪れたこと自体に、宇宙の偏見(!)があったのかも知れない。ただドラマとして展開していくには、既製の北半球的物語を利用するしかなかったのが弱点で、冒頭でワクワクした分、物足りなかった。でも晴れ渡った・影のくっきりしたゴマカシのない世界像はいい。
[DVD(吹替)] 6点(2010-12-07 09:56:49)
1579.  続・忍びの者 《ネタバレ》 
私なんか山村聡っていうとテレビでの「ホームドラマの穏和なお父さん」って印象が強いので、昔の映画で暗い役やってるのを見ると最初は意外な気がしてた。煩悶したり自殺したり、ものごとを悪い方へ悪い方へと考えがちな、知的で暗い人物の役が多く、監督やらせると『蟹工船』だったり。だもんで、光秀=戦国史上一番暗い男=山村とすんなりキャスティングされたんだろう。まだ私はホームドラマのお父さん気分が抜けきれてないもんだから、ちょっと戸惑った。若山富三郎の信長体型もかなり違和感だったし(こっちの方がよっぽど石川五右衛門)。でもそれらは見てるこちらの問題。忍者映画にしては忍びの者が無力すぎないか。本能寺で何をしたかっていうと、トドメは刺したものの、追い詰める手段としては床下で火を焚いてるだけなの。個人的な子の仇なら、光秀を離反させるなんて遠回しな政治力学に加担するより、好きなときに自分で忍んで寝てるとこ刺せばいいじゃないか、そんな簡単に忍び込めるんなら。人に使われることが染みついた下忍根性のフガイなさ、ってテーマに集約されてるわけでもなく、なんか無力感ばかりが募る(本能寺で学んで、次の聚楽第では前向きになったってこと?)。そして左翼監督の悪癖、弾圧されるシーンでの悲壮感への陶酔。なぜ敗北したのか、と建て直しに向けた論理的な検証はなく、弾圧されたこと自体が自分たちが正義である証明だとでも言うように酔ってしまう。弾圧された死者たちは、ただの記念碑になってしまう。これ左翼に限らず、日本において野党的なるものに共通している心情。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-12-06 10:29:28)
1580.  愛と精霊の家
長編の映画化は本当に難しい。総集編になってしまう。弟たちをカットして女系の線でまとめたのは仕方あるまい。それでもエステバンという人物の複雑さは出せなかった。いっそエステバンだけに絞るという手もあっただろう、「『愛と精霊の家』より」、として。メリル・ストリープは、まったくの死に役、グレン・クローズに負けた。風土は南米でも監督の北欧の気配がところどころある。空気の濃密さが感じられないとか、少女たちは北欧っぽいとか。大河ものってのは忘れたころに人物が再登場するところにドキドキがあるんだけど、この時間だとそのタメが足りなくて、ドキドキにまで至らない。私生児はまだしも、あの娼婦なんかオッという感じがまったく出ない。まあ豪華配役陣を眺め回す楽しみはあった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-03 10:27:10)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS