Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。99ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1961.  K-19
“革命の英雄”と“強制収容所で死亡”と二つある父親に関する伝説、どっちが正しいのですかと尋ねられ、両方だ、と答えるH・フォード。簡潔に時代を描いている。ただほんとに描くべき時代の像は、冷戦の狂気であったはず。放射線の怖さは出ていたが、全体がヒロイズムの物語で閉じてしまっていた。放射能の危険地帯に乗り込んでいく勇気は賞賛されるが、そういう苛酷な選択を迫られる状況を招いたものへの怒りにまでは結ばれていない。いくら生き残れたものが哀悼したって、いい気なものだ、って気持ちにもなってしまうのだ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-30 12:14:33)
1962.  グレースと公爵
ヒロインは革命の是非には関せず、野蛮や不寛容への嫌悪に基づいて行動する。公爵と政治的な意見は異なっても、元恋人同士の親和の情に基づいて動く。心意気ってやつだ。革命政府と絶対王政とどっちが野蛮か、なんて暇なときに考えればいい、いま目の前にある野蛮をとりあえず回避しようとする。この行動原理は、現在世界で起こっているアレコレについても有効だな、と思ったがそれは映画とは別の話。曇天の王の処刑の日、聞こえてきた喚声を、いま民衆が蜂起して王を救い出したのかも知れない、と思うヒロイン。心意気には限界がある。『悪魔の発明』を思わせる絵画調の風景は、この映画が民衆が見たリアルな世界ではなく、あくまでヒロインの眼に映った光景だ、と言ってるよう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-29 12:13:24)
1963.  憎いあンちくしょう
マスコミの寵児北大作と裕次郎本人とがダブる仕掛け。虚像をはいだ本物の裕ちゃんはこうかもしれない、って感じをファンに抱かせる。スター映画もだんだん手が込んでくるのだ。ヒューマニズム・純粋愛と持ち上げようとするテレビディレクターに対し、売名行為と言われても車を飛ばすしかない裕次郎。ただ倦怠と愛の確認のために走ってるってのがいい。これはポンコツジープとジャガーの対比であり、ジミチとハデの対比でもあり、地方と東京の対比でもある。本来ハデの代表であるスターを、ハデにうんざりしてるという役に置くことでカッコよく映った時代、庶民の夢も屈折していたのだ。大阪の人混みのロケや、博多の祭りの賑わいなどの活力描写が生きてる。期せずして62年の日本の道路状況の記録にもなった。主要路もまだけっこうドロンコ道だったのね。道路はその後よくなったが、無医村状況は悪くなったのではないか。裕次郎が鼻歌でスーダラ節をやってたのも、まさに62年。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-27 12:18:59)
1964.  めぐりあう時間たち
ジュリアン・ムーアの老けメイクに感心した。素顔の地を生かしながら、ちゃんとメリル・ストリープより年上になっている。ニコール・キッドマンの鼻よりこっちの勝ち。話としては、幽閉からの解放が一つのテーマか。ウルフは田園に幽閉されて自ら命を絶つ。ムーアは平凡な日常に幽閉され、命を絶ちかけるが逃亡する。現代では幽閉されているのは男、心配しているのが女と、ウルフの時代から逆転した。女性解放の歴史であった20世紀だが、しかしそれはまた何とうら寂しい輝きのない場所に至ったのか、と思う。女と男が入れ替わっただけで、幽閉の被害は消えてないということか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-24 12:21:24)
1965.  それでも生きる子供たちへ
私は一番最初のアフリカの少年兵の話が良かった。たとえば青空の下の畑(?)での大人の敵兵との撃ち合いなんか、そこが遊ぶにふさわしいような場所だけに、その唐突さ・非現実感から現実感が生まれてくるジワッとした感じなどが迫ってくる。破壊するために訪れた教室で、学ぶ夢に誘われる少年を、スニーカーを脱いだ足で見せた。言葉は寡黙で映像が雄弁という理想的な作品だった。“学校の夢”はラストの中国篇とも呼応している。また中国篇は“ゴミ拾い”でブラジル篇と、アフリカ篇は“戦争”でイギリス篇とつながり、“盗み”でジプシー篇とイタリア篇が通じ合っている(あのイタリア篇、夜の遊園地が夢のようにきれいだと思ったら、カメラがヴィットリオ・ストラーロだったのか)。いま世界での苛酷な子供の状況を多元同時進行的に捉えることが出来るオムニバスでもある。
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-22 12:21:40)
1966.  鏡の女たち
この人のトレードマークである日傘=まぶしさが、本作の場合ヒロシマの六千の太陽のイメージに重なる。エンディングでは日傘もなく、自分の手をさしのべて光をさえぎろうとする。この監督の特徴として「こうであったかもしれない過去」へのこだわりがあり、これは歴史の不動性へのいらだちでもあるのだろうか。娘かもしれない、娘でないかもしれない、いくつもの有り得た過去を肯定することで、歴史に一方的に振り回されることへ抵抗しているよう。素手で原爆の熱光をさえぎろうとするような無謀な試みではあるのだけれど。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-20 12:16:16)
1967.  ブラック・スネーク・モーン 《ネタバレ》 
半裸のクリスティーナ・リッチが鎖に縛られて監禁される話と聞けば、良からぬ期待を抱いて見てしまうのは、まあ男の業。ところがぜんぜん猟奇変態ものじゃないの。どちらかというと“健康が一番”ってストーリーで、おいおい話が違うじゃないか、と思ったときは遅かった。治療と回復の話であった。予断を持って見たこちらが悪いのであって、リッチ嬢に責任はない。はい、南部の空気が味わえる良い映画です。白人の娘が殴られて道に倒れているのを見つけた黒人は、保安官に知らせると面倒なことになるので自宅に運んで治療する、なんてあたり、ああこれが南部かと思う。ただね、白人が抱える問題や悩みを、有色人種の精神性が癒やしていくってパターンはアメリカ映画に多いのよね。あからさまな差別とは言えないかも知れないけど、なんか『風と共に去りぬ』の黒人乳母マミーの扱いのころから、さして進歩してないんじゃないかって気にもなる。そういえば、M・ミッチェルはあからさまな差別映画『国民の創生』の原作者の熱狂的なファンだったそうだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-18 12:18:47)(良:2票)
1968.  スパイ・ゾルゲ
スパイの話なら「忠誠とはなんぞや」というテーマが出てくるかと思っていたが、そういう突っ込みはなく、描きたかったのは彼らの情熱か。ゾルゲらだけでなく、226の兵士たちの情熱にも焦点が当てられていた。時代を動かさずにはいられない情熱の沸騰へのおののきと共感。でもたとえば近衛文麿の「情熱のなさ」も歴史に関与したわけで、歴史と情熱の関係はそう単純なものではないだろう。映画の一番の売りだったCGによる過去の上海や東京の再現は、街にくすみがなくノッペリしていて、なんか修正済みの昔の絵葉書の中に入りこんだよう。それを狙ったんじゃないだろうけど、面白い味が出ていた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-15 12:24:51)
1969.  ハリウッドランド 《ネタバレ》 
たぶんテレビのスーパーマンを見たことのある最後の世代です。子どもの頃は風呂敷をマントにしてよく飛んでたなあ。スーパーマンの俳優は自殺したんだよ、って話は子どもの間で流れていたが、あの当時はほかにも、ハリマオの俳優は象に踏み潰されて死んだんだよ、といった類似の噂もあり、一種の都市伝説と思ってた、けど本当だったんだ。どうしてもそういった懐かしさ抜きには見られない映画で、だから映画会社の陰謀話よりもスーパーマン俳優のやりきれなさのほうがグッとくる。白黒撮影用のくすんだコスチューム、実演ショーのヤレヤレ感(おまけに子どもに不死身かどうか試されそうになる)、一番哀切なのは『地上より永遠に』の試写会シーンか。飛躍したくても、もうスーパーマンの呪いから逃げられない(ちょうど撮影のとき吊っていたロープが切れるように)。ハリウッドでは中途半端な成功は、行き止まりと同じことなんだ。俳優同士の嫉妬や隙あらば脚を引っ張ろうというハリウッド社会、いや、そういう積極的な悪意だけでなく、ちょっとしたからかいなどがじわじわと一人の俳優の未来を塞いでいく恐さ、これに比べると陰謀話はかえって小さく思えた。一応亭主の嫉妬事件で、探偵と話はつなげてあるんだけど。
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-14 12:20:49)
1970.  昭和歌謡大全集
古田新太の歌う「錆びたナイフ」の下手さは見事であった。役者が音痴を演じるときって、いつも突拍子もない音程に飛ばしたりして大袈裟になってしまうもの。無意識のうちに「本当は私は音痴じゃないんだけど、演技でやってるんだよ」ということをアピールしたくて、ついついオーバーにしてしまうと思われる。女優がブスを演じるときのメイクが、ことさら大袈裟になるのと同じ理由だ。なのにこの古田新太の音程のずれ具合は、実にリアリティあふれる味わいのあるもので、役者としての喉の鍛錬が行き届いていることが分かる。それとももしかして単に…。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-13 12:12:52)
1971.  フリーダ
亭主が桂春団治的で、芸のためなら浮気もコヤシって感じの人。でもメキシコの女はただでは忍従しない。忍従を美徳としない。忍従するくらいなら男になってしまう。受難を解放に変えていく。自分の体を締め付けているギプスに絵を描く、自分を拘束するものによって解放されていく。それはラストの寝台ごとの個展出席にまで続いていくわけだ。メキシコ文化という拘束から、インターナショナルなものを生み出していく。地球の反対側の中南米文化って、中身も日本と正反対みたいで、元気いっぱい。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-08 12:13:49)
1972.  深呼吸の必要
日本では珍しい労働映画かと期待していたが、それは背景であって、挫折からの回復とか、リフレッシュとか、癒やしとかの、ご存知の話になってしまっていて惜しい。せめてラストは10分くらい徹底的に刈り込み作業だけで見せるべきじゃなかったか。キャッチボールによる立ち直りよりも、作業そのもの、作業の中で思いつく工夫とか、そういう労働そのものの面白さの発見で立ち直った方がこの作品にふさわしかったのじゃないか。予定調和を裏切るドキュメント精神が期待できる設定だったのに。音楽が4拍子の16拍を5+5+6という変わったシンコペーションで分割していた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-03 12:18:09)
1973.  ロケーション
最初のうちは「苦労の中でも頑張ってる」っていう映画界の内輪の自慢話みたいで、あまり乗れずに見てたんだけど、なんか途中から奇妙な味が濃くなってくる。話の枠組みから自由になってもいいんだ、っていう余裕というか脱線というか、夢やら幻想やらが侵入してくる。ロケ隊についてくる美保純のほうがいつのまにかロケ隊を引きずり出し、さらに映画の統合者であるべき監督も消えてしまうとなると、もう誰も責任を持って話の主導権を握らず、まるでこの映画全体が、劇映画から記録映画へと、映画史を逆にたどる旅の様相を呈してくる。森崎東のアナーキーぶりが頭をもたげてくる。逆回転で海から一同が出てくるラストに、映画誕生の瞬間への到着を見てしまうのは、考え過ぎと言われようと、ここまで旅を共にしてきた観客の義務だな。
[映画館(邦画)] 6点(2008-04-30 12:17:04)
1974.  トランスフォーマー
もっと身近なものが次々に変身していく話なのかと思ってた。たしかにケータイや自販機も変身したけど、主は自動車で、もともと車は擬人化しやすいものでしょ、最近もアニメ『カーズ』があったばかりだし、車じゃ変身することのおののきが弱い。日本の妖怪では古くなった家具や道具が命を持ち動き出すってのがあるし、ボッシュやブリューゲルの絵にもそんなのがある。ああいう感じのアニミズム的百鬼夜行(まさにアニメの原点)を期待しちゃってたんで物足りなかった。こういう動きまわる画面でもちゃんと合成できるんだよ、って自慢したいのか、単なるアラ隠しなのか知らないけど、カメラワークがやたら目まぐるしいので疲れた。タトゥーロや美人科学者は中途半端なままで終わってしまった。とはいえ市街戦の場は合格点で、映画の誕生時にあっただろう見世物としての生命力みたいなものをちょっとでも感じさせてくれると、私は甘いのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-04-26 12:22:06)
1975.  誘惑者
ゆったりとしたテンポがけっこう心地よかった。ゆったりというより、ねっとりか。陽が陰っていく部屋の味わい。ただミステリーとしてはあんまりスッキリしなかったような。門倉聡いう人のギターの音楽がなかなかいい。これもう二十年近く前の映画で、草刈正雄はいくつだったんだろう。この人は二枚目という十字架を背負いつつ、それでも一生懸命世界を広げようとしているマジメさがあって嫌いじゃないんだけど、でもなんか代表作に恵まれずズルズル来てしまった。最近ではとうとう『女王陛下の草刈正雄』までやって。日本映画はこういうタイプをうまく使いこなせない。加山雄三だって、喜八・黒澤・成瀬以後ズルズルと若大将でつぶして七十にしちゃったし。
[映画館(邦画)] 6点(2008-04-19 12:16:34)
1976.  山猫令嬢
脚本は依田義賢だ。この題は山猫のような母親にも令嬢の娘ってことか。母親の醜業によって学校へ通える娘、自分の存在そのものが娘を不幸にしていると気づく母、負い目と負い目がジメジメと不幸感を盛り上げていく、という戦前からある型だが、戦後らしいところは、身を引こうとした三益愛子を、学生服を着た(!)小林桂樹が「そんな悲劇はもう古いですよ」とたしなめるとこか。でも本作をきっかけとして、その古い「母もの」が量産されていくわけで。対比がくっきりしたドラマ。田舎の青空・自転車・セーラー服・農業で育った三條美紀が、京都・車・キンキラの服・花街へと移し替えられていく。一方に女声合唱があり、一方に“さのさ”がある。先生の高田稔が実は…、ってとこでは場内に少なからぬ笑いが起こった。若き朝比奈隆が関西交響楽団を指揮した「エグモント序曲」が、けっこう長く収められているので、日本クラシック演奏史にとっては貴重な映像資料になるだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-04-18 12:18:35)
1977.  トランシルヴァニア
大枠だけを取り出すと「ジプシー男をトランシルヴァニアにまで追ったフランス女が捨てられ、自らが流浪の人となる」って話。たぶんジプシーに対して昔からヨーロッパが抱いていた、偏見とセットになってるロマンチックな誤解ってのがあるんだろう。自転車で走る爽快感など、たしかにいいなあと思う。放浪って、壁に囲まれることの鬱屈からは自由になれるが、壁に囲まれることの安堵からも追放されるわけで、でもそこらへんを突っ込む映画ではなかった。異国で異邦人としてさまよう気分を疑似体験する映画か。おそらくスクリーンで見れば美しいんだろうなあ、という日没の光で撮られた場面があり(ヒロインが去った後の車の友人、ビールビンで頭叩く男)、そういうところDVDだと濁ってしまって残念。ここんとこ『パラダイス・ナウ』『ボンボン』とコーヒー占いの映画が続くと思ってたら、これにもまた出てきた。日常を離れる運命の訪れを示すときの定番なのか。
[DVD(字幕)] 6点(2008-04-17 12:23:59)
1978.  魅せられて四月 《ネタバレ》 
英国人は心底地中海に憧れてるんだなあ。夫の咀嚼する口元にイギリスの陰気さが凝縮されている。階級の違う人間たちが一緒に保養ってのが、イギリスではよくあることなのか、あんまりないからドラマになるのか、たぶんそっちだろうけど、そこらへんがも一つ不明だったがまあいい。明るいイタリアでのイギリス女たちの保養と回復の話。トカゲが体の上を這っていく、まどろみの日々。極楽極楽。この女の都にも男が侵入してくる、社会・社交の侵入。まどろむためにやってきた場所でも、男が別の女性に気がいってると思うと嫉妬が起こる、なんてあたりの女性心理の観察。でも大事件は起こらない、いまや満月、すべては回復して円となり、杖にも若葉が出てくる。って、いかにもイギリスらしいキチンとした映画で、それがいささか物足りなくもあり。
[映画館(字幕)] 6点(2008-04-16 12:15:42)
1979.  (秘)色情めす市場 《ネタバレ》 
手持ちカメラで自然光の多用と、ドキュメンタリータッチのザラザラした感触。逆光で捉えた宿など、そのまま監獄を思わせる。全編にたちこめる大阪の匂い。とにかく、あいりん地区にカメラを持ち込んだことだけでも評価されるべきでしょう。この手の映画の需要は、すけべな気分になりたいなあ、ってのが圧倒的多数なのに、あいりん地区のドキュメントタッチでは、それに応えてくれない。こういうわがままが出来るほど、まだこのころの日本映画は作家性が許されていたのだ。せめて女の柔肌の肌色だけでも拝ませてくれ、という客の願いもむなしく、画面は白黒。ラスト近くで突如カラーになるが、それがニワトリのトサカの赤のアップ。これの驚きの効果は絶大だった。鬼才と言われた田中監督だったが、以後の日本映画界はこの異能の発揮場所を十全には与えてくれず、06年に亡くなった。合掌。
[映画館(邦画)] 6点(2008-04-15 12:18:42)(良:1票)
1980.  ミスター&ミセス・ブリッジ 《ネタバレ》 
愛すべき頑固親父もの、ってのが映画にはある。娘たちからは時代が変わったのよ、と言われ続けてるのに、たとえば画家を見ると「なんで働かん、絵は週末に描けばよい」と叱責する。妻は夫の言いなりになって当然、そのかわり夫は妻に嫌な話を絶対に聞かせない。娘のふしだらや自分の心臓が弱っていることなどを妻の耳に入れないことが、夫たるものの義務なのだ。これはもうどうしようもなく古くさいわけだけれども、こういう一対の夫婦像に代わるものをまだ現代は生んどらんじゃないか、という保守派のグチみたいなものも聞こえてくる。前向きに生きている娘たちのほうがみじめっぽい。もちろんいつでも古いものは堂々としていて新しいものはみじめっぽく、それでも時代は新しいものに加担していく。竜巻の中での食事のシーンが良かった。大丈夫だと言う夫、それを信じて逃げない妻、私の判断に誤りがあったことがあったかね、と泰然と食事を続け、竜巻は静まっていく。
[映画館(字幕)] 6点(2008-04-12 09:50:58)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS