Menu
 > レビュワー
 > ころりさん さんの口コミ一覧
ころりさんさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 634
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 2020年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  パスト ライブス/再会 《ネタバレ》 
見終わるといくつかのシーンが頭から離れない。本当に美しい106分間でした。  主人公のノラは小学校時代にソウルからカナダに移住し、いまは家族とも離れて作家としてニューヨーク暮らし。ノラの小学校時代の(両想いの)幼なじみヘソンは、途中で兵役や上海に留学した期間もあったけど、基本的にはソウルにとどまっている。NYで自分のキャリアを追求してどんどん前へ進んでいくノラと、ソウルでなんとか暮らしながら、いつも同じメンバーの男友達と焼き肉屋でのやりとりを繰り返すヘソンの描き方は、とても対照的。二人は10年前にSkypeを介して遠距離でやりとりするも、結局会えないまま。そして現在のNY、結婚したノラのもとにヘソンが尋ねてくる。24年ぶりの再会は果たして・・・というストーリー。  広告や予告編のイメージでは、コリアン・アメリカンの女性がかつて恋人だった一途なイケメン韓国男性とNYで再会、というキラキラ恋愛ストーリー風だったのだけれど、実際見てみたら全然違ってた。たしかにヘソンは一見イケメンではあるのですが、NYに降り立った彼の野暮ったさ。今どき英語も片言でいつも自信なさげ。それでも、ノラと時間を過ごすうちに、彼の迷いや気持ちが、台詞というよりも佇まいや表情、語っている言葉の裏側から少しずつ見えてくる。その過程が、とても自然で、リンクレイター監督のカップル再会ものの傑作『ビフォア・サンセット』を思わせる、自然な会話と態度の変化が、雨のニューヨークを舞台に丁寧に描かれていました。  そして象徴的な場面の数々。冒頭のノラと夫のアーサーそしてヘソンの3人の並び。子ども時代のノラとヘソンが別れる「分かれ道」。そして、ラストのウーバー車を待つノラとヘソン。どれも台詞はほとんどないのですが、空間の切り取り方と間の取り方がすばらしく、どれも脳裏に焼き付いています。とくに、ラストのノラのアパートを出て歩くシーンは、「無言であることに悶絶する」屈指の名場面です。これを映画館で味わえたのが一番の幸福だったかもしれません。やっぱり大作以外は配信に偏りがちな映画鑑賞習慣を見直さなきゃと思いました。  結局、ノラとヘソンは、子ども時代の「分かれ道」で言えなかったことを言うために、24年間かけてきたわけですが、「あの時こうしていたら、ありえたかもしれない二人の姿」を思いながらも、「いま」を抱きしめるラスト。こんなド直球な大人の恋愛映画、本当に久しぶりでした。冷静にみれば、アーサーもヘソンも「いい人」過ぎて、ちょっと主人公にとって都合良すぎな感じもありますが、それを補って余りある美しいシーンの数々と自然な会話の脚本をぜひ堪能してもらいたい。  蛇足ですが、FacebookやSkype(とくに着信音)が、ひと昔前のノスタルジックな感情をかき立てる小道具としてとっても効果的だったのには、時の流れを感じました。
[映画館(字幕)] 9点(2024-04-25 07:52:19)
2.  落下の解剖学 《ネタバレ》 
もう少しサスペンスなのかなと思ったけど、予想以上に「夫婦危機モノ」でした。夫婦危機モノも好きなのでそこは問題なし。夫婦の問題は冒頭ではあまり示唆されないまま(でも大音量音楽が鳴り響く不穏さはすごい)、裁判の過程を通して、さまざまな証言者の登場によって見えてくる。夫婦ともに「創作」に関わる同業者夫婦(どうやらもともとは夫のほうが師匠的な立場だったのが、ある事件を機に逆転してしまった)であり、障害を持つ息子がいて、そしてフランス人とドイツ人の「国際結婚」で日常的には英語で会話しているという環境・・・夫婦の「対等な関係」とは何か、親の責任と子の自立、他者を媒介する「共通言語」の存在など、どの設定も現代社会のいろいろなあり方を象徴している。それがものすんごくパーソナルな関係性のなかに埋め込まれていて、しかもそれぞれの証言者の主観で語られるものだから、溝やズレや矛盾だらけで、いっこうに全体像は見えてこない。・・というか結果的には、人間関係の、そして他者の全体像が見えないなかで、私たちはどう生きるんでしょうか、と問いかけた映画でした。その答えはなかなかシンプルではありますが、納得感はある。  昔、身近な人が巻き込まれた事件の刑事裁判を傍聴し続けたことがあるのですが、その裁判の感覚にとても近い。いろんな物的証拠や証言は並んでも、最後にそこに首尾一貫した結論が現れるわけではない。そんな不確かな現実に、当時はものすごい無力感を感じたものですが、この映画の結論は、そんな状況での一筋の希望にも見えます。誰もが面白いと思える映画ではないと思いますが、個人的には勇気をもらえる、よい映画でした。
[映画館(字幕)] 9点(2024-02-27 16:39:48)(良:1票)
3.  フェイブルマンズ 《ネタバレ》 
スピルバーグの映画って「怖い」ですよね。異世界とか怪物とかの「それ」ではなく、人間が怖いといったらありきたりですが、人と人のあいだにある「絶望的な溝」みたいなものが垣間見えてしまう「怖さ」っていうのかな。自分が「これは理解できないかもしれない」っていうものが目の前にあって、でもそれとなぜか対峙しなきゃいけなくって、でもやっぱりわからなくて・・みたいな瞬間。  巨匠の自伝的作品とはいえ「思ってたのと違うらしい」と聞いていたので、あまり期待せずに見てみたら、その「怖さ」の深源を見てしまったような、そんな作品でした。冒頭の『史上最大のショウ』でサム少年が夢中になったのは機関車の大事故のシーン。大人目線ではいかがなものか、というものではあるのですが、子どもがそこに吸い込まれる感じ、すごくよくわかる。ところがカメラを手にした頃から、サムはフィルムに「得体のしれないもの」が残ってしまう恐ろしさと対面する。父親の友人ベニーに向ける母親の視線なんて、思春期の少年が一番見ちゃいけないやつだし、母親だっておそらくあのフィルムを見るまでは自覚すらしてなかったかもしれない。でもフィルムに残っちゃったものはしょうがない。そこから始まる家族物語の顛末の辛いことったらない。母親はだんだんおかしくなり、猿にベニーと名付けるあたりで、決定的な「溝」が見えてしまう。一方で、イヤ〜なイジメっ子高校生もカメラを通せばなぜか「キラキラ」男子になってしまうことの不思議。カメラを向ければ、被写体の本心だけでなく、自分の奥底にある欲望にまで向き合うことになる・・・。  本作を見ると、映画賛歌どころか、スピルバーグの映画ってもしかして映画への「復讐」だったのか、とさえ思えてくる。偏執狂的ともいえる「恐怖」への執着、ヒューマンな映画にふと挿入される人間を突き放したような表現、そして、他者を理解することに対する諦めにも似た冷静さ、そして不謹慎なものがもたらす高揚感・・・。今までのスピルバーグ映画にあった二面性というか多面性の由来を見た感じ。「復讐」でもあるけれど「ラブレター」でもある。「思ってたのと違った」けど、こんな違いなら大歓迎。こんなん、スピルバーグにしか作れない「恐ろしい」映画でした。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-12-25 17:50:07)(良:1票)
4.  キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 《ネタバレ》 
原作既読。原作発売時の帯にすでに「スコセッシ&ディカプリオで映画化!」とあってとにかく心待ちにしていたので、公開日に映画館へ。原作は、オセージ族の連続怪死事件の捜査を、FBIというアメリカ現代史の影で暗躍してきた組織の成立と絡めて描くという、骨太の歴史ノンフィクション。これをどうやって映画化するのかと思っていたのですが、映画版は思った以上に完璧なスコセッシ映画になっていました。まず、とにかくディカプリオが素晴らしい。その場しのぎでなんとか適当にやり過ごしているうちに引き返せないところに来てしまい、どんどん深みにはまっていくアーネストの姿はまさにスコセッシ印。オセージの妻モリー役のリリー・グラッドストーンのアーネストに徐々に疑念を募らせる表情も、デニーロ演じる、すべてを裏で操るビリーおじさんの謎の自信も、どの演技も絶品です。そこにロビー・ロバートソンの軽快なのに不穏な音楽とスコセッシ流のテンポいい演出が重なって、本当に3時間26分の長尺を感じさせない。ダメな人間がどんどんダメになっていく「ザ・スコセッシ映画」なので、鑑賞中は、原作の魅力であったアメリカ現代史にぐぐっと迫るアプローチが弱いのが不満でした。ところが、ラストのまさかまさかの「ラジオドラマ」演出で、すべての背後にFBIとJ・エドガー・フーバー長官がいたことが見えてくる構成には鳥肌。スコセッシおなじみのダメ男たちの犯罪ドラマを堪能しつつ、原作の骨太アメリカ史も再現してしまうという離れ業を可能にした脚色はお見事としか言いようがない。  あと細かいところに歴史的背景が描き込まれているのもすごい。冒頭のオセージの儀式には子どもを寄宿学校に連れていかれたオセージの人びとの苦難が見えるし、町のあちこちで白人至上主義者のKKKが英雄視されてることもわかる(モリーの後見人をつとめる人の事務所の壁にはKKKの写真が・・・)。オクラホマで「黒人のウォールストリート」と呼ばれたタルサの大虐殺を絡める演出(もちろん、同じく裕福なオセージはタルサで起きたことが自分たちにも起きるかもしれないことを恐れてる)は、本作の根底に「人種」というアメリカ建国以来の問題があることを効果的に浮かび上がらせる。いつもの「ファミリー」のドラマへ収束させたと見せかけて、しっかりと歴史も描くスコセッシ80歳の大傑作です。脱帽しました。
[映画館(字幕)] 9点(2023-10-22 00:05:50)(良:1票)
5.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3 《ネタバレ》 
実は前作はいまいち乗り切れなかったので、少し心配だった「Vol.3」。杞憂でした。ほぼすべてのキャラクターに見せ場を用意し、見たかったもの、聞きたかったものが詰め込まれたジェームス・ガン的大団円。お腹いっぱい、大満足の2時間半でした。  まず何よりも前作ではピンと来なかった選曲が今回は大ストライク。事前のサントラ禁止状態で臨んだら、まさかの1曲目はレディオヘッド! それも『Creep』!! そしてフレーミング・リップス、ビースティ・ボーイズと来て、決めの一曲はフローレンス・アンド・ザ・マシーン。そのあとおなじみのあの曲を挟んでの終幕はなんとなんとボス!ビッグボスじゃくて本物のボス! とくに『Creep』とフローレンス様の『Dog Days Are Over』はテーマにもしっかり絡んでて、尋常ではない精神状態でジェームズ・ガン的クリーチャーが織りなすドラマとアクションを堪能できました。  母の映画だった第1作、父の映画だった第2作と比べれば、本作は「ファミリー」の映画の趣き。「家族」を持てない/持たない/失ったキャラクターたちがつくり出す疑似共同体的な「ファミリー」の物語。「完璧」を求めた結果、誰も信じられず、誰も認められず、どんどん味方を失っていく敵キャラと対照的に、ガーディアンズの「ファミリー」はそれぞれの「ありのまま」を認めてどんどん大きくなっていく。その行く末はあまりに聖書っぽくもあり、ユートピア的で少し心配にもなるのですが、自らの失言で一度は監督の座を追われたジェームズ・ガン監督だからこそ、「完璧」に到らないすべての「Creepy」なクリーチャーたちを、それぞれの哀しみと傷を持った存在としてまるごと抱きしめるというメッセージがぐさりと胸に刺さりました。  唯一残念だったのは、まだ公開2週だというのに、シネコンの大スクリーンは車がふっとぶやつやニンテンドーのやつに持っていかれて、1日2回の小スクリーンのみの縮小上映だったこと(早く行けなかった私も悪いのですが)。なぜ、どうして? こんなスゴい楽しい映画なのにー。マーベルにもディズニーにも飽きちゃった人、どうせディズニー・プラスでみるからっていう人、マーベル関係ないし前作・前々作見てなくても楽しめちゃうから、映画館で見てー。お願い。
[映画館(字幕)] 9点(2023-05-19 16:03:18)
6.  リコリス・ピザ 《ネタバレ》 
こんなに肩肘張らないポール・トーマス・アンダーソン監督ははじめて! 舞台も同じなので空気感は『ブギーナイツ』や『マグノリア』の頃を思い出しますが、もっと力が抜けていて多幸感にあふれていて、ずっとこの世界に浸っていたくなる。なにより素晴らしいのは、クーパー・ホフマン君!名優を父に持ち、父との名コンビで知られたPTA監督作でデビューでいきなりの主役。なのにこの自然体演技は一体何者か。ティーンなのに背伸びして何でもやりたいゲイリー君その人なのではないかと思えるのびのび感。事業家気取りの一方で、おっぱい見たい触りたいあたりのバカさの加減も素晴らしい。一方のアラナさんは先が見えない20代女性の迷いをこれも名演。カラフルな衣装とセットも素晴らしいけど、単にホワイト・サバービアへのノスタルジーだけでなく、何気なくセクハラするカメラマン、日本人妻にわざわざ訛った英語で話すレストランのオーナー、そしてどうにも人の気持ちがわかっていない政治家など、白人男性のイヤな思い上がりを(そしてゲイリー君がその予備軍になりそうなことも)きっちり描いているあたりも好印象。あと、自然体の主演2人のまわりで、ゲスト出演の大物スターたちがやりたい放題やってるのも楽しい。とくに、ショーン・ペンとブラッドリー・クーパーのキレっぷりは本当に楽しそうでした。何よりもリラックスしてても物語の骨組みはしっかりしていて、背伸びする10代と迷う20代が反発したり、対抗したり、でも共感したり、思い合ったりしながら、バディのような関係性のもとで、郊外の田舎町で少しずつ前に進んでいこうとするさまが、本当に愛しく、大好きな一作になりました。
[映画館(字幕)] 9点(2022-12-24 17:04:08)
7.  ファーザー 《ネタバレ》 
2021年のオスカー。逝ってしまったチャドウィック・ボーズマンの文字どおり「命を賭けた熱演」に男優賞をと思っていた自分は、アンソニー・ホプキンスの受賞にがっかりしたものでしたが、この作品を見れば・・・これは納得せざるをえない。昨年のローマ法王役もすごかったが、これは別格というか、「上手い」を通り越して「怖い」の領域に達している。人間が人間らしさを失う過程というのは、いくらでもデフォルメできるものであるけれども、これだけ「正常」とシームレスに「異常」が姿をあらわす過程を描いた作品は、ほかにはなかったのではないか。そして、ついヒューマンドラマとして描いてしまいそうな題材を、サスペンス風味たっぷりに緊張感溢れる脚本と演出で仕上げた監督の手腕にも脱帽。しかもこの監督が自分よりも年下だなんて、その「人間」に対する深い洞察には唸るばかり。「認知症を主観的に描く」という実験的な試みは見事に成功していると思います。100分に満たず、舞台もほぼアパートの部屋、登場人物も数名のミニマムな設定で、人間が(肉体的な意味というよりも精神的な意味で)その人生の終盤を迎えることを描ききった傑作です。いやあ、素晴らしかった。
[インターネット(字幕)] 9点(2021-11-27 09:56:18)(良:4票)
8.  悪は存在しない 《ネタバレ》 
序盤のゆったりした生活描写は正直退屈で睡魔に襲われ「これはハズレだったか」と思ったのですが、グランピング開発の説明会の場面から俄然面白くなりました。「開発者対ジモト」をそれぞれの視点から描くのかな、と思っていたら終盤に物語も表現も一気に抽象度がアップ。「バランスを取ること」や「自然との共生」みたいな語りにビシャッと冷や水を浴びせるような展開にポカーンとするしかない。終幕して場内が明るくなると、ほぼ満席だった観客のみなさんもみんな「え、いま私たち、何を見せられた?!」という表情。その表情を共有できただけでも、映画館でみてよかった〜と思った経験でした。  終わってから振り返ってみれば、序盤からずーーーっと劇中を満たしていた不穏な空気や破綻の予感。濱口作品に共通する登場人物の「作り物」感。素朴で信頼おけるジモトの便利屋が抱える決定的な欠落。東京から来た2人、そしてその2人の立場を相対化する社長とコンサルという凡庸と煩悩の塊のほうに気が取られているあいだに、「自然と共生してる」風の地元民たちが背負ってしまった原罪の数々が浮かび上がる。その結果、村落そのものが侵略者であったことが象徴的に示されたのだと思うけれど、映画タイトルとラスト数分の解釈はいまもぐるぐると頭のなかを回ってる。ただ、その不可解さは決して不愉快なものではなく、日々を生きることを違った角度から考えるような知的なエンタメという感じでした。
[映画館(邦画)] 8点(2024-05-18 08:17:38)
9.  オッペンハイマー 《ネタバレ》 
まず、アメリカ公開から時間がたちすぎで事前情報も入りまくり、まっさらに映画を観られなかったのは本当に残念。そんな状況を作り出した配給会社に対して、私は結構怒っている。事前情報なんて蓋をしておけと思われるかもしれないが、そこそこ映画好きな人間がアカデミー賞作品に関する情報を完全遮断なんて無理に決まってる。正直、アカデミー賞のときに(事前試写で見たであろう)評論家やジャーナリストが、その内容をあーだこーだ語ってるのだって不愉快だった。これだけの大作・話題作を、まったく見られない状態でオスカーの日を迎えるなんて、なんと不幸なことだろうか。  そもそもノーランは過去に『ダークナイト・ライジング』で核兵器をものすごく雑に扱った前科がある。あれ以来、私はノーランが核を描く、という本作のコンセプトに懸念しか感じなかった。あるいは、あれがきっかけでもう一度勉強して、今度はそのリベンジなのか。そこを確かめたいという思いもあって、公開翌日に映画館へ。  さて、実際に見てみた感想としては、IMAXで見る「おっさんばかりの会話劇」は、過剰気味な音響効果も相まって見所は十分。たしかにこれは、後々まで語られる重要作品であるのは間違いないだろう。面白いのは、本作を見終わった身近なみなさんの感想が、「本当に同じ映画を観た?」と思うくらいバラバラだったこと。ある人は、核の悲惨さを描いたものだ。原爆被害のシーンを描かなくても(描かないからこそ)十分にその「恐ろしさ」を描いていたと言うし、ある人は、これはナチ対ユダヤ人の闘いとその遺産を描いた映画だと言い、別の人は赤狩り時代のアメリカを描いたものであって、核はむしろおまけだったと語っていた。オッペンハイマーの周りにいた戦前の共産主義者の闘士たちの奮闘へのリスペクトを描いた、という明らかに的外れな見解を熱弁してる人までいる。  なんでこうなったのかといえば、緻密なのにちょっと緩い(ゆえに鑑賞者の解釈の枠組が入り込みやすい)時間軸バラバラ構成のおかげなんじゃないかと思ってる。別々のシーンがバラバラに配置されているなかで、その個別の場面をつなぐ「物語」を観客一人一人が見出しやすい構造になってる。そう考えると、原爆被害を描かなかったことも理に適ってる。私は描いたほうがよかったと思ったけど、もともと核問題・原爆被害に関心がある人は、描かれなくても自分が知っている「悲惨な絵」を思い浮かべながら見れるわけだし、そうだからこそ後半のオッペンハイマーの苦悩にも感情移入しやすい。ところが、アメリカに多そうな核問題に関心ない人たちは、描かれないがゆえにそこではなく、男たちの嫉妬のドラマだったり、戦争・冷戦・赤狩りという時代を描いた大河ドラマとして、十分に楽しめてしまう。実に、賢い。作り手の物語に引き込むのではなく、観客がそれぞれを再構成しやすい構造こそが、この映画の勝利だったし、だからこその興行成績と賞レース圧勝だったのだと思う。  結論としては、映画としての出来はすばらしい。ノーラン映画のなかでも出色だし、これでオスカー取れてよかったね、という気分。だけど、この映画で『ダークナイト・ライジング』での前科を克服したとはいえない。むしろ、悪い方にパワーアップして「非社会派な映画」の最高峰に達したと考えるべきだと思う。
[映画館(字幕)] 8点(2024-04-13 18:19:02)(良:1票)
10.  すばらしき世界 《ネタバレ》 
これぞ西川映画と呼べるような、ソリッドだけども多面的な描写が続く。序盤は、役所広司さん演じる三上の社会復帰への奮闘をコメディタッチの描写も含めて描く。下の階のチンピラとの喧嘩やら自動車教習所での悪戦苦闘にはブラックユーモアもたっぷりで苦笑いしながら見てきたのだけれど、後半のあの暴力沙汰から物語がピリリと引き締まり、そもそも「社会復帰とは何か」「まっとうに生きるとは何か」という深みに達していく構成は本当に見事。そのなかで、出てくる登場人物もくせ者ぞろい。身元引き受け人の弁護士夫婦、取材するテレビ局ディレクター、市役所のケースワーカー、スーパーの店主、そして元暴力団の兄貴分まで、みんな「いい人」ではあるんだけれど、でもそれぞれが必死で「まっとうに」生きるためにどこかで三上を突き放している部分を持ってる。「善良」であっても、それぞれの自分勝手な言い分やら事情のうえのことなので、タイミングが悪ければ容易に三上の「敵」にもなるだろうという、そういう危うさを常に感じるのはいい。「無償の善意」などありえないのだ。このあたりの突き放した世界観があるからこそ、一瞬心が通ったと思える瞬間が美しく「すばらしい」。ただ、本作が凄いのは、その「善意の助言」が最後は三村を追い詰めてしまうことだ。その先にあった死は、悲劇というべきなのかどうかはわからないけれど、この「すばらしき世界」の苦みを十分に描いてくれたことは間違いないと思います。余計な部分をそぎ落とした久々の西川節を堪能しました。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-01-06 09:36:13)
11.  はりぼて 《ネタバレ》 
ドキュメンタリーって面白い、というのを堪能できる100分。地方議会のフツーのおじさん議員たちのキャラ立ちの見事さ。みんな「巨悪」というよりはちょっとした「小悪党」で、政務活動費の不正使用も「そうやって回ってきた」市議会や市役所のなかで「そういうもの」として享受してきたのだろう。その矛盾を突然突かれて動揺してうろたえる様には、人間喜劇のすべてが詰まってる。しかし、物語が「小さな悪」への一方的な追及で終わらない点も本作の優れたところ。長く追及する側だった地方テレビ局自体もまたその一部であったことがほのめかされ、追及側の中心だったキャスターと記者の2人は結局その現場を去る事になってしまう。その経緯をもう少し詳しく知りたいとは思うものの、本作が描いていたのは「誰が悪いのか」という話ではなく、「そういうもの」で流して放置されてきて行き詰まったシステムにあるのだろうから、それでいいのだろう。もちろん、そのシステムの延長にあるのが「モリカケ」やら「桜」なのは明らかだけれど(だからあれもやっぱり「巨悪」の問題ではなく「小悪党」と「小市民」が作ってきたシステムの問題なのだ)。そんな意味での日本社会の縮図としての地方政治には、まだまだ面白いネタがいっぱい詰まってるように思う。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-05-21 08:34:59)
12.  エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 《ネタバレ》 
アカデミー賞授賞式当日(平日)午前に映画館で鑑賞。観客はシネコンの小さめスクリーンに20名程度。高齢者多めだが、高校生くらいの男子グループも。自分も評判は聞いていたのですが、基本的には「中国系女性が主人公」「マルチバースらしい」「カンフー映画らしい」程度の予備知識で鑑賞。結果、大半のシーンに驚き、困惑し、呆れるばかり。でも終わってみたら、しっかりした家族の物語で、年頃の娘がいる自分としては感涙必至の大傑作でした。  『クレイジー・リッチ・エイジアンズ』のときもそうでしたが、とっ散らかった作風でも家族の軸を中心に置くと一気に普遍性を獲得してしまうのがアメリカ映画のすごいところです。本作の見所は、中国系移民家族三世代のギャップ。とくに出色は主人公の娘ジョイが抱える「虚無」の表現。「何でもできる」「何にでもなれる」と言われ続ける現代の子どもたちが、だからこそ直面する現実との折り合いの難しさ。ジョイが最も絶望した瞬間が、自分を「理解している」風の態度を見せる母親エヴリンが放った一言だったのにも納得。そんな彼女の「虚無」にどう向き合うのか。その問いに、エヴリン自身が持っていたはずの無限の可能性をマルチバースとして描き、カンフーで戦うハチャメチャなアクションで答える。最後の落とし所は、たぶん「解決」ではない。でも「虚無」に向きあうための勇気を、そこに感じることはできたからこそ、多くのアメリカの観客はこれを受け止め、大ヒットにつながったのでしょう。私もマルチバース構造と本作のメッセージを完全に理解したとはいえませんが、その勇気を受け取ったと感じたことは確かです。でも、それで正解なのかなと思います。だって、ザ・ダニエルズの監督2人もまた「家族なるもの」と「虚無」と戦ってて、本作が描いたのは、その「答え」じゃくて「戦うこと」のほうだったと思うからです。だから、あのパーティの翌日、やっぱりこの家族は、結局は夫婦の不和をかかえ、親との関係に悩み、娘の変貌に戸惑ってるんだろうなと思います。  ところで、本作を「ポリコレ作品」と見る動きもあるようですが、基本的に不謹慎ギャグの連続で、どっちかといえば「正しくない」描写に溢れた一作です。そして「正しい答え」を期待してはいけない一作でもあります。まあ、移民家族の葛藤とか不和を描いたと作品なんて、あの『ゴッドファーザー』をはじめ、アメリカ映画ど真ん中じゃないですか。それを「アジア系だから評価されてる」みたいな風にみちゃうの残念だなあと思ってしまいます。むしろ、ど真ん中のテーマを堂々と描いてることが評価されてるんですよ。下ネタいっぱい詰め込みながら。  映画が終わって劇場をでたら、アカデミー賞作品賞取ってました。その後見た授賞式の動画で、実はキャストたちが語る「アメリカン・ドリーム」に感動しつつも、私はこれでまた「何にでもなれる/なんでもできる」と言われて「虚無」に陥る子どもが増えるんじゃないかとちょっと心配になりました。日本でも、これで多くの人が劇場に足を運び、驚き、戸惑い、呆れることでしょう。でも、そのなかで1人でも多く、この作品が描いたものから勇気を受け取った人がいれば、それはこの映画の勝利なんだと思います。
[映画館(字幕)] 8点(2023-03-19 09:19:07)(良:2票)
13.  イニシェリン島の精霊 《ネタバレ》 
見始めたときはアイルランド英語に大苦戦で、英語字幕付きでも何言ってるかわからなかった。ただ、人間関係が見えてきて展開が動き出すと、不思議とだんだん慣れてきて、会話が生き生きしてくる。それでも見終わったときは、正直「変な映画を見た」という気分だったのに、あとになってからじわじわと響いてくる。個人対個人でも、国対国でもいい。これは、友好的だと思っていた関係がずるずると壊れていく状況を描いた寓話だっただろう。  「内戦」を背景に盛り込んだのもそういうことなのだと思う。「対立」とは何だろう? それは金や財産だったり、資源だったり、見栄だったり、いろいろなものが「原因」とされるのだけれど、本当のところはそれらは表面的なものに過ぎず、もっともっと突き詰めれば、「すれ違い」と「思い込み」とちょっとした「タイミングの悪さ」の産物なのかもしれない。観客の私たちは、パードリックとコリムが本当に仲が良かったときのことを知らない。二人は、仕事も趣味も(おそらく)それまで生きてきた道も異なっているけど、たまたまアイルランドの孤島のパブで親友になった。その邂逅は奇跡だったけれど、その日々は絶対に取り戻せない。  この映画を見て、絶対に取り戻せないであろう少し前の過去をつい思ってしまったのは私だけだろうか。そんな関係は、ロシアとウクライナのあいだにも、人種のあいだにも、男女のあいだにもあったのかもしれない。「なんでこうなっちゃったんだろう」というのは、なんとも人間的な問いだ。その問いの切実さと残酷さが、アイルランドの雄大な光景のもとで生きるちっぽけな二人の男の喧嘩に集約されていたように思う。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2023-03-09 16:56:51)
14.  ドリームプラン 《ネタバレ》 
微妙な邦題とアカデミー賞授賞式の例の件で残念な映画っぽいイメージが拭えなかった本作、見てみれば思いのほか爽やかで気持ちいい物語でした。主人公のリチャードは、言わずと知れたヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹の父で、すべての観客がこの姉妹のその後の成功を知っているという前提が本作を見るポイントだと思います。リチャードの「プラン」は理にはかなっているけれど、それを守ろうとする頑固さは狂気のレベルに近い。この頑固な親父のせいで、とびきり優秀な2人のテニス選手の将来が潰されてしまう未来もあり得たかもしれない(し、そもそも成功には至らなかった「リチャード&姉妹」はほかに大量にいたかもしれない)わけですが、私たちはこの2人がどうなるかをあらかじめ知っているからこそ、無茶な主張と周囲の衝突を多少は安心しながら楽しむことができる。そして、実際に周りにいたら迷惑・面倒だろうなと思う親父リチャードのどこか憎めないチャームは、ウィル・スミスだからこそ表現できたものでしょう。実際、ポールやリックも姉妹の才能だけでなくリチャードの人柄やウィリアムズ家に惹かれてコーチを引き受けたというのがよくわかりますが、この絶妙なバランスはほかの俳優では難しかったでしょう。『アリ』や『コンカッション』のシリアスな役ではなく、いい役でオスカーを取れたと思います。そうした千載一遇の奇跡に触れることができるのも映画を見る楽しみですね。
[インターネット(字幕)] 8点(2022-11-19 10:02:30)
15.  ソウルフル・ワールド 《ネタバレ》 
ピクサー作品だというのに、予備知識もほとんどないし、世間の評判もあまり聞かないまま鑑賞。音楽を映像でみせるのは難しいけど、音楽だけでなく表情や視覚効果も融合した演奏シーンにまず引き込まれる。ところが、人生最大のチャンスと思われた演奏機会の直前に「あっちの世界」に行ってしまった後悔から、なんとか現世に戻ろうと奮闘するあたりは、『インサイド・アウト』のおっさん版の趣きだが、抽象的な映像表現と結構複雑なルールに少し疲れる。物語が一気に動いたのは、主人公ジョーが、問題児22番のメンターになったあたりから。並み居る著名人を蹴散らしてきて22番と、何が何でも現世に戻りたいジョーのやりとりが微笑ましいが、2人を通して描かれるのが「生きる意味」であったことに驚く。個人的には、自分の夢が叶った夜に突然訪れるむなしさ、今度はこれが「日常」になることをうまく受け入れられない感じは、似たような経験があったので、とくにぐっと来た。夢はかなっても日常は続く、という当たり前のことに気づき、「生きる意味」をより深く考え始める主人公。そこからの展開は、予想の範囲を超えるものではないですが、無機質で抽象的な死後・生前の世界との対比で、日々の日常の美しさがとにかくこれまでになく説得的に描かれたアニメーションであり、その描写は涙なしには見られませんでした。物語の設定やバランスに難点がないわけではないのですが、「生きる意味」という難題に果敢に挑み、映像でその答えを示してみせたことで、私にとっては特別な一本になりました。
[インターネット(字幕)] 8点(2022-09-05 18:42:18)
16.  ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 《ネタバレ》 
お世辞にもできがよいとはいえなかったデヴィッド・エアー版に対して、テンポのよさと切れ味鋭い「騙し」で見事に序盤で観客の心をつかみ、ディズニー映画では絶対にできない悪趣味描写を連発させるジェームズ・ガン監督のエンタメ真骨頂を堪能できます。冒頭、監督の盟友マイケル・ルーカーや『サタデーナイト・ライブ』でおなじみコメディアンのピート・デヴィッドソンまで登場しての上陸作戦、まさかの「かませ犬」描写にはもう大笑い。巨大ヒトデによる都市破壊は、『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンを思わせるシュールさでした。同作では「真の悪役」ポジションともいえるウォラーが案外あっさりとしていたり、ヒトデ襲撃でみんな死んじゃったはずの町をそれでも助けようとするスーサイド・スクワットの面々の決意の理由が微妙にわかりにくいなど、気になる点もあるとはいえるし、個人的には「残虐描写」は苦手なので、途中までは若干顔をしかめながら見ていたのですが、本作のラスト「もっとも底辺で忌み嫌われている者たちの逆襲」シーンのころには大号泣。自分が大量のネズミ襲撃描写に「泣く」日が来るなんて、夢にも思いませんでした。大作映画がパッとしなかった2021年で、笑って泣けるエンタメのスマッシュヒット。見る人を選ぶのはわかるけど、メッセージは思った以上に普遍的でストレートです。
[インターネット(字幕)] 8点(2021-12-28 17:04:17)
17.  モガディシュ 脱出までの14日間 《ネタバレ》 
実話ベース、南北もの、そして脱出アクションと韓国映画の得意分野を詰め込んで、見事に期待通りの娯楽大作に仕上げてきました。韓国が1991年の段階ではまだ国連に加盟していなかったという背景情報だけでちょっとした驚きだったわけですが、まだ「冷戦」がリアルに続いていた時代、祖国を遠く離れたソマリアで国連加盟のためのロビイングを続ける南北朝鮮の外交官たち。そこに突然勃発する内戦と、急変する日常。こうゆう日常が突然「壊れてしまう」描写も本当にうまい。冒頭のコミカルな演技が目立ったハン大使が、こっから頼れる外交官になり、ライバル北朝鮮の外交官たちとともに国外脱出を目指すという熱い展開。クライマックスのイタリア大使館までの激走は、静から動への転換、自由自在なカメラワークなど、一級品のアクション・シーンに仕上がってます。そして、こうゆう実話ものにありがちな安易な愛国心みたいなのに落ち着かず、信頼ならない「国」の裏をかきつつも苦い着地点まで見事。ちなみに、調べてみたら、この直後の国連総会で韓国の国連加盟は認められたらしく、なんか「よかったなあ」と勝手に胸をなで下ろしました。  あえて気になった点を挙げれば、「アフリカ(人)」描写かな。これが「リアル」なんだろうとは思うけれども、少年兵とかも単に「恐ろしいもの」「理解しがたいもの」としてのみ登場するし、ソマリア側にもちゃんと文脈を描きこんだ登場人物がいれば、より物語が重層的で深みがあるものになったように思う。あと「14日間」という数字にはあんまり意味はなかったかな。「14日」が入っていたのが日本語題だけだったのかもしれないけど、実質的に南北の外交官が共闘?するのは最後の1〜2日だけっぽいし、もう少し長い時間をかけた交渉劇みたいなのを期待したけど、物語の中心はラスト数日の脱出劇でした。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-02-17 14:34:26)
18.  哀れなるものたち 《ネタバレ》 
前作『女王陛下のお気に入り』で免疫はできていたと思ってたヨルゴス・ランティモス作品ですが、今回もまた独特すぎるワンダーランド。前作では3人の女優の演技合戦が見物でしたが、今回はエマ・ストーンの独壇場。冒頭の赤ちゃん演技から終盤の難しい語彙も駆使する知力あふれる姿まで、やりたい放題という感じでした。それが女性の解放と自立という本作の主題とも見事に合致していて、彼女の表情や動き、ファッションを見ているだけでなんとも爽快な気分になるから不思議です。とくに、後半に彼女が「知」にめざめるきっかけが、「男」ではなく、本とシスターフッドであったというところは、とてもよかった。マッド・サイエンティストともいえるゴッドウィンがそれでも彼女と関係を築けていたのも、科学という知への執着があったから。また、船で出会った黒人青年とベラの会話もよかった。彼が現実の矛盾を象徴する「格差」をベラに見せつけることで、本作が単に性欲や性愛の話ではなく、私たちも生きる「世界」についての寓話であることが明らかになります。セックスのシーンばかりが話題になるのですが、実は「知」というものの可能性を描いたものとして受け取りました。  とはいえ個人的にはちょっと難点も。まあ、キャラの位置づけ上しょうがないのですが、マーク・ラファロ演じるダンカンにはもう少し奥行きがあってもよかったのではないかとは思いました。ダンカンと終盤に登場するある男性はまさに「有害な男性性」の象徴なのでしょうが、彼自身のなかにある理のようなものを浮き彫りにしてはじめて、「有害な男性性」と向き合えるのではないのかな、とも思いました。
[映画館(字幕)] 7点(2024-01-29 21:46:04)
19.  愛なのに 《ネタバレ》 
今泉脚本らしい、書店主と女子高生の微笑ましいやりとりでほのぼの進んでいくのかと思いきや、当然放り込まれる城定印の大人男女の激しい濡れ場。このなんともアンバランスな構成が妙にはまっている。そして、結婚直前のカップルが抱えていた問題の、まさかまさかの真相には大爆笑。とくに終盤、中島歩さんと向里祐香さんの情事の後の会話のなんともいえないユーモア。適度にエッチ(死語)でクスクス笑えて、少しほっこりする。いろいろ見れば「7点」くらいの映画ではあるのだけれども、そうであること自体を愛したくなる小品。世界も世間も重苦しい昨今だからこそ、この映画の軽さは自分にとっての「救い」でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-01-25 20:27:59)
20.  バービー(2023) 《ネタバレ》 
まず、グレタ・ガーウィグの映画は好きだけど、これだけエンタメに振れた作品って初めてでは。その点ちょっと不安だったのだけれど、名作映画オマージュやら時事ネタも散りばめながら、まず楽しかったのが何より。冒頭の「2001年」オープニングはいいのだけれど、その後のバービーランドの描写が個人的にはなかなかキツく、この調子で2時間は辛い、と思い始めたあたりからグングン面白くなりました。まさに「現代フェミニズム入門」的な内容で、近年の「男社会」批判(有毒な男性性、ホモソーシャル、マンズプレイニングなど)がうまくエンタメに組み込まれていて、とくに「フォトショップの使い方を聞く」「ゴッドファーザーを語らせる」あたりは本当にツボでした。ただ、ケンがたくさんいるわりには人種以外のバリエーションにとぼしく(アランという別人格がいるから、というのもあるだろうけど)、ここに弱者男性キャラみたいなのが話に絡んでくると、ますます現代フェミニズム入門映画としてふさわしかったかもしれない。  残念だったのはマテル社のほうの描き方。幹部が全員男性なのは皮肉なのでしょうが、あまりそれが物語上活かされていない。ウィル・フェレルのコメディセンスは本作と相性よさそうなのに、どうにも空振り気味。結局最後までイマイチ何がやりたかったのかわかりにくく、テーマ的にもちょっとノイズでした。あと、もうひとつ。「家父長制が・・・」とか「女性の現実を知って目覚める」みたいな部分を解説調の台詞で説明しちゃった箇所もちょっと残念。第二波フェミニズム時代のコンシャスネス・ライジングであり、今風に言えば「Woke」なんだろうけど、見てればわかるから、あの解説台詞はちょっと観客を冷ましちゃったのではないかな。あそこだけ「フェミニズム入門」講義のようでした。  そして、ラストのラスト。バービーが行った場所があそこだったというのは、ちょっと深すぎて考え込んでしまったよ。一人の人間として生きればいい風だったラストで、やっぱり「女性であること」がそこでズシリと重く響く。スッキリというよりも、「え・・」っとしばらく困惑しながらエンドクレジットを見ることに。そのあとジワジワとその意味みたいなものが浮かんできたけど、まだ腑に落ちたわけではない。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-10 15:30:53)(良:1票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS