1. バニー・レークは行方不明
ムルナウの『最後の人』に匹敵するくらい、ほぼ全編が「ドア」やそれに類する開閉装置(門、窓、トランク)のショットに満たされ、そのいずれもが見事に活用されている。(オープニングとエンディングも黒地画面の開閉である。) ドアを介した人物の頻繁な出入りと縦横の移動撮影を組み合わせたショット接続は映画の運動感を高め、また舞台となる保育所、屋敷、病院、人形ショップなどの家屋構造を立体的に表現する機能を発揮している。 人形の並ぶショップ地下室の不気味なムード、キャロル・リンレイが夜の病院を脱出するシークエンスから犯人との対決までの緊迫感の持続はこの優れた空間提示の賜物だ。 尚且つ、ドアをめぐるアクションはその鍵の用法や所作によって主要キャラクターの心理を表象化し、内/外の分断というドラマ上の伏線としても機能する重要なアイテムといえる。 まさに「ドア」の映画。序盤から持続するサスペンス感覚が、ブランコの揺り戻し運動を高所から捉える不安定なカメラによって視覚的にも極大となっていく展開も見事。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2024-02-14 00:22:57) |
2. 出発
《ネタバレ》 カーアクションも勿論だが、モッズコートを羽織って跳ね回るジャン=ピエール・レオーの軽快な動きでもって映画が疾走する。 路面電車の軌道すれすれのポジションで危険なスタントなども披露し、随所で驚かせてくれる。 レオー自身は運転してはいないという事だが、凝ったアングルとポジションによって彼の運転シーンも迫真でまるで違和感がない。 モーターショーのシーンなど、ゲリラ撮影と思しきショットも多々あるが、 堂々と落ち着きのあるカメラのおかげで場面がそこだけ浮き上がるなどということはない。 ほどよい即興の感覚によって街が活写されている。 [DVD(字幕)] 7点(2017-06-09 23:42:36) |
3. 日本解放戦線・三里塚の夏
《ネタバレ》 画面を圧する顔の力。カメラを前に語る農民や学生らの表情のクロースアップと、無言で平静を装う機動隊員らの表情の対照が鮮明だ。 タイトルでも「演出 小川紳介」と宣言するだけあって、状況への積極的な加担とスタンスを明確にしている。 ドキュメンタリーとは、ある意味でテロリズムである、と。 ラストを締めくくる柳川初江さんへのインタビューには成長する野菜類のショットなどもインサートし、主張を厭わない。 そして公団や機動隊員らと婦人行動隊が対峙する最前線に据えられたカメラと機動的な移動撮影にもよって、 あるいはシンクロしない画面と音声の演出によって、映画は全編アクション映画の趣である。 沖縄問題を主とする地方と中央の対立がさらに顕在化する中、ようやく今年ソフト化された小川プロダクションの三里塚シリーズが 変わらぬ戦後日本の現場を生々しく伝える。(本作は太田出版から2012年に発売済) [DVD(邦画)] 9点(2016-12-31 04:27:28) |
4. 恋人のいる時間
《ネタバレ》 マーシャ・メリルの手や足、背中や黒髪といったパーツのショットが生々しい肌理を伝え、タクシーを乗り継いでパリの街中を駆けまわる彼女の ショットが開放感を醸す。 台本の台詞なのか、アドリブなのか、ロジェ・レ―ナルトの言述になんとなく聞き惚れ、女性の素っ頓狂な笑い声の流れるレコードを劇伴に 二部屋を跨いで追いかけまわる夫婦のシュールなドタバタ運動をなんとなく面白がる。 「自らが映画に他ならないことが嬉しくて自由にはしゃぎまわっているような映画」とゴダール自身の言葉がなるほどピタリと来る。 映画館の座席を指定して浮気相手と待ち合わせ、などというシーンもヌーヴェルヴァーグ世代の風俗を匂わせて粋なシーンである。 [DVD(字幕)] 7点(2016-11-22 22:49:11) |
5. 両棲人間
《ネタバレ》 いわゆる半魚人である主人公が彷徨う街の色彩に満ちた風景や衣装はメキシコ風、流れる音楽も人種も雑多、そして会話はロシア語という、 とりあえずエスニック風とでも呼ぶのが相応しい渾然とした情緒がある。 ヒロイン:アナスタシア・ヴェルチンスカヤも可憐なダンスを披露してとても魅力的だ。 水中シーンも豊富で、男女が碧い海中を泳ぐイメージシーンなども美しく優雅だが、ダンス風というよりは体操的な動きを 志向している風にみえるのがロシアファンタジーの味だろう。 ラストの夕暮れの海岸シーンが、太陽が沈んでいく際を背景とした恋人たちの別れの芝居になっており、その夕陽の光がなんとも哀切である。 [DVD(字幕)] 6点(2016-10-21 23:59:42) |
6. ゆけゆけ二度目の処女
《ネタバレ》 大抵の批評で指摘されるキーワードは、他作品での荒野や雪原と共に、いわゆる屋上という密室・閉鎖空間というもの。 階下に降りるシーンもあるものの、実際舞台はほぼビル屋上に限定される。 空間と動作が制限される分、距離を詰めたアクションの身体性がクロースアップされ、 その中で貯水タンクや雨や血しぶきによる水のイメージが豊かに展開する。 パートカラーによるサプライズの演出も『犯された白衣』よりも効果的に決まっている。 主演2人の生硬な感じも初々しく、特に少年の非心理的な目がいい。 [DVD(邦画)] 7点(2016-06-20 16:45:53) |
7. 狂走情死考
《ネタバレ》 真白な雪の中、木に縛り付けられ、鞭打たれ、真冬の浜辺を裸で走りと、 俳優たちはかなりの無茶をやっている。ほとんど苦行だ。 夜の西新宿を延々と駆け続ける吉澤健の移動ショットから小樽の雪道を彷徨するラストまで、ひたすらの北上逃避行。 その風景の変遷が時代を鮮明に映し出している。 それは低予算を画面に露呈させない若松作品のしたたかな策でもあるが、その情景の力と身体の感覚は常に積極的な強みになっている。 殺したはずの警察権力が、いつの間にやら目の前に超然と姿を現し、、 という展開も実に寓意に満ちている。 [映画館(邦画)] 7点(2015-12-22 00:02:26) |
8. オーソン・ウェルズのフォルスタッフ
《ネタバレ》 高窓から光の差し込む城内の厳かな様。深い奥行きの画面がウェルズらしい。 対照的な酒場の猥雑な様。テンポよく韻を踏むダイアログ、短いショットと共に軽快に人物の動きを追うカメラが画面を弾ませる。 その酒場のセットも、材木の組み合わせと構造に妙味があって視覚的にさらに面白い。 中盤の合戦シーンは白煙の中に人物と騎馬が入り乱れる黒澤的なダイナミズムで目を瞠らせる。 ラスト、仰角のショットで成長した王の威厳を称え、寂しげに去りゆくウェルズの巨躯を小さく小さく捉えるカメラが印象的だ。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-12-16 23:52:32) |
9. 犯された白衣
《ネタバレ》 モノクロからカラーに変わるショットの淫靡で毒々しい赤。 そして海の蒼と、夕景のオレンジに続き、白い布に旭日旗の如く放射状に塗られた血の鮮紅色。そして女性達の死骸の白。 その中心で少女の膝上に赤子のように青年はうずくまっている。少女は男に「何故、自分の血を流さないのか」と問う。 その問いはなかなかに意味深だ。 柱や襖などの障害物が監禁された女たちの姿を隠しては現させ、溝口的な抑圧空間を創り出している。 [DVD(邦画)] 6点(2015-12-10 23:52:44) |
10. 肉弾(1968)
《ネタバレ》 いわゆる一千万映画だが、原爆や空襲被害の描写は、音響処理やスチルやカッティングを効果的に使って不利を感じさせない。 逆に土砂降りの雨降らしや女郎街のセット、広大な砂丘のロケーションなど、あくまで映画的手段を以てスケールアップを図らんとする。 雨に海に小水と、水に満ちた映画でありながら、同時に灼熱の砂丘の乾きも強く感覚に訴えてくる。 「日本のいちばん長い日」を以て終戦なのではない。痛烈なカウンターである。 [DVD(邦画)] 8点(2015-11-16 00:06:53) |
11. ニュールンベルグ裁判
《ネタバレ》 検察側の人物を背後からカメラが正面に回り込んで映していくと、リチャード・ウィドマークである。 これはケレンを表現するカメラだ。 弁護士役マクシミリアン・シェルの長い熱弁を、法廷内の様子を見回すように旋回しながら収めたロングテイクは、 カンペ無しというアリバイを誇示しながら、彼の長広舌を印象付けるカメラといったところか。 そのカット尻で、彼と被告席のバート・ランカスターの二人をピタリと構図に収めるのなどは、 スター俳優達が別撮りではなく紛れもなく共演しているとアピールするカメラワークでもあろう。 これが、物語も佳境となるランカスターの弁論あたりまで続くとさすがに鼻についてくる。例によって旋回したカメラは彼を真正面に置くと 上昇して、決め台詞直前でいきなり高速ズームで彼を大写しにする。 金さんの桜吹雪や、水戸黄門の印籠じゃないんだから。 途端に映画自体が段取り臭く、様式的・誘導的で、押し付けがましいものとなってしまう。 様々な小道具を介しての場面繋ぎなど、細やかな工夫も随所に凝らされているし、 大戦の犠牲者として登場する二人の女優のキャスティングもいいのだが。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2015-10-21 22:37:44) |
12. 太平洋戦争と姫ゆり部隊
《ネタバレ》 まるでキング・ヴィダ―の『戦争と平和』(1956)に対抗するかのような70mm戦争スペクタクルである。 広大なロケーションとエキストラを駆使してLVTによる米軍上陸、艦砲射撃、嘉数の対戦車戦、52高地戦まで再現している。 1971年の東宝作品『沖縄決戦』と比べても段違いなスケールは、米国同様にテレビとの差別化を模索していた時代をうかがわせる。 内地側、日本軍、沖縄県民、そして岡本版ではほとんど表象されていない米国軍側のドラマまで、盛り込みすぎなくらい盛り込まれ、 各々の劇は都度寸断されて散漫な印象である。 これも叙事詩的リアリズムと呼ぶべきだろう。 戦争スペクタクルの中に肝心なひめゆり部隊のドラマが埋没してしまっている。 内地側の都合によるキャスティングも、内地側の論理に従ったナレーションも、時代を超えることは出来ない。 [DVD(邦画)] 5点(2015-10-17 17:06:40) |
13. 大列車作戦
《ネタバレ》 線路上で爆薬を仕掛けるバート・ランカスタ-。その奥に列車が小さく現れ、手前方向に迫って来る。 操車場のドイツ軍大佐(ポール・スコフィールド)。その奥の空に戦闘機が小さく現れ、手前方向に向かって飛行して来る。 いずれのショットも、遠方のアクションと近景のアクションとを同時進行させながらいずれの対象にも 焦点を合わせて一つの画面の中におさめたものだ。 航空機や車両が進行する方向と速度とタイミング。大量のモブ(群衆)の動き。さらには主要キャストの芝居。 それを的確に統制し、的確な構図で捉える労苦は計り知れない。 そこに、物語レベルに留まらないサスペンスが生まれる。 そうした奥行きの深さを活かしたスケールと難度の高いアクションシーンが満載だ。 少年が階段を登って屋根上へと移動するカメラの移動。 ランカスタ-が梯子を滑り降り、列車を追いつつ飛び乗るアクション。 同じく彼が傷ついた身体で山の勾配を登り下りする走り。 いずれも身体性と持続性、空間の垂直性と平行性を一体としてショットを形作っているのが素晴らしいのである。 オープニングの、無言の兵士たちが美術品をパッキングしていく具体的描写のリズム感。 360度方向のセットと密度の高いエキストラの間を縦横無尽に動くカメラ移動からして一気にドラマに引き込まれる。 [DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2015-07-15 00:28:29) |
14. ガンファイターの最後
《ネタバレ》 撃つ者と撃たれる者が縦構図の中におさまり、 撃つ瞬間と撃たれる瞬間、双方のアクションが 同一画面の中に展開する。 ガンアクションの醍醐味溢れる秀逸なショットに痺れる。 落下スタントを織り交ぜた冒頭の暗い納屋での対決や、 リチャード・ウィドマークが部屋に飛び込みざま 手前に滑り込みながらドアの背後の若者を銃撃する、 レナ・ホーンの部屋での対決などだ。 物語自体は時代の反映もあってか陰鬱でアクションシーン自体も少ないが、 そうした瞬発力の高い銃撃ショットが強烈な印象を残す。 乱打、乱射を細分化したカッティングで見せる昨今のアクションフィルムとは 比較にならないシンプルなワンショットの何と活劇的なことか。 「列車の到着」で幕を開け、緩やかな列車の出発で幕を閉じる。 その夜の深い黒がよく映える。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2015-07-08 15:16:11) |
15. 荒野のダッチワイフ
悪夢、人形、衣装、モノクロの脱色感と、まさしく押井守『紅い眼鏡』の元ネタだ。 オープニングの岩肌と地面の白く乾いた感触が無国籍的でいい。 ぶっきらぼうで早口の、聞き取りづらい台詞の応酬もまた癖になる。 繁華街でのゲリラ撮影にも、屋内シーンの陰影濃いノワールムードにも ジャズ音楽がよく馴染み、 射撃の腕試しシーンの対話やら、疑似ストップモーションやら、 ギャグすれすれのシリアス(あるいはその逆)の数々が実に娯楽的で堪らない。 DVD版がシネスコ収録でないのが残念なところ。 [DVD(邦画)] 8点(2014-07-25 15:44:02) |
16. 世界大戦争
経済的要請から、他社に先駆けて早々と軍部と結託し 数多くの軍事教育映画・戦意高揚映画を作り上げ、 多大な利益を挙げてきた東宝撮影所。 まさに戦争とはまずもって経済行為。 局地紛争勃発の報道に際して、主人公が戦争関連株の取引に躍起になるように、 戦争とは理性的な金儲けの道具に他ならない事をこの映画はしっかりと露呈させる。 自分の身にふりかかる全面的核兵器戦はイヤだが、 自分の利益になるどこか遠くの通常兵器戦は大歓迎という、 条件付の浅ましいご都合主義的反戦論である。 61年という時代設定からして紛れもなく戦中世代であるはずの主人公の、 戦争に対する無反省と「東宝」的日和見主義。 他国の戦争を踏み台にした特需に対する認識も疚しさも一切無く、 「国民が働いたから」と自賛する欺瞞的な平和と繁栄の図。 ゆえに、大仰な伴奏音楽で露骨なまでに強調される彼の悲憤慷慨も 何一つ共感・同情を呼ばない。 ナイーブでエモーショナルな、つまりは反理性的な反戦メッセージは 退行でしかない上、随所に挿入し過ぎの戦闘描写はそれ自体、 製作側の意図に関わらずいくらでも「反・反戦」的ニュアンスを含み得てしまうことへの無自覚が明白である。 戦争自体が多義的かつ多面的ゆえ、その映像は悲惨のみならず、 悲壮美や魅惑的スペクタクル、爽快なアクション性をも併せ持つ宿命だが、 この映画の円谷特撮場面の数々がまさにそうだ。 東宝特撮技術もまた第二次大戦の中で培われてきた映像技術、 つまり戦争の恩恵なのであり、だからこそこの映画は安易な反戦には落ち着かせない。 無線交信場面のあまりに直截的で無粋なショット、字幕のタイミング、 編集、音楽処理は全くダメだと思う。 [DVD(邦画)] 4点(2012-08-20 00:49:17) |
17. とべない沈黙
撮影は鈴木達夫。 白と黒のシャープなコントラストを基調に ドキュメンタリーと観念的ドラマがせめぎ合う画面は、 季節や気温、湿度、人物の体温の感触まで余すところなく掬い取っており、 素晴らしい。 少年が白樺林で蝶を追うシーンの浮遊感(北海道篇)や、 駅ホームから地上出口までの雑踏を追うカメラ(大阪篇)。 反核集会の人混みの合間を縫っての移動(広島篇)。 あるいは、喫茶店2階の乱闘から階下へ、 そして雨に濡れた路上での銃撃までを延々と追うゲリラ撮影的長回し(東京篇)などの 動的なハンドカメラが時に詩的で、時に生々しく、安定と不安定の按配も絶品である。 そうしたダイナミックな動的ショットと端正な静的ショット、 あるいは緊密なクロースアップと望遠ショットの対照が利いている。 ヘッドライトを原爆の光に模した観念的なショットが登場するかと思えば、 様々なニュース映像やインタビュー音声までが奔放に入り乱れる雑然ぶりは 後の『原子力戦争』のゲリラ撮影へと連なっていく大胆さだ。 とくに映画の後半、香港篇が入って来る辺りで映画が破綻気味に変調しかかるが、 松村禎三の主旋律と加賀まり子の美しい佇まいが 映画に一貫したトーンを保たせている。 [DVD(邦画)] 7点(2012-06-25 00:10:35) |
18. ある戦慄
夜の街を疾走する列車に被るロック風オープニング曲が非常にクールだ。 生々しいモノクロ・ロケ撮影による夜の都会の濡れた街路や、神経症的キャラクター群、そしてその濃い影が印象的なノワールスタイルを特徴とする前半部。 これから乗り合わせることになる登場人物たちの個性が列車の進行とカットバックされつつ簡潔明瞭に描写分けされていく。 そして密室劇となる後半部でもまた車両内の計18人それぞれを過不足なくドラマに関与させ、二部構成でサスペンスを醸成していく手捌きが巧みだ。 列車内はアメリカ社会の縮図と化し、その舞台劇的設定の中に人種差別・所得格差・同性愛・都市犯罪等々の社会問題を浮かび上がらせていくが、それはあくまでショットの力強さによる。 俳優の顔面と直近で正対するカメラの圧迫感が秀逸だ。 その時、視線を返されているのは観客自身である。 同性愛描写に関するコード改定が61年。 黒人問題を描いたラリー・ピアースの前作『わかれ道』が64年。 そして66年の新コード採用によって、アメリカの内包する苦悩が赤裸々に曝け出されている。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-15 22:50:55) |
19. どぶ鼠作戦
まず巻頭に登場するトラックの車両ナンバー「42219」の乾いたユーモアがいい。 愚連隊シリーズ前2作と比べてドラマ中の対立構造は複雑さと多様さを増しているが、 例えば、張り手のアクションとリアクションのショットで全く別のシーンに繋いでいく、といった岡本監督独特の場面転換が鮮やかで、(濫用気味の感もあるが)テンポは快調だ。 御殿場ロケだろう、急峻な山越えあり、渡河あり、結婚式の火祭りに紛れての追跡劇は『隠し砦の三悪人』の影響も垣間見せる。(藤田進のセルフパロディもご愛嬌。) 特務隊内で対立する中谷一郎と田中邦衛も個性的だが、砂塚秀夫の繰り出すパントマイムギャグによる脱出劇は特に傑作だ。 捕虜役:江原達怡や村娘役:田村奈巳など、登場時間はわずかながら、再登場でその存在感を印象づけると共に、その再登場の意味が佐藤允のキャラクターの魅力を間接的に引き立てる点等も実に首尾が良い。 また、人気のない(砦のような)村を五人横並びとなって歩く構図や、円看板を拳銃で撃って賭けをする着想、佐藤允と中丸忠雄の最終対決の距離感覚など、西部劇へのこだわりの強さも徹底的だ。 ウェスタン活劇志向と戦争映画の思想性との拮抗と分裂も、シリーズ三作の中でもより際立っているといえる。 (婚礼の輿を日本軍が空爆することで、特務隊が窮地を脱するというやりきれない皮肉) [ビデオ(邦画)] 8点(2011-10-23 20:09:40) |
20. 南の島に雪が降る(1961)
フランキー堺のこわばった右手のアップ。その甲についた黒い傷痕。思うようには動かないその手の表情に胸がつまる。 それでも尚且つ一心にピアノを奏でるフランキーの横顔と正確な運指、そしてそれに見入る演芸分隊員たちの表情が1ショットに収められる。 縦構図の奥で、まるで『ハタリ』のジョン・ウェインのような母性的穏やかさで加東大介がその演奏を静かに見守っている。 観客席後方の位置から捉えたクライマックスの雪のシーンと共に、映画の中でも特に素晴らしい場面だ。 役者本人による運指を明示することで、具体的なアクションとしての演芸が情を伴い、迫ってくる。 兵士たちは偽物の「桜」、「柿」、「鬘」に感激し、作り物の「雪」に静まり返り、涙を流す。 実物ではない、人の手による事物イメージの所産ゆえにより一層彼らの郷愁をそそるのではないだろうか。 映画は逆に、喜劇俳優が兵士に扮し、入道雲や、ヤシの木や、海岸の夕景といった美術的虚構と類似を駆使してニューギニア・マノクワリ前線基地を再現し、映画の観客はその風物のイメージに現地を想う。 現実ではなく虚構が、本物ではなく偽物が、迫真を超えた「芸術」として見るものの心をうつ。 まさに、映画を連想させずにおかない。 [ビデオ(邦画)] 8点(2011-09-30 21:24:54) |