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黒猫クックさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 791
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自己紹介 猫と一緒に映画を見ていると、ヤツらは私より先にコイツはクソ映画だというのを察知します。ストーリー展開や伏線回収が怪しくなってくると席を立ってしまうのです。だけどそんなおっちょこちょいな映画にだって良いところはいっぱいあるんですよ。
猫のヤツらは冷酷です。

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1.  スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 《ネタバレ》 
無駄なシーンがほとんど無く、これまでのように興味がどうしてもわかない人も散見されるレースとかの弩級映像シーンが挟まれないのが最高のテンポを生み出してます。 特に1のポッドレースのような好き嫌いがはっきり分かれそうな物がなく集中がとぎれないのが良い。あれはいらない側の人間にはどうしようもなく暇だ。ハリーポッターとかにもあるけど、メディアミックスするなといいたい。  最小限のつっこみどころのみで4以降に綺麗につながりますし、アクションとCGIのバランスも絶妙すぎで悶絶物ですし、とにかくこうして欲しいところを完璧に作ってくれたという感じでか。  暗黒面に落ちる動機が非常に人間的で良い。国家や組織の裏切り程度なら、辞めちゃえば良いだけなので嘘くさいんですけど、恩師と思ってた人の画策で子供もろとも奥さん死んじゃったらそりゃあぶっ殺す的に狂うんじゃないですかね。ネットで良く見かける、動機がどうのこうの、ほんとに自分の頭で考えてますか?って言いたい。  4以降が大変古い映画なので、そういうところも含めて現代の作品としては悪の概念が文芸調で、人間味があったりするのが逆に受け入れやすかったり。過去の集大成として完璧といえるのでは。 この映画を見終わった瞬間、20世紀の映画はもう終わったんだ。という感傷のような気持ちが、それが何とも心地よい。過去の良い時代の良い映画に最後の区切りをつけられる作品となった。善と悪という対立構造や悪の境界線という概念が懐かしい。  今の映画は、テロリストや猟奇殺人者のような全く会話が成り立たない悪に正義でも悪でもない「人間」が立ち向かったり立ち向かわなかったりと、現実世界の悪の扱い方そのものの映画が増えている。 そんな映画に疲れてしまっても、こういう戻れる世界があるって言うのがうれしいものだ。  あと、情報サイトに書かれた、ひょうひょうとしたレビューをカッコイイと思って真似してる人をネットにてよく見かけるけど、あれら見落とし凄いから!的外れ!!そんなもんに付和雷同するなと。 もうね、作った人に失礼。もっとリスペクトしろといいたい。
[映画館(字幕)] 9点(2016-01-10 17:59:12)
2.  スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 《ネタバレ》 
これがなかなか面白い。  ストーリーはSF然としていて結構いけるんだが、時間の使い方が訳解らん。恋愛シーンとか長すぎ。何で無駄きわまりない時間の使い方をするんだろう。 しっかし特殊効果の進歩はすごかった。これのために何度も映画館に通った。本作ではいらないシーンが始まるとトイレに行った後ポップコーンを買って、友達に電話した後ホールに戻るみたいなサイクルができあがっていた。この映画以外でこんな事したこと無いが。でもそれはそれで楽しい時間を過ごせるんだからたいしたものだと思う。  ともかく殺陣とかアクションの品質は順調に上がって、後はCGモデル同士の演技を残すのみとなった。残念ながら戦闘機のドッグファイトとかクローンの総攻撃はモーションが今一歩かつ、格闘のプロットが甘かった。これは2015年の7ではほとんど解消されている。もうCGを馬鹿にする人はネットの文字ばっかり鵜呑みにして映画見てないんだな、という印象。既にこの時代には実際に米軍から戦闘機借りたって、実際の戦闘を当時の水準の映画的に撮るのは困難なレベルに達しているから、当時からしてすでに映画見てないんだな。という。  とにかくネットの悪評信じて、自分の目でしっかり特殊効果やチャンバラを見たのだろうか?と言いたくなるような文章がネット上に溢れている。この映画、間違いなく2002年には抜群に良く出来た水準で、最近の物と比べても何も遜色ない。ケチつけるために見た。というような文章を見ると腹が立つ。作った人達に失礼だ。映画を侮辱するなだ。  脚本がザルだったが、ストーリーと設定は非常に骨が太くて、高級素材な感じが今でも好きな映画だ。あれこれ妄想すると楽しい。いろいろな含みを残すので3への期待は盛り上がったものである。
[映画館(字幕)] 8点(2016-01-10 17:44:00)
3.  アドレナリン(2006) 《ネタバレ》 
絶望度のほどよいアホな映画だった。
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2015-12-06 14:27:47)
4.  007/慰めの報酬 《ネタバレ》 
 追い詰めきれない。 「君は、ぼくにとって最悪の結末を用意してくれたみたいだよ」そう言うと不服そうに彼は、 「そうでもないさ、こんなことじゃ誰も死なない。君だってそうだろ?事実、死ななかった」  死ななかったならそれでいいのか?そうじゃないだろ。ふざけんな。そう言いかけたが、僕は彼を殴り倒すことにした。そして近づいた瞬間に、視界は黒くなって、花の色のような輝きが僕の視界に現れると、ぼくはもううごけない。  なぜ、協力者がいると言う当たり前の発想に至らなかったのだろう。浮遊感を感じながらぼくはその中を泳ぎ切って、眠った。   と言うレベルの間抜けさが、ボンドに襲いかかる。2時間目一杯にだ。だけど、現代のボンドは昔と違う。間抜けな敵が助けてくれるかの如くヘマをするわけじゃない。相変わらず銃弾がボンドに命中するわけでもなく、捕まったり毒を盛られたりするのも通常操業だけれど、なんとなく自力で切り抜けてしまうあたりが新しい。   そう。ボンドはすっかり工作員として有能だ。米軍に一報入れれば10分で解決しそうな事案に男女でのこのこ現れて、秘密基地にまで乗り込んでしまうあたり、盤石のらしさではあるのだけれど、なんだろうかこの説得力は。だけど、ボンドに必要なのはこう言うことなんだったろうか。  どうしようもなく間抜けで無能でいい男なボンドの、スクリーンに映らない凄い部分を勝手に想像して、スクリーンに映らない凄いスパイを作り上げるという作業の素材なはずなのに、今のボンドは映画本編でそれをやってしまう。ずいぶんとお節介だ。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2015-09-20 22:06:00)
5.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0 《ネタバレ》 
 CGの品質設計が悪い。改悪じゃないのかと感じた。モデリングしているなら、そのパースで画にしてしまえば良かったのでは?と思うのだがゲームのおまけCGみたいなまま製品にせざるを得ないほど予算カッツカツだったのだろうか。作り始める前の検証不足か、予算不足と思われる。   日本のCGのレベルは日本製RPGを作ることに最適化しすぎて、ガラパゴス化してしまっているんではないだろうか。これではちょっとした外圧で絶滅するような気がする。現実にゲーム業界ってその入り口ではないだろうか。と、2011年くらいに考えてたが、今は一層そうなんじゃなかろうか。   CGをそのまま絵にぶっ込んでしまうというのはあまり感心できない。有名作品にやってしまうのは考え物だ。CGを使うということのリスクの高さをよく理解した上で始めるべきだった。  レンダリングするだけが絵じゃないぞ。パースを伴ってぐりぐり動く普通のアニメに見えるCGアニメも多数ある。一方で同年のスカイクロラは非常に良くできていた。違和感を演出として機能させていた。この映画の場合は全く違う制作会社が作っていて、宣伝の道具だったのではないかという気さえする。スカイクロラでは作画の統一性があったが、こちらは別物感が強かった。もう一手間掛ければ良かったのに。   一方でパネル表示のような、コンピュータ然とした演出は新しくなったことでグッと現実感を増した。この部分ではイノセンスのような洗練を感じた。しかし各戦闘シーンが待ちすぎでマッタリし過ぎていることや、狙撃のプロットが雑なことが悔やまれる。そこ直せ2008年製なんだから!   人形遣いの声だが、これってたまたま入った擬体を介さないやりとりなら擬体の声帯は関係ないのではと思った。実際はどうあれ内容の濃さを考えたら、人形使い自身のアイデンティティに依存するはずの声だろうと思うし、それを説明するために家弓家正だったのではないか。オリジナルは意外性とか面白さとかを狙って声を男にしたわけではないだろう。絵的にわかりやすい方向に変更して受け入れ口を広げる措置だろうけど、好かない。  緊張感や、統合される事への違和感が薄れてしまってはテーマがぼやけるようにしか思えない。   が、何回も見てると慣れてしまって、なるほどいつもの攻殻機動隊だ。攻殻機動隊なら何でも許せてしまう。ズルいなこう言う作品。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2015-04-05 01:08:53)
6.  007/カジノ・ロワイヤル(2006) 《ネタバレ》 
 僕の最初の患者は、僕よりも少し年下の彼女だった。少し暑いくらいの部屋の空気に混ざる、朝の静けさは彼女の心にどう映っただろう。僕はそう言うことを考えられないまま、機械的な質問ばかりを投げかけた。本当は分かっていた。僕は彼女の事を、彼女たちと僕たちの持っている関係以上に考えてはいけないなんて言う事は、とうに。 「先生、明日帰りたい」  悪い笑顔でそう言う冗談を言う彼女に、僕は頑張って寝ていなさい、と言葉を掛けるけどそれ以上のことは出来ない筈だった。 「散歩、いこうか」  ナースの足音が遠ざかるのが聞こえて、え?と二人共が言う。言うつもりのなかった言葉がするりと口から零れていた。疲れていたのだと思う。けれど、僕の心の中に毎日少しずつ詰まっていく重いものがだんだんと大きくなっていった。  忍び足で、堂々と連れ出した彼女はいった。 「外ってやっぱり寒いんだね、先生」  悪い笑顔で車椅子を押される彼女は、僕の気持ちを知っているのかもしれない。   彼女がいなくなる日、熱病にうなされた僕はそこにいる事が出来無かった。  彼女が僕と過ごした部屋で、僕の心の重りは二度と外れなくなった。僕に力があれば。目を閉じて呟いた。  後ろから肩を叩く同僚が僕を励ます。彼女は無事に退院したから大丈夫。あとは僕に任せてよ、と。   余り違わないはずの僕らの、致命的スペックの差が、さらに大きい差を生む。僕よりもずっと上手く隠密行動をして見せたのだ。空いた時間にいくら呪ってみても、僕の呪いを跳ね返す頼りがいのある性能の彼には全くもって通じないのだった。   今日のジェームズは凜々しくて、知的で、機敏で。だけど何回死んでもおかしくないくらい、ヘマをする。  いつものジェームズも何回死んでもおかしくないくらいなんだけど、間抜けなんだ。見た目もいつもの彼らの方が精悍でとても業務に耐えられる感じがしないくらい端麗で見栄えする。でも、今日のジェームズの方がずっと仕事が出来そうだ。  たぶん、僕らが愛して止まないジェームズとは何か根本的に出来が違うんだろうな。  あれだけ大雑把で、毒を盛られて捕まって。通常操業のはずなのに、どうしようもなくジェームズなのに、意欲旺盛で頼もしいもんだから従来のジェームズをこよなく愛する僕たちは、新しいジェームズには敵意むき出しなのである。   そして、面白いだけになんか腹が立つ。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-03-21 00:55:16)
7.  カールじいさんの空飛ぶ家 《ネタバレ》 
素直に面白かった。  序盤の見せ方は逸品で、これ以上ないくらい巧かった。実写の映画では不可能な味わいを作り出すことに成功しており、日本の絵によるアニメでも難しいのではないかと思う。モデリングで作り出されたキャラが発する説得力は、他の見せ方にはないものを持っている。  物語の作りはこれ以上ないほど丁寧で、入り口に感動的なパートを持ってくることで、子供を連れてきた親が引き込まれる。そのままそこから始まる冒険譚に子供と一緒に入っていくことが出来る。観る人のことをよく考えた優しさが良い。  目のつり上がった東アジア系の太ったあまり利発でない、鈍重な少年というキャラクタを冒険の助手にしたあたりが非常に考えられている。おそらく子供像としても一般的にあまり好かれないキャラクタをわざわざ狙い撃ちで作り上げている。このことでカールじいさんが優しさにあふれる人格を取り戻す様子をきちんと見せることが出来ており、ラストシーンでの泥だらけの少年をスルーする会場の“日常的冷たさ”や、その後のそっと座る親族の女性やじいさんとの優しいやりとりで、やっぱりこの少年に対して親近感を抱けなかった受け手の、本質的な冷たさを反省させる。いい話だ。  日本では寓意を「説教臭い」と言って受け入れない風潮が醸成されているようにも感じるが、そういった受け方が一般化しては他国作品の持つ感性に置いていかれる層が拡大しないかと思ってしまう。 子供連れの客が、自分の子供にこの映画の粗探しをさせる。それでも自分の子供にはわざわざ得意顔で反論など彼らはしない。自分の子供にはいい人を演じるためのダブルバインドだ。 そういう事をする大人がいる世の中が有るとすれば、それは相当に荒れた世界だとは思えないだろうか。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-08-04 14:05:06)
8.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 
 僕は、僕の中の彼女が僕以外の人の中の彼女と全然違うと言うことにうろたえていたけれど、それは顔に出さずに悲しんでる振りをした。相変わらず窓のそとに降り続く雪と、そのくせやけに明るい空が余計に、自分の居場所がどこなのかを分からなくしてしまった。  「ねえ、鵠沼に行こ」  少々投げやりに選んだ水族館よりも、海岸の方が落ち着くし時間が長く感じられるじゃん。という理屈に大変納得しつつも、アクアリウムを二人で眺めている自分に満足したい様な気もしたからだろう。 「あ、うん」  などと、気のない返事をする僕は感情の出やすい顔の作りでもしているのだろう。彼女は少し意地悪な顔をして、ずんずん134号線を歩いて行く。  本当はカップルが腕を組んで、キスをしたら思い出を作ってしまい込んでいくのをうらやましく思いながら一拍遅れて付いていく。   記憶が目の前に現れて、そして消える。彼女と僕の周りで悲しい顔をする誰かは、きっと僕の知らない彼女を知っている。それがどんな顔でしゃべり方の彼女なのかを、彼女に尋ね続ける僕は何者なんだろう。  彼女は応えない。そして、彼女は目を覚まさない。    っていう、ありきたりな側面にやたらフォーカスされた映画である一方で、中身はあんまり一般向けでは無かったっていう味わいがよく出来てた様な気がする。付和雷同を呼び起こす攻撃誘発性がどこかに仕込んであるのだけれど、わざとなのかもしれない。  もう見るな、というメッセージかもしれない。
[映画館(字幕)] 8点(2014-08-04 13:03:29)
9.  ホテル・ルワンダ
 日本は今も、紛争や戦争の遙か後方にいる。だから紛争や戦争のさなかではない。でもそれだけ。さなかではない、それだけだ。   この作品は日本が今後も戦時下でないという仮定しかしないひどく利己的な反戦映画に、納得してしまう自分を戒めるきっかけとなるのではないだろうか。何か起これば雪崩のように同種の事件が連発する社会で、平和を保とう、戦争は悲惨“だった”。などと上からの視線で主張するのは一体どういう事だろうかと。   紛争状態になればモラルなんて一発で消えるだろう。この社会を構成する僕たちは、僕たちが思っているよりずっと残忍で冷酷だ。そう言う国で、悲惨に死んでいく昔の人の映像だけを反戦の根拠とするのはいかがなものか。言葉に出来ない、人情ドラマにすることすら出来ないこの映画以上の惨劇が各地で今起こっているのに、判で押したかのような様式の国産の反戦映画で感動して、アメリカを軽蔑したらたちどころに馬鹿みたいに気が大きくなってしまう自分を戒めたい。   戦争や紛争が悪であるなんて当たり前だが、一方で殺人という行為が禁忌である理由を巧く説明できないことが一時話題になったことがある。その理由と要素はちょっとだけ複雑だけれど明白であるにもかかわらず、一言で説明することは困難だ。詳述されるその答えを用意するのも理解するのも私たちには、重荷だ。  殺人の罪は主観であるなどと言うのは、それを利用した文化人の言葉遊びだ。   そのテレビ的主張をまんべんなく否定できているわけではないこの社会では、反戦映画を観たくらいで今起きている悲惨な暴力は止められない。  世界平和といいつつ、世界の紛争やテロリストのやり口の悲惨さを、主張があるから一方的な悪ではないなどと拙く片付けてしまう。この社会で僕たちは、幼稚な主観主義で目をそらしすぎたおかげで争いと虐殺を、全く戦争として認識ができない。   自分好みの戦争と、そうではない戦争。思う様虐殺を楽しむ人たちを無関係なドラマだと楽しむ僕たちと、歴史の中のレアケースを選択的に憎む僕たち。身勝手さと頭の悪さに足元が揺れはしないか?
[DVD(字幕)] 10点(2014-07-26 04:14:30)
10.  カーズ 《ネタバレ》 
 途中なんどか涙ぐむレベルで良い話が挿入される。そして舗装や砂地の挙動など、キャラクターの心理に影響する細かい設定が巧妙にプロットされている事に関心もする。   けど、最後のレース放棄は見ながらにして「それはないだろ」と思ってしまう。あと数メートル。慣性走行を1秒もする必要ない状況でわざわざ引き返す必要があったのか。結果ライバルを公然と貶めることになり、心情的にはすっきりするのだが道義的にいかがなものだろうかと考えずにはいられない。   ただ、勝負モノの映画では無いことから積み重ねが無駄になったような感覚は無いことが救いだろうか。戦いがメインであれば、修行シーンなんかが入ることでそこへの報酬としてのラストシーンが用意される流れな訳だが、本作の性質はそこに無い。   とすると、やはり主義的な人道の中の一つをテーマにしていることになるだろう。しかし、勝ったり負けたりとか仲良く一緒であること等以前に「主人公がいったいどう言ういい人」になることが正しいのかという信念の場所がよく分からない。  ドクがレーサーだったと分かったときに手の平を返す様なども、小汚い格好で居酒屋で話す人をヒソヒソと馬鹿にするカップルが、その人の話に聞き耳を立てて、その内容が非常に高度で高度に専門的な職業に就く人だったときの反応を見ているようで不快感すらあった。   この映画の芯の部分にある、手の平返して人を肯定することや、目の前の成果を捨てる事は成長と言うよりも主義への信仰心が生まれたことでしか無いように感じられた。  手の平を返す前の人格もあとの人格も、ドクはドクで有り変わっていない。友人達との約束を忘れて目の前の善意を優先するなど、人を踏みにじっている事が分からないのだろうか。   田舎の住人と言うだけで見下されたドクも、勝利を願う友人も、切り捨てることになぜほんの少しの逡巡もしないのだろうか。テーマを覆う主義が不気味ですら有り、これだけの予算が投入された映画にもかかわらずこの道徳性の脚本にたいするチェックが甘かったと言うことにも少々驚きを禁じ得ない。
[地上波(吹替)] 6点(2013-12-28 14:41:37)
11.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 
 ストーリーは存在しない。そこにあるのは、モガディシュの戦いをリドリー・スコットが画面に再現しようとした事実だけだ。この様な種類の映画もある、と言うことを認めない人間もいる。   米軍は虐殺されて当然   この映画の感想でこう言うテロリストのような意見をたまに見かけるが、一体誰にそう言った思想を習った上での意見なのだろうか。民兵という言葉に古代の義勇兵の様な正義の市民をイメージしているとしか思えない。  「巨大資本をバックグラウンドに、テロリストのスポンサーが貧民を集めて軍事訓練を施した『職業テロリスト達』」である。本当に哀れみの対象だろうか?   事実は決して届かない。自動小銃の取り扱いはおろか、躊躇無く人間に発砲する事すら訓練を受けていない人間には不可能なことだ。  市民に銃を向けた米兵が憎い。軍事キャンプで訓練を受けた民兵を射殺した、米軍が憎い。そう言う彼らにはこれがテロリストの末席の発言と等価である自覚は無い。   存在もしない石油の陰謀と尾ひれがついたフリーメイソンによる世界征服にはらわたを煮えくりかえらせ、アメリカ人を殺したいと普段から願ってやまない人間たちには、2013年4月にソマリアがIMFにより国家として承認された事実さえもきっと許せないのだろう。  テロのフロンティアがまた一つ消えたと、米兵が死んだ土地を惜しんで酒の肴にでもするつもりだろうか。   彼らにとってはテロリズムによるアメリカの崩壊が正義で、正規兵や正規戦による紛争解決はその暴力の対象でしか無い。心の中の暴力性を代弁してくれるテロ国家やテロ組織が一つ消滅する度に彼らの目は信仰のはけ口を探して所々にさまよう。   ソマリア紛争の外資産業による復興という概念を経済テロに置き換える人間の頭の中にはどんな憎悪が隠されているのだろうか。それが誰に埋め込まれた物なのだろうか。  彼らの中では数千人の武装勢力は永遠に英雄で有り、アメリカ敗北のシンボルで有り続けるのだろう。   しかし、事実は作戦成功であり合衆国軍の勝利だった。テロを正当化したソマリアが国際社会から見捨てられるきっかけになる戦闘があっただけだ。   ただ、本作終盤、マラソン以外の何物でもないということには非常に当惑した。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2013-11-15 17:39:54)
12.  ボウリング・フォー・コロンバイン 《ネタバレ》 
 確かにそう言う面もある。カナダではとくに。  だけど、アメリカに内在する移民や治安の問題から、アメリカ合衆国そのものによる地理的恩恵の上に成り立ったカナダの社会も現実にある。   隣国では治安が良いのに、アメリカは腐敗している。という印象をすぐに持ってしまう人は、すぐに真に受けない方が良い。  すぐ隣は、メキシコも同じである。そこから不法に侵入してくる犯罪者や秩序や倫理を持たない移民に対しての自衛の手段が市民に与えられている訳で、単純な問題では無い。   こうした最強ランクに危険な国と国境を接し、かなりの広さで国境線を引くアメリカにはテロや犯罪を未然に防げなかった場合という概念もやはり存在する。  その事はむしろ、この映画のような視点はあまり関係の無いことでは無いのか?と言うのが素直な印象である。本当のドキュメンタリーならば全米ライフル協会は置いておいて、素直にメキシコの現状と合衆国の対応をフォーカスしアメリカをファイアウォールとしたカナダへの影響を追うはずだが、この映画はそうしない。   あくまでもドキュメンタリ風の風刺を、真実から作り上げているのは間違いないが、その切り口はどうしてもエンターテイメントであり、虚構だ。   言うまでも無く、このドキュメンタリーに表現されているのは、現実のアメリカに非常によく似た設定を持つ架空のアメリカのようなもので有り、銃を規制するかどうかはアメリカ単体ではなく、メキシコからの犯罪流入を抑止する力や、カナダを含む北米への拡散を含めた広範な力学になるため、全米ライフル協会や発砲事件の件数などは比較の対象では無いというのが正直なところだ。
[DVD(字幕)] 5点(2013-10-11 13:31:11)
13.  007/ダイ・アナザー・デイ 《ネタバレ》 
 愛である。007を愛するものは、こういったコラージュを特に好むのである。そして、アメリカの精密なスパイや、アクション。リアルなギミックを引き合いに出して007を取るに足らないとする輩にはエリザベス女王閣下の鉄槌が下るだろう。  これは007という、壮大な装置であって、この途切れないワクワク感を提供する唯一のメディアなのだ。   だからこそ言ってしまうのだが、これが007なのであっていつであっても過信してはいけない。予告編に足をすくわれるのは、デフォルトである。
[DVD(字幕)] 7点(2013-08-17 01:37:56)
14.  アンブレイカブル 《ネタバレ》 
 傑作ではないのか。傑作でしょ?  ……傑作だと思うんだけどな。だんだん自信がなくなってくるこの味わいに絶望する。何回見ても面白く感じてしまう。  普通の人の人生を何かが浸食する。いや、していた。けれどそれは全く確証が無いし、確認しない方が良い。危ない、死ぬかもしれない。主人公は過去の自分大きさと、自分がしたことへの後悔にとらわれてそのままうだつの上がらない人生に引きずり込まれてしまった。  ここで、このまま彼が普通の人生を歩むと人生を転げ落ちていくのだろう。使い古されたネタが普通の人に襲いかかる。苦悩と非現実を、現実っぽい世界で打ち破る。アメコミなら本当は。でも彼はそうしない劇中はただでさえ悩み過ぎなアメコミよりも更にシリアスなのだ。  漫画的な顛末を拒否した主人公は超人として前向きに社会で役割を果たしていく用に見える、そこに至るプロットがヒーローものと同じなのに表現が全然違う。これは痺れるわ。あかん、面白いでしょ?   マンガやファンタジーの世界がたとえ壊れたとしても、受け入れられなかったとしても、ストーリーが気に入らなくても、たとえ希望が無くても意志があれば生きていくことはできる。  あかんでこれ良い話や。
[DVD(字幕)] 8点(2013-08-06 23:39:57)
15.  スーパーマン リターンズ
 あの青いコスチューム。完全に耐用年数を過ぎている。バットマンがあのコスチュームを着るのは、奇跡的に理由が現実に合致したからだ。  コスプレをした半分頭のおかしい金持ちが、夜中に悪人を痛めつける快感を隠すためにはあのような姿しかないからという、ありそうな感じがする。   スーパーマンはどうか。かっこよさの象徴として作られたのであろうあの記号性は、現代では受け容れがたいかっこうわるさとなってしまった。いったいどうブラッシュアップしたらかっこよくなるのか皆目見当が付かないが、現実のガジェットや最新の銃器を華麗に操る捜査官や、スタイリッシュな音楽と編集にあわせて遠心分離器に血液を入れる科学者が格好良いとされるブラウン管やスクリーン上で、スーパーマンが写ってももう人目を惹くことは出来ないのではないだろうか。   残念だが、映像がスーパーマンであろうとすればするだけ、そこにあるのが観たい映像ではなくなってしまうと言うのが殆どの人の感じたところではないだろうか。  
[DVD(吹替)] 5点(2013-08-01 15:59:35)(良:1票)
16.  息子の部屋
ヨーロッパのこの体の映画は国営放送の60分番組でやれば良いんじゃないかといつも思う。言葉が全くわからないのでフランス映画だと思っていたが、そういえばイタリア映画だった。  テーマや設定は良いけれど、娯楽的な映画フォーマットに落とし込まれていないので、それをどうとらえるかということになると思う。ストーリーを放棄してしまっているような映画でドキュメンタリー的に見せることもうまくない。その代わり文芸的側面が高くて難しい映画を見たんだという気になれる。ヨーロッパのこういう雰囲気を理解すること自体が難しく感じる。こういう風に感じても製品として高度に練られている側面もあるから。本物の同人映画は半端ではない。そういう出来不出来で語るレベルではなくきちんと完成しているからスゲーと思う、全然面白くはないんだけれど。  アメリカで高評価。だけどその背景には日本に入ってこない優れたアメリカ映画も年中ガンガン観ている人たちが、一風変わった作品としてヨーロッパ映画を受け入れる余裕を持っているからではないかと思う。たくさんの人が微妙な部分を実にうまく受け取っている。  そもそも彼らは映画というものを芸術という概念で観ていないのではないか。我々が思っているよりもずっと、というか我々よりもずっとアメリカ人は懐が深く理解がある。どのような価値も受け容れて面白いと断ずる能力はたいしたものだと思う。  が、だからといってこの映画全然面白くないよね?そう思っているのは自分だけなのか。謎である。
[DVD(字幕)] 4点(2013-07-31 19:02:59)(良:1票)
17.  ショーン・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 
 ドーン・オブ・ザ・デッドと異質の映画なんだけど同じくらい面白い。オリジナルのドーン・オブ・ザ・デッドとは共に表裏一体をなすんだけろうけど、どちらのリメイクもよく練られていて驚く。  このショーン・オブ・ザ・デッドの面白さはそれだけではなくて、笑いのツボの抑え方も非常に小気味が良く本質的に出来が良い。コメディタッチのゾンビものとしてバタリアンがすぐに思い浮かぶが、あちらはテレビで放映された際の吹き替えだけでどれだけ一つの話が面白くなってしまうのかと言う意味でいうと、オリジナルのトーンを著しく損なっていて本体の出来の良さとは全く違う意味合いを持っている。  バタリアン放映当時、「レミントンスティール」や「俺がハマーだ」といった吹き替えが一人歩きするほどに吹き替えの文化度は高く、今とは比較にならないくらいの楽しみがあった。それと比較すると、より現代である2004年の吹き替えはどうなのかというと、これがなかなか驚きなのだ。  吹き替えの黄金期だった80年代末から90年代初頭に掛けての時期にはない、(原盤という意味の)オリジナリティの移植という意味で正常に進歩しており、背景音のトラックとの自然さも段違いという意味で、色々な技術的な進歩をしみじみと感じられる傑作っぽさがこの映画の本当の価値ではないだろうかと、思ったり思わなかったり。   そういう余り日に当たらない技術という意味で傑作なのは間違いないんじゃ無いかと思うのだが、ゾンビを感じさせる編集や、大槻ケンヂのような既視感を感じる世界観も完璧な技術的な昇華を果たしていてどうにも侮れない。   要するに、ヤベーサベーマジオモシレえ。って思わずつぶやくってこと。
[DVD(吹替)] 8点(2013-07-31 18:56:33)
18.  ファインディング・ニモ 《ネタバレ》 
 よーい、スカート。勢いをつけて彼はいった。  そこにいた四人は、ん?、と思わないでもなかったけどやり過ごした。 別の日、 パームやしってなんだ?パームとやしって同じだろ?ヤシやしだな。と、怒って言ったが物知りの子が、パーム種とココナッツ種があるんだよ、だからパームは液晶モニタみたいなもんよ。と諭す。液晶って言ったらモニタかもしれないけど、トリニトロンだってあるでしょと、至って冷静だった。何に怒ってるのよと。   学生の時、大きなお兄さんとお姉さんになった僕らは集まって、酒の席で笑い合う。彼はあれ見た?あれ。と、ファインディングニモの事を話題に出すが、みんな笑いが止まらない。彼はなんの事だか全くわからず当惑するのだけれども、また誰かが指摘を始めるのを知っているので澄ました顔で待つ。  ひとしきり笑い終わって賢い女の子から女の人にクラスチェンジをはたした彼女は、丁寧に説明を始める。あのね、ファインディングね、見つけたらとか出会ってとか、探して、なんて訳したら良いと思うよ。ファイティングじゃ違う意味合いになっちゃう。闘っちゃだめだよ、ラーメンマンじゃないんだから。  と、ファイティングニモを正しくファインディングニモに訂正した。   ここで一同大笑いをする。朗らかに、座の中心は彼だ。彼はいう。 「いやこの前、実は病院で馴染みの先生と話をしていたら、きみはあすぺるだー症候群かもねと言われた」  特別な言葉の覚え方をするんだね君は、と言われて今までなぜ指摘されて来たかわからなかった数々の独特な単語に気づいたという。本人はファインディングとファイティングを口にする段階で区別して居ないのだという。  彼が情報工学の学生でプラグラムをガリガリ書くというのも驚きだが、カリガリ博士をガリガリ博士と発音するのも驚く。   にしてもニモハッピーエンドたけどお母さんはどうなったの?やっぱ死んだの?と、いつもの調子で仲間たちの夜は更けていく。 
[DVD(吹替)] 7点(2013-07-29 19:29:07)
19.  ザ・メキシカン 《ネタバレ》 
 おい。   銃を巡るトラブルに巻き込まれたブラッドピットが、自分の愛を証明するためにジュリアロバーツときっとたどり着かないメキシコを目指す。ひっそりと殺されるかもしれない事実を受け容れながらも、二人が別々の道中で出会う人たちの何気ない行為は追う側への誤解を解いていく。そしてメキシコを目の前にした二人は、どこまで続くのかも分からないまっすぐな道で落ち合う。砂漠の廃屋で抱き合うがそこで彼女は殺されてしまう。その時一本の電話が事件を解決する。  意識の狭間を行き来する彼女の最後のメッセージは、彼の手を握ることだけで伝わった。愛していると。しゃがみ込み、ブラッドピットはほんの少し前まで彼女であった綺麗な顔を見つめて、唇を近づけるのであった。   っていうラストシーンじゃ無いの?これ。なに、このジャケット。なんなんだよ。オイ。コメディなのかよ!  にもかかわらず、そこそこ面白くて悔しい。
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2013-07-28 01:47:05)
20.  重力ピエロ 《ネタバレ》 
そこそこかあ……。残念だ。 コインロッカーが原作物としては信じがたいおもしろさだったので異常に期待してしまったのもいけなかった。話としては面白いんだけど、あの軽い記述方法でないと雰囲気がとてもじゃないけどバランスしないようだ。  これに原作があるって言うことを知らずに、社会派映画とか勘違いしてたなら結構面白く観てしまったのだろうけど、やっぱり読んでしまった話を映画でもう一度観てしまうとやはりよほどの好条件でないととんでもなく面白くなるってことは無いんだな。残念。   文字で疎通する兄弟と何人か。これを演技と声と画と画角で表現、出来るわけないものを字面を追って同じ事をしようとしても失敗するような気がする、 原作小説にきちんと読み取れる形で存在していた微妙に狂ってる兄弟と、対象者。これを画で見ても分からない関係に置き換えることで、読者に想像させるっていうのが、あまりに姑息だったように思う。  小説でも映画でも読んでる観てる人間に任せる部分が多少なりともある。それをやたら結末でやろうとすると、そのように議論を前提とした文書的な資料が作中でフォローされているかそうでないかで、決定的に落ちない、もう自力じゃ落ちない.ってことになる。じゃあ面倒くさいから読者にお任せ。で、という消極的なやりかたになって絶対最悪の読後感がまっている。  映画の場合、文字でしっかりその振りとなる資料を混ぜ込めない以上、読者の倫理や正義感、法の力などという文書で抑えておくべきな部分をセリフや状況で読み取らせようとする。 結果として、この映画のように、精神的に近い側の人間にしか共感されないと言う事がおこる。 共感できない人間が、理解できない行為をしてしまったことに気付いてしまった。どのように葛藤したら良いだろうかと言う方法まで楽しめる部分が、ない。 似たような因子がある人が「弟わかるわあ」で終わってしまってはまるで意図しない方にいってしまっている。
[DVD(邦画)] 6点(2013-07-20 05:55:19)
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