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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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401.  相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿
テレビドラマで少しでも売れた作品は、何でもかんでも「映画化」してしまって興行収入を得ようとする流れは、今のテレビ業界の定石なので、「相棒」本編の映画化は必然だと思う。 ただ、いくら人気キャラクターだと言っても、本来“脇役”でもない“端役”である鑑識役を主人公に据えて映画化してしまうことには、少々やりすぎな感じが拭えなかった。  実際、一つの映画の主人公としてはあまりに華が無さ過ぎた。華が無いからこそ、本編で良い味を出しているわけで、そもそも本末転倒だと思う。  ストーリー展開的にもチープな点が多く、「鑑識」という科学捜査の先陣であるはずのキャラクターが主人公のわりには、捜査の手法そのものが強引で、論理性が乏しかった。 「鑑識」がメインである以上、走り回って捜査をするシーンなんて必要なく、台詞の通りに「物証がすべて」だという概念を貫いてほしかったと思う。  「相棒」シリーズらしく、少々強引であってもサスペンスを転じさせてオチを付けたことには好感が持てたが、やはり一つの「映画」としてのインパクトは備わっておらず、テレビのスペシャル版放映で充分だったと思う。
[地上波(邦画)] 3点(2011-07-03 23:36:32)
402.  白夜行 《ネタバレ》 
東野圭吾の原作を読んだのは、2年前になる。ハードカバーの単行本は、ページが2段組み構成の500ページを越える長い長い小説だった。 純粋なミステリーというよりは、二人の男女の過酷な運命と、隠された真相に彩られた、壮大な「悲劇」だった。  数年前に放映されたテレビドラマは、まったく観ていなかったが、再び映像化するのならば、「映画」として、潔く過剰なまでに色濃く創り上げて欲しいと思っていた。  少し地味目なキャストと、新鋭の監督の起用に対して、いささか不安はあった。  しかし、導入部を観た時点で、不安は期待に転じた。  殺人事件を発見し逃げ惑う子供たちの“ぶさいくさ”、その表情をタイトルバックにする潔さ。 刑事や容疑者たちのどこかうらぶれた表情を画面いっぱいに映し出し、殺人事件そのものよりも、事件が起きた環境とその人間模様の異様さを表す演出には、期待した“色濃さ”があった。  地味目なキャスティングも、この物語の本質である“人間の不確かさ”を表現するための必要な手段だったのだろうと思った。  とても満足感を伴う映画だったと思うのだが、最後の最後、物語の締め方には不満が残る。  主人公の二人、雪穂と亮司の隠し続けられてきた心と心の“つながり”を、もっとしっかり描くべきだったと思う。 最後の最後まで亮司との関わりを否定し貫き通す雪穂の「決意」は、絶対に描くべき要素だが、映画ではそれのみが描かれるため、最終的に雪穂が亮司を“切り捨てた”という印象が強く残ってしまった。  亮司が最後に船越英一郎演じる笹垣と対峙し、自らの積み重ねた行為に対して”悔恨”を垣間見せる様も描くべきではなかった。  そして、最後の最後に船越に語らせすぎた。(サスペンスの帝王の“顔”を覗かせてしまった……)  20年に及ぶ悲劇の中で、彼らが繰り広げた罪と罰、そこには常軌を逸した「覚悟」と 揺るぎない「愛」があったはずだ。 原作の空気感を踏襲した上質な切り口をみせてくれた映画だっただけに、もっとも肝となるべきその「覚悟」と「愛」が描き切れなかったことは、残念。 
[映画館(邦画)] 6点(2011-07-03 23:35:44)(良:1票)
403.  沈まぬ太陽
日の丸親方の大企業を軸とした様々な人間の、様々な思惑、正義、悪意がめくるめく様を描いた長ーい物語。 202分にも及ぶ大長編で、内容が内容なので、とてもじゃないが気軽には観られない。数ヶ月前に録画しておいたものをようやく観ることができた。  山崎豊子の長編を渡辺謙をはじめとする映画スタッフが気合いを入れて長い長い映画に仕上げただけあって、骨太で見応えのある作品だったとは思う。 個人的に、こういうそれなりに名を馳せた多くのキャストが色々な役で登場する作品は好きなので、次々に登場する俳優陣の顔ぶれを見ているだけでも、興奮させられた。  冒頭にも記した通り、様々な人間の様々な思惑が絡み合う人間ドラマなので、最終的に「誰が正しい」ということは言えないもどかしさを、ラストシーンを観ながら感じた。 そのことが、見終わった後のカタルシスの欠如に繋がったことも否めない。  ただし、この物語はまさにそういう社会自体のもどかしさを描いたものであり、それをしっかりと表現したこの映画の方向性は決して間違っていないと思う。 そして、「フィクションだ」と濁してはいるけれど、この物語が実在の巨大企業の顛末をモチーフにして描かれていることは明らかであり、実際にどういう問題があって現状に至っているのかという「実情」がとてもリアルに理解できた。  現実に即し、安直なドラマティックを排除した実直な映画だと思う。  でも、渡辺謙演じる主人公が、自らの信念に対してあまりにも頑すぎて、その絶対的な実直さが逆に人間として共感できないなあと、個人的には思ってしまった。
[地上波(邦画)] 6点(2011-07-03 23:33:22)
404.  木曜組曲 《ネタバレ》 
「死」を覚悟した年老いたカリスマ女流作家が言う。 「余韻」を残せない人生をなど絶対嫌だと。  彼女の想いがほとばしるように、この映画のラストは、衝撃と甘美を併せ持った上質な「余韻」に埋め尽くされる。 もう3度目の鑑賞となると思うが、その余韻に対する感慨は更に深まったような気がする。  4年前に死んだカリスマ女流作家のもとに集う5人の女たち。五角形の食卓の上で交錯するそれぞれの疑惑と偽りによって展開していくストーリーの構成力が凄 い。 4年越しの疑惑が更なる疑惑を呼び、ついに導き出された真実。そして、それを更に包み込む壮大な“くわだて”には衝撃を通り越してため息が出る。  数日前に初めて恩田陸の原作小説を読んだ。 物書きの死をめぐる物書きたちの精神を、緻密な文章世界で表現した秀作だった。  その一方で、数年前にすでに観ていたこの映画作品の完成度の高さをまざまざと思い起こさせた。 この作品は、数少ない原作小説を越えた映画の一つだと思わずにはいられない。 原作世界の世界観を完璧に踏襲すると同時に、テーマに対するディティールを深め、より深遠な人間模様とその精神世界を表現することに成功している。  上質なミステリアスによって導きだされた本当の人間の姿。  もうそこには、サスペンスの驚きを遥かに越えた感嘆しか存在しない。
[DVD(邦画)] 10点(2011-06-22 14:59:32)
405.  美女と液体人間
“液体人間”という「怪奇」、その恐怖と対称として「美女」を配置する構図は、映画史におけるゴシックホラーの典型であり、オドロオドロしいタイトルも含めて、“ベタ”というよりは「王道」と言いたい。  決して手放しで「面白い!」とは言えず、ストーリーも特撮も稚拙と言わざるを得ないけれど、映画としての“味わい”は確実に存在していたと思う。 “液体人間”が現れて、美女が「キャーー!」と叫ぶ。極端に言えばそれの繰り返しの映画だが、そのシンプルな内容で一つの映画世界を貫き通す潔さみたいなものが、当時の映画界のパワーであるようにも思う。  そして全編通してチープな怪奇に彩られてはいるが、そもそもの根底にあるものは、やはり「核」への危機意識であろう。 プロットには、当時実際に起きた事件や事故なども彷彿とさせるものがあり、そういった意味でも「時代」を映している映画だとも言える。
[DVD(邦画)] 4点(2011-04-01 16:40:39)
406.  ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 《ネタバレ》 
東宝の「ゴジラ」シリーズは大好きで、1954年の第一作目をはじめとしてその殆どの作品を観てきた。  それを踏まえた上で、敢えて言っておかなければならないことは、この日本映画史に残る特撮映画シリーズは、その殆どの作品が「駄作」であるということだ。「ゴジラ」シリーズ全28作品中、「良い映画」だと呼べる作品は、本当に一握りしかない。  そんな中で、第27作目である本作は、意外に良い映画だと思っている。  「ゴジラ」シリーズにおける“良い映画”に共通する特色が一つある。それは、"ゴジラ”と対峙する(闘う)のが、「人間」であるということ。  「駄作」と断言できるゴジラ映画の多くは、ゴジラが登場し、そしてまた別の巨大怪獣が登場し、両者の対決ばかりを延々と繰り返す。 必然的にそこには人間ドラマなどなく、ストーリー性なんてあってないようなものになっている。当然ながら、映画として面白いわけがない。  娯楽映画であろうと、特撮映画であろうと、そこに確固とした人間模様が描かれるからこそ、観客は感情移入し、より一層にエンターテイメント性が際立つものだと思う。  そういった「ゴジラ映画」である前に「映画」として不可欠な要素を、本作はきちんと組み込んでいる。  人間が対ゴジラ用の最終兵器として生み出した“メカゴジラ”=「機龍」の整備士を主人公に配し、人間とマシーンの狭間に生まれる思いを軸に展開するストーリー性は、これまでのゴジラ映画にはない新しさだったと思う。 だからと言って、ストーリーの完成度が高いなんてことはないのだが、少なくともストーリー展開に整合性はあり、白けるようなことはない。  注文をつけるとすれば、成虫・幼虫(双子)と大サービスで登場する“モスラ”の存在性はあまりに無意味だったと思う。 モスラと、この怪獣とセットの“小美人”の存在のせいで、リアリティが大いに損なわれたと思う。(まあ、ゴジラ映画にリアリティなど求めること自体がナンセンスかもしれないが……)  あともう少しキャスティング力にパワーがあれば、更に人間ドラマが際立ったのになあとも思う。  エンドロール後の“バイオハザード”的な更なる続編への煽りも個人的には大好きで、次作にも期待したのだけれど、続いて公開された最終作は、本作とは全く繋がりのない超絶駄作となってしまったことは有名な話。
[DVD(邦画)] 8点(2011-03-29 14:41:54)
407.  風の谷のナウシカ
先日、「スタジオジブリ物語」という特別番組を見た。  ジブリ映画の各作品における製作秘話も面白かったが、それ以前に、宮崎駿や高畑勲らスタジオジブリの創始者たちが、数々の名作アニメ映画に辿り着くまでの過程と葛藤が、とても興味深かった。  必然的に、各ジブリ映画を観たくなり、まずは何を置いてもこれからだろうと思い、「風の谷のナウシカ」を観た。  子供の頃、自宅には親が録画してくれた今作のVHSがあった。僕と三歳下の妹は、決して大袈裟な言い回しではなく、何十回も繰り返し繰り返し観続けた。当時妹は、この映画の全台詞を覚えて空で言えるくらいになっていた。  それから自分自身が成長していく過程で、幾度も見返してきた映画の一つだが、驚く程にその面白さは色褪せない。 何度も何度も観ているシーンで、同じように感動していることに気付く。  「風の谷のナウシカ」には、宮崎駿自身が描き出した原作漫画があって、そちらの方が世界観的には圧倒的に緻密で深遠であることはもはや周知の事実だろう。 漫画作品とくらべると、映画作品で描かれるストーリー展開やキャラクター性に物足りなさを感じてしまうことは否めない。   ただ今回僕は、原作漫画を全巻読み返した直後に、この映画作品を観た。  やっぱり面白かった。これはもう理屈ではないと思った。 宮崎駿が作り出したアニメーション自体が、やはり純粋に素晴らしいのだと再確認した。  何度も観たはずのシーンが何度観ても面白いのは、一つ一つのアクションに芸術的なエンターテイメント性が溢れているからだと思った。  ナウシカが暴走する王蟲の前を滑空する。ユパが両手を交差させた独特のポーズで中空から飛来する。テトが何気なくナウシカに頬ずりする。コルベットが雲を突き抜けて追走してくる。  改めて見返すと、ワンカットワンカットが本当に工夫されていることに気付く。分かりきったことだが、改めて宮崎駿というアニメーターの凄まじさを感じた。   原作漫画の世界観すべてを映画作品と同じくアニメーション化して欲しい!という「夢」は、原作ファンのすべての人が持っているものだろう。 残念ながら夢は夢のままだろうけれど、その「夢」を持たせてくれたこともまた幸福なことだと思う。
[DVD(邦画)] 10点(2011-03-28 14:50:35)
408.  あしたのジョー(2010)
矢吹丈のストレートが力石徹の頬にめり込む。力石徹のアッパーが矢吹丈の身体を宙に持ち上げる。 拳がゆっくりと顔にめり込む、震える表情筋、乱れる毛髪、吹き出る体液……。  あの宿命の好敵手との決着と悲劇を、映像として具現化出来た様を観た時点で、この映画の存在価値は揺るがないと思った。  原作が長年語り継がれてきた“伝説”である以上、やはり評価における「比較」は避けられない。 この映画は、ある部分では原作を越え、ある部分では大いに物足りない作品だと思う。  まず前述の通り“対戦シーン”は、申し分ない。メインキャストの二人はしっかりと映像に映える身体づくりをし、それをCGクリエイター出身の監督が文字通り「縦横無尽」のビジュアルで切り撮っている。  山下智久の“丈”は、猛々しさは物足りなかったが、重圧をはね除けるための彼なりの努力と意地は見られた。 香川照之の“丹下”は、原作のキャラクターそのもののビジュアルと存在感を、流石の演技力とボクシングへの造詣の深さをもってして見せてくれた。  が、この映画におけるすべての要素の中で最も価値が高かったのは、伊勢谷友介の“力石”をおいて他に無い。 その体躯、眼差し、立ち振る舞い、存在感、そこに居たのはまさしく「力石徹」だった。  役者のパフォーマンスと、監督の創造性よって映し出されたビジュアルそのものが確固たるエンターテイメントであり、そこには「人気漫画を映像化する」ことの意義が確実に表されていたと思う。  一方で、圧倒的に欠けていたのは、対戦シーン以外の「情感」だった。 どうしても映画化における尺の制約があるので、ストーリーが端折られてしまうことは仕方が無い。 ただ端折られているはずの各シーンのテンポが悪く、展開が稚拙だったため、本来そこから伝わってくるべきキャラクターたちの感情の描き方が希薄に思えた。  丈と丹下との絆だったり、丈自身の心情そのものが薄っぺらに感じてしまう部分があったことは、ドラマとしては致命的だったと思う。  そういう意味では、ドラマ性の部分においても、「力石徹」に食われてしまっている印象も受ける。  トータル的には、伝説的な人気漫画に真正面から挑戦し、しっかりと映画化した作品だと思うし、面白い映画であることは間違いない。 ただし、「力石徹」を登場させられない以上、続編には挑むべきではないとは思う。
[映画館(邦画)] 7点(2011-02-14 00:00:24)(良:1票)
409.  アマルフィ 女神の報酬
某キー局の開局何十周年記念か何だかで、日本映画とすれば「巨費」をかけたと言える今作。 オールイタリアロケが功を奏し全編通して一定の雰囲気はある映画だと思う。無駄に長い気もするが、サスペンスのテンポ自体は悪くはなかったと思う。  主演の織田裕二の演技なんて端から期待はしていないので、この手の作品としては珍しい「外交官」という役どころにも特別違和感は無かったと言える。  ただし、違和感は無い一方で、主人公が外交官である必要性をあまり感じなかった。 原作を読んでいないので何とも言い難いが、なぜ外交官である主人公があそこまで大立ち回りをしなければならないのか?そもそも彼は何者なのか? 主人公のキャラクター性自体の描き方があまりに不十分なまま物語は終結してしまい、ストーリーに入り込めなかった。  ストーリー自体も、一応の整合性は保っているけれど、配役その他から“オチ”が終始見え隠れするので、サスペンスによるカタルシスは得られなかった。  描かれなかった主人公のキャラクター性、主人公がちょこちょこ電話する相手に中井貴一を声だけ出演させるなど、某キー局の相変わらずのビジネス戦略が随所に見られる映画だ。
[地上波(邦画)] 4点(2011-01-06 16:57:02)
410.  イヴの時間 劇場版
手塚治虫の「鉄腕アトム」を礎にして永年に渡って、様々な媒体で描かれてきたテーマ。それが、「人間」と「ロボット(アンドロイド)」との関係性。 何度も何度も描かれてきたテーマだけに、このアニメーション作品で描かれている主題は、善し悪しは別として「古典的」だと思う。 新進的な秀麗なアニメーションにおいて、その古典的な要素が際立っていることは間違いない。  それを素直に受け止められるかどうかで、この作品に対する評価は大いに左右されるような気がする。  想像よりも“驚き”は少ないストーリー展開に対して、拍子抜けしてしまう部分は確かにある。 ただし、それをある時点で受け入れられてからは、人間とロボットの心情が交じり合う様に純粋に感動も出来た。  物語全体のバックグラウンドはしっかりと設定されているようで、今作に収まり切れていないストーリーの展開も今後期待できるようだ。 どういう形で公開されるのかは知らないが、「続き」に対する興味は充分に大きい。  あまりに都合の良い設定や、台詞や展開のあざとさも随所で見受けられる。 が、決して嫌いではない。
[DVD(邦画)] 6点(2011-01-03 21:33:00)
411.  あしたのジョー(1980)
この劇場版自体が、自分が生まれる前の作品なので、当然「あしたのジョー」をリアルタイムに知る世代ではない。テレビアニメも見たことが無かった。 ただ、アニメのスペシャル番組などにおいて、散々放送されているので、矢吹丈の最大のライバルの名が「力石徹」だということも、彼の最期がどういうものかも、「知識」として当然知っていた。  この劇場版は、テレビシリーズの再編集版に過ぎず、そこに「あしたのジョー」という伝説的なアニメーションのすべてが凝縮されているとは到底思えないが、それでも、ようやく力石徹の「最期」をちゃんと見られたことは、意義があったと思う。  来年、ついに「あしたのジョー」が実写化される。 それを前にして、原作漫画を中古で買って読み、この映画を観てみた。 原作のファンである人からも、そうでない人からも、実写化そのものについて、配役について、賛否は尽きないだろう。  が、個人的には「期待」の方が大きい。
[DVD(邦画)] 6点(2010-12-28 16:16:26)
412.  シーサイドモーテル
やりたいことは分かる。狙っている世界観もファーストシーンからラストシーンまでビンビンと伝わってくる。  だが、ウマくいっていない。そして、面白くはない。  山間の小汚いモーテル、海なんて何処からも見えないのに、その名も「シーサイドモーテル」。そこに集まった4組の訳あり男女。それぞれのシチュエーションの中で巻き起こる”騙し合い”。 キャストは生田斗真、麻生久美子、山田孝之、玉山鉄二、成海璃子、古田新太……と華やかさを併せ持つ曲者揃い。  「ああ、面白そうだ……」と、予告を見た段階で止めておくことが、最も幸福なのかもしれないが、もちろんそういうわけにはいかないわけで……。  何と言うか、面白く無さ過ぎて腹立たしいなんてことは全然ないのだけれど、きっぱりと面白くないと断言は出来て、その失敗の様を何故だか微笑ましく眺めてしまう。そんな映画。  それは、この映画に携わったスタッフも演者もみな決して手は抜いていないということが、ひしひしと伝わってくるからかもしれない。 「タランティーノばりに面白い映画を作ろう!」とそれぞれが頑張っているのだけれど、噛み合っていないというか、そもそも話が面白くないというか。  無意味にハイテンションな演出なので、舞台で各部屋のセットを立体的に組んで演れば、結構面白い舞台になるかもしれない。と、可哀想なのでフォローしてみる……。  まあ、いいよ。こういう映画もあって良いよ。   P.S.「手紙」の後にこの映画を観た。山田孝之&玉山鉄二の役柄のギャップは、楽しみがいがあった。そういう要素も、映画の醍醐味だと思う。
[DVD(邦画)] 5点(2010-12-25 02:10:49)
413.  手紙(2006) 《ネタバレ》 
「手紙ってめちゃ大事やねん」と、沢尻エリカが主人公をこれでもかと諭すように言い放つ。 もう映画のクライマックスだと思っていたシーンでのこの陳腐であざとい台詞を聞くや否や、思わず大あくびをしてしまった。 物語としての面白さがまるでない道徳映画を観てしまったなあと思った。  が、映画はもう少し続いて、結局最後は泣いてしまった。  東野圭吾の原作は読んでいないので、一概には言えないが、ストーリーには彼らしい捻りはない。 殺人を犯した兄を持つ主人公の苦闘の日々を、兄弟間の“手紙”のやり取りを絡めながら、つらつらと重苦しく描く。 映像となり、主人公を山田孝之が演じることで、その“重さ”は余計に”じっとり”としたと思う。  だからと言って、特筆する程の「悲劇」も描かれない。明確だけれど地味な「不幸」が波のように訪れるばかり。  苦悩し続けた主人公は、ついに兄との明確な「決別」を決意する。 ラスト15分、そこから物語はようやく感動へ転じていく。  映画の中でも説教臭く描かれる通り、世の中から「差別」が無くなるなんてことはないのだろうと思う。 なぜなら、人の世の中は、差別し、差別されることで成り立っている要素が多分にあるからだ。 そして、そのことと同じく、一度繋がった人と人との関係性を完全に消し去るなんてことも、実際不可能なことだろうと思う。  それが血縁者であるなら尚更。ただただ受け止めて、生きていくしかない。 使い古された言葉を敢えて使うなら、それが「宿命」というものなのだろう。  そういうことをこの兄弟がそれぞれに受け止めたラストシーン。 受刑者の兄を演じる玉山鉄二が、漫才をする弟の姿を見つめながら、号泣を押し殺すようにひたすらに両の手を合わせる。 それは、延々とありふれた道徳論を描いてきた映画の果てに辿り着いた、綺麗ごとではない真実味だったと思う。  映画としての展開は非常に稚拙で、ラストシーンにしても小田和正の楽曲を無理矢理持ち出して、強引に涙を誘うというあざとさが溢れていることは否定できない。  ただあざといからこそ、人間と社会、人間と人間の結びつきについて考えさせられる映画だとは思う。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-12-22 17:20:08)
414.  相棒 -劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン
「相棒」というテレビシリーズは、不思議な魅力を持っていると思う。  本来は某キー局制作の2時間ドラマ臭がプンプンする刑事ドラマだったにも関わらず、地味というか地道というか根強い人気が続き、10年間にも渡る人気シリーズになってしまった。 描かれるストーリーも、徐々に「謎」が洗練されていき、一定のクオリティーを保つミステリーシリーズとしても育っていったと思う。  テレビシリーズの深いファンではないので、本当に時々放映されている回を見たことがある程度だが、最初は”失笑”せずにいられなかった水谷豊のキレッぷりも、今では”お約束”となり、アレが無いと少々物足りなさも感じる。  この「劇場版」も全く観たくないなんてことはなかったのだけれど、まあ所詮テレビドラマの雰囲気の枠を出ない作品だろうと、特に期待もしていなかった。 そして、実際その予測は外れていはいなかった。  良い意味でも悪い意味でも”豪華な「相棒」”という印象。 1本の映画として完成度が高いとはとても言えないが、普段のテレビシリーズでは見られないであろう大々的なロケーションと豪華キャスト陣は、ファンを存分に喜ばせるスケール感を伴っていたと思う。  人気のテレビシリーズが、予定調湾ごとく映画化される現状には辟易しているが、「映画」にすることで面白味が膨らむ作品は確実にあるだろうし、一概に否定はできないだろうなとは思う。  同シリーズ「劇場版Ⅱ」にも、密かに期待している。
[地上波(邦画)] 6点(2010-12-21 14:12:20)
415.  SPACE BATTLESHIP ヤマト
映画、特に娯楽映画においてはっきりと言えることが一つある。 それは、観る者のそれぞれの感受性と価値観によって、一つでも「印象」に残る要素があれば、その映画の価値は揺るがないということだ。  この映画には確実に“それ”がある。それがある以上この映画を否定することなんて出来ない。  それは、日本映画界で考えられる最大限のレベルで実現させた宇宙戦艦の発進シーンでも、 良い意味でも悪い意味でも“木村拓哉らしい”ヒーロー像ぶりでもなく、 ずばり“ヒロイン”の魅力に他ならない。  そう、“森雪”を演じた黒木メイサが素晴らしかった。  映画や漫画において時折、堪らなく魅力的なヒロインにめぐり会う。 そういうときは、その作品を観終わった後もしばらくの間、“彼女”のことばかり考えてしまう。 それはまさに、現実と創造の狭間に生まれるささやかな“恋”だと思う。  必ずしも黒木メイサの演技力が高いとは思わないし、原作を知らないので“森雪”というキャラクターに彼女が合致していたのかどうかも定かではない(おそらく随分違うんじゃないかと思う)。 ただそんなこと「どうでもいい」と思わせるほど、“黒木メイサの森雪”は魅力的で、木村拓哉の古代進と同様に彼女に恋し、守りたいと思ってしまった。  繰り返しになるが、世代が随分違うので、原作のアニメは見たことが無い。 原作を知らないからこそ楽しめた要素は多くあるのかもしれない。  基本設定は「スタートレック」にも似たこのSFエンターテイメントを、もしハリウッドが映画化したならそりゃあ大迫力のブロックバスター映画になったことだろう。  だが、この「宇宙戦艦ヤマト」の精神的な荒涼感や孤独感、奥ゆかしい情緒感は、やはり日本人が描くべき世界観だと思った。 映画としての粗や突っ込みどころは非常に多い。 ただそれでも、この映画を、日本人が一生懸命に挑戦してつくりきったことが、非常に重要なことだと思う。   まあそんなことより何よりも、僕にとっての“森雪”がとびきり可愛くイーッとして古代進を見送る。そのシーンがすべてだと言いたい。  ヒロインの漆黒の瞳から始まり、「未来」を見つめる彼女の姿を映し出して終わるこの映画において、その価値観は決して間違っていないと確信する。   余談になるが、某スキャンダル女優が降板したことが、今となっては「運命」だったとすら思う。
[映画館(邦画)] 8点(2010-12-06 22:07:03)(良:3票)
416.  ハゲタカ 《ネタバレ》 
「人生は金がすべてだ」、「金が人生の悲劇を生む」それらはすべて正しい。  ただ、自分自身も含めて、日本の、いや世界のその「現実」を、どれだけの人が本当の意味で理解しているのだろうか。 ということを、「ハゲタカ」のドラマシリーズとこの映画化作品を通じて思い続けた。  数年前、この国で立て続けに表立った某IT企業や某投資ファンドによる企業買収劇は、記憶に新しいところだ。 ただし、連日連夜報道されるその様を、一体どれほどの日本人が、自らが息づく国の経済危機を踏まえて見られていただろか。 自分自身もまさにそうだが、一連の騒動を全く別世界の“ショー”でも見るように、無責任に楽観視していた人がほとんどだと思う。  その国民の反応こそが、この国の抱える「危機」そのものだということを、この作品は具現化したのだと思う。  まさにタイムリーな社会性を如実に反映した設定、そこに映画ならではの娯楽性を加味した世界観は巧みだった。 経済情勢に全く疎い者でも、作品の中で巻き起こる顛末と現実の社会での出来事がみるみるリンクしていき、リアルな危機感と焦燥感に繋がっていく骨太な作品だったと思う。  玉山鉄二が演じた中国系ファンドマネージャーの悲哀が、この映画化作品の最たるポイントだった。 世界の底から生き抜き、憧れ続けた日本車メーカーの買収に心血を注ぐ様、そして、最期の最後まで金を拾い続ける様には、ドラマシリーズを通じたこの作品の「真意」が表われていたと思う。  金にまつわる人間の業、そして、罪と罰。 それは、決して否定することが出来ない人間の宿命なのかもしれない。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-12-05 23:11:52)
417.  仁義なき戦い 代理戦争
現在(2010.9)放映されている某ビール会社のCMで、御年77歳の菅原文太が、物凄い風格を携えて立ち飲み屋でビールを飲んでいる。 ただのCMだが、菅原文太という大俳優のスター性を改めて感じた。それと同時に、昭和の日本映画史を彩ったスター俳優も、自然の摂理の中で徐々に少なくなってしまったことに一抹の淋しさを覚える。  そんな思いもあって、菅原文太の映画を観たくなった。彼の代表作と言えば、一にも二にも「仁義なき戦い」だろう。数年前に第一作目を観て、その溢れ出る映画のエネルギーに圧倒された。  番外編と評される第二作目を飛ばして、深作監督作品のシリーズ中、最も評価の高い第三作目の今作を観た。  「代理戦争」という副題が表す通り、やくざの組織対組織の思惑がぶつかり合う”かけひき”の様が色濃く描かれた作品だった。 菅原文太演じる広能昌三も、やくざ組織の中の愚かしい欲望の乱立の中で鬱積する場面が多く、一作目のような強大なエネルギーとインパクトは得られなかった。 やくざ映画らしい抗争シーンは何度か挟み込まれるが、トータルすると、どこの世界でもあり得る“政治劇”を観ているような印象を持った。  菅原文太の憤りが溢れる苦悩の表情で映画は終わってしまうので、観ている方もカタルシスが満たされぬまま苦悶してしまう。  どうしてこの作品がシリーズ中、最高評価を得ているのかは理解出来なかったが、シリーズを転換させていくための作品としては重要な人間模様を描いていると思う。  そして、単純に血で血を洗いのし上がっていく様だけを描かず、今作で描き出されたようなやくざ社会の中での“政治”の様や、盃の取り交わしと裏切りが表裏一体であるこの世界の異様なまでの愚かしさまでを、徹底して描き連ねたことが、この映画の孤高の価値に繋がっていると思った。  飛ばしてしまった第二作目も含め、この際、全シリーズ作品を観てみようと思う。
[DVD(邦画)] 6点(2010-12-05 23:08:15)
418.  ルパンの消息(TVM)
「三億円事件」時効成立の夜に死んだ一人の女教師。“自殺”として過去に葬られていた出来事が、“殺人事件”として蘇る。時効まで24時間、三億円事件の無念を抱える刑事が、再び時効成立のリミットに挑む。  面白い。こういう過去と人間が絡み合うストーリー展開は堪らない。  某衛星放送で放映されたテレビ映画ではあるが、横山秀夫のミステリーを見事に映像化した中身の濃い作品だったと思う。  過ぎ去った時間の中に埋もれていた幾重にも絡み合った人間模様を軸にして、隠された真相が取調室の密室で明らかになっていく様は、決して派手さはないけれど、娯楽性に溢れた説得力とドラマ性に溢れていた。  様々な人間の思惑の狭間で、徐々に表われてくる隠された心情、そして突如明らかになる悪意。 女教師はなぜ三億円事件の時効成立の夜に死んだのか。 「偶然」が「必然」に転じた瞬間、ミステリーは極上のピークに達する。  上川隆也を主演に配し、パッと見は地味だがよくよく見ると味わい深い豪華なキャスト陣が示すように、じわりじわりと面白味が深まってくる秀作だ。  原作は未読。以前、本屋で手に取って結局買わなかったことが、今更ながら悔やまれる。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-04 23:10:52)
419.  蛇のひと 《ネタバレ》 
自分のまわりの人間は、良い人か、悪い人か。 その判別を一体どれくらいの人が“正確”に行えているのか。 果たして、「自分自身」はどうなのか?  一人の人間のインサイドに潜む「迷宮」のような闇を、類い稀な人間描写で捉えた秀作だ。 と、永作博美が口笛を吹きながら夜の街を歩くラストシーンを見ながら、思った。  突然自殺した部長。日を同じくして行方不明になった一人の男。 彼の「存在」を追っていくうちに、彼に関わった人間の様々な「不幸」を知る。が、彼のことを心底悪く言う人は一人も居ない……。  人間は一人では不幸にも幸福にもならない。人間は、人間により不幸なり、幸福にもなるのだと思う。 一人の人間の“口車”によって人生が転落してしまうという静かな恐ろしさを、絶妙な人間描写で表している。  某シナリオ大賞の受賞作らしく、人間を描く着眼力と描写力の反面、舞台設定のディティールにはチープさや古臭さも感じた。 あまりに今風でない職場環境や、会社の人間模様、「1億円の横領」なんて設定には、素人臭さも見え隠れすることは否めない。  が、ストーリーが忍ぶように“ひたひた”と展開し、西島秀俊の関西弁の違和感を受け入れ始める頃には、すっかりと一人の人間の「迷宮」に引きずり込まれており、永作博美と共に“出口”を追い求めていた。  ラスト、主人公は自ら“出口”を見誤ろうとする。迷宮の闇の中にそのまま呑み込まれるのか否か…。 最後の最後に絡み合う人間同士の心理の様には、「正論」だけでは説明がつかない本質的な“あやうさ”が含まれていて、とても深淵だった。  浦沢直樹の「MONSTER」の語り口も彷彿とさせる、人間の内面に渦巻く闇にまつわるサスペンスと人間模様を堪能できた。
[DVD(邦画)] 8点(2010-11-30 22:31:55)
420.  バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 《ネタバレ》 
もう全編通して「しょうがないねえ」と嘲笑しながら観ることしか許されない“チープ”な映画であることは間違いない。 概ね“酷い”映画であるけれど、同時に、嫌いにもなれない映画だと思う。  あまりまともに改善点を言っても仕方がないけれど、配役をもう少し考えれば、それだけでもクオリティーの差は出たように思う。 出演者の演技や適性に問題があるわけではなく、単純に”実年齢”の問題だと感じた。  “タイムマシンもの”の必然として、メインで描かれる舞台は、当然時間移動をした先、つまりは「過去」か「未来」となり、今作の場合は“バブル全盛”の「過去」がメイン舞台である。 そして、現代と過去の両方に出てくるキャラクターが存在する場合、その配役はメイン舞台である過去の世界で、違和感の無いキャスティングをしなければ、完成度に無理が出てくる。  詰まるところ何が言いたいかというと、阿部寛や薬師丸ひろ子はこの映画の性質にあった俳優だとは思うが、バブル全盛時代を生きる20代を演じさせるのは、流石に無理があるということだ。 “老齢”を表現するメイクはいくらでも可能なわけだから、今20代の若い俳優に主人公の両親役をさせるべきだったと思う。 それと同じ理由で、カメオ出演するラモスや飯島直子らが、ほとんど現在と同じような風貌で登場することも、狙いは分かるがクオリティーを下げるだけの要素になってしまっている。  さらに加えて、主人公が広末涼子というのも、何とも中途半端だ。 22~23歳の設定なんだろうが、どうせなら主人公はバブル当時、生まれるか生まれてないかぐらいの年齢設定にして、もっと若い女優を起用した方が明確な“ギャップ”が生まれただろう。 広末涼子がバブル時代のカルチャーギャップを感じる様を演じても、「それは知ってんだろう?」と思ってしまい、正直なところ説得力が無い。  まあそんなにくどくどと粗を探すような映画ではないとは思う。物凄く暇な時にたまたま放映されていれば、充分に暇つぶしにはなるだろう。 ラストの少々行き過ぎで有り得ない感じは、バブルがあのままはじけなかったらと考えると、逆に有り得そうで良かったと思う。
[地上波(邦画)] 5点(2010-11-10 00:12:15)(良:1票)
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