21. 眺めのいい部屋
《ネタバレ》 眺めのいい部屋=満たされた人生、はあそうですか。良かったですね。 というような気の抜けたコメントしか残らないけどこんなことでいいのか。 もしかすると、もしかすると、もっと深いウラがあってしかるべきなんじゃないのか。 ルーシーは人生最大の失敗をしたのかもしれず、ああ~セシルと結婚しとけば良かったのにねえ、この5年後には可哀相な彼女は…てな噂話の途中で話が終わったようなこととかさ。 それでも一時「満たされれば」よくて、それが人生のヨロコビなのじゃ、ということを言いたいのでしょうか。イギリスの話なのに? かわいそうなシャーロットと、もっとかわいそうなセシルは、所詮誰かの「脇役」として生きればいいじゃん、というような扱いなんですけど、そんなんズルいんじゃないでしょうか。 やっぱここで話が終わるのは脳天気に過ぎるよなあ。 セシルいいじゃないですか。もともとすっごく好きな相手じゃなければ、情熱が冷めたとき相手にうんざりするということが無くてすみます。それに彼のほうは誠実でルーシーのことを好きなわけですし。理想的な結婚相手だと思うけどなあ。だってどんな相手と結婚したって数年後には、夫婦の会話の大半は事務連絡とか事務折衝になるわけですから、なまじ情熱的になった相手となら、うんざりする度合いもUPします。生活はルーティンですが、情熱は違います。 そして、どうも作り手はあんまり主役二人に感情移入しているようには思われません。私の想像では、弟のフレディに自分を模しているのではないでしょうか。フレディばっかりいいとこどりされている気がします。 ところで私の頭の中ではヘレナ・ボナム=カーターといえば猿、というヒドいことになっているので、いくらなんでもイギリス文芸作品に出たのなら(そして猿顔だったとしても)そのあと猿を演じるべきではありませんでした。役は選ばなくては。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-11-19 15:02:16) |
22. モーリス
《ネタバレ》 西欧文化圏において同性愛とは常に「神との関係」で語られるものであり、この作品もちゃんとその枠内で語られています。まっ日本人にはいまいちピンと来ないのはそのせいだしある程度仕方のないことですよね。 なんたって人体は「神の宿る神殿」なんですから、なんと美しい表現なのかと感動しますけれども、そういうことがピンとこなければ「モーリス」を見てもなんだかなあ、というふうになります。 私だってそうなんですけど、まー、そんな自分でも「神」との関係でこの二人が散々悩んでいることは知れます。「彼らにとっての神」とは日本人には理解しがたいものですきっと。 さて、最初に火がついたほうのクライヴは「燃えやすく冷めやす」かったわけで始末が良かったのですが、「後から火をつけられた」ほうのモーリスのほうが、「燃えたら最後」冷めない状態になってしまったわけです。皮肉な感じです。 そしてあまりにもわかりやすい展開でもって「身分も性別も越えて」スカダーと結ばれるのですが、私はいつも男性の同性愛関係について思うんですけど「それは〝愛〟なの?」。 男どうしの同性愛って、「性欲」とどう違うのか?セットというより、イコールじゃないのか?中には例外もあるでしょうが、愛=セックスというよりセックス=愛、というふうに私には見えてしまう。そしてモーリスとスカダーもまさにその例ですよね。 彼らはこれからフランスかイタリアにでも行って、しばらくは仲良く暮らすのでしょうが、二人には「社会に対するカップルとしての居場所も責任」もなく「子供の育雛」を共同で行う目的もなく、「共に神に仕える仲間」でもないわけです。そんな中で関係を保ち続けるほど、普通の人間は賢くも強くもなくて、だから頭のいい誰かが用意して推進したキリスト教の神はかの地で「機能」し続けているわけで、クライヴはそのことに気がついたわけです。私は二人の先行きは見えていると思います。 なので、この時点で物語が終わってしまうことはある意味ズル…と私は言いたい。 あと、難を言えばウィルビーのようにまつ毛まで金髪の色素の薄い俳優って、情感に欠けて見えるところがソンですね。お人形感があるので、こういう情感重視の作品の重要な役柄には向かないかも。 ちなみに、この日のシネフィルイマジカチャンネルの予定は「モーリス」の次が「ブロークバックマウンテン」。…。わかりやすいプログラムだよね。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-11-14 16:00:31)(良:1票) |
23. ハンニバル・ライジング
《ネタバレ》 ホメたいところもあるのですがまずはダメ出しをはっきりしてからにしたいと思います。 コン・リーが日本人だって?? 冗談やめてくれよ。んで原爆で家族が死んだって? んなわけないだろコン・リーが。 勘弁してくれよ本当に。東洋人なら誰でもいいって態度はさあ。サユリとかさあ。 一言も日本語をしゃべれないコン・リーに日本人をやらせるというのは、日本人バカにしてると私は思うからね。日本で売らないつもりならともかく、やめてくれよ本当にこういうの。 私はさあ、島田陽子でも許しましたよ。丁度いいじゃあないですか。コン・リーじゃ若すぎるしさ。往年のSHOGUNファンの外国人も喜んでくれるしさあ。いいじゃないですか島田陽子で。 それからなあ、究極のチカラを手に入れるために「東洋の神秘」が必要だったっちゅう設定はどうかと思いますよ。ベスト・キッドじゃないんだからさあ。だいたいヨロイカブトや真剣を海外に持ち出すか?あんまりイージーすぎて開いた口がふさがらない。そして基本的にですね、日本人の中年女だったら、エロで年下の美青年を虜にするなんてことはありえないわけです。岡本かの子は例外中の例外ですから、まずそういう日本人の女はいません。 日本人の女にエロを期待されてもダメなのです。そこんとこわかってないよなあ。 そんなことで、「東洋の神秘」を出したことと若すぎてエロすぎるコン・リーを出したことと、もひとついえば、すべてが時系列なものでまるで「あらすじ」を見せられているように感じられるところがダメです。なんというか、未熟な作り手と思われます。私が作り手なら、老婆になって盲目のムラサキが、介護人に回想を語る場面でつなぎます。そしてもちろん、その聾唖(のふり)の介護人は…なのです!こっちのが良かったと思いませんか。 しかし唯一、ウリエルくんはイイ!!というかウリエルくんだけが、みっけものでした。この子は凄みがあるし、アクションもイイ。よくこんな子を探してきたなあ。 さて常々私がハンニバル・レクターにふさわしい俳優だと主張しているイギリスのジェレミー・ブレットですが、ウリエルくんが中年になったらまさしくカレの風貌になりそうではないですか。ついつい喜んでしまいました。間違ってもアンソニー・ホプキンスのような町工場のオヤジ顔にはなるわけはありません。だれだホプキンスを起用したヤツは責任者出て来い~。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-10-30 21:50:58) |
24. タロットカード殺人事件
《ネタバレ》 老いてからのウッディ・アレン作品をいくつも見ていますと、ある知人の言葉がよみがえります~。 その人は広告デザインの仕事をしていましたけど、「人のクリエイティビティは20代で終わる。30代以降は、20代に貯めたアイディアをアレンジして食いつぶしていく」ものなのだそうです。 なんだかこの言葉が最もあてはまるのはウッディ・アレンなのではないでしょうか。 そら、「マッチポイント」のような異色作も出しましたが、アレとて「20代の遺産」だと思います私は。70過ぎて思いついたものではなかろうて。 さて、金髪で若くてガタイのいい女と絡むというマンネリパターンを繰り返しているここ数年ですけども、いいかげん飽きてきた感じは否めない。それなりに面白いですよ。もちろん他の作り手のものとは一線を画していますけど、ハッとするような場面もありますけども、この先何本撮ろうとももう「新しいもの」は出てこないということに今さら気がついたのでした。 アレン作品を見るたびに期待していたのだが、悲しいけれどもカレには一応の見切りをつけるしかない。70過ぎれば「20代の遺産」を食いつぶしても当然ですよね。 ジョー・ストロンベルのパートだけは非常に面白かったです。逆にヨハンソンとヒュー・ジャックマンが絡みだすと極端にスピードが落ちたうえつまらなくなりました。最も寒かったのはヨハンソンとアレンの絡み部分で、見た目がどうとかいうよりも「無理」という言葉が浮かんだ。 ジョー・ストロンベルを前面に出してカレを主役にしたらよかったのでは~?カレだけがキャラ立ちしていてあとは霞んでいましたね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-09-30 15:26:38) |
25. 秘密と嘘
《ネタバレ》 ジャン=バプテストって知的で雰囲気があって好きなんです。今はTVドラマでFBI捜査官などをやっていますね~。当然ですが若い頃はもっときれいだったんですね。 私は「人生は時々晴れ」のほうが良かったと思いました。ビンボーなイギリス人を描いて同じような感じですが、「秘密」のほうはきれいにまとめすぎている、「人生」のほうが、ダメさにおいて掘り下げていたと思います。 さて、全体を通して何を感じるかというと、どうしても「人は生まれでなく育ち」ということになってしまいます。 シンシアのような頭の足りない女性と彼女をレイプしたチンピラ黒人の間から、ホーテンスのようなまともな子供ができたわけです。一方、シンシアに育てられたロクサンヌのほうはほぼ同じようなダメ女になっています。 この状況を見ますとどうしても「人は生まれでなく育ち」という感想を持たずにいられないわけです。 また、ホーテンスのような自立した知的な女性が、血縁関係があるとはいえシンシアとロクサンヌのようなダメ親子を大した葛藤もなく家族として受け入れたことも、あまりに安易な展開と思えてしまいます。 まあ私はシンシアのような女性にこれっぽっちもシンパシーを感じられないもので、意地の悪い感想しか出てこないです。身も蓋もない言い方をすると、中出しOKの女性に出会ったならそれはシンシアのように本当に頭が足りないかデキ婚を狙っているのどちらかなので、あなたがまともな男性ならば「ゴムがないなら絶対にしない」という女性を選ぶべきでしょう。今の時代に女性の態度が中出しOKだった場合、それがどういう意味なのか分からないようなら、そんなあなたは「しない」ほうがいいです。 中出しOKの女性にも、その相手となる男性にもこれっぽっちも共感できませんもので、個人的に本作はイマイチ。ただ、明らかにされなかった秘密がもうひとつあったとして、それが私の想像通りであったなら、話はもっと悲惨だし違った演出をするべきでしたね。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-09-25 14:52:14)(良:1票) |
26. NINE -ナイン- (2005)
《ネタバレ》 デニス・ホッパーって安い作品にちょくちょく出る人なんです。たぶんお金に困っているのだと思います。私にとっては永遠に「地獄の黙示録」のジャーナリスト役なのですが。 それはともかく、これはしまりのない企画倒れでした。なんか安っぽい音楽をえんえんと流してスロモ映像をかぶせるとか、いいかげん飽きます。リアリティはないですけどこういう密室スリラーはリアリティを失ったら価値が激しく下がってしまいます。 「職業には配慮した」と声の主が意味深なことを言っていたわりにはそれがあんまり生かされていませんでした。ほめるところはダンサーの子がナイスバディだったくらいです。デニス・ホッパーはやっぱりお金に不自由しているのだと思います。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-05-07 14:09:22)(笑:2票) |
27. ぼくのバラ色の人生
《ネタバレ》 画面がカラフルでとてもかわいいです。幸せな気分になりそうな配色です。 でもそれは目くらまし。これはすごく巧みな脚本です。唸らされる。 この予定調和の無さ加減といったら、爽快です。期待を裏切り続ける展開は見事。 始めは息子可愛さに大目に見ていた母親のほうが、退学後は手のひらを返したように冷たくなるとか、会社をクビになった父親のほうが妙におおらかになったりだとか。 ここに描かれているのは「子供だから許される」ということのないむき出しの世間です。日本やアメリカでは有りえないでしょう。 そして親たちの態度がとても奇妙だと思いました。ここの親は、ちょっと見にはフランス人らしく子供も一人前扱いして主義主張を尊重しているのかのように見えますが、実は全然まともに子供を相手にしていません。子供のすることはひたすら受け流しているみたい。カウンセラーもそうです。 リュドの奇異な言動に対して、「ああもう」とかいう「個人的な反応」をするだけで、フォローというものが全然ないですね。やりっぱなし、という感じ。 フランスではこれが普通なんでしょうかね。それとも意図的なものでしょうか。 ラストはグズグズになってしまい、残念です。大人になったリュドの近況で終わればよかったのではないでしょうか。完全なニューハーフとして生きる「彼女」の。 ともあれなかなか面白く見られます。リュド役の子のふてぶてしさには苦笑しますが、だから「虐待」というふうに見えないのかもしれません。隠れた良作です。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-15 17:16:01) |
28. アイリス(米英合作映画)
《ネタバレ》 地味だけれど、しんみりとしたいい作品です。 ジョン役の俳優さんが、ヤングと現在で同じ人かと思うほど雰囲気が似ていました。クレジットをしげしげと見るとやはり別人ですよね。大したものです。 アイリスは…残念ですが小柄で釣り目(白人にしては)のデンチとケイト・ウィンスレットの顔には隔たりがありすぎる。これは別人です。デンチにこだわらなくてもよかったのではないか(どうせあんまりセリフないし)…ていうとウィンスレット優先思考みたいですが。 2つくらい言いたいことがありますが、認知症について。この作品を見ていると、認知症にかかるとは、まるでやりたい放題にふるまった若い時代に復讐されているかのようです。人生は必ず収支が合うようになっているのだと。 なんの根拠もありませんが、それはそうかもしれない、と思う。アイリスの奔放ぶりを見せつけられますと。いっぽう地道な性格のジョンはボケていない。地道に生きてもボケる時はボケるのでしょうが。 人が老いると、体にガタが来るか頭がボケるかどちらかのタイプだとよく聞きます。「徘徊老人」は体が比較的元気だから発生してしまう。もしも老化のタイプに選択の余地があったならどうしようかと迷う。認知と見当識を失うことはひょっとして快適なのだろうか。 もうひとつは男性の選び方について。アイリスは尻軽でしたが男性の好みは良かったのです。 男性を選ぶ基準はなんでしょう。スポーツや旅行やセックスはどうせ老いればできなくなります。見た目もいずれ衰えます。それなら当然お金です。 お金で選ぶのが嫌だとか、お金で選ぼうにも相手に選んでもらえないとかいう場合、アイリスのように選ぶのが正解ですたぶん。死ぬまでにどれくらい笑わせてくれるか、です。 アイリスが「笑い」基準で選んだということは、ラストのジョンの言葉に象徴的です。明日、妻が死ぬかもしれなくても、前の日にはすかさずジョークを用意するのです。…。ちょっと泣けますね。 日本のすべての女の子たちよ、お金はもちろん大事だが、アイリス基準で選ぶのもアリだぞ。その効果は数十年後にきっと出るぞ…。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-15 16:59:29)(笑:1票) |
29. ミス・ポター
《ネタバレ》 ブリジット・ジョーンズでイギリス英語を習得したゼルヴィガーが、それを生かしてまたしてもイギリス女性を演じ、製作にも参加して、「女性の自立」を高らかに追及した作品です。「ゲットした技術は持ち腐れにすることなし」という、彼女のしぶとさが感じられる。 私は実はとてもアンビバレントな気持ちになってしまう。 絵の中で動くキャラクターという傑作アイディアで、とてもとても可愛らしい作品に仕上がっているのだが。「きれい事」で終わったような気がしてならない。 これは「尺が足りない」という絶対的な事情により、ポターの「影」を表現する時間がなかった、ということでしょうか。 なので、金持ちの娘が親のツケで画材を買って、家事は使用人がするので暇があるからチンタラと絵を描く余裕があるのでそうしていたら運よく成功し、そうすると経済力ができたから親の言うことを聞く必要がなくなって自立した、という話になってしまっているのです。この身の上話にどのようにひっかかりが作れるというのでしょうか。 婚約者の死ですって?そんなん一時的なものです所詮男なんか消耗品ですし。いったいいつミスポターが危機に陥りましたかね。 絵に描いたような紳士然とした男性から求婚されて舞い上がるなんて面白くもなんともない。 私だったら、ノーマンにユアン・マクレガーなんて使わず、チビで顔色の悪い貧相な俳優を使います。ポターは、彼女にしかわからない魅力を貧相男に発見したのですたぶん。そうでもしなければ面白くなりませんし、実際そうだったのではないでしょうか。ノーマンはいい年こいて仕事もせず、母親の話相手をしていたようなオタク男性なんですから。 「幸い私は誰の許可も必要としない身分ですから」と勝利宣言をするまでのポターには、光に対する影がないといけないのです。深刻なイボ痔に悩んでいたとか、実はレズビアンだったとか、左右の足の長さが違うとか。光には影。宇多田ヒカルにも親の不倫。 ああ私も金持ちの家に生まれて使用人に家事をやらせて親のツケで買い物してアートでもやっていたらば、ポターになれたかもしれないのかなあ。 そういう感想を抱かせないようにするのが必須の作品であったと思うので、やはり失敗だと思います。これでは、ポターは「運よく全てを手に入れた女性」にしかなっていません。すべての他の女性に対してひろく訴えるものに欠けるのです。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-03-01 14:06:17) |
30. ティム・バートンのコープスブライド
《ネタバレ》 バートンの実写映画にうんざりしていたので意外な気がした。 この人は実写はやめたほうがいいのではないでしょうか。 映像は文句なしで完璧だと思います。死者を扱ううえでの様々なアイディアも、なかなか面白いです。 しかしいつものように、私にとっては主題が面白くはないです。 これは結婚を扱った話で、結婚に始まって結婚に終わる結婚のことを言っている話だと思う。 それはいいのだが、つまるところは「結婚はふさわしい相手でないと成立しない」というのが結論なので、そうするとこれは「人魚姫」の変形バージョンでしかなく、ようするに「結婚」は「身分」だと言っているということだ。 身分が違うと結婚できないのです。 人魚姫の別バージョンなんですから、相手は死体でなくて地底人でもマウンテンゴリラのメスでも(清原なつののマンガにそんなのがあるけど)いいので、そこで示されているのは「身分違いだからムリ」ということで、どういう形をとってもつまりは人間社会の身分のことを遠まわしに言っているのです。 だからこそそれを見たり読んだりした人は身に詰まされる。 そしてこの話は定石どおりに終わる。エミリーが魔法の力で蘇ってヴィクターと結婚したりはしない。 最初から、生きているものどうしはヴィクターとヴィクトリアなどという同じような名前になっていて、「同種」「身分」を露骨にあらわしている。 この作品は、何にも増して「お子様の視聴に支障がないこと」をファーストプライオリティーにつくられているし、実際そうなっているのだが、作り手には「徹底的に結婚の価値を貶め嗤うこと」という隠れた目的があったように思えてならない。ここでは、結婚という装置は限りなく意味がなく哀れなものとして扱われていて、それは旧世代の夫婦たちだけでなく、ヴィクターにしろヴィクトリアにしろエミリーにしろ、大した理由もなく結婚に向かっていくのである。 そういう意図は確かに感じられるけれど、そもそもが「お子様」に合わせて作られているところが私は気に入らないし、そのくせスケベ心を出して小細工を仕込むというのは…潔くないと思います。これからは、堂々と「大人むけ」と表明したうえで、ちゃんとしたものを(実写をやめて)つくってもらいたいです。とにかく実写よりはマシでした。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-02-28 16:02:54)(良:2票) |
31. クィーン
《ネタバレ》 イギリスで女王を演じるといえばヘレン・ミレン、ヘレン・ミレンといえば女王、というようなことになっている。先日、エリザベスの一世を演じたTVドラマを見たが、もはや別の女優が女王を演じることはムリであろう、というくらいに1人勝ち。 さてこの作品は、イギリスの大衆や王室の事情について、上っ面やおべっかでなく描いた優れた一品だと思います。 全体を見終わってどういう感じを抱かされるかというと、「ダイアナは厄介だったのだ」という、極めて客観的な事実の再確認、だと思います。 若くして悲劇的な死を遂げたことによって、この「ダイアナは厄介」という事実を誰も指摘しないし認めないということになってしまった。 しかし、どう考えたって、やっぱり「そう」だったのです。そして、作り手は「大衆の絶対的支持」などというものに押されず負けず、「そのこと」をはっきり指摘してみせたというところがすばらしいです。こういうものが出るからイギリスという国はあなどれないと思います。 さて私は個人的にはダイアナのような人間が好きでなく、女王やその夫が「厄介」と苦々しく思う気持ちが分からないでもないのです。一言でいうと、ダイアナのような女性は「肉体派」(セクシーという意味ではなく)なのです。 ダイアナを「肉体派」という場合、その反対は「知性教養」です。 「肉体派」は本を読まず、文を書かず、生涯勉強というものはしません。日本人なら、読書より絵手紙や社交ダンスに走るタイプ。ダイアナはそういう女性でした。 しかし、私や女王一家が眉をひそめるその「なりふり構わず愛を求める」みっともなさが逆にウケてしまいます。本人も「おっ意外にこれでイケるかも」と思います。 「ダイアナは厄介」だったのです。死んでくれてほっとしたけれど、死に方が死に方なだけに、「死んでまで厄介なダイアナ」ということで、女王は国民に嫌われそうになって困ります。 けれどこのとき、女王が自らに嘘をついてまでいちはやく半旗を掲げ、弔意を表明し、ダイアナの死を悼んだとしたら、とってもヘンじゃないでしょうか。それが「女王」でしょうか。 私は、ウソの下手なこの人がとても可愛い気がしてくるし、「女王の陰謀説」が有りえないということも納得できる。 一つ難をいえば、ブレア役の俳優が全く似ていなかったことが気分を下げる。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-02-21 15:38:28)(良:1票) |
32. ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実
《ネタバレ》 あまりにもお粗末なドイツ当局の対応に、衝撃を感じた。 だいたい、戦場でもないのに2時間も銃撃戦が続くということが異常である。そして、ドイツ側が複数の同士討ちをしてしまっているという悲惨さ。「夜の闇」を利用しようとしたが完全に裏目に出た結果となった。 もっと驚くのは、ドイツが生き残った3人の犯人を、裏交渉によりハイジャックを装ってシリアに引き渡したということだ。なんという腰抜けぶり。開いた口がふさがらないとはこのことだ。 死んだ犯人の遺体まで返還してやる親切ぶりで、彼らは英雄となった。ドイツはテロに対して無力であることを自ら認識し、今後のテロ攻撃の対象としないことを条件に要求に応じた…らしい。 「超法規的措置」の日本人がこういうことをいうのもおこがましいが、これでは死んでも死にきれまい。 イスラエル選手は無駄死にとなり、怒ったモサドは復讐する。 が、アフリカに隠れているというたった一人の犯人の生き残りが、顔を隠してインタビューに応じた(ことになっている)。 さて、これは本物でしょうか。私はやらせだと思います。他の2人が殺されて、どんなにお金を積まれても今の彼には安全に勝るものはないはずだ。しかも「アフリカにいる」とわざわざ情報提供しているのはなぜなのか。 もしも本物だとすると、彼が出演した目的は「金」か「あの事件の正当性を主張するため」しか有りえない。 しかし、やらせだとすると、「どこかに隠れている本物をおびき出すため」に、偽者を出してわざと違うことを言わせて怒らせようとした、と考えられないだろうか。 モサドですら発見できないこいつの居所をどうやって突き止めたのかという疑問もあるし、タカが映画のために危険を冒してインタビューに応じるなどとはとても思えない。 さて、非戦闘時に非武装の一般人を殺したり監禁したり虐待するのは、普通の人には許せないが、犯人たちにとっては「テロ」ではなく「ゲリラ戦」の一部だったので、ちっとも悪いとは思っていなく、アラブ世界では英雄になったのである。そして、イスラエルはオリンピックで人質事件を起こしたりしないから紳士的なのかというと、きっとそうではないからここまでされた…のである。 すると、「テロ」なのか「ゲリラ戦」なのかとか、一方的にテロリストを憎むことで済むのかということになってくるが…個人的にはやっぱり嫌だ。これは平和ボケというものかしら。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-02-21 15:04:03) |
33. ヘヴン
《ネタバレ》 クッシーの遺作脚本だそうです。 トム・ティクヴァは有望株とされてるらしいが…どうもモノマネに終わった感じだ。 だいたいクッシー作品の重要人物がネイティブの英語をしゃべってはダメでしょう。 今までケムにまいて高尚化してきたことが、英語ということでいっぺんにそこらの作品と同レベルにまで引きおろされてしまう。 究極の愛とは相似形になることなのか…というようなテーマが感じられますが、それなら、それならばー、ケイト・ブランシェットではやっぱりイカんではないか。 だいたい二人の名前まで同じにして強調しているわけだから、ここはフィリッポと同じダークな髪と瞳の女優を当てなければ意味が無いではないか。逆に、フィリッパに金髪の男優を持ってくると、ハリウッドぽくなってしまうのでダメなのです。ああキャストがイカんかったです。 フィリッポのフィリッパに対する感情は、「ドラマチックなシチュエーションにおいて発生したファン心理」なので、「ファン心理」ということで「相似形」になっていくわけです。 「ファン心理」とは「あなたになりたい」なので、普通の男女間では自分に無いものを求めたりしますがここではどんどん同じになっていきます。「とんでもない間違いをおかして自分を捨てたい女」と「あなたになりたい男」がドンピシャではまってしまったのです。そして、どちらかがどちらかになるのではなくて、二人ともボーズ頭の性別年齢不詳の人物になるのです。 フィリッポの父親が訪ねてきたとき、一度は「連れて帰ってください」と言ったフィリッパは、「愛しているのか」と聞かれると「愛している」と答えます。 このときの彼女の心情を想像すると、「私と彼はもう同じ人間なので区別がつかない。離れていたって、自分が死んだらどうせ彼も死ぬだろうから、ここで引き離されることにあんまり意味は無い」というようなものだったのでは。 このような話であるならば、それを演じる男優と女優の外見が全く似ていなかったというのは悔やまれますね。ラストの効果とかも全然違ったと思います。クッシーはどういう配役にしたかったのかなあ。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-27 17:23:59) |
34. シャロウ・グレイブ
《ネタバレ》 すくなくとも私の見たダニー・ボイル監督作の中では一番良かった。 このパンチの効いたラストはエンディング部門個人ベスト5に入れてもいいと思う。ただし私の知らないようなふる~い映画からのパクリでないならば。 ただどうしてもジュリエットの服装と髪型がダサすぎる。とても老けてみえるしオバさんの着る服しか着ない。なにかのシャレのつもりなんでしょうか。それとも色気の無いことで有名なイギリス女的にはこれがノーマルなの? [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-12-21 20:06:06) |
35. スノーケーキを君に
《ネタバレ》 豪華キャストのわりには日本での劇場公開もDVD発売もされていないようなので、今のところ見た人はスカパー愛好者しかいないかもという寂しい状況です。 これはなかなかの佳作、見て損はないと私は思う。 神様映画ぽいマターが直接には出てこないが全編に色濃く漂っていて、アレックスの人生に有り得ない確率で起きた2度の交通事故、この映画のキモであるリンダのセリフ中の造語…「世界はなんと大きく、自分は小さいのか。そして彼はつぶやいた。〝ダズリアス〟」。ここにふさわしい言葉は〝神様〟しかありえなく、リンダは〝神〟の存在をそのように理解していて、〝ダズリアス〟と表現した。ここではリンダは知能的には正常という設定だと思う。 そのように、この作品は「人間の存在の小ささ」を終始感じさせ、「小さく無力であるゆえの苦しみ」についてはリンダの父ダークの「起こったことは受け入れる」が救いになっている。リンダのような特別な人間が生まれたことも、そのリンダがなぜか妊娠してしまったことも、生まれたヴィヴィアンが20歳くらいで事故死したことも、そして、アレックスの息子が父親に会えずに事故死したことも…すべてを、になる。キリスト教的である。 「あなたに理解されなくていい」「あなたを理解できなくていい」となったら(リンダに対する場合は必然的にそうなる)、アレックスの言うように「証明したり正当化する必要がないからリンダと居るとラク」になる。人はリンダと接することで「人と人がわかり合う」についての幻想が打ち砕かれ、他人について「わかり合った」と思っているものは「希望か思い込みにすぎない」かもしれないと気付く。すると人は幻想かもしれないもののために、他人に説明したり弁解したり、しなくていい努力を払い続けているのかもしれなくなってくる。 アレックスがリンダと気持ちが通じ合ったと勝手に喜んだら違った、という場面が何度も繰り返され、息子の話は最後まで聞いてもらえず、最終的に彼は「わかり合えない」ということを理解し、受容し「理解できないものの存在をそのまま認める」ということを学んだ、なのである。 「わかり合えない」対象に対してアレックスは「相手が喜ぶことをする」という対処を学んだ。それが冷凍庫のスノーケーキ。 …でも彼は去るのだから、「共存」するところまではいかないので、やっぱり人は神様ではない、なのだ。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2008-12-20 13:17:45) |
36. 28週後...
《ネタバレ》 言いたいことは3つくらいあって。 ゾンビ発生後の人類としての対処をグローバルに、ということは金使って、結構ちゃんと作ってあるところは感心する。ゾンビが出る映画は低予算ものやハンパなのが多いから、一応の満足感は、ある。 しかしー、もうひとつ言うならゾンビが全速力で走るということは、ゾンビ映画の醍醐味のひとつを失い、面白さを下げているのではないかと、やっぱり思ってしまった。 ゾンビ映画の醍醐味のひとつとは、「ゾンビがトロい」ことによってもたらされる効果である。思い出してもらいたい。スーパーの中で、さまようゾンビたちをなぎ倒すバイクの群れを。そしてまた、「トロいのに強い」というのは恐怖を増幅させませんか。あんなトロいのに、囲まれてひと噛みでもされたらもうオシマイ。 思い出してもらいたい。トロいからこそ、捕まえて実験してみたりするが、ちょっとでも油断すると逆にやられてしまったりする。 トロいから、「もしかしたら突っ切るなり逃げることが可能かも」という「希望」が生まれ、そこから名シーンが生まれる。 本作の登場で、定着にトドメを刺したかに見える「ゾンビ全速力」だが、私はあくまで反対だ。業界は考え直してもらいたいものだ。 最後に、「選別」の問題について。私はもう、「トゥモローワールド」を思い出してげんなりしてしまいましたさ。 「あなたや私の命よりはるかに重要」な少年の命、であってそのために自己犠牲が連発、どうでもいいメンバーはいつ死んだかわからないうちに居なくなってる、というお約束の展開だ。 これはもう映画の世界ではイデオロギーとして確立されたといってもいいのじゃないだろうか。「特別な命」と、「特別じゃない命」があって、後者は「譲る」べきである、というのがさあ。 それが必ず、「その個体が生まれながらに獲得している特性」を担保にしているところが、私はイヤなのだ。後天的に努力して獲得したものでは無いのです。私は医者や看護士や消防士や警察官や科学者に譲るのは仕方がないと思っている。 そういう「解消しようがない、どうしようもない差異」を理由にして複数の他人が進んで犠牲になるのが当然である、という展開に…とても違和感を覚えるし、やめてもらいたいのだ。こういうものは無力感を増幅させる以外にどんな意味があるというのか。それがあたかも人類の常識であるかのように、当然のように描かないでもらいたい。 [DVD(字幕)] 7点(2008-12-05 10:01:21)(良:2票) |
37. Jの悲劇
《ネタバレ》 これは…イギリスで作ったからこそ「ワケわからないが何か意味ありげに深そうなかんじ」をまとわせることに成功していますが、アメリカでB級作品として作られたならば、いっぺんに化けの皮がはがれ…「ゲイで変態のストーカーにつきまとわれるサスペンス映画だろ?」と、誰も何も迷わなかったことでしょう。 大した話ではないのだ。それを、ダニエル・クレイグだのサマンサ・モートンだのビル・ナイだのといった「無駄に意味ありげ」な俳優たちを使ったために、こんなことになってしまっただけ。 というところで、「大したことのない話をよくここまで仕上げるなあ」という逆の感想もまた、有り得ます。 だいたいが、サマンサ・モートンの彫刻家と教授のダニエル・クレイグの関係にしてからが、「過去の結婚生活に懲りて、プリプリの若い女と同棲するだけの無責任状態に満足している中年インテリ」が「真剣に将来のことを考えて結婚してほしいと思ってる若い女」にプレッシャーかけられているというだけのよくある状態じゃないですかあ。 それをだな、「彫刻」とか「文学」とか意味ありげなものを配して高尚に見せようとしているだけ。 実を言うと、私はかな~り途中まで「これは、ジェイコブオチでは。そうでなければ収集がつかないではないか。」と期待して見ていたのです。使い古されたオチであっても、「気球」と来て、「死体」とくれば、期待してしまうのも無理はない。なので、とても裏切られた気分でした。この作品に関しては、ぜひともジェイコブで落として欲しかったものだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-11-24 20:05:30) |
38. 裸のランチ
《ネタバレ》 10年以上前の初回視聴時の感想はずばり「退屈」であっため、2度と見ない作品リスト入りしていたのだが、見る側の経年変化というものも考慮し「CSでやっているならちょっと」と見始めて見事ハマる。 「クラッシュ」でも書いたけどこの監督さんの作品を楽しんで見るためには「コント」という前提で見るのが正しいのでは。「あんまりマジメに考えない」で「相当ブラックでグロテスクなコント」を見ている感覚で、作り手の意図した「笑わせどころ」にちゃんとはまっていってあげるのが、楽しく見るコツなのではないだろうか。 松本仁志のコントをスケールを拡大し芸術性を高めて高尚にしたもの…ということであんまり間違っていないと思います。もちろん、バロウズの原作というものがあり、映画であるので、私の見たところでは1箇所「意図的にコント世界をはずれて現実世界を注入した」ところがあって、「ところでそろそろキミの創作活動と麻薬常習との関連性について聞こうじゃないか」と友人が言うんですね。 こういうマジメなセリフが、爛れた妄想世界の中で突如として発言され、そして「無視される」という展開。バロウズが誰か他人から現実に言われた言葉であろう、そして「最も言われたくない」が「最も無視できない」言葉。ちゃんと入れてきてます。 作品全般に「んなアホな」と突っ込みたくなるシーンが満載で、ピーター・ウェラー演じるウィリアム・リーは「突っ込み」担当なのですが、クローネンバーグの演出により繊細に計算された「限りなくノーリアクションに近いリアクション」芸を展開することでボケを際立たせています。かなりギリギリの芸です。 ラストも大変練られたもので、文学的でありかつコントとして成立しているというやはりギリギリ芸。 「作家であることを証明してみろ」と言われて「んじゃ、気は進まないがウィリアムテルごっこだ」「なるほど、確かにおまえは作家」てな、完全コントでなおかつバロウズの抱いていた根本的問題や苦悩を落としどころに幕引きしてみせた。 「クラッシュ」でも書いたがクローネンバーグが大笑いするネタというのは一般人の顔がひきつるレベル。 ゆえに「天才は孤独」なのだが、本作はバロウズというクロを上回る変態じゃなくて天才とのコラボでどちらかというとクロの変態度が小さく見えるほどである。怪作。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-10-27 18:55:35) |
39. ディープ・ブルー(2003)
《ネタバレ》 上から下から同時撮影してみたり、暑さ寒さに負けず非常に手間のかかった映像なのだと思うが、小学3年の姪は1時間経たないうちに飽きてしまった。ちなみにその凝りまくった回転する小魚タワーとかのあたりで。 確かにすごい、よく撮れた!の貴重映像満載なのであろうが、「すごい!」だけで一時間半もたすのは大人でも難しいなあと思った。 思うに、作品としてのどのような方向性を持っているのかが中途半端なのでは。 「これだけの映像美および技術を解する観客に評価してもらえればそれでよいという硬派」なのか、「観客を選ばずよりたくさんの人に見て欲しい」なのか「子供が喜べばそれでよい」なのか、どれともつかない。また、「温暖化なんたら」で終わるラストは説教くささを露呈し、純粋に映画を楽しみたくて金を払った客をバカにしている。 今「アース」を見せているが、そちらはほぼ無事に見終えることになりそうだ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2008-08-11 12:17:20) |
40. ブラックブック
《ネタバレ》 ネタばれますのでご注意を。 ややこしいので一貫してエリスでいこうかと思いますが、物語がはじまってから彼女が知り合う人間の中で、「信用してしまいそうだけど絶対に信用してはいけない人間」はいったい何人いたでしょうか。 私の計算では、ファン・ハイン、ハンスの2人だけです。意外に感じられると思いますが、フランケンとかナチの将軍のように「悪い奴」と顔に書いてある人間は、信用してしまう可能性はまずないので安全なのです。彼らは脅威ではない。 本当の脅威は「信用してしまいそう」な人間のほうです。エリスはその2人を信用してしまいます。 けれどもわりとのん気に育ったらしきエリスは、そんなこと見抜けるわけがなく次々と騙されるわけです。 しかし、本当は、エリスが信用した相手のほとんどが、つまりその2人以外が「信用してもいい人間」だった、ということのほうが驚かなくてはいけないのかもしれない。 居心地の悪かった最初の隠れ家の住人も、次のヨットの彼氏も、川の虐殺から逃れたエリスを救ってくれた農家の人々も、ハンス以外のレジスタンスのメンバーも、愛するムンツェも、愛人仲間のロニーも、「信用してもいい人間」だったのです。 ということは、この混乱の時代にあって、世の中のほとんどの人間は信用してもよくて、その中にとても邪悪な人間が2人いました、というようなバランスになる。広いお花畑の中に、2箇所だけ地雷が埋まってる感じ。 エリスは信用してはいけない人間を信用してひどい目にあいますが、めげずに最終的には信用してもいい人間と共に復讐を遂げます。そうですたぶん、人は、地雷が埋まっているからといって、お花畑を歩かないわけにはいかないのです。 貴金属や現金で話が始まってキブツのシーンで終わるということは、この映画が、ユダヤ人が長年の習慣を捨て財産を動産から不動産に持ち替えたプロセスを描いたものといえるでしょう。 評価をいただいたあとですが一部訂正しました。エスねこさんご指摘ありがとうございました。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2008-08-03 13:39:49)(良:4票) |