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プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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541.  猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー) 《ネタバレ》 
「面白い映画だっとは思う」 とは、6年前のリブート第一作「創世記(ジェネシス)」を鑑賞した際の第一声だった。 このリブート第三作を観終えて、まったく同じ感想を抱いた。 リブートシリーズ通じて、三作とも極めてクオリティの高い作品揃いだったことは否定しない。  だがしかし、“オリジナル5部作”のファンとしては、このリブートの映画世界に「SF」としての魅力を殆ど感じることが出来なかった。結局その部分が、最後まで個人的に肌に合わなかった要因だった。 もはや個人的な趣向の問題に過ぎないけれど、「猿の惑星」という映画世界に求めることは、「科学的空想(SF)」の妙だ。 詰まるところ、“シーザー”という特別な存在の「英雄譚」に終始したシリーズのコンセプトそのものが、根本的な部分でカタルシスに繋がらなかった。  このリブートシリーズを絶賛する映画ファンの多くは、“シーザー”という稀代の英雄のヒーロー性を賞賛する。 でも、個人的にはその部分においても疑問符を拭えない。 今作で、シーザーはエイプたちを導き、人間たちにその存在を認めさせ、打ち勝ち、ついに安住の地を得た。 確かに「英雄」であろう。しかしそれは、あくまでも“一部分のエイプたちにとって”である。 結局彼は、人類自身の過ちによる進化と滅亡の大渦の中で、ただただ必死に生き抜いただけのように見えてしまう。 この映画の顛末を観る限り、おそらくは、シーザーというリーダーが居なくとも、人類は勝手に退廃し、それに取って代わったエイプたちは繁栄を果たしたであろう。  この映画の主題が、“シーザー”という人類とエイプの狭間に存在した「英雄」の中で生じ渦巻いた憎しみと悲しみの葛藤であり、それが即ち我々人類に対する戒めであることは理解できるし、充分に伝えきっているとは思う。  しかしその結果として、彼が成し遂げた「功績」が、愚かな人類の自滅を横目で見て、命からがら安住の地を得たということだけでは映画的カタルシスを覚えることが出来なかった。 今作でついに旧シリーズへのブリッジを果たしたと言うけれど、オリジナル第一作でチャールトン・ヘストンが不時着するのであろう湖を映し出して終いということでは、リブート作としてはちょっと芸がないし、あまりにSF的機知に富んでいない。  “シーザーの物語”が、今作で完結したことは明らかだけれど、噂では「第四作」の企画も進んでいるとかいないとか。 ついに誕生した“猿の惑星”が、この後どういう道程を辿って成り立っていくのか。 旧シリーズが、「5部作」を通じたSF映画シリーズとして、トータル的な価値を爆発的に高めたように、この先の顛末をどう描き出すかによって、この「英雄譚」の価値も変わってくるように思う。  ラストシーンは、“コーネリアス”と“ノヴァ”が手を取り新しい時代への一歩を踏み出しているようにも見える。 「猿の惑星:新世界(ニューワールド)」(予想)への布石は着実に打てている。
[映画館(字幕)] 6点(2017-11-01 23:34:39)(良:1票)
542.  海底軍艦
東映特撮映画全盛の思い切りのよい娯楽性は流石に良い。ただ今作の場合、娯楽映画だけにはおさまらない戦争の業というものが裏に描かれている。横暴に地上世界を征服しようとするムー帝国は明らかに悪役だが、それをさらに強大な力(海底軍艦)で押さえつける地上人類側も正当な正義とは言えないような気がする。ラストでは燃え盛り滅亡していく帝国に一人泳いで帰っていくムー帝国皇帝がなんとも哀れだ。戦争というものに正義はない。どちらが勝とうとも残るのは喪失感だけである。
7点(2004-05-23 12:14:21)(良:1票)
543.  カンフー・パンダ2
この“パンダカンフー映画”シリーズを立て続けに観て思ったことは、最新アニメーション映画において「声優」のキャスティングはこれまでとは少し違った意味で重要になるなということだった。 一昔前までは、客寄せのために著名な俳優を声優としてキャスティングするよりは、本職の声優を起用した方が良いと思っていた。  しかし、アニメーション技術の更なる進化により、造形されるアニメキャラクターの言葉遣いや仕草までもが、声優を担当する人間そのもののキャラクター性に合わせられるようになった。 詰まる所、映画の中で動き回っているのはデブのパンダだけれど、それを演じているのは明らかにジャック・ブラックだと思わずにはいられなくなった。 もし、何らかの事情で、このデブパンダの声をジャック・ブラック以外の人間がやることになってしまったら、その映画はもの凄くチグハグで違和感たっぷりの映画に成り下がってしまうだろうことは容易に想像ができる。  もはやこの映画はアニメーションだけれど、ジャック・ブラック主演でアンジェリーナ・ジョリーやダスティン・ホフマンらが脇を固める映画シリーズだと言わざるを得ない。 アニメーション映画のクオリティーはそういうレベルにまで達しているのだということを改めて感じる質の高い映画であることは間違いない。  ただし、そういったアニメーションの高い技術や、ハリウッドの一流俳優たちが演じるキャラクターの安定感に対して、ストーリーそのものにあまりに意外性がないことも事実。 「王道的」と言えばそうかもしれないが、だからと言って面白味が薄いのであれば、それはやはり問題だろう。 前作に対して、主人公には劇的な成長は無いし、敵役やその他キャラクターとの対立構造も薄い。  更なる続編も企画しているのかもしれないが、ストーリーにひねりや毒っ気がもう少し無ければ、尻つぼみになってしまうことは避けられないだろう。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-01-29 11:23:24)(良:1票)
544.  アルゴ
“偽装”によるイラン国外への脱出に危険とそれに伴う恐怖を訴える外交官たちに対して、主人公は「偽装だけが銃から身を守る」と諭す。  人間、極限までに進退窮まれば、最後に唯一できることは“偽る”ことだけなのかもしれない。 そして、人間による“偽り”という行為は、必ずしも悲観すべきものばかりではないとも思える。  人生において打ちひしがれ、落ち込み、どうにもならない状況に陥ったとしても、自分が出来得る万全を期してその状況を何とか“やり過ごす”ことが出来たなら、きっとその先の展望は開ける。 決して格好良い事ではないけれど、そのしぶとさを人間は誇っていいのだと思う。 この映画と、それを生み出したベン・アフレックという映画人に、そういうことを感じた。  この映画はあくまで米国側の視点、もっと言うならばCIAの主観とも取れる“見方”によって描かれた作品である。 だから、いくらノンフィクションを描いていると言っても、真実と異なる点は大いにあるのだろう。実際大部分は脚色されているらしい。 必然的に、イラン側は分かりやすく“悪役”として描かれているが、そもそもの発端には米英による陰謀的な搾取があるわけで、国家間の争いに善悪などないというのが実際なのだろう。 その歴史的事実に対しては、世界中の人々が、正しく認知すべきだろうと思う。  ただし、いくら捉え方が偏っていようとも、これが映画である以上、そこに間違いはない。 しかも、世界中の多くの人間が観て「面白い!」と思うのならば、殊更に何の問題もないと思う。  こういう自国が直接的に関わるリアルな事件や問題を題材にして、ひたすらに面白い映画に仕上げようとするハリウッドの体質を、作品を通じて垣間見る度に、アメリカという国は、世界一“愚かな国”だけれど、結局のところ世界一“強い国”だと思わざるを得ない。  何かがほんの少しうまくいかなければ、もしかしたら世界は破滅に突き進んでいたかもしれない。 愚かな人間が巣食うこの世界はいつだってそんな危機に満ちている。  その数多の危機の一つを、文字通り、とても直接的な意味合いで「映画」が救ったという事実を、映画ファンとして愛さずにはいられない。 そしてその映画を生み出したのも、愚かな人間であるということに、ほんの少し勇気を貰え、何とか明日も生きていける。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2013-04-28 19:18:55)(良:1票)
545.  her 世界でひとつの彼女 《ネタバレ》 
とどのつまり人はみな孤独である。 ただそこには同時に、人はみな何かに寄り添い生きていくことしか出来ない、という逆接的な意味合いを孕んでいると思う。 独りでは生きていけないからこそ、「孤独」という状況に対して過敏に反応し、失意に暮れるのだろう。 「喪失」を携え、“親友”の男と女が肩を寄せ合い、夜景を眺めるラストシーンを見送り、エンドロールを眺めながら、まずそういうことを思った。  “男”が望み欲したものは、必ずしも新しい恋などではなかったと思う。 この物語は、もちろんラブストーリーであるとは思うけれど、それはあくまで一側面で、その領域はもっと広く、一人の人間の人生観そのものを描き出していると思えた。  また、お洒落で洗練されたビジュアルに覆われているけれど、この映画の確固たるSF性の深さも興味深い。 “人格”を持つまでに進化したOSの「彼女」。“声”のみのキャラクターに過ぎない彼女の存在感が、男との関わり合いが深まりにつれより一層に際立ってくる。 プログラムが進化し人格を持つという科学的空想は、もはや絵空事とは言えず、とても身近なことに思える。 果たして「彼女」が辿り着いた結論は、プログラムが明確な「意志」を持ったことの表れであり、その描写はとてもとても深淵で、科学的な神秘性に満ち溢れていた。  主人公の男は、実は、元々決して不幸なわけではなかった。 愛した妻と別れなければならない状況であったとしても、仕事上では信頼を受け、心を許せる親友もいる。 でも、人は誰でも「孤独」と隣り合わせで、ふとしたきっかけでそれに覆い尽くされる。  そんな時に出会った「彼女」との出会いと別れは、誰かと寄り添い生きていくという、人間の脆さと素晴らしさを再確認させてくれたのだろう。それはきっと幸せことだったと思う。  「何かに寄り添い やがて生命が終わるまで」 とは漫画「寄生獣」の最後の言葉だが、この映画の“サマンサ”と寄生生物“ミギー”が選んだ道には、とても似通ったものを感じた。  世界中の誰しもが人生の中で幾度も味わうであろう、心の「喪失」と「修復」。 本来同時進行ではあり得ないその心情の機微を、等しく、あまりに眩く描き出した傑作だと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2014-08-24 01:03:05)(良:1票)
546.  ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔
もはや言うまでも無いが、今作ほど「超大作」という肩書きにふさわしい映画はない。映画には様々な要素があると思うが、そのすべてにおいてこの映画は強大である。ドラマティック、衝撃、迫力、緊張、エンターテイメント、伝統、映画という総合娯楽が受け継いできたすべての集大成のひとつがこの作品に注ぎ込まれているようにすら感じる。素晴らしいを通り越しもはや、凄まじい。
10点(2004-01-30 15:09:25)(良:1票)
547.  ウォンテッド(2008)
この映画は、 「弾丸と弾丸がぶつかって弾けるまでの弾道を追った映像が見たい」だとか、 「弾道を自在に操って芸術的な曲線を描かせたい」とか、 そういうビジュアルに対する妄想を「実現」させようというコンセプトのみで作られた映画で、それ以上のものもなければ、それ以下のものもない。  詰まりは、コレはコレできっぱり「完成」していると言える映画だ。と、思う。  「映画」が、音と光で構築されている以上、確実な目論見をもってして作り込まれた映像世界前にしたならば、少々ストーリーがチープであろうが、整合性に欠けていようが、それはそれとして評価しなければならないと思うのだ。  すなわち、存在そのものがマンガ的に妖艶なアンジェリーナ・ジョリーが、訳も分からない主人公を強引に引き連れて、大暴走を繰り広げる冒頭の時点で、この映画の価値は確定している。  どうも回りくどくなってしまったけど、要するに「こういう映画は、嫌いじゃないよ」ということ。
[映画館(字幕)] 8点(2008-09-23 01:01:02)(良:1票)
548.  九龍の眼/クーロンズ・アイ
「ポリスストーリー」シリーズの第二作である今作は、同シリーズの特色であるジャッキー・チェンらしいアクションに溢れており楽しめる。ただ1や3に比べると若干ストーリー展開が散漫な感じがして、印象がやや薄い。
[地上波(吹替)] 5点(2003-10-14 12:01:05)(良:1票)
549.  ヒート
10分以上の銃撃戦以外はこれといったアクションシーンはないのでやはり見るべきはパチーノVSデ・ニーロの男のドラマのはずなんだけど、そのへんの印象が極めて薄い。なんだか両雄とも忙しい中を無理やりブッキングされましたという感じで、インパクトがなかったように思う。
[ビデオ(字幕)] 4点(2003-10-14 15:00:16)(良:1票)
550.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 
ふとこういう色々な意味で驚きに溢れた良い作品にめぐりあうから、映画はやめられない。  進学のため越してきた普通の大学生が、突然隣人に「本屋を襲わないか?」と誘われる。 なぜ、隣の隣のブータン人のために本屋を襲わなければならなかったのか?……なぜ、ディランを歌うのか?……なぜ、「じゃあ河童の方」の河なのか?、さりげなく散りばめられた伏線が結びつき、紡ぎ出された「真実」に、突如として感情が揺さぶられた。  伊坂幸太郎の原作は未読で、「映像化不可能」と言われいた文体がどういうものなのかは、この映画化作品を見た後だからこそ、殊更に気になる。  こういう映画は、感想の言葉を並べれば並べる程、蛇足になってしまう。  ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」によって繋がった出会いは、きっと神様が「彼」に差し伸べた「救い」だったのだろう。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-21 16:55:53)(良:1票)
551.  レッドクリフ Part I 《ネタバレ》 
ジョン・ウーによる「三国志」の完全映画化。 トニー・レオン、金城武というアジアきっての世界的映画スターのそろい踏みは、エンターテイメント作品としてやはり魅力的である。  ただ、ここ数年のジョン・ウー作品にはあまり“当たり”がない。 実のところ、「フェイス/オフ」を越える作品は生まれていないのではないかという感はある。 もはやハリウッドでも幅を利かせる大アクション映画監督というポジションに与えられる潤沢の資金が、総じて作品の「大味感」につながっているように思う。  そこにきて何十億という制作費を投じての大エンターテイメント作品として誕生したらしい今作。 しかも、半年後に公開されるPART2との二部作。 「大味感」に対する不安は捨てきれない。  で、どういう映画だったかというと、 ものすごく贅沢に作られた「歴史ドキュメンタリードラマ」という感じ。  冒頭のドキュメンタリー番組の1コーナーのような歴史的背景の説明モノローグから始まり、主要キャラクターが登場する度に表示される役名の字幕。 「三国志」自体に明るくない者にとっては、「~の将軍」などという説明は分かりやすくはあるが、当然ながら映画としての質を落とすモノだったことは間違いない。  詰まるところ、全編通じて、三国志の中の「赤壁の戦い」の始終をただなぞっていくような印象が抜けず、各人物についてのドラマ性が薄く、のめり込むような感情が生まれない。  俳優たちの表情や一つ一つのシーンには雰囲気があり、それぞれを切り取ったなら質の高さを感じる。 しかし、一つの映画作品としては決して面白味のある映画とは言い難い。 そもそも「三国志」という物語そのものにある程度の造詣があったなら、もう少し印象が違うのかもしれないが。 
[映画館(字幕)] 4点(2008-12-01 00:02:55)(良:1票)
552.  ラスト サムライ
この映画のもつ価値は、あらゆる意味において計り知れない。クライマックスの合戦シーン、おもわず身震いと同時に「見事…」とつぶやいてしまった。勝元の眼差し、氏尾の剣技、たかの静粛さ、SILENT SAMURAIの寡黙、そして日本の情景の美、この映画で燦然と描かれたすべては、現代の日本人が「忘れている」ではなく、もはや「知らない」と言わざるを得ない日本という国の美学、サムライという生き様の崇高さに他ならない。ひとつひとつのシーン、何気ない言動までもにこれほど感動と興奮を覚えた映画は本当に久しぶりだ。紛れもない傑作である。渡辺謙、真田広之ら日本人俳優たちは本当に素晴らしかったが、私はあえて、この映画をハリウッド大作として、尊敬すべき侍魂をもって体現してみせたトム・クルーズに深い賞賛を送りたい。
10点(2003-12-14 03:53:04)(良:1票)
553.  怪盗グルーの月泥棒
何だか知らぬ間に、ミッキーマウスやハローキティ並の大人気キャラクターになっちゃってる“ミニオンズ”。今更感は強いが、ミニオンズが初登場する今作を子どもたちと鑑賞。  なるほど、ミニオンズの造形や動きはユニークで、ポップアイコンとしての魅力は抜群だ。子どもや女性に人気があるのはよく分かる。 「その他」と言っちゃあなんだが、主人公グルーのビジュアルやキャラクター性も、アニメらしく過剰な娯楽性も含めて良いと思う。 少なくとも、共に鑑賞していた6歳と3歳の子どもたちは画面に釘付けだったので、アニメ映画として及第点だろう。  ただ、ピクサー映画やディズニー映画のように、老若男女が楽しめる映画かというと、その点は少々疑問だ。 キャラクターの造形が魅力的な反面、キャラクター性に説得力がない。 特に主人公グルーは、端々の描写から察するに、もっと心の奥底に「孤独」を抱えたキャラクターであるべきだったと思うが、今ひとつ真に迫ったものが伝わってこない。 彼がなぜ「月」に執着したのか?「母親」との関係性に鬱積があるのか?そういう主人公造形の核になるべき部分の描き込みが極めて軽薄で中途半端なので、あって然るべきののドラマ性が生まれていないと思う。  とはいえ、前述の通り“子供向け”だということを割り切れば問題はなかろうし、本来アニメとはそういうものだろう。 そして、“ミニオンズ”という人気キャラクターを生み出したことによる商業的成功も、賞賛すべきことなのだろう。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2018-05-05 20:21:58)(良:1票)
554.  エリジウム
ニール・プロカンプ監督の前作「第9地区」は、彼の出身国である南アフリカ共和国でかつて行われた人種隔離政策(アパルトヘイト)が社会にもたらした影響を如実に反映した特異なSF映画だった。 個人的に、映画としての面白味は認めつつも、その年のアカデミー作品賞にノミネートされるなど、過剰な評価の高さに違和感を覚えた。 作品の性質上、もっとカルト的な人気を得るべきタイプの映画であると思えたし、この監督自身も限定的な製作環境の中で無限の可能性を示すタイプのクリエイターに思えた。  そういう思いがあったので、前作の思いもよらない大成功を経て、ハリウッドの潤沢な製作資金を与えられた作り手が、果たして“持ち味”を維持出来るものかどうかという危惧が期待を大きく上回っていたことは確かだ。  そうして、映し出された映画世界は、はっきり言って「凡庸」の一言に尽きる。 それほど悪くもないが、特筆すべきハイライトや目新しさも殆ど無かった。 SF大作として、映画全体のクオリティーはぎりぎり及第点に達しているとは思えるけれど、主人公にマット・デイモン、敵役にジョディ・フォスターを引っ張り出しておいて、「この程度」ではやはり低評価は免れないと思う。  莫大な資金を使って、近未来のロサンゼルスを自分のホームグラウンドである“ヨハネスブルグ化”して描き出した映像世界は見事なクオリティーだったとは思う。 しかし、理想郷である“エリジウム”との対比により、世界各地で見られる富裕層と貧困層との各社社会を反映する意図は充分に理解出来るが、描き出された世界観は明らかに前作やその多くのディストピア映画の二番煎じと言わざるを得ず、新しい映画としての高揚感がまるで無かった。  製作環境が一変しようとも、己の趣向を貫き通すだけの“エゴイズム”が、この新鋭監督に備わっていなかったことがもっとも残念に思えることだろう。 次回作は「第9地区」の続編かな?成功によるしがらみをかなぐり捨てて、原点に回帰出来るかどうか。この映画監督にとって、結構大きな分岐点になるような気がする。   監督の“お友達”のシャールト・コプリーは、良い味を出している。「第9地区」、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」に続いて、演じるキャラクターの“イカレ具合”が安定している。勿論褒めている。  
[映画館(字幕)] 5点(2013-10-14 23:27:52)(良:1票)
555.  ロザンナのために
あまり知られていないが、夫婦愛という点ではこの映画の右に出るものはないのではと思えるほど素晴らしい作品だった。夫婦が置かれている状況も、旦那であるジャン・レノが起こす行動も本来なら非常に切迫したものである。しかし、映画の空気感はそうではない。あくまでコミカルにほのぼのとした雰囲気が逆に涙を誘う。予想外に爽快感たっぷりのラストも心地よく印象深い。
[ビデオ(字幕)] 10点(2003-11-18 11:07:21)(良:1票)
556.  コン・エアー
何度観てもこの“馬鹿アクション映画”は面白い。 もう流石に見飽きたかと思い、一番好きなラストカットだけ観ようと動画配信サービスにて再生を始めたが、結局最初から最後まで観てしまった。 この手の大味さこそが売りの愛すべき娯楽映画のことを“馬鹿アクション映画”と勝手に呼ばせてもらっているわけだが、この映画こそが、その頂点に君臨する作品と言って過言ではない。  個人的には、中学生時分に一人で映画館に通い始めた頃に観た作品でもあり、自分の映画鑑賞人生においても印象が強い作品の一つと言える。 思い返してみれば、ジョン・マルコヴィッチもジョン・キューザックもスティーヴ・ブシェミも、出演映画として初めて観たのはこの映画だったような気がする。 故に、勿論その後彼らの他の映画も沢山観ているけれど、この映画のキャラクターの印象度が極めて高い。  何と言っても豪華に取り揃えた“凶悪犯軍団”が、馬鹿馬鹿しいほどに魅力的な要素で、彼らの存在感がこの映画の“馬鹿”面白さを助長している。 ボス役の名優・ジョン・マルコヴィッチを頂点にし、ヴィング・レイムス、ダニー・トレホとアクの強い脇役を取り揃え、伝説の連続殺人鬼役にはスティーヴ・ブシェミが不気味な存在感をこれでもかと見せつける。  わらわらと群がるように襲いかかる悪党たち、それに無精髭と長髪を振り乱して奮闘するニコラス・ケイジ、爆発につぐ爆発……、暑苦しくて、工夫の無い娯楽映画に見えがちだが、随所に散りばめられたエスプリが小気味良く効いている。  今後も、観る気がなくとも目の前に映し出されてしまえば、きっと最後まで観てしまうのだろう。 前述の通り、大好きなラストカットを見届けて、そうつくづく思う。
[映画館(字幕)] 9点(2003-10-28 10:06:13)(良:1票)
557.  ミクロの決死圏
40年も前の映画なので映像に古臭さを感じるのは仕方ないと覚悟していたが、思惑を一転する優れた映像世界に驚いた。当然ではあるがほとんどCGなどに頼らない特撮による体内の描写は、美しさと独創性に溢れている。ストーリー展開にも緊迫感がバランスよく散りばめられた極めて娯楽性の高い秀作。
8点(2004-02-04 18:47:40)(良:1票)
558.  陸軍中野学校
市川雷蔵演じる主人公の渇いた物腰が、この映画が醸し出す空気感のすべてを体現している。 その様は、とても整然として美しい反面、おぞましさと狂気がふいに顔を見せる。 この男は一体何を考えているのか。 ストーリーの進展と共にそれは絞り込まれ明らかになってくる筈なのに、クライマックスに突き進むほどに、彼の心情は靄がかかるように見えなくなるようだった。 それは即ち、主人公・三好次郎もとい椎名次郎が、本物のスパイに成った表れだったのかもしれない。 スパイ・椎名次郎は、僅かに残っていた愛する者への情を、使命という名の非情で闇の中に埋め込み、世界の混沌へと歩み出していった。  実在したスパイ養成所「陸軍中野学校」の実情を描いたこの50年前の映画は、決して一筋縄ではいかない娯楽性と狂気性が入りじ混じっている。 描き出される時代と舞台に共鳴するように、この映画そものものが非常に混沌としている。 ただし、混沌としてはいるが、難解なわけではない。映画としては、娯楽作品としての立ち位置をきちんとキープしている。 それはまさしく、往年の日本映画界の底の深さであり、ただ凄い。  美しき能面のような主人公が、この先どのような“表情”を使い分けて、スパイという生き方を全うしていくのか。 そして、彼が手繰り寄せるのは、世界の平和か、それとも更なる混沌か。 この後のシリーズ作品を観ていくのが、楽しみでもあり、恐ろしくもある。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2016-05-05 23:09:13)(良:1票)
559.  ジュラシック・パークIII
公開間近の最新作を除いた「ジュラシックパーク」シリーズの中で、個人的にもっとも好きな作品は、この「Ⅲ」かもしれない。無論、映画史における娯楽大作の傑作は1993年の第一作だと思うが、ふいに何度も観たくなるのは、間違いなく本作だ。  シリーズ第三作目にして、スティーヴン・スピルバーグは監督からは外れ、製作費やプロモーション費も大幅に削られていることは明らかだった。けれど、三度コスタリカ沖の孤島で繰り広げられる恐竜サバイバルの娯楽性を最大限に活かして、一流の娯楽大作として成立させることを早々に諦めて、“B級モンスター映画”に振り切った趣向が大変好ましい。 恐ろしくも少しユーモラスな恐竜の唐突な登場シーンや、ケレン味溢れる登場人物たちの危機回避シーンなど、シリーズ随一の娯楽要素に彩られている。  製作総指揮に退いたスピルバーグのあとを引き継いで監督を担ったのは、ジョー・ジョンストン。 決して世界的に有名な巨匠ではないが、「ミクロキッズ」や「ジュマンジ」、最近ではMCUの「キャプテン・アメリカ」第一作目の監督も務めた娯楽大作に精通したこの職人監督の力量は確かだった。  相互に意思疎通を行うラプトルの知能の高さや、人間による“神の真似事”への批判性、擬似的な親子関係の描写など、原点回帰を図った上で、しっかりと新しい要素も加味した本作のテーマ性は、2015年の新シリーズにしっかりと継承されている。 本作が存在したからこそ、「ジュラシック・パーク」シリーズは、スティーヴン・スピルバーグの二部作で留まることなく、人気シリーズとして「進化」していったのだと思う。
[映画館(字幕)] 8点(2003-12-20 13:21:22)(良:1票)
560.  くもりときどきミートボール
たぶんこのアニメ映画のイントロダクションを見聞きした人の殆どが、今作の持つ「性質」を誤解したまま観たり、また敬遠してしまっていると思う。  イントロダクションを見ただけでは、“珍発明”によりありとあらゆる食べ物が空から降ってくるドタバタ騒動を描いた低俗な子供向け映画という印象を持ってしまうことは致し方ない。 そして、日本人の食文化に対する感覚からすると、“空から食べ物が降ってくる”というファンタジー性自体に、幾ばくかの嫌悪感を感じてしまい、より敬遠してしまうだろう。  しかし、実際にこの映画世界に描かれる「本質」は、決して低俗ではなく、また子供向けでもないと言える。むしろ、子供にはこの映画が持つシニカルなユーモアは理解しきれないと思う。  この映画が描くものは、「飽食」に対する問題意識を礎にした現代社会に蔓延する病理性への警鐘だ。 際限なく降ってくる食べ物に対してぞんざいな扱いを続けた人間たちに、食べ物自体が“災害”として襲いかかる。 もちろん、あり得ない設定だし、時に描かれ方が悪趣味にも見える。しかし、それこそがこの題材をアニメ映画として構築する意味であり、価値だと思う。 「飽食」という常態化している問題を、アニメーションならではのフィクション性と馬鹿らしさの中で描くことで、逆に問題の異常性が浮き立ってくる。  エゴイズムを全面に出し、溢れる食べ物を食べ漁りみるみる太っていく市長のキャラクターは、まさに現代人の権化であろう。 ラストカット、海の上で一人取り残された市長が「船まで食べちゃうなんて馬鹿だよね」という台詞は、まさに自らが生きる環境をも食い尽くそうとしている人間に対するある種直接的な批判だった。  そういう意外と真っ当なテーマ性を孕ませつつ、実際はひたすらに愉快にアニメーションが繰り広げられる。 随所にあらゆるエンターテイメント映画のオマージュ的な描写も見られ、どこまでも楽しませてくれる。 また敷かれている脚本は意外なほど緻密に構成されており、細かな伏線の確実な回収も含めて、物語的にも非常に良く出来ている。  表面的なイメージのみで観る映画の取捨選択をしてまいがちだが、それによって大いに損をしてしまっているかもしれないということを改めて感じさせる極めて秀逸なアニメ映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-02-06 21:24:18)(良:1票)

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