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41.  生きるべきか死ぬべきか
戦争の真っ最中にナチスを皮肉る映画をつくった勇気ある監督に対して敬意の気持ちを込めて「腹をかかえて笑い転げました」と言ってやりたくなるけど建前は言いません。 「チャップリンの独裁者」も本作と同じで、あんなものは全然笑えないわけですが、彼らが映画を通してやっていることじたいは立派なわけですよ。クスッとしか笑えないものが、ここまで「映画史上最高の抱腹絶倒コメディ映画!」として過剰評価される理由は、映画の中身よりもむしろ監督の人格というものが高く評価されているからであり、それに気づかずに、笑いの過剰評価を真に受けた少林サッカーファンが、この映画を観ると10人に1人の割合で逆ギレすると予言しておきます。 果たして天才と呼ばれたルビッチさんがつくったこのお洒落でスタイリッシュで、上品なコメディ映画は本当に笑えるのだろうか? 皮肉な言い方になるけど「おほほ」と手を口にあてて優雅に笑えば良いのか? 私はシェークスピアの台詞を用いた知的なジョークよりも、シュワちゃんのアホなジョークのほうがよっぽど笑える、「がはは」と笑えるのがいい、アホこそコメディの基本だ。笑いに知性やお洒落などクソ食らえである。 ルビッチさんは偉いですよ、だけど笑えません。 笑いたくありません。 笑いものにする相手が悪事の限りを尽くして戦争に負けたドイツだから私たちは優雅に笑えるのだろうというレビューワーの言葉が心に残ります。てゆーか、ヒットラーをネタにした皮肉な映画よりも、いまだにヒットラーで儲け続けているハリウッドを皮肉った映画のほうがずっと面白そうです。 とりあえず、ヒットラー誕生によるアメリカの経済効果を教えてくださいな。
[ビデオ(字幕)] 4点(2006-05-10 21:10:39)(良:3票)
42.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
洪水のように氾濫した台詞のオンパレードをユーモアだと褒める寛容さは私にはありません。一言で言えば下品。低俗な言葉ばかりで非常に不愉快です。見ての通りカメラはひたすらイーストウッドのいかつい顔のズームアップばかりを捉えている。そのせいか外面描写やメタファーがまったく無視され、奥深さが決定的に不足している。これは映画の映像じゃない。テレビドラマの映像だ。挙句の果てにカメラはただ動いている人間を追うだけでそこに何かしらの意図が微塵も感じられない。かと思ったらカメラは突然意味不明な方向にパンし、呆気にとられていたら、動作の途中でカットが切り替わる。このいい加減さ、この横着さ、このでたらめさ。もはやイーストウッドの耄碌ここに極まり。 しかもラストの決着のつけ方は、イーストウッド自身がこれまで大切にしてきた己の哲学に対する背信行為だ。この老人監督は「法律なんて関係がない。やられたら自分の手で復讐する」というブッシュアメリカが標榜してきた偽善の思想をそのまま引き継いできた。ちなみにアメリカという国はいつも何かに対して「許さねえ!やっつけてやる」と叫んでいる。この怒りの源泉は「義憤」である。義憤でアメリカ人は攻撃性を発揮する。しかもそれは自己陶酔をおびた義憤だから始末に終えない。この思想をイーストウッド自身が持ち続けてきたことは、彼の過去の作品を観ればもはや疑いようがない事実である。それゆえにミスターアメリカと揶揄されてきた老人だ。しかしである、許されざる者には何の躊躇もなく、死を与えてきた監督が、今度は今までさんざん無視してきた法律に縋っているではないか。人間は老いたらここまで恥も外聞を無くなるのだろうか。アウトローよろしく、そういう肩書きで、肩で風を切って歩いてきたイーストウッドが、今になっておまわりさん、助けてくださいですか。これがひたすら己の強さを誇示してきた男の末路なのか。私は悲しい。「長期刑になるぞ」というセンスの片鱗も伺えない最後の台詞だけが空しく胸にからからと響く。信念を失い枯れ果てた老人に心から同情したい。しかし私は彼の映画に対する姿勢だけは絶対に許さない。 
[DVD(字幕)] 0点(2009-12-04 22:42:23)(笑:1票) (良:2票)
43.  イン・ハー・シューズ 《ネタバレ》 
難読症である妹が盲目の老人に詩の書いてある本を楽しそうに読み聞かせている場面が一番ツボにはまって泣けました。また姉の結婚式で妹が障害を克服して詩を朗読する場面もぼろ泣きです。もうやばいくらいにツボを直撃しました。 ちゃらんぽらんな妹と仕事しか能が無い姉がそれぞれ自信を取り戻して段々輝いていく様子が非常によかったです。この映画は色んな見方ができると思います。姉妹の和解。父と祖母の和解。妹の再生、姉の再生、とくにコンプレックスの描写がとても丁重に描かれていて共感する人も多いでしょう。「女」として劣等だというコンプレックスを持っている姉が、妹に自分の男をとられてショックのあまり弁護士をやめて犬の散歩のバイトをはじめるというドロップアウトぶりもユーモアがあってすごく良かったです。妹のほうは何をやってもうまくいかないニートなのですが、障害で字も読めないのに女優になろうと夢みて挫折してしまう典型的な負け組みの女の子に見えました。そんな妹を救ったのが母の自殺事件がきっかけで、父から絶縁状態にされてしまった祖母なのですが、よく考えるとこの物語はとても内容が重苦しいですよね?それなのに暗くならずになぜか明るいと感じるのは、たぶん老人ホームの雰囲気がすごく良いせいだと思う。家もカラフルでお洒落だし、住んでいる老人たちの独特のキャラクターも味があって面白い。 ラストは姉が結婚することによりコンプレックスを解消し、そして妹は自分の得意な仕事を見つけることにより再生していきます。見事じゃないですか!現実はもっと厳しいかもしれませんが、こういう夢のある明るい映画があってもいいじゃないですか!観終えたあとはとてもハッピーな気持ちになれる素晴らしい物語でした。
[DVD(字幕)] 10点(2006-10-30 22:39:21)(良:3票)
44.  オデッセイ(2015) 《ネタバレ》 
中国が米を助けると言うメッセージを勘違いしている人が多い。あれはアメリカの子分の日本が助けても意味がない。いがみあっている米と中国だからこそ意味がある。人が人を救うのは理屈じゃないというのが最大のメッセージです。だから嫉妬はやめておけ。また、原作ではたかが植物学者1人救うのに何十億の血税を使う気かよとワトニー本人が自虐的に言っていますが、それも「中国」のエピソードと同じで、人間の善意を完全肯定しているのが本作品の特徴だと気が付いてください。この物語の最大の魅力は、主役の描写が素晴らしいこと。そして彼の性格の描写はNASAとのやりとりによってはじめて浮き彫りにされていく。残念なことに映画では両者の喧嘩シーンが大幅にカットされている。NASAが主人公を飼い馴らすことができず、逆切れして「うぬぼれるなよ!」と吐き捨てるシーンや、「君の発言は全世界に生中継されているので気を付けろ」と恫喝した後に、すかさずワトニーが「おっぱい!」と返信するシーン。この反骨精神こそ、マーク・ワトニーの本質です。おっぱいは女性差別でカットされたらしいですが、それだったら「ちんぽ」でも良い。まさか男性差別にならないだろ。大事なシーンだったのでカットしてほしくなかった。ここでユーモアのなかに見え隠れするワトニーの強烈な自我が理解できるのです。強大な組織や、強大な自然にもまったく動じない彼の性格に全世界が共感し、応援できたのだと思います。さらに無人島と同じようなシュチエーションを描きながら、全世界から見られているというアイデアは抜群に新鮮。原作の楽しさは例えば「ワトニーあぶない、そっちに行くのをやめろ!まさか・・ワトニーでかした!君は天才だ!」というふうに、驕り高ぶったNASAが一喜一憂するシーンがメチャクチャ痛快で楽しいのです。この物語はもともとネット小説。ネットにはくだらない小説がクソのように存在する。そのクソのなかで3万回以上もダウンロードされて読まれたのだからちょっと普通を通り越している。原作は7ソルかけて読み終えました。この物語の最大のポイントは、世界各国の人々がマーク・ワトニーのことを、アメリカ人ではなく、地球人として見ていたことです。宇宙という存在は、人種や国家の概念を変えるほどの力はあると思います。人種や宗教や国家は違えども、同じ同胞である地球人を助けるために多くの人々が手を差し伸べたのです。そこを理解できないと、ピントのずれた不満だけが残るのでしょう。
[DVD(字幕)] 9点(2016-08-16 13:45:44)(良:3票)
45.  サイレントヒル 《ネタバレ》 
いやぁ、楽しかった!これは生死を越えた奇跡の母娘の物語です!神を愛し魔女をでっちあげ、そして仲間の連帯意識を高めようとするサイレントヒルの住民たちは、ドッグヴィルの村人たちと似ていると感じました。最後にリーダー格のおばはんがアレッサに復讐されるシーンは、控えめながらに言わせていただくと、もっと苦しんで殺してやればよかったと感じたのは私だけ? 子役のジョデルフェルランド嬢は素晴らしかった。舌が噛みそうな名前ですが、2歳ですでにデビューしている天才少女らしいです。覚えておいて損はないでしょう。この子はアレッサの善のこころが生んだシャロンと、彼女の憎しみが生んだ死神の一人二役を見事に演じていましたね。とくに死神の時の顔の表情がすごくいい。メイクで怖そうにみせたり、悪ぶっていましたが、やはりかわいさは隠せない(笑) 死神は憎しみの塊のような存在ですが、強がっていても繊細な一面もありました。そこが切ない。 それと母親のローズは偉い!化け物を相手に彼女は一歩もひかずに我が子を取り返そうと走り回る。その姿に感動しました。それにしてもローズの夫は本当に使えない奴だ。サイレントヒルのなかにいて我が子を取り返そうと戦っている母親と、サイレントヒルの外にいてオロオロしている父親の姿が対象的にえがかれています。子供にとって母親は神であり、父親は用なしということか? 実の母親に裏切られて傷ついたアレッサの良心(シャロン)を、あたらしく母親になったローズが癒してくれた。 私にとってこの映画は絶対ハッピーエンドだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2007-02-27 19:27:42)(良:3票)
46.  ボーン・アルティメイタム 《ネタバレ》 
細工されたアクションと不自然な手ぶれ映像が目立つ。故意にカメラをぶんぶんふりまわして、派手なアクションシーンを見せかけている。これは子供騙しの映画だ。観ていて20分が経過したあたりから酔い始めた。その短絡的な揺らし方はアダルトビデオのクライマックスシーンを見ているように低俗だ。それから編集も最悪で、画像がぶれているとき以外は役者のズームアップばかり。会話場面の単調なクローズアップにあわせて、ジュリア・スタイルズの顔面アップ画像がやたらと印象に残る。しかも映画の基本である照明も、一目見ただけで圧倒的に光不足であることが分かる。ようするに、すべてにおいて露悪趣味というのが滲み出ているのだ。ストーリーに中身がないのは娯楽映画だから仕方ないにしても、こういう異常な映像は許せない。どんどん酔いが悪化していった。それでも高いお金を出しているのだから最後まで観ようと脂汗をかきながら必死に席にしがみついていた。そういう自分を健気に思う。ジェイソン・ボーンよりも私のほうが頑張っていたかもしれない。ふざけないでほしい。最後になってくると吐き気を通り越してかなり危険な状態であった。揺れる画像を直視できない、これ以上画像をみると気を失うかもしれない、仕方ないので持ってきたバックで映像を隠し、下の隙間から字幕のみを読むようにしていた。ストーリーもよく分からない。いや、もはやストーリーどころではない。早く終わってくれなければ倒れてしまいそうだった。KO寸前のボクサーが、もう負けてもいいや、倒れてしまおうか?と思っているときの心境に近い。CIAの内部で仲間割れをおこしていたようだが、頭がもうろうとしていたので、どうでもよくなった。ボーンの記憶が甦ったのは良いことだと思うが、私の記憶がなくなりそうだった。ようやく映画館を出たとき、長い拷問を受けてきた兵士が味方の助けでやっと解放されたときの安堵感と似ている。なぜお金を出してこんな仕打ちを受けなくてはいけないのか教えて欲しい。もうこりごりだ。 
[映画館(字幕)] 1点(2007-12-04 19:20:55)(笑:2票) (良:1票)
47.  es[エス](2001) 《ネタバレ》 
人の人格は一朝一夕では変わることは決してありません。ましてや1週間足らずでここまで劇的に変化はしない。これこそ深層心理の常識ですよ。スタンフォード大学の実験がこのような事故につながった原因は、実験のせいではなくてあれは本当にただの喧嘩だったのです。ようするに、子供が夜中にまくら投げをして はしゃいでいるうちに、だんだんエキサイトしてきて喧嘩になるのと同じレベルでした。だいたい人が大勢集って閉鎖された空間で毎日顔をあわせていれば騒ぎは必然的に起きるものじゃないですか、それもタクシーの運ちゃんなどガラの悪い連中を集めているのだからなおさらです。それを無理やり実験のせいにしてしまうなど言語道断ですよ、本当の刑務所で看守と囚人の関係をみればこの実験が人間心理の真実だとは恥ずかしくて言えないはずです。権力を与えられた者に支配欲が発生することはわかりますが看守役に支配権はなかったと断言します。警棒がそんなに恐ろしいですか?冗談じゃありませんよ、それだけで囚人役をあそこまで奴隷扱いにすることは不可能なのです。実際の事件では支配と被支配の構図は存在しなかった。従ってこれは純粋な喧嘩なのでしょう。連中が酔っ払ってバカ騒ぎの喧嘩を起したというのが真相だと思う。「極限状態が人を変えてしまう」という宣伝文句も失笑ものです。なぜならはじめから最後まで何1つ変わっていないからです。最初から金目当てでやって来ているガラの悪い連中を集めて実験しているのだから、もともと暴力的だったのです(苦笑)そもそも「応募資格:不問」というのが間違っていましたね。以上です。 
[DVD(字幕)] 1点(2006-08-14 20:31:27)(良:3票)
48.  アルゴ 《ネタバレ》 
これぞハリウッド。これぞアメリカバンザイ映画。いくら事実に基づいたものとはいえ、ここまで脚色してしまったら、中国が作った抗日映画と同じレベルです。そもそもアメリカ大使館員の人質はあの6名だけじゃなくもっと大勢いた。しかし誰1人殺されずに、のちに全員解放されています。つまり、あの6名が「ムチャ逃げ」する意味はまったくなかったのです。逃げなかった大使館員からは、6人の行動はどう映ったか?おそらく騒ぎを広げて、周りに迷惑をかけた自分勝手な6人と見えたでしょう。つまりこの事件のもう1つの側面は、あの6人が、ほかの大使館員を全員置き去りして勝手に逃げたということ、そしてCIAや外国のカナダまでもが、6人の尻拭いをしたということに尽きる。その事実をカモフラージュするために、イラン人は邪悪で捕まったら鬼のように食べられてしまうというイメージを観客に植え付けさせ、6人の異常行動を正当化しようとしていた。しかも映像がツタヤの発掘良品のように汚い、大スクリーンで観る必然性が感じられない、俳優は物真似重視、あげくのはてに意図的に作られた危機意識、白々しい緊張感、見事な曲解、これぞ正真正銘のクソ映画、クソ監督に乾杯。私も叫ばせてください。アルゴくそ食らえ。
[DVD(字幕)] 1点(2013-05-06 14:45:57)(笑:1票) (良:2票)
49.  ダークナイト(2008) 《ネタバレ》 
バットマンは悩むふりをして、自分の自意識を愛している。偽善的な正義感をふりかざしている人を見ると、ジョーカーのように、「あなたはじつは偽善者なんですよ」と教えてやりたくなりませんか?私はムラムラする。この思いは私だけじゃないはずだ。あなたたちもだ。悪を自覚している人間よりも、それを自覚していない正義づらした偽善者を、人は憎むのです。もちろん自分のことを棚においてね。ヤクザより政治家が憎いと感じるのはそのせいだ。人間は毛皮を着た動物愛護団体の職員だ。自分の偽善にはまるで気がつかない。それをジョーカーは我々に気がつかせようと頑張っているのだ。じつは彼は性悪説の宣教師だったのです。知ってましたか?多くの人間が人殺しを行わないのは、神を恐れているからです。え?「ボクは無宗教」だって?それはあなた、嘘ですよ。初詣に行って何かに祈るように、すべての人間は見えない存在を信じ、そして恐れており、それが犯罪に対する抑止力になっている。それなのにマスコミは若者が無差別殺人を起こすと精神異常だという。それは違うのだ。信じていたものが存在しないと悟ったから本性を表しただけである。人間は虚無に陥れば何をするか分かったものじゃないんだ。絶望は簡単に人を変える。いや変わるのではなく本質をさらけ出す。善人だと言われている我々が、なぜ善人でいられるのかをジョーカーは教えてくれる。人間は広い。広すぎるくらいだ。私ならもっと縮めたい。私は私なりにジョーカーに返答したい。文句なしの0点です。 あなたと私は同類だ!
[DVD(字幕)] 0点(2009-01-13 20:45:44)(笑:2票) (良:1票)
50.  レ・ミゼラブル(2012) 《ネタバレ》 
無情=悲惨な人々たち。ファンティーヌはまさにそれに当たる。冒頭から夜のシーンが続き、彼女は髪を抜かれ、歯を抜かれ、どんどん堕ちていく。しかし「無情」がこの物語の本質ではありません。彼女の死後、突然スクリーンから暗闇が消える。突然光が溢れ出す。あのとき、暗闇に慣れた観客は「あ、まぶしい」と思ったはずです。そして光のなか、突然クソガキが現れて歌いだす。ガブローシュとか言う小僧らしい。私だったら彼に助演男優賞を与える。それぐらい躍動感があった。革命だ、戦争だ、クソだ、という絶望感などサラサラありません。そこにあるのは歓びです。私はこれから死のうとしている学生さんたちが賛歌を謳っているように感じました。ミュージカル映画で時々「なぜ突然歌いだすのか意味不明」とかいう人がいますが、俳優たちは歌うのではありません。謳うのです。民衆の歌、それは暴政に対する絶望の悲鳴ではなく、「生」に対する純粋な歓びの歌だ。生きることが困難な時代だからこそ、生きていることに対する歓びが声になり、歌となり、そしてその歌声が我々の耳に届く。これぞミュージカルなり。これぞ生の本質なり。残業がきつい。金がない。亭主の息が臭い。そんな他愛もない悩みで年間3万人が自殺する我が国に欠けているものをレミゼは教えてくれる。これからは生きるのはやめて活きよう。命は燃やすものだ。人は生きている以上はやはり謳わずにはいられない。むしろ人生において謳わないほうが不自然だ。一流俳優たちの演技は素晴らしい。しかしこの作品の一番の素晴らしさはガキのガブローシュや、痛すぎる幸薄女性のエポニーヌをはじめとする民衆たちの躍動感なのです。「民衆の歌」を聞いてください。彼ら脇役の歌声が次々と重なり合い、最後に大合唱となる瞬間を見届けてください。彼らは決して不幸ではなかったのです。涙どころか鼻水までもが洪水です。DVD化され自宅で観るときは今度こそ民衆の歌の後に、1人スタンディングオベーションを実行することをここに誓います。
[映画館(字幕)] 10点(2013-02-21 21:00:38)(良:3票)
51.  リトル・ミス・サンシャイン
1人じゃ走れないオンボロ車でも家族みんなで押してやれば、もう一度走り出すことができる。あの車の存在は「負け組み家族」のメタファーとして見ることもできる。典型的なミニシアターでありながら、コンテスト会場に車で突入するシーンは、低予算であるにもかかわらず、お金のかかった映画の爆破シーンに劣らないほどエキサイティングでした。また、ゲイの叔父が必死にコンテストの受付に向かって走り出したときに流れてくる音楽がじつに素晴らしい。「娘の晴れ舞台のために」という共通した目的のために、負け組家族が1つにまとまります。本作の見所は何と言っても家族の個性的なキャラクターにつきる。たとえば、ライ麦のホールデンのようにひねたアニキは、ニーチェに影響を受けて無言を貫く。勝ち組にこだわり続けるオヤジは、自己啓発本の出版に失敗し破産する。ゲイの恋人にふられた叔父は自殺未遂を起こす。みんな負け犬です。そして何よりも老人ホームから追い出されたエロじじいが最高でした。あのエロじじいの喋ることのすべてがデンジャラスでした。彼の存在そのものが、この映画がR指定された原因でしょう。しかも、そのエロじじいは、途中でドラッグ中毒で逝ってしまう。それにもかかわらず、助演男優賞をゲットしている。そして何人かの人が同じことを感じたかもしれませんが、じじいが死んだ直後から、彼が息を吹き返すのではないか?と思わせるシーンがいくつかあったと思います。私は何度となく彼が息を吹き返すのではないかと考えてドキドキしていました。だから死んでからも強い存在感を発揮していました。娘の舞台に家族が乱入するシーンは恥ずかしくて目を開けていられなかった。しかしあのシーンでも、「勝つこと」が全てではないというメッセージだけは確実に伝わりました。ナポレオン・ヒルやカーネーギーのように「成功の法則」に関する本ばかり読んでいる人々がこの映画を観ればパラダイム転換につながるのではないでしょうか。とても、あたたかくて、すごく好きな映画です。 
[DVD(字幕)] 10点(2007-06-05 20:35:22)(良:3票)
52.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 
そろそろ広末さんの女優としての力量を認めても良い頃だと思いませんか?タイタニック時代のケイト・ウィンスレットも最初は観客から批判されていましたが、今では誰もが認める大女優になった。女優広末の「個性」は、ケイトと非常に似ている。彼女は観客の好奇の眼に晒されながらも、それを呑みこみ、どんどん大きく成長している。本作品の見所は、一流の女優同士の共演にあります。そして実力どおりの、いやそれ以上の力のこもった演技を魅せてくれました。石川県民の1人として深く感謝いたします。広末、中谷、木村、まさにこの3人の名女優たちは日本の財産です。ところで石川には金沢と能登というまったく性質の違う2つの土地があります。金沢は言わずと知れた百万石の聖地ですが、能登は暗いイメージがある。海面から漂う不気味な光は、人を死に誘うと表現した芥川賞作家もいました。日本海は常に不機嫌で、すきさえあれば、人を海の中に引きこもうと、虎視眈々と狙っている。「ゼロの焦点」というタイトルは、光り輝いているのに心の内部に暗さを隠し持った人間の内情を意味しており、そのなかで金沢と能登は光と影の暗示として表現されているのです。そして能登がなにゆえに、日本文学の舞台として、多くの純文学の作家たちから愛されてきたのかといえば、人の暗部を描くとき、能登はメタファーそのものになるからです。断崖を突き抜ける極寒の強風、敵意を持った冷たい日本海、漆黒の闇夜から聞こえてくるさざなみの唄、風光明媚な孤高の漁村。1000の言葉を駆使するよりも、彼らを能登という舞台に立たせ、そして歩かせるだけで、それぞれの登場人物が抱える心の暗部が見えてくる。スバラシイ。単純な娯楽映画には決してみられないこの表現力、この世界観、これぞ純文学、これぞ芸術、これぞ映画の本質、見事としか言いようがない。映画史上稀に見る秀逸な世界観を作り出したことを高く評価したい。私は本作品が世界に向けて発信する日本の代表作品になっても決して驚かない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-12-23 21:31:25)(良:3票)
53.  ヘルプ 心がつなぐストーリー 《ネタバレ》 
主人公格の髪の毛がボサボサな女、彼女の子ども時代に黒人メイドから「自分を憐れむのはやめなさい。ブサイクは心の中に育つのだ」と言われたシーンに号泣した。血がつながっていませんが紛れもなくボサボサ女と黒人は母と娘の関係を築いていました。それと日本人だって差別する。「俺たちは日本人だ」という民族意識から、中国人や朝鮮人を差別するのだ。他人事のように「アメリカの差別は根深いねぇ」なんてほざいている場合ではないのです。ネトウヨこそクソくらえである。差別の大半は差別していることに気が付かない。これが差別の本質です。仲間が欲しい、連帯感を高めたい、だからAとBを区別する、区別は差別である。もちろん差別しない人間もいる。あのおっぱい女性には感動しました。人間としての弱さを持っており、その弱さが、弱者に対する優しさへと還元されている。彼女は差別しない。「白人にクソを食らわせた黒人メイド」とおっぱい女の会話はどのシーンも笑いながら泣ける。一番大切なことは差別をなくすことではなく、差別をしない人とのつながりを増やしていくことではないでしょうか。おっぱい女の夫が実は良い奴だった。この夫が、「白人にクソを食らわせた黒人メイド」を襲うのかと思ったら実は・・・というシーンはさらに笑い泣きした。抱腹絶倒と号泣が交互に訪れる映画なんて滅多にないぞ。ラストでは「クソを食べた白人女性」から盗人扱いされた黒人メイドがクビにされ、家を出て行こうとするとき「あなたはやさしい子、あなたは賢い子、あなたは大切な子」このセリフでまたもや号泣。血はつながっていない。だが彼女は愛していたのだ。黒人、白人、他人の子供、血のつながり、そんな境界線を意識せずに、真っ向から愛せる人々がいる。差別を扱う作品でありながら、圧倒的に差別しない人々の愛が描かれている。実はそれがこの映画の本質だ。みなさん、これは差別している人が描かれている物語じゃありません。差別しない人が描かれている物語なんです。
[DVD(字幕)] 9点(2013-03-20 01:14:05)(良:3票)
54.  バベル 《ネタバレ》 
1丁の銃が人々の不幸を招いたという見方もできるし、1丁の銃が人々の切れた絆を元に戻す役目を果たしたという見方もできる。皮肉なことに残酷な「銃」が、バベルな人々を再生させるきっかけになっています。「聾唖」は、コミニケーション不全の社会のメタファーだと考えるのが適当だと思いますので、聾唖者(又は日本人)が悪く描かれているという見方をすると、この作品の本質を見失う可能性もあります。つまりこの少女はバベルの塔をつくり、神からコミニケーションを奪われた罪深い人間の象徴として描かれているのです。この映画の本当の主人公でしょう。彼女はコミニケーションに飢えており、奇怪な行動を繰り返すようになる。しかし喋ることができる私たちでしたら、コミニケーションは正常に機能しているのでしょうか?神話の時代に言葉を「分断」されてしまった私たち人間は、今では言葉が通じ合う人たちに対しても、コミニケーション不全に陥ってしまいました。お互いを理解できないモロッコの兄弟や、アメリカの夫婦、日本の父娘をみて、まずそのことに気がつかされます。すべての登場人物たちが、同じ言葉を持つ人たちと意思疎通ができていません。彼らは「銃」をきっかけに、自分の罪を自覚し、一番大切なことに気がつきはじめる。たとえばアメリカの夫婦。妻にもっと努力しろと言っていた夫は、妻が凶弾に倒れ瀕死の状態になったときに、はじめて自分と向き合い、妻に懺悔する。罪の自覚がなかったモロッコの弟は、兄が銃殺されたことによって、死の恐怖を超越するほど強烈な罪の意識が芽生え、銃を持った警察の前に進み出て激しく懺悔する。また、善人であるはずのメキシコの家政婦は、子供に「あなたは悪い人じゃないの?」と言われて「私は悪い人間ではない。ただ愚かなだけなの」と弱々しく言い放つ。誰もが罪を背負って生きているという強烈なメッセージ。彼らは「銃」によって傷つき、そして自分たちの弱さを自覚する。こんな世の中で一番大切なことはまず自分の愚かさに気がつくことなんです。自分の罪を自覚したときにはじめて同じ罪を持った他人を理解できるようになる。バベルの塔を連想させる超高層ビルで抱き合う父娘のラストシーンについて。神から言葉を分断されても、また言葉すら失っても、人間はさまざまな手段でお互いを理解しようと試みる─。コミニケーションの重要性を訴えかけた素晴らしい作品でした。 
[DVD(字幕)] 9点(2008-02-12 20:21:43)(良:3票)
55.  父、帰る 《ネタバレ》 
あの箱の中身はなに?それが気になる。しかし監督は箱の中身を何にするかは最初から考えていなかったはずです。つまり観る方が勝手に想像してくれよという意味です。「父親がどこからやって来て、何をやっていたのか?」それも分かりません。それを説明しないから、私たち観客は、この映画の兄弟と同じ気持ちになって「正体不明な不気味な父親」を感じることができます。 そして想像力は膨らみます。弟は「殺されるかもしれない」と心配します。 父親のほうは、まったく自分の考えていることを子供たちに話しません。だから、ますます不気味な存在になっていく。 本当はただ単に不器用な男だったのかもしれない。 子供たちに無人島の塔のてっぺんで素晴らしい景色を見せたいだけだった。なのに、子供とどう接したら良いのかわからない。 すぐ命令してしまう。そして自分を殺そうとした息子の姿をみて「誤解だ」としか言葉が出てこない。この父親が死んだとき、子供たちは1枚の写真を見て、はじめて父親の自分たちに対する愛情を知る。その瞬間、父親の死体は海に沈んでいく─。弟が心から「お父さん」と言ったのはそのときでした。「親の気持ち、子知らず」。 まさにそういう映画でした。 最後に無人島で怪しげにあの箱を掘り返している父親をみたとき、箱の中身は奪い取った財宝だと思いました。それがラストではあの箱の中身は、家族との大切な思い出の品へと変わっていました。これが想像の楽しさです。 これが監督の意図した「秘密の箱」のからくりだと思いました。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-29 11:41:30)(良:3票)
56.  キック・アス 《ネタバレ》 
ヒットガール。彼女はすばらしいロリコン女だった。彼女が主役だ。なるほど製作者は、ターゲットの客層を、マニアック層に絞ったわけだ。よだれが出るほどの魅力的な暴力描写。そして弱き男のマゾ心をくすぶる未成熟な少女のバトルシーン。焦点を絞ったこの2点はじつにうまい。それにしても腑に落ちないのは、これはカッコイイ暴力なのだろうか?私は最近、ネットカフェに数年ぶりに行って、マンガを見ていたら、首が切り落とされたり、血がびゅんびゅん飛び散る漫画がいやに増えたなぁと実感したよ。おそらく残虐シーンのなかでもカッコイイ惨殺シーンと、ダサい惨殺シーンがあるのだろう。しかし私はそんなことは知らないし、知りたくもない。だからこの映画のように「センスの良い暴力シーン」や、「人の殺しかたがクールじゃん」という話にはあまり興味がなかった。ただ1つこの映画をみて勉強したことは、これじゃ、捨て猫を惨殺したり、口ではとても言えない残酷なことをするサイコヤロウも増えるはずだと思ったことだ。世の中は刺激を求めている。「キックアス」から得られた感想はそれに尽きる。ヒーロー映画という建前のもとで、弱い生き物を切り刻んで、めちゃくちゃにしたいという一部の人間の、抑えがたい欲望を満たした素晴らしい映画であった。この映画はヒットガール、ロリ、ヒットガール、ロリ。この1点を執拗に追及している。製作者の一貫としたマーケット戦略と、そのすがすがしさを私は高く評価したい。現代の人間の心は荒んでいるのだ。そのニーズに監督は見事に応えたのだ。映画とはこのように「客層」をあらかじめ設定して作るべきである。残念なのは、私は、つくり手が意図する観客ではなかったということだ。その点に関しては私は、かえって恐縮してしまう。生まれてきてごめんさない、よろしく、まちがって映画を見てごめんさなさい、と言っておこう。ロリ女が、血を吹き飛ばしながら人を惨殺するシーンを見て、カッコイイ!楽しい!と狂喜できる人間になれなかった。こんな私がこの映画を観てしまったのは間違いであった。
[DVD(字幕)] 0点(2011-08-27 21:46:43)(良:3票)
57.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 
物語性のない実話をベースにしているので、派手なアクションも、刺激的なバイオレンスシーンもありませんが、監督は観客を退屈させないように、スピードだけは絶対に落とさないように気を使っていたことがうかがえます。1つの連続殺人事件がはじまってから迷宮入りするまでの長い年月のあいだに、さえないバツイチの漫画家は再婚し、アットホームな家庭を築く。かと思えばかつての敏腕新聞記者はアル中の酔いどれになっていたりする。他愛のないエピソードだけど、なぜか退屈しない、その理由は時の流れのはやさが、ごうごうと音をたてて流れていることを、意図的に作り手が観客に実感させているからです。日時の表示も効果的でした。「時間」というものは不思議なもので、私たちは「限りある時間」を、どうしても日常生活において意識することができません。一寸の光陰軽んずべからず、まだ時間はあるさ、と思っていても私たちはあっという間に棺桶に片足を突っ込む時期が差し迫っている。この映画の主題の連続殺人事件などはメタファーに過ぎません。人は何かを解決できる、何かを成し遂げられると思って生きている、誰もが何かに対し、「いつかは~」という思いを抱いて生きているが、時間は信じられないはやさで過ぎていく、そしてあっというまにフィナーレはやってくる。そのときになってはじめて「いつかは」は永遠にやってこないことに気がつく。その瞬間、人は何を思うのか?漫画家は焦燥感で我を忘れ、刑事は悟りを開いたように諦めていた。大抵の人間の行動パターンは、焦る、諦めるという2つのパターンに分かれる。私たちが普段は気にとめない「時間」を意識するのは、いつのときも終わりが近づいてきてからのようです。殺人事件だけではなく、すべての人の人生そのものが未解決のまま終わるのです。隠喩に満ちた作品でした。 
[DVD(字幕)] 8点(2008-10-01 20:12:43)(良:3票)
58.  そして父になる 《ネタバレ》 
福山パパは、はっきりいって悪役です。金持ちで、エリート社員で、貧乏なご両親に対して常に上から目線で、悪徳弁護士と手を組んで、子どもを金で買おうとする、最高級のクソ男です。それに対してリリーパパは常に子供たちから愛されている。だから私はリリーパパには興味がない。やはり人間性が破壊されている福山パパに興味が湧く。福山の子供時代、突然母親がチェンジする。「俺はお前を母親と認めるつもりはない」←これは子供の立場からすれば正論だ。しかし今度は自分が突然チェンジする父親になる。新しい子供は憎々しい目で福山パパを睨む。「俺はお前を父親と認めない」という目だ。まさに因果応報!ここで福山パパは母親に電話をかけ、子ども時代の自分の態度を謝ろうとする。子供の人生を振り回す身勝手な親は死罪に値する。トラウマは一生付きまとう。子供が親を憎む権利は日本国憲法で保障されるべきである。しかし、親だって人生に振り回されながら生きている。被害者なのかもしれない。世の中はリリーパパのように子供から愛されるパーフェクトな父親ばかりではない。そう思うと勝ち組の福山が負け組に見えてきて応援したくなってくる。1つポイントがある。ケイタはひそかにカメラで福山パパをたくさん撮っていた。それを見てなぜ福山パパは泣くのか?彼は我が子から愛されていたことに気が付いたのだと思う。何を今さら、と思うかもしれない。しかし、幸せとは失ってから気が付くというのが人生のセオリーである。これが真の人間の姿だ。ラストはどうなったか?「時間」が勝ったのか?「血」が勝ったのか?子供を返すのか?返さないのか?くだらないことだ、事実(オチ)しか興味がないなら新聞で確認しろ。「物語」では結論は重要ではない。福山パパが、自分の愚かさに気が付き、悩み、暗中模索の中、前に進み、そして父になる、物語の本質はそこにある。私は福山の演技を非常に高く評価する。紛れもなく素晴らしい作品です。  
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-12 20:19:36)(良:3票)
59.  コーカサスの虜
今まで数々の反戦のメッセージを織り込んできた映画が作られてきましたが、そのほとんどは激しい銃撃戦や暴力的な映像が中心のもので、それをみて私たちは「戦争は恐いね」と言い合うわけですが、実際には無意識のうちに派手なCGを駆使した戦闘シーンをうきうきしながら楽しんでいる時がある。特にハリウッドは「反戦」というメッセージを建前として「戦争」を娯楽にダシに使って金儲けしようと目論む事が多い。この映画はそういう下心もなく誠実に戦争や人間の生活に取り組んでいるように感じました。原作者はあのトルストイ。登場人物が500人も登場する彼の小説「戦争と平和」を昔読んだことがあります。彼の戦争観は、戦争を肯定も否定もしないのだと私は思っています。この映画においても反戦のメッセージはなく、運命のように訪れる戦争に身を委ねる人間の行動をあるがままの姿で映し出していた。その行為が間違いなく愚かであれ、人間は哀しくて美しい。私はこれは人間賛歌だと思う。素晴らしい映画です。
[DVD(字幕)] 9点(2006-04-01 20:51:03)(良:3票)
60.  バイオハザードIV アフターライフ 《ネタバレ》 
今では世界的なゾンビ映画になったバイオハザード。そんなメジャーゾンビ映画に、ついに待望の日本人ゾンビが誕生した。中島美嘉は栄誉ある日本代表ゾンビである。雨に濡れた中島ゾンビは思わず噛まれたくなるほど美しい。それと私はTVゲームをしない。だから主人公が何を目指して、誰と戦っているのかあまりよく分からない。まずグラサン男が誰か分からない。彼は悪の親玉なのか?それからアリスに一撃でノサれた記憶喪失の女の子がいきなり強くなって、斧魔人をぶっ飛ばしたときも驚いた。どうやら彼女もゲームの中では有名人らしい。だがもちろん私はゲームの原作などまったく興味が無い。そんなことはどうでもいい、私はひたすらアリスが暴れまわっているだけで満足なのだ。シュワちゃん映画や沈黙シリーズのおじさんのように、主人公が無敵の強さで戦うのがこのシリーズの最大の魅力だと思っている。しかも絶世の美女が、汚くて臭い化け物になったバカ男たちを蹴り倒したり、ぶん殴ったり、ボコボコにするのだ。これほど痛快なことはない。刑務所の屋上でのシーンは実に印象的であった。仲間と一緒に逃げだすかと思ったら、1人だけで踵をかえして、津波のように押し寄せるゾンビの大軍に突っ込んでいくアリス。さらに刑務所の屋上からロープみたいなものをつかって地上に飛び降りるアリス。このターザンプレイは必見だ。そのあとは海を真っ二つに割って渡ったモーゼのように、ゾンビの海を分断し駆け抜けるアリス。ゾンビに噛まれそうで噛まれずに走るあの緊張感のなかでみせるアリスの神々しいまでの表情、額から流れる一筋の汗が素晴らしい。そしてお得意の二丁拳銃を見境なくぶっ放すアリス。ゾンビどころか仲間まで撃ち殺す気かよ。最後は間一髪の巨人の星ばりのスライディングでセーフ。全然弱くなっていないぞ、これだ、これが観たかったんだ、映画史上もっともクレイジーで強いヒロインだ、とにかくカッコいい、アリス、サンキューフォーエバー。 
[映画館(吹替)] 8点(2010-10-27 22:02:23)(笑:1票) (良:2票)

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