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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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81.  ジンジャーとフレッド
前作で、あれ、この監督も「枯淡の境地」に入っちゃうのか、とちょっと心配させられたが、また馬鹿騒ぎの世界に帰ってきた。そりゃ『サテリコン』や『ローマ』みたいにはいきませんけど、グツグツ煮立ってる鍋みたいな感じは、やっぱり独自のもの。そして喧騒と静寂の対比がやはりポイントなの。静かなホテルの前に音楽が流れ出し、オカマが腰振って、向こうのビルのネオンが点滅しだし、『青春群像』って感じの若者たちが体を揺すって歩いてゆき、ネオンが水溜りに映り、オートバイが走ってきて…、なんてあたり。テレビ局の廊下、変なのばっかし歩いていてごった返している。とふと改修工事中のトイレみたいなところに入って、ガラーンとした白、二人っきりになると急によそよそしいような…、このシーンなんか実にいい。あるいは衆人環視のステージの上で、不意にプライベートな空間が生まれてしまう皮肉。雑駁な喧騒の中に、急に親密な静寂がポコッと生まれる。と観てるこっちもその静寂の側に加担して、永遠に停電が続けばいい、と思っちゃう。テレビ批判としては別に鋭くないのも、監督本人がこういうゴチャゴチャの世界が嫌いじゃないからだろう。芸人の哀感もの、ってことでは、初期の作品に戻ってみた感じもある。けっこう残酷な話なのに優しさを感じさせ、静寂の中に静かに閉じていく。
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-26 10:02:50)
82.  沈まぬ太陽 《ネタバレ》 
ずいぶん久しぶりに邦画で労働組合を目にした。かつての社会派映画では、よく赤旗がひるがえっていたものだ。もっともこれでは第一組合と第二組合の話になっていって、分解に至る。ほぼ半世紀前の映画、勅使河原宏の『おとし穴』(脚本安部公房)も、炭鉱の第一第二組合の抗争がテーマだった。けっこうもっと中心に持ってこられるモチーフだが、でも現在は「派遣労働者」という使い捨てできる魔法のカードを企業は手にし、もう組合を気にせずに運営できて、そもそも組合の組織率も下がっているのだろう。そのせいかここで回顧的に描かれる労働運動も、どこか「作られた切迫」に見え、たとえば現在の「派遣」の苛酷な状況につながっていくものは感じ取れなかった。それと相変わらずのアフリカの描かれ方、まず日本から見た「僻地」として登場し、最後は「癒し」の大自然となる。最初に飛ばされたのはパキスタンで、これまた往年の邦画『乱れ雲』で飛ばされた地が、まだ「僻地」として登場する。過去を舞台にした作品だから仕方ないのかも知れないが、現在作られた映画なのだから、そこに潜む地域感覚への批評的な態度がちょっと欲しい。つまり、「過去」という題材に閉じ籠もりすぎているのではないか。善と悪がきれいに分かれた世界・人物造形の単純さ、は山崎小説のポイントで、その単純な人たちによって複雑な社会の動きをはっきりさせているところに面白さがあり、一概に否定すべきものではない。ただやはり同時代性を感じさせる視点が欲しい。これだと同時代性は「今もあるあの会社はひどいな」という感想レベルにとどまってしまう。山崎豊子は大企業や政権党をしばしば槍玉に挙げるが、彼女が好んで描くのはそういう閉じた人間関係の世界の時代を越えたグロテスクさなのであって、「仮装集団」という長編では共産党を斬っている。左翼右翼で割り切れる作家ではない。山崎長編の楽しみの一つは後半の粘り気で、この映画でも遺族会の名簿を入手しようと画策するあたりから、ちょっとそれらしくなった。ただあまり粘り切らない。それと忘れたころに登場人物が再登場するとこ。香川照之がよかった。やたら過剰に気合いの入った人たちの中で、そのウツロさが光る。
[DVD(邦画)] 6点(2010-09-16 09:58:21)
83.  人生に乾杯! 《ネタバレ》 
無人の銀行に押し入るあたりのユーモアは楽しいし、説明的な部分を省略したテンポも快感。老人版『ボニーとクライド』として楽しい映画だとは思うが、こうやって彼らを笑いながら見てていいのかな、という疑問も付きまとう。「しょせん年寄り」と弱者として見てるから、そこに笑いが生まれるのであって、彼らとしては本気でビビッてほしかろう、とも思う。一応年金の額という政治レベルの動機は用意されているが、それ以上に年寄りの疎外感みたいなものが根にあるのではないか。ドライブスルーのシステムなど、年寄りを戸惑わせる社会そのものに対する反乱を見たほうが話が広がる。勝手に疎外し勝手に英雄視していく世間への不満の爆発。それと、旧体制下で当局の側にいた主人公はホサれた人生を送ってきた、という履歴があるのだろうか。ここらへんハンガリー現代史を知らないので曖昧だが、壁を築いているキューバ(かつての友好国)人との場など、そういった苦みのようなものが感じられた。ハンガリー動乱時に生まれたカップルと、同僚がスキャンダルを仕掛けてくるようなノンキな時代のカップルとの対比といった理屈はあろうが、若い警察カップルはあんまりいらなかったと思う。『バニシング・ポイント』もちょっと思い出させ、この監督、アメリカン・ニューシネマに思い入れありと見た。
[DVD(字幕)] 6点(2010-09-13 09:57:56)
84.  ショート・カッツ 《ネタバレ》 
アメリカ国旗を思わせるヘリコプターより降りそそがれる農薬の下の街。一皮剥けばののしりと軽蔑が波打っている社会、その悲しさを笑おうとする。悲しさの軸になっているのは、少年の死と歌姫の歌。この監督では「歌うこと」ってのが「一皮剥く」方法としてポイントになっていることが多い。ののしりや軽蔑という激しい感情の対に、無関心もある。ジャック・レモンは息子との関係回復にのみ心が走って、孫への関心が湧いてこない。アニーも、隣人の子どもの死に心が動かない。逆に過剰な関心が寄せられると、パン屋のいたずら電話になる。つまりどれもこれもマットウな距離が測れなくなってしまった人たちなの。医師は妻への疑いを普通の声で確認することが出来ない。水死体の脇での鱒釣り。遠慮と無関心。一方に偽の暴行、偽の(テレホン)セックスがあれば、一方に唐突に女を石で殴り殺す男がいる。すべて距離の混乱。最後の締めは、この見事な大伽藍の後ではちょっと物足りなかった。回想シーンなし、すべて時間順に綴られている。個人の内面に深入りしない(一人でいるシーンは長くやらない)。もちろんモノローグなし。そういう文法で綴られるのは、私たちがもう他人とのマットウな距離を測れなくなってしまっているという現実。ばらばらにされた家具の中でピカピカにきれいにされたカーペットの空間、あの空虚感がこの映画のテーマだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2010-09-11 09:54:03)
85.  四十七人の刺客
陰謀合戦に絞ったホンにしなくちゃならないのに、どうでもいい役をオールスターキャストのために作ったりして、フヤかしちゃう。ワイロの噂を赤穂側が流すなんてのは面白いんだけど、おびき寄せておきながら室内に入るまで反撃を全然しないってのは、吉良側がトンマに見える。つまり、吉良が要塞を作っていく経過が見どころになるはずなのに、いままでの忠臣蔵ものに影響されてか、「討ち入り=ヤマ場」にこだわりすぎたせいだろう。「塩」の字が旧漢字でなかったなあ。市川映画ではどんな役者も崑の世界に染まったものだが、健さんだけは、とうとう最後まで染まらなかった。主税が、藤純子の息子という思いやりはある。崑らしさが出たのは、宮沢りえの数カットのみだった。『ビルマの竪琴』のようないくつかの例外はあるものの、やはりこの監督に男集団の世界は合わないのだ。
[映画館(邦画)] 5点(2010-08-19 09:59:21)
86.  四川のうた
スクリーンで観たら、きっと陰影がすごくきれいなんだろうなあ、という屋内場面が多々あり。とりわけ廃工場のあれこれ、窓ガラスが落ちたりするあたり。ラストの若き女性バイヤーインタビューのかげりゆく屋外、もしかするとカメラのほうで操作してるのかも知れないけど。インタビュー形式で俳優に再現させる、という試みが、こちらは字幕を目で読むせいか、あまり意図が伝わらなかったが、無視して本人と思って読み続けた。皆けっこうドラマチックなストーリーを語っている。でもそれを映像で再現したら、押しつけがましくなったのだろう。語りに徹することで、それが濾過され、過去であることが強まった(小川紳介の『古屋敷村』も、語りに耳を傾ける映画だった)。そこで大きな「右肩下がり」の世界が見えてくる。いま中国はやたら右肩上がりという印象だが、その上昇の下には圧迫され廃墟化していく人々の暮らしもあるわけだ。日本でも60年代にドキュメンタリー映画の隆盛期が訪れるが、上昇部分とそれに踏みつけられる部分がクッキリしてくる時代、今の中国がちょうどそれなのか。時代の歌が随所にはいる。山口百恵のドラマ主題歌も革命歌も、懐メロとして同列に扱われる。
[DVD(字幕)] 6点(2010-08-16 09:53:42)
87.  シリアル・ママ 《ネタバレ》 
模範的家庭をパロディにする、ってのもアメリカ映画の重要なジャンルか。しかもだいたい朝食シーンから始まるんだ。模範的にパチリとハマリすぎていることの気味悪さに敏感ってことか。中流アメリカは市民社会として安定してるがゆえに、その「市民」が成り立っている「きわどさ」にも敏感。市民であることの面倒くささ、シートベルトを締め、ゴミを分別し、借りたビデオはちゃんと巻き戻し、そういうあれこれの些細な厄介さの上に、市民社会は存立している。殺人が徹底してないのが不満、やはりこれは「公共的正義」のみにおいて狂うべきで、個人的なもの(学校の先生とか)が入ってくるのは不純。もっと分別をしっかりしてほしい。シートベルトを締めない男を追いかけるときには、ちゃんとシートベルトを締める。「あなたはリサイクルしてましたか?」ってのが裁判の決め手になるのが、当時のアメリカ社会の皮肉になってるよう。「正義」という保証を与えられた狂人が一番怖いという話。火掻き棒で刺すと肝臓がついてくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-08 11:54:47)
88.  写楽
写楽の話というよりは、寛政期が主役の群像ドラマ。いつも人殺しの時代を扱うNHKの大河ドラマは、たまにはここらへんの文化を中心にやってみればいいのにと思っているのだが、日本文化史上の一つの頂点。時代が主役ならストーリーとして初めと終わりがキチッとしてなくてもいいのかも知れない。「地獄の上の花見」を見せればそれでいい。でも、一通りの有名人を交錯させるのだけど解説の域を出てなく、なんかこの監督、情報知識を集めすぎて盛りだくさんになってしまう弊が、のちの『スパイ・ゾルゲ』などにも見られる。この人は様式的な場が好きで、おいらん道中と大道芸人の道中とが直角に交差するとことか、歌麿のモデルがじっとしている部屋の光景などに、「らしさ」が出ている。合成技術の当時の限界? 全体の色調がドローンとよどむ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-06-21 11:59:30)
89.  しんぼる 《ネタバレ》 
たぶん、これはどういう意味があるんだろう、と考えること自体無意味な映画なんだろうが、観ているあいだ何も考えないことも難しいので、まあいろいろ考えてしまう。この白い部屋とメキシコとどう絡んでくるんだろう、というのが一番の興味になるわけ。この監禁は天使のいたずらなのか、あちらにはカトリックで、ここらへんでつながるのか、とか。あの覆面をとると何かなんだ、とか。白い部屋は日本の象徴か、とか。ある種の閉塞感。自分が望んだものでなければモノは手に入る。醤油なしでなら寿司も食える。出口の暗い部屋に閉じ込められたとき、パジャマ男は白い部屋で監禁されたままの暮らしでも良かったんだ、という夢を見た。あそこらへん、今の日本の精神状況と言えなくもない。脱出への試行錯誤では、番地表示板で押さえてガムテープで止めて伸ばしていくと、ツーッと剥がれていくとこが好き。で、メキシコとの切り返しで切迫を高めていって、その頂点でああなる。このハジけた感じは、私はけっこう嬉しかった。そして無意味な奇跡が続く。パジャマ男は閉じた部屋から闇を抜けて世界に作用を及ぼせるようになったわけだが、その作用の無価値さ。なんかこの馬鹿馬鹿しさは、宗教的なるものへの批評として、いいとこをついているような気もした。この先を「教祖の妄想」と大笑いしていいものなんだか、へんにマジメぶっているので、真意はつかめません。
[DVD(邦画)] 6点(2010-06-11 12:24:18)
90.  ジャンヌ/薔薇の十字架 《ネタバレ》 
戴冠式があって、政治的な汚れが彼女に迫ってくるわけ。ふとヴィシー政権下のパルチザンを連想した。男装の罪というのが、なにやら深い。女装すると牢番に嫌がらせを受けたなんてこともあり、まあそれだけのことかも知れないが、一度女装に戻ってから、また自分の意志で男装となり、死を選ぶ、ってなにか意味深そう。彼女のパラノイアの重要な部分に「男装」があったのではないか。ヨーロッパ中世における女性の位置についての考察が必要だろうが、国の解放と女装からの解放が、彼女のなかではパラレルだった。火あぶりを怖れ、ラスト炎のなかで「イエス様!」と叫んで映画は終わるのだけど。人々が中世の薄暗さのなかにいる感じは随所で出ていたが、どうもサンドリーヌ・ボネールは最後まで非中世的で(またあえてその効果を狙ったようにも見えず)、しっくりこなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-25 11:56:52)
91.  ジャンヌ/愛と自由の天使
この監督がなぜジャンヌを映像化しようとしたのかは分からないが、戦闘シーンの覇気のなさなどはいかにもヌーベルバーグである。自分から志願するところから始まって、パラノイアとしてのジャンヌを描きたかったのか。ふと天草四郎を思い、日本のヌーベルバーグと言われた大島作品とつながった。信仰家というのはどこかパラノイア的な頑固さがなければならないものなのだろう。周囲も、最初のうちは信仰による尊重もあるのだろうが、やがて彼女のパラノイア的純粋さの魅力に帰依していく経過。橋の攻略、最初は失敗し、次の攻略の前に樹下で祈るシーンになぜかグッときてしまった。やっぱりスペクタクルよりこういう場の方がいい。ええと、これ二本通しで観てノートはまとめて書いてあるので、一本目はここらへんまでか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-24 11:59:00)
92.  白い馬 ЦАГААН МОРЬ(1995)
観光映画よりは踏み込んでいるけど、内側からモンゴルを観察したというほどのドキュメンタリー精神はなく、まあ「留学映画」とでも呼んでみましょうか。モンゴル人の心に直接触れてるという気にはなれないが、短期旅行者の傍観よりはいい、ってとこで。雄大な風景と対比させるような、病気の子どもの目に映る狭い青空。町の図書館のシーン。あるいはロングで、バイクのラマ僧と移動百貨店トラックが道でよけあうとこ、などいくつか印象に残るシーンがある。それらがこじんまりと納まってしまうところが物足りないが、それがこの作家の資質なのだろう、新しい歌を歌おうとせず・新しいものを発見しようとせず、しかしそういうものが好きならそれでいいではないか、という大らかな気にはさせる。観ているほうにもモンゴル的大らかさが伝染していて。ラストのナーダムは、揺れる画像の合い間にロングの揺れない画像を入れてほしいところ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-05-20 11:57:43)
93.  処女の泉 《ネタバレ》 
少年が加わっていることで陰影が濃くなる。娘と対になるイケニエ役か。事件のあと雪が降り始め、罪の意識にさいなまれておどおどし、その晩地獄の恐怖に包まれ、やがて娘の母にすがるも投げ殺されてしまう。娘の死も惨めだったが、彼の死もあまりにも惨め、このむごたらしい何ら肯定的な光のない事件を、神は沈黙して見過ごし、その後で泉を湧き上がらせるわけだ(全編を通して火と水が対置されている)。おそらくこのズレに話のポイントがあるのだろう。復讐に至る場の緊張はすさまじい。娘の服を犯人どもに見せられた母の反応、叫び出したいのをじっと抑えたハラの演技が凄く、歌舞伎を思わせた(「先代萩」の政岡に通じるような)。知らされた父も、清めの湯を沸かすための樺の樹を捻り倒すロングのシーンで心情を見せる。朝を告げる鳥のさえずりが凶々しく、さらに家畜の鳴き声も加わる時間経過の描写。おもえば『羅生門』と似たような森の中の事件を扱い、仏教国とキリスト教国の違いが話に出ていた。というか温帯の濃密な照葉樹林と、寒帯の針葉樹林の違いか。顔の上で枝の影と血の流れが重なったりする効果。この監督にしては珍しくストレートな作りで、最初にスクリーンで観たときはちょっと物足りなく思ったが、のちにテレビで観たときは復讐シーンでのめり込まされ、これはこれでやはりベルイマンの映画なのだった。
[地上波(字幕)] 8点(2010-05-11 12:04:15)
94.  親愛なる日記
ぼやき漫談ではないか。「ぼやき」も洗練すればもちろん「芸」になるのだが、でもかつて世界で一番活力に溢れていたイタリア映画が、そんな芸を見せねばならぬほど衰弱したのか、と思うとつらかった。やりたいのなら堂々とちゃんとした一編のミュージカルを作ってほしいじゃないか。野めぐり。“風変わりな自画像”もの、やたら「僕って変わってるでしょ」と言い続けられているようで、なんかぼやきのレベル。島めぐり。一人っ子ばかりの島での電話のエピソードはやや映画らしいが、終わりのカットで電話3台というのは物足りない。医者めぐり。痒み。これも医療風刺のレベル。ぼやくというのは、非建設的な批評ということか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-07 11:55:49)
95.  ショーシャンクの空に
『カッコーの巣…』の刑務所版。自由への希望を持ち続けることの話。塀があり、その中にさらに狭い懲罰房があり、塀の外には世間がある、そういう構図。いつのまにか塀に寄りかかって生きてしまう長期刑者たち。その中で自由への希望を持ち続けることを賞揚するのがアメリカだ。“調達屋”ってのは、つまり塀の中に小さな世間を作って、中だけで生きていこうとする選択(安部公房の「砂の女」の主人公がそうなったように)。それに対してアンディは外の刺激を導き入れようとする。ビールの味であったり、モーツァルトの歌声であったり。これがハンマーの一打ち一打ちになっていくわけだ。そのためには汚いことも進んで引き受ける。人を改心させるための刑務所に入って、俺は悪を覚えた、って。レッドに贈られたハーモニカは、小道具としてもっと使い道がありそうなもんだけど。世間に出てつぶされていく老人のエピソードは胸にしみる。もう塀の内側に皮膚が癒着しちゃってたんだ。その癒着のいちいちをハンマーで剥がしていかないと、と主人公は思うわけ。この人生観なんか実にアメリカ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-04-22 12:02:33)(良:1票)
96.  十九歳の地図
ただの鬱屈だったものが、電話という匿名の装置を発見して、凶暴な不機嫌に育っていく、その公衆電話を発見するシーン。サッカーのボール(おーい新聞屋)を公園のほうに蹴っ飛ばしたのがスローモーションになって、その方向に公衆電話が現われてくる。ゾクゾクさせる場面。雨の日に、みんなが雨雨降れ降れの合唱になるとこ、連帯っぽいものが描かれたのはあそこだけで、あとは弱者同士が殴りあい落としあう世界。カサブタのマリアに対して「そういうふうに蛆虫みたいに生きんのを売り物にして」ってところは凄かった。弱者は弱者づらする弱者を最も憎む。そして地図を作っていくシーンの緊迫、あんな地味な作業でも、映画の興奮は生まれるってこと。なんでも派手にすればいいと思ってる昨今の監督に見せたい。ちょっときっかけさえあれば、右翼の組織の中に安住してしまいそうなところに立っている19歳。手応えの固い確かさという点では、これがこの人の一番じゃないか。
[映画館(邦画)] 8点(2010-04-18 11:55:58)(良:1票)
97.  JM
アクション映画はどんどん加速して盛り上げてほしいのに、これは単純な直線的進行。アクションが連続していれば退屈しないでしょ、と考えたらしいが、そうじゃないの、だめなの、加速が必要。そうしないとこちらは空回りしている徒労感に襲われる。想像力のなさが致命的。なにか一つ得るものがあるとすれば、政治的な東西対立が終わった後に、文化的東西対立が大きくなってくるかもしれないなあ、という予感。とりわけ西の「被害妄想」としての。どうして映画の悪者は、すぐに相手を殺さないでゴタクを並べて逆転されるという、あまりにもストーリーに奉仕した失敗を繰り返すのだろう。もう型になってしまっていて、誰も心配しなくなっている。たまにはそういった失敗から学んで進化した悪者を創造してもいいのに(といって善玉をあっさり殺させないしなあ)。無神経な暴力描写も不愉快。圧倒的優位に立つ側が、弱いもんをネチネチ痛めていくシーンは、もちろん悪を描くわけなんだろうけど、でもなんでこんなもんを見せられなきゃならないんだ、って気が先に来てしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2010-04-14 12:01:11)
98.  昇天峠 《ネタバレ》 
行きたいところになかなか行けないバスの旅、っていうブニュエルの基本モチーフが全編展開。じらされ続ける主人公。バスの中では家畜がうろつき回り、お産もあれば棺も担ぎ込まれ、当然主人公は夢も見る。バスの中に樹木が繁り、果実の皮が誘惑する女とつないだかと思うと、その皮は母親が銅像のような台の上で剥き続けている、ってな夢、運転手やほかの乗客たちがバンドを組んでBGMを流しているのがおかしい。でも一番ブニュエル感じたのは、バスの運転手が、ちょっと寄っていってくれと、自分の母親の誕生パーティに乗客を招待する展開。主人公をじらす段取りを次々に仕組んでいった果てにこれがくる。この発想はなかなか出来ないよ。乗客の一人がスピーチして、トリオ・ロス・パンチョスって感じのが歌い出し、みなが踊る。ひとり主人公だけがヤキモキする(主人公が急いでいるのは、母親の危篤に関してで)。ブニュエル映画において宴のモチーフってのは繰り返されるが、これなんか忘れ難いシークエンス。でドラマとして見ると、新婚の主人公は女の誘惑に負けちゃうし、そのために大事な時に間に合わないし、悪辣な兄弟に対抗するためとは言えこっちもちょいと汚い手を使うし、と普通に予想される展開から微妙に踏み外している。この微妙に引っかかるストーリーとは別に、全体のトーンから踏み外したような死児の顔の厳粛なアップの映像も引っかかった。単に母の状態の予告ってこと以上に、この作品全体を包み込む重要なカットだった気がする。あの映像で、『昇天峠』という題名も膨らんでくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-29 12:03:55)
99.  重力ピエロ 《ネタバレ》 
地図に何かを発見し印をつけたり、落書きに暗号を読み取ったりするっての、それだけ取り出せばワクワクするんだけど、これを物語の中で納得させるだけの動機が弱いので、趣向のための趣向になってしまっている。「兄弟愛」にストレートにつながって感じられない。放火された各地点、同じレイプ被害者家族に火つけられ「浄化してるんです」って言われても、「はあ?」だろ、普通。そもそもマスコミが被害者宅を特定しかねない地図情報を印刷したら、そうとう問題になったはずだ。こういうところがミステリーものの難しいところで、趣向と物語と割り切って楽しんでもいいんだけど、でもやっぱそこをいかに融合させるかってのが、この手の映画の腕の見せどころだろう。それと悪役の心情と行動が理解できづらかった。モンスターに造形すれば観るほうの処罰感情は心地よくくすぐられるが、それでいいのだろうか、という疑問符も付いてしまう。抽象的な存在になってしまい、かえって「この世界にはこんな奴もいる」って現実感が薄れた。それよりも世間の視線の残酷さのほうに怖さがあったが、絵画発表会の場のように、いささか描き方が大振り。この作家は「いい人たち」を描くときに細やかさが生きるようで、このひっそり暮らす家族のシーンはどれも感じいい。親父の「二人で遊んできたのか」のセリフは、きれいに決まった。もっともこの内輪の「いい人」ぶりは、世間に対する壁の反映でもある閉じたものなので、晴れ晴れとはいかない。ゲバラの写真もあったな。
[DVD(邦画)] 6点(2010-03-28 12:04:42)
100.  新宿インシデント 《ネタバレ》 
終始憂い顔のジャッキー・チェン。コミックアクションスターからの転身をはかっていて、ここは今までの作品歴をすっかり忘れ、知らない俳優として見てやるのが礼儀だろう。日本でも喜劇役者がある時期から地味な辛抱役に変わることは多く、ましてアクションは加齢にくる。チェンジが必要だったのだな。それにしても回想の初恋シーンをそのままで演じられるのだからすごい(55歳。ブルース・ウィリスより年上!)。映画としては、最初のほうの不法入国者の目から見た東京が、けっこう新鮮だった。街は宝の山に見え、かえって平凡な住宅地の風景が刺々しく見えてくる。ゴミにたかる烏さえ不法入国者の目を通すと、「虚飾の繁栄」とでもいったタイトルが付いて見えてくる。ただ後半、やくざ組織の話になると、そういう面白さはおおむね消えてしまった。気の小さい仲間、阿傑の甘栗屋からの展開が、脇筋として支えている。90年代アタマの新宿が舞台ってことなら、ちょうど大沢在昌の小説「新宿鮫 毒猿」と重なるころ。あの夜の新宿御苑の争闘を香港映画で観てみたいと思うが、ケツの穴の小さい当局は撮影を許可しないかも知れない。大久保駅(それもセット?)が限度か。
[DVD(字幕)] 6点(2010-03-11 11:59:40)(良:1票)
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