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やましんの巻さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  半分の月がのぼる空 《ネタバレ》 
主人公の高校生・裕一は、病院の屋上ではじめてヒロインの里香と出会う。そこでは洗濯物の白いシーツが風に揺れはためき、そのシーツの合間から見え隠れする彼女。・・・運命的な出会いというにはあまりにもさり気ないこの場面は、だがこよなく美しい。  その“シーツ”は映画の中盤、里香が裕一の病室に忍び込みベッドのシーツの中で語り合う場面へと引き継がれ(・・・ほの淡い光につつまれたふたりの、何という感動的な姿!)、さらに終盤ちかく、もうひとりの主人公である医師・夏目のマンションのベランダで揺れるカーテンへとつながっていくことになる(・・・夏目は、それに導かれるようにして亡き妻との想い出の場所へと向かい、映画はクライマックスを迎えるだろう)。  ここに至って、ぼくたちはこの“風に揺れるシーツ”の変奏こそが「裕一と里香(と夏目)の物語」を支える〈仕掛け(=演出)〉となっていることに気づかされる。それは特権的なイメージの突出ではなく、あくまでこの映画の「物語」に奉仕するものとしてあったのだ。  冒頭の、自転車で夜の商店街を疾走する主人公を捉えた縦移動の長回し場面や、過去と現在が“交差”する一瞬でドラマの流れを変える鮮やかさ。さらに濱田マリ演じる看護婦の、単なるコメディリリーフ的な役回りに終わらせない味のあるキャラクターづくりなど、この映画の“巧さ”をぼくたちはいくつも見出せるだろう。けれど、それを決してあざとさやこれみよがしな技巧の披瀝に終わらせるのじゃなく、ただ、“いかにこの「物語」を魅力的に語り得るか”という語り口において機能させること。そういう作り手の“誠実さ”が、この「難病ものの純愛ドラマ」というウンザリするほどワンパターンな題材を、真に「映画」として輝かせることになったのだと思う。  そう、愛する者の死と、それを受け入れて再生する者たちのドラマなど、確かにありふれている。けれど、過去が美しければ美しいほど、現在が色褪せ耐えがたいものであるのに、それでも我々は生きていかなければならない。なぜなら、それこそが死んでいった愛する者たちからの「命令」であり、残された(=生き残った)者たちの果たすべき「責任」なのだから。・・・お涙頂戴映画は腐るほどあっても、そういう〈倫理〉を説く映画は本当に少ない。だからこそ、ぼくはこの作品を高く評価する。
[映画館(邦画)] 10点(2010-08-27 17:54:15)
2.  パッチギ! LOVE&PEACE 《ネタバレ》 
ここでは3世代にわたっての、とある「在日」一家の生きるーーというか、“生き抜く”姿が描かれている。祖父の世代は苛酷な戦火のなかを、泥と血にまみれながら。二・三世である父母とその子供たちは、貧困と差別のなかを。そして四世となる男の子は、不治の病に対して。彼らはそれぞれの逆境を、時にのろい、時に怒り、時に嘆き傷つきながら、それでも生き抜こうとするのだ。  もちろん、彼らをそういった状況に追い込み、追いつめたのが日本という国家であり、その国民であることを、映画は真正面から描くだろう。けれど映画のなかの一家は、そんなことを告発や断罪する前に、とにかく必死に生きる、懸命に生きる。その姿を前にする時、「日本人」たちの何と卑小でみじめなことだろう・・・! そこでは藤井隆扮する「良い日本人」ですら、どこまでもひ弱で無力な存在でしかない(もっとも、彼は彼なりにーー愛ゆえに?--「意地」を通すのだけれど)。たぶん、彼らは我々にこう言うだろう。差別するなり反省するなり勝手にやってろ! と。  前作『パッチギ!』では、そういった「生」のエネルギーのほとばしりを高校生たちの群像ドラマに託しつつ、一方でそれを「在日」という言葉(=観念)に収斂させてしまうことで実に「上質」な(ということは、「映画賞の取れる」ような!)作品を撮りあげた井筒監督ら作り手たち。だが今回は、「政治」だの「歴史」だのといった観念性をブッちぎり、映画としての体裁すらブッこわしてまでも、主人公とその家族の「生」を、それだけを映像におさめようとした。そしてそれは、見事に成功したといえるだろう。何故なら、前作とうって変わってのこの「低評価」こそがその証じゃないか!  だが、これでいいのだ。映画が「生きるもの」たちの姿を、その輝きこそを映し撮るものだとするなら、これこそが正真正銘の「映画」そのものなのだから。  ・・・映画の最後、難病の男の子が、自転車にはじめて乗ることに成功する。彼は助からないかもしれない。しかし、それでもやっぱり生き抜こうとしている。その姿にふたたび家族がひとつになる。  何て美しい光景だろう。
[映画館(邦画)] 10点(2009-03-31 17:30:36)(良:1票)
3.  博士の愛した数式
ええ~っ、こんなに評価が低いんですか!? 初日の土曜日に見て、次の日曜日に、今度はカミさんと9歳の息子を伴って再見したほどホレ込んだ小生にとっては、大ショックです・・・  本作に限らず小泉堯史監督の映画は、一見すると何の変哲もない場面であり画面に、人の心の「優しさ」や、人間という存在の「愛しさ」を映し出す。それは“目に見えないもの”であることによって、本来なら映像化できないものであるはずなのに、小泉作品においては確かに「見える」。かつて故・トリュフォー監督がある映画を評して、「ボンジュール(こんにちは)という挨拶のようにさりげない」ことの美しさを讃えていたことがあったけれど、この『博士の愛した数式』など、まさにそういったさりげない、けれど奥深い精神性の美によって、あくまで慎ましく輝いているんじゃないでしょうか。  成人して高校の数学教師になった“ルート”が、黒板に書き出す数式の数々の何という「美しさ」と「あたたかさ」。原作もまた数式の「美しさ」に捧げられたものであったけれど、この映画にはそこに「ぬくもり」をもたらしている。その一点において、小生は小川洋子の小説よりもこの映画の方が勝っているとすら思います。  …そう、映画は本来、頬をなでる風のように“目には見えないけれど感じることができる”もの、例えば「愛」や「優しさ」を、そういった深い「精神性」をスクリーンに映し出す<奇跡>を実現することができた。今では大多数の映画から失われてしまったそんな<奇跡>の力を、この作品は持ち得ている。少なくともぼくはそう信じて疑いません。  …そして映画の最後近く、授業終了のチャイムが鳴ってもひとりだけ椅子に座ったままの男子生徒の姿が、一瞬、画面の片隅に映し出される。だからどうしたというわけじゃなく、ぼくは彼の姿を生涯忘れないだろうと思います。
[映画館(字幕)] 10点(2006-01-23 11:10:58)(良:3票)
4.  遥かなる大地へ
ロン・ハワードがいかに往年のハリウッド映画を愛し、その正統的な継承者であるかを見事に証明してみせた、彼の最大の野心作にして最高傑作。であるのに、なぜこうまで本国アメリカはもちろん、日本でも注目されないままなんだろう…。実際、「あっ、ここはハワード・ホークスだ!」とか、「これってジョン・フォードの『アイアン・ホース』そのままじゃん!」とか、単なるモノマネに終わらない引用が画面に豊かさをもたらし、トム・クルーズとニコール・キッドマンのふたりも大健闘しているっていうのに。クライマックスは、『シマロン』ばりのランドレースの大スペクタクル。これに興奮&感動できない向きとは、何も語る気にはなりませんっ!
10点(2003-08-20 11:03:59)(良:1票)
5.  パーフェクト ストーム
現代における真に叙事詩的作品。実話を基にしたあくまでシンプルな物語が、逆に人間対自然の絶望的闘争という神話的構造を際立たせている。そしてそれを実現し得たのが、あの畏怖すべき荒れ狂う海というわけで、CG映像がこれほど作品に貢献している映画もないと思う。たぶんペ-タ-ゼン監督の力量というより、何か奇蹟のような力が働いたとしか考えられない…。とにかく、ジョージ・クルーニーとメアリー・エリザベス・マスラントニオが霧の海上で語り合う場面の美しさや、ダイアン・レインの出演場面の素晴らしさなど、信じられないくらい見事な作品じゃないですか。だのに、何でこうも評価が低いんだ… 。(11/17追記)先日のTV放映で改めて見直しました。小さな画面と細かなカットが気にならないくらい、やはり見入って、最後は深く感動されらた次第。間違いなくこれは『Uボート』を凌ぐペーターゼン監督の最高作であり、ここ数年来でも最も素晴らしいアメリカ映画です。皆さんの低評価にもめげず(涙)、再度コメントさせていただきますっ!
10点(2003-05-30 15:43:35)
6.  BALLAD 名もなき恋のうた 《ネタバレ》 
映画の中で、人々が「記念写真」を撮る場面は、どうしていつも感動的なのか。それは、たぶん人物の写真を撮ったり撮られたりすることが、まもなく彼や彼女たちに訪れる“別れ”を暗示し、予告するものだからだ。・・・小津の『麦秋』や侯孝賢の『悲情城市』における家族写真、『少年時代』の主人公と村のガキ大将が撮った2人だけの写真、等々。『二十四の瞳』でも、大石先生と子どもたちが撮った写真は、いくつもの別離のたびにその悲しみを深めるものだった。   この『BALLAD』にも、「記念写真」の場面が登場する。それは武将・又兵衛とその配下の武士たちが、明朝に敵陣を強襲する前に、未来から来た少年・真一の父親が「写真を撮りましょう」と提案する場面だ。初めての写真に、緊張する又兵衛たち。だが、思い思いのポーズをとったりふざけあいながら、彼らは、楽しげに撮影に臨む。そして又兵衛は、「これで、この世に生きたというあかしを残せた」と感謝するだろう。  この場面は、こよなく美しい。それは、死地へとおもむく者たちを描くための、ただの感傷的な設定に過ぎないのかもしれない。だが、監督・脚本の山崎貴の意図がどこにあったにしろ、わざわざ真一の父親の職業を「(売れない)カメラマン」にしてまで盛り込んだ、この、原作アニメにもなかった場面があるからこそ、ぼくにとって『BALLAD』は忘れがたい作品となったのだった。山崎監督は、映画において「愛する人々の写真を撮る」ことの悲劇性を、ここできっちりと見据えている。タイムスリップを題材とした荒唐無稽な時代劇が、先に挙げた小津や侯孝賢作品をはじめとするひとつの「映画(史)的記憶」に満ち満ちたものとしてあることへの驚き・・・。  もちろん、そういった小賢しい贅言を弄さずとも、その美しさは、『非情城市』や『麦秋』がそうだったように、誰の胸をも打つものだとぼくは信じる。確かに、少年の成長物語としても、姫と武将の悲恋ものとしても、この映画はただただナイーブにすぎて、「オトナ」である貴方は嘲笑するばかりかもしれない。しかし、そういった作品が一方で、驚くほど豊かな「感情[エモーション]」と「表現」を実現していること。その事実をぼくたち観客も、見る、あるいは感じ取る“責任(!)”があるとつくづく思う。  というワケで、満点献上でも良いのだけれど、やはりここは原作アニメに敬意を表して・・・
[映画館(邦画)] 9点(2011-09-02 18:05:58)(良:4票)
7.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
主人公のソフィーは、映画の中でいつも「家事」ばかりしている。帽子に刺繍を施したり、散らかり放題の魔法使いハウルの“動く城”を掃除したり、買い物にいったり、料理をしたり、洗濯物を干したり。…そういったごく「日常的」なあれこれを、たとえ90歳の老婆にされても変えることなく続けていく。  そして宮崎駿監督は、このソフィーの「家事」に対立するものとして、「戦争」を持ってくるのだ。日常生活をやがておびやかし、破壊してしまうものとしての「戦争」。その時「魔法」とは、戦争の“道具(!)”に他ならない。…ハウルたち魔法使いが、国の軍事面をつかさどる者たちとして描かれていることを、ぼくたちは重く受け止めねばならない。まったく、『魔女の宅急便』の愛らしい魔女との、何という違いだろう!  だが映画は、掃除し料理を作り続けるソフィーの「勝利」によって、幕を閉じる。彼女の「家事」によって、ハウルが、荒野の魔女が、火の悪魔カルシファー(見かけは可愛いものの、いうまでもなく「火」は使いようで脅威に成り得る…)が、少年の魔法使いが、案山子男(かかしではなく、出来れば“あんざんし”と読みたい・笑)が、ひとつの“家族”となってまとまり、「魔法」を、戦争ではなく日常生活を守る・取り戻すための「道具」とし、遂には「戦争」そのものに打ち克ってしまうんである。  …そう、どんなに強大な力も、「家事」に代表される人々の生の営みの前には敗北する。歴史上に現れたいかなる王国や帝国もいつかは滅び、けれど人々の「生活」はどんな時代にあっても連綿と続いてきたのだ。それを言うために、映画は、ソフィーたちの生活の細部(ディテール)こそを丹念に描いていく。そこにはもはや、戦いの愚かさを訴えながら逆に「戦い」を魅力的(!)に描いてしまう(たとえば『ナウシカ』…)宮崎作品の抱え続けてきたアンビヴァレンツ(二律背反)はない。平凡な日常の繰り返しのなかにある生きることの喜びや、愛することの素晴らしさを、優しく、少しだけ照れ(?)ながら肯定するばかりだ。  前作『千と千尋の神隠し』に続いて、ぼくはこの作品もまた、(多くの方々が指摘される「欠点」にうなずきつつも)その「世界観」ゆえに心から共感し、愛したいと思う。
9点(2004-11-30 15:19:35)(良:2票)
8.  廃墟の守備隊
冒頭、いきなりコマンチ族による町のせん滅場面! 続いては、生き残った騎兵隊員数名と駅馬車の面々が、砂漠にある教会の廃墟に立てこもって、インディアンたちとの攻防戦!! …いやぁ~、この当時のB級西部劇にしてはメリハリの効いた演出とアクションで、特に↓のM・R・サイケデリコンさんも書かれておられるように、ダイナマイトによる爆破シーンは「おおっ!」と、今の眼で見てもかなりのスペクタクルです。主演がでっぷり体型の親父ブロデリック・クロフォードなんで、女性が登場に及んでもロマンスに発展しようはずもなく、そのへんの“硬派”ぶりも好感度大。アンドレ・ド・トス監督、なかなかの才能と見ました。こういうキッチリとした職人芸を、名作でも何でもない「普通(スタンダード)」な作品に見出せるところが、1950年代アメリカ映画の実力であり、懐の深さと言えるんじゃないかな。 《追記》スミマセン、あろうことかサイケデリコンさんのお名前を間違ってました…。慎んで正しい表記に訂正の上、小生もこっそり点数を8→9点へと変更させていただきます。ホント、これはかなりの快作っすよ! ねっ!!
[映画館(字幕)] 9点(2004-02-21 17:10:16)
9.  白馬の伝説
…美しい、そしてどこか神秘的で、もの悲しい、もうひと口では言い表せない不思議な映画。ジプシーの血が流れている飲んだくれの父親とダブリンの街で暮らす幼い兄弟が、一頭の神秘的な白馬と出会う。しかし、その馬が売り渡されると知った時、兄弟は馬とともにあてのない旅へ…というような物語(だったと思う。何せ、見たのは随分と以前なもので)。このいくらでも甘くも辛くもファンタスティックにも仕立て得る内容でありながら、そのいずれでもない「過酷なポエジー(詩)」としたのは、やはり舞台が“妖精の棲む国”アイルランドであるのと、脚本が『マイ・レフトフット』のジム・シェリダンだからか。とにかくふたりの少年が健気で、様々な苦難の旅を続ける姿には、何度も目頭が熱くなること間違いなし。特にクライマックス、すっかり白馬に心を奪われてしまった弟を助けようとする兄には泣かされます。…それにしても、こんな力強い繊細さに彩られた「児童映画(!)」に続いて『フォー・ウェデイング』を撮ってしまうマイク・ニュ-ウェル監督の才能は、もっと認められてしかるべきだっ!
9点(2004-02-03 12:02:39)
10.  はなればなれに
小生が初めて見た映画館(というか、ホールでしたが)では、途中の1巻を抜かしたまま上映し、エンドタイトルが出た後に改めて抜けた巻から上映し直したワケです。明らかに映写ミスなんだけど、小生を含め、観客のほとんど(たぶん)がそれを「おお、これもゴダールの手法か?」と思いつつおとなしく見ていた(笑)…という、恥ずかしくもお粗末な思い出の作品。一見すると学生の自主映画に毛がはえた程度の、ユル~イ犯罪&青春悲喜劇なんだけど、初期ゴダ-ル作品中でも最もナイーヴな「あやうさ」と、だからこその「みずみずしさ」に溢れているっていうか。特にアンナ・カリーナの時代を超越した素晴らしさには、現代のスレッカラシな(失礼!)青少年のハートすらわしづかみすること必至でありましょう。ホントっすよ! 小生的には、あの美しすぎる列車内でのシーンに、もうメロメロにさせられたものです。トリュフォーの『突然炎のごとく』のごとく”男2人・女1人”の三角関係ドラマも、若きゴダールが撮ればこんなにも遊びと内省とに満ちた「ポップ」な作品になる。どちらがいいと言うんじゃない、どちらも素晴らしい。
9点(2003-12-03 18:56:29)(笑:2票) (良:1票)
11.  白銀のレーサー
ニューシネマ全盛の頃に作られた、冬季オリンピック映画。時代が時代だけに、爽やかというより相当シニカルでヒネくれてます。何よりレッドフォードが快演するスキー大回転の選手が、自信家で自分勝手な、イヤな奴なんですよ。で、ジーン・ハックマンのコーチと対立しながらも、アメリカチームを勝利に導いていく…かどうかは、ナイショってことで。マイケル・リッチーの演出は、淡々としたドキュメンタリー・タッチの画面とエッヂの効いたカッティングがめちゃくちゃクール! 主人公がアメリカの寂れた町にある実家へ立ち寄る短い場面に、この男の野心と孤独をさりげなく観客に分からせるあたりの語り口も見事です。何だか世間的には無名っぽい作品だけど、ガキ(や、その程度の精神年令のガキオヤジ)がはしゃぎまくるノーテンキなスポーツ映画にうんざりしている向きに、自信をもってご推奨いたしましょう。
9点(2003-11-11 12:42:44)
12.  バード(1988)
(画面も、内容も)どこか曖昧な闇に満ち満ちている。それがこの時代と、チャーリー・パーカーの心象とダブッていくあたり、イーストウッド演出の真骨頂。汗にまみれながらも、バードたちのプレイはどこまでも「クール」で、映画を見、その演奏に聴き惚れるぼくたちは、冷たい熱狂に包まれていくのだ。…作品の出来はもちろん素晴らしいのだけど、それ以上に、ひたすらカッチョイイ映画であります。フォレスト・ウィテッカーの鬼気迫る演技は、時に作品そのものをすら凌駕する。こちらにも最大級の拍手を。
9点(2003-11-07 12:45:09)
13.  パニック・ルーム
プロットは確かにサスペンス・スリラーの王道。だけど、あのデビッド・フィンチャーがまともにそんな映画を撮るワケないじゃないか。…と、考える人こそが本作の幸福な鑑賞者になれるでしょう。すべてに破格な『ファイト・クラブ』の後、彼が次に目論んだのは、ワンショットもゆるがせにしない古典的演出を、いかに現代的なキャメラワークで実現できるかということ。実際、ここでフィンチャーが見せるサスペンス演出は、あきらかに50・60年代的なものであり(この作品と比較するに最もふさわしいのは、『不意打ち』というオリビア・デ・ハビランド、ジェームズ・カーン主演の1964年度作品でしょう)、いささかも「現代的」な大袈裟かつセンセーショナルなこけおどしを用いていない。それゆえ、かったるいだの、物足りないとおっしゃる向きも分からなくはないのだけど、そういう時に皆さんが求めているのは「サスペンス」じゃなく「サプライズ」でしょう? そういったハズシ方こそが、いかにもフィンチャーらしい「戦略」だと思うんだけどなあ。あと、これを「本当は『エイリアン3』をこういう風な映画にしたかった」という彼の、”裏『エイリアン3』”として見ても、面白いんじゃないでしょうか。…この見方、ダメ? 
9点(2003-10-06 18:21:16)(良:2票)
14.  ハイヒール(1991)
一種の母娘による近親相姦(!)的愛憎劇として、この頃のアルモドバルらしい辛らつな「女性観」全開。男としちゃ他人事としてフフンと笑いながら見ていたら、最後にはどよ~んと重苦しい感情にとりつかれちまった。この映画のビクトリア・アブリル、実に”イタイ”です。
9点(2003-06-25 18:49:51)
15.  ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場
小生の大好きなイ-ストウッド映画。いわば軍隊ものの定番というか王道的ストーリーが、世代間、男女間のコミュニケーションをめぐる極上のドラマになっております。それにしても、メリル・ストリープの時もそうだったけど、いわゆる名女優と呼ばれる相手役を得た時の役者イーストウッドは、つくづく良いなあ。監督としてはもはや巨匠扱いだけど、今一度”演技者”としての彼を再評価する向きが出てこないものか…。
9点(2003-05-30 15:27:27)
16.  母の眠り
いつも…というか、折にふれて思うのだけど、やはり母親ほど「強い」ものはない。そんな《真理》を、あらためて納得させられる映画。 幼い頃から大学教授の父親を尊敬し、家庭を守ることが幸せという母親を軽蔑していた娘が、末期癌の母を看病するため仕方なく実家に戻ってくる。あらためて生活を共にするなかで、娘は母の“平凡な人生の非凡さ”を学んでいく。 と書けば、いかにもありがちのピューリタン的な「オンナたちよ、家庭に還れ」と唱える保守主義プロパガンダ映画みたいだ。別にフェミニストを気取るワケじゃないけど、そういう言いぐさはあまりにも反動的だろう。実際この映画には、そういった面がないとは決して言えないんである。 けれど、メリル・ストリ-プ扮する母親が最後にとった選択を、「個人」としてでなく「母」としての“尊厳(!)”を守るためだとする主張は、その雄弁さ(というより、メリル・ストリープの名演)に、ぼくもほとんど説得されてしまった。「自分のために選ぶ〈死〉が、同時に家族をも救う」のなら、それもまた立派な「主体的」な生きざま(=死にざま)じゃないか、と。そう言われたなら、「…かもしれない」と考えこまされてしまわざるを得ない。そして、その答えは、この映画を見てもう何年もたつのに、未だぼくのなかで見つからないのだ。  前述の通り、メリルはもちろんのこと、レニー・ゼルウィガー、ウィリアム・ハートの主演3人ともが、素晴らしい。そして、こんな「重い」主題を扱いながら、まるで上質のフィルム・ノワールみたいな《倒除法》の語り口を駆使した技ありの脚本・演出もまた、見事だと思う。 …地味だけれど、クヤシイくらいに「巧い」映画だ。
8点(2004-07-07 20:40:49)
17.  パーマネント・レコード
…おそらく10代の頃にこの映画を見たなら、もっと素直に感動できたんだろうなあ。親からも、学校からも、友人たちからも期待され続けた青年が自殺する。その死が、周囲に与えた衝撃と動揺を描いた群像劇としてある本作。若い頃なら、死んだ青年の「苦悩」や「純粋さ」(…歳の離れた幼い弟に対してだけ、素直に心を開くあたりの描写は、どこかサリンジャーの小説の主人公たちを想わせる。特に、最後にやはり自殺する「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモア・グラースに)に“共感”し、あるいは、彼のことを結局何も分かってやれなかったことに激しく後悔する親友(演じるのは、若きキアヌ・リーブス。ナイーブでナーバスな心の揺れを見事に演じてみせる)の「苦悩」や「純粋さ」に“感動”できただろう。が、今のぼくには、「自殺とは、どれほど無責任で身勝手な愚考であることか」という、まったく逆の〈メッセージ〉こそをこの映画から受けとめてしまう。…そのひとつの死が、どれだけ周りの人間たちを蝕み、心を“殺してしまう”か。決して映画がめざそうとした方向とは正反対の、「ある残酷さ」を読み取ってしまうのだ。もっとも、そういう「両義性」を持ちえたことが、この作品を、単なる感傷的な凡百の青春映画を越えたものにしたことは間違いない。そのひとつの死を、彼や彼女たちはいかに乗り越えたか、そんな「喪の仕事」にきちんと心をくばった本作の作り手たち(というか、この程度の脚本からかくも“深い”視点を観客に読み取らせた監督)の誠実さを、ぼくは称えたい。後にデヴィッド・リンチ作品で開花することになる、アメリカ地方都市の光と陰の部分を繊細にすくいとった撮影監督フレデリック・エルムスの映像も、ジョー・ストラマー(!)のしみ入るような旋律も、作品に贅沢なプラスアルファを与えている。そして…これはあくまで個人的にだけど、わが愛しのジェニファー・ルービンがかくも初々しく画面を彩り、あまつさえクライマックスをまかされている、このことだけでもぼくには忘れ難い映画なのであります。思えば、もはや“B級”映画でやたら脱ぎまくる「ジャンク女優(トホホ)」程度にも知られていない彼女の映画をレビューしたくて、ぼくはこのサイトに書かせていただくようになったのだった。…それだけでも、「8」点を献上する価値ありでしょ(笑)
8点(2004-05-14 20:43:26)(良:1票)
18.  バッド・インフルエンス/悪影響
まだ、名もなく貧しく(か、どうかは分からないが…)一生懸命な新進スリラー映画作家だった頃のカ-ティス・ハンソン監督作。ネタ的にはヒッチコックの『見知らぬ乗客』の亜流だけど、ヒッチ作品じゃボカされていた“主人公ふたりの屈折した同性愛ゆえの確執”というテーマが、ロブ・ロウとジェームズ・スペイダーという美形男優の起用によってより鮮明になったところが刺激的。つかり、かの名作に対する批評的オマージュになっているんだよね。とにかく、スペイダーにとことんつきまとうサイコ野郎を演じたロブ・ロウが、なかなかの気色悪さで好演。後半はほとんどホラ-映画のノリだけど、これはハンソン監督の才能を十分に伝えている快作でしょう。途中、チラリとゴダ-ルの『アルファヴィル』を映したりといった「映画青年ぶり」もご愛嬌だし。
8点(2004-02-03 14:17:04)
19.  ハドソン・ホーク
ブルース・ウィリス=ルパン3世、アンディ・マクダウェル=峰不二子、ダニー・アイエロ=次元。…アメリカでも日本でも(こちらのレビューでも)評判芳しからずな作品だけど、実は小生のちょっとしたお気に入り? ハズシ気味のギャグも、スッとぼけたアクションも、このクセ者監督なら「確信犯」じゃないかしらん。4年に一度くらい、見直したくなります。
8点(2003-12-03 18:09:26)
20.  パトリオット
勧善懲悪という「分かりやすさ」を、こういった史実に基づく歴史映画に導入すると、どうしても作品自体が薄っぺらなものに感じられてしまう。だから当然避けなければいけなかったはずなのに、どうやら本作の作り手たちは、その愚を犯し、英国側をあまりに単純な”悪役”にしてしまった…。そのあたりが、この作品のいまひとつ評価が低い最大の理由じゃないでしょうか。ただ、そういった「歴史」的背景を重視した《叙事詩》としてではなく、監督のエメリッヒは、これをあくまで「情」の映画として、つまりは《叙情詩》として作ろうとしたんじゃないか。時代や運命に翻弄される人間たちの喜びや悲しみ、怒り、祈り、そして勇気…といった、感情こそをすくい取ろうとしたようにぼくには見えました。だから、確かに題名からして「アメリカ建国史」を謳い、戦闘シーンも大掛かりな大作ではあるけれど、これは言葉の正しい意味での「メロドラマ」なのでしょう。そして、ぼくはこのメロドラマを実に美しい、素晴らしい作品だと信じます。何故なら、作り手たちが目ざした通り、ここには豊かな感情の機微が全編にわたって息づいているから。…ローランド・エメリッヒの作る映画=おバカ映画という短絡的な見方は、そろそろやめにしませんか?
8点(2003-11-21 13:47:37)(良:1票)
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