Menu
 > レビュワー
 > 花守湖 さんの口コミ一覧。11ページ目
花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 644
性別
ホームページ http://hanakamiko.exblog.jp/

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
21222324252627282930313233
投稿日付順1234567891011121314151617181920
21222324252627282930313233
変更日付順1234567891011121314151617181920
21222324252627282930313233
>> カレンダー表示
>> 通常表示
201.  メイズ・ランナー 《ネタバレ》 
まず良かった点は4つあります。 ①3部作なので1では脱出できないと思っていましたが、ちゃんと脱出できたこと。現代社会はストレス社会です。われわれは脱出願望が非常に強い。迷路からの脱出は現実逃避のメタファーと見ることができる。現実からの脱出を映画のなかで体験しカタルシスを得ることができます。 ②この映画は15少年漂流記やロストとよく似ています。監禁状態は無人島と同じです。閉じ込められた人間集団は派閥を作ります。そしてミニ社会が形成されます。だからこういう映画はドロドロになりがちですが、思いのほかサラサラ系に仕上がっています。その理由は、脇役の韓国系俳優の存在が非常に大きかったと個人的に思います。トラブルメーカーを1人に抑えたこともよかったです。 ③シュチエーションが好みです。迷路のなかにいる謎の生物の正体が機械だったことも一層謎が深まってアイデアとしては良かったと思います。なによりも敵の正体が最後の最後まで分からない点が良い。これはキューブと同じ設定ですが、敵が何を考えているか分からずに翻弄される登場人物たちの描写がきちんと描かれています。 ④3話完結ですがちゃんと1話で完結している点は高く評価されて良いと思います。「迷路から脱出したら世界は滅びていた」というオチは悪くないと思います。たしかバイオハザード1も同じだったと思います。こういうのは好きです。 では悪かった点。 ①主人公が馬の骨だったこと。これは予算の問題もあると思います。しかしこいつは陰気くさくて共感できません。主人公が助かってほしいとは思えませんでした。 ②学園ドラマっぽいのはマイナス要素です。しかも男臭い。男は非常に臭い。全体を通してむさくるしい。窒息させる気か。 しかしあまり悪い点が見当たりません。全体的には合格の8点です。2も観たいですね。
[DVD(字幕)] 8点(2015-10-12 19:31:59)
202.  チチを撮りに 《ネタバレ》 
愛人を作って逃げたクソオヤジが末期がん。母親は「くたばる瞬間のミジメなオヤジの顔を写真で撮ってきて見せろ」と姉妹に命令する。ふつうはありえない。しかしこの姉妹がとにかくユルイ。「そんなの面倒だよ」と意味不明なことを言い出す。姉妹の醸し出すユルイ空気が美しい自然風景と重なって、絶妙な癒し効果を生んでいたと思う。姉の設定は水商売の女、妹は不登校生徒、ろくでもない子供だという設定にしているが、物語がすすむにつれて、この2人が母親からどのように育てられたかが分かってくる。その象徴が火葬場へ向かうシーン。「私たちはお母さんから人を恨むような育て方はされていない」「私たち2人はお父さんを恨んでいない」ということに気が付くシーン。このシーンはクソオヤジを恨んでいないという事実よりも、むしろ姉妹が母親からどのように育てられたのかということにはじめて気が付いたことに重点が置かれている。母親の無限の愛情を再確認する大切なシーンだ。しかし火葬場で姉がくたばったオヤジに対して「オヤジ、アンタには感謝していないけど恨んでもねえぜ」と言っていたことでもわかるように、けっして2人はオヤジに対して愛情が芽生えたわけではない。そこは力説しておきたい。ラスト間際で宝くじの売店で働く母親を眺める姉妹のシーンが素晴らしい。夢を買うよりコメを買うと豪語していた母親、1日も休まずに汗水たらして働く姿─、カッコ悪い母親だと思っていた。しかし今自分たちがこうやってまっすぐに誰も恨まず、妬まず、素直に生きていられるのは母親のおかげなのだ。久しぶりに泣いたと思う。それと笑いのシーンが意外と多い。深刻になりがちなストーリーだが、姉妹が道端の人に「いま、ヒマですか?早くしないとお父さんが焼かれちゃうので火葬場に連れてってくれますか?」などユルさ加減が絶妙だ。ラストで母親がクソオヤジの骨を川に放り投げて「テメエなんて食われてしまえ」と言ったら本当に魚に食われてしまうシーンがシュールで最高でした。映像は終始美しいです。
[地上波(邦画)] 8点(2014-10-25 23:06:07)(良:1票)
203.  アップサイドダウン 重力の恋人 《ネタバレ》 
美しい映像を楽しむための映画です。まるで大型美術館のなかに「二重重力の世界」が存在するかのようです。観客は美術鑑賞を楽しんでください。あくまでもストーリー重視ではなく、視覚重視の映画です。試されているのは観客の感性なのです。上と下の世界がそんなに遠くない距離にあるところが素敵でした。ロープを使って上から下へ。また下から上へ。面白いじゃないですか。遠そうで近い距離にある上と下の世界─。会社内ではジャンプをすれば、下の社員は上の社員にタッチできそうだ。しかし見た目は近そうでも、そこにはルールが存在し、実質的には遠いのですね。この上と下の、曖昧模糊とした距離感が絶妙です。もはやこのシュチエーションは芸術だ。恋愛の描写は素直にかわいいと思います。スパイダーマンよろしく、いつしかダンストは、アクロバットなキスをする女優と呼ばれるでしょう。それと青年のほうは必死すぎて笑えます。お前は体が燃えているのに彼女を追いかけるのかよ。残酷な現実が二人を引き裂けば、より一層強く惹かれ合う(by宇多田)というのは、天地開闢以来の恋愛の真実のようです。重力の都合でアクロバットなキスが多かった2人ですが、しっかりとセックスもしていたようです。さぞかしアクロバットなセックスだったのでしょう。やはりロープでどちらかを縛ってやったのでしょうか。さすがに映像化はできなかったようです。いずれにせよ、できちゃった婚で、メデタシ、メデタシ。ご存じの通り、この映画には矛盾が多いです。しかし私はこういう想像力に富んだアイデアを素直に面白いと思える感性を持った観客でありたいと思います。  
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-21 20:47:22)(良:1票)
204.  ビザンチウム 《ネタバレ》 
物語の本質は、共依存の母娘です。野蛮な男たちに虐待されて生きてきた母親は、自涜の習慣(娼婦)から抜けられません。彼女の自涜の念が我が娘には同じ道を歩ませたくないという強い思いにつながっているのだと思います。しかし娘を守るつもりが、逆に娘を精神的な牢獄に閉じ込めていることに気が付きません。従って娘の最大の親友は母親であり、母親だけが人間関係のすべてであり、母親以外には他人を愛する選択肢がありません。母親のほうは「私がいないと、この子は生きていけない」と妄念妄想にとりつかれています。ラストで母親が娘を手放したのは、母親自身が、娘から自立できたことを意味します。このラストシーンに未来の燈芯を感じます。また、この映画の吸血鬼は、己の力を誇示する生物として描かれているのではなく、あくまでもマイノリティとして、虐げられる存在として描かれています。悪の存在ではありませんが、人間を殺さないと生きていけないというジレンマがあります。そのために死を望んだ人間からのみ血を吸うという清貧な吸血鬼娘、遠慮せずにじゃんじゃん吸えよ。人間なんて、同族以外の生き物を殺しても、器物破損にするようなバカな連中なのだから情けをかけなくて良い。そういうわけで生きているだけで罪を感じている彼女の存在そのものが果かないです。その果かない存在と、美しい映像が見事に諧和しています。間違っても十字架が弱点の吸血鬼バトル映画だとは思わないでください。私は心が癒されました。弱者に救いの道が開かれる物語はやはり心があたたかくなりますね。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-14 23:53:29)(良:1票)
205.  故郷よ 《ネタバレ》 
ヒロインの仕事はチェルノブイリの観光ガイド。それだけでもこの映画を観る価値はあります。人の住めない場所に観光客が来るの?いずれ福島も観光名所になるの?不謹慎じゃないの?と思う人がいると思いますが、これをダークツーリズムと言います。ユダヤ収容所のアウシュビッツや、私がつい先日訪れた広島の原爆ドームも同じです。今も広島の平和祈念館は、崇高な目的を持った外国人観光客や、物見遊山な外国人がたくさん観光に訪れる場所です。天地開闢以来、人間は常に愚かな行為を繰り返してきました。その人災を語り継ぐことは、高遠な意義があると思います。ただし、ヒロインは長年その場所にいるせいで髪の毛が抜け落ちる後遺症で苦しんでいます。目に見えない放射能の怖さが伝わってきます。この放射能とは、空気感染するウィルスと似ている。今はまだ痛くもかゆくもないのに、北斗神拳のケンシロウに秘孔を突かれた時のように、おまえはすでに死んでいると宣告されるに等しい。映画の中で、男が傘をまとめ買いして、黒い雨を浴びる住民に配るシーンがありました。俺はもう死ぬのか?それともまだ生きられるのか?その不安な状態が一番こわい。即死のほうがマシに思えてくる。それほど放射能は怖い。放射能の汚れを落とすために観光客がシャワーを浴びるシーン。デブなおばさんの裸体がずっと映されていましたよね。あれは意味がないようで、おぞましいということを、隠喩として伝えたかったのでしょう。のんきに結婚式をやっている光景とは裏腹に目に見えない放射能の恐怖が迫っている描写も巧い。また、ゴーストタウンと化した街並みの映像は、あたかもゾンビ映画の世界のようだ。日本の場合、マスコミたちが、絆、絆と、事故のことを、能天気に感動物語にしている。やはり日本が現実を見つめるには時間が必要です。負の遺産を、負の遺産として描くことも改めて大切だと感じました。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-08-23 21:59:30)
206.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 
気分が悪い映画だった。部長、課長、という会社内の階級よりも、はるかに学校内の階級のほうが奥深い。4人の女友だちは表面上は友だちに見えるが実際には上下関係がある。学生時代は自意識が非常に強くなる。自意識とは簡単に言えば「自分が他人からどう見られているか気にする感情」である。学校という組織は、自民党政権をはるかに上回るほどに、派閥が存在し、そして上下関係が存在する。その中で生徒たちは、自分が他人からどのように見られているか、どのように評価されているか、どのグループに所属すれば評価が上がるか、そればかり気にして一喜一憂する。そして格下の生徒を見下し、同レベルの生徒と友だちになり、格上の生徒に媚を売る。生徒たちを必死になって区分けしているのは生徒たち自身である。なぜ生徒たちは、同じ生徒たちに優劣をつけたがるのか?ひょっとしたら区分け好きの生徒がしたいのは優劣をつけることではなくて、自分を肯定することなのではないか?不安から逃れるために区分けをし、自分をランクで理解しようとする。ではなぜ不安になるのか?この年齢の子供たちは自己評価できないからだ。他人が下す評価が自分の評価と考えてしまう。そうやってますます他人の目を気にした行動をするようになり、この生徒じゃ俺と釣り合わない、この生徒と喋るとレベルが下がる、と考えて、自分の立ち位置に神経をすり減らす、必然と学校は身分社会と化す。大人になると、しだいに他人が下す自分の評価よりも、自分自身が自分を客観的に評価できるようになる。オタクだったらオタクだという自分を肯定できるようになる。従って背伸びしなくなる。それだけで苦しみは半減する。ランクづけから解放される。むき出しの自意識に苦しむ生徒たちの姿をみて、本当に嫌な過去を思いをした良い映画でした。  
[DVD(邦画)] 8点(2013-08-25 00:43:13)(良:1票)
207.  別離(2011) 《ネタバレ》 
この映画のラストシーンは非常に良いですが、あのシーンは、娘の決定した答えを想像しなさい、と言っているのではなく、単純に娘の考えた結論は、この物語には必要がないからカットしたのでしょう。つまり、「別離」で言いたいことは、別離した後の結論ではない、そのことを強調するメッセージだと思います。親といえども、男女関係です。だからなぜ別離するの?という問いかけも意味を持ちません。テーマは別離だけではなく、裁判の行く末にも重点が置かれています。ドストエフスキーの名作「カラマーゾフの兄弟」のように泥沼系の裁判描写が延々と続くので、ドロドロ系好きの私にはたまりません。ただし、もちろん盗まれたお金はどうなった?ということを追求する目的ではありません。裁判というのは、アメリカや日本では、勝つか負けるかという戦略的な戦いの場です。しかし宗教に身を置く人々の一部では、かりに証拠不十分などで法律的な罰を免れても、神様から罰を受けると、本気で恐れている。てっきり私は流産した女性が、嘘をついて、慰謝料をふんだくる気でいるのかと思っていましたが、彼女は最後になって、嘘をついてお金を貰うと、神の罰が当たると恐れていました。日本人では「後ろめたい」という感情はあるかもしれませんが、見えない罰を真剣に怯える人は少ないでしょう。つまり性悪説の立場に立てば、宗教は犯罪防止の1つの抑止力になりえるのかもしれません。まあしかし、DV夫や、娘に嘘を連発する父親をみていると、信者のなかでも、神の罰を恐れるイラン人は一部しかいないのかもしれませんが─。「アルゴ」というイラン人を悪魔扱いしたハリウッド映画の後に観ましたのですごく良い映画に見えました(笑)「アメリカ人よ、これが映画だ」と言いたい気分です。  
[DVD(字幕)] 8点(2013-05-06 16:03:43)
208.  アジョシ 《ネタバレ》 
恐ろしいほどカッコいい男だな、と素直に感じた。この男、韓国では四天王の1人と呼ばれている最高クラスの男優らしい。なるほど、単なるイケメンじゃ説明できないカッコよさが爆発していた。日本のジャニーズタレントが、副業で映画に出演しているのとは、あまりにもレベルが違いすぎる。歌手か芸能人か分からない中途半端なキムタクや嵐の演技が大根に見えてくる。特に「強すぎる主人公」という設定に対して何の違和感も感じない。普通は強すぎると、敵とのバランスが崩れて面白くないとほざく観客もいるものだが、強くて当然、と思わせる説得力がある。無口ゆえにセリフは極端に少ないが、眼力だけで演技している。思わず、お前なら強すぎても許す!と言ってしまう。素晴らしい、これが四天王の実力か。もちろん四天王を取り巻く悪役たちの演技力もずば抜けて秀逸だ。特にあの殺し屋だ。強いだけではなく、四天王と同じオーラを持っている。つまり影だ。彼も影を引きずって生きていた。そんな殺し屋が、娘に対して、人としての感情を見せたがゆえに、四天王に負けて殺されてしまうというシーンは非常に切ない。ばんそうこうの伏線がうますぎる。悪対正義という単純な構図ではない所も、薄っぺらなアクション映画とは一線を画している。ラストシーンで防弾ガラスにムチャクチャ銃を打ち込んで貫いてしまうシーンなんて、もし日本の俳優にやらせたら大根演技で終わってしまうだろう。四天王だからこそ魅せることができた印象に残るシーンだと思う。ハードバイオレンスなので常に血が飛び仕切るが、人身売買のクソやろうたちの血なのでむしろ痛快だ。返り血を浴びた四天王は怖い。しかしである。最後に娘が近づいてきたときに、「血で汚れるから俺に触るな」と言ったとき、この男の恐ろしいまでの孤独を実感して、不覚にも泣いてしまった。そんな孤独な男を娘は抱きしめる。誰が誰を救ったのか分からなくなる。私には娘が男を救ったように見えた。だからまた泣いた。やはり映画は俳優の演技が一番大切だ。サンキューフォーエバーアジョシ。
[DVD(字幕)] 8点(2013-04-01 22:02:04)(良:1票)
209.  未来を生きる君たちへ 《ネタバレ》 
「ボウリョクはイケマンセンね!」と言われて、はいそうですかとは言えません。ガンジーのような非暴力主義であれ、マルコムXのような暴力主義であれ、いずれにせよ2人とも暗殺されています。つまり暴力が原因で、復讐の連鎖が起こるわけではない。例えば、みんなの大好きな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」について聞いてください。あのいじめっ子のビフに対して、主人公が「復讐は無意味である」と言い出したらどうなりますか?チキン(弱虫)と言われたら、すぐ暴力をふるう主人公は間違っていますか?そもそも暴力を、暴力で返すような真似が、もし愚かだというならば、世の中の映画の大半は存在しないことになる。シュワちゃんやスタローンだって暴力に対しては暴力で問題を解決してきた。ムスカだって、未来を生きるシータとパズーたちの、バロス一発で、木端微塵になりました。2人の子供が暴力によって問題を解決したのです。そうしないと反対に大勢の人が殺されていたからです。いじめられている子を、暴力によって救ったクリスチャン。彼も悪くない。しかし確かにクリスチャンは憎しみの王様でした。その憎しみが大爆発し、友だちを傷つけた。テーマは、復讐の連鎖ではなく、赦しです。つまり、ダークサイドに堕ちた子供に対する赦しなのです。未来を生きる子供たち、それでも君たちは生きなくてはいけない、という子供に対する大人のメッセージが込められています。しかしもし、ケガをした子供が死んでいたら?そうしたらあのヒステリックな母親は、クリスチャンを赦しただろうか?首を絞めて殺していたのではないか?あの両親が、クリスチャンに報復しないのは、単にわが子が助かったからだと思う。従って、依然として「赦し」が成立するのか不透明だ。この映画には納得のいくような哲学が感じられない。しかしテーマがあまりにも難しい。むしろよくぞチャレンジした。私が言いたいことは、考えることができる映画は、やはり良い映画だということです。  
[DVD(字幕)] 8点(2012-11-25 20:03:23)(良:1票)
210.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 
人間が人間を殺すことは殺人、人間が動物を殺すことは処分、人間がうっかり他人のサルを殺すと器物破損だ。どれだけ人間が、サルやペットを愛していようが、対等なんて関係は茶番だ。サルや動物たちの立場から見た人間は、たとえ善人であろうが、それは毛皮のコートを羽織った動物愛護団体職員と同じ偽善者なのだ。反省猿に反省させて、それをみて「かわいいね、癒されるね」ってバカか?反省サルが喋られるなら、お前らが反省しろよと言われるだろう。人間はバカ者で、偽善者で、凶暴者の三拍子が揃った貴重な動物だ。そもそも狩猟とは何だ?住む場所をサルやイノシシやクマから奪っておいて、餓死寸前の動物がついに命をかけ、食料を求めて山から下りてきたら、山に帰れ、と憎しみを込めて殺すことが狩猟なのか?その一方で、人間と動物は友達だと、平気で嘯く人間の偽善などクソ食らえだ。人間のバカを象徴するラストシーンについて説明しよう。飼い主は「家に帰ろうよ」とほざく。帰れるかよ。これだけ暴れて有名人、いや有名サルになったのに、のうのうと家に帰っても見逃してもらえるわけがない。飼い主のその言葉を聞いたシーザーのあきれ顔が印象に残る。「やっぱりこいつバカだったのか」という顔だ。このシーンは決して友情シーンとして描かれているのではない。猿からみた人間の愚かさが的確に描かれているのだ。またこの物語は、組織を統率するリーダーのカリスマ性という面からも楽しむことができる。海千山千の曲者のサルたちに苦戦しながらも、徐々にまわりのサルたちを味方につけ、最後に組織を統一するシーザーの手腕は、ゴットファザーのマイケル・コルレオーネを彷彿とさせるのである。シーザーの人心掌握術は、下手な啓発本を読むよりも意義がある。我が国の首相も、サルに見習ってもらいたい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-11-12 20:40:13)(良:2票)
211.  ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 
恋愛映画でした。男は彼女の奇抜な容姿をみても偏見を持たなかった。彼女は生まれてはじめて他人から頼りにされることに喜びを感じた。それが恋愛感情につながった。原作はスウェーデン語で「女を憎む男たち」その男たちとは、後見人のデブ野郎、リスベットの鬼畜パパ、女殺しが趣味の変態親子・・である。リスベットの奇抜な恰好は、子供時代に性的暴力を受けてきた事と関係がある。彼女は、男たちから性的な対象と見られないようにするために、男のようにふるまってきた。両性愛者という設定などは、表面上のことに過ぎない。彼女はトラウマのために、男を演じてきたのです。すなわち、ドラゴンのタトゥーは、男に対する防御手段なのです。男という生き物はなぜか常に女を憎む。卑怯な男ほど、猫や鳩の虐殺と同じように、弱者を攻撃したがる。「女のくせに」とすぐ口走る男たち、その言葉の裏には「弱いくせに」という言葉が隠されている。お前らはネトウヨ以下だ。だからこの話は女であるがゆえに虐げられてきた女たちの物語なんだ。女のジハードなんだ。その執行人が、リスベットだったんだ。鬼畜パパは全身火まみれ、デブの後見人は拷問責め、犯人のパパは水死、犯人は車内で大炎上、バカ男たちの殺され方はどれも痛快無比です。共感できました。私とリスベットが、何かつながってるってゆう感じ?そういうふうに感じたのは初めてだし、だいたいそういうの大嫌いな私ですが、彼女を自分の娘のように応援できたのは収穫でした、娘なんていませんけどね。できれば女性に観てほしい映画です。
[DVD(字幕)] 8点(2012-08-19 21:24:01)(良:2票)
212.  ヤコブへの手紙 《ネタバレ》 
まず特徴的なことは登場人物が極端に少ないことです。盲目の牧師、人殺しの女、そして郵便配達人。この3人のみです。ヤコブは終始痛々しい。盲目であり、身内もいなく、家はボロボロで、自分自身の体もボロボロ。案の定、彼はすぐくたばる。人生は理不尽であり「白い犬」などいないのだ。そんな老人のことを、関取の豊響にちょっと似ている女は、終始傍若無人な態度で、よぼよぼの善人のじいさんに接する。特にヤコブの手紙を読むのが面倒臭いという理由で捨ててしまうシーンなどはかなり残酷でした。しかも金まで盗んで出て行こうとする。そんな女でも、タクシーに乗って家から出ようとしたとき、急にある事実に気が付きます。「自分には行く場所がない。」という事実に─。女は自殺しようとする。この瞬間、私は彼女を赦した。そしてラストシーン、絶望したときに発したヤコブの言葉─「わたしは神のために、手紙を読んで、そして人を救っていると思っていた。しかし神がわたしのために手紙を与えてくれていたのだ」と。人は生かされているという事実─。どんなに信仰を持った信者でもなかなかそれを意識することは難しい。むしろ信者や神父だからこそわかるはずもない真実なのだ。人は努力して頑張っているときほど、頑張っている自分が偉いのだと思いこんでいる。そして大抵は人がみえない恩恵を受けている事実に気が付くときは、その恩恵を失ってからだ。人間は愚かだ。失って気が付くのが人間だ。人を救うことすら、救う人間にたいして、自分自身が救われている。人の役に立ちたい、誰かのために生きる、という考えも、ある意味では人間の驕りなのかもしれません。女の苦しみを救った瞬間の、ヤコブのあの嬉しそうな顔─。救われたのはじつはヤコブでした。神がヤコブを救うために、ヤコブの前に豊響を遣したのだとおもいます。ヤコブの手紙には宗教問題にかかわらず、すべての人間に当てはまる普遍的なテーマが描かれているとおもいます。  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-02-20 23:21:34)
213.  闇の列車、光の旅 《ネタバレ》 
個人的な話で申しわけありませんが私はクソ男が嫌いだ。その「クソ男」が主役でした。主役はクソギャング。クソがクソったれの男の子をギャングに勧誘したことがきっかけで、そのクソの男の子に殺されてしまうというクソドラマなのです・・。救いようがありません。普段なら躊躇なく0点ですね。ただ、映像が恐ろしいほど綺麗でした。こんな綺麗な映像は、タイトルは忘れましたが、台湾の監督が作った日本の北海道を舞台にしたあの映画を彷彿とさせるほど素晴らしかったです。こうみえても私も18切符を使って四国一周旅行をしたことがあるのですが、「闇の列車、光の旅」で、主役のクソとヒロインがアメリカへ行こうとしているその列車の描写は、まさにその「四国」と一緒な印象を受けました。主役のクソは悪党でした。しかし彼は「愛」を知って、理不尽な行動に出る。それが悪の頂点にたつクソボスを殺すという暴挙です。「愛」は見境がなくて怖い。しかし「愛」は損得なんて忘れてしまう。主役のクソはなんと「愛」のせいで、ギャングから「善人」になってしまった・・。それゆえに殺されてしまう。そんな物語、私の知る限り、何百回も観てきた・・。しかし何度観てもやはり切ない。悪が善になったがために自滅するという話・・。久しぶりにクソ男に同情して好感を持ってしまいました。想像を絶する綺麗な映像に乾杯!ワウワウに乾杯!クソ男に乾杯!  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-13 21:12:30)
214.  ディセント2 《ネタバレ》 
女が強い映画である。彼女たちが男の腕を切り落として逃げるシーンはディセントシリーズが、どんな映画であるかを印象付けた貴重なシーンでした。つまり「男」はシリーズを通して、一貫として脇役なのです。強い女といえば、エイリアンと戦うリプリーや、ゾンビと戦うアリスを思い出す。地底人と戦うサラは、この偉大な女性たちに近づこうとしているように感じる。一番すがすがしいのは、サラが「またこんな地獄に連れてきやがったのかよ!」と愚痴ったりせずに、すぐに前向きに脱出しようと考えているところです。強い女たちは最初から強いわけではない。シリーズを通して成長し強くなっていく。ではサラが戦う相手である地底人と何者なのか?彼らはもともと人間であったという噂もあります。真意はパート3以降に判明するでしょう。このモンスターは、エイリアンのような強さは持っていない。しかしゾンビのように数にものを言わせて攻めてくる。対抗策は声を出さないこと。サラのライバルであるジュノが、声を出したらぶっ殺すぞクソジジイという怖い顔をして保安官を脅したときや、彼女が左手を挙げる仕草はカッコよすぎる。一生あなたについていきます!と叫びそうになりました。女が強いって素晴らしい。ラストは明らかに続編を意識した終わり方になっている。おそらくサラは死んでいない。ジュノのように、さらにベテになって、地底人を殺しまくっていることでしょう。一番気の毒なのはむしろ地底人たちかもしれません。地底に借り暮らしのサラに対して、早く出て行ってくれ!と思っているかもしれません。血まみれの顔で絶叫するサラの顔は、明らかに地底人よりも恐かったです。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-04 12:51:30)(笑:1票)
215.  トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン 《ネタバレ》 
数々の3D映画を観てきたがこの「3」はアバターに匹敵する3Dだという批評をよく耳にするが、むしろアバターを超えているとおもう。つまり現時点において、世界最高の映像なのである。もちろんストーリーにかんしては語るべきものではない。3D映像の、3D映像による、3D映像のための映画なのだ。私はこの映画を楽しめた。しかしそんな私でも味方のロボットの名前を1人も覚えていない。そもそも敵ロボットと味方ロボットの見分けは限りなく困難である。よだれをたらすロボットが敵のようだ。とりあえず、ガンダムみたいなのがリーダーで黄色い奴が主人公のダチということ以外は、むりに覚える必要はない。主人公の名前もヒロインの名前も覚えるな。それでも楽しめるのだ。むしろ今になって低ギャラ俳優に注文をつけてもまったく無意味である。この映画では、人間は永遠に脇役である。予算はすべて映像につぎ込まれているのだ。あのビルの崩壊シーンのすごさよ。浮世のくだらないしがらみなどすべて吹き飛ばしてくれるぞ。この監督の偉大な長所は、世界で一番モノを壊すことがうまいことである。とくにモグラロボットは芸術的だ。このロボットは職人のようにビルを滅茶苦茶にしてしまう。私はこの破壊の仕方にアートを感じる。さらにビル崩壊で主人公グループ全員に死亡フラグが立ちまくり状態。それでも死なない。なぜ死なないのか?と笑いがこみ上げてくる、どんだけ~と叫んでしまう。シカゴ決戦シーンは数ある宇宙人の地球侵略シーンでも例を見ない圧巻の攻防戦になっている。通常の2時間映画を、わざと目まいがするほどくだらない脇役主人公の就職活動をいれて157分の超大作にしてしまうところが心憎い。ベイだからこそこのくだらなさは必要なのだ。よくも悪くもトランスフォーマー3はもっともあつい娯楽大作である。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-16 12:53:31)(良:2票)
216.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 
人間は偽善者だと私は思います。口蹄疫に感染した宮崎の農家にとって、牛は我が子。 せめて病気になった我が子を処分する前に最高の餌を与えたいと涙を流す。 これをみて我が子を売る商売でいいのかよ!という人はあまりいない。 なぜならば農家の人が必死で育てた牛は、人間に食べられることが本望だというのが人間の考えだからである。もちろん子供にはまだ分からないことです。すべての人間は生きるために「偽善」を抱えており、 そしてあらゆる偽善者が自分を棚に上げて、別の偽善者を批判する。これが世の法則なり。この映画を見て、観客である偽善者が、あのセンコーは偽善者だと叫ぶことも「法則」なのです。いずれ子供はそれを知ることになる。あの先生がその真実を早く教えてくれた。私の嫌いな妻夫木のナミダビームも今回は許そう。飼っていた豚も、海に乗り上げて苦しんでいる鯨も、矢に刺さった鳥も、全部大切な命だ、助けなくてはいけない。その一方で猟銃の免許をとってスポーツ競技として鳥を撃ち殺す人間の真実よ。吉野家の豚丼を、かわいそうだと言って涙を流して食べる人間など皆無である。豚は牛よりちょっと安くてお得だな、と思うぐらいだ。子供たちは別の知らない豚ならば美味しく食べて「ごちそうさま」と礼儀正しく手をあわせる。良い子なのだ。子供とは無知ゆえに純粋さを保持できるのだと思う。我々人間は吸血鬼だ。誰かを殺して血を吸って生きる生き物と同等なのだ。己の罪を自覚すること。業を知ること。これが作品の主題だと考える。あの先生はじつに偉い。まるでダークナイトにおけるジョーカーのようだ。性悪説の伝道師よろしく一貫した哲学を持っている。目をそむけるな!見ろ!聞け!知れ!そう必死で叫んでいる。映画は不愉快だと面白くない。しかし人生は不愉快を感じることで真実を学ぶことができる。 
[地上波(邦画)] 8点(2011-06-18 23:05:51)(良:1票)
217.  オーケストラ! 《ネタバレ》 
フランス映画なのにロシア語が飛び込んでくる。極寒の住民たるロシア人はこれほど陽気な性格なのか??まるで南米系のようだ・・・。だからロシア語の早口が、ポルトガル語に聞こえてくる。彼らは陽気で、イライラするほどルーズで、大阪商人のように、したたかだ。その老獪さで、フランスの英雄ナポレオンを翻弄したのだろう。単純なドタバタ劇に見えるが、じつはフランス人からみたロシア人気質が描かれている。ロシア人はラバのように頑固で、殴り付けないと前に進まないらしい。見所はなんといってもラストのチャイコフスキー協奏曲の12分間だ。政治によって失われた芸術家としての誇りを取り戻すために、そして流刑地で憤死した天才ヴァイオリンソリストのために時間の歯車がそこに向って動いている。レアのために戻れ、という号令のもと、フィナーレでついに彼女は彼女の残した遺児の導きによって現代へと甦る─。思わず号泣した・・。圧巻のバイオリンソロ・・その瞬間、彼らロシアの芸術家たちの味わった挫折感は癒された(泣)そして30年間という長い年月を経てようやくチャイコフスキー協奏曲は完結し、母から娘へとその想いがつながるのである。ただ・・残念なことにフランス人の「ロシア人観」を描くことを強調しすぎたせいか、不真面目な連中が、練習なしで本番で成功する物語だと見られがちだ。アタックNO1や巨人の星などの熱血練習を好む日本人、忍耐を好む日本人には、このロシア民族の不真面目さ(フランス人の偏見だが)がさぞかし不満もあるだろう。し、か、し、こういう奇跡を、現実に置き換えていけない。これは夢を見続けるすべての人たちに贈られたファンタジーなのである。また芸術が政治によって敗北してしまったロシアの芸術家たちを、映画の中で救うことにも重点が置かれている。フランスのすごさはロシア人の曲者ぶりを警戒しつつ、芸術家を愛する精神があるところだ。人種を超えた芸術家に対する賞賛、芸術を愛するロシア人に対する畏敬の念、それを表現したパリの大歓声、芸術は政治に屈せず。さあチャイコフスキー協奏曲が終った後は立ち上がって拍手をしよう、そして叫ぼう。ぶ、ブラボー!  
[DVD(字幕)] 8点(2010-11-20 20:28:14)(良:2票)
218.  バイオハザードIV アフターライフ 《ネタバレ》 
今では世界的なゾンビ映画になったバイオハザード。そんなメジャーゾンビ映画に、ついに待望の日本人ゾンビが誕生した。中島美嘉は栄誉ある日本代表ゾンビである。雨に濡れた中島ゾンビは思わず噛まれたくなるほど美しい。それと私はTVゲームをしない。だから主人公が何を目指して、誰と戦っているのかあまりよく分からない。まずグラサン男が誰か分からない。彼は悪の親玉なのか?それからアリスに一撃でノサれた記憶喪失の女の子がいきなり強くなって、斧魔人をぶっ飛ばしたときも驚いた。どうやら彼女もゲームの中では有名人らしい。だがもちろん私はゲームの原作などまったく興味が無い。そんなことはどうでもいい、私はひたすらアリスが暴れまわっているだけで満足なのだ。シュワちゃん映画や沈黙シリーズのおじさんのように、主人公が無敵の強さで戦うのがこのシリーズの最大の魅力だと思っている。しかも絶世の美女が、汚くて臭い化け物になったバカ男たちを蹴り倒したり、ぶん殴ったり、ボコボコにするのだ。これほど痛快なことはない。刑務所の屋上でのシーンは実に印象的であった。仲間と一緒に逃げだすかと思ったら、1人だけで踵をかえして、津波のように押し寄せるゾンビの大軍に突っ込んでいくアリス。さらに刑務所の屋上からロープみたいなものをつかって地上に飛び降りるアリス。このターザンプレイは必見だ。そのあとは海を真っ二つに割って渡ったモーゼのように、ゾンビの海を分断し駆け抜けるアリス。ゾンビに噛まれそうで噛まれずに走るあの緊張感のなかでみせるアリスの神々しいまでの表情、額から流れる一筋の汗が素晴らしい。そしてお得意の二丁拳銃を見境なくぶっ放すアリス。ゾンビどころか仲間まで撃ち殺す気かよ。最後は間一髪の巨人の星ばりのスライディングでセーフ。全然弱くなっていないぞ、これだ、これが観たかったんだ、映画史上もっともクレイジーで強いヒロインだ、とにかくカッコいい、アリス、サンキューフォーエバー。 
[映画館(吹替)] 8点(2010-10-27 22:02:23)(笑:1票) (良:2票)
219.  ペネロピ 《ネタバレ》 
この作品の奥深い所は、ペネロピのことを「ひきこもり」のメタファーに見立てて、彼女が社会復帰するまでを描いた物語になっているところです。親が子供を守ろうとするのは、本能でもありますが、自己満足でもあります。ペネロピの両親はその典型です。見所は何といっても、ペネロピが生まれてはじめて家を飛び出して、そこで彼女の目を通して見せられる外界の美しさです。夜の街にシャボン玉が乱舞しているあのシーンは信じられないくらいに綺麗でした。映像は常に外の世界をはじめて見た少女の視点を通し、スクリーンに映し出される。お見事。家を飛び出したペネロペを両親が追いかける理由は、娘を他人に見られるのが恥ずかしいという思いもある。世間体を非常に気にしている親でした。自分の子供に同情するふりをして、我が子を恥ずかしがる親はやはり存在します。それを強調するために、本作品ではあえて主人公を豚鼻にし、親を大金持ちにしたのでしょう。ひきもり問題は、親が子供を無意識のうちに否定することから始まる。親は欠陥を持ったできの悪い子供(ペネロピのような)を守ろうとするのですが「どうせお前にはムリだ。お前は欠陥者だ。お前には助けが必要だ」と、そういう態度をとり続けます。そしてそれを親の役目だと思い込んでしまう。1つだけ真実があるとすれば、たとえ家族であっても、自分以外の人間を救うことなどできないということです。世の中には豚鼻じゃなくても、様々な欠陥を持っているせいで苛められたり差別されて、内に閉じこもる人は多い。大切なことは欠陥を持った自分を隠そうとするのではなく、あるがままの自分を受け入れることなんだと。自分を救えるのはやはり自分しかいないのです。このおとぎ話にはそんなヒューマニズムなメッセージが込められていたように感じました。 
[DVD(字幕)] 8点(2010-04-26 20:53:27)(良:1票)
220.  ウォーリー 《ネタバレ》 
愛しているよ、という言葉は1つも出てきませんが、これは良質な恋愛映画です。しかも恋愛対象の2人(2機)には性欲もなければ、子供を欲しがる人間的な本能もないので、完全無欠の純愛映画に仕上がっている。男が好きな女性にたいして「好きだ」と言っている姿をそのまま映像にするのがTVです。しかし映画とは、「好き」だという想いを、台詞にせずに、隠喩や外面描写を用いて表現すること。そして観客にそれを想像させること。だから映画は芸術だと言われるのです。最初はウォーリーが男に見えるだろうか?イヴが女性に見えるだろうか?という心配はありました。ウォーリーに「ぼく」と言わせて、イブに「わたし」と言わせれば、簡単に男と女の説明ができますが、ピクサーはそれを避けた。私はこの時点でピクサーは理想主義者だと思った。彼らは観客に大きな期待をかけていた。物語が進むにつれて、2機のロボットを見事に「男」と「女」として、観客に想像させることに成功した。私はこれほど観客の「想像力」に大胆に挑戦した作品を他に知らない。愛する恋人に甘い言葉をささやくシーンもなければ、もちろんセックスシーンもない。でもこれは紛れもない恋愛。「ある男」が愛する女性の手をつなぐために命をかけた壮絶な愛の物語。この映画の純愛を観たらヨン様も裸足で逃げだすでしょう。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-25 23:44:03)(良:2票)
0304.66%
1426.52%
2172.64%
3324.97%
4132.02%
5426.52%
6477.30%
710716.61%
811417.70%
913721.27%
10639.78%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS