21. ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密
《ネタバレ》 この映画、場所がアメリカなわけですが、アガサクリスティの雰囲気を醸し出すために英国のマナーハウスっぽい感じの館を舞台に、イギリス人俳優のダニエルを配したんだろうなと感じる。 テンポが良く、ダニエルも芝居じみたいやらしい感じの話し方がグッときたし、一族同士の骨肉の争いもシンプルで愉快。 お金持ちのお爺ちゃんは、自分の遺産をまるごと専属看護婦に譲渡したわけですが、 「そんなの絶対に認めないッ!この家だって私達のものよ!!」って必死になってる一族たちが邸宅の玄関の外に集合しているその玄関の上の二階のバルコニーに立っていた看護婦の姉ちゃんが ”My House” と書かれているカップを手にしてい彼らを見下ろしているあたり、なんとシャレたオチだろうとクスッと笑えた。 クリストファー・プラマーは今年お亡くなりになってしまったけれど、 この映画では精一杯生きて遺産を遺して死んだように 彼も映画界で背一杯生きて数々の名作という作品を遺して、天寿を全うできてめでたしめでたしだと思う。 [インターネット(字幕)] 9点(2021-02-26 08:23:21)(良:1票) |
22. ザ・テキサス・レンジャーズ(2019)
《ネタバレ》 「俺たちに明日はない」のボニー&クライドを、追跡する側視点バージョン。 当時のハイテク機器を使っている警察でも見つけられない彼らを、 テキサスレンジャーは、野生のカンで追い詰める。 若い警察たちより、走るだけでゼイゼイしちゃうおじちゃん2人組の方が、もっと凄いんだ!!! それだけで痛快。 ボニー&クライドも、写真で残っている本人たちにファッションもうまく寄せた上で、あえて彼らに過剰なセリフを与えていないところも好印象。 最終的には、ボニー&クライドは車道でハチの巣にされちゃうんだって、オチは分かっていても、それまでのテキサスレンジャー二人の心の触れあいが丁寧に描かれていて、それを辿っていくのも心地よい。 ラストシーンは、長い長いハイウェイを走るテキサスレンジャー二人の車。 ラストでこうやって、去り行く車を映すのはよくあるパターンなのだが、この映画では 道の途中で車が止まる。 そして二人がドアを開けて出てきて、互いの座席を変えてまた車に入って走り出す。 つまり、運転を変わっていたのだ。 年よりだから疲れちゃうので、こうして交代したのかな…とか 最初はつっけんどん同士だった二人が、ボニー&クライドの追跡の中でお互いを思いやれるほど心が通い合ってきたんだな…とか 再び走り出す車を見ながら感慨深くなる、とてもいいラストシーンだった。 キャシーベイツは、自分の立場の見栄えだけ気にする権力者然とした権力者を演じていて◎ ちなみに日本語タイトルはテキサスレンジャーの活躍を描いたのでこうなっちゃったんだろうけれど もともとの”Highwaymen”のほうが、らしいのに、って思う。 世間的にはボニー&クライド追跡時は 「我々はテキサスレンジャーですッ!」 って堂々として活躍することはできず、”交通係”的な安直な肩書で仕事をさせられていた、日陰の存在にスポットライトをあてた作品なのだから。 [インターネット(字幕)] 8点(2021-02-24 22:52:55) |
23. ゴーン・ガール
《ネタバレ》 話しが進むにつれて 「妻がダンナを犯罪者に仕立て上げてハメるための偽装工作じゃねえか! 」 ってなって 「だったらダンナはかわいそうだな・・・ 」 ってなったと思ったら 「ダンナは浮気してたんじゃねえか! 」 っとなって 「だったらケンカ両成敗だな・・・ 」 ってなって 終盤になってくるとこれはもう 『ゴジラVSキングギドラ』的な、どっちもどっちでどっちもヤバイみたいな、やばいもん同士の戦いという様相になっていくわけなのだが それはそれで面白かったと思う。 善VS悪ではなく サイコ悪(妻)VS世俗悪(ダンナ) という図式は、それなりに新鮮であった。 だが、この映画の脚本がアウトだったのは 妻の浮気夫への復讐が、偽装工作(穴だらけで超へたくそ)をして失踪し、夫を殺人犯として逮捕させて、最後は死刑にさせる(ひょっとしたら死刑にならないかもしれないのに)というかなり面倒くさい遠回りな復讐方法であったことだと思う。 「彼女はそういう面倒くさい復讐方法をするひとなんです」 って言われたらそれまでなのだが 脳内短距離スプリンターな私(つまりまどろっこしいのは苦手)からすると 「どうせバレる偽装工作して詐欺罪で捕まるようなリスクをおかすより、家も車も浮気夫の妹のバーの名義もぜんぶ妻名義なのであれば、名義人の特権をいかして全部売却しちゃって、家ナシ車ナシのスッテンテンにして追い出しちゃえば、そのほうが簡単・確実かつ即効性のある夫への一番の復讐になるんじゃないの」 としか思えなかったのだ。 ラストシーンも、夫か妻のどちらかがどちらかを殺すとか、白黒ハッキリさせて終わることなく 「これからこの夫婦どうなるだろうね~」 というモヤっとした終わらせ方であったが、こういう”後の事は観客に丸投げ方式”は、制作側にとって無難かつ手抜き(なのになんか思わせぶりで秀逸な終わらせかたに見せられる)な終わらせ方だとあえて言わせていただきたい フィンチャー監督作品は、「セブン」「エイリアン3」「ベンジャミンバトン」「パニックルーム」など好きなものも多いが、この「ゴーンガール」「ゾディアック」「ゲーム」など、おもいっきり私としては落第点な映画もあり、明暗のギャップがかなり激しい。 ということは、これはもう監督がワルイのではなく、とりあげる作品のネタがワルイとしたほうがいいのかもしれない。 ゴーンガールは映像やテンポはとてもよかったので、うん、きっとそうだ、ネタが問題ということにしておく。 [CS・衛星(字幕)] 2点(2021-02-19 09:07:54)(良:1票) |
24. オール・ユー・ニード・イズ・キル
《ネタバレ》 エミリーブラントは「メリーポピンズ・リターンズ」とか「プラダを着た悪魔」みたいに、華やかなお洋服も着こなせるのに、今作や「ボーダーライン」みたいに土で薄汚れた女兵士も演じられるのが魅力。 ルーブル美術館での最後の自爆攻撃で、エミリーブラントとトム・クルーズが死んじゃって「ああああ…」ってなったけど まさかのハッピーエンドでトムの白い歯が輝く笑顔が見られて幸いです笑 調子のよすぎる展開だけど、この主役の二人が輝きすぎて、いろいろ許せてしまう。 ちなみにルーブルでエミリーがトムに「あなたをもっと知りたかった」と言ってチュってするのは、とっさのエミリーのアドリブだったそう。 トムは「キャラ的にキスする女じゃないから撮り直そう」って言ったそうだけど、このままでGOっていうスタッフの意見が多数だったとか。私はGO派だったので、これも幸い。 ライトノベルらしい、ライトなストーリー展開で、ライトに軽く見られる映画ですね。 [DVD(字幕)] 7点(2021-01-18 17:14:00) |
25. リメンバー・ミー(2017)
《ネタバレ》 「ありきたり」?「先が読める」?「子供向け」? …この映画の表層しか見えない人は不運である。 この映画のメイン・メッセージは ”あなたはこの世で今、人に愛される生き方をしていますか?” これ1つ。 皆 自分を振り返れば、自己中心的で、人を傷つけ、陥れ、騙し・・少なからず人に愛されない事をしてきたはず。 そして、そうされた人達は加害者を嫌悪し、縁が切れれば記憶からも消されていく。 この映画で描かれる死生観 <この世で忘れ去られたら あの世でFinal Death(最後の死)を迎える=あとかたもなく消える> が与える「自分を見つめ直し 与えられた一生を人に愛される日々で送ってみては?」という人生ヒントを 映画を通して受け取れるかどうか? それがこの映画への評価の分かれ目だろう。 ★ ヘクターは音楽も家族も大事にした人。(音楽の為に家を出たが、ココへの歌を手紙で何度も送り続け、最後は家に戻り家族の為に音楽を続ける道を選んだ事から分かる。) このキャラはディズニーのスタッフ達が自分達そのものとして、家族や自分を支えてくれた人達への感謝と自負を込め作ったのだろう。スタッフ達は仕事に忙殺され家族との時間をすり減らせている。 でも仕事か家庭かで一方しか選ばないのではなく、両方大切にする彼ら。 オスカー受賞者はよくスピーチで「私を支えてくれた父(母)に感謝」「私を支えてくれた妻(夫)と子供達に感謝」と語る。まさにそれこそ”仕事と家庭どちらも大切にする事”が可能である事を示している。 きっとスタッフ達も 仕事が忙しくても家族へSNSで連絡したり繋がりを保つ事を忘れない。夢の為に娘の傍にいられなくても、歌を手紙と共に贈り続けたヘクターのように。 家族に愛され、そして創作者として人々にも愛され続け、忘れ去られる事がないヘクターは、ディズニーのスタッフそのものだ。 「君達も、家庭か仕事(夢)か?ではなく、愛と工夫があればどちらも大切にできるよ。家族にも家族以外にも、自己中心的になって傷つけたり騙したりするのはやめて愛する事を始めてみては?」 この映画は子供だけでなく、大人にこそ心の奥深くに語りかけてくる作品だ。 ★ ちなみにママイメルダはヘクターを決して嫌っていてはいない。ママココが本の間に彼からの手紙と写真をとっておけた事で分かる。本当に憎んでたら、彼が娘に手紙を出しても、娘に渡さず破り捨てていたはず。怒りにまかせ破り捨てた彼の顔写真も、娘が拾ってとっておこうと見つけ次第燃やしていたはず。でもそれをせず彼が娘の元に戻る事を本当は願っていた。そして彼女自身も自分の元に戻ってきてくれる事を本当は願い続けていた。 二人の愛ゆえに手紙が残り、そのおかげで、あの世で彼が消えかけたままミゲルがこの世に戻った後、手紙(歌を記した日付が、ニセ歌手が名曲の数々を発表した日付より前なので、ヘクターが真の作曲者だと分かる証拠)により、ヘクターが真の作曲者として、家族だけでなく町中の人々に語り継がれ、あの世で消える事もないというハッピーエンドになめらかに繋がる。この流れがなんとも美しい。 さらにいえばママイメルダとママココからの愛により顔写真も現存し、祭壇に飾ることができたからこそ、ヘクターが死者の日にこの世へ行けるという、すぐさま追撃のハッピーエンド。 あれほど父に逢いたがっていたママココが彼を忘れるわけはないのに、彼が消えかけるという展開を<ママココの死期が迫っているから>という自然な形で描きつつ、死の間際にミゲルのギターと歌により彼女が覚醒し、ママココが家族達にようやくヘクターの物語を心置きなくカミングアウトできる幸せを経て死ぬという人生のハッピーエンドの末、あの世ではようやく家族3人が再会という、最後の数分でイッキにたたみかけてくるママココ視点の見事なハッピーエンドへの持ち込み方も完璧ではないか。 そしてミゲル視点でも、家族への愛情と夢(音楽)のどちらかではなく、両方を実現できるようになったという、これでもかこれでもか!というハッピーエンドの連打。完全にノックアウトだった。 ★ ところで私はミゲルの先祖がヘクターだとは全く読めなかったが、中2の娘は、ヘクターが<最後の死>を迎えかけた友の為にギターで弾き語る場面で「あ、ヘクターが先祖だなって読めた」なんて、ニヤニヤと得意顔で言ったので「だったら鑑賞代の半分しか楽しめなかったんだねぇ~」なんて嫌味を言うと 「でも、ミゲルがこの世に戻る直前、消えかけているヘクターに初めて『パパヘクター!』って言ったとき、号泣した」 ・・・・やっぱりディズニー、おそるべし。 [試写会(字幕)] 10点(2021-01-04 10:07:35)(良:6票) |
26. グレイテスト・ショーマン
《ネタバレ》 映画の主人公が、すべて善人とは限らない。バーナムとてしかりで、最初からバーナムを ”見世物小屋をサーカスにしただけの、結局はフリークスを利用して金儲けをした男” つまり、クズ野郎として鑑賞すれば 「よーし、クズ野郎の顛末を見てやろうじゃねえか!」 と、潔ぎよい気持ちで見ることができるだろう。 英国でバーナムが女王に謁見した際のパーティーに、一緒に参加したがっていたフリークスたちを追い出してドアをバタンと閉じて締め出した場面など 「おお!これぞまさにクズ男の真骨頂!」 と拍手すらしたくなるはずだ。 ところで、心に刺さる映画に必ずあるものの一つに主人公の”心の葛藤”があるが、主人公はそのクズっぷりにふさわしく、今作ではこの”心の葛藤”が見事なまでにズボっと抜け落ちている。 たとえば同じくフリークスを扱った映画「エレファント・マン」では、ジョン・メリックを見世物小屋から病院に引き取った医師は、彼のためを思って上流社会の人たちとの交流を彼に薦め、実際ジョンもつかの間の幸せの時を味わっていたが ある日医師は、暗い部屋で妻に「僕は、ジョンを利用していただけかもしれない。偽善なのか。僕は最低な男なんじゃないか」と、心の葛藤を打ち明ける。 この場面がもし「エレファントマン」になかったら?心に刺さる映画にはなりえなかっただろう。 もう一例挙げるなら「シンドラーのリスト」。この映画では、単に金儲けのために安いユダヤ人を雇っただけなのに、結果的にユダヤ人をホロコースト送りから救い出すことになった事に、主人公が気づかされるにつれ、心の葛藤を抱く描写画面が何度も出てくる。 どちらも「私がしていることは善か?偽善か?」と、心の葛藤で悩む姿があってこそ作品として心を揺さぶるのだ。 しかしバーナムは、フリークスを雇っている事についての心の葛藤は一切ない。 お悩みは 「上流階級に認められてぇえ~~!」 であり 「妻子を幸せにしてやれる世帯主になりてえぇえ~~!!」 だけなのである。 フリークスも、美人 オペラ歌手も、彼にとってはそうしたお悩み解決のためのツールでしかない。 サーカスのテントが火事で焼失した後、フリークス達が「ここが私達の家なんだ!再建してくれ!」とバーナムに懇願したが、その時点でもバーナムの頭の中心にあるのは 「妻子を幸せにするカッコいい世帯主になりてえぇ~~!!」 だ。 再建はフリークスのためではなく、フリークスに対する義理を果たして、さっさと家族関係を再建したいだけなのである。 テントを再建したら即フィリップに全部まる投げし、ゾウさんに乗ってド派手な演出で家族の元にゴー!とか、クズ男は、実に、最後の最後までクズなのである。なんとも痛快なクズ物語! そして、そんなクズなストーリーを華やかに彩るのが、素晴らしい音楽とダンス!! 何を隠そう、ザック・エフロンが大好きな私である。 「ハイスクールミュージカル」シリーズや「ヘアスプレー」では、ピッチピチの彼の歌と踊りに心沸き立ち「将来このまま、もっとのびる!」と期待していたのに、その後のびるどころか全く話題作に恵まれず、すっかり落ち込んでいた矢先に、久々にミュージカル映画で登壇! やはりザックは歌い踊ってこそ輝く俳優だと改めて思った。 バーでの「The Other Side」といい、ゼンデイヤとの「Rewrite The Stars」といい、期待以上の素晴らしさ。20代の頃より、声もずっと太く、ついでに顔と体も太くなっていたが、やはりオーラは健在だ。 そしてゼンデイヤといえば、娘が昔見ていたディズニーチャンネルのティーン向けドラマ「シェキラ!」に出ていたこともあり、彼女にも親近感も持ちながら楽しむこともできた。 ぶっちゃけ、ストーリーはクズいし、予告でサーカスシーンがてんこ盛りだからシルクドュソレイユみたいなエンタメが楽しめるかと期待したのに、迫力あるサーカス場面の割合はめちゃくちゃ少ない(予告編の場面がほぼすべてw)しで、評価できる部分が少なくて0点を付けたいところだけど、ザックの復活を祝して3点献上。 あと、アカデミー賞にノミネートされ舞台でのパフォーマンスの場まで作ってもらっていたのにオスカーを逃したキアラ・セトルの「This is Me」も、私にはそこまでグサっとは刺さらなかった。 たぶん、彼女が歌っている最中ずーっと心の中で 「そんなにヒゲがイヤなら、剃っちゃえばいいじゃん・・・」 って思って気が散っていたせい。 [映画館(字幕)] 3点(2020-11-20 08:35:33)(笑:1票) (良:2票) |
27. アメリカン・ハッスル
《ネタバレ》 2013年にこの映画の存在を知った時から、エイミーアダムスの”ノーブラおっぱい半見えブラウス”が気になる作品でした。 あれから7年、ようやく鑑賞。(ノーブラおっぱい半見えブラウスも) この作品の中で胸糞悪いキャラナンバー1は、ジェニファー・ローレンス。 ベイルの電話を盗み聞きするは、出しゃばってベイルの仕事を計画していない方へ持ってくは、子供を人質にしてベイルを縛りつけて離婚にも応じないは(この子供を利用して自分の立場を守るあたりが特に胸糞悪い)、エイミーアダムスに勝ち組アピールするは、(そのくせ完全な勝ち組でもないことを分かっているから浮気するは)、浮気相手に大事な情報もらして夫の命を危険にさらすは…とんでもないアバズレ女。 それに対して、エイミーアダムスの純粋なこと…。 ダメダメ男のベイルに尽くし、計画的にクーパーに惚れてる演技して再三体を求められたって、どんなに演技のためとはいえそこだけは絶対断るほど貞節だし(強引に襲われたときは出生の秘密を明かすみたいな形で相手を興ざめにさせて操を守ったし)。 おとり作戦に参加するにあたっては、何かあったら一緒に逃げるBプランも用意しようと、二人の未来もしっかり想定する賢さも相当だけれど、「でも息子ガー」とウジウジするベイルに「息子さんも一緒で逃げるのよ」と、会ったこともない彼氏の子供も愛する覚悟ができているその愛情と包容力たるや、もう女神。 (まぁその二人にはさまれて、息子可愛さになかなかハッキリすっきり(離婚に応じない妻には別居しかないのに普通に帰宅しちゃう)してくれないベイルも結構イライラしますが。) でも最終的には、ジェニファーがマフィア男に惚れこまれて離婚に応じてくれたので、泥沼にならずに非常に良い展開。 (浮気相手の女性に嫉妬して、離婚して二人を幸せにさせてなるものかと意地でも離婚に応じないたちの悪い妻には、他の男を与えないと話が進みませんよねやっぱり。) そしてベイルとエイミーは一緒に暮らしてめでたしめでたし… (どうやら息子とも暮らせてるようで、元妻は2週に1度の面会権って感じのようです) ぶっちゃけ、品も聡明さもなく着飾ることしか能のない口の悪い出来損ないのゲスな実の母より、賢くて誠実で愛情あふれるエイミーのほうが、息子にとっても生育環境はずっと良いので、めでたし要素がいっぱいなのが痛快!! その他のキャラを見ても、ブラッドリー演じる身勝手な刑事は、手柄をほめてもらえず、 善人だけど州民のためならルール違反も犯すことウッカリ罠にはまっちゃったジェレミーは逮捕されても減刑。 それぞれ相応なオチになっていたと思います。 (200万が警察から振り込まれた先がデニーロの口座じゃなくてベイルの口座だったことは、エイミーがあの送金係の女性を仲間にしていたおかげだと思うと、ジェレミーに禊を済ませることができたのもエイミーのおかげなわけで、ホント、エイミー、女神。 関係を公にしづらい男女の話は、バッドエンドが多いので個人的に貴重な八ッピーエンドの作品リストを作っているのですが (たとえば「〇〇〇・〇ッ〇〇」とか「ヴェ〇〇〇〇の〇〇〇〇」とか)この作品も新規追加にします。 ちなみに、実話をもとにした作品とはいえ、ジェニファー演じた妻は実際は当時50歳で、マスコミに詐欺で稼いだ金で暮らす女として報道されて翌年自殺したとか。 聡明なビジネスパートナーのエイミー演じた女性も、詐欺のことは知らなかったとか。 それだとドラマ性がないので、大胆に脚色してハッピーエンドにしたのは大成功だと思います。 [インターネット(字幕)] 7点(2020-10-30 17:46:48) |
28. パラサイト 半地下の家族
《ネタバレ》 この展開、読める人間はゼロだろう。 特に金持ちの家の地下に、元家政婦の旦那が住んでたっていう展開。 アカデミーの作品賞を取る作品ってだいたいタイプが同じだけれど、アカデミー会員に多様性を持たせたせいで、同じタイプの作品が選ばれず、単純に「このストーリー読めねぇ!すげえ!」って思わせたものがとる時代になったようです。 その時代に作られて見事作品賞をとったこの映画。 金持ちの息子が以前誕生日の夜に、地下に住んでたその男の姿を見てしまって幽霊だと思って気絶し、そのトラウマで家でパーティーを開くことができなかったというのに、ようやくトラウマを克服して庭でパーティーをやったら、またその男が発端となった殺傷事件を目の当たりにして気絶し新たなトラウマ発生…という、クスッと笑わせることも忘れない。 元家政婦がやっていた北朝鮮の女性アナウンサーを真似る場面は、北朝鮮嫌いなアカデミー会員に万人受けしたことだろう。 すったもんだがあった挙句、貧乏家族の長男が描く未来の夢は心が洗われる。 「計画しないほうが、計画をして失敗することもないから、計画しないほうが成功する」っていう意味ワカメなことを言うおとっつぁんに対して 「お父さん、僕は計画を立てました」と心の中で話はじめる長男の姿は、頼もしさを感じさせる。 ”実現にどんなに時がかかろうとも、夢を持ち続けるのは大事…。” アカデミー賞でオスカーをゲットした人たちが壇上でよく言うこの言葉が、この映画のメッセージなのだ。 [インターネット(字幕)] 8点(2020-10-30 15:05:34) |
29. マレフィセント
《ネタバレ》 製作総指揮がアンジェリーナ・ジョリーということで 自分が産んだ子ではない子もわが子のように育てているアンジーとして 「自分の子じゃなくても母性は生まれるし真実の愛を与えることができるのよ」 という主張をサブリミナル信号で送ってきている作品。(多分) ステファンがマレのことを刺し殺そうとしたけど、できなくてトドメをさせなかったことで、アンジーは闇に落ちた。 一方マレもステファンを最後は塔の上まで追い詰めたもののトドメをさせなかったことで、ステファンは塔から落ちた。 つまり、お互いに、殺すところまではできなかったことで、”お互いに落ちました”というオチもうまい。 お姫様を助けるのは王子ではなくそれ以外の女性…という設定は「アナ雪」と同じなわけだが、 女が男化し、”男頼りのハッピーエンドなんて時代じゃねぇ”という世相を受けて、おそらく今後のディズニー映画では男女の恋愛モノを扱った場合でも最後に女を助けるのは女というスタイルが定番化するのだろうか? それはさておき、この映画を見て「マレフィセントを見る目が変わった」と思う人も少なくないと思うが、 英国俳優が演じたカラス坊がワイルドでステキすぎて、カラスを見る目が変わったのは私だけだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2020-10-18 08:58:42)(良:2票) |
30. とらわれて夏
《ネタバレ》 アデルとヘンリーは母子相姦にでもなりそうなほど支え合っている関係。 ひょっとしてフランクが二人の前に現れなかったら、このまま二人は依存し合い、世間から離れてふたりきり引きこもりの日々になり、ヘンリーも自立したり家族を持つことができず、年老いた母とその年金をあてにして生きる独り身の息子…という未来もあり得ただろう。 そこへ、フランクが現れた。 アデルは愛息ヘンリー一筋だったが、もう一度人生をやり直す相手に出会え、希望に輝き出す。 しかし、ここでかわいそうなのはヘンリー。 父親のように感じられたフランクが、恋人のように大切にしていた母を奪う相手…という葛藤。 ラブラブな二人に、自分は捨てられるのでは…という不安。 そして自分は決して踏み込みうることのない母の性的な部分に、フランクはあっけなく入り込み、夜になると”リズム”を刻んでるのだ…という、思春期ならではの悶々とした思い。 ぶっちゃけ、フランクとアデルは自分ら都合で息子を彼らの逃避行の道ずれにして、学校の初日に授業に出させなかったり、いきなり転校させたり、アデルがやってることは児童虐待案件である。 ヘンリーは普通ならグレちゃいそうな酷い扱いだ。 でも、フランクが現れたおかげで、アデルは彼が服役中もずっと待ち続けていた姿を見てヘンリーはそんな母の様子に諦めをつけられた。 父親のもとで育ち、どうやらパートナーにも恵まれ、フランク仕込みのパイを作るシェフにもなって自立できた。 ヘンリーにとって、こういう展開でしか、乳離れはできなかったのだ。 そして十数年を経てアデルのもとにもフランクが戻り、この母子はハッピーエンドを迎える。 時間と悲しみは費やされたが、フランクのおかげで、母子の本来あるべき姿になれたといううまいオチだと私は思う。 (ちなみに、序盤で母子がスーパーに出かけた時、ハラボテの女性が映っていた時、私はなんか引っかかるものがあった。 なぜここでハラボテ女? でも、それは伏線だったわけですね。) 少年時代のヘンリ―役の子は実にお顔といい表情といい適役。 母親を大切にするマザコンフェイス、基本的にノーが言えない弱気そうな眉と目元、彼が息子役ではなかったら、点数も下がっていたと言ってもいいくらいの逸材だ。 [インターネット(字幕)] 9点(2020-10-05 12:57:51) |
31. インターステラー
《ネタバレ》 娘の部屋の本棚にある本の奥はブラックホールの中でしたってのは、のび太君の部屋の机にある引き出しの向こうはタイムマシンでしたっていうのと同じくらい、奇想天外な世界観。 本棚の裏からトンツートントンツーも面白かったが、それ以外に面白かったパートは2つ。 マット・ディモンが来ていた星は住めない星なのに、無駄に信号を送って呼び寄せたあげく、マコノヒーを殺して生き延びようとするという、まさかの展開と NASAの偉い人による「ゴメン…住める星なんてないんだ」発言からの、ラストでアンハサウェイがたどりついた星でヘルメット脱いで普通に呼吸しちゃって重力も通常な感じでトコトコ歩いてるっていう「えっ…ここに住めるやん笑」というまさかの展開である。 ただ、地球を救う系の作品って、小惑星がドーン!とか派手な理由が多いが、こちらは地球環境変化というリアルな理由で、年を追うごとに悪くなる一方…ってところは、昨今の海水温度の上昇で日本列島に強烈な破壊力の台風が必ず規模の大きさを毎年更新しながらやってくる…っていういやぁな現実と重なって、地味に暗い気持ちにはなる。 とはいえ、地球救済映画は、だいたいにおいて主人公は死ぬのだけど、この映画では死なないっていうところはスゴイ。 娘はおばあちゃんになったがギリギリ生きててマコノヒーと再会できちゃったし。 アンハサウェイに至っては、成り行きでカレシが先に行っていた星でカレシと再会できてるっていうオチだったし、しかも立派ななコロニーまでちゃっかり出来てる景色のシーンを見せて終わるものだから、ここまでハッピーエンド祭りな地球救済映画はなかなかないと思う。 [DVD(字幕)] 7点(2020-09-27 18:15:40) |
32. イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
《ネタバレ》 中学時代に母親にシネスイッチ銀座へ連行されてイギリスのホモ映画「モーリス」を見て以来、イギリス人のホモ文化には違和感のない私。 いやそれ以前に、小学生からリアルタイムファンだったボーイジョージもジョージマイケルも同性愛だったし(ファンとまではいかないがクイーンのフレディもエルトンジョンもそうだし)大学の卒論でとりあげた英文学者モームも同性愛(厳密に言えば両性愛だが)だし(ついでにオスカー・ワイルドも同性愛だし、「モーリス」書いたE.M.フォースターも同性愛だし)とにかくイギリスは同性愛者で成り立ってるんじゃないのかとさえ思うほどにイギリスの同性愛に違和感のない私。 そんな私から見ると、この映画は、”叶わぬ初恋を引きずり、亡き恋の相手の後を追ったホモ男の生涯”という見方もできる。 学校で初恋をした、暗号が得意な男子生徒クリストファーは心打ち明ける前に病死 ↓ そのトラウマを引きずりながら大人になると、手がけた暗号解読マシンに亡き初恋のクリストファーと名づけ彼の幻影を復活させる ↓ 戦後にそのマシンが極秘作戦の証拠として残らぬよう破壊を命じられたが「ボクのクリストファーを殺さないで!」と言わんばかりにコッソリ自宅保管 ↓ ホモ有罪判決を受け「服役で部屋にいるクリストファー(というマシン)と離れるのイヤ!」と言わんばかりに、服役代わりのホルモン治療の刑を受け入れる。 ↓ でもやっぱりホルモン療法で同性愛癖が消されたとして、それでクリストファーへの想いまで消えてしまうなら、「今クリストファー(というマシン)と共に命を絶つほうがマシ!」と言わんばかりに自殺し、天国にいるクリストファーのもとへ昇天 といった流れである。 この物語は 「へー、エニグマ解読マシンてのがあったんだー」 「へー、開発して有効利用されるまで紆余曲折があったんだー」 という表面的な”しらなかったー”、”おもしろかったー”だけではすまさせない、開発者が同性愛であるがゆえの、もうヒトヒネリなドラマ性が、単調で終わらない面白さを生み出していると思う。 この映画がただの暗号解読マシン開発者の奮闘話だったら5点だったけれど、同性愛要素が入ってひねりがきいていたので7点である。 ちなみに映画冒頭で盗難にあった彼の部屋で彼が青酸カリを掃除してる場面があったので、ひょっとして自殺は青酸カリかな?と思って調べてみると興味深いことにやはり青酸カリで、しかもベッド脇にかじりかけのリンゴがあったことや、彼が「白雪姫」の毒リンゴを模した自殺をほのめかしていたことから、リンゴに塗った青酸化合物を口にしたのではという分析があるらしい。 とすれば、彼は同性愛の男としては”女役”(同性愛でもやはり男役と女役の役割分担がある)として、自分をいじめから守ってくれた”男役”クリストファーを愛していたのだろう。 「リンゴをかじって死んで、次に目覚めたときには目の前に王子様(クリストファー)がいるはずだわ」なんて、乙女な思考だったに違いない。 アランはリンゴを口にする前に、暗号解読マシン(クリストファー)にそっと最初で最後のキスをしちゃってたかもしれない。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-23 11:35:17)(良:1票) |
33. アラジン(2019)
《ネタバレ》 ディズニーってほんと、女性の地位向上のごり押しがうざいんです。 スターウォーズの7以降はディズニーが権利買って仕切ってますが、男性の騎士(ナイト)とお姫様を守る(アミダラ姫やレイア姫)というルーカスが作り上げた古き良きお伽話の形式美をぶっ壊してくれちゃって、主人公がコ汚い女性に置き換えてしまったように。 「アラジン」でのジャスミンは、冒頭から 「私、王様になれるようにいろいろ勉強してきたの!お父様の後を継げるわ!」 と、強気アピール。 イヤな予感がしましたが、案の定、オリジナルにはない 「私は男に屈しない~!!負けない~!!」 みたいなテンションの歌まで挿入される始末。 オリジナルでは、王様がジャスミンとアラジンの結婚を許す形だったのが、王様がジャスミンに王位をゆずって、自分で法律を「王族じゃなくても結婚できる」に変えて、アラジンと結婚しなさいみたいな展開。 私は女性蔑視ではない。 でも、オリジナルのジャスミンは、好きな人と結婚したい、もっと世界を見たい…そんな、ツンデレのチャーミングなキャラ。 実写版は、いちいちディズニーごり押しの女性の地位向上というメッセージ性が頭にひっかかってきて、集中できなかった。 まぁ、これでアカデミー賞の何かの部門を狙ってるなら、女性の地位向上を目指しているアカデミーに受け入れやすくしてるのかもしれないとは思ったわけですが。 でもウィル・スミスを使ってる時点でアカデミー賞は無理だと分かってたんじゃないかな。 黒人差別を訴えて、夫婦そろって授賞式のボイコットを呼びかけた張本人だから、ブラックリストに入ってるから。 (ブラックな黒人なだけに) 案の定ディズニーの実写だと「ライオン・キング」や「マレフィセント2」はノミネートされたけれど、「アラジン」はノミネートすらなかった。 ※私個人はウィルのジーニーは気に入ってるし黒人差別も反対だが、ボイコットはやり過ぎだったな…。 [インターネット(字幕)] 5点(2020-09-19 08:59:10)(良:1票) |
34. 1917 命をかけた伝令
《ネタバレ》 長廻しは面白いが、内容は普通っていう意見をしてる人が、なぜ6点以上の点数をつけてるのか謎… 現時点で7点になっていますが、いやいや、こちらのレビューサイトは7点ももらったら相当傑作の部類ってことなんですから、へたに高得点あげるのやめてほしいです。点数を参考にして見るか見ないか決める人たちもいるんですから。 さて本題。 長回し撮影がこの映画のウリなのだが、実際に見てみると、シューティング・ゲームをやってるみたいな感覚になってしまった。 撃ったり撃たれたりすながら進むにしたがって場面はずっと続いて、ときどきドラマっぽいことも入れてきたりして、そういう全てのものがゲームっぽい。 「バードマン」のように、戦争モノでなければいいのだろうけれど、目的地に向かって道に迷いながら進むとか、どこから敵が襲ってくるか分からないとか、迷路のような戦地とか、そういうすべてのものが、ゲームに求められている要素なので、それを全部包括しているこの映画は、ただのゲームに見えてしまった。 たとえば「戦火の馬」のように、馬をめぐる幾人もの人達のストーリーがあるわけでもなく、ただただ、戦地で起こりそうなよくあること(泥道でトラックがハマるとか、危なっかしい橋を渡るとか、戦友が死ぬとか)をつなぎあわせて、”ミッション”をクリアするのを見ているだけの映画は、正直退屈だった。 ゲーム好きならそれなりに没入感があったかもしれないが、ゲームに興味がないというかむしろ好きじゃない私にとっては、冗長な作品でしかなかった。 [インターネット(字幕)] 1点(2020-09-16 08:16:29) |
35. バイオハザードV リトリビューション
1から5まで見てきてだんだん分かってきた。 バイオシリーズは、ミラジョボの夫でバイオハザード全作に監督なり脚本なり製作なりで必ず関わってきたポールが、 「もし愛しいわが妻をマトリックス風ヒロインにしたら?」(バイオ4) 「もし美しいわが妻をマッドマックス風ヒロインにしたら?」(バイオ2) 「ボクの赤ちゃんを産んでくれてママ業もがんばってるわが妻を、母性をテーマにしたエイリアン2風ヒロインにしたら?」(バイオ5)という、きわめてパーソナルな願望を莫大な費用とスタッフを投入して実現してきた、壮大な”夫によるミラジョボ映像集”なのである。 彼にとっては、妻の映像をとることが目的なのだから、ストーリーのつじつまなんぞどうでもいいのである。 妻がだんだん劣化していっても、夫にとっては「腐っても鯛」なのである。 彼の価値は、ミラジョボへの深い愛だけだ。 離婚を2回繰り返し、夫に恵まれなかったミラジョボが、はじめて”おしどり夫婦”となり2人の子供までもうけることができたのも、ポールのおかげだ。 そしてそんな夫婦愛から生まれた”夫婦の共同制作品”であるバイオシリーズは、彼らの子供であると言える。 我々は新作を届けられるたびに、内容どうこうではなく、 「そうか、また○人目のお子さんが生まれたんだね。おめでとう」 と、素直に受け止めるだけでいいのだ。 もう誰もミラ&ポールの<自己満足型ミラ映像集>の暴走を止めることはできない。 隠れファンの多いレインをつまんない死に方で終了させたり、バイオ3でタバコを一服して笑顔でドカンというせっかくカッコイイ死に方で終了させたカルロスをあえてクローンで復活させておいて即ゾンビに捕らわせて醜いゾンビにさせちゃうのも、ポールに悪気はない。ひとえに 「主役はボクの妻だから、他のキャラはどうでもいいし」 というポールの妻に対する盲目的で一途な愛のあらわれに他ならない。 序盤でウェスカーが「人類破滅の危機だ!!」と言っていたが、その直後に 「アンブレラ社は、NYでのバイオハザード映像をロシアに売り込み、東京のバイオハザード映像を中国に売り込むのダ♪」 とか言っている時点で、周囲のスタッフが 「ポールさん、人類滅亡が迫ってるのに、ゾンビ使って商売って…その設定きつすぎやしませんか?」 と、ポールの暴走を止められないことの方が、人類滅亡より危機レベルが高いことに間違いない。 バイオシリーズで一番危険なのは、ゾンビでもなくリッカーなどのクリーチャーでもなく、そう、ミラ&ポールだったのだ。 子供にいろんな色のお洋服を着せたがる親ばかのように、1では地下の企業内だけの話が、2では外に飛び出し暗い街中が舞台となり 、3では逆に太陽ギラギラの暑い砂漠にしてみたかと思えば、4ではマトリックス風な無機質な世界もおりまぜ、5では冷たい氷水の中…と、ミラにいろんなシチュエーションで演技してもらって、それを映像に残す。 ポールの妻ばかっぷり、嫌いじゃないな。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-09-15 14:05:24) |
36. モネ・ゲーム
《ネタバレ》 イギリスが舞台、イギリス人俳優、格調高き絵画取引の世界、そして贋作をめぐる騒動・・・その情報だけみれば、私好みの要素だらけだった。 しかし、期待は大ハズレ。 セクシーとは程遠いアラフォー・ディアスの下着姿といい、ホテルの宿泊客のおばさんのオナラといい、アイアンの鉄柵にささるディーンの尻と、パンツ姿といい、バカっぽい日本語通訳師といい、何からなにまで、くだらない。1度も笑えない。 そんなネタを並べたてて客を笑わせることができると思ってるとしたら、コーエン兄弟は、いろんな意味で終わってる。 [CS・衛星(字幕)] 1点(2020-09-08 11:49:22) |
37. 日本のいちばん長い日(2015)
監督がこの映画公開にあたってのインタビューで、昭和天皇のことを 「監督という最高権力者でも宣伝部が作るポスターに口出しできないのと同じなんですよ」 と言っていて驚愕した。 命の生死を判断する国家権力者と、映画監督と、同じ土俵に上げるのは、戦争で亡くなった方々への冒涜行為だと思う。 「若い世代は戦争を学ぶ事を放棄している部分がある」とも言っていたが、それで作ったのが、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』に対しての反論映画というわけで、自慰映画というふうにしか見えなかった。 本気で若い世代に戦争を学ぶことを放棄させないために映画を作るなら、天皇養護論の映画を作るのではなく、もっと戦時中に、食糧が日本から供給されず外地で戦友を食べないと生き残れないほどの状況になったガダルカナル島の映画や、食糧を女子供に食べられて減らないように女子供に自殺を強要したトラック諸島の映画、あるいは兵士が沖縄人の隠れていた壕を奪って沖縄人を追い出したり壕の中で赤ちゃんが泣くと米兵に気づかれるので親に赤ちゃんを殺害させたり、13歳からの少年たちをゲリラ兵として強制徴兵したり、現地の女子供や年寄りには爆弾を背負わせてヤリだけもたせてアメリカの戦車の下にもぐりこむ”斬り込み”という名の特攻を強要していた…そんな沖縄戦といった、本当の戦争の真実を描いてみたらどうなんだと思う。 天皇を国民の好感度の高い本木氏にやらせたのもあざとく、作品全体に「監督の自己満足」の一言に尽きる映画。 [映画館(邦画)] 1点(2020-09-07 18:21:46)(良:2票) |
38. クライムダウン
《ネタバレ》 メリッサ・ジョージ、「トライアングル」って映画が、内容も彼女の演技もすごく気にいっていたので、期待値がガガガーーーっと上がった状態で見ました。 実際、山から下りてからの市街地での三つ巴のシークエンス(犯人チーム、誘拐された親が手配したチーム、事情を知らぬまま少女を助けている主人公たち)あたりは、少女が犯人の手元にないってバレたあたりからけっこう心臓バクバクするほど、盛り上がりました。 こういう映画でバクバクするのってなかなかいので、そのあたりすごく良かったってことかな。 誘拐と無関係の市民をムダ撃ちするブタお面の犯人の行動も、銃撃で気分がハイになっていたからと思って受容の範囲内。 山から街に舞台が移るのがNGという意見も多いけど、私の感覚では、テリヤキチキンの和風ソースと、モッツアレラチーズのトマトソースの2種類が1枚のピザで楽しめるハーフ&ハーフのピザだと似ているなと思う程度で気にはしない。 ただ、逃げ込んだ家が犯人によって火事を起こされ、2階から少女を脱出させるようとしたメリッサが、少女を窓の外に両手をもった状態で出してぶらんぶらんと左右に揺らしてトリャって放りだして1階の庭のクッションのききそうな植え込みの上に落として助ける・・・ってところで、えええええええってなりました。 だって、冒頭で断崖絶壁を命綱1本で登る場面を描いていたんですよ。 だって、少女を市街地に連れていってあげるため、近道である断崖絶壁を少女を連れて降りていく場面を描いていたんですよ。 そもそもこのDVDの表紙も断崖絶壁なんですよ。 もう、断崖絶壁がこの映画のテーマなんですよ。 だったら窓の外の2階から1階という”断崖絶壁”というシチュエーションなら、両手もって放り出すじゃなくて、カーテンひきちぢって綱つくってそれで彼女を片手で抱いて、もう片手でカーテンロープを握りしめ「うりゃーうりゃー!」と、数回壁をけりながら、1階の庭まで降りるとか、断崖絶壁降りのワザを見せて伏線回収しないでどーするの! ・・・って、私は思ったわけです。 身代金受け渡しのシークエンスでせっかくドキドキしたのに残念です。 彼女を抱いてカーテンロープで降りていたらもっと高評価だったのにw そうやって残念な気持ちを抱きつつ思い返してみると、犯人は地中に掘った穴に少女を箱に入れた状態で埋めて、空気を通すパイプを地上に出した状態で隠すとか、それはアホじゃないのかと、気づいてしまいました。 こうやって密猟者とかクライマーがやってくるような場所に「たすけて~」って声出そうとおもえば出せるパイプを地上に出させた状態で、なんだかもう、既にそこでアウトじゃないですか。 それに少女の親がけっこうワルっぽい金持ちみたいで、警察を頼らず独自に救出チーム作ってたわけだから、メリッサ一行も、少女を見つけたあとにまた少女を穴に戻して何事もなかったようにしとけば、メリッサ以外の全滅死亡にならず、ほっとけばちゃんと親の作った救出チームが少女と金の交換に成功してじゃんとか思っちゃったりもするじゃないですか。 個人的には、誘拐じゃなくてもっとクレイジーな精神異常者が、山にくる人間を無差別に殺すようなナワバリエリアに脚ふみこんだメリッサ一行を抹殺しようとしてたときに、少女が飛び入り参加してさぁ大変みたいなサバイバルものでも良かった気がする。 それでも6つ☆なのはメリッサのせい。 [DVD(字幕)] 6点(2020-09-07 14:06:09)(笑:1票) |
39. キャロル(2015)
《ネタバレ》 キャロルは、夫とはそりが合わず離婚したいが、子供は何よりも大切。 一方夫は、妻を手放したくなくて、子供を人質にして彼女を繋ぎとめようとしている。 そんな矢先に出逢った、自分を慕ってくれる若い女性テレーズ。 自然と惹かれ合うが、しかし彼女と付き合っていることで、親権が不利になる。 子供か、テレーズか。 子供を選んだ彼女は、テレーズを手放す。 この時点で、私は胸がとても苦しくなった…。 だって、もう完全に夫とは切れてる。紙切れ一枚の問題で、子供とテレーズどっちを取るかを迫られるなんて…こんなつらいことはない。 キャロルもつらいし、捨てられたテレーズだってつらい。 特に若いテレーズにとって、自分の趣味(カメラ)を理解してくれ、とてもセンスが高くて美しく、そして初めて知ってしまった甘い官能の世界を教えてくれた相手… そう簡単に「お子さんのために身を引こう」なんて思えるわけがない。 つらい、苦しい… こんな終わり方の作品なら見なければよかった…。 ところがキャロルはこれで幕を引く女ではなかった。 「子供もテレーズも、どっちも取ったるで!!!」 まるで男みたいにめちゃカッコイイ!!! 同性愛って、ホモにしてもレズにしても、やはりどちらかが男役、女役になってるそうだ。 (余談ですが、たぶん、エルトン・ジョンは男役。) キャロルもたぶん男役なんだと感じた。 かくして、キャロルは親権は放棄しつつ面会権だけは死守して、同時にテレーズと同居できる環境を整える…。 ”恋も仕事も大事”っていうフレーズはよくあるが”恋も子供も大事”っていうのは、夫とうまくいってない状況の妻が新しい恋に出逢った時に必ず感じるものであって、この心境が分かる女性は、同性愛が理解できなくても、テレーズを男性に置き換えることで、その時の辛さや葛藤をリアルに感じてこの映画に没入しやすいかもしれない。 (とはいえ、現実世界では、キャロルみたいに、ぱっぱと決断して、愛する相手と暮らすなんてなかなか可能性が低い。 それゆえ、この映画のように、とんとん拍子で物事がうまくいく展開に心揺さぶられるのだろう…) ひさびさの再会で、テレーズはキャロルからの同居案を断るが、その後別のパーティーに行ったテレーズがキャロルのいるパーティーに戻ってきた時の表情は、いずれ同居もしそうという予感を感じさせる。 そして、ラストのキャロルの 「ふふふ…やっぱり、私のもとに帰ってきてくれたのね…いいわよ、さぁ来て」 的な魔性の微笑みが、グっときた。 困った時は元カノを頼って甘えん坊な一面も見せ、そしてラストでのこういうイケメンな余裕しゃくしゃくな表情…そのギャップ。 盗撮された時にピストルをふりまわす直情的な一面も含め、とにかくキャロルは、愛する相手と子供に全力で愛情を傾ける人間として生々しく、そしてとても愛おしく感じた。 [DVD(字幕)] 7点(2020-09-06 09:30:08) |
40. スター・ウォーズ/フォースの覚醒
《ネタバレ》 ルーカスが無名時代SWを作る際、映画会社に「給料はいらないから、続編を全てを作らせてくれる確約をくれ」と言ったほど、彼の頭で作り上げられたストーリーは完全なものであり、彼が愛し、伝えたかった物語だ。 つまりEPは1~6をもって幕を下ろしたわけで、今さら「フォースの覚醒」といわれても、無理やり覚醒させるなよと、「寝た子を起こすなよ」と、思うわけである。 ディズニーの手に堕ちた今作は、”差別撤廃”をポリシーとするディズニーによって、マイノリティーである”女”と”黒人”をドまんなかに据えられた。 しかしだ。 私は人種差別主義者ではないが、SWは白人男子が主役のジュブナイルでなくてはならないと断言する。 4~6の幕開けとなる4でルークが主役だったように。 1~3の幕開けとなる1でアナキンが主役だったように。 周囲の思慮深い大人達に囲まれて、自らの宿命に従って時に戸惑いながらも成長していく少年や青年の物語でなくてはならない。 今回のような、すっかり成人の、女性と黒人。これはもうSWではない。 またSWには”イケメン枠”が必ずあるべきだ。 3~6では「キャンディキャンディ」(たとえが古くてすみません)の、まろやかイケメンのアンソニーにあたるのがルークであり、不良系イケメンのテリーにあたるのがハンソロである。 王道2タイプのイケメンがセットされていた。 1~3では、ユアンマグレガー、熟男リーアムニーソン、青年期のアナキン。いろいろなタイプのイケメンがセットされていた。 しかし今作ではメインキャラにイケメン枠がなく、パっとしない男ばかりである。 また”イケメン枠”と同時に”姫枠”も必須だ。 3~6ではレイア姫。 1~3ではアミダラ女王。 「強い女」がウケると勘違いされている現代だが、姫を守るイケメン男という構図はSWの”形式美”といってもいいほど重要なものである。 現在のディズニーは、ウォルト時代の「白雪姫」「眠れる森の美女」といった、姫とそれを救うイケメンという構図を「古い!」と切り捨ててばかり。 だから昨今のディズニー映画では、姫が登場しても男まさりでイケメンの活躍に期待しないタイプが多い。 カエル女も、ラプンツェルも、アナ雪も、ヒロイン達は男の活躍をさしおいて、むしろ男をリードしちゃってる。 SWは、時代が変われど、姫と彼女を助けるイケメンという古きよき夢物語を具現化することで、人々の心に「あぁ何かなつかしい。何か落ち着く」というノスタルジーをかきたててくれるのだ。 ジェダイ・ナイト(=騎士)というワードもそれを象徴している。 実際ルーカスは「子供に聞かせるおとぎ話として作ったのがSWのきっかけ」と語っている通り、SWは騎士と姫を軸に愛と冒険が繰り広げられるおとぎ話であるべきなのだ。 対するディズニー版SWは、各所にSWらしさを散りばめてはいるものの、”白人少年のジュブナイル”や”姫とそれを守るイケメン”という枠を超え、不文律を冒してしまった。既にアウト。 さらに「今後は同性愛キャラも否定しない」と、公の場でエイブラハムはシレっと言い放っていたので今後は一層SW本来の軌道から外れていくのだろう。 結論をいえばディズニーは [SWの世界観が面白いからそういうSF作りたいけどパクリだと言われたくないんでカネにものいわせてルーカスから権利を買い取り堂々と合法的にパクリ映画を作ります♪] ということであり [パクリ映画を作るにあたっては白人少年ジュブナイルとか姫とそれを守るイケメンという枠はとっぱらって我々のポリシーである差別反対の象徴でもある”女”と”黒人”を前面に出してまいります♪] ということである。 そしてその”女”。姫どころかゴミ集め屋・・って、ディズニー映画「ウォーリー」の設定のリサイクルかよ。 制作ドキュメンタリーも見たが「CGでは砂粒一つの表現にこだわってより現実感を出した」と何かのチーフが自慢げに言ったけど、大事なのはやはりストーリーなのだ。 4は、どんなに古臭いチープな特撮であっても、何度見ても引き込まれる。 こうして幾つもの大事な事を忘れた今作は、当然アカデミー賞主要6部門どれひとつかすりもしなかった。 最後にBB-8について。 あの動きがムダに多くてクルクル回転する映像で目を疲れさせるだけの雪だるま、ほんとダサイ。監督のデザインらしいですが、大失敗。 名前もあの雪だるま型を意識してBとか8を使ったのだろうが、「BBクリーム」や「チョコラBB」とかの製品名とかぶってるから、名前までダサイ。 [試写会(字幕)] 1点(2020-09-06 08:56:23)(良:9票) |