Menu
 > レビュワー
 > ユーカラ さんの口コミ一覧。28ページ目
ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/24461/

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
212223242526272829
投稿日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829
変更日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829
>> カレンダー表示
>> 通常表示
541.  ブンミおじさんの森
大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。  熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。  小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。  冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。  赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:05:42)
542.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-11 20:21:38)
543.  トスカーナの贋作
検閲の厳しいイランを離れ、イタリア・ルネサンスの地で表現される女性のエロティシズム。 それをジュリエット・ビノシュが艶めかしく体現する。  車のフロントガラスを流れていく街並みと空、そこに重なる車内の男女の像。ガラスや鏡を介した複写の主題も、レストランの窓ガラスや化粧室の鏡から、オートバイのミラーへの反射に到る細部まで手が込んでおり、迷宮感すら催す。  ウィリアム・シメルが登ってゆくホテルの階段の深い暗がりと、窓から差し込んでくる微かな陽光の推移など、光に対する感性あふれる画面にも魅了される。  画面奥の空間を示唆する多層的遠近感の演出も、ルネサンス絵画技法の映画版というべきか。  そして、雷鳴・風音・鳥の羽音・鐘の音色がもたらす豊かな空気の震えも聞き逃せない。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-28 19:47:44)
544.  私の優しくない先輩
序盤から延々と続くモノローグに、役者の漫画的身振りと表情演技とテンションに、過剰な画面加工と効果音に、この先どうなることやらと白け気味になりかけるのだが、中盤の恋の駆引き劇あたりから不穏感と気まずさを湛え始め、徐々に引きこまれる。  雨の中、山の手にある友人宅から坂を下り夜の川原へと、劇は浮遊感から下落のイメージに包まれ、後半の生々しい撮影スタイルと川島海荷のオルターエゴであるモノローグは凄味を増し、画面との齟齬は対位的に増幅されていく。  シンクロか否かよくわからないが、後半の体育館内および火まつりシーンでの二人の生々しい台詞の応酬ともつれ合うアクションが、炎と闇のスペクタル性と共に素晴らしい。  そして出演者全員によるエンディングも、スタイルは全く違うが大林版『時をかける少女』のラストを思わせる至福の時間。  キャストの振り付けの統率とロケーションに合わせた配置。時々刻々の入射光の加減を配慮し、手持ちからクレーンへの自然な繋ぎまでこなしたキャメラワーク。このロングテイクにはスタッフ・キャスト共々、相当な準備が費やされた筈。熱情の賜物といえる。
[映画館(邦画)] 8点(2011-03-28 19:47:13)
545.  ウォール・ストリート
バイクを運転しながら、ヘアカットしながら、トレーディング・フロアを速歩しながら。携帯電話を駆使しての、せわしない「ながら対話」の生み出すリズム感と運動感。  点描されるマンハッタン遠望は、株価チャートになぞらえた右肩下がりの凹凸運動に転化され、父娘と恋人の和解は階段の段差の中にバランスが見出されていく。  冒頭でビル街を一気に上昇していく圧巻のカメラは、ドラマの市況状況に連動して上昇と急落を繰り返し、ラストで新たなバブルの緩やかな浮上を仄めかす。  デスクに置かれたコンピュータのディスプレイ群、キャラクターの人間性を示唆する衣装デザインも、業界の虚栄を華麗に視覚化している。  監督本人、チャーリー・シーン、イーライ・ウォラックのふとした出演シーンの愛嬌が映画を大いに和ませてくれて楽しい。(携帯電話の着信音楽が憎い。) 
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-06 21:39:36)
546.  ザ・タウン
まず賞賛すべきは路地カーチェイス、ガンアクションの見事さ。 適度にカットを割りながらも、右左折は丁寧に編集で繋がれ、空撮やロングの適切な挿入にもよって、経路と位置状況が明瞭に提示出来ている。稀有といって良い。 銃撃戦において、壁面への弾着と人物を出来る限り同一ショット内に捉える迫真性の演出も徹底されている。 いずれも、舞台となる「街」をアクションの中に描きこもうとする意思からくる。  アクションシーンに限らず、菜園・墓地・尖塔・スケートリンク・銀行前の路地・コインランドリーと、生活感のあるロケーションがドラマパートにも効果的に活かされている。その中で、水辺を歩くレベッカ・ホールの後姿のショットが幻想性を帯び印象深い。  あるいはオープンカフェのシーン等のサスペンス演出。席を外したR・ホールが戻ってくる際の、三者の表情を捉えるさりげないショット繋ぎの妙が緊迫感を煽る。  ベン・アフレックと、ピート・ポスルスウェイトの至近距離の銃撃戦。その突発性もいい。  
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-13 22:34:07)
547.  白夜行 《ネタバレ》 
導入部の土砂降りの雨、索漠とした葦原など、銀残しによる寒色系で統一された硬質な画調に味がある。うらぶれ感の良く出た住宅街の美術もいい。  掘北真希の纏う冷たい純白の陽と、通風ダクトの闇に魘される高良健吾の陰。 手にこびり付いた父親の血、現像用暗室の赤、ワインの赤は、流血の運命を予告する。  警察車両3台が、農道を延々と横移動するロングテイクなどには気合が感じられるし、刑事(船越英一郎)が電話しているテレフォンブースの後景や聞き込み中の託児所の窓ガラスにさりげなく人影を映りこませたり、掘北の足音をオフで響かせる演出なども工夫されているのだが。  終盤の謎解きシーンで語り口が一気に陳腐化してしまうのが勿体無い。『砂の器』的に感傷を煽る音楽と補足説明が安易で興ざめさせられる。  折角、実子とのシーンを台詞無しで積み重ねてきたはずが、船越の屋上での台詞過多もこれを台無しにする。残念。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-12 20:22:06)
548.  ベスト・キッド(2010)
北米の意識はもはや日本ではなく中国にあり、という感じでパワーバランスの時代推移を厳然と反映している点、リメイクだけに興味深い。  寄り気味のカメラは、多用されるフォロー移動とともに、観客が見るべき対象をひたすら限定して先導してくれる。ここだけ見なさい、というサービス過剰な介護式。加えて、饒舌なBGMがここぞという場面を盛大に誘導・援護してくれる。だからとにかくわかりやすい。 そして、アクションシーンの編集は少々リズム偏重気味で「ワンショット性」に欠け、剛柔の表現としては不満を残すのだが、序盤中盤で何度も反復された円や弧のモチーフは武術の基本として止めの回転技として活きてくる点は見事。  また、光を意識した印象的な画面も豊富でいい。ガールフレンドと戯れる公園の噴水に反射する光、影絵劇場の幻燈、J・チェンがJ・スミスを諭す中庭の場面での眩しい入射光、そしてヘッドライトの光の中に浮かび上がる二人の教育と伝授のシルエットが感動的だ。(それを影から見守るT・ヘンソンの姿も)  そして、キャラクター達も主演二人を始めとしていずれも魅力がある。いずれの登場人物も何らかの弱さを持ち、それを克服させ成長させるという作劇の丁寧さゆえでもある。 特に、作り手の少年少女に対する目線の温かさは心地よい。  トーナメントの前、贈られた道着に対してJ・スミスが漏らす『ブルース・リー』の一言に初めて顔をほころばせるJ・チェン。その笑顔が泣かせる。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-10 23:05:03)
549.  ソーシャル・ネットワーク
頻出するガラス張りの空間は、主人公と他者を隔てる見えない壁の直喩か。 対話シーンにみられる背景のぼやけた深度の浅いフォーカスと、バストショット中心の画面が表すのは、周囲の人間への視野を欠いた主人公の自分本位性か。  J・アイゼンバーグとルーニー・マーラによるセンテンスごとの切返し。その単調かつ短絡的な応酬は、おそらくネットの双方向性と断絶感の表現を意図しているのだろう。 ラストの同一構図は、画面を介した無言の切返しとして巻頭のそれと対になるのだが、問題はほぼ全編において人物同士の対話シーンのアングル・カット繋ぎがことごとくこの1パターンに収まること。  台詞に従属する形で話者同士がひたすら単調に「テレビ的」に切返され続けるのでカットの切れ目も、次にくるだろうショットもおおよそ容易に予測できる。 同じ対話劇でも、同一構図を繰り返さず多彩に変化をつけていくオリヴェイラなどと比べてしまうのは酷だろうか。  主題の類似が指摘される『市民ケーン』の先鋭性とは真逆で、ドラマも撮影スタイルも慣例的すぎる。 
[映画館(字幕)] 5点(2011-02-06 14:27:36)
550.  海炭市叙景
小林薫、加瀬亮ですら、登場当初はそれと判別できない。南果歩に至っては最後まで気づかなかった。それほど、彼らの風貌は地方都市生活に馴染んだ趣をみせる。 現地の素人キャストらが演じる脇役たちの佇まいも、生活実感に基づいたロケーションや照度を落とした映像と相俟って見事な存在感を放つ。 夜半から夜明けにかけての函館山からの望遠や路面電車の風情など、当地映画としての魅力も強かに保持しながら、北海道ロケ作品にありがちな美景ショットや、安易に心象を仮託するような情景ショットに陥っていないのは、まずもって生活地としての風土の叙景に徹している故だろう。 その上で、小林薫の一家が見上げる美しい夜空や竹原・谷村の兄妹が手を繋いで渡る踏切と坂道、あるいは白く煙る半島を三浦誠己がフェリーの甲板から見つめているショットが深い情感を呼び込む。 兄妹の繋ぐ手、猫を撫でる老婆の手、酔漢を制する手など、冬の映画の中で手のアクションがささやかな温もりを伝えている。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-29 15:56:22)
551.  ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う
ロングショットを主体とし、乱れた黒髪や逆光の陰影によってその表情をなかなか顕現させない佐藤寛子、東風万智子、大竹しのぶ、井上晴美らの女優陣。 その分、全身の動作と佇まい、発する声の抑揚と響きがその情念を前景化させる。 とりわけクライマックスの舞台となる石切り場内部の坑道や地底湖で、エコーがかかった彼女らの呻き・叫びともつれ合いは強烈な凄みを発散する。 巻頭の狭く血に塗れた浴室と対になる、青白い光線の差す石切場の壮観と幽玄な趣き。暗い洞内に差し込む外光のアクセントは聖性をも湛えて美的である。 竹中・佐藤の睦み会う背後にあるネオンサインの鮮烈さも目に沁みる。 新宿歌舞伎町界隈を彷徨う主人公を捉えるゲリラ撮影の生々しさ。その望遠の画面が、あるいは緩い傾斜の天井までを画面に取り込んだ事務所の空虚な広さと闇が、主人公の孤独を際立たせて印象深い。
[映画館(邦画)] 8点(2011-01-26 22:06:56)
552.  ゲゲゲの女房
導入部の一本道の情景は、前作『私は猫ストーカー』のファーストショットの「風景から人物へ」と吸引していく感覚にも似て印象深い。 「自転車」、「アクセントとなる魅力的なアニメーション」、「生き物同士の、主従でも共生でも無い不思議な関係性」といったモチーフも共通項だ。  まず目に沁みるのが、前作に続いてたむらまさきによる滋味に富んだレトロタッチの原風景的素晴らしさ。 日本家屋の豊かな空間性・自然光の美しさを活かしつつ、人物の背後や天井から慎ましく見守るような穏やかな風情は、風間詩織作品や小川ドキュメンタリーを初めとする「黙って見つめる事に徹するキャメラ」あっての味わい深さだ。 夜の勝手口の、吸い込まれるような暗い闇。裸電球や蝋燭の炎の温かみ。玄関先の白い暖簾の揺らめき。生命の気配の濃密な空間性は絶品である。 あるいは鉄塔の垂直性と、石橋や農道の水平性、そして四つ辻を活かしたロングショットの映画的豊かさ。 茶の間でバナナを頬張る吹石一恵と宮藤官九郎の夫婦、宮藤が踊りだすと、庭先でも踊りだす妖怪たち。その共生の画面の至福感。 税務署員を追い返した後に二人が歌うデュエットに、自転車に二人乗りする夫婦の笑顔にと、一見非アクション的なアクションのうちに、心打つ幸福感が充溢している。  時間・空間・照明のトリッキーな解体操作といった、柔軟な発想も前作からさらに発展している。  さらには、音響の豊かさ。 祠に被さる水音の神秘性。風雨。壁時計のリズム。紙を走るGペンの筆音。(移ろわぬ音) 一方で時代の移ろいを仄めかす、開発の槌音。自動車の走行音。  書き出せばきりが無いが、まだまだ見逃した細部は多い。 見返せば、さらに豊かさを増すだろう傑作である。
[映画館(邦画)] 9点(2011-01-24 19:52:23)
553.  ノルウェイの森
主人公視点による一人称で語られるべきドラマと、第三者的にあらすじを追う叙事的な形式。 二つのバージョンを想定しながらの進行だったのだろうが、どちらつかずの編集という印象を受ける。 序盤での高良健吾の思わせぶりな自殺描写などが結果的に無駄な場面にしか見えないということは、後者の選択は失敗だろう。(自動車の後部座席にもたれかかること=死の暗示として、初音映莉子のタクシーのシーンと通じ合うのみ。)  ガラス窓を伝う雨垂れの透明感、湿度感。草木の靡きによってうねりを見せる、様々な階調のグリーン。朝靄の濃い木立に落ちる光線、冬枯れの中の粉雪など等。抽象化された揺らめくイメージの断片はそれぞれ豊かである一方、時代・場所・風俗的な固有記号の数々はほぼ無意味といえるほど空疎であり、異界との分節作用もノスタルジーの喚起力も弱い。(体験の問題ではなく。)  景観の強度に対して端から性愛の官能性も生命感も希薄なのでは、喪失感もありようがなく、ただ漫然と耽美性に浸るのみ。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-01-24 19:23:58)
554.  キック・アス 《ネタバレ》 
ネット配信される悲惨なリンチの画像に見入りつつ、もたれかかる女性を抱きとめ喜色満面となってしまう主人公の親友たち。その悲喜劇の組み合わせの不謹慎さ。 そして、満を持したマズルフラッシュが一閃し、周囲が闇に落ちる。 喜劇的な伏線が、復讐劇の重い感動に転化する瞬間のカタルシス。  犯人やトラップをあらかじめ観客に明かすことによってサスペンスを煽るヒッチコックの映画術のように、明瞭に配置された伏線が、救出劇のエモーションを高める。  暗闇の中に鋭く弾ける銃撃炎の激しい照り返しは、姿なき娘の怒りの表象となり、 彼女が装着した暗視スコープの主観画面は、機敏かつ冷徹な銃捌きを見せる手のアクションを以って怒りの強度を伝えるとともに、観客に同化を促さずに置かない。  映画は、クライマックスの銃撃戦・格闘戦のさなか、夜が明けていく窓外の光の推移も丹念に捉え続け、ラストで闇からようやく抜け出た少女を逆光の朝陽で包ませる。  そのビル屋上のツーショットが大変爽やかだ。    
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-22 00:21:00)
555.  アンストッパブル(2010)
画面を横切る線路の向こう側に佇む一人の少女の姿。それをかき消すような鉄塊の流れ、その巨大感、暴走感。 線路の手前側と向こう側が世界を分ける。列車の映画では馴染みのモチーフであり、この映画ではアクションと衝突のアクシデントは専ら暴走列車の進行方向左手側を中心に展開する。社会見学の児童らの乗る列車が危難を回避するのは右手側である。  何度も逆進方向である右後方を振り返るD・ワシントンと、クリス・パインの同一方向上の切り返しショット。二人の面構えがそれぞれ素晴らしい。 そして毎度馴染みのロケーション、「高架鉄橋」への拘りも空撮中心に気合が入っているし、背後から迫る列車と手前の踏切内の馬を組み合わせたショットの圧縮感などもいい。 視界を大きく遮る穀物の散乱の過剰ぶりと、連結部でのアクションの見え隠れ具合もサスペンスを一段高める演出として見事だ。  ただし、離れ合った登場人物達があっさり一堂に会してしまう大団円の記者会見は蛇足の感あり。それぞれが遠隔地同士のまま、シンプルに〆ていれば尚良い。
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-16 00:33:53)
556.  SPACE BATTLESHIP ヤマト
設定の同時代的改変やら考証のおおらかさなどは、当然ながら映画としては欠陥でも何でもない。行動理由・動機・意義・目的を登場人物自身の台詞で易しく解説してしまう作風も従来の山崎作品通り、浪花節的な誇張芝居も照明の無頓着も相変わらずなら、落胆もしない。  売りであるVFXはどうか。主役たる戦艦のCGは単に精巧なメカニックとしてあるだけで状況説明に留まり、威風や雄姿や苦闘・悲壮を演出する工夫をことごとく欠く。技術だけで、見せ方の芸が無い。 爆撃機が空母から離艦する瞬間、重力で一瞬下に沈む。破損口から噴煙を引かせる。砲撃の威力を反動で表現する。旧作のそういった細部へのこだわりと確信的「嘘」が逆に絵に質量を与え、映画としてのリアルな感覚を実現していたことが理解できているのかどうか。  カウントダウンのさなか、敵機群が体当たりを仕掛けてくるのを艦を横転させて間一髪で回避しつつ、艦載機を収納しそのままワープに突入するという場面。最もケレン味溢れるべきアクションシーンの盛り上がりの無さ、淡白で平板なコンテに悲しくなる。黒木メイサの回収シーンも、爆煙からの登場シーンも然り。それこそ艦が「見得を切る」べき場面だろう。  時間と予算の制約の中でセットを組むのなら娯楽ルームではなく、機関室なり、ワッチ室なり、砲室なり、厨房なりの労働現場であって欲しい。前半の地下居住区で、『ターミネーター』の未来世界よろしく困窮した少年の姿を映すのなら尚更だ。艦内の労働の描写が圧倒的に不足しているから艦内実写と艦外CGを何度繋ごうが、結果として本来の主役である「艦」は生きてこない。  複雑な造型の宇宙戦艦が手書きトレースの丹念な動画によって生命感を得る、創意と気概溢れるオリジナルの感動はこの新作の映像からは得られない。    
[映画館(邦画)] 3点(2010-12-18 01:03:44)
557.  レオニー
海辺の情景。それを窓辺で見つめる女性のシルエットが、屋内側から捉えられる。  映画は、部屋の奥側から明るい窓際あるいは縁側に向けたローポジションの構図が主体。 屋外背景のキーライトに対して、暗すぎず・明るすぎずの控え目な補助光によって、人物の表情や部屋の内装も逆光に潰れることなく、落ち着いたコントラストを作り出している。 そして障子や襖や丸窓のフレーム内フレームが、憧憬としての外の世界を対比的に切り取ってみせる。  一方で、随所に挿入されるイサム・ノグチらしき彫刻家(勅使河原三郎)の作業光景のショットでは、強い直射光によるハイコントラストが彼の顔半分を真白く浮かび上がらせ力強く印象的なイメージを形づくる。 いずれも黒澤組の照明・美術スタッフの技の冴えである。  CGの濫用は控え、実景主体で再現した20世紀初頭の風俗も非常に丁寧な仕事だ。 エミリー・モーティマー・中村獅童の主演二人のみならず、出番は少ないながら大地康雄・山野海ら脇役陣の芝居も充実している。  前半では時制の無駄な倒置などが冗長さを感じさせる一方、後半での親子関係の描き込みに不足が感じられてしまうのが難点か。  
[映画館(邦画)] 7点(2010-12-09 22:19:48)
558.  行きずりの街 《ネタバレ》 
物語の性質からして、この映画は必然的に過去の説明や謎解きを挟みながらの展開とならざるを得ない。 フラッシュバックの多用は当然ながら映画を停滞させがちなのだが、それを最小限のショットにとどめ、尚且つ仲村トオルの視線を用いて現在と過去を簡潔に繋いでいくカッティングによって時制の感覚を適度に混乱させながら、現在進行形を維持していく。  現在と過去を繋ぐ空間である小西真奈美のバーの廊下、および彼女のマンションの廊下は手前に黒、奥に明を配置したコントラスト豊かな縦構図と照明によって艶かしい。  さらに過去と現在が交錯しあうクライマックスの廃校の廊下もまた感動的だ。  走る現在の仲村トオルと、過去の小西真奈美の背中が幾度も切り返される。夕陽を背に振り返る現在の彼女にショットはつながり、その黒髪を逆光が美しく包む。現在の中で交じり合う二人の視線。 一連のスローモーションから、スリーショットのストップモーションまで、ドラマ的には訳の判らぬ迫力と情感で押し切られてしまう感じなのだが、それも良し。  木刀の意外性などは、いかにも東映チャンバラ的で実に面白い。 窪塚のコンビネーションパンチの切れ、仲村の剣戟の泥臭さと、クライマックスを担う男優陣の格闘アクションもそれぞれ個性的で良い。 
[映画館(邦画)] 8点(2010-11-30 19:07:05)
559.  442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍
ブルーレイ上映による解像度の高い画面が、元隊員たちの現在の平穏な暮らしぶりと小奇麗な身なりを色鮮やかに映し出す。 彼らが語る過酷な内容とのギャップや、現在の地形と重なり合うように編集挿入される当時のモノクロ映像との繋ぎが、隔世の感覚をさらに強めている。  442連隊への賞賛の念が窺える『二世部隊』(1951)でも省略されざるを得なかったと思しき、ローマ一番乗りをめぐる差別待遇。人間を殺す事の重み。約60年を経てようやく語られる彼らの言葉の響き、表情の深みに打たれる。  にも拘わらず、その元兵士達の言葉に被ってひっきりなしに感傷を煽る喜多郎の音楽タレ流しはナレーションの声音と併せてあまりに「声高」すぎる。 作り手は、彼らの表情・言葉の重み、強度をまるで信用していない。その複雑なはずの思いに対し、安いセンチメンタリズムで一方的に意味付けし、感傷メロディーで補強したがる。  だから、両国家・組織の棄民政策に対する批評性も大きく欠いている。  「反戦」を標榜していながら、情緒に寄りかかった作品こそいくらでも「非反戦」に逆利用され得る事に対し自戒が足りない。 
[映画館(字幕)] 4点(2010-11-30 12:21:34)
560.  おにいちゃんのハナビ
本来なら、主人公家族の感情を表象する花火の瞬きと光の広がりただそれだけでも充分エモーショナルであるし、実際クライマックスにおける開花の煌きや、観衆の見上げる顔を染める赤い照り返し、音響いずれも兄妹の情を伴う光のアクションとして劇場スクリーンに良く映え感動的だ。  にも拘わらず、尚も手垢のついたあれこれの脚色を盛り込んで感傷を煽る浅ましさ。  予定調和が見え見えの、あからさまに敵対的な登場人物。脇役陣のわかりやすすぎる配役と記号的かつ心理的演技の数々。特に衆人環視の中での土下座、泣きの表情のクロースアップと、お涙頂戴の意図が露呈し放題で萎える。  高良健吾、谷村美月、両者の好演が勿体無い。 
[映画館(邦画)] 4点(2010-11-12 08:58:04)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS