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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1821.  山のあなた 徳市の恋
これ元の映画を見ていないので、純粋に新作映画として鑑賞できるな、と思っていたら、DVDの最初にオリジナルの『按摩と女』の宣伝が流れ、しっかり高峰三枝子と佐分利信が頭にインプットされてしまった。すると作品中でヒロインがしゃべっても途端に高峰三枝子が出てきてしまい、おそらくしゃべり方も意図的に似せているのだろうが、気が散って困った。女が徳市をかわしてフラフラと後方に逃げるあたり、とてもいいシーンなのだが、清水版ではどんな感じなんだろう、と余計なことを思ってしまう。現在こういうリメイクを作る積極的な意味が、もひとつ見つけづらいところにも問題がありそうだ。一番はっきりしているのは色が着いたことで、緑のさわやかさ、ハイキングする娘たちのまぶしさなどが描けたことはある。話としては温泉宿とワケアリの都会の女ということで『簪』(これは見てる)の姉妹篇みたいな作品で、退屈している少年の絡ませかたも申し分なく、楽しめた。草彅君は川辺のシーンで着衣を脱ぎかけたが、全裸にはならなかった。
[DVD(邦画)] 6点(2009-04-28 12:04:15)
1822.  MISTY(1997)
承知して手掛けた再映画化なのだろうから、黒澤と比較しては気の毒などと言ってはいけなかろう。と思っても、やっぱりテレビっぽいんだなあ。アップの多用で、たとえば手なら手に意味が集中しているような画面とか、おそらくテレビの話法としては充分生きるとこなんだろうけど、スクリーンだとスカスカになってしまう。あと音楽(監督のお兄さん)がかなりうるさかったこと。この原作はどうも自分なりの解決篇を付けたくなるらしく、今回は因果ものめいた出来事を絡ませていた。三つの証言にそれぞれ雨・風・雷三様の背景を持たせる趣向、死んでいく夫の前で繰り返される「あなた…」の声の調子が多様に変わっていく趣向、ラスト森の中でくねくね動き回ったカメラが樹を這うトカゲを捉える趣向、などは面白かった。で比較するが、黒澤の森のほうが深かったね。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-27 12:02:17)
1823.  憂鬱な楽園
映画で青春の退屈を表現するとこうなる。底では焦燥がくすぶってるんだけど、空回りするばかり。ドンブリかかえて外で食事をする、列車が動くのを見守って。そういう気分。上海でレストランを始めるという、ここの現実と連続していない夢があって、それがあるだけかえってわびしいというか、情けないというか。うだうだしているところに不意の暴力があるが、しかしそれも派手に炸裂するわけではなく、くすぶる感覚。そしてとうとうラストでは、車でさえ田圃の中に止まってしまう。「燃えあがらなさ」というものを丁寧に描くその手つきはすごいんだけど、見てるほうはくすぶりばかりが残って、当然スッキリする映画ではない。この監督は、不良・チンピラ・やくざを好んで描くが、それらを描いて普通の「不良・チンピラ・やくざ映画」のスッキリした快感をもたらさせないことにかけては、徹底している。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-26 12:15:33)
1824.  かごや判官
チャンバラより推理ドラマ仕立ての体裁。けっこう戦前って推理ものの時代劇が盛んだったんだ。戦中の名作、マキノ正博の『待って居た男』なんて現在の推理ドラマよりはるかに出来がいい。もっともこれはあんまり期待しないでね。推理より演出。死体からカメラが動いて、塀を乗り越え、外で騒いでいる町人にまで移動していく、なんて同時代の溝口健二というより、半世紀後の相米慎二を思わせる。取り調べでしゃべる女の声に合わせて、回想画面の人物の口が合う、なんてのもかなりシャレている。演出として成功しているかどうかは別にして、楽しい。長屋での権三の夫婦げんかと、助十の兄弟げんかがパラレルに描かれたり。このころは時代劇もモダンの風に吹かれていたのだ。もちろん歌も歌う。馬鹿が愛嬌の江戸町人。でもこの作品の製作は江戸でなく、松竹京都創立15周年記念映画。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-23 12:00:14)
1825.  ダンテズ・ピーク
前半はジョーズ型、気配で引きずっていく。評判を落とすから情報は伏せよ、と言われる科学者、とか。こういうパニックの前兆ってのは、やっぱりワクワクする。熱湯となる温泉、濁る水道。一度空振りになるかと思わせて噴火する。ここまでの段取りは正しく、いいのだけど、噴火ってのはどうもあんまりパニックとして芸がないというか、酸化した湖でボートが溶け出す、なんてぐらいかなあ、全体が暗い中で進行してるのも、もどかしかった。暗いから、溶岩の流れは強調できて良かったが。こういうパターンでは、だいたい“聖所”に立て籠もって救出されるってのがハリウッドは好きで、このころでは『ツイスター』とか『デイライト』もそうだったけど、つまり非日常の出来事からまた日常に復帰するというより、非日常をバネに何か特別の場所へジャンプする、ってプロットがアメリカ人にはしみ込んでいるらしい。飼い犬が助かり、姑は死ぬ、ってのはハッピーエンドと思っていいのか。最初の地震の時のセリフ「まだこれは咳払いよ、これから歌いだすわ」ってのがいい。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-22 12:00:07)(良:1票)
1826.  緑の大地
青島の運河建設をモチーフにした国策映画。大運河であり、大計画であり、大目標である、と藤田進はさかんに「大」を連発する。その「大」の前では、原節子の入江たか子への嫉妬など些細なこととなる。日常の煩雑さが、すべて「大」の前で消滅し、人生も世界も単純明快なものとなる。戦時下とは、そういう「大」の時代なのだ。「大」に関わる人物像も単純に磊落で、この監督の『隣りの八重ちゃん』の繊細なスケッチを愛する者としては、つらい。それとあと一つ、この時代の国策映画でよく見られる「親切を分かってもらえない」というパターン。『支那の夜』で典型的に見られたこのパターンは、反日運動の存在は否定できないので、「真意が伝わっていない」という形で納得しようとしてるわけだ。悪役をしっかりこしらえておいて、日本の汚点はそこに集中させておく。でもこの「誤解されてる」って言い訳は今でも政治家が失言問題起こしたときなんかによく使われ、もはや日本の伝統文化と言ってもいいだろう。よその土地に勝手に神社をこさえるのも、ここでは「善政」なのであり、それに反発されるのは「真意が伝わっていない」からなのである。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-16 12:08:10)
1827.  与太者と海水浴 《ネタバレ》 
たぶん私が見た高峰秀子の中で、『東京の合唱』の次に古いものだと思う。9歳。『東京の合唱』では、まだ子ども一般という感じで個性は認められなかったが、ここに至って後の大女優に通じる個性が生まれている。と言っても、敏行君という、金持ちの坊ちゃん役。女の子が男の子を演じるのは、美空ひばりや松島トモ子が杉作をやったりと、最近の香港映画『ミラクル7号』に至るまでけっこうあり、芝居で男の子役を若い女優が演じるしきたりとつながってるキマリなのかもしれないけど、高峰で見られたのはこれだけ(あと『麗人』という島津保次郎作品で、岩夫君・6歳・てのを演じたのがフィルムセンターに残っているそうだ)。自伝によると高峰はこの時期男の子役のほうが多かったそうで、五所平之助監督は後になっても彼女のことを「坊や」と呼んでいたという。で、この映画だが、この金持ちの子どもと庶民の子どもの友情が軸の海辺コメディ。庶民の子どもを演じたのが『生れてはみたけれど』の金持ちの坊ちゃんだったのがおかしい。この時代にしてはかなり長い水中撮影がある。水中で汗を拭いたり、水中でその手拭いを絞ったりするギャグをやってた。パーティーの席で、魚屋が出された魚を、ついナイフで三枚にさばいてしまうギャグもよかった。この魚屋を演じたのは阿部正三郎というコメディアンで、この与太者シリーズでは磯野秋雄、三井秀男(弘次)とともに常連だったが、戦争に引っ張られて帰ってこなかったという。戦前の映画を見ていてつらいのは、幾多の才能がフッと途切れてしまうこと。さらに思えば、戦後花開いたに違いないもっと多くの名優や名監督の卵も、ガダルカナルやインパールで無意味に失われているのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-14 12:18:57)
1828.  うなぎ
男たちがダラダラと床屋に集まっているあたりに味を感じたが、これは今村のものだろうか。男たちの集団は『果しなき欲望』とか『豚と軍艦』とかで描かれてるけど、それらはもっとギトギトしたものを持っていた。今回はサークルのような寛ぎの場で、船大工、やくざもん、UFOきちがいらによる浮世床の世界。この場を提供している役所は一歩退いていて、心的には外部の柄本明に近いのかも知れない。だからギトギトと煮詰まってはいかない。もちろん監督には自分の作品のトーンを定着させない権利があり、こっちに勝手に決められても困るだろうけど、うなぎと言えば『復讐するは我にあり』のドローンネチャネチャとしたカットが印象に残っているので、ついネバっこいものを期待してしまったのだ。人を見る目が優しくなったぶん、ドキッとさせる時間は減ってしまった。昔だったら、柄本明がもっと膨らんだだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-13 11:57:26)
1829.  告発のとき 《ネタバレ》 
良くも悪くもハリウッド映画は明瞭な世界を提示してくれるものだったが、最近はなにかモヤモヤとしてスッキリしないまま終わる傾向がある。現実の複雑さにまともに向かい合えばそうなるわけだけど、ただ溜め息をついてるだけじゃないか、という気にもなる。この映画も構造は至ってハリウッド的で、反発し合っていた師匠と弟子が協力して結果を出す、というパターンの変奏。昔だったらもっと晴れ晴れしいラストになれたのに、現在のアメリカはそれを許してくれない。ドラマは、せがれが壊れていく過程を発見していく父の旅という形になる。善良なせがれが悪い敵に殺される、という形の反戦映画ならそれなりに浄化の気分になれるが、もうアメリカはそんな無垢な自画像を持てなくなっている。それを父親は受け入れていかなければならない。ただ救助信号としての国旗を掲げることしかできない。この圧倒的な無力感が、現在のアメリカの率直な自画像なのだろうか。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-12 12:02:57)(良:2票)
1830.  愉しき哉人生
まるで安部公房の「友達」の設定を、皮肉でなくそのまま描いたような作品で、だから戦後の今見ると、「友達」と同じようなグロテスクなものに見えてくる。柳家金語楼の不気味さが遺憾なく発揮された映画に見える。冒頭なんか垢抜けてる。狂って鳴り出した時計を合図のように、風が起こり、主人公たち相馬一家の引っ越し荷物が向こうから現われてくる。全体としてアメリカ映画のスモールタウンものの味がある。中ごろでは桶屋のリズム、タンタンタンタン、タタータータタン、に合わせて唐突に山根寿子が歌を歌ったり、主婦たちのおしゃべりを、処理した音声でやってみたり、成瀬の奇妙な面をたくさん見られる。しっとりした成瀬ではなくて、乾いた成瀬。テーマは「気の持ちようで明るくなるさ」という、いかにも戦局が悪化している背景をうかがわせるもので、この登場人物たちの朗らかさがカタストロフの近づきをかえって動かしがたいものに感じさせてくれる。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-11 11:59:23)
1831.  インデペンデンス・デイ
出だしは無駄がなくていい。何やら巨大なものが覆ってくる感じ。SFとしては、このまま停まってじっとこちらを観察してるみたいなほうが面白いのだけれど、ハリウッドではそうもいかないのか、攻撃してくる。ここで得体の知れなかった対象物が、単なる“敵”にしぼんでしまう。さらにそのエイリアン姿を見せて、さらにさらにしぼむ。「相手が分かる」ということは、実に興を削ぐ。実際問題、月の四分の一の体積物があんなところにあったら、重力に変調が起こるのではないだろうか、それともよっぽど軽い物質でできているのか。人類の滅亡かという大きなストーリーと、主人公の身辺の世話物的なストーリーとだけがあって、中間部分がない単純さの上に、「共通の敵がいればすべての民族が仲良くなれる」という単純なメッセージが堂々と語れる。アメリカのある種の単純さは嫌いじゃないし美点だと思うことも多いんだけど、ここまでくるとちょっとなあ。かつての『宇宙戦争』でのウィルスを思い出させるコンピューターウィルスが登場するのは、ユーモアなのか先人への敬意なのか。アメリカ映画のUFOのマザーシップ内部は、独特の宗教的空間になっているのが特徴で、あの国が根深く宗教の国であることを確認させてくれる。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-10 12:08:39)
1832.  フェイク
A・パチーノが貫禄のボス役かと思ったら、うだつの上がらぬ中堅どころってのがミソで、人情家ゆえにも一つ伸し上がれないチンピラに毛の生えた程度のマフィア。動物番組を見、クリスマスには部下に金をやり、でもそれを借り、大親分へのカードをドキドキしながら選び、料理をする。ゴッドファーザーのパロディになってしまいそうなところだが、そこはさすがパチーノ、ちゃんとリアリティある人物として造形できていて面白かった。潜入捜査官も憎めなくなっちゃうわけ。J・デップは、子の父としては失敗したが、やくざの息子としては合格してしまったわけだ。自分の家族から、やくざのファミリーへ、しだいにアイデンティティが移っていってしまう。仮面がしだいに本物の皮膚になってしまうような気味の悪さ、ここらへんにだけ絞って100分に納めれば、もっと良かっただろうけど、悪い映画ではない。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-04 11:58:44)(良:1票)
1833.  望楼の決死隊
後の反戦左翼監督も戦争中はこういうのを作っている。考えてみればまったく西部劇と同じ構造なわけだ。勝手によその土地にやってきて居座り、現地の人が襲ってくるのを匪賊として撃退する話。地元の人たちを身体検査する場面など、今から見れば、こういう辱しめを平気で与えていたんだなあ、という正直な記録に見えるけど、おそらく製作側の意図としては、こういう危険きわまりない土地で同胞の兵隊さんたちは日夜苦労しているのだ、という文脈であっただろうし、また当時の観客にとってもそうであったろう(こういうズレは映画受容ではけっこうあり、今井監督が戦後反戦映画のつもりで撮った『海軍特別年少兵』を、右翼の赤尾敏が激賞したこともあった)。活劇ものとして見ると、はずみかけると精神訓話が入り込んで停滞してしまうところが、まどろっこしい。母の死を隠してサッパリと笑っている高田稔とか。また戦友の家族的な仲間意識のステレオタイプの描写。だいたいヒゲ面の熊ナントカって豪放な性格のが一人くらいいる。川が氷ると歩行可能になり危険が高まる、その氷る音が銃声のように響く、なんてあたりはいい設定になるんだけれども、どうも活劇演出がまどろっこしい。丁寧にワンカットで一人ずつ倒れる。まあそうして“騎兵隊”が救援に駆けつけてくるわけだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-01 12:05:37)
1834.  家族の気分
特別、人間についての新たな発見をしてくれる作品ではなく、だいたい予想した通りに展開していくけど、そのウェルメイドな戯曲の楽しみはある。狭い場所でどう話を進めていくかという技術面での作劇への楽しみも。冒頭、オートバイが走り去り、ラスト、カップルになって逆に走り去る、とキッチリしている。6人の人物のいろいろな組み合わせを作っていく楽しみ。嫁きおくれの女性への「酢には蝿もとまらない」ってのは、フランスではよく使われる諺なのかな、ミもフタもない表現。その蝿がジーッと焼かれるシーンがあった。人生で成功している家庭は冷たく、うまくいってないほうは仲直りへと、けっきょくドラマは調和を目指す。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-29 12:12:07)
1835.  ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン
ラモリスの風船は、もっぱら町中で子どもと戯れていたが、こっちの子どもは家の中にいてゲームをやったりしている。外でもピンボールしたりで、風船が戯れかかっても、ガラスが隔ててしまう。このガラスでの隔たり、っていうのがどうもモチーフのようで、この映画では繰り返しガラスの反射が描かれていた。外の風船に対して、ガラスの内側の女と子どもだけの世界がある。窓ガラスやフロントガラスや美術館のガラスによって、風船のある世界と触れ合えなくなっているシステム。そのときの室内照明に独特の味があった。ここにもう一つ、人形芝居のモチーフがあって(候孝賢の傑作『戯夢人生』を思い出す)、この人形芝居が映画としてどう関わっているのかがよく分からなかった。ただ母がこの語りをしていて、これが何となく無声映画の弁士を思わせ(フランスに弁士はなかったが、日本統治下の台湾にはあっただろう)、あとで8ミリの無音の映像に語りが入るあたり、微妙につながったような気もする。やけにこういう映画が沁入るときもあるのだが、今回はうまく合い損なって、下宿人の家賃未払いなんてどうだっていいじゃないか、と思ったりもした。そういったゴタゴタが、風船の自由と対比されてるんだろうけど。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-28 12:04:49)
1836.  ザ・ターゲット(1996)
こういうののネックは、犯人どもの“ココロザシの高さ”と実行にあたってのヘタクソさとの不釣合い、なんだよね。大陰謀なのに一人の殺し屋まかせにして、またその殺し屋が独自の美学に固執し、どうしてもおもちゃのヘリコプターで大統領を暗殺したがっている。大陰謀なら大陰謀らしくもっと目立たずにやりそうなものなのに、派手に路上で銃撃になったり、やたら脇の殺しをして目立つ。冒頭、襲撃を受けたとこで、一人がコーヒーカップを隠し逃げるあたりの細かさに、ちょっと期待をかけたりもしたのだったが。あの国ではとにかく大統領が絶対なんだなあ、とは思った。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-27 12:04:04)
1837.  レンブラントの夜警 《ネタバレ》 
何かを読み取りたくなる演劇的な絵画、それを演劇的な映画を撮る監督が題材にしたとなると興味を引くが、なんか相殺し合ってしまったという印象。ベッド・テーブル・棺などの水平線が強調される画面で、その無機質な構造を破るように、馬や牛や鶏やらが闖入してくる。しかしそれらもあくまでも舞台の上を賑やかにするという雰囲気で、映画そのものをスリリングにはしてくれてない。安定した舞台で、小さなまとまりのある陰謀劇を鑑賞した気分。「夜警」についてどんな研究がされているのか知らないが、あの絵の面白さは読み取りきれない物語をいくらでも紡ぎ出してくるところで、市民の裏面話(事故に見せかけた殺人、孤児院を装った売春宿と、演じることの二重性はあるけど)で閉じてしまうだけでは勿体ない気がした。ましてレンブラントが推理劇の主人公のように告発したりするのは興を削ぐ。俗な欲求から生まれた集団肖像画が、後世まで興味を引き続ける偉大な絵画となる、という芸術の不思議さに大きく展開していく前に、この推理ドラマは小さく閉じてしまったように見えた。
[DVD(吹替)] 6点(2009-03-26 12:00:27)(良:1票)
1838.  アフター・ウェディング 《ネタバレ》 
日本映画が好みそうな話で、それをカラッとヨーロッパ風に演出してるかって言うとそうでもなく、やっぱりジメッとしている。ドキュメンタリータッチのドグマ風演出だけど音楽付きで、涙涙の場面が多い。いっそオーソドックスな演出のほうがこの話には合ったのじゃないかとも思うが、並べて比べられないので確証はない。夫が、妻と妻の昔の男との再会をプロデュースしている意図は何か、という謎で引っ張っている前半はけっこう興味深く見られた。視線の演出がスリリング。ヤコブのちょっと頼りない理想家肌と、ヨルゲンの酔いどれたしたたかぶり、欠点が傷つけ合っているような両者の絡み具合が面白い。ネタがばれた後は、どうしてもヨルゲンの話になってしまい、それはそれで感動的でなくもないんだけど、絡みの面白さは薄れてしまった。金持ちの婿に納まった男が自宅で浮気するかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-24 12:05:57)
1839.  グリム・ブラザーズ/スノーホワイト(1997) 《ネタバレ》 
ホラーとしての童話。一つ一つのモノが象徴性を帯び、あれこれと深読みを誘う楽しみはある。鏡とは? 森とは? って。芯にあるのは、つまりすべて嫉妬。娘の継母への、後妻の先妻への。S・ウィーヴァーは、極端なキャラクターにしてしまわずに、よくやっていたのではないか。七人の小人がハイホーなんて歌う陽気な連中ではない。王子さまが毒リンゴの後でやけに早く到着したかと思ってたら、こいつはダメで、七人の小人のリーダーがその役になる、というヒネリがあった。ディズニーの『白雪姫』の後半の物足りなさに対するアンサーというか、現代的解釈なのでしょうな。旦那は自分の足で探せ、旦那と同じく顔に傷を負って得よ、と。この旦那に連れ子の女の子がいるとオチになるのだけど。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-23 12:00:40)
1840.  信子
「坊っちゃん」の女性版であるけど(先生も生徒もほとんど女性)、東京と地方が入れ替わっている。夏目漱石では、維新の敗者であった直情の江戸っ子が、因習の地方に向かっていたわけだが、獅子文六のこれでは、直情の地方から軽佻浮薄・事なかれの東京に向かう。明治と昭和での地域世相の違いか。モダンな高峰三枝子に、「…ちゅうですけん」と九州方言を言わせるおかしみ。最初は国語教師のはずだったが、体育に回される。音楽の先生は松原操。問題児えい子さんがドラマを動かす。ハイキングのときいなくなるえい子さんをみんなで呼ぶところ、「え~子さ~ん」の反響、こういうところをタップリとる。最後のほうでもみんなが寄宿舎で「え~子さ~ん」と探し回るとこで、時間を充分にとる。緊張を持続させるためというのでもない。監督がこういう時間が好きなのだろう。人を心配する気持ちが満ちている空間・時間。心優しい監督なのだ。昔の映画は堂々と照れずに“明朗”をやれていいな。
[映画館(邦画)] 6点(2009-03-22 12:13:43)(良:1票)
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