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まぶぜたろうさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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1.  ブロンド少女は過激に美しく
純粋な映画、映画の核。こういう映画が観たかったんだよ~。
[映画館(字幕)] 10点(2010-10-13 11:34:13)
2.  ローラーガールズ・ダイアリー
このあまりにも素晴らしいアメリカ映画っぷり。映画とはアメリカ映画だし、アメリカ映画は映画である。つまり、途方もないことがするりと起こりうる場。
[映画館(字幕)] 10点(2010-06-03 00:01:41)
3.  イングロリアス・バスターズ
映画を観ることの楽しさ、喜びにあふれている。これぞ映画。今年のベストは決まった。
[映画館(字幕)] 10点(2009-11-30 21:21:52)(良:2票)
4.  クローズZERO
刃物を使ってはいけない、殺してはいけない、ただ喧嘩をしよう。それは少年たちにだけ与えられた特権的なルールだ。だから今のうちに無邪気に、ヤクザになる前に、ごっこ遊びに真剣に興ずること。遊びまくる少年たちが素晴らしい。とりわけ小栗旬のスタイルの良さ、立ち姿の素晴らしさには惚れた。「ヤッターマン」と並ぶ三池崇史の最高傑作。
[DVD(邦画)] 10点(2009-11-11 12:38:31)
5.  ストレンジャーズ/戦慄の訪問者
これは悪くない。何のひねりもないことの潔さ。そして、何となく過ごす時間、殺人鬼をやり過ごす時間、人が何か行動を起こす瞬間、それに至る時間、なすがままにされる時間、映画の楽しさってはそれだと。
[映画館(字幕)] 10点(2009-04-08 00:19:00)
6.  ハッピー フィート 《ネタバレ》 
まずミュージカルシーンが素晴らしい。歌い出す瞬間の高揚感にあふれているし、見事なタップを1カット切れ目なくみせてくれる堂々。ここ数年で観たミュージカルみたいなもの(むーらんなんとかとかおぺらざのなんとかとかどりーむなんとかとかしかごなんとかとか)の5000倍優れている。 ■そして素晴らしいのは動物に知性があるというアニメーションのお約束事をリアルとして描いていること。それは「ベイブ」以来のネタではあるが、「ベイブ」にみられた被支配者としての屈折を昇華させていること。 ■さらに凄いのは、それがペンギンの歴史、人類の歴史まで変容させる自体にまで発展することで、つまり観客は「神話」が生まれる場に立ち会っているのだ。「食物連鎖が崩れた」という台詞には感動した。エコロジーといった社会ネタを動物の擬人化によって描いているから感動的(あるいは鼻白む?)なのではなく、そのような視点そのものの歴史性が感動的なのだ。
[DVD(字幕)] 10点(2007-08-06 22:28:18)
7.  ブラックブック
映画の王道。これぞ映画。
[映画館(字幕)] 10点(2007-05-04 23:36:23)
8.  父親たちの星条旗
時間軸をバラバラにし、「プライベートライアン」の焼き直しを撮り、誰が誰なのかわからない物語を綴り、嘘みたいな生首が転がり、ジョン・フォードのようなラストシーンを設ける。■そのような形容詞はもう、どうでもいい。■わからない物語はわからない自分が悪いのかもしれない。あるいは、物語のすべてを分かる必要はないのかもしれない。■また、生首や生手首を私は見たことがないので、それがリアルなのか、嘘っぽいのか判断がつきかねるし、本当の戦争を描けば「焼き直し」みたいになってしまうのかもしれない、それはわからない。■ジョン・フォード?多分、脚本家たちは、この物語の収めどころを、ある種のハリウッドの文脈に求めたのだ、と思う。イーストウッドにもそのフシはある。だからと言って、ああアメリカ映画っす、と泣けるのは80年代までだ。21世紀に生きるナウな私に、そんなことは関係ない。■だいいち、死んだ人間、生き残った人間、全員勢揃いの水泳シーンに漲る、感動とか「泣ける」とか、伏線とか回想とか、「長い灰色の線」じゃんとか、そういう文脈を超えた崇高さや歪さ、イーストウッドでさえ信じていないであろう感情を、どう説明すればいいのか。それがわからないから、途方もなく溢れ出る涙の理由を考えて、このような駄文を書き連ねているんじゃん。
[映画館(字幕)] 10点(2006-11-02 00:23:47)
9.  ポセイドン(2006)
「船はひっくり返ると沈没する」その一言で人々が行動する。ジョシュ・ルーカスの人となりを殆ど説明しない。パーティー会場に残った人々の死を、黒人船長と女性シンガーの抱擁いっぱつでさくっと見せる。リチャード・ドレイファスの自責の念をジョシュ・ルーカスが彼の肩に手をおく、その1カットで表現する。■下手をうてば、なんじゃこりゃの世界なのだが、ペーターゼンは簡潔に、しかし的確に人々の感情やらなんやらを捉える。「人間ドラマが希薄」のように見えるが、この物語を説得力を持って観せ続ける上で必要最低限の「人間ドラマ」で勝負し、それに成功したと思うのだがどうか。いらんツボは押さえん、利くツボだけを押すのだ、と。■そして「水」のもつ閉塞感がいい。ひっくり返るまでのゴージャス感がいい。船内のぐちゃぐちゃな美術はさすがハリウッドの底力、いい仕事してる。妙に70年代っぽい匂いのする撮影もいい。前作の持っている重みや映画としての格上感はさすがに全然ないのだが、実に面白いウエルメイドな一作でした。正直、監督の腕前だけでいうならロナルド・ニームよりペーターゼンの方が全然いいんじゃないの?
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-06 19:27:10)(良:2票)
10.  ラストデイズ(2005)
リビングの中央にテレビモニターがおかれ、PVが流れている。私たちはそのPVを凝視することになる。とりあえず動いているものはモニター中の映像だけなのだし、何か隠されたメッセージやテーマがあるようにも思えるからだ。しかしどうして、テレビが置かれている家具の佇まいや背後の壁に注がれている光を見ないのだろう。■事物の有り様を、あらかじめ定められたように、定められたまま見てしまうこと。そこから解放される契機をこの映画は様々に用意する。もちろん私たちが主役の姿を追い続けることはいたしかたないことだ。しかし、例えば森を彷徨う男を覆い隠すように現れる木の幹。川に続く斜面の素晴らしさ、滝の音。時間と空間の交錯。■画面を中心化する制度的思考から解き放たれ、私たちの見たことのない何かがそこに立ち上ってくる。その圧倒的な何かの中に、誰ともコミュニケーションのとれない孤独な一人の男がいる。電話帳に彼のアドレスはなく、やがて暗闇が彼の姿を隠していく。■探す男たちの声をあとにして、彼は家を出、湖畔に向かう。二度繰り返されるそのショットで、カメラは同じように彼の姿をフォローする。彼がフレームアウトすると、スクリーンには何の変哲もない雑草だけがある。風がふく、草花が揺れ、やがて夜になろうとする光がざわめく、その音が心地よく響く。未知の風景が現出する、これは素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2006-05-29 00:03:13)
11.  蝋人形の館 《ネタバレ》 
これまでのところダーク・キャッスル作品唯一の傑作。以下、良かったとこを列挙。■アキレス腱切り、足裏ナイフ狙い、指先ペンチ切りなどの細かなアイデアが散りばめられているのがまず素晴らしい。■つまらなくなりそうなシーンを俯瞰の1ショットで簡潔に流す、殺人シーンの省略などのリズムの良さ。■最初の殺人まで50分もかかる、という反ハリウッド的頑張り。成功してるかどうかはともかく、それは「頑張り」とか「志」とかいう言葉で賞賛してもいいかなと。■日没少し前から完全に夜となるまでを、丹念なカットの積み重ねによる1シーンで描くなどの光に対する戦略。■犯人(?)たちの過去をさりげなく小出しにしていく手際の良さ。■そして何より、クライマックスのスペクタクルが単に派手なハリウッド流ではなく、しっかりと物語の中に生きていること。■というわけで、ああ、ホラーを見るというのは「怖い」のではなく「楽しい」体験なのだ、心の底から怖かった数少ない傑作たちの陰にあって、幾分身を潜めていたかのような「楽しい」ホラーたちもまた「傑作」なのだと、改めて光を当ててしかるべきではないかと。■この「楽しさ」を存分に味合わせてくれるウエルメイドな一作。映画館で観なかったことを心底後悔した。
[DVD(字幕)] 10点(2006-05-15 21:27:57)(良:2票)
12.  ミュンヘン
スピルバーグの楽しく愉快なアクション演出、サスペンス演出を楽しもう。まるでこれは70年代アクションではないか。■異国のホテルのベランダ。風が気持ちよく吹き、繁華街のざわめきが階下から微かに聞こえてくる。隣室の新婚夫婦と、やがて暗殺されるであろう男との語らい。そして暗殺の合図を示すベッドサイドのスタンドをなめ逡巡する暗殺者の表情を捉えた、悪い意味でも良い意味でも稚気あふれる構図。そして爆発。■あるいは、子供が忘れ物をとりに暗殺現場へと帰ってくるあたりのサスペンス、そしてオランダ女!!!その登場時の時代錯誤なノワールぶり、そして暗殺シーンのああなんてかっこいい銃なんだ、とガウンをはだけた女の風情。あるいは市街地での銃撃戦。画面に対し垂直に配された階段を駆け下りるモサド暗殺チームと、下で待ち受けるパレスチナ軍団を共におさめたロングショット。見せ場のことごとくが、かああっつこいいいいい。■正直、私はそれで充分なのだが、ま、いろいろある。そのいろいろがスピルバーグの場合、許せちゃうのが何故だかわからん。ゲージつぶるなよ深刻ぶるなよ、とは思うが、許せちゃうのは何故だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-29 00:27:43)
13.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 《ネタバレ》 
映画は常に現実社会や人生やらとの距離を計測し続けてきた。現実をいかにもっともらしく映画の中に表現し、現実との折り合いをつけていくか。現実では解決できない問題も、2時間足らずの中で解決したり、曖昧に濁してみたりせねばならない。ところが、こうも現実が複雑になる、「そんなの今どきあり得ないじゃん」などという観客ばかりになってくると、映画の中のお約束や紋切り型な表現はもはや許されなくなる。ジョン・ウェインは家族のために敵に立ち向かい、敵を殲滅し、白いエプロンの翻る我が家へと帰ってくる。しかし現代のジョン・ウェインは「人殺し」とののしられるばかりだ。■クローネンバーグがやろうとしたのは、このような「紋切り型」をあえて行うことなのではないか。映画史が紡ぎ出した現実との折り合い方に、今、パロディではなく、真剣に、気合いと根性と己の演出技術のすべてを賭けて取り組むこと。例えば「クラッシュ」のような良心的なハリウッド映画がひた隠しながらもつい求めてしまう、安易な叙情や「曖昧」という名の決着を排すること。例えばリンチやコーエン兄弟のように、スタイリッシュな映像や「変態」的な「感性」で「紋切り型」を糊塗するような姑息なことはすまい、という意志。■さりげなく、なんということもない、ただ撮っているかのような一見凡庸なカットの連なり、しかしそれらは物語が持つ力によって、やがて力の漲ったものとなる。オープニングの緊張感、階段でのセックスシーンの素晴らしさ、保安官に詰問される夫と妻の2ショットの力、あっけなくまるで信じられないアクションシーン。■そしてラスト、暴力の限りを尽くした父を許すかのように、娘が食卓へと父を招く。感動的な、しかし安易な結末、でもなく、問題の曖昧な、だからこそ現代的だと言いたげな結末でもない、これは現在の映画が抱く「紋切り型」だ。その大いなる力に私は泣いた。ラストカットが素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-29 00:25:46)(良:1票)
14.  ウェス・クレイヴン’s カースド
遊園地の占いコーナーで不吉な予言を受ける女性。映画の冒頭、慌ただしく、性急な画面展開の中で、そのシーンは綴られるのだが、彼女が遊園地を離れその駐車場へと向かう時、先ほどの喧噪とはうってかわった落ち着いた1ショットが登場する。不安げな表情を浮かべ、髪が風でなびき、遊園地の喧噪がかすかに聞こえる。別にたいしたショットではないのに、ああ映画を見てるなぁという気にさせるのは何故だろう。■例えば、崖下に墜落した車に近づくクリスティーナ・リッチを捉えたロングショットや、鼻をクンクン言わせながら歩くリッチのトラックバック、あるいは身体の異状に怯えトイレに駆け込んだ彼女とその友人を捉えた不安定な俯瞰ショット。■こういうアクションを撮るときはこういうカメラポジションであるべきだ、という明確なスタンスを持っているわけではなく、たまたまこういうポジションになってしまった的な、さり気ない風情。「風」吹かせたほうがいいか、というスタッフの好意。なんだかわかんないけど、くにやくにゃ演じてみるか、演出してみるか、なリッチとクレイブン。つまり、いろんなことがいい方向に走りました、みたいな、謙虚でささやかだけれど大切な何かにこの映画はあふれてる、と思うのだがどうか。■ミステリー色、コメディ色、青春色は支離滅裂だし、クライマックスの蝋人形クラブ(?)は実に非映画的な空間だし、リッチは一体何の仕事してるの?とか、なんか行き当たりばったりな映画よのぉ、とは思うんだけど、ああ、実に腹八分目、いい気分で映画館を出た、満喫。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-24 23:25:16)
15.  アメリカン・パイ in バンド合宿<OV>
このシリーズが素晴らしいのは、人生のある時期の普遍的な感情を思い起こさせてくれること。しかも、「アメリカンパイ」(意訳すると「こんにゃく」か、古いか)というタイトルがそうであるように「あるある」ギャグの羅列に終始している風でありながら、しかししっかりと映画としてみせてくれること。そしてすべての登場人物たちに向ける視線が優しいこと。■例えば、スティフラー弟に待ちぼうけを食った少女が川床でぽつんと座る、そのシーンはやがて時を経過して、夕暮れから夜へとその光を変えていく。このロングショットの素晴らしさ。あるいは、パーティーに加わらず一人楽器の練習をしている少女、窓越しに彼女を捉えたほんの短いロングショット(この後で「オーボエ挿入」ギャグに変わってしまうのだけれど)。あるいは、スティフラー弟と少女が並んで横たわっている俯瞰ショット。二人の感情が高まっていくのをじっとみつめる長回しの素晴らしさ。■もちろん、ギャグの運びは単調だし、ストーリーは行き当たりばったりではあるけれど、そんなことはどうでもいい。まるで登場人物たちのすべてを愛しているかのように、彼ら彼女らをささやかに見守り続ける映画がそこにあるのだ。そしてラストでは、アメリカ映画ではどんなことだって起こる、その素晴らしさを満喫することができる。■監督はスティーブ・ラッシュ。「キャント・バイ・ミー・ラブ」でもオタクたちに優しい目を向けていた&古典的な技を身につけた手堅い人。もっとがんばってほしいんだけれど。■ちなみに、アリエル・ケベルという新人さんが素晴らしくよい。アリソン・ハニガンを超えアメパイ史上最高の萌え系。ファンになった。がんばってほしい。ジェシカ・アルバによく似てるが。
[DVD(字幕)] 10点(2006-01-03 23:18:22)(良:1票)
16.  ジョゼと虎と魚たち(2003) 《ネタバレ》 
身障者である池脇千鶴の唯一の保護者である祖母が死んだことを知り、妻夫木聡は彼女のもとを久しぶりに訪れる。彼は家の扉をたたき彼女を呼び出す。と、カメラは室内へと切り替わり、室内の彼女の姿を捉える。彼の目からではなく客観的な視点から捉えられた彼女の姿は、あくまでも普通を装った、普通の少女の一人暮らしのようにみえる。このシーンでの視点の変換は、妻夫木からみた身障者の姿でも、現実の身障者の姿を描いたものでもなく、いかにも「映画」が「現実」と程よく折り合ったものでしかない。あるいは「現実」が「映画」サイズに縮小されたものでしかない。■このような「現実」との程よい距離感。妻夫木君はヒューマニズムと正義感にあふれた若者でもないかわりに、「身障者と出会った今どきの若者」というステレオタイプでしかない。また池脇千鶴は「すべての身障者は心優しく感性が鋭い」という偽善をまとうわけではないが、程よく美化された閉じられた世界に住む、生活感の感じられない身障者でしかない。■映画は現実を凌駕してほしいのだ。積極的に現実を乗り越え、それに勝利するべきなのだ、と思う。例えば妻夫木君は唐突に池脇のもとへ走っていってもいい、無理矢理ハッピーエンドにしても「映画」はそれを許すかもしれない。あるいは妻夫木君は無茶苦茶なSMを池脇に要求したっていい、「映画」はそれを許すかもしれない。しかし、このバランスのとれた「出来のいい」映画は決してそんなことはしない。■ただ、池脇が最後にみせる苦い表情、魚を焼きながら口元に皺を寄せたその表情、あるいは妻夫木君の背中を叩くその肉体に感動した。その一瞬だけが身障者の抱える現実を超越した映画だけの真実だったように思う。■と、書いていたんだけど、妻夫木君の最後の泣きはやはり身につまされる。この泣きで決着をつけるこの映画の「いい子」ぶりに辟易しつつも仕方がない。「出来がいい」です、この映画。というわけで5点から10点に変更します。甘いか。どうでもいいが。
[DVD(字幕)] 10点(2005-11-24 00:04:16)
17.  ドミノ(2005)
やはりトニー・スコットの映画はキャスティングがいい。そしてトニーはすべてのキャラを立てる。役者たちがのりにのっている。のりにのるシチュエーションを与える、あるいはごく短い1ショットでさえ、役者たちの顔がそのキャラを際立たせる。ジャクリーン・ビセットとウォーケンの丁々発止のやり取りにわくわくしていただきたい、ビバヒル二人組に「運が良かったな」と言い放つマフィアの手下、そのさりげなくも強烈な一瞬の風情に感動していただきたい。その中で、キーラ・ナイトレイがとりわけ良い。■さらにお話が面白い。お話がわかりやすく、的確かどうかは知らないが、とにかくわかりやすく語られる。「トゥルーロマンス」のリメイクだったり、ガイ・リッチー風今どきだったりするんだけど、ま、いいじゃんと。いい加減、トニーもおっさんなんだから、もちっと丸くなろうぜ、とも思うが、ま、いいかと。■で、この過剰に過ぎるエフェクトなんだが、まいっか、ですますにはちょっと擁護しきれぬな、と思っていたのだが、ふと気づいた。これってゴダールじゃん。それがどうしたって話ではあるが。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-08 10:17:26)(良:1票)
18.  チアーズ!
誰が観ても楽しめ盛り上がれる映画。映画って面白いよね、と心から言える映画。ゲージツ映画を小難しく作れても、こーゆーのをちゃぁんと作るのは並大抵の力量では出来ないので、「よくあるスポコンものだけど意外に…」なんて言わずにもっともっと過大なまでに評価してあげてほしい。■しかも、例えば「クールランニング」や「がんばれベアーズ」などのようなマイノリティを主役にしているのではなく、前年度のチャンピオン、私立高校の金持ちお嬢たちを主役に据えていることの勇気。これって作劇が難しいんだよ。さらに例えばスタジアムのグラウンドと観客席の高低差を生かした演出とか、ラストの決着の付け方とか、いや、ほんとにがんばってる。ここ何年かで最高のアメリカ映画の一本だと思う。
[映画館(字幕)] 10点(2005-10-29 16:22:14)(良:1票)
19.  鉄西区
映画はまず舞台となる重工業地帯、鉄西区を前提とする。その中をゆっくりと走る列車の主観映像、延々と続くかのようなそのショットでさえ、全体を捉えることは出来ない。あまりにも巨大な全体、社会。しかし、映画はそれら巨大な社会を前提としておきながら、捉えていくのはあまりにも卑小なる個の有り様でしかない。■うんざりするほどに掘り、運び、つまり労働する彼らの姿は、それ自体が目的化しているような、労働のための労働に思えてくる。彼らは何のために埃がもうもうと舞う中、セメント袋を運ぶのだろうか。鉄道は誰が何のために何を運ぶために走っているのだろうか。■巨大な社会は確かに存在し、彼らのまわりに確固としてある。しかしその巨大な何かは決して見えることはない。彼らはその巨大な何か、見えない何かのために働き、食事をし、語り、風呂に入る。社会へ通じているはずの電話はもはやどこにもつながってはいない。彼らはどこに住んでいるのだろう。この迷宮のような巨大な工場の中なのだろうか。■しかしカメラは彼らの有り様をただ見つめている。ある住居にカメラは案内される。その住人は彼(カメラ)を自室に引き入れたことを後悔するように、逡巡し、しようもなく茶を入れ始める。カメラはその様を映すだけだ。その客はカメラを構えた無口な他人でしかないのに。■この長い映画の中で一瞬だけ、カメラが登場人物に積極的に対す、あるいは対さねばならない瞬間がやってくる。対象者である17歳の青年が唐突に過去の写真を見せ始める。父親だけを頼りにしていたその青年は、父親の長い不在の果てに、しかたなく、困ったあげく、そこにたまたまカメラを持った他人がいた、という理由だけで、自分と父親と行方不明の母親について語り始める。これは感動的だ。しかし、カメラは彼の感情をもてあますかのように、黙っている。■いよいよ工場は解体され、彼らの住む街が破壊される。雪の中で佇む少年、ろうそくの明かりの中で食事する家族、父も母もいない少年はいよいよその住居を失う、行き場を失う。■行き場のない人々、彼らのまわりには巨大な何かが広がり、さらにその先には彼らが抱えてきた歴史が見え隠れする。登場人物の一人が廃墟となり、ろうそくだけがともされる住まいで苦笑する。「革命前と同じだ」と。歴史や社会に翻弄され、常に行き場を失い、行き場を求め続けることの絶望と悲しさ、そしてしたたかさ。 
[映画館(字幕)] 10点(2005-09-19 21:42:38)(良:1票)
20.  リンダ リンダ リンダ
冒頭に登場するビデオカメラの少女が観客に向かって宣言するように、さらに横移動で捉えられる学校の風景とそこに生きる高校生たちの姿は、ここが特別な場所の特別な時間であることを示している。ある人にとっては過酷であったり、甘美であったり、郷愁を誘ったり、もしかしたら今まさにそこに立っている人もいるであろう特別な場所と時間。しかし、その中に生きる高校生たちにとって、それは特別でもなんでもなく、ごく日常的な平凡な時間の積み重ねでしかない。■そんな特別だけど平凡な一瞬を私は見続けることとなる。事件が起こる訳でもない、物事が都合よく説明される訳でもない、ただ平凡な日常の断片が切り取られて提示される。例えば私は、告白する男子とそれにとまどう女子の姿を窓の外から覗き見る、バンドに誘われて訳もわからず返事をする女子の姿を壁に囲まれた枠越しにそれを眺める、あるいは顧問の先生のようにビールを飲みながら、ある種のノスタルジーを覚えながら彼女たちの練習に耳を傾ける。そんな平凡だけど特別、特別だけど平凡な時間の連なりを眺めることの心地よさ。■そして一人の少女が誰の目にもふれえない場所へと赴く。スキップをし、両手を広げ、「フランクフルトいかがですかぁ~、焼きそば、おいしいすよ~」という言葉を聞いているのは私たち観客だけだ。そして彼女は観客に向かって声を張り上げ「仲間」たちを紹介する。このシーンが素晴らしいのは、眺めるだけの存在であった私たちが彼女との時間を共有するからだ。彼女が話しかけているのは誰もいない体育館ではなく、私たち観客なのだ。■あるいは大勢の観客を前に逡巡する彼女は、突然後ろを「仲間」の方を振り返る。私は舞台の上の彼女としてではなく、まるでバンドの一員であるかのように眼前にそれを目撃する。そして唄う彼女、演奏する彼女たちを舞台の袖から見続けるのだ。■この映画が描くのは郷愁ではなく、現在の時間です。現在の時間として、人生においてまさに特別であった場所、特別であった時間を共有することの素晴らしさ。できればいつまでもそんな時間を過ごしていたいと思う。彼女たちや先生や、「あ酒ですか?」とか「OK?」とか言ってる間の抜けた男子たち、茶髪の留年女子、この映画に描かれるすべてと別れる、その痛みに、ブルーハーツのオリジナル曲が流れても涙が止まらなかったとです。
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-01 01:14:04)(良:5票)
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