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港のリョーコ横浜横須賀さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 118
性別 女性
年齢 41歳
自己紹介 前回アクセス(H30.11月)から2年ぶりに再びアクセス。
なかなか時間がないものの、地味〜に、たま〜に、映画は観ているのですが、、何故か映画鑑賞よりレビューを書く方が時間がかかる不思議…
簡潔に論理的にまとめる能力が欲しいです(泣)

<採点基準>
10  :生涯のベストムービー。理由は様々だが愛してる

9 ~8 :かなり大好き。純粋に面白い。好き!

7 ~6 :なかなか良い、悪くない。云わば平均!

5 ~4 :微妙、消化不良、苛々。あまり好きではない

3 ~2 :見たことをひたすら後悔、後悔、後悔

1 ~0 :滅多に出ないが出たら最後。永遠にさようなら

これからもよろしくお願いします!

令和2年10月10日

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1.  リング(1998) 《ネタバレ》 
約8年の歳月が経った今でも『貞子』の名前は多くの人の記憶に残っている。これってスゴいことです。 ホラー映画って、興行収入や制作費などの『記録』ではなく、いかに『記憶』に残るかが名作としての絶対条件だと思うのです。  8年前に初めて「リング」を見た時、私の心は恐怖と感動でいっぱいでした。 若かったからかもしれないですけど、これほどの緊張感と恐怖心で支配されたジャパニーズホラーは、その時の私には初めての経験だったのです。だからこそ、恐怖を超越してある種の感動を覚えてしてしまったのです。  で・・・でも、やっぱり貞子こえぇ~っす(泣) 鑑賞後の夜、お風呂から出てきた時に独りぼっち&部屋が真っ暗だと怖いから、パパンに起きて待っててもらったのは良い思い出です(夜中の2時)。   <2020年10月:点数を7点→8点へ修正> たまたま見る機会があり10数年ぶりに鑑賞しましたが、これは本当に名作ですね。よく出来てるなぁ…と改めて嘆息が出ました。 ジャパニーズ・ホラーの原点って、やはり「水」なのかな?と思ったりしています。 水というか、ジメジメヌメヌメした梅雨時のような、あの肌にまとわりつくようなベッタリした不快感です。汗なのか湿度なのか判らない、あの不快指数100%のようなじっとりした肌感覚です。その言い知れぬ不快感が「リング」からは常に漂っていて、見ているうちにいつの間にかしかめっ面になってしまうんですよ。 しかしこうした不快感を恐怖として変換・認識できるのも、日本という海に囲まれた島国で育った日本人特有の感覚なのかもしれません。土着信仰も大いに影響しているように思います。  かつては幽霊と言えば「お岩さん」を思い浮かべる日本人が大多数だったにもかかわらず、今日では「貞子」がその地位を取って代わり、確固たるものとしています。この作品がジャパニーズ・ホラーの代名詞として一つの文化を作り上げたのは、紛れもない事実でしょう。 ところどころに粗はあるものの、封切りから20年以上経っても色褪せない良い作品だと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2020-10-12 02:29:32)(良:1票)
2.  ヤコブへの手紙 《ネタバレ》 
短時間の作品だが、内容は非常に濃い。 人が生きる意味や生死観と重い題材ではあるが、悲壮感はなく、静謐で温かい空気が流れている。フィンランドの田舎町の風景がそれを手伝っているのだろう。聖書の言葉が与える神秘的な優しさの影響も大きい。  物語は、殺人により終身刑に処されていたレイラが、恩赦によって出所する所から始まる。彼女は唯一の身内である姉の元には戻らず、刑務官に紹介されるまま、片田舎の教会の牧師・ヤコブの元に届く「手紙」を読む仕事に就く。ヤコブは盲目ゆえ、レイラに手紙の代読と返信の代筆を頼むのだ。  興味深かったのは、光と闇の使われ方。 陽の光に照らされて生い茂る木々や草花。 そんな外の風景とは対照的に、ヤコブの家の中は暗く、老朽化によって傷みきっている。 悩める子羊たちに優しい言葉と安らぎを与えるヤコブとは、まるで正反対の様相。これは単にヤコブが盲目であるからではなく、家が「彼の心の闇そのもの」なのだと思う。  彼は言う。「自分の役割は『神の教えを説くことだ…』と幼い頃から思っていた」と。 彼に救いを求める手(手紙)を優しく導くこと。それこそが彼の生き甲斐で、人生で、存在意義なのだ。 しかし、それはあまりにも脆い。  確かに隣人愛は素晴らしい。 しかし、人から必要とされる事が生きる目的と化したヤコブは、それらを失う不安や恐怖心に心を蝕まれていたのだろう。ヤコブの家の暗さに、そんな哀愁が漂っていてとても印象的だった。  レイラの心も、溢れる自然美(ヤコブの家の外)とは裏腹に暗闇に満ちている。 しかし、ヤコブと日々を共にすることで彼の心の闇に触れ(ヤコブの家の中)、彼女自身も心の扉を開いていく。彼女はヤコブの為に、彼女自身の「恥部」をさらけ出す決意をする。これは、キリスト教的には「自己犠牲」の一種ではないかと思う。  孤独を抱えていたレイラは、自己犠牲により新たな救いと希望を見出す。同時にヤコブも、「隣人愛」によって、彼自身の命を以ってレイラを救済し散ってゆく。レイラは「生への希望と活路」を、ヤコブは「使命と充足に満ちた死」を、互いに与え合ったのだろう。  人は人の心の闇に触れた時にこそ、本当に優しくなれるのかもしれない。たとえその闇が深くても、いつか必ず光は差しこむ。 誰かに必要とされたいと思うのは、人としての純粋な欲望である。だからこそ、私たちは愛し合えるのだと思いたい。
[DVD(字幕)] 8点(2020-10-11 02:12:19)(良:3票)
3.  バタフライ・エフェクト/劇場公開版 《ネタバレ》 
人は誰しも「封印したい記憶」や「やり直したい過去」がある。でも時計を元に戻すことはできない。だから後悔や挫折から学び、それを糧に成長しようと努める。  主人公の「封印された記憶」は、つまりは「やり直したい過去」であり、それらを変えていくことで様々なパターンで自分の人生を擬似経験する。 多くの疑似体験の中で彼が常に目指しているものは、「自分の幸せ」だけでなく「大切な人たちの幸せ」も同時に存在することだ。 誰だって幸せになりたい。かと言って、自分以外の人々を犠牲にしてまで幸せになりたい訳でもない。 ゆえに彼は、自身と周囲に大きく影響していると思われる過去の出来事(=封印された記憶)に手をつけ、未来を変えようとする。 そこに悪意はない。ただただ、自分と自分の愛する人々の幸せを願ってのことだった。 この観念を持っているだけでも、彼は立派である。世の中には、自分さえ良ければ他人の幸福など気にもしない人間は腐るほどいるのだから。 しかし、努力の甲斐も虚しく、最後には必ず歪みが生じてしまう。自分が幸せになれば誰かが傷つき、誰かを優先すれば自分が犠牲になる。 悲しき現実である。  ここで利いてくるのが、冒頭に出てくるカオス理論。 「蝶の羽ばたきが地球の裏側で台風を起こすこともある」という理論を本作に当てはめるのは、些か大袈裟ではある。 しかしながら「大きな影響を与える出来事の裏に、常に大きな何かがあるわけではない」ということもまた真理なのである。 彼が最後に変えた過去は、愛する彼女との出会いそのもの。シンプルだが「愛する人との決別」という自己犠牲が伴う悲しい決断だった。  人を変えるきっかけというものは、いつの時代も至ってシンプルなことなのかもしれない。結ばれない二人の皮肉な運命から、切なくも真理を再認識させられた。
[DVD(字幕)] 8点(2020-10-11 01:58:48)(良:1票)
4.  ナイトクローラー 《ネタバレ》 
久々に純粋に面白いと思える作品だった。 主人公ルーを演じるために12キロの減量をし、昼夜逆転の不摂生な生活をあえて送り、独特の不健康さと狂気を身につけて本作に臨んだジェイク・ジレンホール。彼の役者としての勘の良さ、器の大きさ、その余りある才能を改めて感じさせられる作品である。  本作はサイコパスの話だと聞いてはいたが、彼は本当にサイコパス(異常者)だろうか? 確かにサイコパスかもしれない。 だが、彼が持つ一面は、誰しもが持ちうる面ではなかろうか? 事故や火事などの現場で、興奮を隠せず(いや、隠しもせずが正しいだろう)カメラを高く掲げ、センセーショナルな場面をひたすら撮り続ける。 一般人にもよく見られる行動ではなかろうか? カメラかスマホかの違いだけである。  ルーは言う。 「人が破滅する瞬間に僕は顔を出す」と。まるで死神だ。 他人の不幸を飯の種にする彼の生き方は、文字通り死神めいている。 しかしそれ以上に、現場でカメラを手にする彼は恐ろしいほど活き活きとしている。獲物を捉えた目は見開き、不敵な笑みで口元を歪ませるその様は、まさに狂気。 さながら不幸や生気を吸い取る死神である。 自らの天職(居場所)を見つけてしまった彼は、もう元には戻れない。  しかしながら、彼の持つ異常性は、果たして本当に先天的なものなのか?私は、彼の生い立ちにも異常性を呼び起こす要因があったのではないかと思えてならない。  作中で彼が家族や友人などの人間関係について言及するのは、ほんの3~4回だ。 最初は、鉄屑工場の社長に自分を売り込む時に「宝くじを当てるにもお金がないと始まらないと母は言っていた」と話す。 次に、ニーナと食事をしている時に「故郷に帰っても誰もいない」と話す。 さらに、ニーナに友達として夜の誘いをかけ、その矛盾をつかれたときに「友達は自分自身へ対する贈り物だろ?」と返す。 また「学生時代は自尊心が高すぎて妥協ができなかった」とも回顧している。  これらの発言から私は以下のように想像する。 彼は家族とは疎遠、もしくは既に家族は他界している。 恐らく彼の母親は厳格で、教育にも熱心だったと思われる。それは彼の発言には品と教養が感じ取れるからである。 彼が関わる人々(取材する住人でさえ)のほとんどは、「Fuck」や「Damn」などの汚い言葉を日常的に連呼している。 しかし彼はほとんど口にしない。 それどころか、彼は助手に対してでさえも「Please」や「Can I~?」を使い一定の尊重の念を表している。 そういった点からも、彼の教養の高さ、知性の高さが窺える。 恐らく、こういった行儀の良さがニーナや上役たちに気に入られる点でもあるのだろう。  しかし、彼は母親の期待に反して学業面では頭角を現さなかった。 故に学歴がない。基本的知能は高いだけに、それが彼にとって大きな挫折と劣等感となったのは想像に難くない。 理想と現実の乖離を認めることができなかった彼は、自尊心を高くして妥協しないでいることで、かろうじて自我を保っていたのかもしれない。 だから友達が出来ない。 知能の高さゆえ人を見下す癖のある彼は、周囲と折り合いをつけられず、友達の作り方が本当に解らなかったのだろう。 それを彼は、自身の努力不足、能力不足だと解釈してしまう。 自分の価値を高めて相手より上に立つことができれば、相手が自分を認め、崇めてくれて、友達になることができると考えたのだ。 その結果が「友達は自分自身(の努力や自己研磨)へのご褒美」という発言につながるのだろう。  彼の孤独は生活感や発言から窺えるものの、その奥に潜むのは、周囲(特に母親)に認められなかった劣等感と、彼を見下してきた周囲に対する復讐心のように感じられる。 ニーナほど年上の女性を好むのも、彼女に母親の姿を投影しているからかもしれない。 彼女に認められるために法を犯しても尽力する姿は、まるで母親に認められたい子どものよう。 反して、自分の要求に対して無条件降伏を彼女に促すのは、厳格な母親に向けたある種の復讐のようにも思える。  哀しい人間である。  これらはあくまで私の想像でしかないが、そういった視点で考えると、私はルーの非情で冷酷で下劣な品性を揶揄する気にはなれない。 本作は、ルーを通じて報道側の人間と視聴者に対する強烈なアンチテーゼなのかもしれない。 私たちは、いつだってルーになり得る。 ともすれば、いつだってルーのような人間を作り出してしまうのかもしれない。 それを肝に銘じなければならないと、私は思った。
[インターネット(字幕)] 9点(2020-10-11 01:30:46)
5.  男はつらいよ 寅次郎夢枕 《ネタバレ》 
寅さんシリーズ、鑑賞4本目。 八千草薫さん演じる千代に感情移入しっぱなしでした。 女としても、母としても、彼女の発する言葉、彼女の見せる表情、気持ちのすべてに共感してしまった私がいます。  千代が土手で息子のサトシくんと会うシーンは、たった5分ほどの短いシーンです。さして多くが語られている訳ではありません。 けれど、あのシーンだけで千代が抱えている様々な気持ち、送ってきた人生の苦渋などを読み取ることが出来てしまい、涙無くして見ずにはいられませんでした。  第2作でも寅さんのお母さんが言っていました。「どこぞの世界に自分の子どもを喜んで放る親がいるんじゃ」と。 本当にその通りです。 母親が自分のお腹を痛めて産んだ子をわざわざ手放すには、それなりの理由があると思います。 時代も時代だから、もしかしたら父親が譲らなかったのかもしれない。 はたまた、我が子の幸せを総合的に考えた上で、母親が泣く泣く子を手放したのかもしれない。 必ずしも、母親が我が子を引き取るだけが愛情ではない。 どんな理由であっても、子の幸せのために我が身を切る決断を出来るのが母親だ…と、当該シーンは語っているように思えました。  サトシくんと一緒にいる間は涙を堪え、見送りながら小さく肩を震わせて泣く千代の姿に、世の母親は涙を隠せないはずです。  そして、何気ない千代の発言からも、女一人で生きていく人生の不安、大変さ、辛さが表れていて、胸が締め付けられる思いでした。 荷物を運んでくれる寅さんに「やっぱり男手って必要ね…」と彼女は言います。 これ、力仕事における労働力だけを意味している訳ではないと思うんです。 自分に力を貸してくれる男性の存在そのものに安心し、癒され、喜びを見出しているのではないかと思いました。  千代と息子の関係を気遣う寅さん&とらやの人々に対して「寅さんの気持ちが伝わってきて、私、本当に嬉しいの」と喜び泣いたとき。 これも、彼女の心の奥にある辛さや寂しさに寄り添おうとしてくれる人たちがいる、という事実に、彼女は救われたのだと思います。 「ああ、私は一人ぼっちではないんだ。こうして優しくしてくれる人がいる。それだけで十分。また頑張れる」そんな気持ちだったのではないかと思いました。  そして寅さんへの愛の告白。 「私、寅さんと一緒にいると気持ちがホッとするの。寅さんと話してると『あぁ、私は生きてるんだぁ』って楽しい気持ちになるの」 千代は初登場のシーンから、常に笑顔で穏やかでした。辛さや寂しさなんて、微塵も感じさせないほどに。 別に無理に隠しているとも思いません。 けれど、自分でも知らぬ間に気は張ってしまうものです。「強く生きねば」と。 それが、何も考えず、何も気にせず、自分の気持ちがホッとして、気がつくと自然と笑っている…それが寅さんだったのでしょう。そういう人って、なかなかいません。 この愛の告白は、寅さんを一人の人間として最大の賞賛をし、一人の男性としても温かい愛情を示しているのだと思いました。  それだけに、寅さんが及び腰になってしまったことがとても口惜しい。 寅さんって、傍目は大口叩いて自意識過剰に見えるけど、実はとても傷つきやすくて自信が無い人だと思います。寅さんがもっと自惚れ屋さんだったら、きっと彼女の告白を受けていたでしょうね。  私は個人的に、インテリ先生がいなかったら、二人は結ばれていたのではないかな…?と思います。二人だけのタイミングで、二人だけの時間の進み方で関係が深まっていったら、もしかしたら…と思えてなりません。 いや、これも叶わぬ私の願望かな?
[インターネット(邦画)] 9点(2019-08-02 13:43:08)(良:1票)
6.  男はつらいよ 《ネタバレ》 
まず最初に、謝りたい。 全国の寅さんファンのみなさん、ごめんなさい。 今まで「ぷっ(笑)寅さんとか何が良いのか全っ然分からない」とか「渥美清の何がいいの?」などと、見たこともないくせに勝手な先入観で「つまらなそう」と決めつけていて、ほんっっっとうにすみませんでした。。  何かと気の合う、好みの合う友人に強く勧められ、今般、わたくし齢35にして初めて寅さんを鑑賞いたしました。 記念すべき第1作を私の人生初寅さんにできたことは、とてもラッキーですね。  結論。なんて面白いのでしょうか!  渥美清の凄さが、やっと分かりました。名優ですね。 彼が織りなす江戸っ子のべらんめえ口調の、なんて聞き心地の良いことか… まるで落語か、ちょっとした歌を聴いている気分にさせてくれます。  そして物語のテンポの良さ。 まったくダレることなく軽快に物語が進んでいくのに、きちんとストーリーが成立しているのはすごい。 時間の長さを忘れるし、見ているこちらも引き込まれてしまう。 これも寅さん節が大きく貢献してるがゆえと思いました。  特筆すべきは、寅さんと彼を取り巻く人々の人間模様。 笑いあり涙ありで飽きさせないし、俳優陣に芸達者が多いからか、セリフだけでなく表情で魅せてくれるのがまた良い。 昔の女優、俳優さんは、目の演技が本当に上手いですね。  私は志村喬さんが好きなので、図らずも彼が出演していたことで、殊更この作品への思いも強くなりました。 結婚式のスピーチシーンは、彼の独壇場とも言えますね。思わず嗚咽を漏らしました。  寅さんシリーズ初見ということもあり、自分が作品としての正当な評価が出来ているかは自信がありませんが、初めての寅さんは私にとっては「衝撃」の一言です。 もちろん、良い意味で(^^) 人には好みがあるので無理強いは良くありませんが、もし以前の私と同じような「寅さんイメージ」を抱いている人がいるなら、騙されたと思って一度見てみて欲しいです。 見終わった後はきっと、あなたの心はあたたかくなっていると思いますよ。
[CS・衛星(字幕なし「原語」)] 8点(2019-08-02 13:42:03)(良:2票)
7.  ドッジボール 《ネタバレ》 
結局この映画、チャックノリスがぜんぶ持って行っちゃったと思う。だって、いろいろ書いてたけど、結局いつも思い出すのはチャックノリスのことだけなんだもん。もうこの映画=チャックノリスでいいと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2018-12-02 20:56:37)
8.  トロイ(2004) 《ネタバレ》 
親から受け継ぐ権威や名誉、寄せられる期待を一心に背負う長男ヘクトル。頭も腕も良いため指導力に優れ、下の者達からの信頼も厚い。そして家族(特に妻)を心から愛する優しい夫・父親でもあり、デキの悪いクソ弟のことも一切咎めず、彼を支援する懐の深さを持つ漢の中の漢。 対するアキレスは、もっと泥臭いタイプ。金や名誉に執着するお偉方を鼻で笑い、罵倒し、常に我流を貫く曲者。冷酷非情な実力の裏には、心を許し認めた相手に対する情の深さを持ち併せている。決して弱みを見せず、カリスマ性が漂うものの、孤独に苛まれている。  この二人に惚れるのは分かる。男女問わず惚れるだろう。私もヘクトルに惚れたし、アキレスのキュッと引き締まったお尻にも惚れた。だけどパリスはないだろ、一国のお妃さんよ。キミたちの自分勝手で後先考えない行動のせいで、どれだけ多く人が死んだと思う?「バカは死んでも治らない」って言うけど、だから死ななかったのかね、この二人。 この映画はストーリー云々よりも、男達の熱く激しい戦いを目に焼きつけ、一挙手一投足に息を呑み、戦闘の臨場感だけを体感するのに相応しい映画だと思います。でもきっと、3時間近く「男だらけの水泳大会」みたいになっちゃうのは…って事で、ところどころにラブシーンがあるんでしょうね。別にいらないんだけどな。男だらけのガチムチバトルで良かったのに!
[映画館(字幕)] 6点(2018-12-02 20:53:31)
9.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 
前作の終わり方から二人のその後が気になっていたが、下手な続編によって自分なりの想像が潰されるのがいやで、観るのを躊躇していた。が、実際に見てみると、前作に引けを取らず良い仕上がり。もしかしたら、前作より好きかもしれない。所々に顔を出す前作の内容を踏まえた粋なストーリー展開は、観客が前作で抱いた(或いは制作者側が意図的に抱かせた)疑問・希望・想像などをよく把握した上で本作を創り出しているのがよく分かる。  年を重ねた二人の会話は、以前にも増して魅力的になっている。酸いも甘いも経験した一味違った切り口が加わっている辺りに、二人が大人になったことを実感する。時間の重みや二人の変化を垣間見ることができる。そして、だんだんと二人の顔に昔のような表情が見え隠れし、流れる空気まで自然と変化していくのは素晴らしい。主演二人の魅力と力量がなせる技であろう。  今作も再びラストの結末は観客に委ねられた形だが、こんなにも二人が一緒になれる事を望んでしまう映画は、稀である。まだ経験不足な自分には、この映画を多く語れる自信がない。きっと年を重ねる毎に、感じ方も見方も変化する映画だと思う。10点を付けたい気持ちはあるが、私自身の今後の成長に期待を込め、今はあえて9点に留めておきたい。いつか、二人の関係や会話を真に理解ができる自分でありたい。
[DVD(字幕)] 9点(2018-12-02 20:46:50)
10.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 
この作品の人物たちは、いかなる職種・業務であろうと、自らの仕事に誇りを持っている。世界的デザイナーに多大なる影響力を持つミランダ、彼女に憧れ自らの身を削り仕えるエミリー、有能な片腕であると同時に彼女の駒になる事も厭わないナイジェル。彼らは自分の望んだ道を歩み、最大限の努力をし、成功というゴールに向けてひた走っている(来た)。しかし、努力するだけで成功するほど世の中は甘くない。ミランダは生涯の伴侶(愛)、エミリーは自らの身体(健康)、ナイジェルは才能の開花(独立心)。成功に向けた努力の影には、常に何らかの犠牲がある。  序盤のアンディは、慣れない仕事やミランダのトンデモ要求に奮闘しているように見える。しかしナイジェルは言う。「君は努力をしていない、愚痴を並べているだけだ」と。その『仕事自体を好きになろうとする努力』をしないで、どうして全力を注げる?どうして努力が周囲に伝わる?という、核心を衝いた台詞である。その後アンディは、周囲からも一目置かれるほどの変化を遂げる。彼女は『自分が変われば周りも変わる』を体現したのだ。  しかし、順調な仕事とは裏腹に不調なプライベート。アンディの恋人ネイトは訴える。「自分が愛する人々、自分を愛してくれる人々、大切な人や物を犠牲にし、自分自身を変えてまでする仕事が、君にとってどれほど価値があるのか?」と。それぞれ価値観は違って当然、だからアンディとネイトの考えは、どちらも間違っていない。アンディとは真逆の「ネイト的価値観を持つ層(鑑賞者)」にも共感されるよう、間口を広く取って訴える製作の姿勢には好感を覚える。  最終的にアンディが下した決断は、社会に生きる人々にとっては憧れに近い形だ。好きな仕事をし、大切な人との関係も維持する。しかも、急な去就にもかかわらず上司は部下の実力を認め、活躍に期待を込めている。何て恵まれているのか!しかし、これもまたアンディの努力によって勝ち取った結果なのでしょう。  誰もが皆、表舞台に立つために裏で様々な画策を練っている。仕事をするのが人間同士である以上「人と人との繋がり」で仕事は成り立っている。それが過言ではないことを、この映画は改めて教えてくれた気がする。年齢・立場・環境によって感想が変わっていく作品だと思うので、数年後にまた見直してみたい。
[DVD(字幕)] 8点(2018-12-02 20:34:26)(良:3票)
11.  アイ・ラブ・トラブル
安心して見られるドタバタラブコメ・・・かと思いきや、意外にサスペンス要素も含まれていました。 主演の二人も意外にお似合いで好感触。ニックの顔の皺に少し物悲しさを覚えたものの、皺の数に勝る素敵な壮年男性を体現できていたのは、まさに年の功。対するジュリアも、若々しさと持ち前の気の強い愛らしさが溢れていた。 しかし、ストーリー構成に稚拙さ感じてしまったのが残念。二人の騙し合いに的を絞った方がより良い出来映えになった気がする。ラブコメで売ろうとした制作者側のミスだろう。必要以上に期待せずに観れば、そこそこ楽しめると思います。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2018-12-02 20:27:43)
12.  日本以外全部沈没
これはひどい(笑)途中で寝ては巻き戻して・・・を何度繰り返したことか! バカ映画・B級映画大好きな私ですが、これは少しやり過ぎ感も否めません。底の浅いネタが多すぎるため、始めは笑えても、次第に慣れてしまい飽きも早いです。 世界情勢ネタやそっくりさんにはある意味爆笑だけど、その実は苦笑、という感じ。  まぁわりと頑張ってたと思うんですけどね。個人的に嫌いではないんですが、人には薦められないので4点です。
[DVD(吹替)] 4点(2018-12-02 20:24:59)
13.  ゆれる 《ネタバレ》 
私には2歳下の妹がいる。姉妹仲は恐らく普通。私たちはすべてが似て非なる存在のため、家族として当たり前の慈愛、信頼、寛容はあるものの、姉妹であるが故の嫉妬、劣等感、羨望も持ち合わせていることもまた事実だろう。同じ親から生まれ、どれだけ親が平等に扱っていたとしても、環境によって育まれた立場や認識の差は、なかなか変わらないのかもしれない。  事件によって大人しかった兄は豹変し、そんな兄に戸惑う父や弟。それぞれが描く互いのイメージ(認識)がことごとく覆され、沸き起こる不安。人は「家族」という存在に、心のどこかで絶対的価値を求めているのかもしれない。絶対など存在しなと思いつつ、それでもどこかで信じているのかもしれない。だからこそ、その考えが根底から覆された時の絶望感は計り知れない。小さな波紋はじわじわと大きく広がり、心は揺さぶられ、絆も揺るがされ、互いの存在や価値さえも揺るがしてしまうほどの恐怖に変化するのだ。 兄の稔は、必死で自分を助けようとする弟の猛に深い謝意を感じてはいるものの、同時に自尊心を傷つけられ、恥と屈辱を感じてしまう。皮肉なことに、稔自身も父や弟と同様に、自らの認識と違う弟を目の当たりにして戸惑い、不安や恐怖心が生まれてしまったのだろう。証言台で話す猛の表情は悲しいほど無機質で憎しみに満ちているが、その姿を見つめる兄の表情が安堵に満ちているのは、なんとも悲しい。  しかし、猛が偶然見たホームビデオに映し出されていたのは、取り合う手と手から感じられる兄弟の確かな絆。これを見た瞬間、私も猛同様に嗚咽を漏らしてしまった。幼かったあの頃の数々の映像が頭の中を駆け巡り、苦しくなるほど胸が痛んだ。同時に、温かく優しい感情にも包まれた。私は、自分が想像していた以上に妹を大切に想っていたことに気がついたのだ。 本作のように、いつか私たちにも認識のズレを感じる時が来るかもしれない。しかし、私たちにも見えない絆があると信じたい。不安定で不確かなことばかりだが、私と妹との絆だけは消えないで欲しいと願う。  最後に猛が必死に「兄ちゃん、家へ帰ろうよ」と叫ぶ言葉の裏には、「あの頃の二人に帰ろうよ」という願いも込められていたのだろう。そして弟の声に気づき微笑んだ兄の「帰る場所」が、どうか父や猛のいる場所であることを、切に願った。
[DVD(邦画)] 9点(2018-12-02 20:19:38)(良:1票)
14.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
「贖罪」と「命の清算」という言葉が、私の脳裏に焼き付いている。この映画には、嘘がない。 この世から差別は無くならない。侮蔑は人間の真理でもある。偽善は欲望の恰好の隠れ蓑になる。誰の心の奥にもある感情であり、消すことは出来ない。人々は軋轢を生まず平穏な社会生活を送るため、それらを露見しない。 主人公のウォルトは、悪い人・物・事に対しては嫌悪感を露にして皮肉たっぷりに断罪するが、その逆に対しては素直に評価して敬意を表する。善悪の分別が付いているからこそ出来る芸当であろう。善悪の境界線が曖昧になった現代人には、見て見ぬフリをするしか逃げ道が無いのだ。  ウォルトは恐らく、妻が死んだ時点で自らの死に方を探していたのではないか。彼は戦争での行為を長い間悔い、その罪と罰を背負い続けている。彼にとって問題なのは「命令されずとも進んで殺していた」こと。それでも彼が生きてこられたのは「俺は世界で一番の女と結婚した」と豪語する妻の存在があったからこそだろう。しかし、その妻が世を去り、病魔も身を潜め、生きる意味が最早「無」に等しいと感じた彼は『死に方を探す為に生きていた』のではないかと思う。 そんな時に出会った隣人たちに当初は差別と偏見しか抱かなかったものの、次第に心が通じ合っていく。「どうにもならない身内より身近に感じる」と言う彼の表情には、なぜか悲しみの色は見えない。  深まる少年との距離や交流は、疑似の父子関係に似たものがある。”息子と上手くいかない父”による”父がいない息子”への、最期の子育てなのかもしれない。しかし、いつの世も社会の屑は存在し、人々を脅かし、牙を剥く。誰も予想しない最終手段に出たウォルトの行為は、まさにキリスト教における『自己犠牲の精神』だ。彼は最期の最期で、自らが背負い続けてきた罪と罰を命を以て清算し、神に赦されたのだ。ライターに火を灯そうとしたのは、一つの命<ウォルト>が終わると同時に、新たな命<タオ>が芽吹く瞬間でもあったのだろう。  ウォルトから譲り受けたグラン・トリノに乗るタオの表情は、切なくも優しい。一世を風靡した車の持ち主の魂と意思は、きっとこの少年に受け継がれたはずだ。この映画に出会えたことに、私は心から感謝を述べ、最大の賛辞を送りたい。
[映画館(字幕)] 10点(2018-12-02 20:09:19)(良:3票)
15.  かもめ食堂 《ネタバレ》 
縁もゆかりも無い人々が、縁もゆかりも無い土地で出会い、そこで生じた小さな縁により、それぞれの人生や生活に影響を与えていく。鑑賞後は、なんとも言えない温かい感情に包まれました。 サチエさん、ミドリさん、マサコさんが『何故フィンランドを選んだか?』の明確な理由は、最後まで明かされません。きっと理由はさほど重要ではないのでしょう。明確な目的など無くても、自らの意志さえあれば、どんな旅でも希望が持てるのです。そんな人生も楽しそうだし、とても素敵ですよね。  印象的だったのは、マサコさんのトランクの中身が開かれたシーンでした。行方不明になったトランクの所在を繰り返し尋ねていたマサコさんに、サチエさんは言います。「大切なものが入っているでしょうから、早く見つかると良いですね」と。曖昧に返事をするマサコさんは、恐らく思い返したのでしょう。『無くして困るほどの物を、いったいどれほど持ってきたのだろうか?』と。 ようやく見つかった彼女のトランクを開いてみると、中にはあの森で拾ったような美しい落ち葉が溢れ返っています。たくさん拾ったのに何処かで落としてしまった、フィンランドの森の落ち葉。木漏れ日が射し込み静寂が佇む、まるでフィンランド人の穏やかさを象徴しているかのような美しい森で拾った、鮮やかなたくさんの落ち葉。きっとマサコさんが日本から持って来たトランクの中には、彼女が心から必要としているものは無かった、という意味なのでしょう。彼女が必要としているものは、ここフィンランドにあった。だからマサコさんはフィンランドに残ることを選んだ。  フィンランドという土地で素朴な日本の姿が徐々に受け入れられていく様や、言葉の壁を物ともせずハートとハートで人間関係が繋がっていく過程は、何とも言えない充足感や幸福感を与えてくれます。人と人との出会いは、ある意味「糸」のようなもので繋がっているのかもしれません。その「糸」は「縁」あって「絆」に変わっていくのでしょう。 彼女たちの「いらっしゃいませ」は、今日も新たな縁の糸となっていることでしょう
[DVD(吹替)] 8点(2018-12-02 19:59:17)(良:1票)
16.  たみおのしあわせ 《ネタバレ》 
やっぱり、結婚には幸福感って大事です。どんなに些細な事でも、くだらない事でも、何でもいいんです。「この人が大好き。この人と結婚出来て幸せだ!」そう思えることが、ある意味では一番重要だと考えています。  他人から嘲笑されるようなことでも、それが本人にとって幸せなら、それで良いのです。大切なのは『結婚する』という事に『どれほど自然に幸福感を抱いているか?』なのでしょう。結婚前から我慢や無理があっては、きっと駄目なのでしょうね。結婚後に「こんな筈じゃなかった…」と思う事もあるかもしれません。結婚はよく「我慢と忍耐」と言われていますから、結婚後には維持する努力も必要なのでしょう。でも、結婚前くらいは夢や希望があっても罰は当たらないように思います。  きっと、たみおもたみおの父も、その結婚に夢も希望も見い出せなかったのでしょう。途中までは夢も希望もあったのかもしれません。しかし、それが『単なるまやかし』でしか無かった事に気がついたのです。不安や不満を抱えたままする結婚に、明るい未来が見えるでしょうか?親なら、子供の幸せは何よりも誰よりも願って止まないもの。子供だって、親に一人前になった自分の姿を見せて安心させたいものです。ぎこちなかった親子関係が「結婚」を境に良い方向へ変化していった事が、すべてを物語っていると思います。 だから息子は、不安を抱えつつも父が願っていた結婚をやめられなかった。だからこそ父は、息子が幸せになれないであろう結婚に「待った」をかけたのでしょう。口にせずとも通じ合っている。それが親子であり、家族なのかもしれません。彼らの幸せは、結婚を通じて取り戻した『親子関係』なのでしょう。  けれど、個人的にはあのようなコミカルなオチに仕上げたことは、少々不満です。そのためこの点数ですが、悪しからず。  <2018年12月追記> と、昔の私は偉そうに結婚について語っていますが、結婚ってほんと難しいです。結婚はゴールではなくスタートなんですよね。当たり前なのですが(笑) そう考えると、たみおと父上の決断は間違いではなかったのかもしれない、と今は思います。結婚は、多くの人の人生が変わります。それなら、多くの人の人生に影響を与えてしまう前にやめる決断ができるのは、ひとつの幸せのかたちなのかもしれません。生きるって、人生って、難しいですね!
[DVD(字幕なし「原語」)] 5点(2018-12-02 16:42:54)(良:1票)
17.  踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 《ネタバレ》 
ドラマシリーズも前作も鑑賞済みです。ドラマは楽しく拝見していましたし、新しい刑事モノとして良く出来ていたと思います。しかし、映画第1作目に辟易したため、本作に対しては過度の期待はせず臨みました。  それでも、この映画に対しては酷評をせずにはいられません。散々張り巡らせておいた伏線もあんな形で中途半端に回収をし、怒りが湧きます。あれだけ引っ張っておいて、あれだけ風呂敷を広げておいて、これなのですか?観客を舐めるのもいい加減にして頂きたい。完全な内輪ネタ。身内だけのお祭り騒ぎ。そう思われても仕方のない作品だと思います。  映画は、エンタテイメント・娯楽だと私は思っています。故に、オチを笑いで回収することも一概に悪だとは言いきれません。そして人それぞれ感性も価値観も違いますから、作品に対して様々な評価や感想があるのは当たり前だと認識しています。しかし、それは『鑑賞対象者が万人であること』が前提ではありませんか?「踊る~」の映画シリーズは、それと逆行している気がしてなりません。『テレビ作品の映画化というだけで、既に対象者は絞られている、コアなファンもいるのだから文句を言う奴は見るな』という主張もあるかもしれません。しかし、それは理屈として違うと思います。  テレビドラマの映画化でも、成功例は多々あります。制作陣が本当に良作を多くの方に届けたいという姿勢で臨めば、それは観ている者にも分かるはずです。本作の制作陣は、本当にそういった姿勢だったのでしょうか?映画第1作目が興行的に成功し、2もヒット確実が目に見えていたために、遊び心が強すぎたのではないでしょうか?  真実は分かりません。ただ、人が人を評価する時は「目に映った物や抱いた印象」で下されることが多いです。映画も同様でしょう。少なくとも、私が抱いた印象や目に映った物からの評価は、上記のようなものでした。不快な気持ちばかりが残り、今ではドラマのDVDすら見なくなった事が、とても悲しいです。
[映画館(字幕なし「原語」)] 1点(2018-12-02 16:20:19)(良:1票)
18.  踊る大捜査線 THE MOVIE 《ネタバレ》 
テレビドラマを安易に映画化する風潮の先駆けは、恐らくこのドラマからでしょうか? 私は個人的にそういった風潮が好きではありませんが、それでも良作はあるので無碍に否定はしません。でも、私の予想は甘かったようです。  本作は、所詮「テレビドラマシリーズのファンのための映画」でしかありませんでした。私はドラマも見ていましたが、本当に『ただ踊る大捜査線が見れればそれでいい』と思えるようなコアなファンが楽しめる為の映画でした。  制作陣に一言申し上げたい。オマージュとパクりは違います。 二度と目にする事はないでしょう。
[DVD(邦画)] 2点(2018-12-02 16:09:41)(良:1票)
19.  悪人 《ネタバレ》 
原作は未読。役者陣の演技は文句無し。主演二人は切迫した状態や感情の機微を細やかに表現しているし、脇を固める樹木希林や柄本明の安定感と存在感は、素晴らしいの一言に尽きます。  テーマが「誰が本当に悪人なのか?」だとすれば、恐らく「誰もが立場や状況によって悪人にも善人にもなり得る」となるのでしょう。現実的に見れば、本作は「経験値の低い男と女の逃避行」に過ぎません。生まれ育った街から出た事もなく、人付き合いも碌にせず(出来ず)、世間一般では白い目で見られる「出会い系」で出会った男女が依存し合う、現実逃避の物語。しかし私は、この「世間一般」がキーワードだと思います。  二人は、自分の人生を満足に生きられない・生き方を知らない人間なのでしょう。閉塞感に包まれた何の変哲もない日々。周囲の期待や固定観念に縛られ、どこか自分に無理をしたり、犠牲にせざるを得ない人生。人並みに恋愛すらできず、またそのやり方さえ知らない不器用な生き方。世間一般では蔑まれる方法でしか他人と関わる事が出来ない、悲しくて弱い人間。それでも、誰かの存在を求めずにはいられない。そんな二人が出会えば、互いに惹かれ、共感し、依存してしまうのはごく自然の成り行き。先が見えていても一縷の望みに縋ってしまうのは、そういった弱い人間だからこそなのでしょう。  二人の行動には、多くの人が迷惑を被ります。それでも止まる事が出来ない(しない)のは、彼らのような人間が極限状態に追い込まれると、自ら破滅の道を選んでしまいやすい、という典型例なのかもしれません。彼らがもしいわゆる世間一般の感覚を持ち得ていたら、祐一は人殺しをしなかったはずですし、光代もそんな彼と行動を共にすることも無かったはずだから。結局二人は「似た者同士=世間一般とは少しズレた二人」だったのでしょう。それを対比として描写しているのが「被害者の父がマスオに危害を加えようとしたものの、ギリギリで踏み止まった場面」であり、「タクシー運転手と光代の会話」なのでしょう。  印象的だったのは「夜に鏡を見ていたら、急に(金髪に)したくなった」と言う祐一に、光代は「なんか分かるかも」と同調する場面。夜の孤独と現状を打破したい気持ちが集約されているような気がしました。  音楽が邪魔に思えたのは少し残念でしたが、それでも私は本作に強く心を打たれたので、この点数にしました。
[映画館(邦画)] 8点(2018-12-02 16:06:04)(良:2票)
20.  ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 《ネタバレ》 
最初に抱いた印象は、実にくだらない(笑) いや、しかし個人的に嫌いでは無い。ブラックユーモアも社会風刺も、愛すべき馬鹿も好きだ。そして「ボラット」という存在自体も、すべて承知の上で鑑賞した。それなのに、やけに残ってしまう不快感。  分かった事も、ただ一言。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」やり過ぎはその本質すら汚してしまうのだろう。  鑑賞後のモヤモヤが消えないので、5点という評価でしかない。着眼点や行動自体は面白いだけに、非常にもったいない作品である。
[インターネット(字幕)] 5点(2018-12-02 15:26:42)
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