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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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141.  マンマ・ミーア! 《ネタバレ》 
劇団四季のファンなので舞台版「マンマミーア」も観ています。映画は最初からそれほど期待していませんでした。美しい海辺の景色を眺めるだけでいいかな、と思っていました。しかしこれはひどい。あまりにもひどい。バカを通り越してスーパーバカです。わたしは今まで数々のミュージカル映画も観てきましたが、この映画はそのなかでもスーパー最低レベルだとおもいます。俳優たちのテンションが高いように思いますが、日本のくだらないバラエティー番組と同じノリです。中年女性の星であるメリルを主役に抜擢するのはよく分かります。しかしミュージカルというのは、当たり前のことですがやはり歌が基本なんです。歌という土台がしっかりしてなければミュージカルなんて、穴のあいた傘のように意味がないのです。ピアース・ブロスナンなんて頭の悪そうな男が出ていたときから多少嫌な予感がしていましたがあのやろう、オンチにもほどがある、めまいがしたぜ!歌が下手だと感じてしまったらもう何を見ても好意的に受け止めることができません。羞恥心のかけらもないオバサンたちが、裸の男たちに囲まれてぎゃあぎゃあ騒いでいるというマイナスの見方しかできなくなってしまいます。ちなみに「マンマミーア」は母と娘というテーマはあるにはあるのですが、お客層をオバサンに絞っていますので、裸の若い男がたくさんでてきて、おばさんたちはモテモテ状態になるという物語です。私はこういうのは嫌いではないほうですが今回は下品に見えて仕方ありませんでした。
[DVD(字幕)] 3点(2009-08-13 11:20:37)(良:1票)
142.  アース
人間が感じる孤独などは北極の前では笑い話にすぎません。人間は生きることに意味を求めたがる。自分の存在価値を必死に求めて悩んでどうなる?生きるということは、ただそれだけでも立派なことではないのか?この映画は自殺大国日本には必見です。自殺の本質とは、生きることが当然の権利だと思い込んできた傲慢な人間の反動です。対照的に水を求めるゾウたちの姿をみて命の躍動を感じずにはいられません。もし社会が悪いから自殺が増えていると本気で思っている人間がいるならば、今すぐシロクマのホラ穴にホームスティに行ってこい。死に急ぐ若者にいたっては白クマのエサになって貢献しろ。それが本当のリサイクル精神だ。これは生きる意味の根源を問いかけた名作だ。生きるのが難しい時代こそ、本来の生物ならば生きたいという気持ちは強くなり、生命は輝きを増す!それができない人間は何かを失っている。本能の欠如した動物だと言われても仕方ない。本当の「命」とは、劣悪な環境であるほど燃え上がる。本作品の映像がそれを物語っています。じつにすばらしい・・改めて命の素晴らしさを感じました。 
[DVD(字幕)] 8点(2009-05-28 21:22:35)(良:1票)
143.  おくりびと 《ネタバレ》 
「泣き女」という職業も、おくりびとです。葬儀の時に、遺族と一緒になって、おおげさに号泣する人たちのことです。中国や日本の一部でそういう仕事がありました。しかし今の世の中は、お金を出してまで、納棺士や、泣き女を呼ぶ人はいません。外国に誤解されないためにも私は言いたい。もう日本には、納棺士も、泣き女も、ちょんまげをした侍も、忍者もいません。わが国では、死後の遺体の処置は、病院の衛生を保つために、看護婦が行ないます。新米看護婦の最初の仕事は、遺体洗いだとさえ言われます。もちろん彼女たちは、死化粧も行なう。私の住む地域では、看護婦に特別手当(おくりびと手当)が支給されていましたが、いつしか廃止されました。なぜなら看護婦が行なうおくりびとの行為は、通常業務の1つだという認識がしだいに定着してきたからです。それなのに本作品では、イケメン納棺士を登場させ、チェロを弾かせている。一番びっくりしたのは日本人ではないでしょうか。納棺士?なんだそれは?カリスマ美容師みたいにカッコいいじゃん、と思った人が多いはずです。日本にはまだ忍者がいるぞと宣伝しているようなものです。この誠実とはいえないパフォーマンスがアメリカでは受けて成功しました。主役は元ジャニーズ。このイケメン納棺士が仕事を始めると、突然、幻想的な音楽が洪水のように流れてくる。あまりにも賑やかなので、笑ってしまいました。死の静謐さも死の匂いも、すべて音楽にかき消されていました。死の本質をこんなにも無視してまで、娯楽に仕上げる必要があったのでしょうか?それに遺族がイケメン納棺士をほめすぎる。亡くなった妻の顔をみた夫が、「今日のあいつの顔が、今まで一番きれいだ」なんて失礼すぎる。生前の妻はいったいどんなメイクをしていたんだ。厳粛な「死」を扱いながら、美しい宮崎アニメ系の音楽、美しいジャニーズ系の納棺士、美しいタレント系の妻、まさにイメージ先行の娯楽映画でした。 
[DVD(字幕)] 3点(2009-05-17 12:29:52)(笑:1票) (良:5票)
144.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
生きる技術を教えますという感じの映画でした。観ればきっと苦境から脱出するヒントを見つけることができるでしょう。夫は負け組みの亭主です。優しい男なのかもしれませんが、貧乏のオーラが体から漂っていました。まるで貧乏神の化身。まさに甲斐性の無い夫の象徴でした。こういう男の妻にだけはなりたくない。しかし世の中には、DV夫や、ギャンブル狂の夫が星の数ほど存在し、妻を苦しめています。それに比べたら、屁のツッパリでもないかもしれません。妻は家庭内で暴力をふるわれたり、社内でセクハラを受けていたわけではありません。しかし彼女がだんだん傷ついて壊れていく様子が、丁重に描かれており、うつに陥る人のことがよくわかりました。人によってはこの程度の不幸だったら、もっとがんばりなさい、と言うかもしれません。しかし借金地獄だったら納得できるのでしょうか。地雷で足を失えばいいのでしょうか?エイズを抱えて生きている人が本当の不幸を抱えているのでしょうか。人が感じる不幸というのは相対的だと思います。人生は素晴らしいとよく言われますが、あれは半分は嘘です。人生の本質はつらいのです。そういう前提で、先の見えない海の向こうを泳ぐときのように、人生を完走しなくてはいけません。それは簡単ではありません。生きる技術が必要です。ヘタレ亭主でもたまには名言を吐くようです。「おまえはみんなに好かれようとするからだめになる」 ・・・・。妻のように、ちょっと自分を否定されたら、すぐに落ち込む人は多い。こういうときは我が国の総理大臣を見習ってください。政治家というのは、選挙で当選して政治家になります。しかし誰1人として、満票で当選した人はいません。全員から好かれることは不可能なのです。必ず自分の存在を否定する他人が存在します。だからムリに人間関係を修復しようと、もがくのではなく、そういう事実を受け入れたうえで、自分を信頼してくれる人を大切にしたほうがいいですね。法廷を通して、人と人との関係性を丁重に描いたヒューマンドラマでした。  
[DVD(字幕)] 9点(2009-05-15 21:42:52)(良:2票)
145.  その名にちなんで 《ネタバレ》 
原題は「名をもらった人」という意味なので、名を授けた父親が核になっているのは確かだが、母親のアシマの圧倒的な存在感の前に、この男がかすんで見える。一般的にも母親の愛情表現は、不器用な父親の愛情表現をはるかに上回る。従ってあくまでも一般論だが、父親が母親よりも子供から愛情を勝ち取ることは不可能に近い。そういう意味では、男は寂しい生き物だと思う。ただし親の愛情というのは、子供から愛情の見返りを求めるものではない。ここが「恋愛」と「親の愛」の大きな違いである。あの金髪の恋人は、愛情の見返りを求めた。恋人ならば、それは当然だといえる。しかし親の愛情はいつも無償だ。その無償の愛情をもらう子供のほうは、大抵の場合、それほど親に感謝しているわけではない。母が息子の誕生日の日に電話しても、息子へはつながらない─。それでも母親は受話器に向って「ハッピーバースデー」とささやく。泣けてくる。親の愛情は、ただひたすら純粋である。「親の気持ち、子知らず」たしかにその通り。子供が親と真剣に向き合うのは、極端なことを言えば、親が死んでからだ。多くの人間は、失ってから、失ったものの大きさを実感する。ガンジス河で遺灰を流している傍ら、子供たちが水遊びをしている神秘的なシーンがある。日本では「死」は不衛生であり、また不吉であり、遠ざけておくものだという考えがあるが、インドでは違う。あの国では「死」は、常に身近にある。インドの魅力を語ればきりがない。「枕と毛布をもって旅に出ろ、世界を見ろ」列車内で男はこう言った。自分の国を知るために、世界を知れ、という逆説的な意味として捉えることもできる。自国から出たことがない者は、自分が何者であるかという当然の認識さえ持てなくなる。自分が何者で、どんな文化の中で暮らしているのかを実感するためには、その中から抜け出すしかない。例えば日本という国を、日本人が実感するのは、日本を離れたときに違いない。この物語は、インドで暮らすインド人が作ったものではない。外国育ちのインド人の自伝要素が反映された物語だ。従って、余計にインドの文化に対する並々ならぬ矜持を感じ取ることができる。
[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 22:08:11)(良:1票)
146.  モンゴル 《ネタバレ》 
浅野がモンゴル人に見えないという意見も多いようですが、もうすこしよく考えてみましょう。少年のテムジンが突然「浅野」に切り替わったとき、あまりにも唐突で少しおかしいと思いませんでしたか?浅野は自分のことをテムジンだと名乗っていますが、そんなに簡単に信じていいのですか?子供のころのテムジンの面影がまったくありませんし、どう見ても日本人にみえます。常識で考えるならば、この日本人はテムジンに成りすましていたと見るのが妥当だと思いませんか?ここまで言えばもうわかった人がいるでしょう。そうです、この日本人こそが日本からモンゴル大陸に渡ったあの義経なんです! だから浅野がモンゴル人に見えないのは当然なのです。私の推測だとおそらく「五条霊戦記」で浅野が義経を熱演していたことから今回オファーが出たのだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2009-04-05 12:22:30)(笑:1票)
147.  レッドクリフ Part I 《ネタバレ》 
赤壁の戦いをたった一言で説明するならば、あと一歩で天下統一だった曹操が、9回裏に痛恨の同点満塁ホームランを打たれて延長戦に突入してしまった出来事です。けっきょく曹操軍は、侍ジャパンのように延長戦で勝利し天下統一。劉備の国は、あの趙雲が命がけで助けたバカ息子のせいで滅亡。曹操派の私にとってはハッピーエンド。こういうふうに、わりと冷めた目でこの映画を観ていましたが、張飛が馬に体当たりするシーンや、趙雲が飛んできた矢を素手でキャッチするシーンには大笑いしました。武将の超人化はおおいに歓迎です。しかし曹操は独特の不良っぽさが感じられませんでした。まるで出世競争に負けて天下りしてきた小役人のおじさんのようです。不敵に笑うシーンも泣き顔に見えます。しかも色ボケジジイでした。三国志は晋の時代に、蜀出身の人によって編纂されたものですから、曹操悪人、劉備善人は恣意的に作られたものであることはわかっています。しかしそれでも曹操といえば、絶対悪であるべきです。それが物語の楽しさです。それにしても中村。とても味方には見えません。曹操よりも人相が悪いです。口をひん曲げて笑う顔が、完全に前科10犯の悪党でした。お前が曹操を演じろよ。周瑜と孔明が琴で会話するシーン。その背景の映像が幻想的で素晴らしかったです。まさかアクション監督にこんな映像美が作れるとは思いませんでした。今回はいろんな意味で違ったジョンウーが見られます。恋愛シーンもその1つです。あのジョンウーがラブシーンを演出するというだけで、レアな価値があります。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-04 12:32:30)(良:1票)
148.  ヒトラーの贋札 《ネタバレ》 
かりに私たちが北朝鮮に連行させられて贋札作りをさせられることになったとする。そのときに「死んでも正義を貫いてやる」という態度をとった自分の姿を想像してください。本当にバカらしいではないですか?これこそ犬死にだ。分かりますか?ディス・イズ・ザ・犬死になのです。ブルガーの偽善的な正義のために地獄の三丁目まで道連れにされてしまうと思っただけで腹が立つ。ブルガーは妻がアウシュヴィッツで殺されてしまったので、もう失うものはなかった。ゆえに仲間を道連れにしようと思った。こういう自分勝手な行動をする者は仲間に殺されても文句は言えないはずです。いやむしろ「ナチスに協力するのは死んでもイヤだ」とのたまうならば、自殺して他人に迷惑をかけなければいいではないか。こういうのを正義とは言わない。無理心中という。もしサリーが贋札を作らなければ、ブルガーは正義を語ることすらできずに腐った死体と変わり果てていた。贋札を作らなければ殺される。作り終えたら今度は用済みとして殺される。それを理解していながらサリーは「今日の銃殺より明日のガス室がいい」と開き直って、小便をかけられようが、1日にでも長く、または1時間でも長く生きようと考えていた。命より正義が大切だって?いいですか?そんな正義なんてクソ食らえです。サリーの「生」に対する執着心が仲間たちを救ったのです。ところで皮肉な言い方になるがヒトラーの映画界に対する貢献度は非常に大きい。ライフイズビューティフル、シンドラーのリスト、プライベートライアン、戦場のピアニストなど。たった1人の悪役がこれほどまでにネタにされ経済効果を生むというのはもちろん例がありません。いろいろな意味でヒトラーは死してなお人々にお金を作らせています。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-04-01 21:55:26)(良:2票)
149.  最高の人生の見つけ方(2007) 《ネタバレ》 
この映画は「人生にはお金よりも大切なものがある」ということを必死になって観客に伝えようとしています。しかし世界各地を旅し、豪華なホテルに泊まり、世界最高の美食を味わい、世界の絶景を眺め、絶世の美女とあれこれするよりも、モーガンのような死に方のほうが高尚だとは私には思えません。世の中、やはりお金なんですね。お金さえあれば夢さえ買える。しかし死ぬ間際まで元気でいられるというのも夢に過ぎません。ふつうはずっと病室で苦しんで最後に意識がなくなって、それでも植物状態で延命させられて、家族のほうも「そろそろ死んでくれよ」と口には出さないが疲れ果てた顔でそう思っている。それが現実。アフリカで冒険をしてピラミッドの頂上にのぼり、香港の夜景を楽しみ、アメリカに戻ってきてらばったり死ねるなんて都合がよすぎてまさにファンタジーでしょうね。それから、「見ず知らずの人に親切をする」なんて当然ではないでしょうか?人は見ず知らずの人を救うことで自己満足を得ようとする。その心理を突き詰めると、自分の存在理由を他人に証明してもらいたいからです。私も昔は生まれたからには意味のある人生を送りたいと思っていました。今はそうは思わない。極論を申しますと、「人生」には最高も最低もありません。何も立派なことなどはしなくていいのです。「人生」はただ生きているだけで素晴らしいし、誇れることなんです。基本的に「人生」というのは他人を支えるために存在します。妻は夫を支え、夫は家族を養い、親は子供に嫌われてもすべてを犠牲にして我が子を一人前に育てる、子供は親がジジイになったら介護地獄に陥っても最後まで面倒をみる。タイヘンですね。自殺せずに人生を完走できるだけでやはり立派ですよ。かりに死ぬ間際に3億円の宝くじがあたったとして、その権利を使わずに、高尚な人生論をふりかざし、家族に見守られて静かに死んでいくことなど私にはできません。いろいろ言いたいことはありますが実にいい映画でした・・。とりあえず、入院したときは必ず金持ちの隣のベッドにしてもらうということだけは覚えておきます。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-16 23:00:41)(笑:1票)
150.  不都合な真実 《ネタバレ》 
温暖化防止の宣教師と化したゴアは情報伝達の手段として映画を利用した。そうすることで彼は1000回の講演を行なうよりも、大きな効果を得ることができたと思っている。少なくとも日本人は映画化にしたからこそ、ゴアの話を聞くことができた。聞いてどう思うかは人ぞれぞれだが、「より多くの人に自分の話を聞いてもらう」というゴアの当初の目的は達成された。その話のなかでも「ぬるま湯のかえる」の話は面白い。温暖化問題は今すぐ生活に影響を与えるものではない。だから冷え症の私は、少しぐらい温暖化になってくれたほうが冬は助かるとまで思っている。もし今すぐ私が温暖化でダメージを受けたならば、そういう甘い考えも吹き飛ぶはずだ。だが残念ながら温暖化問題はぬるま湯である。多くの人は当分温暖化によるダメージは受けないだろう。そして気がついたときにはかえるのように破裂している。私は「地球」というのは1つの生命体だと思っている。地球は人間と同様に免疫力を持っている。地球はいま、自身の生命が人間という悪質なウイルスによって脅かされていることに気がついた。いずれ自己防衛本能を発揮し、人間を淘汰しようとするのではないか。たとえばエイズ。あれは性の冒涜に対する神の罰ではない。熱帯雨林を破壊したことによって生まれた環境病である。エボラ、鳥インフルエンザもしかり。野焼きの一番の恐さは未知の病原体の発生である。このように温暖化問題にかかわらず、人類が地球にとって害のある存在である以上は、地球は自身を守るために、あらゆる手段を用いて人類の人口を調整しようと試みるだろう。エイズやエボラは地球の防衛本能なのだ。それが地球の免疫力だ。おそらく温暖化問題はエイズやあらゆるすべての問題と直結しているはずだ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2009-03-01 11:46:05)(良:2票)
151.  エリザベス:ゴールデン・エイジ 《ネタバレ》 
気高くて孤独で痛々しい女王でした。1人の女として生きるか、それともお国のためにわが身を捧げて生きるか、そういう葛藤が分かりやすく描かれていたと思います。「政治家エリザベス」を支える側近たちにもスポットライトが当てられており、とくにジェフリーラッシュが演じるフランシスが面白いキャラでした。陰気で忠実な男です。彼は女王の側近として秘密警察のようなことをやっている男で、今でいうとCIAの長官のような存在でしょうか。この男が色々な場面で暗躍するが、なぜか女王からは好かれない。たとえばメアリーの処刑。あれは明らかに権力争いです。エリザベスにとってメアリーは手強い政敵でしたので、側近たちに促されて処刑を実行します。こういう政争を通して、エリザベスを支える取りまきたちの実力も垣間見ることができます。彼女はフランシスのような謀略家を毛嫌いしていたと思いますが、権力者であり続けるためには、魑魅魍魎然とした人間たちもそばに置いておく必要があったのだと思います。エリザベスが「光」ならばフランシスは「闇」。政治とはその両方があってはじめて機能する。女王は良くも悪くも百戦錬磨の政治家でした。それなのに彼女は恋愛に関してはまるで子供なのです。彼女の孤独感がかなり痛々しい。女王であるがゆえに気軽に相談できる相手もいないので、1人でクヨクヨしたり、みっともなく取り乱したりして痛い女を演じている。女王はたしかにスペインの無敵艦隊には勝ちました。しかしたった1人の侍女に完膚なきまでに負けたのでした。エリザベスの人間としての強さと弱さ、政治家としての光の部分と影の部分、そういう対極の部分を本当にうまく表現したいい映画だと思います。これぞ人間劇。ラストシーンは切ない。恋敵の侍女の産んだ赤ん坊に祝福を与えるシーンです。女性にとって何が幸せなのかは分からない。しかし悟りを開いたような彼女の清清しい表情に少し安堵する。歴史なんて関係ありません。そんな知識がなくても楽しめます。これは1人の女性の決意の物語。  
[DVD(字幕)] 10点(2009-03-01 11:29:51)(良:1票)
152.  アンフィニッシュ・ライフ 《ネタバレ》 
テーマは「赦し」です。一匹の凶暴なクマをとおして、「赦す」ことの意味を問いかけています。熊は好きで人間を襲うのではない、そもそも人間が熊の住む場所を奪っているという事実がある。ある日ミッチを半殺しにしたクマが捕獲される。もし日本だったらすぐに殺される運命でしょうが、本作の舞台であるワイオミング州では動物と人間の「共生」の思想が根付いている。動植物たちの住処を荒らすことなく、自然の摂理に任せて暮らしている。ここを訪れたら、私たち現代人が、失った多くのものを感じ取ることができるでしょう。ミッチが自分を襲ったクマを動物園からこっそり逃がしてくれ、と言った理由は、アイナーに「赦す」ことの意味を教えたかったから。アイナーと孫娘が命がけでクマを逃がしたまでは良かったのですが、クマは逃亡中にミッチとばったり出会う。笑う場面じゃありませんがつい笑ってしまった。自分が逃がしたクマに二度もフルボッコにされたら笑い話にもなりませんね。ミッチとクマのにらみ合いは圧巻でした。素直に感動しました。この「クマさん効果」もあって、ガンコオヤジのアイナーは自分の息子を死なせたジーンを憎んでいましたが、徐々に変化していく。そして彼女の娘(孫娘)と接していくうちに凍った心が氷解していく。1ヶ月の滞在だったはずが、「娘を学校に通わせたい」とまで言うようになる。この話は「赦す」ことだけがテーマじゃない。誰かを赦し、赦したことによって自分自身が救われる物語だ。ワイオミング州の「動物と人間の共生」という精神を背景に、赦した相手との「共生」が描かれている。それから私はあえてここで有名俳優たちの名前を出しませんでした。なぜならアイナー、ミッチ、ジーンという3人の「役名」のみが脳裏に浮かんできたからです。まるで3人が実物の人間であるかのように自然でした。物語のなかで俳優の名前を観客に感じさせない名演技を久しぶりに堪能しました
[DVD(字幕)] 9点(2009-02-22 16:33:40)(良:1票)
153.  アメリカン・ギャングスター 《ネタバレ》 
ギャングスターとは思い切ったタイトルをつけたものです。悪事の限りを尽くした男は、本当にスターなのでしょうか?実在したフランクルーカスという醜悪でブサイクな悪党を、ハンサムなデンゼルに演じさせて、まるで一流のビジネスマンに見せかけています。「おれの商品はブランドだから品質を低下させるな」と麻薬の代理店に、のたまう様子は、まるでスイスの高級腕時計でも売りさばいている経営者ではないかと錯覚しそうになる。また、同業者から「おまえんとこの麻薬は安すぎるから相場が崩れる」と苦情を受けても、「私どもの商品は、安いだけではなく、品質も良いので、より多くのお客様に愛用されています」と言ってのける。おまえはダイエーの中内功か。麻薬の流通コストを抑えて、みんなが安いお金で買えるようになったという論調です。ルーカスが平気で人を殺すエピソードはあるものの、基本的には、彼は経営の神様のように撮られている。そのうえ家族想いで、教会でお祈りまで捧げていやがる。アメリカ史上最高の偽善者じゃありませんか。偽善という点ではラッセル刑事も負けていない。自分のことを、正直な男だと思い込んでいるが、平気で愛する妻と子供を裏切って、情事にふける汚い男です。離婚されて子供をとられて当然です。こういうバカ男に息子を愛する資格なんてありません。それとですね、殺人・麻薬など、残虐非道の限りを尽くしたルーカスですが、他人の罪をチクッたことにより、懲役70年の刑が、たった15年でムショから出てこられる司法取引という制度もいかがなものでしょうか?しかもその後、彼はまた罪を犯して逮捕されているというありさま。実は頭が悪いのかもしれません。何よりも驚くのは、まだこの男は生きているという事実。なにゆえに悪党は、こんなにしぶとくて長生きするのでしょうか。右を見回しても左を見回しても、この世の中は偽善者ばかり。本当の正直者は、自殺したあの悪徳刑事かもしれません。
[DVD(字幕)] 2点(2009-02-08 11:07:55)
154.  ザ・マジックアワー 《ネタバレ》 
日本のチャップリンきどりになってきた三谷監督のコメディ。私はこの監督の知的なコメディが苦手だ。しかも、自分の持つ権力を見せ付けるかのように、いつもオールスターメンバーの俳優陣。それでも今回は素直に笑うことができました。なぜなら、笑いがシンプルだったから。た、だ、し、ラスト30分間は、いつものお涙ちょうだいの展開になってしまった。なぜコメディを貫けないのだろうか?なぜ笑わせたあとに、ホロリとさせる必要があるのか?なぜ、笑いあり、感動あり、なんてお約束ごとをひたすら守る必要があるのか?もうそろそろ中途半端なヒューマンコメディから脱却しましょう。最後は葬式帰りみたいに、しんみりしてしまいましたよ。ま、それはともかく、ナイフ舐めのシーンはたしかに佐藤がうまいです。しかし、西田のあの絶妙のツッコミがなかったら、笑いすら起きなかったかもしれません。「俺がデラ富樫だ」と3回も同じ挨拶をしているのに、西田のほうは、さっきも同じことを聞かされたような気がするのは俺だけか?と戸惑っているところが一番面白かったです。ちなみに西田と三國連太郎といえば、スーさんとハマちゃんで有名です。この2人のからみはプロの漫才より面白いです。その三國の息子の佐藤と、西田をからませるというのは、最初からのねらいなのでしょうか。もしこの2人じゃなく、別の俳優が同じことをやっていたら、はたして、この映画はここまで成功していたでしょうか?遺伝子の神秘をかんじます。 
[DVD(字幕)] 2点(2009-02-08 11:07:06)
155.  魔法にかけられて 《ネタバレ》 
歌うお姫様を主人公にするなら、もう少し歌がうまい女性を起用すべきじゃないのか?はっきり言うがエイミーアダムスという女優はかなりオンチである。カメラもズームアップの連続ばかりで下品であるし、照明の光も圧倒的に不足している。それにおとぎの国の王子様がバスの上から剣を突き刺して年寄りを殺そうとするシーンは笑えるのだろうか?子供向けとは思えないほど残酷ではないか。おとぎの国からやってきた王子とジゼルは、喜怒哀楽の感情のうち、喜と楽しかない。そのためにバカに見える。バカ=純粋な人=いい人という定番の見せ方だ。そのうちオンチのジゼルが、しだいに怒の感情を身に付けて人間らしくなっていくという茶番劇のような人間ドラマが展開される。お城の看板にむかって「だれかいませんか~」ってやかましいわ。こういうギャグはやめてもらいたい。ぜんぜん面白くないし、観客の怒りを買うだけである。ふられた者同士がカップルになっておとぎの国で結婚式をあげるのも意味不明。少々悪ふざけがすぎる。くだらないギャグと残酷な映像はいつものディズニーとはかけはなれている。言い過ぎかもしれないがディズニーのブランドを利用した詐欺に等しい。いっそのことタイトルをペテンにかけられてに変更してみてはいかがだろうか。    
[DVD(字幕)] 2点(2009-02-08 11:06:39)(良:1票)
156.  スパイダーウィックの謎 《ネタバレ》 
なぜ面白くないのかというと、ファンタジーなのに、まったく冒険していないからだと思います。この物語は家のまわりにファンタジー世界があります。だから冒険をせずに、家の近所でモンスターと戦っていました。戦いといっても、家を攻めるモンスター軍団と、家の中を逃げ回る家族たちしか描かれていません。困ったことに、敵は家のドアを突き破る力さえないので、むやみに長期戦になっている模様です。少し強そうなモンスターもいましたが、車にひかれて死んでしまいました。とても残念です。敵のボスの倒され方は言葉を失いました。すべてがこんな調子だから、ザコモンスターにいたっては、人間の足をひっぱって拉致しようとするしか芸がありません。姿が見えたとたんに、お姉ちゃんのフェンシングの剣で、ざくざくに突き刺されて殺されていましたね。ちょっとかわいそうでした。ケチャップが弱点と言っていましたが、べつに弱点を探すまでもないでしょう。蹴飛ばしてやれば退散しそうです。モンスターというより、そこらにいる犬や猫とかわりません。いっそのこと、保健所に電話して、モンスターたちを引き取ってもらえばいいじゃんと思いました。わざわざ警察を呼ぶまでもないでしょう。少なくとも、世界を滅ぼそうとしている敵には見えませんでした。結論をいいますと、ファンタジーは家の近所にあってはいけないと思います。それは遠くに冒険に出かけて見つけるものです。身近に存在しないからこそファンタジーなんです。 
[DVD(字幕)] 5点(2009-01-23 20:33:33)(良:1票)
157.  ミスト 《ネタバレ》 
宗教狂いの女のほうは、最初は1人ぼっちで孤立していたが、恐怖が人々を支配するようになると、徐々に勢力を伸ばし始めるという人間劇が展開され、そのなかで宗教に身をおく人間たちが、ことさら愚かにみえるのは仕方ないにしても、間違ってもこんな女には従わないとは断言できないところが奥深い。たとえば「神」を信じない者であっても、初詣で祈ることはあるだろう、それが「神」に対する祈りでなくとも、何かに祈っていることは間違いないわけで、つまり「神」という具体的な存在をいくら否定していても、見えない抽象的な存在に祈ったり、罰に怯えている。それが人間の本質である。ようするに意識して「神」を信じるか、それとも無宗教の日本人のように潜在化で信じるか、そのどちらかである。「わたしは無神論者です」と単純に主張する人間ほど、その本質を理解していない。人は弱いからこそ、見えない力を信じて生きている、そしてミスト(霧)はそんな人の深淵に潜むものを露にしていく。すべての人間は宗教観を持っているのだ。とても濃密な人間模様だと思う。問題のラストシーンでは主人公の行動を理解できない観客も多い。しかし主人公は、世界が滅んだ、と思ったからこそ、それを決断したのです。当初マーケットの周辺のみの霧だと思われていたが、ついに車で脱出してみると、実は全世界が霧で覆われており、すでに人類は絶望していた─。観ている私はそう解釈し、それが衝撃的ラストの意味だと思い込んだ。仮にそんなラストでも充分説得力はあったはずだ。しかしこの作品のテーマはあくまでも「人間の本質」を表現することなので、霧を晴らすことにし、人間の愚かさを炙り出した。世界滅亡という思い込みは、先の見えない霧が、そこまで人の想像力を飛躍させた結果なのだ。誰が主人公を責められようか?アーメン。 
[DVD(字幕)] 6点(2009-01-13 20:44:13)(良:2票)
158.  萌の朱雀 《ネタバレ》 
ひとことでいえば愚直で純粋な映画。フランスの慧眼によって表舞台に出てこなければ一生お目にかかることができなかった映画。観客のノスタルジーを刺激する映像がとても美しかった。私のように今でもこういう場所の近くで住んでいる人間にとっては、かなり痛い映像でもある。ちょうど文化大革命期の中国において、反革命分子の子が再教育のために、奥深い山村へ飛ばされる、そういう場所の映像を思い出してしまった。都会の人間にはさぞかし癒される光景だろうが、実際にそこに暮らす人々にとっては、吉幾三の歌ではないが切実な問題なのです。過疎化は過去の遺物ではない。スズムシの泣き声は都会暮らしの人間にはさぞかし風流だろう、しかし私の住む場所では、スズムシだけではなく、近くの田んぼでカエルまでがゲロゲロ鳴いている。ちょうど「カサブランカ」という映画において、兵士たちがドイツ国歌とフランス国歌を張り合うように歌う名シーンがあるが、それと同様にスズムシとカエルが競い合うようにハーモニーを奏でている。嫌になってくる。家族構成も新鮮だった。無職で無気力なダメオヤジと、すぐに逝ってしまいそうなバアさんがいる。これで老人がボケたら目も当てられない大惨事になるのは火を見るより明らかだ。都会ならば一瞬で家族崩壊であろうシュチエーションでも、田舎ではそう簡単には壊れない。俳優陣は9割が素人。まったく演技せず、素で喋っているので、もごもご何を言っているのかよく分からないけど、特に理解する必要もないとおもう。そういう映画じゃない。なにかを感じる映画です。鉛色の空色や、食卓の場面で開けた障子の合間に見える山々の頂が目線の位置にあること、充分に共感できた。久しぶりに見ごたえがある映画と出会えたと思っている。
[DVD(邦画)] 9点(2009-01-13 20:43:19)(良:1票)
159.  リーピング 《ネタバレ》 
信仰を失った人間が再び信仰を取り戻すまでを描いたホラー系ヒューマンドラマという新ジャンルの物語なので必見です。主役のヒラリースワンクは宣教師でしたが信仰を失い、売れっ子科学者にとらばーゆしました。それがいかにもB級っぽくて逆に好感が持てます。しかし悪魔崇拝者たちが超能力少女を殺す手段として、なぜヒラリーをスカウトしたのか分かりにくい。結論からいうと超能力少女は悪魔ではなくて天使でした。つまり神です。神を殺せるのは神に仕える聖職者だけだそうです。聖職者には宣教師も含まれるのでしょう。しかも現役の宣教師じゃなくて引退した元宣教師でも神を殺せるようです。だから悪魔崇拝者たちは元宣教師の彼女を村に招いて、神の化身である女の子を殺させようとした。彼女は信仰を失っており、すでに神を信じなくなっていたので神を殺すのに好都合だという理由もあります。そういう事情でヒラリーは村にスカウトされたのだと思います。不思議なのは悪魔崇拝者たちです。なぜ彼らは神の情報にそんなに詳しいのか?広辞苑に「神の殺し方」についてのっていたのでしょうか。いずれにせよ悪魔崇拝者が神の化身の少女と対決したとしても、ゴミクズのように殺されていたでしょう。少女の強さは尋常ではありませんでした。ラストはスピルバーグの「宇宙戦争」を彷彿させるかのように人間が一瞬のうちに灰になってしまう。だけどいなごの大群に窒息死させられるよりはマシな死に方かもしれません。だから最初から少女には近づかないほうがいいと言ったはずです!攻撃をしなければ少女のほうから害を加えることはなかったはずです。悪魔崇拝者たちは神の殺した方を覚えるよりも、さわらぬ神にたたりなし、という言葉を覚えるべきでした。こうして元宣教師は神の力をみて再び信仰を取り戻しました。めでたし。めでたし。  
[DVD(字幕)] 6点(2009-01-02 12:43:57)
160.  ノーカントリー 《ネタバレ》 
映画史に残るオレ流の殺し屋でした。この殺し屋の怖さは独特です。「どこからお越しですか?」と世間話をしようと声をかけたら「それはどういう意味だ?」といって突然キレて、ポケットからコインをとり出して「裏か表か当ててみろ!」とすごむ。こんな殺し屋、絶対にイヤだ。不条理が服を着て歩いているような殺し屋でした。ルールというのはみんなで決めるものではなく、力の強い者に決定権があるという哲学的な殺し屋でもあります。そんなオレ流の殺し屋が、社会のルールに従って、青信号で交差点を渡ろうとしたら、信号無視の車に追突されて瀕死の重態に陥ってしまうというコーエン兄弟ならではの滑稽さが際立っている。殺し屋と善戦したモスのあっけない死にかたは「西部戦線異状なし」を彷彿とさせる。「死」とは日常そのものであり、劇的なものではないという渇いたメッセージ。シーンの1つ1つにこだわりが感じられる。圧巻の世界観に惚れました。 
[DVD(字幕)] 7点(2009-01-02 12:43:33)(良:1票)
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