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201.  21グラム 《ネタバレ》 
3組の夫婦が出てきて、その3つの夫婦の形をごちゃごちゃにミックスさせ、時間までバラバラにして作ったような映画だった。 そんな奇抜なことをせずとも充分に面白い映画を作れたと思う。 私のこの映画の見方は「夫に苦しめられる妻たち」というもの。  どれもこれも妻の孤独と寂しさと苦しみが伝わってくる。 夫婦の形というのはいろいろあるだろうが、少なくともこの3組の妻たちは夫を運命共同体のパートナーと見ている。夫の不運を自分の不運として受け入れて苦しんでいる姿は、悲しみや苦しみを避けようとするのではなく愛する人と無意識のうちで共有しようとしているように思う。 最後にショーンペンが自分の胸を撃った理由は2人を助けるためだったはずだ。彼はどちらにしても、もう助からない体であった。重い病気にかかっていたので生きるだけでも精一杯だった彼だからこそ、命の尊さを痛切に理解している。 ベニトロをけっきょく殺さなかった理由もそこにありそうだ。 もしショーンペーンが自分の胸を撃ち抜いていなければ2人のうちの誰かが死んでいたはずだ。 多分ベニトロが逆襲して女性の方がやられていたかもしれない。どちらにしても、もう意味のない殺し合いをすでに失おうとしている自分の命と引き換えに止めようとしたのではないか。
7点(2004-12-12 21:54:50)(良:1票)
202.  魔法にかけられて 《ネタバレ》 
歌うお姫様を主人公にするなら、もう少し歌がうまい女性を起用すべきじゃないのか?はっきり言うがエイミーアダムスという女優はかなりオンチである。カメラもズームアップの連続ばかりで下品であるし、照明の光も圧倒的に不足している。それにおとぎの国の王子様がバスの上から剣を突き刺して年寄りを殺そうとするシーンは笑えるのだろうか?子供向けとは思えないほど残酷ではないか。おとぎの国からやってきた王子とジゼルは、喜怒哀楽の感情のうち、喜と楽しかない。そのためにバカに見える。バカ=純粋な人=いい人という定番の見せ方だ。そのうちオンチのジゼルが、しだいに怒の感情を身に付けて人間らしくなっていくという茶番劇のような人間ドラマが展開される。お城の看板にむかって「だれかいませんか~」ってやかましいわ。こういうギャグはやめてもらいたい。ぜんぜん面白くないし、観客の怒りを買うだけである。ふられた者同士がカップルになっておとぎの国で結婚式をあげるのも意味不明。少々悪ふざけがすぎる。くだらないギャグと残酷な映像はいつものディズニーとはかけはなれている。言い過ぎかもしれないがディズニーのブランドを利用した詐欺に等しい。いっそのことタイトルをペテンにかけられてに変更してみてはいかがだろうか。    
[DVD(字幕)] 2点(2009-02-08 11:00:14)(良:1票)
203.  アララトの聖母 《ネタバレ》 
日本人がこの映画をみて頭に浮かべることは、いまだに中国から「嘘」か「本当」か分からない南京虐殺事件を責められていることだと思います。 興味深かったのは、アルメニア人大虐殺映画に主演してしまったハーフのトルコ人役者の心の葛藤です。 これは日本人が中国に行って南京虐殺映画に主演するようなもの。たとえ役者としての出世がかかっているにせよ後悔の念や自己嫌悪で苦しんでいる様子が随所に伺えます。 憎しみから何も生まれないとはよく言います。歴史認識に関しては疑問はありましたが、アルメニア人の両親をもつエゴヤン監督にとってこれは、自分のルーツを確認するための映画なのかもしれない。 しかしこの映画は歴史を扱っただけの映画ではなく私は再生の物語だと感じました。 これだけは絶対に言いたいことですが、この映画は時間軸の使い方が非常にうまく、3つの時間の流れと、2つの家族が丁寧に描かれています。 これほど完璧な構成力を持った映画にお目にかかることは1年に1度あるかないかだと思う。 登場人物では、父親の死に対する悲しみを義母への怒りに変えてしまった娘や、どうしてもゲイの息子を認められない堅物の父親(税関の仕事をしている)が特に印象的でした。 娘の悲しみが怒りに変わる心理はアルメニアの歴史と似ている。 そしてこの2つの壊れかかった家族が、アルメニアの主人公をきっかけにして再生していく─。 娘の刑務所のシーンや車のシーンがそれに当たります。 ところで取調室で主人公の少年を救ったのは税関検査官ですが、本当に救われたのは税関検査官だと思う。 赦すという事が理解に変わり自分が変わることもある。 そしてアルメニアの画家ゴーキーが時間軸を越えて現在の義母の前に現れたあの瞬間、監督がこの映画に望んでいた本当の目的が見えてきました。これはアルメニアに深い想いを抱く監督が作った執念の傑作です。なんと素晴らしい構成力を持った映画でしょうか。
[DVD(字幕)] 10点(2005-08-22 19:56:51)(良:1票)
204.  シコふんじゃった。
「シコふんじゃった」というタイトルが、「猫ふんじゃった」みたいで気になる。 なぜ「ふんじゃった」なのだ! 「シコをふむ」か、それが嫌なら、「シコをふんでしまった」にしろと言いたい。 
5点(2003-10-15 02:10:06)(笑:1票)
205.  クラッシュ(2004) 《ネタバレ》 
救いと希望を感じました・・。修理屋の黒人の娘が射殺されそうになったときや黒人の妻が事故死しそうになったときは本当にもう駄目かと思って息がつまりそうになりました。なぜなら、ああいう場面では「差別は残酷なんだ」と伝えがたいために、彼らを不幸にして死なせてしまう映画が非常に多いからです。そしてそれがリアルなんだ、と製作者サイドはうそぶくわけです。だから黒人の娘が救われたときなどは、子供のように素直に嬉しかった。 差別というのは、ただ単にコミニケーション不足が偏見を生み、そして憎悪へと変化していくだけのことかもしれません。 とくに差別主義者の白人ライアン巡査がひどい差別をした黒人女性のことを、命をかけて救った場面にはあるメッセージが込められていたと考えます。 人を殺した人間には殺したかった理由があるはずですが、人を救った人間には救うための理由なんてありません・・・それは本能なのですね。 肌の色や国籍が違っていても、死にそうな人間を見かければ、とっさに人間は人間を救う・・よく人間の心の奥には誰もが差別を持っていると言われます。しかしもっと奥をのぞけば、同類である人間同士の共感が見えてきます。この映画の根本的なメッセージは差別問題ではないと思う。私には人間賛歌の物語にさえ感じました。
[DVD(字幕)] 10点(2006-08-13 18:01:07)(良:1票)
206.  カッコーの巣の上で 《ネタバレ》 
組織に身をおくものなら、あの病院の患者に共感できる部分はあると思います。会社にはあの婦長の役割を果たす重役が必ずいます。多くのサラリーマンはそんな絶対的な管理者の前に自分の意見を言えずに自分の心を殺しながら働いている。 そこには人間の尊厳などなく組織の歯車に過ぎないという事実がありますが、それを反発する手立てもなければ気力もない。 マクマーフィは精神病の患者の無気力と怠情に驚いていましたが、これは人を管理することが本能となっている組織が抱えている病根なのだと思う。異常と正常の違いなど紙一重。 恐るべきはロボトミー手術。この映画をみてはじめて知ったけど、昔は暴れるものを鎮めるために脳に傷をつけて大人しくさせるという手法が本当に用いられていた。 異常者だから仕方ないという理由によって。 最後は安楽死を肯定しているようであまり好きではありません。 医者が意識不明患者を「苦しかろう」と解釈して勝手に殺すのと同じようなものです。人間の尊厳がなければ生きていても仕方ないと言うけど、いったいその尊厳は誰が決定するのか?他人が勝手に決めて殺していいはずがないはずです。
[DVD(字幕)] 9点(2005-01-10 23:45:59)(良:1票)
207.  許されざる者(1992) 《ネタバレ》 
結局最後はダーティーハリーになってしまった。  中途半端ではないか?この映画の「正義」は間違っていると考える。
2点(2003-10-14 23:40:05)(良:1票)
208.  シェルブールの雨傘
セリフが全部歌になっているのだけど違和感がなく観られる。  内容があるとはとても言えないけど、始まり方がすっごくお洒落なんです。 こういう映画をいっぱい観て感性を磨いていきたいですね。これぞフランス映画の真髄!     CGなんて使わなくても~ワイヤーなんて使わな~くても~・・これだけ~面白い~♪♪  
9点(2003-11-11 13:06:16)(笑:1票)
209.  ドニー・ダーコ 《ネタバレ》 
一番最初の方も言っていますが、この話は人間が死ぬ間際にみる一瞬の夢なのだと思う。あのセミナーの雰囲気はいやだったなぁ。ああいう会合に行ったことが昔あるけど本当にぞっとした。その理由は「ぼくらはみんな仲間なんだ」というオーラがひしひしと伝わってくるからです。寂しいからみんなで寄り集まって共感しあいたいというのは結構です、しかしそういう連中に限って、仲間に溶け込めない異分子を目の敵にして攻撃しようとする。そして異分子をみんなで協力して排除することでまた連帯感を味わって気持ちよくなろうとする。人間は孤独である、ということを認めようとはしない連中が、孤独を回避するために集り、そしてドニーダーコのようなタイプの人間を餌食にする。他人と同化しきれない人は少なからずこの手の集団に痛い目にあっているはずです。この話が「ライ麦畑でつかまえて」と似ていると言った人もいましたが、まさに的を得ていると思います。ドニーダーコはホールデン君を思い出させる。誰もが自由と引き換えに寂寥感を募らせていきます。世界の終わりのタイムリミット(言い換えれば自分が死んでこの世から消えさるまでの時間)が最初から定められていて、それに向ってどんどん堕ちていく世界観は秀逸。青春はその感受性の強さゆえに希望と絶望が紙一重。  
[DVD(字幕)] 8点(2006-08-29 18:34:40)(良:1票)
210.  ティム・バートンのコープスブライド 《ネタバレ》 
たかがアニメ、されどアニメ。この映画はエミリーにハマルかどうかで評価が違ってくると思います。その主役のエミリーは眼球が飛び出るし体の中にへんなムシはいるし、とんでもない女性(死体)なのですが、どこか間の抜けたところがあって愛らしかった。無垢な女性の美しさを実感できました。死者のエミリーと生きている男は夫婦になれるのか?その答えは誰もが最初から想像がついていたはずです。それなのに報われない恋愛と分かっていながら必死に頑張っているエミリーがとても切なくてもうこの時点で私は彼女の応援団の1人になっていました。 生きている世界は覇気がなく、死者の世界はジャズ音楽で溢れかえっているのですが、あれをみると1回ぐらい死んでみようかなと考えてたくなるほど死の世界は楽しそうですね。 私が一番エミリーが美しいと感じたシーンは、彼女が地上で月を見て踊りだしたときです。あのシーンの音楽も非常に切なくて秀逸だと思います。まるでエミリーのあたたかな体温が伝わってくるような踊りでした(でも死体だから実際は冷たいでしょうが・・)このあたたかさの感覚は最近の機械的なCG映像じゃ作り出せないと思います。想像力を無限に刺激させてくれた愛すべき死体、それがエミリー、大好きです!
[DVD(字幕)] 9点(2006-03-25 18:22:42)(良:1票)
211.  ビザンチウム 《ネタバレ》 
物語の本質は、共依存の母娘です。野蛮な男たちに虐待されて生きてきた母親は、自涜の習慣(娼婦)から抜けられません。彼女の自涜の念が我が娘には同じ道を歩ませたくないという強い思いにつながっているのだと思います。しかし娘を守るつもりが、逆に娘を精神的な牢獄に閉じ込めていることに気が付きません。従って娘の最大の親友は母親であり、母親だけが人間関係のすべてであり、母親以外には他人を愛する選択肢がありません。母親のほうは「私がいないと、この子は生きていけない」と妄念妄想にとりつかれています。ラストで母親が娘を手放したのは、母親自身が、娘から自立できたことを意味します。このラストシーンに未来の燈芯を感じます。また、この映画の吸血鬼は、己の力を誇示する生物として描かれているのではなく、あくまでもマイノリティとして、虐げられる存在として描かれています。悪の存在ではありませんが、人間を殺さないと生きていけないというジレンマがあります。そのために死を望んだ人間からのみ血を吸うという清貧な吸血鬼娘、遠慮せずにじゃんじゃん吸えよ。人間なんて、同族以外の生き物を殺しても、器物破損にするようなバカな連中なのだから情けをかけなくて良い。そういうわけで生きているだけで罪を感じている彼女の存在そのものが果かないです。その果かない存在と、美しい映像が見事に諧和しています。間違っても十字架が弱点の吸血鬼バトル映画だとは思わないでください。私は心が癒されました。弱者に救いの道が開かれる物語はやはり心があたたかくなりますね。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-14 23:53:29)(良:1票)
212.  アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 
とんでもない保険会社だ(笑) 誰もが私利私欲で動いているエゴイストだが、それが軽いので嫌悪は覚えない。 それにバクスターの不器用な恋愛に共感した。心の底では絶対にハッピーエンドになることを望んでいたので最後は大満足。  自殺未遂をした男運のない女性を演じたシャーリー・マクレーンもとても好感を持った。 あのトランプをやるシーンが、もの悲しくていい。この映画はコメディだけど、主役の2人は常に哀愁を漂わせているところがとても印象的だった。 誰もがこの2人に幸福になって欲しいと思わせる映画だと思う。 この映画には、どんなに仕事が優秀で地位が高く名誉を持っていても愛されない人間は価値がないというメッセージが込められていると思う。  テストで100点をとってもお金をいっぱい持っていても、そんなのは目的ではなく手段に過ぎないと思う。 人はときどき本当の目的を忘れてしまうときがあると思う。 バクスターは最後に気がついた。 テストで0点をとってもいいと思う。目的は点数じゃない。苦労してもバクスターのように好きな人から愛される人間になりたい。
10点(2004-09-12 12:38:41)(良:1票)
213.  時計じかけのオレンジ
キューブリックが創り出したアレックスは、言い尽くされてきたように、暴力、欲望、性欲の化身と仕立て上げることで、人間が抑圧されている本能を炙り出そうとした。しかし人は殊更本能を忌み嫌い、低俗なものだと考え、潜在化という押入れの中に「人間の本質」である動物を隠そうとする。心苦しい言い方ですが、人間の動物性をキューブリックは、我々に炙り出して見せたのです。このキューブリックの試みは「芸術」と対極をなす人間不信に根付いていることは周知の事実です。しかし自殺する動物の特殊性について、もはや人間が動物としての本能を喪失しているのだということを認めずにはいられるでしょうか?マズローの法則という人間の欲望を端的に表したピラミッドから私たちが理解できることは、満たされる度に我々は人間の本能を失っていくということに他なりません。従ってキューブリックの創造した「暴力」は決して人間の本質ではなく、むしろ本能を喪失させるための役割の大部分を担った「自意識」だと考えるのです。つまりアレックスに対して、あれこれと語るという愚かさは、「わたしは何者か?」と考えることと同じ位に無意味だということです。本来「わたし」というものに中身はありません。もっと咀嚼して説明すると「わたし」とは他人との関係性においてのみ存在するものであり、人間の中身は本来空洞なのです。従ってアレックスに自己を投影させ、嫌悪させたり、共感させる試みは単に勘違い人間を増殖させるだけなのですね。分かるでしょうか? また牧師がいった「道徳を持っているから人間だ」という台詞には、その高い精神性こそが人間の本能を失わせることをキューブリックは暗示させているのが彼らしい。もっと深読みすると、この映画に装飾されている「芸術」という精神の象徴を高度な動物である人間に魅せて喜ばせようとする皮肉なこの監督独特の嗜好が伺えます。
[映画館(字幕)] 0点(2003-10-15 15:28:23)(良:1票)
214.  “アイデンティティー” 《ネタバレ》 
真面目に犯人は誰だろうか?と考えていたから、最後は肩透かしを食らったような気分になった。この映画を簡単に説明すると主人公の妄想が生んだ物語。 じつは殺された登場人物は誰も存在していない。すべて主人公の頭の中の出来事。 誕生日が全員同じ登場人物たちは、じつはすべて主人公の分身だということになる。 主人公には多重の人格が存在しており、ストレスで休職になった刑事や、人生をやり直そうと考えている売春婦は、すべて主人公の人格が生んだ人物たちという設定になっている。 これらの主人公の多重の人格を1つのモーテルという架空の場所に集結させて対決させるアイデアは面白い。 だが犯人は誰?というような推理もののように思わせるところがこざかしい。 しかし本当に不満があったところはもっと別なところにある。それは最後に人生をやり直そうと考えている売春婦の人格が生き残ったように見えたが、トラウマを抱える子供の人格に殺されてしまったところだ。 この場面を見て「おお、意外だ」なんてまったく思わない。ひたすら嫌悪感がわいてくるだけだった。 これはようするに主人公の希望の象徴である人格は敗北してしまい、子供が生き残ることでトラウマを克服できなかったことを暗示している。 そういう救いがないところが後味が悪くて高く評価はしたくない。 あまりにも苦い味の映画を目の前にして衝撃を感じる感覚まで失ってしまった。
2点(2005-01-01 00:56:30)(良:1票)
215.  ラストダンス
後味の悪い映画。死刑制度に反対するというメッセージを織り込んだ映画だとは思うが、見終えてブルーな気持ちになった。
0点(2003-10-14 22:45:39)(良:1票)
216.  ヘアスプレー(2007) 《ネタバレ》 
と、に、か、く、テンションが高いっ!驚くほど元気いっぱいのミュージカルだ。やはり踊りが素晴らしい。ミュージカルというと、歌の批評が多いですが、この映画のレビューを読んでも分かるように誰もそんなことにこだわっていない。そういう次元をはるかに超えている。この映画に出てくる奴らは全員やぶれかぶれなんです。何があっても、ええじゃないか、といってひたすら狂ったように踊りまくっているんです。これほど激しく動きのミュージカルは初体験です。鳥肌がたったシーンは、母と娘がお店から出てきたときに、なぜか大勢の通行人が道路で無我夢中で踊りまくっていたところ。そして母と娘も申し合わせたように一緒になって踊りだす・・この意味不明のサジ加減が最高です。このシーンを見ていると、小さな悩みでクヨクヨしているのが馬鹿らしくなってきて、もうどうでもいいや、という気分になってくる。ツマラナイ理屈なんてすべて吹っ飛ばしてくれるだけのパワーがこの作品には漲っている、それと人生って、なるようにしかならないんだな、という開き直った気持ちにもさせてくれます。悪のり風のドタバタ劇ですが、そこには黒人も白人もデブも関係なく、小難しいイデオロギーや偏った価値観にこだわらず、とにかく一緒になろう!という心地良い一体感が感じられます。心地良い混沌(カオス)でした。エンドロールが流れたときには嵐が通り過ぎたような感覚で茫然自失となりました。  
[映画館(字幕)] 10点(2007-10-27 13:20:23)(良:1票)
217.  ダンサー・イン・ザ・ダーク 《ネタバレ》 
「お盆」とは、ある母親が餓鬼道に落ちて苦しんでいたのを何とか救うために「七月十五日に亡き先祖や父母たちのために供養するように」と釈迦に教えられたことが由来しているそうです。ではなぜこの母親は餓鬼地獄に落ちたのか?その母親は我が子を愛していたから地獄に落ちたのです。母は我が子を愛し、我が子だけは幸せになって欲しいと願う。しかしそのために犠牲になる者もいるはずです。愛とは誰かの犠牲によって成り立つものだから。みんなを均等に愛せるわけなどない。誰かを見捨てて誰かを助ける。それが愛だと思う。監督はそういう事実を我々に見せつけ、愛することも罪の1つだと言いたいのでしょう。セルマが馬鹿にみえて自分勝手なのは彼女が真の母親だからです。真の母親は我が子を心から愛する罪人であり、地獄に落ちるしかない。このメッセージこそ監督の性格の悪さを一番表している。この監督は終始一貫して私たちが正義だと思っていることの中にも罪があるのですよ、ということを映画するのがうまい。
[映画館(字幕)] 9点(2003-10-15 23:01:53)(良:1票)
218.  クローサー(2004)
男が女に比べて恋愛下手なのがよく分かった気がします。男2人は好きな女から愛情ばかり求めるばかりで自分から愛情を与えることを忘れてしまっている。しかも終始いじいじしている。めそめそするなよって感じですね。1つの嘘も許せない男たちが女にしつこく求めていたものは、「本当に自分だけを愛しているのか??」という真実。つーか愛されることに執着するから他人を愛することを忘れてしまうのです!女性がなんのために嘘をついたのか考えようともせずに労わりもしない。ただひたすら自分だけが愛されたいだけである。もう一度言いましょう・・。自分だけが愛されたいだけなのです!こういう人たちがいずれストーカーになるのでしょう。また宇梶剛士に似た俳優がいましたが、名前など知りたくもないので、あえて宇梶剛士といっておきますが、彼の粘着質さは凄まじいですね。しかも宇梶剛士!顔が暑苦しいんだよ。濃すぎます。そしてキレのあるヘタれっぷりを見せてくれたジュドー!あなたをぼんやりと眺めていたら、男ってつくづく馬鹿だと思ってきました。実際に男は馬鹿なのでしょう、クソガキなのでしょう、わがままなのでしょう。これじゃ女に勝てるわけがない。女は頭が良い。女は人を好きになる天才だ。男はそれが下手だ。そういうことがよ~く分かる映画です。
[DVD(字幕)] 6点(2006-05-18 20:07:33)(笑:1票)
219.  エディット・ピアフ~愛の讃歌~ 《ネタバレ》 
「歌」というのは単に歌うのがうまいから評価されるということはない。その反対に歌が下手だから評価されないということもありえない。「歌」はきわめて主観的な評価により決定されるものであり、つまり歌う人物が好きか嫌いかによって決まるといっても言い過ぎではありません。ピアフは歌がうまかった。しかし実はそんなことは歌手としての評価にあまり関係がないのです。ピアフがこれほどまでにフランスで愛された理由はひとえに彼女の人格に共感する人が多かったからなのです。それにしてもマリオン・コティヤールです。別映画に主演しているときの彼女はモデルのように身長が高い肉感的な女性だと思っていましたが、身長を調べてみるとやはり170センチ近くもある。ちなみに和田アキ子は174センチ。いずれにせよそんな大柄な女性が身長142センチの子すずめを演じきるというのはやはり尋常なことではない。俳優が役作りのために体重をコントロールする話はよく聞きますが、さすがに身長はむり。しかし彼女は小さく見えました。これが「演じる」ということです。ようやくマリオンが主演女優賞を獲得できた理由が理解できました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-03-06 23:13:00)(良:1票)
220.  デイ・アフター・トゥモロー
想像を絶する氷河期が訪れて世界が破滅するようなスケールの大きい映画なのに、普通のオオカミとデスマッチする姿をみて、こっちのほうが寒くて凍死しそうだった。
1点(2004-10-23 15:59:53)(笑:1票)

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