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港のリョーコ横浜横須賀さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 118
性別 女性
年齢 41歳
自己紹介 前回アクセス(H30.11月)から2年ぶりに再びアクセス。
なかなか時間がないものの、地味〜に、たま〜に、映画は観ているのですが、、何故か映画鑑賞よりレビューを書く方が時間がかかる不思議…
簡潔に論理的にまとめる能力が欲しいです(泣)

<採点基準>
10  :生涯のベストムービー。理由は様々だが愛してる

9 ~8 :かなり大好き。純粋に面白い。好き!

7 ~6 :なかなか良い、悪くない。云わば平均!

5 ~4 :微妙、消化不良、苛々。あまり好きではない

3 ~2 :見たことをひたすら後悔、後悔、後悔

1 ~0 :滅多に出ないが出たら最後。永遠にさようなら

これからもよろしくお願いします!

令和2年10月10日

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1.  自虐の詩 《ネタバレ》 
原作未読ですが、DVDは何度も(おそらく10回近く)観ています。  私はこの映画が本当に大好きです。 でも正直言うと、初めて見た時は「まぁ面白い」程度の評価でした。(点数で言えば6~7点) しかし、この作品には不思議な中毒性があります。 なんだか急に、本作に溢れている『さまざまな愛の形』に触れたくなるんです。 そういう時は大抵、自分の心が疲れて荒んでいたり、優しくされたい、愛されたい!と思っている時なんだなぁ…ということに気がついたのも、ごく最近のことです。 一度目より二度目、二度目より三度目とどんどん魅せられていき、最終的には私にとってバイブルのような存在になったのが、加点の理由だと思います。  序盤は、ただひたすら不憫な女性にしか見えない幸江と、端から見ればただのダメ男であるイサオの関係性が、テンポよくコミカルに描かれています。 悲壮感は一切漂わず、寧ろ笑ってしまう(幸江ちゃんごめん!)描写が多いので、不快感もありません。  では何故イサオに不快感を抱かずにいられるのか? それは、彼から「幸江に対する深い愛情」が感じられるからだと思います。 イサオは天性のヤクザ気質を必死で抑え、堅気として真っ当な人生を歩みたいのに歩めない葛藤に苛立ちます。 ゆえに物に当たりギャンブルに逃げるものの、決して幸江には手を挙げず、弱音も吐かず、言い訳もしません。 どんなに辛くても、嫌気が差しても、すべては幸江のため、愛する幸江あってこその決断だから。 幸江に対する誹謗中傷も一切許さない彼の姿勢には、「深い愛」と「男としてのスジ」を感じさせます。 その「スジ」が厄介だったりするのよね…と女の私は感じる時もあるのですが、それはきっと男の人にしか解らない領分ですから、私も幸江のように受け容れようと思います。 そんなイサオの醸し出す「何か」があってこそ、幸江が献身的に尽くす理由に含みを持たせてくれています。  その「何か」は、現在の2人とは真逆の関係性だった「過去」にあることが判明します。 2人の関係だけでなく、幸江自身の過去も詳らかになることによって、彼女の人間性にも深みが増してゆきます。 人間は多かれ少なかれ、裏切り、裏切られる人生を歩むのだと思います。 幸江は若くして信じていた人たちに裏切られ、たくさん傷つきますが、彼女自身も自分を必要としてくれた人を裏切り、傷つけていたのもまた事実です。 しかし悲しいかな、人間は傷つけるより傷つけられた事実の方が心に大きな影を落とします。 ゆえに幸江は常に愛されることを望み、愛されることこそ幸せになる近道だと信じていましたが、自分から人を愛するという観点は無いため、愛し方にも疎い、悲しい人間になってしまったのだと思います。  けれど、そんな彼女に『ありのままの自分と向き合う強さと勇気』を教えてくれたのが熊本さん。 そして『一途に人を愛することの難しさと美しさ』を教えてくれたのがイサオ。 死の淵でも『自分の見方を変えれば愛や幸せは常に感じられる』ということを、幸江は母から教わります。  私が思う『彼女にとって最も幸せなこと』とは、「愛とは、幸せとは何か?」を教えてくれる人たちが周囲にたくさん居たことだと思うのです。 彼女はそれに気づき、自分を変え、受けた愛情や恩を彼女なりにお返ししていこうとする心を持ったからこそ、ずっと欲しがっていた愛情や幸せに値する人間になった…のではないかと思います。 不思議なパラドックスですが、渇望するほど遠のき手放せば近づいてくるのは、世の真理なのかもしれません。  彼女は一見、決して幸せとは言えない人生を送っているのかもしれません。 けれども、その過程で彼女が手に入れたのは、何よりも大きく、何にも代えがたく、日頃は気が付きにくくて手に入れるのがとても大変なもの、だったのではないでしょうか。  「愛する」とは「必要とすること」や「信じること」で、受け取る以上に惜しみなく与えるもの。 それが自然にできた時こそ、幸せは私たちの心に訪れるのかもしれません。  幸も不幸も同じだけ価値がある。人生は確かに意味がある。今の私なら、その言葉に心から同意することができます。 ありがとう。
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2015-11-18 17:22:00)(良:1票)
2.  ノッティングヒルの恋人 《ネタバレ》 
初めてこの作品を見たのは10年前で、私はまだ高校生でした。当時の私は「こんなのありえない(笑)」と嘲笑していたのを覚えています。しかし、改めて鑑賞した今日、私はこの映画が大好きになってしまいました。  王道のラブストーリーです。世界的スター女優と街の小さな本屋さん。住む世界が違う二人が出会って恋に落ち、多くのすれ違いや波乱を乗り越え、最終的には結ばれる、という王道中の王道。初見から10年が経ち、私も多少の酸いも甘いも経験をしたからでしょうか?この映画が、ただ惚れた腫れたばかりを描いた作品ではく「人生の理不尽さ」や「生きていくことの苦しさ・難しさ」なども訴えていたことに気がつきました。  登場人物は皆それぞれに悩み、悲しみ、苦しみ、人生の辛酸を舐めています。人間は歳を重ねる毎に経験値が上がります。しかし、悲しいかなそれら全てがプラスになるとは限りません。過去の決断が正しいものであったと、誰もが信じている…いいえ、信じたいもの。それが自分の夢や希望に沿った決断であればあるほど、失敗とは考えたくないものです。それでもつまづいて、過ちを犯すのが人間なのでしょう。  けれど、本作に暗い空気は漂いません。それはきっと、登場人物たちがそれぞれの経験を活かし、時と共にそれぞれの方法で未来を創り出しているからなのかもしれません。しかも、それを自分の為でなく誰かの為に出来ていることに、大きな意味があるのです。自分にとっては無駄な経験でも、それが思わぬところで誰かの役に立つこともあるのです。そうしてまた自らも成長を重ね、過去とは違う自分になれたとき、運命の女神は微笑みかけてくれるのかもしれません。  鑑賞後は主役の二人だけではなく、彼らを取り巻く人々すべての幸せを願う私がいました。脇役の人たちの幸せまで願わせるラブストーリーとは、なんて素敵なんでしょう!10年の歳月を経て、素直な心を取り戻させてくれたこの映画に、私は今後も愛を注いで行くのだと思います。  <2018年12月追記> エルビス・コステロの「She」って本当に名曲ですよね。彼の美しい声と優しいメロディーだけでも癒されますが、愛に溢れた歌詞がまた本作を思い出させてくれて、聴いてると自然と涙がこぼれてしまいました。名作に名曲あり、ですね。
[DVD(字幕)] 10点(2009-10-21 22:52:18)(良:2票)
3.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
「贖罪」と「命の清算」という言葉が、私の脳裏に焼き付いている。この映画には、嘘がない。 この世から差別は無くならない。侮蔑は人間の真理でもある。偽善は欲望の恰好の隠れ蓑になる。誰の心の奥にもある感情であり、消すことは出来ない。人々は軋轢を生まず平穏な社会生活を送るため、それらを露見しない。 主人公のウォルトは、悪い人・物・事に対しては嫌悪感を露にして皮肉たっぷりに断罪するが、その逆に対しては素直に評価して敬意を表する。善悪の分別が付いているからこそ出来る芸当であろう。善悪の境界線が曖昧になった現代人には、見て見ぬフリをするしか逃げ道が無いのだ。  ウォルトは恐らく、妻が死んだ時点で自らの死に方を探していたのではないか。彼は戦争での行為を長い間悔い、その罪と罰を背負い続けている。彼にとって問題なのは「命令されずとも進んで殺していた」こと。それでも彼が生きてこられたのは「俺は世界で一番の女と結婚した」と豪語する妻の存在があったからこそだろう。しかし、その妻が世を去り、病魔も身を潜め、生きる意味が最早「無」に等しいと感じた彼は『死に方を探す為に生きていた』のではないかと思う。 そんな時に出会った隣人たちに当初は差別と偏見しか抱かなかったものの、次第に心が通じ合っていく。「どうにもならない身内より身近に感じる」と言う彼の表情には、なぜか悲しみの色は見えない。  深まる少年との距離や交流は、疑似の父子関係に似たものがある。”息子と上手くいかない父”による”父がいない息子”への、最期の子育てなのかもしれない。しかし、いつの世も社会の屑は存在し、人々を脅かし、牙を剥く。誰も予想しない最終手段に出たウォルトの行為は、まさにキリスト教における『自己犠牲の精神』だ。彼は最期の最期で、自らが背負い続けてきた罪と罰を命を以て清算し、神に赦されたのだ。ライターに火を灯そうとしたのは、一つの命<ウォルト>が終わると同時に、新たな命<タオ>が芽吹く瞬間でもあったのだろう。  ウォルトから譲り受けたグラン・トリノに乗るタオの表情は、切なくも優しい。一世を風靡した車の持ち主の魂と意思は、きっとこの少年に受け継がれたはずだ。この映画に出会えたことに、私は心から感謝を述べ、最大の賛辞を送りたい。
[映画館(字幕)] 10点(2009-05-25 13:45:06)(良:3票)
4.  恋人までの距離(ディスタンス) 《ネタバレ》 
今まで二度見たが、何度観ても二人の関係性は魅力的だ。 男女間でここまで幅広い会話が出来たら、きっと二人の関係に飽くことはないだろう。  幅広い会話を繰り広げるには、知性、ユーモア、思慮深さが必要なことも実感できる。  ウィーンを舞台にした車窓・風景・街並みの美しさは、 まるで自分が二人と共に旅をしているような感覚にさせてくれる。  時間の経過と共に変化が出てくる二人の関係の際立たせ方も面白い。 二人の関係を見透かしたように書かれた詩、セリーヌが好きだと言った絵、占い、 どれもハッキリとはしない「境界線の曖昧さ」が二人の関係にリンクし、 より儚く寓話的に二人の関係を強める要素になっていたと思う。 翌朝には別れてしまう歯痒さ、それでも惹かれ合い、徐々に縮まる二人の距離感は、 観ている者の胸も高鳴らせてくれる。  私が一番好きなのは、友達に電話をするフリをして互いの想いを伝え合うシーン。 あの場面はセリーヌのロマンティストさとウィットに富んだスマートさが 如実に表れている素敵な描写であり、あの手法自体もとても魅力的だ。 あのような素敵なユーモアの持ち主だからこそ、 会話にも知的さと優雅な空気を含ませる事が出来たのだろう。   観る者の想像に委ねたラストも素敵だが、 簡単には結ばれぬ二人ほど強く惹かれ合うのは、いつの時代も変わらないのだろう。
[DVD(字幕)] 10点(2006-10-29 19:41:04)(良:1票)
5.  猟奇的な彼女 《ネタバレ》 
「もし運命ならきっとまた出会える」 恋をして別れを経験する度に、私も自分にそう言い聞かせてきました。  忘れたくても忘れられない恋は、本当に自分を見失いそうになる。 『忘れられそうな新しい恋』を見つけた時は、前向きに頑張ろうと思える。 すぐに怒ってぶん殴るのは、自分の心の傷を隠すため。 強引、ワガママ、自己中なのは、そんな最悪なコトをする自分でも、 相手が自分に合わせてくれるのを見て、自分への気持ちを確認して安心したいから。 なのに、自分の中に残っているのは、元彼の面影や二人の想い出。 前の人と今の人は違うのに、今の人に求めてしまうのは、すべて元彼のしてくれたこと。 忘れたいのに、心の中のどこかで「忘れたくない」と願う自分もいる。 そして気がつく。 「忘れる為に誰かに頼っていては、いつまでも忘れられないのだ」と。  しかし、その存在を失いそうになった時、または失った後に、初めて気がつく。 「自分は彼を愛していたのだ。彼を必要としていたのだ」と。 そして、そういう時に限って神様は『本当に二人は心から愛し合えますか?』と試練を与える。  私は、木の下でおじいさんが言ったセリフを、ずっと忘れないでしょう。 「運命というのは、努力した人に偶然という橋を架けてくれる」 それぞれの想いを胸に努力した二人だからこそ、幾多のすれ違いにも負けず、再び巡り逢うことが出来たのだと思う。 『運命が努力した人に偶然という橋をかけてくれる』ならば、 『幸せとは橋で巡り逢えた二人が育てた愛』なのかもしれない。   この映画のおかげで、主人公の「彼女」と似たような状態だった私も、 「キョヌ」のような存在の彼と、もう一度二人で歩みたいと思うことができました。
[DVD(字幕)] 10点(2006-08-16 17:54:48)(良:7票)
6.  ジョゼと虎と魚たち(2003) 《ネタバレ》 
この映画を見る度に、男性がいかに脆く純粋な生き物で、女性がいじらしくも強い生き物であるかを実感する。  ジョゼのキツい物言いは、恐らく自らの不安・恐怖・コンプレックスを隠すための防壁なのだろう。 乳母車に隠れ乗る事でしか外界を知る術がないジョゼ。 外の世界を知りたいジョゼが自分の願いを叶えるには、 「好奇の目を向ける人々の存在」というリスクを背負う必要がある。 ゆえに自己防衛本能が生まれる。  また、それを譲れないのは「壊れ物だろうと私は私」という自我確立の意味もあるのだろう。 誰にも頼らず、誰に頼ればいいのかも解らず、頼み方も知らないとは、なんとも悲しい。 しかし、そうした生き方を選ぶ事しか彼女は知らなかったのだろう。 強いフリをした弱い人間は、肝心な時に素直になれず、本心とは裏腹な事ばかり口にする。 「帰れと言われて帰る奴は帰れ!」と心にもない事を泣き叫びつつ、 すぐに「・・・嘘や、おって」と翻すいじらしさには、同性の私でさえ彼女を愛しく感じた。 愛する人に心からの望みを口に出来たからこそ、ジョゼは纏っていた鎧を脱ぎ、女になったのだろう。  しかし、ジョゼには二人の関係が永遠に続かない事も解っていた。 出来るだけ長く一緒にいたい気持ち、変わりゆく自分、叶った夢、そこにあった幸せ。 それだけで十分なのだと、彼女は自分に言い聞かせていたようにも思える。 それがサガン著「一年ののち」にの、例の台詞に帰結するのだろう。  対する恒夫は、純粋にジョゼを愛するも、背負う物の大きさに気づき、逃げ出す。 しかし「失って初めて気づく存在の大きさ」で、初めて心の痛みを知る。 寂しさに弱いせいか無意識に「独り」を回避してきた恒夫の決断が、傷口に塩を塗る結果となってしまったのだろう。 みっともない姿を晒しながらも涙が止まらない彼の姿は、切なさを覚える。  最後、ジョゼの目は力強く、凛としている。 過去、現在、未来の全てを受け入れ、生きていこうとする強さが感じられた。 池脇千鶴の「セックスの無い恋愛など有り得ないから脱いだ」という発言と、彼女のその度胸に盛大な拍手!  <追記> 前回鑑賞から2~3年経ち、改めて見直したが、何故か初めて涙が出てきた場面があった。 それは、二人が結ばれた時のジョゼの「うち、あんたのこと好きや」と言う場面。 なぜ、こんなに優しく切ないのだろう。
[DVD(字幕)] 10点(2005-06-29 17:38:40)(良:2票)
7.  キューティ・ブロンド 《ネタバレ》 
この映画でピンク大好きになりました(照)   主人公エルは、お世辞にも頭のいいお利口さんとはいえないが、 誰に対しても公平で優しく、何事も最後まで諦めず、 勉強も自分磨きも手を抜かない努力家である点に大変好感が持てる。  だけど女ですから、愚痴だって言うし意地悪されれば凹みます。 そんなエルを励まし、奮い立たせる脇役達の存在感もこの映画の見所。 持ち前の明るさから生まれた友人たち、厳格で厳しい教師、 最初は敵対し合うが次第に互いを認め合う良きライバル、そして縁の下の力持ちの彼。 彼らの存在が嫌味なくエルをリードし、且つ親しみやすく描かれているのが良い。  オシャレが大好きな女の子には、是非見てほしいです。 エルを見ているだけでもオシャレのポイント満載でとても楽しめます。 劇中の台詞の中でも、何気なくオシャレのセオリーを語っているので要チェック。  そして、リースのクルクル変わる表情がとってもキュート。 でも稀に濱田マリにも見えるのが残念。  夢も現実も、いくらでも変わる。 自分の人生を変えるのは、自分次第ということでしょう。 笑われても構いません。 エルは私の憧れであり、目標です。
[映画館(字幕)] 10点(2005-03-17 16:27:57)(良:1票)
8.  いま、会いにゆきます 《ネタバレ》 
原作は未読でしたが、十分ストーリーも理解できましたし、 登場人物のキャラ設定もしっかりしていて、本当に素晴らしい映画でした。  この映画を見ると、自分の好きな人への気持ちが再確認できると思います。 迷い・悩み・不安、そういった負の気持ちをやわらげ、 純粋に人を愛することの喜びや一緒にいることの大切さを改めて感じさせてくれます。 当たり前の事が一番難しくて、でも誰もが一番求めている事なんですよね。 本当に心が温まりました。 映画のコピーどおり「好きな人に”好きです”と言いたくなる」映画でした♪  まぁ、なぜ雨の季節に戻ってきたかは有り得ない(でもステキ♪)奇跡ですが(笑)、 それでもすんなり受け入れられるのは、きっと湖や森、雨の幻想的な雰囲気があったからだな~と思います。 主人公の二人はもともと運命の糸に繋がれていたのかもしれないですが、 ただ運命に身を任せるだけでなく、お互いなりに努力しているのが微笑ましいです。 運命は、自分の手で作れるものなんだ…ということも感じられて好感が持てました。  夫婦愛だけでなく、家族愛、親子愛が描かれているのもこの作品の素敵なところでした。 主題歌をオレンジレンジが歌っているそうですが、良い意味で期待を裏切られました。 それまでは理解し難い曲が多かったのですが、この歌は映画にマッチして良かったです。  ずっと心に残る映画です。 いつか自分に子供が出来たら、家族皆で一緒に見て、 愛の大切さを分かって貰いたい…そんな映画でした。
[映画館(字幕)] 10点(2004-11-15 11:34:27)(良:1票)
9.  シザーハンズ
何故もっと早く見なかったんだろう…これが率直な感想です。 当時の私は、ウィノナがあまり好きではありませんでした。 共演時にはデップと恋仲にもなったため、愚かな嫉妬心から鑑賞を渋っていたのです。 今では、そんな理由で観なかったアホで浅薄な自分を大変悔やんでおります。  涙が枯れるほど、泣いてしまいました。 「ラブストーリーは苦手」と食わず嫌いをしていた私に、 初めて、ラブストーリーで純粋に流れる涙の美しさを教えてくれた映画でした。  狂おしいほどに、切ないです。 一度見ただけで大好きな映画になりました。 何度も何度も繰り返し見たくてDVDを買ったのに、 思い出すと切なくて、胸が苦しくて、見れないんです。(意味ねぇ~w) ティム・バートンは、本当に少年のように純粋な心をお持ちの方なのでしょうね。 真っ直ぐで、だけど切なくて、触れたら壊れてしまいそうなガラス細工のような恋。 それを逆説的な映像美で演出するので、そのアンバランスさが何よりも心に残ります。  いつか自分に子供が出来たら、ぜひ見せたい作品です。  この役はデップだから出来た役であり、デップのための役でしょう。 そして「ウィノナ、やっぱり可愛いし演技上手いわ…」と、悔しいけど彼女も好きになってしまいました。 単なる好みや愚かな先入観で作品を見ようとしないのは、 映画を愛する人間としてあるまじき行為なのだ、という事を実感させてくれた作品です。
[DVD(字幕)] 10点(2004-06-07 17:55:56)(良:1票)
10.  ナイトクローラー 《ネタバレ》 
久々に純粋に面白いと思える作品だった。 主人公ルーを演じるために12キロの減量をし、昼夜逆転の不摂生な生活をあえて送り、独特の不健康さと狂気を身につけて本作に臨んだジェイク・ジレンホール。彼の役者としての勘の良さ、器の大きさ、その余りある才能を改めて感じさせられる作品である。  本作はサイコパスの話だと聞いてはいたが、彼は本当にサイコパス(異常者)だろうか? 確かにサイコパスかもしれない。 だが、彼が持つ一面は、誰しもが持ちうる面ではなかろうか? 事故や火事などの現場で、興奮を隠せず(いや、隠しもせずが正しいだろう)カメラを高く掲げ、センセーショナルな場面をひたすら撮り続ける。 一般人にもよく見られる行動ではなかろうか? カメラかスマホかの違いだけである。  ルーは言う。 「人が破滅する瞬間に僕は顔を出す」と。まるで死神だ。 他人の不幸を飯の種にする彼の生き方は、文字通り死神めいている。 しかしそれ以上に、現場でカメラを手にする彼は恐ろしいほど活き活きとしている。獲物を捉えた目は見開き、不敵な笑みで口元を歪ませるその様は、まさに狂気。 さながら不幸や生気を吸い取る死神である。 自らの天職(居場所)を見つけてしまった彼は、もう元には戻れない。  しかしながら、彼の持つ異常性は、果たして本当に先天的なものなのか?私は、彼の生い立ちにも異常性を呼び起こす要因があったのではないかと思えてならない。  作中で彼が家族や友人などの人間関係について言及するのは、ほんの3~4回だ。 最初は、鉄屑工場の社長に自分を売り込む時に「宝くじを当てるにもお金がないと始まらないと母は言っていた」と話す。 次に、ニーナと食事をしている時に「故郷に帰っても誰もいない」と話す。 さらに、ニーナに友達として夜の誘いをかけ、その矛盾をつかれたときに「友達は自分自身へ対する贈り物だろ?」と返す。 また「学生時代は自尊心が高すぎて妥協ができなかった」とも回顧している。  これらの発言から私は以下のように想像する。 彼は家族とは疎遠、もしくは既に家族は他界している。 恐らく彼の母親は厳格で、教育にも熱心だったと思われる。それは彼の発言には品と教養が感じ取れるからである。 彼が関わる人々(取材する住人でさえ)のほとんどは、「Fuck」や「Damn」などの汚い言葉を日常的に連呼している。 しかし彼はほとんど口にしない。 それどころか、彼は助手に対してでさえも「Please」や「Can I~?」を使い一定の尊重の念を表している。 そういった点からも、彼の教養の高さ、知性の高さが窺える。 恐らく、こういった行儀の良さがニーナや上役たちに気に入られる点でもあるのだろう。  しかし、彼は母親の期待に反して学業面では頭角を現さなかった。 故に学歴がない。基本的知能は高いだけに、それが彼にとって大きな挫折と劣等感となったのは想像に難くない。 理想と現実の乖離を認めることができなかった彼は、自尊心を高くして妥協しないでいることで、かろうじて自我を保っていたのかもしれない。 だから友達が出来ない。 知能の高さゆえ人を見下す癖のある彼は、周囲と折り合いをつけられず、友達の作り方が本当に解らなかったのだろう。 それを彼は、自身の努力不足、能力不足だと解釈してしまう。 自分の価値を高めて相手より上に立つことができれば、相手が自分を認め、崇めてくれて、友達になることができると考えたのだ。 その結果が「友達は自分自身(の努力や自己研磨)へのご褒美」という発言につながるのだろう。  彼の孤独は生活感や発言から窺えるものの、その奥に潜むのは、周囲(特に母親)に認められなかった劣等感と、彼を見下してきた周囲に対する復讐心のように感じられる。 ニーナほど年上の女性を好むのも、彼女に母親の姿を投影しているからかもしれない。 彼女に認められるために法を犯しても尽力する姿は、まるで母親に認められたい子どものよう。 反して、自分の要求に対して無条件降伏を彼女に促すのは、厳格な母親に向けたある種の復讐のようにも思える。  哀しい人間である。  これらはあくまで私の想像でしかないが、そういった視点で考えると、私はルーの非情で冷酷で下劣な品性を揶揄する気にはなれない。 本作は、ルーを通じて報道側の人間と視聴者に対する強烈なアンチテーゼなのかもしれない。 私たちは、いつだってルーになり得る。 ともすれば、いつだってルーのような人間を作り出してしまうのかもしれない。 それを肝に銘じなければならないと、私は思った。
[インターネット(字幕)] 9点(2020-10-11 01:07:45)
11.  男はつらいよ 寅次郎夢枕 《ネタバレ》 
寅さんシリーズ、鑑賞4本目。 八千草薫さん演じる千代に感情移入しっぱなしでした。 女としても、母としても、彼女の発する言葉、彼女の見せる表情、気持ちのすべてに共感してしまった私がいます。  千代が土手で息子のサトシくんと会うシーンは、たった5分ほどの短いシーンです。さして多くが語られている訳ではありません。 けれど、あのシーンだけで千代が抱えている様々な気持ち、送ってきた人生の苦渋などを読み取ることが出来てしまい、涙無くして見ずにはいられませんでした。  第2作でも寅さんのお母さんが言っていました。「どこぞの世界に自分の子どもを喜んで放る親がいるんじゃ」と。 本当にその通りです。 母親が自分のお腹を痛めて産んだ子をわざわざ手放すには、それなりの理由があると思います。 時代も時代だから、もしかしたら父親が譲らなかったのかもしれない。 はたまた、我が子の幸せを総合的に考えた上で、母親が泣く泣く子を手放したのかもしれない。 必ずしも、母親が我が子を引き取るだけが愛情ではない。 どんな理由であっても、子の幸せのために我が身を切る決断を出来るのが母親だ…と、当該シーンは語っているように思えました。  サトシくんと一緒にいる間は涙を堪え、見送りながら小さく肩を震わせて泣く千代の姿に、世の母親は涙を隠せないはずです。  そして、何気ない千代の発言からも、女一人で生きていく人生の不安、大変さ、辛さが表れていて、胸が締め付けられる思いでした。 荷物を運んでくれる寅さんに「やっぱり男手って必要ね…」と彼女は言います。 これ、力仕事における労働力だけを意味している訳ではないと思うんです。 自分に力を貸してくれる男性の存在そのものに安心し、癒され、喜びを見出しているのではないかと思いました。  千代と息子の関係を気遣う寅さん&とらやの人々に対して「寅さんの気持ちが伝わってきて、私、本当に嬉しいの」と喜び泣いたとき。 これも、彼女の心の奥にある辛さや寂しさに寄り添おうとしてくれる人たちがいる、という事実に、彼女は救われたのだと思います。 「ああ、私は一人ぼっちではないんだ。こうして優しくしてくれる人がいる。それだけで十分。また頑張れる」そんな気持ちだったのではないかと思いました。  そして寅さんへの愛の告白。 「私、寅さんと一緒にいると気持ちがホッとするの。寅さんと話してると『あぁ、私は生きてるんだぁ』って楽しい気持ちになるの」 千代は初登場のシーンから、常に笑顔で穏やかでした。辛さや寂しさなんて、微塵も感じさせないほどに。 別に無理に隠しているとも思いません。 けれど、自分でも知らぬ間に気は張ってしまうものです。「強く生きねば」と。 それが、何も考えず、何も気にせず、自分の気持ちがホッとして、気がつくと自然と笑っている…それが寅さんだったのでしょう。そういう人って、なかなかいません。 この愛の告白は、寅さんを一人の人間として最大の賞賛をし、一人の男性としても温かい愛情を示しているのだと思いました。  それだけに、寅さんが及び腰になってしまったことがとても口惜しい。 寅さんって、傍目は大口叩いて自意識過剰に見えるけど、実はとても傷つきやすくて自信が無い人だと思います。寅さんがもっと自惚れ屋さんだったら、きっと彼女の告白を受けていたでしょうね。  私は個人的に、インテリ先生がいなかったら、二人は結ばれていたのではないかな…?と思います。二人だけのタイミングで、二人だけの時間の進み方で関係が深まっていったら、もしかしたら…と思えてなりません。 いや、これも叶わぬ私の願望かな?
[インターネット(邦画)] 9点(2018-12-01 00:00:19)(良:1票)
12.  男はつらいよ 噂の寅次郎 《ネタバレ》 
寅さん鑑賞2作目です。 何よりもまず、大原麗子が美しい。 ほんとうに美しい。上品で色っぽい。なのに可愛くていじらしい。 「寅さん、あたし泣きそう。。二階に行ってもいい?」 「あたし、寅さん好きよっ!」 「はいっ!寅さんに出会えたこと!」 「見ないでっ!」 もう反則ですよ(;´Д`)ハァハァ あの独特の低い甘ったるい声と表情でこんなことを言われたら、女でも落ちますって。  なのに、離婚届を出す場面になった時の打って変わった冷たい表情。まなざし。声のトーンの機微。 さすが女優だなぁと思いました。 まだ寅さんシリーズを見始めたばかりなので何とも言えないけれど、これはほぼ大原麗子が主役といっても過言ではない気がします。 割烹着を脱ぐ仕草ひとつにさえ目を奪われてしまうのは、彼女の魅力を丁寧に撮った監督の愛さえ感じました。  大原麗子にばかり言及してしまいましたが、作品としてもとても素晴らしい。  私は個人的に、今回は寅さんは失恋していないと思っています。 早苗さんは、絶対に寅さんに惹かれていたはずです。これは女の勘です。 もしかすると、一時の気の迷いなのかもしれない。 けれど、少なくとも彼女は、はじめ兄さんよりは寅さんに男性として惹かれていた気がします。  はじめ兄さんの一途さを目の当たりにして寅さんは身を引いたのかもしれないけれど、そこには今昔物語からの教訓もあったように思いました。 寅さんは、早苗さんの美しさのすべてを彼の中に残す選択をしたのだ、と。 彼女と時を共にすることは、その残酷さ、無情さも受け入れることを意味する。 だから彼は去ったのでしょう。 妻の墓を掘り起こしたがゆえに、もう二度と美しかった妻の顔を思い出せない夫と同じ轍を踏まないために。。。 ある種の「逃げ」かもしれないけれど、寅さんらしい愛の形や優しさでもあるなぁ…と、胸が熱くなりました。  しかしながら、寅さんの王道とも言えるドタバタ感は相変わらず健在で、何とも言えぬ安心感を与えてくれます。 特にタコ社長!(笑) 彼が出てきた時は、思わず「よっ!待ってました!」と声をかけたくなるワクワク感やニヤニヤが止まりません。  寅さんの良いところって、たぶん「こんな人たちに囲まれて人生を送ってみたいな」と思える点なんだなぁと、今回鑑賞していて思いました。 出てくる人たちが、みんないい人。 ただのいい人じゃない。 みんなそれぞれに思いやりがあって、お互いを思い合っている。 その表現方法やポイントが、それぞれに違うだけ。 だから良いんですよね。 人間臭くて、あたたかくて、いじらしくて、とてもホッとする。  寅さん鑑賞2作目としては、この作品で良かったと心から思いました。 鑑賞後、またすぐ見直したくなったほど、この作品はとても魅力があると思いました。 同時に「今はもう寅さんも早苗さんもこの世にいないのだ」と考えると、今昔物語と同じだなと思ってしまいました。 過去の名作を掘り起こしてその姿を渇望する私たちもまた、エゴに満ちているのかもしれません。 皮肉ですね。儚いです。 それでも、私はまたこの作品を見たい気持ちを否定できません。
[インターネット(邦画)] 9点(2018-11-30 19:55:34)(良:4票)
13.  スクリーム(1996) 《ネタバレ》 
この映画の何が良いって、『映画への愛』が惜しみなく詰まっている所でしょう。 作中には過去の愛すべきホラー、サスペンス、ミステリー映画のオマージュが溢れていて、まさに「映画ファンの為に作られたホラー映画」だと思いました。  予定調和を逆手に取りつつ王道を行き、ドンデン返しも忘れない。これに好感を持ちました。 絶妙な間の取り方、緊張感、適度なエログロ描写、王道の逃走パターンなど、「抑えるべきホラー映画のポイント」はしっかりと踏襲しています。 翻って、主人公の身体能力の高さ、映画を引用したシニカルな台詞回しなど、「観客目線の疑問や不満」を型破りな手法で魅せてくれます。 ゆえに、観客はより登場人物たちへ感情移入してしまい、自分の思考回路も乱されてしまうのでしょう。巧いですねぇ。  登場人物が個性的で愛すべき存在であることも、大きな魅力の一つです。 主人公以外のキャラにスポットを当てると大抵は冗長になってしまうのですが、本作では当てたスポットが後々生かされ、且つその魅力もどんどん増してくるから不思議です。  何度観ても面白い、ホラー映画の王道作品です。しかし、型破りなホラー映画と言えます。バランス感覚に非常に優れているので、一見の価値ありです。
[DVD(字幕)] 9点(2010-12-08 13:19:50)(良:1票)
14.  遊星からの物体X 《ネタバレ》 
まさかSFモノがこんなに楽しいとは思いませんでした。 最後までラストが予測できず、食い入るようにして息を呑みながら鑑賞していました。  作品全体を通じて感じたのは、微妙で不気味な距離感から生まれるリアルさ。 20年以上も前の作品(私と同い年…)とは思えないほどの映像演出と迫力には脱帽です。 当時のCG技術や特殊効果を以っての出来栄えなのだと思うと、本当に制作陣には敬意を表したいと思います。  断片的に明らかになって行く”Thing”の正体は、未知なる部分とのバランスが常に不安定で、とてもスリリング。 誰が”Thing”に侵されているのかも判らず、いつ自分が侵されてしまうかも分からない恐怖。 仲間を信頼出来ぬ悲しさ、強まる猜疑心、掻き立てられる負の想像力、狂気、暴走。 彼らを纏う恐怖という空気は、果たして”Thing”によるものなのか、人の狂気によるものなのか。 極限に陥った時に人間が取るであろう行動は、非常に泥臭く生々しいです。 その人間臭さがしっかり描かれたからこそ、終盤に彼らが取る行動と決断に大きく衝撃を受けました。 彼らは、単なる英雄である事を望んだのではない。 ”Thing”に侵された現状を目の当たりにしたからこそ、『人間としての尊厳』を保ったまま死にゆく事が出来たのかもしれません。  そして、音楽が最高に良かったです。 ラップ音のように不気味で不快感な高音や、焦燥感を煽るような鈍い低音。 クライマックスでは高揚感を最高潮に導きつつ、幕引きはあくまで静かに終わる上品さ。 誰かと思えばモリコーネ。 大変納得致しました。 
[DVD(字幕)] 9点(2009-05-26 15:17:40)
15.  ゆれる 《ネタバレ》 
私には2歳下の妹がいる。姉妹仲は恐らく普通。私たちはすべてが似て非なる存在のため、家族として当たり前の慈愛、信頼、寛容はあるものの、姉妹であるが故の嫉妬、劣等感、羨望も持ち合わせていることもまた事実だろう。同じ親から生まれ、どれだけ親が平等に扱っていたとしても、環境によって育まれた立場や認識の差は、なかなか変わらないのかもしれない。  事件によって大人しかった兄は豹変し、そんな兄に戸惑う父や弟。それぞれが描く互いのイメージ(認識)がことごとく覆され、沸き起こる不安。人は「家族」という存在に、心のどこかで絶対的価値を求めているのかもしれない。絶対など存在しなと思いつつ、それでもどこかで信じているのかもしれない。だからこそ、その考えが根底から覆された時の絶望感は計り知れない。小さな波紋はじわじわと大きく広がり、心は揺さぶられ、絆も揺るがされ、互いの存在や価値さえも揺るがしてしまうほどの恐怖に変化するのだ。 兄の稔は、必死で自分を助けようとする弟の猛に深い謝意を感じてはいるものの、同時に自尊心を傷つけられ、恥と屈辱を感じてしまう。皮肉なことに、稔自身も父や弟と同様に、自らの認識と違う弟を目の当たりにして戸惑い、不安や恐怖心が生まれてしまったのだろう。証言台で話す猛の表情は悲しいほど無機質で憎しみに満ちているが、その姿を見つめる兄の表情が安堵に満ちているのは、なんとも悲しい。  しかし、猛が偶然見たホームビデオに映し出されていたのは、取り合う手と手から感じられる兄弟の確かな絆。これを見た瞬間、私も猛同様に嗚咽を漏らしてしまった。幼かったあの頃の数々の映像が頭の中を駆け巡り、苦しくなるほど胸が痛んだ。同時に、温かく優しい感情にも包まれた。私は、自分が想像していた以上に妹を大切に想っていたことに気がついたのだ。 本作のように、いつか私たちにも認識のズレを感じる時が来るかもしれない。しかし、私たちにも見えない絆があると信じたい。不安定で不確かなことばかりだが、私と妹との絆だけは消えないで欲しいと願う。  最後に猛が必死に「兄ちゃん、家へ帰ろうよ」と叫ぶ言葉の裏には、「あの頃の二人に帰ろうよ」という願いも込められていたのだろう。そして弟の声に気づき微笑んだ兄の「帰る場所」が、どうか父や猛のいる場所であることを、切に願った。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-19 00:30:23)(良:1票)
16.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
人を愛し愛されたいと言う誰もが抱く感情を、 松子は人一倍強く持ち、大切にし、それに従うまま生き抜いた。 何度騙され裏切られても、彼女は愛する事を決して止めず、 転んでも決してタダでは起きず、どん底からでも這い上がっていった。 それでも人間とは弱く儚い生き物。 かつては愛に生き抜き、どんな逆境や不幸のどん底でも笑顔を絶やさなかった彼女が、 最後の数年はその影など跡形も無く、絶望の果ての諦めに佇んでいた。  しかし、彼女の死に際の行為は、かつての教師たる影を匂わせる。 「未来を担う前途ある若者たちに、自らのように道を踏み外して欲しくない」 「一寸先は闇。 だからこそ、時間を無駄にせず懸命に生きて欲しい」 これも彼女なりの一つの愛であったように、私には感じられた。 そんな彼女の人生の最期は、何とも呆気無い、何とも悲しい幕引き。 あまりにも救われない人生の結末と現代社会のリアルさを見せられ、 それまでのミュージカル調に明るく鮮やかな色彩が、一瞬にして闇に落ちる。  愛とは、正義とは、誠実さとは、いったい何なのだろうか。 彼女の人生を「無意味、空っぽ、下らない人生だ」と哂う人もいるかもしれない。 しかし、本当に彼女を哂えるだろうか。 幼少の頃に父親の愛情を切望していた彼女が原点だとして、それ以降も 愛を求め続けたのは、ただ単に淋しさや愛に飢えていたからではないと思う。 彼女は、ただ自分に微笑んでくれる温かさが欲しかっただけなのではないだろうか。 愛する人たちの笑顔を見れれば、彼女にとっては充分だったのかもしれない。  母のように温かく包み込み、少女のように可憐に純粋に愛でる彼女の愛は、 あまりにも大きく心地が良いため、その価値にすぐに気付くことが難しいのだろう。 失った後に初めて気がつく彼女の存在価値。 自分の中にかけがえの無い何かを確実に残していった、彼女の深さ。 心から愛した相手の心の中に自分の存在を残し、この世を巣立っていった彼女には、 それが何よりの幸せの証なのかもしれない。  鑑賞中、そんな彼女の幸せをどんどん切望している自分に気がついた。 そして終盤、なぜか涙が止まらなかった。 その後の清々しい気持ちは今でも覚えている。 「曲げてのばして」の歌が、今でもたまに私の頭の中で流れる時がある。 私の心に粋な残り方をしてくれたこの映画に、感謝の意を述べたい。
[映画館(吹替)] 9点(2007-07-31 17:10:02)(良:1票)
17.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 
前作の終わり方から二人のその後が気になっていたが、下手な続編によって自分なりの想像が潰されるのがいやで、観るのを躊躇していた。が、実際に見てみると、前作に引けを取らず良い仕上がり。もしかしたら、前作より好きかもしれない。所々に顔を出す前作の内容を踏まえた粋なストーリー展開は、観客が前作で抱いた(或いは制作者側が意図的に抱かせた)疑問・希望・想像などをよく把握した上で本作を創り出しているのがよく分かる。  年を重ねた二人の会話は、以前にも増して魅力的になっている。酸いも甘いも経験した一味違った切り口が加わっている辺りに、二人が大人になったことを実感する。時間の重みや二人の変化を垣間見ることができる。そして、だんだんと二人の顔に昔のような表情が見え隠れし、流れる空気まで自然と変化していくのは素晴らしい。主演二人の魅力と力量がなせる技であろう。  今作も再びラストの結末は観客に委ねられた形だが、こんなにも二人が一緒になれる事を望んでしまう映画は、稀である。まだ経験不足な自分には、この映画を多く語れる自信がない。きっと年を重ねる毎に、感じ方も見方も変化する映画だと思う。10点を付けたい気持ちはあるが、私自身の今後の成長に期待を込め、今はあえて9点に留めておきたい。いつか、二人の関係や会話を真に理解ができる自分でありたい。
[DVD(字幕)] 9点(2007-07-31 16:36:36)
18.  ウェディング・シンガー 《ネタバレ》 
「思いやりがいかに大切か」ということを再認識させてくれた映画です。 大切なのはお金じゃない。 本当に欲しいのは便利なモノじゃない。 どんな小さなことでも良いから「自分のことを考えてくれてる、想ってくれている」 と感じられる言葉や行動を相手がしてくれること、それが何よりも嬉しいのです。  モノがあれば便利だし、お金だってあるに超したことはない。 だけど根本にお互いが愛し合い、想い合う気持ちがなければ、 それらの価値を二人で喜び、分かち合うことは一生出来ないのだと思う。  モノはいずれ壊れ廃れる。 湯水の如くお金があっても、一瞬で消え去ることも無きにしも非ずだ。 ”目に見えるモノ”ほど”無価値”になるのも早いが、 ”目には見えないモノ”はお互いの想いが消えない限り、 ”永遠に価値があるもの”に生まれ変わるのだろう。 二人が夫婦に間違えられたシーン、キスの練習シーン、飛行機のシーンなどは、 二人の想いが本物で真剣だからこそ周囲の心を打ち、 結果的に人や状況が変わったのだと思う。  ただ、いくらショックとは言え公私混同は良くないのでマイナス1点。  最後のサンドラーの歌には、私まで胸がいっぱいになり声を詰まらせた。 ラブストーリーでこんなに幸せな気持ちになったのはいつ以来だろう。 ドリューの笑顔は最高に幸せにしてくれる!
[DVD(字幕)] 9点(2007-01-25 16:47:08)(良:1票)
19.  下妻物語 《ネタバレ》 
ロリータとヤンキーまではいかなくても、そういえば私の周りの友達も みんな個性が強くて、自分とは性格や考え方が正反対の子が多かった。 恋愛ではよく正反対の者同士が惹かれ合うけど、 女同士でその仲が成立するのは確かに難しい。 きっと女は男より欲深くて自尊心の高い生き物だからかもしれない。 それでも心を通わせていくのは、お互いに『尊敬』をし合っているからだと思う。  桃子は周囲の目や言葉など気にせず、冷酷なまでに自分の世界をどこまでも貫く。 それが自分の幸せに通じる、と言うことを知っているから。 そんな桃子の「強さ」にイチゴは憧れと尊敬の念を抱いたのでしょう。 逆にイチゴは、人から虐げられる外見をしていてもポリシーとルールは持っている。 自分を変えたくて始めたことでも、すべてソレに染まる必要はないことも知っている。 そんなイチゴの「純粋」さに、桃子は戸惑いつつも『感情』を学んだのだろう。  桃子に足りなかったモノを持っていたのがイチゴ。 イチゴが欲しかったモノを持っていたのが桃子。 唯一、二人に共通していたモノは『素直さ』だったのだろう。 自分の世界を貫くのも、ストレートに感情を表現するのも、 どちらも自分に対しても他人に対しても素直でなければ出来ないことだと思う。 単純な構図だけど、人間が人間に惚れる時は、きっといつだってシンプルなんだ。  「男の友情は強く、女の友情は脆い」ってよく聞くけど、 女の友情だって捨てたモンじゃないでしょ。
[DVD(字幕)] 9点(2006-08-18 10:22:50)(良:1票)
20.  電車男 《ネタバレ》 
原作が2ちゃんで色々と問題になってるらしいですが、私は素直に感動しました。  電車男は言います、「人を好きになるって苦しい」と。 本気で人を好きになったことがあれば、彼の気持ちは理解できるでしょう。 「言いたい、でも言えない(様々な想い・状況から)」の葛藤があるからこそ、 この言葉が生まれたのですから。  私は、電車男の気持ちだけでなく、エルメスが抱いてる気持ちともリンクしました。 エルメスは「あなたは会う度に、私に小さな幸せをくれる。 あなたにとって些細なことでも、私にとってはすごく大きくて、嬉しくて、 幸せだと感じる」と言います。 自然と相手を思いやることができ、小さなことでも幸せを感じるられるのは、 お互いに「ありのままの自分と相手」を受け容れることが出来たからでしょう。  さらに素敵だな…と思ったのは、 相手に対するまっすぐな想いを、二人ともこの年齢で持てたことです。 恋愛は、歳を重ねれば重ねるほど傷つくことを恐れ、臆病になってしまうものです。 全力で誰かを好きになりたくても、過去の経験や考えによって、足踏みしがちです。 けれど、そこで一歩踏み出せたら、確実に何かが変わるんですよね。 エルメスが電車男に「頑張って!」と言って告白させたのも、 その一歩を彼自身の力で踏み出して、変わって欲しかったからかもしれません。 (”告られたい願望”があったことも否めませんが)  デートで有り得ない失敗をしたのに、それでもエルメスが電車男のことを好きなのは、 彼女が彼の良い部分に目を向けていたことと、 それが彼女にとっても必要なものであることを、彼女自身が解っていたからでしょう。  人は、どんな形でも、いくつになっても、変わることが出来るはずです。 自分が変われば、周りも自然と変わります。 世界が広がり、違う景色を見ることも出来るのです。 そして得るものは、大きな自信と溢れる希望なのかもしれません。  映画としての細かい評価は千差万別なので、異論はあって当然です。 私個人としては、この映画を多くの人が見たことによって、 「人を愛すること、愛されることの素晴らしさ」を分かち合い、 多くの人が自分の最愛の人と幸せになれたら素敵だな…と思ったので、この点数です。  何より、主人公の山田くんの演技に脱帽! 彼と自分が完全に同化したように感じてしまうなんて、本当に拍手です!!
[映画館(字幕)] 9点(2005-10-27 17:20:54)(良:2票)
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