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281.  超時空要塞マクロス ~愛・おぼえていますか~ 《ネタバレ》 
マクロスはTV版放送当初から話題だったけど、如何せん日曜のお昼2時から放送していたから私はほとんど観たことなかった。お父ちゃんがNHKの囲碁見るんだよ、だから遊びにいって、観忘れちゃうんだよ。だから私にとってきちんと観たマクロスは、この劇場版だけ。 アニメを観て育った世代のアニメ作品。このアニメの影響で、アニメファン=オタクと呼ぶようになったんだとさ。 ミリタリー色の強いロボットアニメに、異業種の流行を取り入れる手法の成功例で、ガンダムがロボット+超能力(ユリ・ゲラー)ブームのミキシングだとすると、マクロスが選んだのは+アイドルブーム。飯島真理の“愛・おぼえていますか”は、イメージソングの枠を超えた劇中曲として、アニメの枠を飛び出して認知された最初のアニソンかもしれないですね。  当時の芸術的な戦闘シーンと並んで、主人公たちの三角関係が描かれますが、輝の部屋でミンメイと二人きりの時に美沙がバッタリ!とか、当時でもカビの生えたメロドラマ展開が、目の肥えた大人からは、失笑を買ったのかもしれません。“オタクは根暗で恋愛経験が乏しいから”とか“所詮アニメの恋愛描写なんてこんなモン”とか。 輝の人物像がイマイチ解らないけど、スーパーアイドルより美沙を選ぶのは、彼ら製作者側の経験の反映なんでしょうか。二人きりの生活をキャッキャとイベントのように楽しむミンメイと、(絶望度は異なるけど)泣いたりワガママ言ったりしながら、食器並べて癒やされてる美沙。コレじゃミンメイが中身スカスカに思えてしまいます。遊ぶならミンメイ、付き合うなら美沙って感じですかね。 ミンメイはシャワーシーンがあるけど、美沙はありません。その代わりマクロスが迎えに来た時の上着を着る仕草から、二人に何があったか想像させるのは、当時のアニメとしてはかなり大人な観せ方だったかもしれません。首チョンパとかは入れるくせに。  じゃあミンメイは美沙の噛ませ犬でしか無いのか?シャワーシーンで乳出しただけの女か? 私はミンメイが歌う決心をしたシーンが結構好きです。輝を諦めた、あの“間”。そして「ごめんね輝・・・私歌うわ、思いっきり!」と満面の笑顔。 あそこ演技なんですね。輝とキスしたシーンのセリフ『あんなの演技で出来んのよ、ビジネスよ。やってみせましょうか?』とおんなじ。 輝との最後に、フラレても全然平気な演技をするミンメイの健気さ。キスシーンの時の比じゃない、演技に入るまでの“間”の長さが、ミンメイの心の辛さを物語ってます。いいシーンです。『解ってくれたか』って感じに笑顔で歌詞を渡す輝がアホに見えます。 そこから一気に“愛・おぼえていますか”とマクロス・ブリタイ共同戦線の神展開。日本にMTVが本格上陸する僅か前に、このクオリティのミュージック・ビデオをアニメでやったのは凄い。
[地上波(邦画)] 7点(2022-11-16 22:26:13)
282.  Red(2020) 《ネタバレ》 
失楽園に代表される“不倫”というそもそものテーマ自体に、嫌悪感や不快感を抱く方も多いと思う。そして観た後のあまりの救われようの無さ。だけどテーマと映画の出来を切り離して考えると、良く出来た映画じゃないかと感じた。 私のハンバーグは食べないのにお母さんの煮付けは食べる夫。そんな踏みにじられた人生に我慢してる多くの主婦は、この映画に共感する反面、認めたくない気持ちも強いかもしれないし、その気持は痛いほどわかる。だって子供が…って。 塔子の前に鞍田が現れるタイミングの絶妙さとか、塔子を取り巻く男が3人なのに、絡んでくる女がゼロとか、かなりご都合主義な面も観えるけど、妻夫木聡の優しそうな微笑みと、夏帆ちゃんの透明感とクリクリした目。この2人に焦点を当てた結果の省略だろう。小鷹がもっと二枚目だと話がややこしくなるし。   「でもさぁ人間さぁ、どれだけ惚れて死んでいけるかじゃないの?」  父親は女を作って出ていったと言うが、きっとその原因は母親だろう。そんな母親の生き方を否定し、裕福な家庭の優しい旦那と結婚し、専業主婦として可愛い一人娘を育てている塔子。海外出張中の父親とは円満離婚してると、嘘をついてまで手に入れた幸せな家庭。 塔子が手に入れた人の羨む裕福な家庭は、彼女自身の求めたものではなく、反面教師と言える自分の母親が手に入れられなかったものなのかもしれない。 「今がとっても幸せ!」「…君は、変わってないな」10年前もきっと、ステレオタイプの幸せ論に満足している自分の本心を見透かされて、鞍田に奥さんが居ると知りつつ、関係を持ったんだろう。塔子の女の部分、人の男を奪いたい欲求だったのかもしれない。 今度は自分に夫が居る立場での不倫。子を持つ母親でありながら、満たされない女の部分の欲求が、10年前と変わらない鞍田を受け入れる。 「…生涯で、ただ一人好きになった人と、一緒になったこと。」だから、もう夫にとっての結婚は終わってたんだ。あとはもう夫にとって妻という存在は、子を育てて家庭の幸せを維持するための道具でしか無いんだ。ここに残っても夫の道具として、村主家の為に、じわじわ死んでいくだけなのに気がついた塔子。  「鞍田さん・・・生きましょう。」
[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-15 22:47:21)
283.  陽暉楼 《ネタバレ》 
ウリらしいウリが“浅野温子VS池上季実子”のキャットファイト。前座として“倍賞美津子VS佳那晃子”。…なんだろうなぁ。美人女優たちがバァン!と太もも出して、プルン!と乳放り出して、髪掴み合って戦う様は、確かに凄まじい。 浅野VS池上は両者入場から激しい睨み合い、浅野の一方的な宣戦布告からの格下相手の前哨戦、見事な先攻ダンスパフォーマンスからマイクパフォーマンスの応戦。会場を移してのメインイベントは、皆さんお待ちかね、5分にも及ぶ場外乱闘デスマッチ。トータルおよそ14分近い熱戦がアツいアツい。上映時間100分の、実に1/10の時間をここで使ってる。 この衝突し合う珠子と房子。お座敷の芸姑と遊郭の女郎。ダイカツをお父ちゃんと呼ぶ妾と実娘。これはなかなか面白い。そして徐々に仲良くなるでなく、別れをキッカケに大親友になる展開も、ふた昔前の少年ジャンプチックで面白い。  この二人の戦い、友情、ダイカツと2人の娘の話に絞って、サクッと100分程度にしていれば、とても小気味好い作品になっていたと思うんだけど。序盤の呂鶴の死とか、お袖VS丸とか、ダイカツとお袖の過去とか、バッサリ切ったほうが良かったろうに。その代わり珠子とダイカツのここまでの過程を掘り下げるとか、忘れた頃にチョロチョロ出てくる稲宗組をもっと絡めてくるとか、出来たと思うなぁ。  ただ遊郭映画の大作として制作したために、オープニングの芸姑が大勢で移動する様子は見応えがあった。凄い。AKBとか坂道シリーズみたい。 ここに来て“あぁ、芸能界とか風俗産業って、こんな時代から脈々と今に繋がってるんだなぁ”って、今さらながらに思ったのです!やっと。 芸姑と女郎の違いって、今で言うと何だろう?華やかしいこの子たちの裏に見え隠れする暴力団って、今どうしてるんだろう?そんな気付きを与えてくれた映画でした。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-13 14:44:14)
284.  旅立ちの時 《ネタバレ》 
- Running on Empty - “スタミナ切れ” なんか意外なタイトルでした。邦題のイメージとぜんぜん違う。劇中の何を表すタイトルなのかイメージ沸かない失敗した最初にタイトル調べとくんだった~ぁ 生まれ育った環境が特殊な少年の成長物語。FBIに追われ続けて14年。しかも家族4人で…って、そんな生活ってあるのかい?ちょっと想像が追いつかない。身の丈にあった想像に落としたら、交番の前の指名手配犯のポスターを思い出した。あぁ、あんな人が家族連れて逃げてる感じか…アメリカって広いな。  リバー・フェニックス。若くして才能とカリスマ性を開花させていた少年。将来絶対凄い名優になると思った矢先の、突然の死。彼の短かすぎる生涯と、この映画のダニーが被ってしまう。というか、私が勝手に映画の登場人物とリバーの私生活をリンクさせているんだろう。恋人マーサ・プリンプトンとの2度目の共演というのも、銀幕の中のリバーと生身のリバーを同じ人物のように観てしまう。まるでピーター・フォークとコロンボ。渥美清と寅さんのように。  潜伏はあくまでエッセンスであり、焦点は家族愛とダニーの成長。潜伏生活でありながら追われる身のハラハラ感が少ないのは、追うFBI側の視点が出てこないからだろう。ここに来て表に出たダニーの才能。その才が母親から譲り受けたものと解る連弾のシーンはホロリとしてしまった。 自分の足で歩き出そうとする少年と、変わることが出来ない両親。と思いきや、あのエンディングは唐突であり、無計画であり、無責任であり、父親が子に与えられる最大の愛。捨てざるを得なかった夢を子に託す母親の愛。 ダニー=リバーの人生が、これからどんどん良くなる兆しで溢れる、素晴らしいエンディングでした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-11-11 22:45:46)
285.  大人は判ってくれない 《ネタバレ》 
- Les Quarte Cents Coups - “殴打400回”凄いタイトルだけど、フランスの慣用句が由来(『思いっきりやらかす』とかって意味だと思う)だそうです。英題は- The Four Hundred Blows - 邦題と違って直訳が多い気がします。でもとても良い邦題。映画の内容を解りやすく伝えようって、作品愛が感じられます。 『大人は(子供の気持ちを)判ってくれない。』とストレートに解釈しても良いんだけど、逆説的に『子供は判ってる』という事を伝えているんでしょうね。  アントワ―ヌは母親の連れ子なのに、その母親は夫との口論の際「子供を施設に入れなさいよ」と口にする。白昼の浮気現場を見られたその晩に。大人になるまで『別にそこに居てもいい』だけの家庭。実の母親に必要とされていない子にとって、家庭にどれほどの意味があるだろうか。「実は母が…死にました」は、咄嗟の嘘だけど、彼の中で本当に母親は死んだんだろう。 そんな母にとって、家出の手紙はショックだったんだろう。きっと自分の本心を見透かされたようで。だから彼女なりの精一杯の努力をしてみる。自分のベッドに寝かせ、過去の話をしたり、作文のご褒美を用意したり、家族で映画を観に行ったり。ただやっぱり、今の夫にもそれほどの愛情もなく、子供も邪魔な存在でしかない母にとって、アントワーヌの逮捕は願ってもない事件だったろう。 母親としてちゃんと進学させるよう、努力はしたけど駄目だった。最初から用意されていた結論ありきの問題と答え。家庭じゃあの子は育てられないから、あとは鑑別所でお願いね。という免罪符。  スタートから終了までをノーカットで長~く観せる遊園地のローター(乗ってみてぇ~楽しそぉ~)が印象的。アントワーヌが回ってるんだけど、ローターの遠心力で自由の効かないアントワーヌからは、世の中のみんなが回って見えるのだ。 もう一つ長くて印象的なのが、人形劇の赤ずきんちゃん(だよね?)。面白いところで笑い、ピンチのところに驚き、逆転劇のところに歓喜する。真剣な眼差しの子どもたち。対象的に如何に金を手に入れるか考えるアントワーヌとルネ。与えられるもので喜ぶ幼い子供と、与えられないものを得るために思案する2人。 そして最後にしてこの映画のハイライト。母親が望んだ鑑別所から、自らの意思で延々と走り去るアントワーヌ。追手が居ようと居まいと走り続ける。走ることで大人が子供に与えたもの全てを振り払う。教育や娯楽、ルールや罰則、不自由から逃れるのに必要な距離と時間。辿り着いた海岸は“子供としての最後”と解釈。何故ならそこから先はもう、与えられる立場(=子供)とは言えない存在になることだから。 『さぁ、これから、どうする?』最後の表情は、誰も答えてくれない質問を問い掛けているんだと、そんな風に思えました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-10-29 01:48:44)
286.  霧笛が俺を呼んでいる 《ネタバレ》 
面白い。なんかジャズ調の音楽がいい感じ。 カメラワークも工夫が見られて、ビルの高所の撮影では一段高いところから俳優と地面を入れてる。窓拭きのゴンドラなんて、正直そんなに狭くなくて安定感ありそうだけど、地面の車や人の動きを入れて緊張感ある画になっている。エレベーターが降りる画とか、今でこそダイ・ハードとかでよく見る画だけど、当時の邦画でこういうのって、あまり無かったんじゃないかな? 当時の懐かしいビル群を流れるように映したり、お決まりの酒場の賑わいなんかが、日本なのにとてもお洒落。 モノクロの写真と家庭崩壊の映像で、当時ペイと呼ばれていたヘロインの恐怖をこれでもかと描いている。日本でのヘロイン被害のピークは'61年とのこと。リアルに社会問題を考えた映画だったようだ。  赤木圭一郎の映画は初めて見たけど、足が長くスタイル抜群。今の目で観てもハンサムで、最後の海員制服もビシッと決まってる。この翌年に亡くなってたのか。ご存命なら日本映画界に華やかな功績を沢山残しただろうに。 相変わらず綺麗な芦川いづみは『彼氏が自殺したクラブの歌手』という役なので、明るい笑顔が観られないのは残念だけど、船乗りモノ映画のまさに“港の女”ってイメージ通り。真知子巻きがまた似合うんだ。その後の杉がロープを探しに海に潜る所で、海風でセットが乱れた風のナチュラルな髪型も素敵。 そして私が観た中で最初期の吉永小百合主演作。芦川いづみが大人の魅力を出している代わりに、年相応の若くて明るい浜崎の妹役(ただし術後のリハビリ中)で、笑顔がホントキラキラしている。浜崎の隠れ家に連れてこられて、赤木が降りた後の車で待つシーン、後頭部だけ映ってるところから、きちんと横顔をカメラに収める技。そして『どうしよう…そうだ景色を楽しんでる演技でもしてみよう』と思ったのか、やや視線を上に向けるぎこちなさが初々しくて可愛い。  そうだったのか、名作『第三の男(まだ観てない)』のリスペクト作品なんだ。 いやでも、とてもカッコいい'60年代の日本を代表する娯楽映画だと、思うんだけどなぁ。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-23 13:42:13)
287.  沈黙のパレード
私はドラマ版は数話しか観ていなくて、容疑者Xを観に行ったくらい。でもやっぱり福山と柴咲コウが並んでいつもの会話をしていると、同窓会的な嬉しさを感じます。公開年と同じ2022年の秋祭り(パレード)が舞台。そう考えると未だにマスクが取れてない現実とのギャップを感じるところ。映画的には長すぎに感じなくもない『キクノ・ストーリー・パレード』だけど、久しく観ていないノーマスクの全力カーニバルが懐かしくも思えたかな。  今回の主人公は草薙刑事。警察の人間として、加害者と被害者の間に立つ存在として、事件の始まりからみるみる内にやつれ果てていく姿がとても痛々しい。 被害者側に肩入れして観てしまうので、事件になることを食い止めたい気持ちでの鑑賞。意外とアッサリ。からの・・・ 可能ならばもう少しスッキリしたカタチで、15年前と4年前の真相をもう少し知りたかった気持ちが無いわけでもない。でもなぁそのシーンって絶対、後味スッキリ出来ないのは想像できる。だから、無くて正解だった。としておこう。  私のようにドラマあまり観てない人はともかく、多くのガリレオファンは、湯川先生と内海刑事の軽快な会話を楽しみたいんだと思う。そして湯川先生の閃きから無心に書かれる方程式を観たいんだと。 ドラマの時と殆ど変わらない内海刑事。それに比べて当時より少しふっくらした湯川先生。うん、この映画くらいの落ち着きを観せて良いって思えるほど、このドラマも息が長く、みんな歳を重ねたんだな。 15年も前に始まったドラマの続編が、いま、充分に満足できる内容で映画化されることは、実に喜ばしい。
[映画館(邦画)] 7点(2022-10-23 00:40:45)
288.  ラスト サムライ 《ネタバレ》 
- The Last Samurai - “最後の侍”  賛否両論は当時からあったけど、例えば007観たあとシュッと背筋伸ばしてスパイ気分で劇場を後にするように、私もこの映画を観て「武士道とは・・・」って、日本人の誇りについて考えなら、ある種日本人であることの誇らしさを感じながら、家路についたっけ。 アメリカ製の日本映画ですね。日本の文化を丁寧に勉強して創ろうという姿勢に、とても好感を持ちます。日本人から観てオカシイところが無いよう、真田広之や原田眞人が積極的にアドバイスをしたお陰か、目に余る変な描写はなかったと思います。 忍者が出てきたりは、いわゆるサービスシーンで、ハリウッドの“必要のないカーチェイス”や“必要のないシャワーシーン”みたいなものだと思っています。  日本人らしいなぁって思ったのが、例えば“たか”が小声で「獣のような匂い、耐えられません」と、自分でアルグレンさんに言うのでなく、信忠に言ってもらおうとする。でも目が合うとついつい愛想笑い。 不満を隠して尽くしてきたたかに「ゴメンナサイ」と夫を殺したことを謝るアルグレンさんに、まるで憑き物が取れたように一筋の涙を落として気持ちを受け入れるたか。この辺、上手いなぁって思った。小雪の演技力も凄いけど、こんなシーン入れてくるアメリカ人、凄いなぁ。  お金の掛けようも素晴らしく、港町の街並みも日本らしい気がする(中国とゴチャ混ぜになってない)し、お侍さんが登場する所で市井の人たち(日本人のみ)が顔を伏せるのも、らしい。 天皇の表現も、穏やかで好奇心旺盛。私腹を肥やす大村のような人間に利用されつつも、最後ビシッと決めてくれるところは心憎い演出。アメリカ人ってみんな日本の天皇(昭和天皇とは別だけど)に、悪いイメージ持っていると思っていたよ。 戦闘シーンも迫力があって、ハリウッド基準で撮られているのも嬉しい。比較対象が13年も古い『天と地』とになってしまうけど、あちらも近年の歴史超大作。日本人が大金を投じて、自分たちの歴史を表現したのが、アレだ。なんかもう、些細な誤解をチクチク言うのもどうかと思うくらい、頑張って創ってくれたなぁって思ってしまう。何だったんだろうパール・ハーバーって。
[映画館(字幕)] 7点(2022-10-11 13:59:29)
289.  リーサル・ウェポン4 《ネタバレ》 
50歳だったマータフが前作で退職(55歳かな)撤回してから、実に6年後と、かなり期間を空けての本作。1作めからだと11年目。長寿シリーズのイメージだったけど結構駆け足だったんだな。 二人の名コンビも健在。最初の火炎放射装甲男が目的も意味も解らなくて最高。シリーズの貫禄を見せつけてくれた。  密入国問題を軸に、偽札作りとマータフの横領(?)問題を絡めて、チャイニーズ・マフィアとの戦いを描いている。ジェット・リーの本格カンフー使いが相手という、ちょっとファンタジック路線な敵に、初見時は戸惑ってしまった。だってリーサル・シリーズにカンフーって…まぁ今では慣れてしまったけど。  立ち位置的には、シリーズ3部作に、後日談としての本作って感じかなぁ?全体的な評価だと3が低く他3作は同じくらいと。ちょっと評価高めな気がするけど、リッグスとローナの結婚。リッグスとレオの友情。リアンの出産。シリーズ皆勤賞のサブキャラ、マーフィー警部に精神科医のステファニー先生。シリーズ全作を一人の監督が撮りきったのも、地味に凄いかも? そしてホンワカしたあのリーサル・ファミリー全員集合のエンディングを観ると、私も良いシリーズだったなぁって、しみじみ思ってしまうニクい演出。
[地上波(吹替)] 7点(2022-10-11 07:44:40)
290.  ひろしま(1953) 《ネタバレ》 
この映画が原爆から僅か8年目に創られたことに驚く。そしてその目的が“原爆の記憶を風化させないため”ということにも驚く。 日本人の適応能力は素晴らしい物があるが、それと同時に忘れやすさも素晴らしいと思う。戦争が終わり、日を追うごとに戦争当時の痛みを忘れ、世の中にはどんどん欧米式の新しい建物が立ち、学生たちはGHQの指導の元で、戦後の新たな教育が施されていた時代。日々変わっていく世の中で、つい隅に追いやられてしまう過去の記憶。  鼻血を出す女生徒。原爆体験者の数を聞き、クラスにこれだけ居たんだと驚く教師。ABCC(原爆傷害調査委員会)は被爆者の診察はしても治療はしてなかった事実。この忘れやすさ、辛いことは過去のものとして、綺麗さっぱり前を向いてしまう辺りが何とも日本人臭い。 原爆は甘え。体験した人にはホントきつい一言だ。被爆者が口を閉ざすのも解る。日本の復興のスピードもこの当時から早い。東北震災から復興のスピードを見ても、8年目ともなると震災当日くらいしか思い返さないくらい、過去の出来事と化してしまっていたと思う。そして先生のように、未だに震災の被害から回復していない人に驚いてしまうとか。ホント今の時代と変わらないかも。  原爆当日の広島の様子、阿鼻叫喚の地獄絵図は凄まじく、また撮影の経緯も当時の広島の人達の気持ちが籠もっていた。自分があの日、目にしたものを再現して、より多くの人に映画として観せる。 戦災孤児。弱い孤児たちがグループを作って、米兵に物乞いして逞しく生きる姿。頭蓋骨について、はだしのゲンでも出てたと思う。本当かどうか定かではないけど、本当なら、アメリカ人が日本人をどのような目で見ていたかが解る。そしてそれは最初の“どうして白人の国ドイツではなく黄色人種の国日本に原爆が落とされたか”に繋がる。 当時は朝鮮戦争の真っ最中。幸夫は仕事で砲弾を作り、パチンコが戦争の資金になるって女の子も言ってた。 平和のために戦争に手を貸さない。結果それが反米だとして、広島に原爆を落としたのはアメリカなのは、未来永劫変わることはない。それを絶対に忘れない為に、その想いを込めて、この映画は創られたんだろう。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-08 19:18:42)
291.  空飛ぶタイヤ 《ネタバレ》 
タイトル聞いてパッとあの事件を思い出すのは、いい年齢な証拠かもしれない。三菱自動車のリコール隠し。東京フレンドパークの「パ―ジェーロ!パージェーロ!」が「クールーマ!クール―マ!」になったのって、この時だったっけか。覚えているつもりでも、時間とともに案外忘れてしまうもので、あの脱輪事故はリコール隠しから数年後に起きた事件で、三菱自動車への信頼をとことん下げる事件となった。そして沈没。超巨大戦艦なだけに、時間を掛けてゆっくりゆっくり沈んでいっている。  そしてこの映画、人の亡くなった事件で面白かったと言ったら不謹慎かもしれないけど、実際の事件をベースにとても見応えのある内容だった。 三菱でも被害者でもなく、運送会社社長と言うのはまた絶妙な立場で、加害者でもある一方で、被害者でもある難しい立場の主人公の境遇を良く描けてたと思う。四十九日法要の時。ここまで観ていると社長の社員を守りたい気持ちや努力が見えるだけに、妻を亡くした夫から浴びせられるきつい言葉にハッとしてしまう。確かにあの段階で自社の整備不良を認めないって、遺族にしてみれば言い逃れ以外の何物でも無いなって。  敵に回した財閥のデカさ。何度電話を掛けても出ない担当者。期待した雑誌記事は掲載されず、銀行からも厳しい返済を求められる。万事休すからの逆転劇が痛快だった。ただ富山ロジスティックの「新車だったんです」辺りで、鈍い私も半沢直樹っぽい展開だなって思って。池井戸風のドラマは結構見たと思うけど、純粋な池井戸原作って半沢しか観ていないから、そんなに引っ張られたり期待したりもなく、最後まで楽しめたと思う。むしろ半沢がドラマティック過ぎるので、少し抑えた本作くらいがリアリティを感じられて、実際の事件との乖離が少ないように感じられた。  沢田がある意味もう一人の主人公だと思うけど、それに値する人物かが微妙。どうしても、喉から手が出るほど欲かった1億を蹴った赤松社長>>>喉から手が出るほど欲しかったポストだけど想像と違う扱いだったから裏切る沢田。って思ってしまう。 ただ全体としてとても見応えのある娯楽映画で、原作モノとは言え、本当の事件を知る上でも、こういう映画にどんどん力を入れてほしいな。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-07 19:22:07)
292.  道(1954) 《ネタバレ》 
-La Strada- “道”。 アタマのLaは三人称単数のLaみたいで、フランス語みたくLe(男性)、La(女性)ではなかった。ので、“彼らの(彼女らの)道”…みたいなことでしょうかね??全然違ったらごめんなさい。 事前情報無しで観たから、最初コメディだと思ってた。夜道で待ちぼうけするジェルソミーナが、野良馬にビックリするシーンがとても好き。 私が子どもの頃は、親に「言うこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ!」なんて言われた世代だけど、もしかしたらこの映画の影響なのかもしれない。今じゃ“サーカスに売る”なんて差別発言になるだろうね。 主な登場人物は3人。言葉狩りに臆せず書くと(って、普段から気にしてないか)、ジェルソミーナ=知的障害者。イル・マット=キチガイ。ザンパノ=野蛮人…今だとモラハラ男かも。こういうところ、変にオブラートに包まれると、この時代の映画の本筋が観えなくなる気がするなぁ。  ジュリエッタ・マシーナは当時33歳だから、ジェルソミーナも少女と言うにはとうが立っていて、成人しているのに料理もできないし、美人でもない。家では流木拾いくらいしか使い道がない知的障害者。 貧しい一家が食べていくための“口減らし”。ジェルソミーナが1万リラで売られる時の、お母さんの極端な猿芝居がちょっと可笑しかったけど、真面目に見ると怖い。1954年の1万リラは当時の5400円くらい。今の価値で20万円くらいらしい。リアルだ。 ローザ(たぶん姉)の死も、母「かわいそうに、お墓がどこかもわからない」なんて、それ以上ザンパノに聞かない母親のしたたかさ。ローザが何故死んだのか、わかったもんじゃないのに、ジェルソミーナを同じ男に売る母親。あぁここは確かに、帰るべき場所じゃないわ。 海岸でひとり微笑むジェルソミーナ。芸人に成ることにちょっと嬉しそうなあたり、状況を理解できてないんだろうな。 母親に売られたのは仕方ないとして、サーカス団に誘われた時、イル・マットに誘われた時、修道院に残りたいか聞かれた時。その後の道を選ぶのはジェルソミーナ自身だった。きっとどれを選んでも幸せになったかもしれないのに、ザンパノと行くことを選んでしまった。  ついついザンパノをからかうイル・マット。やらなくてもいいのに。せっかくサーカス団と行く決心をしたジェルソミーナの決心が揺らぐ。「私はこの世で何をしたらいいの?」に対し「俺と来れば綱渡りを教える。でも、お前でも何か、ザンパノの役には立ってるんだろう?」この会話、イル・マットはジェルソミーナに一緒に来るように誘っているように見せて、ザンパノと一緒に残るよう誘導してないか?からかってないか?だとしたらホント、キチガイだ。でも別れ際にネックレスを渡すあたり、キチガイの良心かもしれない。あのネックレスはジェルソミーナの今後の辛い生活の、心の支えになったことだろう。別れ際ジェルソミーナにラッパを置いていってやるザンパノの心理も同様。あのラッパは、今後独りで生きていくジェルソミーナの飯の種になったことだろう。  海岸で始まり海岸で終わる。友達と言えるイル・マットを殺し、パートナーのジェルソミーナを捨ててきたザンパノ。 姉のローザの死は、きっと彼に何も残さなかった。『死んじまったか、面倒くさいな。』くらいの気持ちで、代わりのジェルソミーナを連れてきた。突如僧院で彼女に求婚された。自分を好きになる努力をする女を前に、何も考えないことにしたザンパノ。 『この小石も何かの役に立っているハズだ。空の星と同じように』は2人の共通のテーマかもしれない。 海岸で泣き崩れるザンパノ。このシーンにはいろんな解釈があるけど、ザンパノは空の星を見上げて、自分の道を考えたのかもしれない。 ジェルソミーナは小石を見て自分の未来の道=今後自分がなにかの役に立つこと。を考えたのに対し、ザンパノは空の星を見て自分の過去の道=自分の愚かな行いで失ってきたこと。を考えたのかも。 でも今さら遅い。考えたって取り返せない。ザンパノの歩んだ過去も、ジェルソミーナの可能性の未来も。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-23 15:33:41)
293.  心の旅 《ネタバレ》 
-Regarding Henry- “ヘンリーに関して言えば”  この映画、20年くらい前、深夜にたまたまテレビでやってて、ハリソン・フォードが頭撃たれるところから観出して、ついつい先が気になって最後まで観ちゃったんだよね。暇な時の深夜映画の魔力って、凄いね~。  常勝の凄腕弁護士ヘンリー。妻のサラもママ友キャロルの娘が寄宿学校に不合格だったことを喜んでる。ヘンリーに限らず、この夫婦は競争に勝つことでいまの家庭を維持している。いつも困ったような顔してる娘のレイチェル。競争に勝つ力がある両親に比べ、何とも幸薄そうな子。 一発(正確には2発)の銃弾から生活が一変。今までの生活がリセットされる。常勝の宿命に縛られた、というか支えられていた生活からの開放。今まで無視していたドアマンと挨拶し、家政婦に喜びのハグをする。車で素通りしていた街並みを歩き、庶民のジャンクフードを買食いする。  いつも陽気な理学療法士ブラッドリーはフットボールで膝を壊し、再出発の人生を謳歌している。フットボールが人生の全てだったが、人の手助けをする今の人生を悔やんでない。「試合に勝ってたら伝説だったな」勝ってたら過去の栄光を引きずってたけど、負けたから開き直れた。 行き過ぎた競争化社会から、自分の身の回りを見つめ直そう。競争で勝っても幸せは掴めないのかもよ?そもそも幸せは、もう掴んでいるのかもよ?あなたにとって本当に大事なものって何?そんな問い掛けの映画に思えた。 『卒業』のマイク・ニコルズが、今回、公の場から強引に連れ出したのは最愛の娘。  「チョットイイデスカ」日本のサラリーマンたちと何やら打ち合わせをしていた所長チャーリー。 『フィールド・オブ・ドリームズ』でも思ったけど、やはり当時の日本はアメリカにとって脅威だったんだな。過去の戦争で打ち負かした国が、今はアメリカに侵食して来ている。ベトナムでは戦争に負けた。世界のランキングでアメリカはまだ勝ってるけど、そんなの、いつまでも続かないかもよ?ずっと勝ち続けるために無理するより、ちょっとリセットしない?競争しないでも、今のアメリカは充分に豊かだよ。  “ヘンリーに関して言えば” 裁判で証拠隠滅してても、お世話になった会社に不利な証拠を係争相手に渡しても大丈夫。 最初に発した言葉が「リッツ!」でも周りは上手く勘違いしてくれるし、奥さんまでダブル不倫してても、ふぐ料理に誘った思い出があれば大丈夫。 今後は身の丈にあったマンションで、新しい仕事で、親子3人+犬一匹、仲良く楽しく暮らしていくんだよ。 さて、あなたは?
[地上波(吹替)] 7点(2022-09-18 12:27:57)
294.  ラッシュ/プライドと友情 《ネタバレ》 
-RUSH- “突進”とかでしょうか?私など'80年代後半のセナ・プロ・マンセル世代なので、ハントやラウダは伝説の英雄でした。 当時の映像なんてほとんど観る機会もなく、F-1グランプリ特集って雑誌を買って、コラムとかで過去の英雄のエピソードを学びました。 '80年代後半のスポーティでスマートなF-1と比べ、スリリングでパワフルだった時代のF-1。2013年にもなって、あの時代の雰囲気を、ここまで再現してみせるなんて思いもしなかったわ。 しかも'76年は日本でのF-1グランプリ初開催、いわゆる日本での“第一次F-1ブーム”真っ盛りの年。ナショナルカラーやスポンサーカラーに彩られた美しいマシン。ティレル6輪車に代表される異形のデザイン。生と死の隣合わせ、命懸けのドライバーの魅力。F-1の長い歴史の中で、この'76年を選んだのは正解だったと思う。  デパイユ、レガツォーニ、クリスチャンじゃない方のフィッティパルディ、マイケルじゃない方のアンドレッティ。名前を聞くだけで「おぉ!!」ってなる。エンツォ、ルカ、ポストレスウエイトなんて第二次F-1ブーム時にもよく聞いた名前。歴史は続いていくんだなぁ。 レース毎に仕様を変えるマシンもかなり再現度が高かったと思う。スローで観るとウイングとかカウルとかがフルフル揺れるのが当時のF-1。スタート時に後輪が空転して膨らむところとかも、さすが実写。ティレルP34のカウル、富士スピードウェイの時だけの“たいれる”表記。こんなとこまで再現したって誰が気がつくの?ってトコまで頑張って再現している。どうせならリジェ前半戦の巨大インダクションポッドも再現してほしかった、なんてワガママか。 若い頃のハントとラウダが出会うF-3レースの再現度からして、この映画凄すぎだと思う。  ラウダもハントも似てる。ラウダについては『グッバイヒーロー』ってドキュメント映画で割と詳しく紹介されていたので、奥さん含め、ホント似てるなぁって。そして生々しい火傷の治療はラウダの執念にも似たレースへの思いを感じさせた。 ハントは、映画観てると格好良いなぁ。でも実際のハントは、私の好きなパトレーゼへの長年の嫌がらせを知ってしまって、正直好きじゃなかった。 細部にディフォルメや盛ってる部分はあるだろうけど、こんな凄い映像で再現してくれたことに感謝。こういうF-1映画をもっともっと創って欲しいわ。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-17 18:21:12)
295.  博士の愛した数式 《ネタバレ》 
人生初の国際線の機内で観ました。まだ劇場公開中の映画が観られるなんて、すごいなぁって思いました。そんな思い出補正もあるんだけど、結構好きな映画です。 邦画ってお色気シーンがあるものと思っていたから、ちょっと敬遠していたんだけど、この映画はそういうのが無くてスッキリ楽しめました。それこそ、劇中のルートくらいの子に観てほしい映画。 絵に書いたような素直な学生たち。悪意なくからかわれて人気者の先生=最初の授業っぽいけど既に√ってあだ名が浸透してるとか、まず無い。 理解ある家政婦紹介所とお義姉さん=派遣に子供連れて行って一緒に御飯とか、現実問題無理だろう。 博士を受け入れる少年野球チーム&背番号の変更=背番号は杏子が事故のことで監督と取引したのかも? なんて、私みたく斜に構えた観方ではなく、子供だったらこの映画がすぅ~~っとまっすぐに入ってくるんじゃないかな?  階数、素数、完全数、π、i、e。算数の段階から数字が苦手だった私でも、数学の面白さや神秘性が伝わった。なんかこんな話を学生の頃に聞いていれば、もしかしたら苦手意識無く楽しく学べたかもしれないな。この映画をキッカケに、数学の楽しさを探究したくなる若い子が出てくると思う。 そして記憶を持ち続けられない博士との交流は、人を思い遣る気持ち、人を悲しませない付き合い方を知る、とても良い学びの機会になっていると思う。 ルートが怪我をした時の母親の一言。博士におぶさって、母の被せたキャップをはたき落として気持ちを示す一連のシーン。謝る母親をちゃんと許すところとか、10歳にしては大人すぎてるとは思うけど、やっぱりジーンと来てしまう。…しかし、ほんと吉岡秀隆ソックリな子役を見つけてきたモンだわ。  せっかく主人公を杏子からルートに変更したんだし、純粋に子供向けに創っても良かったのに。 お義姉さんの話は子供には難しいんじゃないかな。それこそ自分たちの曾祖父母(?)の年代の恋愛話だから、子供はどう観るんだろう? 17年前の事故から時間が止まっている博士だけでなく、未亡人もまた、時が止まっているように思えた。1986年の話のようだけど、その年代から観ても古いお屋敷に、和服を着てキッチリ化粧をした未亡人。彼女には老いていく自分を博士に見られたくない気持ちがありながら、博士ひとりを17年前に置いていくことも出来ない優しさ、そして罪の意識から自分からは何もしてやれない悲しさが感じられる。  杏子に対する博士の思いも気になった。事故にあった時、博士は47歳だったそうだ。 杏子は28歳。明るくて屈託なく、グイグイ来る性格。ん?ルートは杏子が18歳のときの子か。で、18歳から家政婦やってるのか。 熱中症から目覚めて、自分の記憶が保たないことを知って悲しむ博士。杏子の手を握り、女の手の暖かさを知る。 そしてこのあときっと鏡を見て、自分が既に64歳の老人になっていることに気がつく。 気持ちは47歳なのに、目覚めたら64歳になってる博士は、28歳の杏子に対し、恋愛とはまた違う何かの感情を感じていたんだと思う。 220と284は友愛数と教えた博士。友愛数は親和数とも言うそうだ(※もちろん知ってたんでなく、調べました)。 だけど敢えて“友愛”の方を伝えるあたり、恥ずかしがり屋の博士の気持ちが込められていたのかもしれない。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-12 22:52:39)
296.  ベニスに死す 《ネタバレ》 
-Death in Venice- 邦題ままだと思う。 でもイタリア語の-Morte a Venezia - で“ヴェネツィアの死神”にもなる。うぅ~ん… タイトル聞いてもピンとこなかったけど、ビョルン・アンドレセンのカットで『あぁ、あの映画のことか』ってなった。むかし雑誌か何かで見た美少年。どういう内容か、ずっと気になってた映画。 初老の作曲家と美少年の2人は会話を一切しない。画的な大きな変化も少ないんだけど、美しいベニスの風景と美しい音楽、美しいタッジオを観ているだけで、とっても静かで心地よい時間が流れる映画。劇中何度か使われる、遠景長回しの映像は、まるで自分もそこに居るように感じられる心地よいものだった。 私は本作から、同性愛的な雰囲気や、性を連想させるような匂いは感じなかったかな。純粋に“美”を求めているように感じた。  『タッジオは死の天使で、アッシェンバッハを死に誘った』ってヴィスコンティ監督の解説を見てナルホドって思った。イタリア語のタイトルとも重なるし、死神ならベニスに広がるコレラ=疫病の蔓延にも関連ありそう。 タッジオは美少年だけど、彼に魅了されてるのはアッシェンバッハだけで、他の人はチラ見もしない。アッシェンバッハを誘惑するような眼差し。嫉妬心を沸かせる肩を抱いて頬にキスする友人。まるで誘ってるように柱に掴まってクルクルなんかも、実はアッシェンバッハだけにそう見えてるのかも。美を追求したものにだけに見える幻の美しさ。  せっかくコレラが蔓延している事にいち早く気がついたのに、既に死の天使に魅了されてベニスを去れない。年老いて醜く死を迎えるより、美しいタッジオを愛でながらの死を受け入れる。若返りのメイクはまるで死に化粧だ。最後に目に焼き付いたタッジオのポーズ。腕は水平線、指の輪っかは沈む太陽で、死を表現してるのかな。この海岸のシーン、聖闘士星矢のミスティを連想したわ。  アッシェンバッハがタッジオに魅了された気持ちって、もしかしたら欧米人より日本人の方が理解出来たかもしれない。その原因は初登場時のセーラー服。 本来、水兵さんの軍服であるセーラー服。女子校生がセーラー着る文化があるのって、当時恐らく日本だけだったと思う。 『美しい顔立ちの少年がセーラー服を着てる』セーラー服=汚れのない少女ってインプットされてる日本人は、それだけで彼を“神聖な存在”と認めたハズ。 一方でセーラー服=水兵さんって認識しかない欧米人からしてみると『ビョルン?あぁ、綺麗な顔立ちだよね』くらいの感想止まりだったと思う。 逆にタッジオがセーラー服を着るシーンがなければ、日本でのビョルンの評価は『あぁ、綺麗な顔立ちだよね』って感想止まりだったんじゃないかな。 欧米人気とは独立して、セーラー服が日本でビョルンを神聖化し、日本でCMやレコードも出し、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”になったんじゃないかな。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-09-08 23:01:12)
297.  映画 ビリギャル 《ネタバレ》 
こういう目標のハッキリした映画は、観ていて安心できる。タイトルから現役合格するのは決定付けられてるんだけど、それでも合格発表は手に汗握って観られた。自転車漕ぎながら人称代名詞(だっけ?)読み上げるとことか、世代は違うのになんか懐かしくなった。  理解ある母親ああちゃん。極端にエコひいきをする父。学力よりルールな教師。実話にしては何とも漫画チックな登場人物だ。でもそこが却って映画的に、さやかちゃんの人生の障害として、または拠り所として機能したのかもしれない。勉強に集中させるために遊びに誘わない友達も良かった。授業中寝てるさやかちゃんの髪をグイッと掴み上げる(女の子に対して)安田顕と、眠そうに睨み返す有村架純のシーンはビリっと来た。 自暴自棄、家庭内不和、天候不良、体調不良。。数々の障害は自分の過去と照らし合わせて共感できることも多かったな。お腹壊して文章を追えなくなるとかリアル。…でも、一度退席したら再入場って出来ないんじゃないの?…古い?  ただ、受験当日お父さんの極端な“あぁ見えていいトコある”アピールが、映画としてはあからさま過ぎてマイナス。あそこは『親切に道を譲ってくれた老夫婦がスタックした』とか『整備工場のお得意さんで、病院に行かなきゃいけないの知ってて…』とか、もうちょい上手く観せられたと思う。それにあんなタイプの父なら、娘たちにも焼肉を食べさせて自分は我慢すると思う。  ビリギャルが当時流行って、ワイドショーとかでも取り上げられてて、でも“今でしょ!?”の塾先生は批判してたみたい。有名進学校出身で地アタマが良かったにしても、無勉強だった子がたった1年で慶應現役合格は素直に凄いこと。 そして1年という短期間で総合学力を上げるのでなく、詰め込めば間に合う可能性のある慶應にしたのは、さやかちゃんでなく坪田先生の功績。 最初は馬鹿でも知ってる大学「東大にする?」って冗談っぽく振っておいて、「じゃあ~…慶應にしちゃおう!」って誘導してる。人の能力を引き出し、その気にさせるだけでなく、結果を出せる道を指し示した坪田先生が凄いんじゃないかと。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-07 20:04:00)
298.  燃えよドラゴン 《ネタバレ》 
-ENTER THE DRAGON- “ドラゴン現る” ~龍争虎闘~実力が互角の者同士が雌雄を決する戦い『竜騰虎闘』をモジッたものみたい。 日本で公開されたブルース・リー主演作品の第一弾で、ゴミゴミした大都会・香港と、空手とは違う独特の構えのカンフーを日本に広めた作品だと思う。 我が家には兄が集めたライダーカードとブルース・リーカードが沢山あったっけ。ジャッキー世代の私は、子供の頃に作品を目にする機会こそ無かったけど、あの奇声と蹴りのスピード、ヌンチャクなどの特殊武器のアクションの存在は、しっかり認識していた。  高校の頃に初めてみたけど、修行して強くなるジャッキーと違い、既に弟子に指導する“師匠”ポジションのリーが格好いい。なんか如何にもカンフー映画の第一人者って貫禄が感じられる。 コントっぽいお笑い要素なんて無い真面目なアクション映画。敵は007シリーズっぽい悪の組織。「銃を使えば?」ってリーから提案することで、銃を使えない理由、格闘技1本の闘いに説得力を与えている。 妹の死の真相…ってか、お父さんがあの時まで黙っていたのが逆に不思議。今回久しぶりに観たけど、初見時にこの設定を忘れていたのか、あの有名な『切ない顔(芸)』の意味が、何となく理解(妹よ、仇は取ったぞー!!って顔なのね。)出来た。  最後はリーとハンの一騎打ち。印象的なマジックミラー対決だけど、外は白服の悪者と黒服の浮浪者軍団の乱戦になってたのね。白と黒が互角の戦いしてるのは謎だけど、こういう映画の影響で、中国人はみんなカンフーが使えるって思っちゃうんだよね。 サモハン、ユン・ピョウは解ったけど、ジャッキーとチャック・ノリスは解んなかったなぁ。忘れた頃にもう一回見よう。
[地上波(吹替)] 7点(2022-09-06 20:50:14)
299.  嵐を呼ぶ男(1957) 《ネタバレ》 
両親(特にママン)が祐ちゃん好きだったみたいで、石原裕次郎が亡くなった時にベストアルバムみたいなレコードを買ってきて、家族で一緒に聞いた覚えがあります。 「フックだ!ボディだ!」とセリフ付きの歌に、当時の私は内心『・・・ダッサ』と思ったっけ。 裕次郎の格好良さが詰まっていると言われる本作。きっと大人になった私だったら、共鳴・理解出来る何かがあるに違いない!と思い、数年前に1回めの鑑賞。 オープニング、銀座の昼が夜になり、ネオンがギラギラ輝く当時の夜景が美しく、ガヤガヤした人の喧騒が楽しい。観ていてワクワクした。 ヤクザの世界とベタベタな芸能界も、きっと当時の感覚では“言うまでもない世間の常識”だったんだろう。時々闇深さを見せる今の芸能界より解りやすい。  詰まらなくはないんだ。惹かれるものはあるんだけど、でもね、う~ん・・・チャーリー(何だよチャーリーって)との対決で歌っちゃうのってどうよ?アレってドラムのテクニックとか関係ないし反則じゃない?なんかね、一番の盛り上がりポイントが、正直言ってやっぱりダサくて、このノリに素直に同調できなかった。“昭和を代表するスター”の代表作の魅力を充分に理解できなかったわ。 子供の頃からスタイリッシュで格好いいハリウッド映画と洋楽にどっぷりハマって、“欧米文化サイコー!!”って自分を洗脳してきた私には、戦後から立ち直って、その先を模索する当時の日本人のパワー(暑苦しさ)、昭和の真ん中な空気(古臭さ)にダサさを感じてしまったんだろうな。  それで今回、レビューのために再鑑賞。やはりオープニングにワクワク。戦後わずか12年でコレって凄いよなぁ。戦後かぁ。“戦後”ってキーワードで鑑賞すると、そういやチャーリーって、アメリカ人の代表的な名前だな。 左手を痛めつけられ、それでも逃げずにチャーリーと戦う裕ちゃん。手をやられたなら他の武器で戦えば良い。「おいらはドラマー♪」と、出せる力を全部出して戦う石原裕次郎に、当時の若者は焼け野原から立ち直った日本、“もう戦後ではない”これからの日本を重ねたのかもしれない。  ロカビリーとかカタカナ名前とかそういうアメリカの借り物でなく、これからは日本独自の格好良さを創り出していこうぜ!って、1957年という時代は、そういう日本の将来の分岐点だったのかもしれない。 映画の裕ちゃんみたく「フックだ!ボディだ!」って、日本人みんなが出せる力を全部出して、なりふり構わず頑張った結果が、高度経済成長なんだろうな。 This is 昭和! This is ニッポン! ダサいけど格好いいぜ、裕ちゃん!
[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-08-26 19:42:41)
300.  メンフィス・ベル(1990) 《ネタバレ》 
-Memphis Belle- “メンフィスいち美しい女の子”乗機B-17の名前。爆撃機には船の“ナントカ丸”みたく名前があるみたい。初視聴はレンタルビデオで、結構好きな映画なんだけど、辛口評価が多いんですねぇ。 B-17の実機が登場するのが目玉。B-17の銃座がどんな位置にあり、誰がどんな任務を担当したのか。そして昼間爆撃とはどんな任務か、どれくらい被害があったかが、この映画1本で解る仕組みになっている。  特撮はリアルとはいえないけど、一瞬で爆散するでなく、また数秒で墜落するでもなく、じわじわと悲惨な最後を遂げるB-17の姿。落ちる機中にも10人の若者が乗っていて、恐怖のなか死んでいく現実。そして最後、自機の車輪が出ないことでどんな惨状が待っているか、冒頭の機体炎上で観せるのも上手い。 戦争を舞台にした青春映画として、若者たちの生きるための精一杯の努力を描いていたと思う。いがみ合っている同士が見せる優しさ、イザという時に見せる勇気。ヴァルが医師の経歴詐称を暴露したり、ダニーが自作のでなくイェイツの詩を読んだことを暴露したりと人間臭い。  戦略爆撃には2通りがあって、ピンポイントで軍需工場とか軍港を爆撃する精密爆撃(敵国の軍事力破壊が目的)と、敵都市を無差別に爆撃する絨毯爆撃(敵国民の戦意喪失が目的)があって、メンフィス・ベルたちの任務は前者。 また当時の連合国はまだ絨毯爆撃はしてなくて(といっても劇中の数カ月後からバンバン落とす)、誤爆とか事故、故意に住宅地に落とした以外、映画のような描写、考え方であっていたと思う。 先導機のウインディ・シティ号が落ち、後任のCカップ号も戦線離脱して、メンフィス・ベル号が先導機に。もし2回目の旋回でも工場が見えなかったら『ここだ!(と思う)』で爆弾落としてたかもしれないし、誰も反対しなかっただろう。  偶然にも雲が晴れて、目標も映画もスッキリとした終わり方。戦争映画でスッキリって表現は違和感を感じるかもだけど、アメリカが創る第二次大戦を舞台にした映画って、戦争の悲惨さとかをテーマにした映画より、娯楽要素の強いドンパチ映画が多かったと思う。本作はイギリス主体で制作されたらしいけど。 メンフィス・ベルは古き良き戦争映画のスタイルに、爽やかな青春映画要素を組み入れた映画で、公開当時はまだ『ベトナム戦争映画は真面目に。第二次大戦は娯楽にして良い。』のような風潮があったように思う。なにせ第二次大戦の連合国は善で、ナチや日本は悪。特にアメリカの力で世界平和を勝ち取った戦争。と考えていたから。 '80年代以降ベトナム戦争のドロドロを描写した映画が増えて、なんか実際の戦争を娯楽にするのに抵抗感が生まれていったんだと思う。 空気を読まずに完全娯楽作として作られたパールハーバーが、戦争娯楽映画にとどめを刺した印象。
[ビデオ(字幕)] 7点(2022-08-14 16:28:47)
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